2009年12月31日木曜日

爆笑問題の失笑問題

■年末、三波春夫と村田英男のドキュメントと、ジョンレノンのドキュメントを見た。で、いま。実は1月17日日曜になってしまっている。年末から、書こう、書きたい、でも、見たいテレビもあるし、本も読まねば、ということで、新年もおわり、1月も半月たってしまった。で、書きたいことは結構たまっているので、短文にしあげて、アラカルトを記るしてみたい。

■さあ、まず書道が良い。年末に「書道ガールズ甲子園」という高校生たちのドキュメントを見た。いいねえ。書道を介したパフォーマンスなのだが、何せ参加各高校の「書」のレベルが高いのだ。それも、数メートルの巨大な紙に書くものばかりである。流行の女流紫舟とか、へたくそ相田みつをなどより、数段上の格調さがある作品を身体を使って次々に生み出していく。ちょっと小学生の「30人31足」徒競走の共同性と似ていて、思わず応援してしまう何かがある。NHKの朝の連ドラも、今年は「書道もの」らしい。実は僕は小学校3年から6年まで「東北書道展」という奴に学校を通じて出していて、初段であった六年生の時、銀賞に選ばれて、仙台の丸光デパートであったか、三越であったか忘れたが、授業中に教員と受賞式に行ったことを覚えている。僕のばあい、上手いというより大胆な形に描いての受賞だと思う。

■亡くなった妻の義母はお茶の水大学を卒業した後、「ひらがな」書の師範になり、70歳ぐらいまで原宿あたりで個展などもよくやっていた。デザイナーの浅葉克己さんがドンパ文字とか阿比留草文字など世界の文字をあつめていたり、僕の先輩の田中穣さんが、「世界の文字美術館」をつくる構想で動いていた時期もあるので、僕なりの文字や書に対する価値観や美意識はある。書というより「画」という意識で見ているのかも知れない。ピカソとマチスの作品の感覚が昔から大好きで、心と目にに送り込んでくる色彩とフォルムは、何といっても世界一と確信している。でも、その感覚を超えるような書や文字のフォルムは、古代中国や現代の日本書壇にも沢山ありそうだ。色彩と輝きを放つ墨。平面とは思えない文字の構成。この流行を切っ掛けに書にもっとアートとしてのスポットが当てられるといいなあと、切に願う。

■全国に阿部正行さんは、何人いるのであろうか。インターネット上で探すと、WEBやブログを持っている阿部正行さんは、4〜5名いる。建築家とか、フィギアの有名作家も居るようだ。
65歳ぐらいに引退したら、「全国の阿部正行(読みも漢字も同一が条件)で、集まりませんかあ」という集いをやってみたいと思っています。まあ、おそらく10数名は居ると思う。そこで司会の僕が「阿部正行の皆さん、こんにちは、ご苦労様です。今日司会の阿部正行です。」とやりたいのです。皆さんにお会いして聞きたいことはこれだけです。 ”阿部正行、あべまさゆき”って子供の時から言われてきて、どうでしたか?良い気分でしたか。自分の身体と、脳髄と名前が昔から一体化していましたか?何か不思議じゃあなかったですか?

■■NHKの番組で時々見ているのが爆笑問題の「爆問学問」だ。太田と田中の、どっちかと言えばこの番組の場合、田中のリードで進んでゆく。結構面白い。太田の乱暴な論理の構築と対案が見物であるシナリオとなっている。で、気づいたことは、大半のお相手は理系の学者なのだが、文系の先生と太田は何故か対峙できないことが解ってしまった。去年の11月ぐらいに東京芸大の学長とか、芸大関係の対論が2回ほど連続であったが、太田の芸術の感覚とか、知識は非道いものだった。単に論駁するために強引にあれやこれやいうだけで、番組として内容の無いものになった。画面で彼らを取り囲んでいた、絵画とか、音楽のアーチストの卵たちも爆問の薄っぺらさに辟易したんじゃあないかな。僕もチト驚いた。理系相手だと結構善戦しているのにね。

正月になってから、東京外大の亀山郁夫学長と対論していた。この一年僕が読んでいるドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」とか「罪と罰」の光文社版の翻訳でも有名なロシア文学の先生だ。この時も太田さんは、惨め。話せば話すほど敗残者に落ちて言っていた印象であった。何をどういったか、いまおぼえていないんだがね。問題はシャイで対人関係が不器用で、内弁慶な太田が、彼にとって全くの未知の領域の科学に挑んだ場合、相手の科学者が「素人」に丁寧に教え諭してくれるので、番組構成としては解りやすく良好になるのだろう。しかし、文学や芸術の場合の相手は、太田が一応「芸術分野」であるだろうと知った上で対応してくるので、実は容赦がないのだ。さらに、太田当人も「文化系のインテリ芸人」として知ってるべき事を生半可であることが多いので、どうも大胆に論理構成が出来ず、容赦ない攻勢に押しまくられやすく、「そうか、そんなもんかね」「意外に、程度ひくいのねえ」などと唾棄っぽい台詞を吐くので精一杯とあいなる。太田さんの踏ん張りに期待したい。

■12月8日は、ジョンレノンの命日だ。だから、例年12月はビートルズものや、レノンの回想もの、洋子オノの番組が増える。年末に民放の割に丁寧に作られたレノンの回想番組があった。オノ洋子のインタビュー中心にして進行する充実した内容であった。今までも何度も取り上げられているが、小野洋子の出現でビートルズが解散に向かう下りのリアルな様は凄い。ザ・ビートルズはいわずとも「ア ハードデイズナイト」「抱きしめたい」のややポップなロックではじまり、ラビシャンカールなどの影響、60年代後半の反戦・ヒッピー運動が開花した全世界的な潮流の影響もあって、後半「マジカルミステリーツアー」とか「サージェントペーパーズロンリー ハーツクラブバンド」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」などをリリース、芸術に見事に昇華したロック界から来た初めてのアーチストである。ことばどおり、ベートーベンを超えたのだと思う。

改めて、ジョンの足跡を見てゆくと、解散は必然であったことが解る。ヨーコオノの芸術的な影響が解散を促進させたことはまさにその通りであるが、「イマジン」「ハッピークリスマス」「パワーツーザピープル」を聞くと、芸術に優しさが加わった独特の世界観に到達している。世界的歴史的普遍性を獲得していると換言していい。(ここ、近々加筆する。)

■最近、いやらしいコマーシャルが流れている。大和証券キャピタル何とかという企業のものだ。画面ではカリブ海の島々の民謡(サルサとかレゲエとか)のような音楽を貧しい身なりの民衆アーチストがソウルフルに歌ったり演奏している。アフリカの楽曲も入っているかも知れない。優れてよい。心地よい楽曲である。かつてハッピーエンドの細野晴臣さんが収集していた「地球の声」のようなすこぶる良い曲が画面から流れてくる。でも、なんで、証券会社のCMなの??開発途上の国の文化を使える立場にないんじゃあないか、あんたたち。金融企業のいままでの足跡をわきまえないいやらしいCMだなあ。何処の広告代理店がこういう嘘つきの企画を彼の証券会社に提案したのだろうか。こういう周辺に自分もいたことを恥じる。広告代理店の責任も大きい。こう いう下劣なことはもうよそうよ。
■《ブログご高覧感謝》
僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
以下は、毎日100人以上の”人気”ページです。ぜひ、ご高覧ください。
多いのは一日1400名閲覧もあります。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行 

2009年12月28日月曜日

家族の肖像

昨夜、中勘助の「銀の匙(さじ)」を読み始めたら、急に家族が愛おしくなり、その分寂しさが募った。僕には三つの家族が存在する。ルキノ・ビスコンティ監督の「家族の肖像」をなぞってこのタイトルにしたわけじゃあない。歴史の狭間で倒壊してゆく貴族の家族とは、違うからね。まず、僕にはベトナムに家族がある。仕事のパートナーでもあるVUONGと、娘のLINH。今年は、不況の荒波の中で家族として一緒に居られる時間が激減してしまった。今年は例年と違って、彼女の誕生日もクリスマスも、ぼくの8月の誕生日も一緒に家族としてお祝いをすることすらが出来なかった。例年より大分少なく90日ぐらいしか、ハノイに居られなかったのである。10月のLINHの誕生日だけは、幸い辛うじて一緒に家でお祝いができたが・・。近日もらったブオンからのグリーティングカードはとっても心がこもって、制作に時間もかかった物と思われるうれしい、かわいらしいカードであったわけだが、彼女の言葉には意図せずも「来年はたくさん、一緒に家族でいましょうね」と英語で認ためてあった。そうだね、来年はできるだけ一緒に居ようね。食事もLINHの学校のことも一緒に悩もうね。心優しく、この一年の困難を一生懸命に支えてくれたブオン、本当にありがとう。ブオンの肖像は時間をかけて描写したい。この母子は、僕の新しい大切な命であるからね。今日は「ごめんね」と言う範囲でしかここに書けない。

もう一つの家族は娘のはるひと一行だ、そして、彼と9月に結ばれた嫁さんの紘子さんだ。12月20日は、亡くなった妻晃子(てるこ)の命日。最期は2003年だから、まる6年経過した訳だ。自分の愛する妻が病死してしまう人生を僕が歩むことになるなんて、全く信じられない。が現実は、既に7年目に入っている。彼女と僕は32年生活を共にした。楽しみとか、価値観の共有とかあらゆる事を共にした32年であったように思う。彼女は発病して10年間病魔と闘い続けたが、56歳で天命に従った。その10年間、僕は何をしていたのだろうか。彼女の孤独とか、悲しみや不安に僕は応えてあげられなかった。どう悔やんでも遅いのだが。

晃子の肖像を何時か書かなければならない。ただ、彼女を書くことは、僕自身の内部を誠実に切開せざるを得ないだろう。とてつもない刻苦を身に受けつつ書き進めることになろう。今日は、何も書けない。何時書き始めるのかも、良く分からない。最近、やはり自分も老境なのだなあと感じる。はるひと一行への愛おしさに自然に浸ることが出来てきたもの。出来るだけ会う機会を作って、普通のオヤジとしての会話をすこしずつ、していかねば。子供たちには晃子の人生を伝えたいし、な。僕の義務だ。30日にこの3人(はるひ、かずゆき、ひろこ)と会った。家でぼくは、4人家族として酒を交わし、張り切って手料理を振る舞った(ここだけ31日加筆)。

もう一つの家族は仙台の父親94歳と、母親85歳と、彼らの世話をしてくれている弟とその家族の事である。以前に書いたが、大学七つに籍をおいていた学者肌の教員の父の子供として生を受けた僕。田舎の地主の気丈夫な美しい娘であった母から生をもらった僕。
僕は、この三家族の中で生きている。と言うより、地球上の生のよりどころの在処をここでしか見つけられないのだろうなあ。そういう運命の中で、僕は61歳の自分をどのように見詰めていけば良いのだろうか。どのように思考していけばいいのやらも良く分からない。何時か、何時か、そして何故か、この地上の悲しみに耐えきれず、号泣したい想いが強いことに気がついた。誰に何を叫びたいのか。号泣したい欲求が、肺腑の下あたりに堆積しているような感じ。不思議な感覚だ。この俺が屹立したまま涙を拭こうともせず大声で泣くのだろうか。

「銀の匙」については11月3日のこの欄に書いた。神戸の灘校の国語の1年間はこの「銀の匙」しかやらなかったらしい。あの灘校は、つまらぬ受験用ハウツー学習などせず、何十年もの間、ある教員の下これだけに集中して、国語と文学を体得していたという。その本質的な凄さに驚いて、やっと最近買い求め、読み始めたと言う訳なのだ。

2009年12月19日土曜日

理解を本気に求める

うう〜ん、鳩山さんの目が完全に宙を泳いでいる。自信なげな表情が丸出しとなっていて、気の毒なくらいだね。会見前にマイクの前で転けそうになったりさ。鳩山さんにリーダーシップがないことは、大分前から関係者は充分に知っているわけだから、問題は国家戦略局というか、管さんが活発に動いていないことにありそうだ。何故かね。国連では、CO225%削減をひっさげて登壇して目立ったし、良いデビューを飾ったことになったが、今回のコペンハーゲンのCOP15会議のように開発途上国がガンガン発言し、つわものの海外NGOが跋扈するなかで、どんなに「金だすよ〜」と叫んでも、誰も振り向いてくれない。この世界における日本のプレゼンスと政治力の無さの現実を直に肌で感じたと思う。だいたい、そのような闘いの場に着物着た女房つれていって、どうするんだ。まったく〜〜。

最近小沢さんが、いらついて思わず表面に出始めたが、事態が落ち着けば、裏に回るはずだ。彼は保守の革命家であって、つまり総理大臣は自分に無理と自覚もしていると思う。民主党結党の総費用20億円全額は鳩山さんちのママが提供したわけだから、鳩山さんはオーナーとしてもっとメリハリ付けて欲しいですね。それにしても、すぐに官僚に取り込まれて「省益」にきゅうきゅうし始めた元社会党の赤松とか、防衛の北澤とか、総務の原口とか最低だ。彼らの政治センスは本当に情けない。しかし、期待できそうな副大臣が結構いるね。大塚さんとか、古川さんとかね。なかなか溌剌としています。年末を迎え、気持ちは明るくしていこうぜ。

六月十三日のこの欄に書いたことだが、今時の冴えてる学者は神戸女学院大学の内田樹(たつる)さんと元早稲田の生物の池田清彦さん、東大の上野千鶴子さんぐらいとね。で、いま、内田さんの新しい「日本辺境論」を読んでいる。いままでなかった最深の(最深だよ)知識をもたらしてくれる。彼は丸山真男さんや川島武宜さんの受け売りですとか、埋もれていてもったいないので掘り起こしているだけと謙虚だが、日本に横行する現実主義という仮面や、戦争責任でさえ誰もそれを負うことがない日本の国家の姿、また世界基準に準拠しないと不安になる日本人の位相を余すところ無く暴く。「和を以て貴しと為す」という”思想や戦争をも超越する感覚”。我がニッポンという辺境の思想と文化の成立を語り部の如く平易に解き明かしてくれる。そして、その辺境者の文化を安易に否定せず、より深く論を進めてゆく。本年最高の収穫だといえそうだ。良い本です。先週あたり、ベストセラー上位ランクに顔を出していた。
ページに線を引いたり明快白眉のページの上部を折って、後でまた読もうと意識するのはホントに何年振りだろう。

同時に元朝日ジャーナル編集長の村上義雄さんの「朝日ジャーナル・現代を撃つ」も読んでいる。「朝ジャ」の歴史的意義などだけでなく、小田実さんや、久野収さん、加藤周一さんらの当時の記事や対談もあり楽しい。今となってはとんちんかんに見える当時の論旨もあって、全体が無理せず自然体に仕上がっている。でも去年逝去された筑紫哲也(かつてやはり「朝ジャ」の編集長であった)さんのことが何故か触れられていないようだ。さらに、昨日から四方田犬彦さんの「日本映画100年」も並行して読み始めた。

さてさて、ドストエフスキーの「罪と罰 第三巻」がちょっと進みが悪い。最終巻に来ているのでスパートかけようかな。実はまだ20ページそこそこなんだ。そういえば僕が中学校の時、文学好きなクラスの女の子が既に「罪と罰」を読んでいたことを思い出した。ぼくの高校は男子校であったので、その彼女は間違いなく中学三年の同級生だと思う。多分、江川卓さんの翻訳本かと思ったが不安で調べたら、江川さんのは1965年翻訳だから違うようだ。1965年は僕ら高校だったからね。おそらく戦前からの大御所米川正夫訳なのだろう。その文学好きなクラスの女性は中学三年の14歳で「罪と罰」読んだ後、60歳過ぎたまた最近読んだかしらん。そんな本好きな女の子は結構周りにいましたよね、昔。僕らはまじめな女子と違ってもっぱら「マガジン」」とか「サンデー」。ラジオは「小島正雄の9500万人のポピュラーリクエスト」とか。なつかしいな。洋画は叔父さんが、東一番町に映画館を持っていたので、かなり見た。それについてはまた、次回に。
 
最近のCM。資生堂のヘアスプレー「UNO」かな。なつかしきリバプールの風情の4人が「シュシュッ」とか「ススス」とかしか言わない。たぶん瑛太とか小栗何とかが出ていると思う。みんな似ているんで、見分け付かず。4人ともハンサムで、ほっそり。胸毛もなさそうで、汗もかきそうにないさわやか草食男子。ビートルズの初期のスーツっぽい物着ててかなり格好いい。ビートルズは襟無しだったがね。実に快適シュシュシュッの30秒。ところでリズミカルなデブの踊りは、けっこう小気味良い。シュシュシュの4人と正反対で、迫力あっておもしろい。「凄麺」とかいう即席麺のCM。かなりいける。お相撲さんといっても三段目とかぐらいの髷が小さい連中が、ガンガン踊ってラーメン食うだけだが、なんか可笑しい。微笑ましい。パパイヤ鈴木的なメリハリが効いたダンスだ。見てて気持ち良し。ジョン・ランディス監督の「ブルースブラザース」をちょっと彷彿とさせる。

■先日書いた「ニッポン海外広報考」を整理し、字数を半分以下にして改竄(ざん)した。大分、わかりやすくした。

タイトル『海外諸国の庶民に理解と好意を本気になって求めたい』

私はこの十数年ほど、ベトナムのハノイ市と日本をほとんど毎月往復している。ハノイにも家があるのでテレビ番組を見ることも多い。彼の国のテレビ番組で特徴的なことは、いくつかのチャンネルで「ディズニーチャンネル」「韓流ドラマ」「中国歴史ドラマ」を朝から晩まで放映している事だ。チャンネルを回してあちこち見ているが、それらは洪水のようだ、と言っておこう。

私は団塊の世代である。私たち少年少女の当時の世界の中心は「ぼくら」「なかよし」「冒険王」「少年サンデー」「少年マガジン」などのマンガ誌と数々のアメリカ製テレビドラマであった。
『うちのママは世界一』『パパ大好き』『ビーバーちゃん』『名犬ラッシー』思い起こすだけでも楽しい。『ローハイド』『名犬リンチンチン』『ルート66』『ララミー牧場』なんて格好良いのだろう。毎晩僕らをわくわくさせたハリウッド製プログラムの数々。僕たちはこれらのアメリカ映画を見てアメリカ市民の生活に憧れ、勇気と正義を学んで大きくなった。大人の背丈もある冷蔵庫、大きな牛乳瓶、そして各家庭には必ず大きな車が在ることを知ったのであった。男女の逢い引きが、気軽なデート (Date)と言う言葉に置き換わったのも僕らが中学校の頃であったと思う。

聞くところによると1950年代当時に日本のテレビの各キー局では、それらのハリウッドテレビドラマをほとんど無償か超廉価で仕入れて放映していたようだ。言うまでもない。アメリカの組織的文化戦略の一環であったからだ。ごはん食でなくパン食の積極普及とか大家族から核家族への社会的再編作業などと、これらハリウッド製テレビ番組の広範な放映は文化・広報戦略として一体であったのだ。僕らは、当時無自覚だったけれど。

アメリカはおそらく、戦後の日本での広報戦略スタイルをこの60年間、世界中で継続しているだろうと思う。結果、英語の普及は地球上で圧倒的だ。韓国も、中国も同様に広報に力を入れ始めている。韓国では最近コンテンツとその販売の世界戦略を統括する省庁が発足した。日本への「韓流モノ」の攻勢もその一環なのだろう。ベトナムで日本映画の放映があまりにも少ないので現地テレビ関係者に聞いたら、日本の番組は高額すぎると言う。いま、ベトナムの或る局ではエミー賞受賞のドラマ『アグリーベティー(NHKで深夜放送している)』の「番組フォーマット」(番組のコンテンツとノウハウの売買)を購入し、ベトナム版連続ドラマを制作し、ゴールデンタイムに放映までしているのだ。私は今ベトナム以外の事情には不案内だが、国民の大半が日本を敬愛しているベトナムに於いてさえ、テレビなどを通じた広範な国民への広報活動は完全に出遅れている。

「えっ、内需の拡大?」でも、それが限界に来ていることは誰でも知っている。日本は、社会も文化も成熟し、情報も物品も溢れに溢れている。「これ以上どうしても買いたいという物はないよ。」と大半の“大人な国民”は既に解っている。むしろ、技術移転も含む裾野産業構築を基礎にした各国国民との「共生的な外需」の方向に行かざるを得ないと、これも多くの人は既に予感している。そう言う意味でタイ、カンボジア、ラオス、ベトナムなどのメコン流域地域などは、これからの正にパートナーになっていくだろう。
我々がそれらの国々に提供できるものは多い。「環境分野などを中軸とした技術とサイエンス」や「観光」、「サービス、サブカルチャー(マンガやアニメなど)、食と農などのコンテンツ分野」などは、成長分野であると同時に外需向けに相応しい。しかも、新政権が東アジア共同体構想を本気に押し進めるなら、日本語の流布拡大と日本社会をアジアの皆さんに身近に感じていただく広報活動を貿易、投資、企業進出に先駆けて本気で始めるべきだ。広報はそれらの基礎を作る先行のファンダメンタルだからだ。

はっきり言って、日本の良質な番組を日本政府は日本の各テレビ局や映画会社から計画的に買い上げ、アジア各国の主要メディアに無償で大量に供給したらいい。各国の国民が現地語で視聴できる独自の「チャンネルニッポン」を各国に設置することだって不可能ではない(NHK国際放送は各国在住の主に日本人向けの日本語放送のみ)。現地新聞の活用とか、現地語のインターネットWEB展開など経費「縮減」の施策はいくらでもある。

世界語になった日本語は多い。中でも「もったいない」が世界語になったことは、環境を大切にする新しい時代の嚆矢だろう。日本古来のリサイクルシステムや節約の心から最先端技術まで、私たちが東の端から世界に提案し広報するものは少なくない。 

2009年12月10日木曜日

”ニッポンの海外広報”考

僕は1948年 (昭和23年)生まれである。いわゆる団塊の世代の真ん中に位置し、中学一年生の僕のクラス名は1年18組であり、確か1年生は21組までクラスがあった 。体育館はベニヤ板で仕切られ、教室がまったくの不足状態であった。その当時、僕ら小学生や中学生、つまり少年少女の世界の中心はマンガとテレ ビであった。
「ぼくら」「少年」「なか よし」「冒険王」などの月刊雑誌は誰もが読んでいた。その中の大ヒットは「少年ケニヤ」と「月光仮面」だろう。追って「少年サンデー」「少年マガジン」などの週刊雑誌が主流にな り、「おそまつくん」や「スポーツマン金太郎」などに出会ったものだ。そこでは先代の朝潮や、長嶋さんら僕らのヒーローが表紙を飾っていた。僕たちはこのマンガを毎週毎月むさ ぼり読んで、クラスの友人たちに新しいストーリーの展開や情報を教室や廊下で語り合い伝え合った。

こ れらのマンガと同様に、いやそれ以上に僕らの心をワクワクさせ、話題を提供していたのは、家庭向けや少年少女向けのアメリカの30分ドラマであったろう。 『うちのママは世界一』『シャープさんフラットさん』『パパ大好き』『ビーバーちゃん』「ミッチーミラーショー」『名犬ラッシー』思い起こすだけでも楽し い。『ローハイド』『名犬リンチンチン』『サーフサイド6』『ルート66』『ララミー牧場』なんて格好良いんだ、毎日毎晩僕らをぞくぞくさせたハリウッド 製アメリカ映画のプログラムの数々。

僕 たちは、毎日これらのアメリカ映画を見て育った。毎日少年たちは胸を躍らせながら、アメリカの生活に憧れ、勇気と正義を学んで大きくなった。大人の背丈も ある冷蔵庫、大きな牛乳瓶、そして、勝手口には網戸があり、各家庭には、必ず大きな車が在ることを知ったのであった。男女の逢い引きが、気軽なデート(date)と言う言葉に置き換わったのも僕らが中学校の頃であったと思う。つまり、”中流家庭の幸せ”というもののアウトラインを僕らはアメリカから教わったのだ。

さ て、一年前からの世界同時金融不況が、今となってなにやら日本だけが取り残され、原因の本家アメリカでさえ、現在持ち直しつつあるという現在、内需拡大が 必定な条件だとマスコミや政府は喧伝している。国民の多くは「この様な成熟した社会になって別に買いたい物もない」とおそらく10年前から、そのような気 分となっている。内需の本格的な掘り起こしは、各家庭での太陽光発電とか、電気自動車とか、skype携帯電話とかが、社会的トレンドになる時までまたね ばならないだろう。まあ、10年後か。それまで、社会的なパワーとなる内需が期待できないとすると、力点を置くのは言うまでも無くいわゆる「外で稼ぐ」外 需だ。

我 が日本が世界に向けて売り出せるのは、沢山あるが「環境分野などを中軸とした技術全般」と「サイエンス」と「観光」「サービス、サブカルチャー(マンガや アニメなど)、メディア、食などを中核としたコンテンツ分野」などは、かなり行けると、国民の多くが理解している。しかも、どれもこれからのアジアや世界 にとって必要なことだし、世界からの希求は強いモノばかりだ。つまり、これからの時代の「売りの商品」を我が日本はかなり持っていると言うことだ。

そこで、ここでは、それらの産業を世界に発信する基本となる「ザ・ニッポン」のPR(パブリック・リレーションもしくはマーケティング・コミュニケーション)について、力説したくて、回りくどいが、冒頭の戦後のテレビについて書いた。

私 は、ベトナムのハノイ市に16年間通い詰めの生活を送っている。日本とハノイに家があり、ほぼ毎月往復している。日本語が堪能なベトナム人大卒エンジニア を育成する学校をハノイで運営しているからだ。ベトナムの家庭には、何処の家にもテレビがある。パソコンや電子レンジもオートバイ同様に都市部の家庭には 大抵ある。そのテレビ番組で特徴的なことは、いくつかのチャンネルで「韓流ドラマ」「中国歴史ドラマ」「ディズニーチャンネル」が朝から晩まで放映されて いる事だ。聞くと、たまに日本の映画の放映はあるようだが・・。

「よ うこそ、ニッポン」キャンペーンもまあ良いだろう。観光庁の発足も悪くはないが、精彩ある方針には見えないし、大局的戦略性が見えない。少なくとも海外での広報活動の軸はどうも見えない。鳩山新政権は、その あたり、どうするのだろうか。国家戦略局あたりの仕事だと思うが、次代の成長戦略や、いわゆるグリーンニューディール的な産業の育成やそれに伴う新しい社 会システムの構築構想がまだまだ、提案されていない現状では、広報戦略が出てこないのは、順番からして仕方ない面があるけれども、せっかく日本びいきの国であるベトナムでさえ、全くの無策・無防備状態に見えるのが現状なのだ。ベトナムのかつての宗主国であるフランスは流石で、ハノイ の言わば銀座の様な繁華街に大きくておしゃれな文化センターを運営しており、何時でも誰でも入れ、フランスの名画も無料で見られる。しっかりと「おフランスの文化の高さ」を恒常的に市民に提示している。
いわゆる教科書問題も靖国問題も起こることはなく、日本が大好きだと国民の多くが語るベトナム。そのベトナムへさえ、文化の発信が不足していると言わざるをえない。大分前だがPRを本業としていた人間として、かなりの焦燥を覚える。国家の動向に関心がやや薄い僕でさえも、海外の各国で海外広報がどうなっているのか不安になる。

上 記に日本の戦後、僕らが親しんだハリウッド製テレビ番組を挙げた。聞くところによると当時日本のテレビのキー局では、それらのプログラムをほとんど無料か超廉価で仕入れて放映していたようだ。言うまでもない。アメリカの組織的文化戦略の一環であったのだ。ご飯食でなくパン食の普及、大家族から核家族への再 編と、ハリウッド製テレビ番組はこれらと一体となった文化・広報戦略であった。一言で言えば戦勝国側からの「新しい価値観の刷り込み」であった訳だ。それは、敗戦国として僕らは強いられたことであったわけ だ。現在、我がベトナムやまた今後更にお付き合いが必要なアジア全体では、どのような海外広報、もしくは文化戦略を日本は構想しているのだろうか。東アジア共同体構想があるのなら、まさに具体化を急ぎ鮮明にしてほしい。

も う一回言う。ベトナムではかつての敵国アメリカが、子供たちが大好きなディズニーチャンネルを朝から晩まで放映している。たぶん、アメリカは、世界中で戦略的に実施しているだろうと思う。韓国も、中国も同様に広報に力を入れ始めている。韓国では最近コンテンツの世界戦略とその販売戦略を統括する省庁が発足したようだ。日本への「韓流モノ」の攻勢もその一環なのだろう。ベトナムのテレ ビ関係者に聞いたら、日本の番組は高すぎて買えないと言っていた。いま、ベトナムの或る局ではアメリカのテレビの「フォーマット販売」(番組のコンテンツ とノウハウの販売)を買って、ベトナムで「ベトナム版」番組を作っている。NHKで深夜放映している「アグリーベティー」のベトナム版がゴールデンタイムに放映されている時代なのだ。 韓国のホームドラマも中国の歴史物も、大半は正直言ってどう見ても安手の作品で、市民は良質のドキュメンタリーやドラマを希求している声も在るようだし、韓国のドラマを日本製と勘違いしている視聴者も少なくないと聞くと、ちょっと参ってしまう。 はっきり言って、日本の良質な番組を日本政府はODA予算で買い上げ、アジア各国の主要メディアに無料で配布したらいい。話題の官房機密費を使用してもいいんだぜ。それぐらいの戦略的な施策は、いま、海外各国で、日 本の良好なイメージを構成し醸造するためには必須と思うが、どうだろうか。日本語の普及と日本国(文化)の広報は、今後の日本の立ち位置を明確にするためにも急務だろう。

僕が、ベトナムに行き始める直前の1990年代始め、ベトナムを含むアジア各国ではNHKの 「おしん」がテレビ連続放映された。その放映となった経緯はつまびらかではない。しかし、大変な日本ブームとおしんブームがベトナムでも沸き起こった。テ レビから伝わるおしんの前向きな人生をベトナムの人々は自分たちの生活に重ねたのだろう。そこで共感と共鳴が起き国中にアイデンティファイしたのだ。広報はここが何より肝心だ。そして今では「おしん」はベトナム語となった。ホンダがオート バイの一般用語となったのと同じ様に民衆の中におしんは、「女中さん」という意味の言葉として定着している。

2009年11月20日金曜日

たまには儀式も良いものだ

数日前、ハノイでうら若きホテルの営業ウーマンとお話した。彼女は、2年ほどハノイで多様の日本企業の方と毎日商談している強者だから、かなりハノイの企業情報に明るい。そのdep(ベトナム語で麗しい)な彼女から最新の韓国企業情報を聞いた。もともと韓国のベトナム進出は今までもの凄いものがあった。この数年間、ベトナムへの投資件数などは、日本を上回っているほどだ。事前調査も、本格参入もスピードは、まさに風のようだった。そう言うとかっこよすぎるので、突風と言っておこう。韓国だけではないが東アジア系の企業進出の先兵は若い社員がおおい。大抵はせいぜい課長か係長クラスだ。彼らが手付け金などの現金をたんまりもって、即刻買収。即時進出だ。つまり全権をもって来ているのだろう。日本企業の様に「では、会社に帰りまして検討し、次回社長に来てもらうつもりです」となんか言ってるぼんやりした企業はないのさ。ベトナム人ビジネスマンは日本人が好きで、日本人と仕事をしたがっている人は多い。でも、「JAPANは遅くて遅くて」どうにもならないと嘆く。

韓国人は、言うまでもなくリアルなのだ。経済とか仕事のセオリーとかが「現金」なのだろう。去年の秋の世界同時不況のあおりで、韓国経済は相当の打撃を受けた、その現れはベトナムにある韓国企業の動静ではっきり見える。この一年「インターナショナルスクールにあんなに居たコリアの子供たちが、ほとんど消えた」と言われるほど、韓国企業の素早い撤収は”呆れた感”交えてよく日本人に語られたものだ。「あいつら、早いね、凄いほどだ」と揶揄してね。でもさあ、それってどうなの。ビジネスの世界じゃあ、当たり前じゃあ無いの「電光石火」。ベトナムのそのへんは、全く同様だ。僕ら日本の方がとろいと言うか、「慎重に」という言葉で御茶を濁している。

で、そしてその話、「ベトナムには誰もいなくなった韓国勢」と、僕らは思っていた。が、しかし。もう韓国勢は生き返ったのだ。さっきのホテル嬢の情報では9月ぐらいから、いっきに復活だと・・。僕の目勘定でも10月ぐらいから、急に韓国のツアー客が、ノイバイ空港に一年振りあふれ出した印象を持つ。韓国人は生命力があると言ったらいいのだろうか。敗れたら時を置かず去り、機が見えたら敏で、すぐ捲土重来する印象ですね。日本人は文化も含めた社会そのものが成熟しすぎ、体内にある遺伝子とかDNAとか、生命の持続への執着力が薄くなってきているとしか言えないね。60数年前、戦争で敗北し、国土が焦土になっても死に物狂いのエネルギーで復興した日本人の生命力の強さに世界は目を見張ったものだったが。

さて、4,5日前に、当校の5階のベランダで、宗教儀式を胆嚢した。いま、東京で思い出しながら書いている。僕が帰国する日だから、その日は11月16日。で、実はその前の日にフンマイ町にあるブオンの実家に二人でお土産もって寄った時に、田舎の親戚という婆様が二人いた。その一人が僕のことマサユキアベと言って、「私は記憶力が良いんだから・・」見たいな仕草と表情を見せて、お祈りを二人揃って始めた。ああそうだ、二年前の12月に親戚を30人ぐらい集めて僕らの結婚宴席をこの実家で先行して行ったときにも、このペアの婆様は居てやはり”宗教部門”を受け持っているようで、当時もなにやら仏教のようでもあり、先祖との対話もできる霊媒師のようでもあり、僕にとって新鮮で愉快だった儀式を思い出した。

この義理の母系の婆ふたりとブオンと義理の母が良くわかんないけれど、親戚の噂や何かの風 評とかなのだろうか、笑いを交えて話していた。僕は専ら「ふむふむ・・」とかいって、無為に軽いうなずきをして、フルーツを食ったり、別なことを考えてい たりしていた。耳が遠くなり、歩行もちょっと大変な義父は、隣室で専らテレビ。おしゃべりの義母とブオンが婆二人の相手だ。因みに義母は僕と同じ年なので ある。で、帰りに聞いたのだが、僕の事業が今不景気で大変だから、明日帰国前にオフィスで祈祷すると言うことに、どうもなったらしい。ふふふ有り難いことだ。

で、その日夕方に、当校に視察に来ていた建設機械関係のお客様を政府担当幹部に紹介して18時頃オフィスに戻ったら、僕の仕事部屋がある5階が騒がし い。ブオンは不在だが、経理課のタオとか、当校男子学生とか、プロモーション課のフエンとかが、あわただしく部屋の神棚をキレイにした上、沢 山のフルーツをお供えしたりしていた。神棚だけでなく六畳程度あるベランダもあわただしい準備。例の婆二人がベランダにあったリゾート風ガラステーブルに たんまり果物などを盛り付してる。日本人から見ると十五夜のお供え風だな。ベトナム風大型のお線香などコップに入れたお米に差しシンメトリーにレイアウトされてい る。使い方はちょっと違っても、やはりお米の国だ。何か感覚が通底するものがある。塩がお供えに無いのは、ハノイが内陸部だからかも。

香港のタイガー バームガーデンを訪れた方も多かろう。全体的に安っぽく、色はケバく、ペイントの塗りが幼稚なスタイルね。あれは、東アジアから東南アジア全体の色のセンスだと思う。だから、ベトナムの寺院も神社も古いものは、朽ちて「渋めの色」になっているが、改修したモノは大抵ケバく、チープな意匠だ。日本もそうだね、奈良、平安 など比較的古いものの改修したものは、色合いは激しい、言わば中国的だ。鎌倉や江戸などの新しい建築物や彫塑などには、”侘び寂び”の渋みがあるが、古代ア ジアの繁栄時は安っぽいほど色合いが原色でいわばケバい訳です、我が日本もね。さてさて、我がベランダには既に3体の人形が鎮座。というほどでなく壁に立 てかけてあった。これが紙人形というか、小学校の時に作った学芸会用のお人形の佇まい。背丈は50センチぐらい。装飾は色紙の切り貼りだ。神なのか、 後で焼いたりする生け贄風な存在か。ともかく、いっちゃあ悪いが、安っぽい。燃やすからなのかな。

神事で焼くものでの代表格は何と言ってもアメリカのドル札だろう。あはは、ドル札だぜ。お寺さんや神社にいけば、お年寄りも中年も若者も古いベトナム紙幣の偽物印刷とおもちゃ紙幣レベルの ニセ100ドル札が、果物などのお供え物に数百ドルぐらい挟んだり、豪勢に一万ドルが紙テープ束のまま積んだりされていて、供養が終了するとドンドン燃やされる。か つての敵アメリカのドル札が何時から神事に登場したのか、誰にも聞いていないが、ベトナム戦争(彼らは「対アメリカ戦争」と言う)後だろうなあ。だとするとこの風習は30数年の比較的新しいものだね。まあともかく、天国でも現世同様にドルが無いと仏さんも困るだろうと、ベトナムではドル札で供 養するようになったのだろう。この現世利益的な宗教観がベトナムらしくって微笑ましい、と言っておこう。これが自国ニッポンだと、微笑ましいではおさまらず、その宗教的ていたらくに嘆かわしいとか一言いいたくなるだろうけれど、僕。

この婆のお経が結構良い、お坊さんの読経の様でもある。写本、実は正にノートに書き写したもので、もうぼろぼろになっているノートのお経を忠実に歌い上げている感じが伝わる。左手でページを手繰り、右手は木魚ならぬ板を小刻みにたたきリズムを演出している。時にリンを「か〜ん」と鳴らす。形式は仏教のようで、延々続く。今ハノイはちょっと異常気象で、夜は10度以下で、冷える。僕は半袖にトレーナーだけで、寒い。冷たいタイルに直に正座させられているので、冷たいし、びりびりしびれている。タオあたりが、時々顔だして、僕を見てクスクス。「社長、大丈夫ですか?よく付き合ってますね〜」見たいな含み笑いの表情。

何回か婆の一人が、この人はどちらかというと年長に見えるが助手にも見える人だが、僕の名前を覚えていた方、この人が僕に時々指示するが、全く意味不明。僕はニコニコして、手を合わせて合掌を継続するしかない。ブオンは相変わらず居ないし、電話にもでないし、タオにこっそり聞くと、お客さんと会ってると言うし、「まだしばらく、儀式は続きそうです」と言う。まいったな、後1時間後には、ノイバイ空港にタクシーを飛ばさなくてはならないし、腹も減ったし。そのとき、いきなり赤い布を頭からすっぽり、被せられた。婆が双方とも僕に何か言っている。頭上にお皿が乗せられた感触。なんだあ、これ。果物の皿か、100ドルの束満載の皿か。重さから、果物ではない。札束の皿らしい。するてえと、燃やすのか、俺の頭上で。まいったなあ。何か臭うな。燃える臭いだぜ。おいおい、ホントかとおもったら、その皿は下げられ、紙人形3体にかわり、頭上に置かれ、両手で持てと指示あり。紙製とはいえご神体が3体も己の頭の上にあり、魔女めいたばばあが二人で、読経していると、赤い布を通してわずかに周りの儀式の景色も見えてきて、目は開けているが、赤い布のなかで、瞑想に入りたくなる気分の僕。

カトリックの教会の懺悔の箱に入った感覚をデジャブーした感じで、もちろん入った経験はないんですが、F・フェリーニの「8か二分の一」教会シーンを思い出したり、頭上のドル札に火が付けられる恐怖以外、赤い布の中も悪くはなかった。この婆さんペアの呪いと占いは小皿にちゃりんちゃりんと落とした古銭で何かを見通す方式のようなのだが、今日は本格作業とみえ、大きな皿に古銭を30個ぐらい大量にちゃりちゃりしたり、お米を古銭にまぶしたり、火であぶったり、していた。あげく、僕に左手に小刀を持たせ、右手で全部の古銭を一個一個皿に落下させて、落下した瞬間に小刀で落ちた古銭の上の空を切れという。このときは赤布ははずしていたので、ハイ、ちゃりん、小刀をス〜で、30回ほどなんなく、終わらせた。そろそろ解放してくれないかなあ。両足にもう感覚が無い。びりびり感すらないぜ。それはともかく、大ベテランの祈祷師の婆二人で、一心不乱に拝んでくれたんだ。うむ、気分は良い感じになってきだぜ。来年、経営環境も、回復だあ〜。

終わったらしく、ばあさんが、なんだかんだ僕にいうので、「シン カムン」とかいって、謝意を表し、お供えしていた赤い餅米ご飯をみんなでちょっとずつ食べた。東京に持って行けとか言ってるらしいので、果物何個かと一緒にご飯もスーツケースにパッキング。ブオンから電話があって、「あははは、どうだった?」と聞くので「かなり、面白かったよ〜」と答えた。「今日は、そう言うことで、日本に行くのに一緒に夕食できずにゴメン」とブオン。「気にしない、今から近所でフォーボウでも食うさ」と言って、タオたちや、婆さん方と別れてフォー屋に僕は向かった。悪霊が消えたのかなア(笑い)、僕は爽快、軽い足取りであった。

三日前から、思い出して講談社の思想誌「RATIO 2号」を読み出した。チョムスキーの「テロと正義」が掲載されている。極めて重要な論文だ。二年前に一部つまんで読んでいたモノだが、例によって身体がほしがる感で、改めて紐解いた。これほど深く透徹した視座で地球上の事象を読み解ける人は現在、チョムスキーを置いていないだろう。ソシュールやチョムスキーに我々世代は、学生から20代の頃とても憧れたものだ。レビーストロース、メルロポンティ、アルチュセール、、フーコー。ほとんど実に成りはしなかったが、なぜか強烈に僕らのハートを引きつけたものだった。意味もわからず「シニフィエ」などの新しい概念を広告の企画書などに使った軽薄も、随分やったなあ〜。

2009年11月14日土曜日

ベトナムの洪水のごときオートバイの群れ

先日、講談社の「月刊現代」後継誌の「g2」の事に少し触れた。ともかく創刊号だからの理由だけれど、内容が充実していたわけですが、凄いと言えるのがふたつ。まず芥川賞作家柳美里の自分の子供に対する虐待の告白とカウンセラーとの対話が凄まじい。カウンセラーに「あなたは、あなたの子供さん(小六)を殺さないとは言えない」と作家柳美里が言われる。凄いよ。このドキュメント。彼女は自分の心の暗渠を今後も書き続けるとここで宣言している。もう一つは沢木耕太郎の翻訳ノベル「神と一緒に」だ。英国の作家トニー・パーカーと言う人の「殺人者の午後」飛鳥新社刊の中の一遍である。人間の心のもの凄く深いところまでおりていった表現者T・パーカーのドキュメントに近い小説なのです。沢木はこの翻訳作業に10年以上を結果要したようだ。さらに、「講談社ノンフィクション賞」の選考会の公開ドキュメントなど、全体に新しいモノへの「試み」の意気が感じられる。「g2」の2号目以降、どうなるのか気になるが、ノンフィクションのラジカルな成果の場として期待したい。

さて、久しぶりにベトナムについて書いてみるか。まあ「ベトナム私信」だから、ベトナムから書いて送ればいいわけで、別にベトナムの関連事項にこだわることも無いが、ハノイに年間100日以上は居る人間として、何か書かないとね。日本のテレビとか、CM関連だけじゃ・・ね〜。昔取った杵柄というか、そう言うことばっかりの50才までの仕事や生活だったから、どうしても気になることがメディア関係に多くなるんだ。
さあ、さて、オートバイのことでも行こう。
今から書くことのデータは、ベトナム政府に問い合わせたわけでもないし、日本工業会からデータを取り寄せた訳じゃあないので、僕の「目換算」と現地の「評判とか噂」が基本だから、まちがいがあったら、ごめんなさい。

まず、「HONDA」のおおさが凄い。言うまでもないね。僕の目換算だと少なくともハノイの市内を怒濤のように走ってる65%はホンダだね。なぜ、ホンダが多いかというと「伝聞」では、数年間使用後の下取りシステムが整備されており、例えば1000ドルのバイクが、2年乗って、800ドルで、中古に出せるということのようだ。ヤマハやスズキは中古システムがそうなっていないらしい。とくにヤマハは、デザインが格好いいので、若者に人気がたかいのだが、下取りの時点で、急激に価格が下がるので、そこいらへんが販売力のもう一つの高まりに繋がらないらしい。韓国のSYMとかいうブランドが、伸びている。耐久性はどうだか知らないが、極めて安価なので、台数の増加は勢いづいている。ついでに言うと、既に日本よりも携帯電話の所持率が上回ったベトナムの携帯のメーカの大半はノキアだ。これも目換算で80%ぐらいだろうと思う。ソニーエリクソンとか誰も持っていないもの・・。ホンダより、寡占率は大分上ですね。近々ドコモがベトナムにくるようですが、どのような魂胆か良く分かりませんね。いままで、まさにドメスティック企業として日本政府を通じて「拝外的」な動きしかしてこなかったのに。お陰で通信分野は、「日本は、ガラパゴス」と揶揄されていましたよね。

さて、かつて中国にホンダの偽物工場が幾多もあった。その中の最有力偽物工場は品質も高く、ホンダの技術者もその技術のレベルとホンダへのこだわりに舌を巻いていたとか。で、心の狭い日本の普通の企業なら、裁判に訴えるところを、さすが世界のホンダですね。創業者の技術者魂がいまだ、健在なのでしょう、「そんなにホンダが好きで、ここまでの技術があるんだったら、仲間になろうよ」というわけで、訴えるどころか、買収し傘下に治めた訳なのです。したがって、この会社からの偽物ホンダで溢れていた我がベトナムは、次の日からめでたく本物のホンダとなったので、ござい〜〜。というわけで、ベトナムのホンダは、もちろんホンダの工場もベトナム国内にできたこととあいまって、全部本物となり、ベトナム国民の数千万人が、毎朝安心して快適なホンダでご出勤ということになったのです。本当の話です。

洪水のようにドドドドッと走っているオートバイもよく見ると、いわゆるオートバイ系(120CC前後のものが多い)とスクーター系のふたつに分かれる。タイヤが大きいのがバイクで小さいのがスクーターと僕は見分けている。でいま、このスクーター系がかなり増殖。例によってぼくの目換算ですが、30%ぐらいにはなっているように思える。めざましいのがイタリアの名車VESPAだ。70万80万円するのに、凄い勢いで増えていますね。ホンダやヤマハも負けじとスクータータイプを出している。乗っている人の多くが若い女性です。オフィスウーマンが増えていることとパラレルなのでしょう。スカートを身につけたら、やっぱし、またがるオートバイじゃあないでしょうからね。ちょこっと座れるようなスクーターが断然機能的です。ベトナムの女性の騎乗スタイルは極めて姿勢がいい。背骨垂直で、両腕は地面とまったく平行に。乗り慣れないひとが、慎重に慎重に騎乗している風だが、そのキチンとした姿は、他の仕草同様にベトナム人の女性たちの几帳面さを現しているようで、見ていても微笑ましいものが在るんですよ。

昨日、ブオンと娘のリンと、ブオンの友人のファッションデザイナーのフックさんと四人でアヒル料理を食べに行くことになった。いつものことだ。ブオンのVESPAが今日使えないので僕とブオンは自転車で、リンはフックさんのバイクに乗せられて、出発。距離は高田馬場から、新宿ぐらいの距離で、自転車では、結構距離がある。その道程を思い切って自転車で走ってみたわけです。時間は18時。ラッシュ時だ。オートバイと自動車の津波というか、大洪水と言えばいいのか、その流れにはいると凄まじいぜ、ホントに。外から見るのとか車中にいるのとは、まるで違った。まず、トヨタランクルなどアウトドア風の4WDの曲線ボディー車が何台も何台もぶっ飛ばしながらグイグイ車線を変えてくる。この種の四駆がいま、わんさか花盛りなのである。

それに負けじとばかりに、2,3人が乗った若造のバイクが、また時には5人ぐらい乗ったガキのやんちゃ組が、ブイブイ飛ばしてくる。親父やおばちゃんのバイクも結構に軽業で、僕の中古自転車の脇をすり抜ける。それだけじゃあなく、僕を追い越し、僕の前でハンドルを切る。だから、僕の自転車の前輪が彼らの後輪に何度も触れそうになった。ホントに・・。生きた心地がしなかったぜ。一度、信号が赤になって、僕が先頭でストップしたことが在った。やおら後を振り替えると、闇夜に数千の色とりどりのヘルメットが鈍く光っている。多分、その後も同様にヘルメット軍団が隊列を組んでいるわけだから、気の遠くなる数のオートバイの群れが、アイドリングして、信号青を待つ。青になる前から、ブイ〜〜ンと数台が走り始める。つづいて、どっと全部が唸り出す。真っ青な僕も仕方ないので死ぬ覚悟でペダルに力を込めて発車した。

ブオンは時々僕の自転車に接近してきたり、追い抜いていたり、バイク騎乗と同様に姿勢良く背骨垂直にして、すいすい洪水の波間を泳いでいるように進んで行く。場所が場所だけに、緊張して一生懸命ペダルを漕ぐ僕を見ての「さあ、行くわよ〜」みたいなスマイルは、とっても凛々しく惚れちゃうなあ。で、アヒルづくし料理をたらふく食べて、例によってフックさんのお店にいって、リンとブオンがあれ着たり、これ着たりのファッションショー繰り広げた。時間は8時ぐらいなのだろうか、近所のおばさんや若奥さんも、パジャマ姿でお店に出入りして、とっかえひっかえして、2,3点買っていく人もいた。先日、上海では「パジャマで町に出ないように」とお触れが出たそうですが、ハノイでは堂々、毎日近所の買い物はパジャマ姿です。昨今はハノイは寒いし、イタリアン式のPコート(立て襟)が、売れ筋のようで、フックさんのデザインも、かなり冴えていて格好いいモノが多かった。

僕は東京でロードサイクルのような自転車で毎日走っているので、そんなに疲れはしなかったが、かなりの冒険譚であったのでした。ブオンは「あんな混んだ道に自転車で出たのははじめてだけれど、楽しかった」とか、ダックを頬張りながらお店で屈託もなく言っていたが、今日になって、流石疲れた様子であった。でも、優しさに溢れたスマイルは、今日も変わらない。嬉しいね。

2009年11月11日水曜日

僕は保守なのであった / 検挙率の激減の現象は一連の低迷とパラレル

■最近「34才の女」とか「35才の女」とか、アラフォー(にやや近い)詐欺女子の活躍がめざましい。草食系男子の増加とか、冗談言っているうちに肉食系を突き抜け「破滅系」女子がいつのまにか華やかな町の裏道で、静かに増殖していたと言うことだろう。共通点は、何のためらいもなく大の大人の男性を殺していることだ。いままでは、詐欺は詐欺、借入金の踏み倒しは踏み倒しで、独立していた犯罪であったが、今回はわりに自然な形で殺人も混在させている。もの凄く乱暴に相手にリセットを架けている。計画的なばれない詐欺とか、逃避行とセットにした詐欺や踏み倒しは、よく在ることは知っている。こういうのが自然だ。おそらくニュースにならないレベルや提訴さえされていない事件はおそらく数十万件いな数百万件も在るんじゃあないかな。

今回は、ばれる程度の詐欺だからリセットしている。つまり、ばれないように計画的に芝居を徹底させる詐欺行為がめんどうだからの殺人なのだろうか。踏み倒しも、「返してくれ」と借金取りが来たら、いとも簡単に殺している。どうも、彼女ふたりは、「詐欺や踏み倒しは、ばれやすいが、むしろ殺人はばれない」と確信を持っていたかのようである。
警察もなめられたものである。警察の委託の司法解剖の医者が少なくて問題になっているのは解るが、「暴行の跡が明確だけど、事故死」とか「遺書らしきものが在ったので自殺」とか「足跡が本人のモノしか発見できなかったので自殺」とか、多くの警察署が予算がかかるもの、面倒そうなものは蓋をしてともかく「事件性はない」と目を塞いできたことがもろに露呈している。さらに、捜査力の衰え、プロの不在は明白だ。破滅系が更に増殖すれば、発想の及ばない警察の混乱は火を見るより明らかだ。

今から何十年か前、弟とテレビを見ていたら「日本の殺人の検挙率は99%ぐらい。それに引き替え殺人の多いブラジルでは、20%程度」とアナウンサーが言っていた。僕と弟はおおいに笑い遅れた国ブラジルをなじったものだ。そのJAPANは、いまどうだ?自然死、自殺、事故と処理されてきたものが、実は殺人であった事件が山のようにあるのではないか。真剣に捜査しているのだろうか。捜査技術も、他の業界と同様に格段と低下しているんじゃあないだろうか。彼女たちも元は「普通の少女」だ。第一回目の殺人の時はおそらく慎重に計画的に何か小説などを参考にして、「丁寧」に行ったに違いない。まさに、それが”運悪く”、ぼんやり警察は、執ような捜査もせず、すぐに遠くにいってしまい、いつの間にか「事故死で処理」とかの情報が当人たちに風聞として、もたらされたに違いない。
「殺人は意外に簡単だ」とそのとき、次の計画のイメージと共に彼女たちは、その甘味な祝祭を体験したのだろう。彼女らはおそらく、5〜6人の殺人を犯している。そう言う意味では死刑は抑止力になっていない時代にほぼなりつつあるようだ。それにしても、詐欺罪などで逮捕されている二人の写真や容疑者としての実名を新聞とテレビが隠している理由がわからない。実名を出している週刊誌の販売促進に寄与しているだけとしか思えないな。

■ ところで、講談社が「月刊現代」の後継雑誌として9月に創刊したのが「g2」だ。嵐山光三郎が週刊朝日で絶賛していたので、日本にいる娘に購入を頼んでいた。数日前彼女からもらって、確かにふむふむ。創刊号の宿命だろう、熱気溢れて「閑話休題」風な階段の踊り場的休憩所もない一気呵成のものであった。表紙も漆黒。時代離れしたエネルギー感覚をまともにぶちかまそうとしているようだ。いま、ハノイで、読んでいる。僕は創刊号をかつて集めていた時期がある。「ダカーポ」「フォーカス」、変わったところでは河出新社の「終末から」とか、30冊ぐらいはもっているんだぜい。さて、2号目はどの程度、落ちるか。

■ 先日NHKで「新日本紀行ふたたび」をやっていた。その日は木場・深川がテーマのようだ。ご存じの方も多いと思いますが、昭和30年代、40年代の最優良テレビシリーズ「新日本紀行」は、富田勲の音楽と共に我々の世代には、お馴染みですね。で、この「ふたたび・・」はその30〜40年後の変化を検証し、日本の社会の移ろいを描写するモノ。たまにしか見れないが本当に意義深く優良な作品が多い。

「Google」で「新日本紀行ふたたび」を検索すると、音楽を聴けるボタンも付いていますよ。今度は歌詞つきだ。何とかという琵琶奏者が演奏とボーカルをやっている。これがちょっとおどろおどろしさも加わり、あの富田サウンドが正に過去を振り返るのに相応しい音階を奏でている。とても良い。さて、その木場は大いに変化した。何十とあった材木屋はほとんどが大型高層マンションに変わって、風景は激変している。人も世代が変わり、72年に撮影した当時若者の一人であった職人はいま、「ふたたび」では、初老の棟梁に。時代の変遷が明瞭に描写される。しかし、変わらないモノは伝統をしっかり受け継ごうとする庶民のしっかりとした意志だ。

木場には昔、流れる水路の材木に乗り製材所に材木を寄せる職人を川並さんと言う職人衆がいた。その行き交う風情は江戸の庶民文化の一つだった。川並さんは角材にのり、粋と腕前を競ったものだ。この川並衆のはっぴ姿。鳶のスタイル。火消し衆も含めた江戸のいなせや粋の極みと言って良いでしょう。さらに、木遣り(きやり)歌は泣かせる。江戸の労働歌であったものが、各地の風土と交わって伝播していったもののようだ。2009年の現在のシーン、角乗り(角材に乗る)を学んでいる若い衆の結婚式で歌う数十人のいなせな男衆。労働と伝統を歌い上げる凛とした男衆の木遣り。この美しさと人々の伝統を守る意志から畏敬すら感じた。テレビの画面に引き込まれ自然と熱いものがこみ上げ、大粒の涙となって僕の頬を伝って零れた。江戸のデザインの斬新さ、江戸の文化の格好良さ。雅とはちがう庶民の洗練。

女房自慢になっちゃうが、これらの江戸前の美しさを僕に気がつかせてくれたのも、亡くなった晃子だ。西洋ヒューマニズムに基づいた単なる左翼急進派であった僕に、70年代初期から無農薬・有機農業の大切さを教えてくれたのも彼女だし、歌舞伎や江戸文化さらには日本の絵師、彫刻師たちの事、さらに山登り(登山というほどじゃあないが)、自然を愛でたりと、多様な価値や視点を学んだり、関心を持つ切っ掛けは全て彼女に負ったものなのである。
片や、言わなければならないのが僕の親父の事だ。彼は青学や早稲田、日本医科歯科など7つの大学に籍を置いたことがある強者であり、最終的には、早稲田の文学部心理学科のマスターを出て、故郷仙台の高校教員になった人物である。

心理学科では一年後輩に本明寛さんがいたらしい。親父はこういう環境で学んだインテリゲンチャーなので、いわずながな西洋的金縛りから抜け出せないのだ。どんなに知識欲があり、学習に励んでも日本やアジアの歴史の面白さとか価値に気づかない。気づかないだけならまだ良いが、「遅れた」ものとして、自分のテリトリーから無視し排除する傾向が強い。だから、僕が育った環境はわかりやすくいうと「クラシック音楽は良い。民謡や歌謡曲は程度の低いもの」という、絵に描いたような戦後(アメリカ)民主主義の楽天的なインテリの家庭環境であったのだ。親父は、熱心じゃあないがキリスト者だし本当に善良な人物。93,か94才あたりで、まだ”ご存命中”だ(笑い)。今頃彼のことをとやかくいうつもりもないが、日本に生まれ育った僕が日本の良さに触れ始めたのは22,23才、晃子と付き合い始めてからだ。だからやはり、慚愧な気持ちが幾分残る。僕の日本(亜細亜)回帰的保守的感覚は影響の大きかったこういう父への反発の中で次第に育ってきたものだ。

小沢さんが、昨日あたり、「キリスト教は排外的・・」とか言って物議を醸しているらしいが、彼のそれはめずらしく、正しいね。好戦的お節介屋キリスト教と、ホワイト中心の民主主義、そして貧乏になる自由だけが横溢している世界資本主義が三位一体でこの数百年地球を覆って来た。本当に不幸なことだ。この呪縛から抜け出さないことには、暴力と差別と戦争と資本抗争にみまわれているこの美しい星に未来は決して来ない。

2009年11月6日金曜日

君との出会いは、奇蹟だった

ヤンキース松井がメジャーで遂に日本人として初めてMVPを取った。素直におめでとうと言いたい。今時、彼ほど謙虚さが身に付いている青年(35才は青年でないかもしれないが)は、他にいないだろうね。彼ほどの人物になると、強運もあろう。たしか、7年前の春のデビューの試合でいきなりホームランをかっとばしたよね。戦後日本の復興のシンボル「ゴジラ」の名前を戴く人物に本当にふさわしいスタートであった。ただ、もっと凄いのはその後だ。その後の怪我や不調は、どのように彼を苦しめたのであろうか。おそらく挫折体験がないはずの松井がめげずに努力の鬼として、復活を遂げたと言うこと、これが一番賞賛されて良いことであろう。松井の努力には、素直に評価したくなる。そう言う魅力を寡黙ななかに持っている。尊敬する野茂さんにつながる人物の譜系だろう。

イチローは、凄い。いわゆる天才なのだろう。更に日興コーディアル証券のCMにも取り上げられているが、この天才は松井同様努力の人なのだ。CMで「毎日の繰り返しが、イチローの場合、何故未来に繋がるのだろうか」とかCMのナレーションが語っている。毎日の規則正しい訓練の繰り返しを継続できてこそ、輝かしい未来が近づく、基本中の基本をイチローは毎日たゆまず継続しているのだ。でも、何故かイチローはちょっと俗っぽい。軽薄で鼻につくものの言い方をする。野球の面白さは、ホームランだけのアメリカベースボールより、スピードとRUNと、レーザービームのイチロー流の方が好きだけれど、彼は話すとどうもいけない。女子アナ出の女房の影響が悪くでているのかしらん。いつも「今日は特別の日です・・・」とか大抵嫌みな話し方で、僕は常に鼻白む。

先日、NHK見ていたら、小田和正と財津和夫のお互いの心の交流というか、音楽の交流と言った方が良いかもしれない、アマチュア時代からの付き合いのドキュメントを放送していた。二人とも僕と同世代だし、特に小田さんは、僕の故郷仙台の東北大で建築を学んでいたので、なんとなく昔から興味は引かれていた。軽妙洒脱な彼独特のトークは昔から有名だが、年輪を重ねた50歳代以降のは本当にただ者じゃあない。確かNHKBSで2001年か2002年頃に放送していた3〜4時間のライブは、見応えがあったし、晃子と二人でとても楽しめた記憶がある。

このドキュメントは語っていた。今回、財津から初めて小田に曲を依頼したらしい。
小田は詩も書いた。ドキュメントの後半にこの作られた曲が流れた。財津が歌い演奏して作成した試作CDを小田がじっくりと聞き始める。その時初めて、曲全体を通して聞くことができた。その中に「君との出会いは奇蹟だった」とある。仮のタイトルもそうだったかもしれない。それって、インパクトがある言葉でもないし、気が利いた高校生ならそのぐらい書けそうなフレーズだ。この言葉をきいてしばらくして、ぼくは何か、そうだよね、そうなんだよね、とだんだん引き込まれていった。とりとめない普通の様に見える言葉に深みがある上手さ。小田さん、流石だね。こころが解放されたような気分で、この「君との出会いは奇蹟だった」をゆっくりリフレインしたんだ。そうだよ、やっぱり晃子との出会いは奇蹟であったのだ。はるひや一行との出会いも奇蹟であったのだ。親父とお袋との出会いも、たくさんの友人たちとも、手塚治虫先生と同じ空気を吸って生きて来れたのも、”チェ”という異国の革命家と1950年代60年代同じ地球上に存在していたことも、僕が58才の時ベトナムという国でVUONGという愛すべき美しい女性と出会えたのも奇蹟なんだ、そうなんだね。かけがえのない人々との出会い。神の作意でも、赤い糸に引かれたのでもなく、偶然という必然に形作られた奇蹟が僕の頭上に無尽に降り注いでくれたんだね。光のように。
ありがとう、宇宙の森羅万象。

もうひと月ぐらいは経つだろうか、音楽家加藤和彦さんが自死した。「音楽に於いて、もうやることがない」と語っていたようだ。あの「帰ってきたヨッパライ」で鮮烈にデビューしたのは、確か僕が大学一年の冬に仙台に帰省していた時であった。1967年末〜1968年1月頃、仙台の町でもこの曲は町のあちこちから聞こえていた。テレビの音楽番組では、加工した音楽だからライブができず、画面を色とりどりにしたり、サイケな面白い演出でテレビにクルセダーの3人は出ていた。でも、すぐに「イムジン河」とか、辛くて悲しいような楽曲などの方向に変わっていった記憶があるね。作詩の北山修は、精神医になって離れるし、元々友人でなかったはしだのりひこは路線の違いとかで別れていくこととあいまって、加藤はもっと先鋭的に歩をすすめ、サディスティックミカバンドへと昇華してゆく。

ぼくは、別に加藤さんのフアンではなかったが、加藤やミカバンドに理解を示す妻晃子の影響もあって、注目していた。と言うより、感心は失わないでいた。今後、加藤さんは世界に初めて日本のロックを輸出し始めたアーチストとして、かつプロデューサーとして、日本ロック史に大きく刻まれよう。当時このクルセダーの周りには平凡パンチの有名編集者になった松山猛さんも作詞で参加していたと言うから、この一群は音楽における革命を目指していたのかもしれない。もし、そうであるなら「前衛」加藤和彦の死は、ろくな音楽が生成してこない今、無念の死と捉えるより仕方ない。それであっても、彼もまあ若者じゃあないから、心の中はあくまで静謐であったろう。まさに音や言葉のない世界にゆっくり旅立ったのだと思う。

そう言えば、1976〜7年頃、つまり33年も昔のことだ。そのころ、東映の一員でもいたが、アルバイトで、チューリップのPRドキュメンタリー作品の助監督をしたことがあり、財津和夫さんらと、3〜4ヶ月行動を共にしていた。僕も財津さんも、お互いに27,28才ぐらいであったと思う。そのころ大ヒットしていた「心の旅路」。その美しいメロディーが何処からか聴えるたびに今でも当時の撮影の現場とか、会話などが思い浮かぶ。これも僕の出会いの奇蹟の一つだね。

2009年11月3日火曜日

「救うのは太陽だと思う」

” 救うのは太陽だと思う ” 鮮烈だね。CMとして極めて秀逸だ。カンツォーネ「オーソレミヨ」がバックで流れる中を吉永小百合さんが、意志を込めた口調でスクウノハタイヨウダトオモウと語る。今春から流れ始めたような記憶ですが、何度耳にしても「良いねえ」と感激してしまう。この一言だけで、これからの時代の社会システムの構想の全てを語っているかのようだ。企業としてのシャープが何処まで、太陽光発電を含むグリーンニューディール産業を構想し、強い意志を固めたかは、不明だが言葉が持つ強烈なイメージを毎日1億人の市民にテレビを通して提案し続けている責任は果たしてもらいたいと思う。インパクトが強いといわれる映像メディアをすら超越して僕らの心に響くラジカルな言葉、現代的なフレーズだろう。CM史に残る名作といえる。

ついでに、気がついたCMを。けっこういけてるのは、今夏まで放映していた資生堂の「かわいいは、つくれる」かな。まさに身も蓋もなくて、最高だね。かわいいも、キレイも作っちゃえるってわけだから、あけすけで凄いです。化粧品会社の本音だし、実は女性たちの本音でもあるので、「もともとそんなこと知ってる」男としての僕は見ていてクスッとなる。これで”ブス”で有名だった南海キャンディズの静ちゃんがいっきにメジャーになったし、何でもかでもオープンな時代にふさわしく、みんなあけすけで、てれずに、いや、恥ずかしさも棚上げにして、ハッピーとなっている。電車の中で化粧に勤しむ女性が結構いる現象と同列な位相だろう。だって、とりあえず、うわべだけでOK、とみんなで認め合っているんだもの。

同じく資生堂の最近フジテレビを退社した滝川クリステルも加わった「椿 TUBAKI」のセクシーでリズミカルに揺れる豊かな黒髪と後ろ姿。ウーマンたちの眼差しやボディーラインが僕の目をいつも奪う。SMAPの楽曲もなかなかだね。僕の好きな鈴木京香(仙台出身)とか、蒼井優、仲間由紀恵もいるし・・・。髪は女の命というのは、多分世界共通だろうね。ベトナムも、文化として女性はロングヘアーに常にこだわりを持っている。長い黒髪とアオザイ。CM的最高の絵柄だなあ。「椿」のベトナム版の作成を期待したいものだ。

で、読書の秋で、例のドストエフスキー亀山郁夫訳「罪と罰」はいま、2巻目の丁度200P。加藤周一さんが亡くなって、そろそろ一年だなあ、と思って「日本文学史序説 上巻」買って、20ページほどよんでいたが、引っ越しの騒乱とぶつかって、なぜだかこれだけ見つからず、ストップ状態。書籍を入れたままの段ボールの山に紛れたのかも。もし、紛れたのなら来年夏移転までは、封印状態だな。先日、馴染みの病院にいったときに、なぜかうかつにも、カバンに本が一冊も入っていないことがあり、1時間も待合室でぼんやりできないから、慌ててこの病院のそばの本屋へ。花小金井駅のそばだから、本らしき本が売っていない。受賞ものとか、勝間和代とかのはやりものしかないのには困った。

が、文庫コーナーが在ったのでちょっと思い出して中勘助の「銀の匙」を探したが無いので、どうするべえと考え、じゃあ読んだこと無い作家にしようと思い山本周五郎の短編集「日々平安」に。9月ぐらいにNHKでやっていたドキュメントに灘校の国語の元教師がでており、驚いたことに灘校の三年生の国語の授業は一年間この中勘助「銀の匙」に取り組むだけなのだという。この先生は30年間ほど、毎年それ一本槍で、受験教育いっさい無しでやってきたのだという。受験学習をそれなりにやらなくてはいけないという世間的誘惑や教員組織の圧力に負けず、生徒も生徒だし、親も凄いが、この老教員の一徹さは教師の鏡だぜ。定年で引退して、20年近く経ったようで、50歳代の企業幹部や官僚の幹部、学者になった人たちがこの老先生の一年間の国語の授業の豊かさと、「本物の授業」の偉大さをそれぞれに語っていた。教え子の中の一人は灘校の国語の教員になっており40歳代の彼は「源氏物語」を1年間一本槍でやっている。老教員の本質を学ぶ伝統を継承しているらしい。「流石、灘校」と脱帽だね。

僕が仙台二高の時、国語の担当は担任でもある辺見裕先生で、あの尊敬する作家辺見庸さんの兄貴であった人だが、僕が2年生か3年生の時分に「日比谷高校や灘高では、教員がカリキュラムに沿って教えたりしない。できる生徒が教壇にたって、授業を展開している」と言ったことがあった。「都会にはスゲー高校があり、スゲー連中がわんさかいるもんだ」と僕らは一斉に驚嘆しざわついたものだ。あるとき彼は国語の教材に関係なく天才寺山修司の(残念ながら詳細は思い出せないのだが)「少女」と「半島」に関するものの短歌を取り上げ、大分時間を使って、魚群相手の夜の漁船のランプのように煌々と、僕たち16才に現在からの出口の在処を暗示させていた。懐かしさと同時に良質な教員たちの知性とか努力とかが僕の脳裏に甦ってくる。「今後思想家トロッキーが見直される」と授業でぼそっと語った世界史の佐藤英樹先生もいた。お二方とも、既に亡くなられている。
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・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
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2009年10月7日水曜日

ハリマオ亀井の獅子奮迅

♪♪真っ赤な太陽燃えている 南の果ての十字星 轟き渡る雄叫びは 正しい者に味方する ハリマオーハリマオー♪でも良いし、♪♪月光仮面のおじさんは正義の味方だ良い人よ 疾風のように現れて〜〜♪・・・・まあ、亀井のおじさんは我がテレビのヒーローの様だ。懐かしさを込めて、悪との闘い振りを小林少年になったつもりで、我が亀井明智小五郎探偵をフォローしたいと考える。
かつて、「自民と民主の違いはカレーライスか、ライスカレーかの程度」と名言を吐いたのは福島瑞穂だが、いざ、若造民主が、動きだして、この数週間どうだろうか。前原とか、長妻とか、岡田とか、結構やるじゃん、と思う。鳩山さんも、奥さんに助けられながらも、上手いデビューを国際的に勝ち取った様に見える。期待していなかった分だけ、意外に精力的に主力部隊は動き回っておりちょっと期待してもいいのかなあ、と思わせる。

が、期待の管さんは、どうしたの?「国家戦略局」なんてネーミングはいけてるのだが、動きが鈍い。財務省や仙谷の「行政刷新会議」とのA工事か、B工事かのダブりの迷いなのか、つまんないところで、意外にも滞っている感じだね。さそった外部メンバーももう一つだなあ。例えば、立花隆さん、東大の藤原帰一さん、日本総研の寺島実郎さん、早稲田のミスター円榊原英資さん、スタンフォード名誉教授の青木昌彦さんとか、思い切っていれりゃーいいんだよ。元左翼を集めれば良いってもんじゃあないが、国家の運営の頭脳から変革しなくてはならない事態に至った日本の運命は、大きなパラダイムシフトによってでしか、解決は無いだろうと、僕はまじめに考えているからなのであります。そういえば盟友田中康夫ちゃんだって、悪くないぜ。権威に遠慮がないと言う意味ではピカイチだよ。

正義の味方は、いつも悪代官とかギャングたち、はたまた秘密研究所の悪学者たちから恨まれてきた。亀井の銀行批判、モラトリアム提案の何処が悪いんだ。一体徳政令の何が悪いっていうのだい。銀行イデオロギーにがんじがらめになったマスコミの軽薄諸氏よ。大手銀行から大金を借りている輩の、本当に限界というべきでしょうね。でも、現場の記者はそんなの無視して、ペン1本で悪漢とたたかうべきなのに。

日本の銀行は僕が言うまでもなく、護船団方式で、戦後一貫して守られてきた。国費で守られてきたが、中は自在に利益の分配と行内留保を継続してきた。アメリカなどの外圧で護船団が維持できなくなったり、バブルで遊び呆けて一気に沈没しかけ(ホントに経営者の質が問われる)ると、今度は公然助けを求めた。「公的資金」の注入だ。公的資金だってさ。朝日新聞はじめ何処も「血税の投入」と記事に書けなかったんだから、非道いもんさ、日本のジャーナリズム。

あのね、銀行が金融の中心機関であることは、僕でさえ知ってる。問題はアメリカイデオロギーかぶれの連中が「銀行の時代は終わった」「保険会社、証券会社との垣根がなくなった」とか、吹くものだから、頭の固いドメスティック派銀行人は、慌てて本業以外の参入に追い込まれ、弱肉強食の世界に引きっぱりこまれて、翻弄されたと言うことだろう。それこそアメリカの大学では、就職できないクラスの下位の連中の就職先と小馬鹿にされてきた、地味な存在が銀行。うん、でもそれでいいんじゃあないの?地味で堅くて、1円でも帳尻合わせるまじめな銀行が銀行さ。そこを本懐とすべし、ですよね。

銀行が国営であって、何が悪いの?県営や、道州制ならそれぞれの州の公的銀行が競争すれば良いんじゃあないの。みずほが神奈川県営銀行、東京UFJが東京都営銀行、もちろん、埼玉にもちょっとあげないといけないから、東京UFJの大宮支店と浦和支店分の財産は、埼玉へくれてやりゃあいいさ。少ないなら、荒川支店あたりもやってもいいよ、都内だが。ともかく、銀行をNPOにして何が問題ですか。健全な財団法人にして、何処が問題ですか。だいたいさあ、銀行は私利私欲に走っていけないんでしょう?本来中立な立場であるべきですね、存在自体も公的なものであるべきでしょう。だったら、色々工夫できるはずだ。
現状のように、保護や救済だけ税金使用で、儲けるときは勝手にぼろもうけ。僕の友人や知人の50歳代の連中、年収2000万はもらってるんだよ、いっかいのサラリーマンで。証券・保険の連中もそうだが、退職金は数千万。ほんとに我が身を振り返ってトホホ・・だよ。我が仕事仲間の中小企業では、社長や会長でも、そんな金額に届かない人が大半だ。それが現実。

そんな銀行にたてついている正義の味方が白馬童子の亀井さんだ。主演であった今夏亡くなった山城新吾さんとは、35年ほど前、京都駅でばったり会い「おお阿部ちゃん」と声をかけられ、たまたま一緒だった新婚の妻を紹介し、内心「どうだ、山城さんも、俺の知人だぜ。妻よ」と並んでいた若々しい妻の横顔を拝しながら得意がったことを思い出す。まあ、いいや、テーマは亀井のおじさんだ。後藤田さんもそうだが亀井さんしかり、庶民の味方は警察官僚あがりだけ??情けないねえ。もともと、民主党は僕は好きでない。だって、松下政経塾とか、如何にもMBAとった若者とか苦労知らずのアメリカナイズの事務屋さん的右派政党と僕には見えていた。特に外交はね。中高年は知ってるわけだが、民主党の基本人脈は自民党の田中派です。だから、自民の別働隊といわれても仕方ない出自だ。カレーライスかライスカレーかとか、言いたくなるのは、良く分かる。

自民党は伝統的にそれなりの「人物」で溢れていた時代もあった。僕の好きな人もたくさんいた。三木さん宮沢さんはかわいかったし、田中さんは天才だったし、きらいだが小泉さんは最盛期セクシーであった。リベラルで感じの良いおじさんから、古武士のような人物までいた。中村錦之助、市川右太衛門、片岡知恵蔵、東千代之介、大川橋蔵・・東映のオールスターも驚く布陣であったよねえ。自民党の良さをいうと、いい加減さと社民的ヒューマニズムに在った様な気がする。方や日本社会党だって、ズーズー弁の佐々木更三、機関車浅沼稲次郎、インテリ成田知巳とか、役者は結構いたね。まあ、きょうはそこまで。亀井さんのこと書かないと、テーマとずれる。

若造民主党の党や政府のなかでは、政治家然とした旧タイプの輩は悪代官風小沢と亀井ぐらいしかいまい。ミニ政党の宣伝を兼ねているから、純粋な心じゃあないだろうが、亀井さんの言っている「借金の返済の延期」はまったく、問題ない。庶民の声さ。問題は延期にしてもらった企業が次の資金手当がしにくくなるだろうという点だけだろう。銀行は意地悪だからね。もちろん、中小企業の救済と育成の方法は他にも幾つもあろう。が、この際、銀行の肥大した官僚体質に政治的にメスをスパッといれて、銀行は中小企業の目下であり、国民の丁稚であることを再認識させつつ、中小企業対策を敢行すべきだとおもう。

僕の母かたのおじさんに地方銀行の元頭取がいるから、言う訳じゃあないが、個々人に悪い人はそういない。そこは攻めて無いですからね、勘違いしないでくださいね。問題は組織体質と構造にあるんだ。
徳政令、何が悪い。ガラガラポンが今ほど必要な時期はない。国民が、希望を持てる未来の構築のため、活力を再生するために、無邪気な亀井さんを励まそう。
♪♪雲か嵐か稲妻か平和を愛する人のため、諸手を高くさしのべて、宇宙にはばたく快男児、その名はキッド、ナショナルキッド、僕らのキッド、キッド〜〜♪(松下電器提供)

2009年10月3日土曜日

”石原五輪音頭”の終末 / 中秋の名月

昨日の深夜、僕はハノイで東京が2016年のオリンピック候補地争いで落選したことを知った。インターネット新聞でだ。関心の無い僕も何となくそぞろな気持ちで、そのニュースを待った。落選の報を見た時、最初に口をついて出てきた言葉は「ザマーミロ」であった。ちょっと我ながらえげつない言葉だなと思ったが、出てきたからには仕方ないね。この言葉は何かに投げつけるのが普通だから、正に石原都知事へということだろう。要するに、このオリンピック招致活動もこの二回目の東京五輪自体も、解せないうちに始まり予定通り敗北した”石原さんのオリンピック”であったからだったと思う。

素人の僕でさえも動機が不純であったと、合点がいかなく思っていた。いや、否が応でもある臭いがしていた。5年ほど前だったろうか、石原さんが言い出した時、その唐突さに多くの都民、国民も僕同様に違和感をもった人も多かったろう。誰か石原にたきつけた人間が居るだろうが、傲慢男の面目躍如の提案として世に問われたのだった。
冷静に見てよ。だって、どう考えたって、傲慢だよ。まず東京は2回目なんだよ。名古屋も、大阪もこの20〜10年の間に、落選しているんだよ、その意味を理解できないのだろうか。今回決まったブラジルのリオは、南米大陸初めてなのだ。スペインのマドリードだって、今まで開催がないのだよ、あの美しい都市でさえ、ね。つまり、我がTOKYOは当初から常識的な必然性に欠けていたのだ。

日本人は幸いにして大半が傲慢じゃあない、むしろ、大抵のことに公平感を持っている。この僕ら日本人の多くは世界平和とか民族の交流を考えるのなら「やっぱーオリンピックの開催地は順番でしょ」と考えるのが普通。南米で今までなかったのなら、リオでしょ!今後イスタンブールだって、良いだろうし、ニューデリーだって、ハノイだって立派な候補地だろう。そうだなー、イスラエルとパレスチナでやったって良いんだぜ。日本がこういうとき銭金のスポンサーになったっていいのさ。世界中から尊敬さ。毎年日本のODAで、ベトナムに供出してるのが約1000億円(純粋寄贈は40億だけですが)。それを考えれば、まったく不可能な話じゃあない。「ガザ+テルアビブ共同(共生)オリンピック」実施に一役買うのが政治というものさ。

日本仕切りで、あるいは都知事引退後の石原さん仕切りでやればいいのだが・・。
僕、石原さんが「中共といって何が悪い」「ばばーに婆ー」といって何が悪いと言ってニコッとするような悪ガキ慎太郎が大好きです。また、「ジャーナリスト的に自分を育ててくれたのは、ベトナムです」と率直に語る慎太郎さんは尊敬しているが、彼は気の毒にもこの野暮な招致活動で人生の末節を汚してしまったようだ。

今回「環境とコンパクト」とか、言ってるが当初とは大分違う。5年前「経済効果」という御旗の錦をぐいっと掲げ、不景気感漂っていた庶民レベルの「なんか、パッとしたものほしい」感に上手くつけ込んで、石原さんが始めた。でも、実は石原さんご当人は経済効果なんか考えていなかったんじゃあないかなあ。一応経済界の協力が必要だから、経済効果の御旗を掲げたが、本心はもっと個人的事情に基づいていたんじゃあないかと僕は思っている。オリンピック招致と決定は、長男石原伸晃の「総理大臣」就任へのおおいなる後押しに活用しようと考えたんじゃあないだろうか。政権変わったし、格好いい世襲をねらったが、2009年は石原さんにとって最悪の年になったかも。いま、老境だからちょっと気の毒だが、敗北や挫折も大切だよ、青年の樹の御仁よ。

都庁の幹部もスポーツ関係者も経済人も「東京に2016年オリンピックが来る」と信じていた人間は一体、幾人いたろうか。当の石原も敗色を早い時期に内心認めていただろうと推測する。だってさあ、東京でオリンピックを近々やる「理由が無い」もの。でしょ?何かありますか?ご近所の北京じゃあ、去年やったんだぜ。バカじゃないの・・・。北京の次の年のIOCの総会での決議事項なら、IOCの理事が「東京は二回目だし、アジアが多すぎるんじゃあないの。20年前ソウルもあったし・・」と思うのは当たり前。どんなにIOCの理事たちにご機嫌を伺っても、150億円もかけた立派な招致:プレゼンをやっても、儲かったのは「電通・博報堂」かどうか知らないが、広告代理店とPR代理店、プロモーションプロダクションの数社だけというのは、笑えない。
だから最後の最後まで、IOCの多くの理事の指摘にあった東京のマイナス点は、”国民の支持が薄い点”であった。石原が作ったプロモーションは金をかければかけるほど、作為的でしかなく、国民的支持にはほど遠かったわけだ。それにしても鳩山さん、のこのこ行って、人が良すぎるよ〜!自分の能力を勘違いしないほうがいいぜ。

一連の過程で評価できるのは、昨夜の最終プレゼンに皇太子殿下が行かなかった事だろうね。流石、賢明である。立派だよ。”東京の招致活動”に政治の臭いをかぎ取ったからに相違ない。
♪♪ また会いま〜しょと、オリンピックの金と影、ソレ、どどんかどどんか、金と瑕疵(かし)〜〜♪(三波春夫)

日本でもそうだろうが、今ハノイでは中秋の秋祭りの時節だ。街中で金アカの装飾の仮店舗が溢れ、そこでは中秋の名月で欠かせない月餅を売っている。甘いモノに目がない市井の人々がオートバイを店先に止め、何箱もまとめ買いしている風景はめずらしくない。そう言えば仙台の実家で僕と弟二人とが、暗空に静かに鎮座した白色の満月を仰ぎ見て、お饅頭と果物が盛られた卓袱台を囲む。僕らがちぎって持ってきたススキ束が花瓶にさしてあった。美しい母親に促されて、弟たちとお月様に手を合わせたのは、何時のことであったろうか。

昨夜はハノイの市中で、中秋の子供のお祭りなどがあり、遅くまで賑わっていた。今朝は土曜日ということもあって早くから、秋の運動会(らしい)が近所のハノイ工科大のグランドで開催されていた。この辺では一番NGON(美味しい)のフォーガー(鶏うどん)を7時頃食べに行ったかえり、そのグランドに行ってみた。色んな催事があるらしく、子供からおばさんまできれいな色とりどりの衣装やアオザイを着ていた。中国や北朝鮮などと違いちょっと微笑ましいのは、行進や待機中の人々に統一感や「きちっと」感があんまり無いことである。

北朝鮮や中国の軍隊やマスゲームを見せられると、僕ら日本人はやや鼻白んで、「気持ち悪いな」なんていうが、どうしてどうして、実は僕ら「キチンと」や「一糸乱れぬ」やメリハリや、制服の統一などは結構大好きだ。まあ考えれば昭和10年代の日本は、世襲の君主を頂いた絶対軍国主義国家であり、外国から見れば、今の北朝鮮と似たように目に映っていただろうと思う。特攻隊などはイスラム原理主義者のテロの先駆だものね。ちょっと歴史を辿れば、日本も正気の沙汰と思えぬ「国体」だったのだ。日本は現在幸運にも成熟した社会になった。でも、東アジア的「規律と統制」のDNAを歴史的に引き継いでいることを忘れない方が良い。

で、ベトナムである。言っちゃ悪いが彼らはビシっと「統制・統一」ができない文化なのである。列強に分裂させられていた国家は統一したが、庶民の心まで、同じ色には染められない。昔から正規軍じゃあなく、ゲリラ戦に強いと言われているのは、そのあたりだ。もちろん実戦のゲリラ戦に於いては生死の架け橋のうえで、電撃を繰り返すわけで、5,6名の軍事的統制はもちろん必須だろうが・・ね。
一応、彼らの名誉のために言っておくが、僕らから見ていると幾分ダラダラと見えるが、実はいい加減というのとは違うのである。僕らが彼らの文化の形式:プラットホームを読み取れていないということなのです。例えが難しいがフォーディズムの権化であるベルトコンベアーによる生産方式の見た目の統一性や合理性と、セル方式による新しい生産方式の比較とちょっと似ています。ベトナム人は一人で何でもこなす。また見た目より組織性が実はしっかりしている。つまり、「セル」的なのだと言っておこう。

落選という事態を迎えてしまったにも拘わらず、石原さんが即刻辞任しない場合、厚顔無恥の誹りはまのがれないだろうなあ。マスコミは豹変するからね。
僕の知っている限り、東京五輪は止めよう、とテレビ番組で語った事があるのは元宮城県知事でいま病気療養中の浅野さんだけである。「やめよう論」を各紙もテレビ各局もタブー視していた中で、彼は立派だ。
八ッ場ダムも同じだが、無理と気づいたら、あるいは、おかしいと気づいたら、誰か止めなくてはならない。

2009年9月13日日曜日

水虫には歯磨き「つぶ塩」が良い

■ 今年、3年振りかな。水虫だ。かなり、かゆい。親父の時代から我が家はなんでも「ヨードチンキ」だ。子供時代、仙台のガキ友達はみんな「赤チン」派で、僕は孤立ぎみであったが、インテリ親父の台詞をそのまま使用「赤チンは周りだけの消毒だ。ヨーチンは、内部まで消毒するんだ」どうだあ、みたいなことをあちこちの怪我の現場で奮戦して喧伝していた。昔の子供は傷だらけだったからね。みんなの傷口は赤く、僕だけ茶黄色。堂々55年以上ヨーチン派だ。現に家に1本、ハノイのオフィスに1本。切れたことがない。

妻晃子(てるこ)は、自然派だった。だから、彼女のアドバイスに従って、水虫予防には桑の葉が効くという思し召しを頂くと僕は実行したものだった。1990年代の夏は大抵靴の下敷きよろしく桑の葉を靴の中に1、2枚敷いていた。中高生ぐらいの娘や息子は靴にハッパを入れて歩く父をどう見ていたか解らないが、不思議な父母だったかも知れません。地下鉄で一回、このハッパを靴にしいている秘密が公然とばれたことがあった。当時イタリアの靴(生活ちょっと豊か)愛用で、浅いタイプのモノで、一瞬何かにこけて、脱げた。勢いで靴が50センチほどずりずりっと、前に行ってしまった。見るとイタリア靴のなかに、ちょっと立派な形の桑のハッパが2枚堂々顔を出していた。立っていた人が少ない環境であったので、この僕の「ハッパを敷いている男」という秘密を知った人は、5,6人じゃあくだるまい。一瞬熱湯の様な熱いモノが顔前を通り過ぎたが、そこは激しい闘争をくぐり抜けてきた私です、悠揚迫らぬ足つきで、何もなかったようにケンケンして、イタリア靴に左足を納めたのでした。

さて、治療です。ヨーチン派の弱点は水虫を治せないことだ。万能薬として、何でも使ってきていますが、水虫には、どうも分野が違うというか、水虫族に相手にされていない様なのだ。
3年振りに水虫におかされてしまって、ヨーチンをまあおなぐさみにつけたり、2年前の皮膚科にもらった良く分からないチューブ入り軟膏を漬けたりしても、もちろん効くわけがない。そうするうちにベトナムに来ちゃったので、さあこまった。VUONGに言ってベトナム製か、中国製の水虫クスリを買ってもらうか。効きそうもないし、水虫はいい歳してもちょっと言いにくい。そのとき気がついたのは、愛用の花王の練り歯磨き「つぶ塩」だ。

塩は、勘で効きそう風だし、これも以前だが、「ナス焼き塩」の歯磨き粉を使っていた時代(歯磨きすると口の周りが真っ黒になる)にそれを水虫退治に応用したことがあった。結構善戦したのだった。完治したかどうか記憶がないが、「塩は使える」という確信はそのとき持ったような記憶あり。思い立って、すぐ実行。17日から毎日、2回ぐらいすり込んで、ちょっとたっぷりめにね。3日間、水虫軍の騒ぎは収まっていた。治まったが、4日目に反撃があり、また、たっぷりめにすり込んで、今日に至った。勝利は近い感じもするが、水虫は、ご存じのように完全ジェノサイドと季節が終わらないと、終息しないものだから、まだ、皆さんに報告はできません。
( *水虫と戦闘中の御仁は相変わらず多いようで、この項のページビューはかなり多い。だから、申し訳ないので結論を言っときます。付けた緒戦の3〜4日は、完治かなと思うほど、効き目有り。しかし、何度か挑戦したが、これだけでは完治はしないようだ。でも、かなりの所までいけるよ。初冬まで軽いデッドヒート。そのうち「水虫専門薬」などミサイル軽く投入してその年の争乱は鎮静する。でも、昨日あたり、左足の中指と薬指の桶狭間古戦場が、半年ぶりにカユ〜。2011/3/24)


■ まあ、驚きですね。6月の後半から、今日まで、大体2ヶ月半ぶりにベトナムに来たのです。今日。この5年で、こんなに来ないことは、初めてだ。つまり、それくらい日本で僕が「営業」に専念せざるを得ない事情があったということでしょう。9月5日に息子の結婚式が上高地の澄んだ空気の中で行われ、というか、そういう前から動かない日程も他にもいくつかあり、タイミングも上手く取れなかったこともあるにはあったんですがね・・。この夏ほど忙しくかつ、疲れた夏は今までないでしょう。8/31の61歳の誕生日もはじめてかなあ、一人で東京で過ごした。

・・ここから22日記述。
この明るくは決してない現在の心境の時にまたしても最悪に暗くて貧乏な物語に、また手を染めてしまった。ハノイで、14日から読み始めた。カラマーゾフの兄弟全5巻に続いて選んだ長編は「罪と罰 全3巻」であった。昔から、僕は何となくソ連とかロシアが好きでなく、でもそれも全く根拠のない嫌悪であるので、理性派の僕としては、なるべく排外主義にならないように公平にと自身の内部では扱ってきたものの、老人化してくると、なんだか率直になり、わがままとはちと違うが理性や思想を超えて好き嫌いが頭を出してくるようになってきた。で、そんなことより、凄いよ「罪と罰」。流石のドストエフスキー。

どビンボー元学生ラスコリニコフのサスペンスが連続する。先にネタばらしする刑事コロンボ形式の元祖ですね。それが、暗くどんよりとしたペテルスブルグにじわじわっと展開する。罪と罰を選んだのは、ただただ「亀山郁夫」さんの翻訳文をもう一回「カラマーゾフ」に引き続いて読みたかったことに尽きる。天衣無縫な表現は、ある意味原作者を超えるかも。が、翻訳者が書き下ろした小説で良い物は無いので、そこは要注意だ。現在390ページ。アジアビジネスの本や池田晶子さんの「14歳からの哲学」の読み直しと並行している割には、読み方が早い。サスペンスの力は強いね。



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・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
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・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
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2009年8月14日金曜日

何となく書かないで来たがやっと・・・

見たら、約2ヶ月書いていない。激動の初夏・・はっはは、まあ大したこと無いが人事の面倒加減に疲れます。結局は構想通りなのだが、相手は人間、手間がかかる。大事なことは今後どう、レベルの高い人材を確保できるかだね。人事は人間学そのもの、苦しいがまた、知的に面白い。いつも学ぶことが多い。
さて、「カラマーゾフの兄弟」は、既に全5巻エピローグまで、すべて読み終わっている。6月20日土曜に終えている(ハノイで)。万歳!とうとうおわったぞ〜〜、と叫びたいが、そのころ、そんな気分じゃあ無かったようで、いま、今日現在、やっと、気分がすっきりしつつあるので、ちょろっと、書いてみたわけだ。

でも、正確にいうと、5巻目は読了したが、その巻にある解題とか、ドストエフスキーの生涯とか、付帯ものが、終わっていない。あと、50ページほどだが。さあさあ、そろそろ、また、書きだそう、ぞえ!まあ、本日は短めにね。前項目のタイトルは近々、修正予定。
佐藤優さんの「私のマルクス・・甦る怪物」を今朝早く読了した。相変わらずの彼の記憶力と多様な知識に驚かされる。

2009年6月13日土曜日

読書考 最近版

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟 第四巻」(光文社刊・亀山郁夫訳)も610ページまで行ったので、そろそろと思い最終巻である第五巻を買った。意外に薄くて軽い。最終ページをめくったら360ページほどしかない、今までで一番薄手だ。それも物語部分はエピローグとなっており、60ページほど。残りは「ドスとエスキーの生涯」とか「解題」とかだ・・。やっと、頂上の袂にきたか、と言う安堵感が率直に胸に沸き起こる。

神戸女学院の内田樹さんの「街場の教育論」もの凄く良い本ですね。4月始めに読了したもので、誰かに推薦したくて、したくてたまらなくなった一冊です。ハノイの当校の教員全員に買ってあげたい気にもなったが、「他人様に書籍を送るのは、失礼で良くない」と亡くなった妻にかつて諫められたことを思い出して止めた。この本の内容は、中高の教員などを対象にした彼の教育論授業の採録が元になっています。定説に流されない根源的な捉え方、平易な表現、理解しやすい展開などサービス精神も溢れている。前書きからユニークだ、のっけから「お買い上げありがとうございます」とある。嬉しいじゃあないですか。学者だろうが詩人だろうが、本を著して販売したらありがとうございますは、ただしい。そういう余裕の心を持って学者先生も文学者も自説や自著を販売してもらいたいものだ。

大学の現役の教員で冴えた頭と論理で、ぐっと魂をつかめてるのは、この内田樹(たつる)教授と早稲田の生物の池田清彦教授ぐらいだろうなあ。今、双璧でしょう”冴えと切れ”では。もちろん、東大の上野千鶴子さんら、勘定していけばいろいろ居ないわけではないが・・ね。

で、事はいきなりやってくるのです、ベトナムでは。13日記述予定。

2009年6月7日日曜日

スクリーンがくれた仄かな夢

今は7日日曜の早朝3時半。眠くない。何となく書かずに居れない集中心が脳とか手に満ちている。先日、「ダビンチコード」をDVDで見た。どう見ても駄作としか思えない。比べるのも無理があるけれど、ジャン・ジャック・アノー監督の「薔薇の名前」を思い出して、これも見た。こちらは異端審問官との闘いであるが、キリスト教のおどろおどろしさに触れる作品としては、雲泥の差がある、というか「ダビンチ・・」は映画としてはB級と言っておこう。で、僕はトムハンクスの相棒を務めるオドレイ・トトウにだけ、視線が行っていたのである。死んだ女房にそっくりだったからだ。二十代後半の妻とね。亡くなった人間はひいき目に思い出が昇華しているので、美しく思えるのだろうが、でもまあ、よく似ているのであった。

そう言えば、この女優は「アメリ」で評判になった人だと思いだし、前に見たときにどうして気がつかなかったのだろうかと、不思議に思って「アメリ」見始めたら、コマーシャルや広報関係の媒体だけで、見ていた気になったようで、実は初めての鑑賞であったことに気づいた。
「アメリ」は最高だね。フランスらしいエスプリ満載、遊びいっぱいの映画で、大分前の「地下鉄のザジ」を想起しながら、見終えた。「地下鉄のザジ」はルイマルの初期の傑作中の傑作、あまり評価されない嫌いがあるが、どうしてどうして、こういうのがザ・映画だとおもうよ。で、オドレイ・トトウである。かみさんは「アメリ」のキャラでは、ちょっと似つかわしくないが、アメリでもなく、ダビンチコードでもなく、「太陽はひとりぼっち」とか「スエーデンの城」「赤い砂漠」などのミケランジェロ・アントニオーニの映画の常連女優のモニカ・ビッティのようなちょっとけだるさを演じるような役を与えられたら、最高だし、亡くなった妻に更に似てくるだろうと思われる。多分、うちの娘や息子もそう思うだろうナ。

これとは別に、3,4年前、ロビン・ウイリアムス主演の「奇蹟の輝き」を見たときに釘付けになったことがあった。ロビン・ウイリアムスの妻アニー役で、自殺し天国の夫を追う女優に、だ。アナベラ・シオラという。一線級の女優でもないようだから、まったく知らなかった麗しい人だ。仕草や物腰、醸し出す雰囲気も亡くなった妻晃子その人に見えた。見てて釘付けってこういうものなのだなと、初めて体験した。映画の内容が天国でのストーリーだし、天国のCGが油絵タッチでその美しさも初めて見るモノであったからなおさらだった。映画として決して一級作品ではないが、妻に瓜二つの女優を戴く映画だもの、大事な映画として大切に記憶している。VUONGさんには、ちょっと悪いけれど、大切な思い出だし、それを時々丁寧に思い出すのが、亡くなった人への祈りの一つだろうと考えている。鎮魂と言うには大げさだけれど、美しい過去は脳裏にしっかりと仕舞っておきたいし、奥に仕舞い込んだ物を時折空気を入れ換え太陽光に晒すのと同じで日々思い出して名前を声にし、僕の脳内で彼女の笑顔のイメージを紐解く・・・僕の重要で意識的な儀式なのである。個人的心情を晒すのはとても恥ずかしい。恥ずかしいだけでなく、書くのもどうかと思わぬでもないが、表に部分的でも表すことで、心が安まるような気がしている。

で、アナベラ・シオラとオドレイ・トトウが双方で似ているかといえば、別にそう言うわけでもない。二人の女優の共通点は黒髪で目鼻立ちがはっきりしていることだけだね。妻晃子はそれぞれに似ているが、この女優二人が相互に似ているということではない。彼女は2003年12月20日午後、病床で天命を受け入れた。10年間という長い期間、癌との静かなる死闘を尽くした結果であった。彼女は紛れもなく聡明な女性であった。美しく聡明でいつも善意と愛に溢れていた。東京学芸大学付属大泉小学校、筑波大付属中学・高校を出て1967年早稲田の第一法学部に入学した。その後ベトナム反戦闘争のバリケードのキャンパスで彼女と僕は出会った。1969年初夏であったと思う。

最近見た映画・・
「スタンドバイミー」見たのは何度目だろうか、良い物はいい。相変わらず名曲が胸に迫るね。僕は、仙台での小学校や中学時代の沢山の冒険譚の記憶にいっとき浸れる。
「大いなる陰謀」R・レッドフォード監督の面目躍如の傑作。まさに名著ベストアンドブライテストのとおり、作戦はワシントンのオフィスで決定され、片や青年たちは泥まみれで死んでゆく。
「中国女」ゴダール先生の過去の栄光。でも、やぱっぱあ、凄い。
「リチャード・ニクソン暗殺を企てたおとこ」ショーペンが正に適役。
「ダビンチコード」つまんない。
「ヒットラー最後の12日間」凄い映画だ、本当のヒットラーの女性秘書の証言が元になった作品だから、リアリティがあり、全編ドイツ語だから、さらに本格的だ。

「アメリ」愛すべき映画的映画。
「プライベートベンジャミン」まあまあだが、薦めるほどじゃあない。
「薔薇の名前」さっき書いたが、ダビンチコードがおもろくないので思い出して借りて見た。必見。異端と正系って吉本隆明の著作のタイトルだが、これはキリスト”業界”の血で血をあらう争闘。
「ストレンジャーザンパラダイス」ジャームッシュの快作。いつ見ても良いねえ。
「時計仕掛けのオレンジ」40年ぶりにみた。キュブリックの先見性に改めて敬意。
「チェ 28歳の革命」S・ソダーバーグ監督でも、むずかしかったのであろう。偉人の伝記ものは、ドキュメントでもないし、芸術映画にもなりにくい。一定の水準の面白い映画ではあったが、傑作にまでは至っていない。残念というより、仕方ないのだと思う。チェを改めて世界の青年に知らしめた功績を大いに讃えよう。

「ブエナビスタソウシャルクラブ」何せライ・クーダーがプロデューサーでバンドに加わり、ヴィム・ベンダースが監督だ。面白くないわけがない。浮き浮きの傑作。キューバのしゃっきり老ミュージシャンたちの楽しそうな老境サルサ。
「素顔のままで」デミームーアがストリッパーと言うところで、勇んで借りたが、どうもこうもない作品。
「アラモ」中学校1年ぐらいの時にロードショウで見ただけだから、まあ50年振り、とおもいきや、これは、ジョンウエインの監督作品でなく、リアリズムなリメイク。もし、アラモで勝利し、テキサス州がデビー・クロケットらを先頭にして当時独立し、アメリカに併合されなかったら、北米の政治地図も大分変わったかも・・。
「続・荒野の七人」最悪。40年ぐらい前映画館で見て、同じく「非道いな」と言ったような気がする。
「奴らを高く吊せ」テレビで小学校6年の時毎週見ていた「ローハイド」のあんちゃんのロディことクリント・イーストウッドが、「荒野の用心棒」で世界デビューした後、ハリウッドに凱旋デビューしたのがこれ。なんで、こんな最低のシナリオ選んだのだろ。

「ボビー」弟ロバート・ケネディが暗殺される1日を多様な人々が集う演説会場のホテルを舞台に臨場感たっぷりに展開する。必見の傑作。アンソニー・ホプキンスがプロデューサーである。ちょい役も豪華出演者で驚かされる。
「アラビアのロレンス」名画中の名画だろう。改めてデビット・リーンが「サー」の称号を持っているのが、身に染みるぐらい気高く剛毅な映画である。ロードショウで見た後、テレビやビデオで4回程度みているが、今回はじめて、パソコンの小さな画面で見た。砂漠の超望遠を使ったシーンなど、やっぱり、シネラマとかでまた見たいものだ。英国や列強の政治的詐欺の中でロレンスは自滅したのだろうが、国際政治の暗部は砂塵で隠蔽されているのもある意味で見事だ。

「カーポティ」大傑作。トルーマン・カーポティの伝記ものだ。僕は1967年大学に入学して間もなく買ったのが、彼の代表作「冷血」であった。その冷血の取材の過程を追ったのがこの映画だ。当時サリンジャー、カーポティ、ノーマンメイラー、カミュ、ポール・ニザン、サルトルなどが僕らの魂を席巻していた。かれは、4人を殺した殺人犯に友人として近づき、取材しつつ、取材対象である犯人である死刑囚が自分にとって「金脈」であると気づく・・。取材とは何かが問われる。
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2009年5月31日日曜日

★ カムイと「ベスト&ブライテスト」

例の「カラマーゾフの兄弟」読破への速報(大げさですね)です。まだ、第4巻の538ページ。去年のブログの11月18日に「10月末、ハノイへの機上で読み始めた」とあるので、いま、丁度7ヶ月たったわけだ。こんなに面白く、磁力というか、魔力に満ちた文学はそう他に無いと思いつつも、7ヶ月も掛かって”まだ一巻分と200ページ”も残ってる。本好きな諸兄で、全く時間が取れる御仁なら(リタイアの輩とか)、2週間で集中完読可能だろうね。ただし、一気に行くとこれは体力もかなり消耗するので、要注意。

さて、デビット・ハルバースタムの「ベスト アンド ブライテスト」をご存じだろうか。アメリカの良書中の最高の書のひとつであろう。タイトルは正に「最良で、最高に輝かしい人々」に在るように、1960年代初期のケネディ時代から、ホワイトハウスに集結したアメリカの最高の英知たちが、何故にベトナム戦争の泥沼に入り込み、国威が解体し、如何にしてベトナム戦争に敗北していったのかを克明に追ったドキュメントである。僕らが中学校と高校時代に新聞やテレビで名前を毎日聞いていたあのマクナマラ、バンディー大統領補佐官、ロストウ、ラスク国務長官、テーラー、それにJFK、ロバート・ケネディー司法長官、ジョンソン・・。懐かしいアメリカ政治家のトップたちの名前や肩書き。

1990年頃だと思う、僕はこの本に出会った。これを読みながら、作品の舞台である1960年代は僕が野球少年であり、またニュース好きの少年であった事とか、高校の「倫理社会」授業の試験で「倫理や哲学の授業でテストはするのは絶対おかしい」と拒否し、いつも廊下に出て行った16歳の自分を思い出したりした。当時未熟ではあるがでもそれなりに、僕には充分な未来があり、また反抗する相手も見えていた。そしてそれこそ輝かしくピュアでありたいと願い胸を膨らませていたはずだ。毎日、勉強とロックと映画に夢中だった。日本社会に明るい希望が約束されていた時代でもあった。そんな十代の頃の感覚もを確かめながら、上中下3巻(サイマル出版)という大ボリュームだが、こんなに面白い本はないとばかりに一気に読み上げた。訳は元朝日の記者で、キャスター経験もある浅野輔さんだ。

南部あがりのジョンソン(ケネディの次の大統領)以外は、東部アイビーリーグといわれるハーバードやエール、プリンストンなどをトップで卒業しMBAを取得しているエリートたち、子供の時は神童と命名された若い俊英たちが主人公の、見方を捻っていえば、”鼻持ちならない”アメリカの頭脳たちの誠実さ、愛国精神、キリスト教的ヒューマニズム、そして「無謬神話」が、アジアの小国ベトナムにすら通用しない机上の思想であり、戦略であったことを徹底して、暴いた本である。ハルバースタムの取材はおそらく、ベトナム戦争後半から、敗戦後に掛けてであるので、取材された人々が敗北に至る経緯を意外に率直に語る素直さに、この本の取材の仕方の巧みさと、アメリカ人の気質を大いに学んだ。

ご存じかもしれないが、マクナマラは、ケネディに乞われ国防長官に就任し、1968年辞任(事実上のジョンソン大統領による解任)し、世界銀行総裁に転出したわけだが、言わば「功なり名を遂げた」1990年代にベトナム戦争はベトナム人民の民族解放戦争であったとし、自分の遂行してきた「ベトナム戦争」のアメリカの位置付けである反共ドミノ理論を否定した総括を行い、さらに、北爆の直接の要因と言われたトンキン湾での北ベトナムからの挑発砲撃は実は米軍のでっち上げであり、戦争敢行のための謀略であったことをほぼ認めて、本も出し、映画でも語った。勇気ある行動というか、誰も恐くない老人になってからの行動だから、どう評価して良いか解らないが、少なくとも彼及び彼らがホワイトハウスの大統領オーバルルームの卓上に広げられた「地図」上で議論し作成した戦略と作戦で、ベトナムでは300万人以上が無惨に殺された。一方アメリカ兵も3万名が死亡し、5万人の帰還青年兵士たちが精神的に病み自殺したと言われている。この責任を彼と彼らは、どのように取るのであろうか。

先日、このマクナマラが語ったドキュメンタリー映画「フォッグオブワー(戦争の霧)」をDVDで見た。淡々とベトナム戦争の総括を吐露する80歳のマクナマラ、ハノイに行き当時のベトナムの将軍たち(ボー・グエン・ザップら)と、シビアに当時の戦争の功罪を議論するマクナマラ、どこか上手に切り抜けを計る老獪マクナマラ・・。もの凄く「面白い」映画であった。実はこの映画を見て、先ほどの「ベストアンドブライテスト 全3巻」を読了した当時の感想と、また同時に僕の1960年代中葉を想起したのであった。マクナマラはケネディに抜擢される直前は、フォードの新任社長であった。この俊英が将軍たちが待ちかまえる国防省に持ち込んだのはコンピュータによる管理と、数値解析による戦争戦略の立案方法であった。

学習していないのだろう、アメリカ政府はイラク戦争でも同様のでっち上げと、コンピュータによる「ホワイトハウスのオフィスで行う戦争」を繰り返しているとしか思えない。MBAの英知たちが描き出す寸分の迷いもない戦争計画。きれいな戦争。民衆が見えない戦争。アジアの、イスラムの、民衆と文化と歴史を顧みない戦争が、また、また、繰り返され敗北しつつある。マイノリティーのオバマは、白人アイビーリーグのエリートでうち固められている議会やホワイトハウスの中で、さらにアメリカの軍需産業と米軍一体となった政治的総攻撃に、果たして対抗できるのか。

カムイ伝は言わずと知れた白土三平による「忍者武芸長」と並ぶ日本漫画史に燦然と輝く傑作長編である。三島由紀夫に単なる西洋ヒューマニズムと批判された手塚治虫が、深く嫉妬したと言われるのが、この狂気の天才白土三平である。法政の田中優子さんが、カムイ伝とカムイ外伝の全集を使った授業を近年行っているらしい。言わばもう一つの「江戸学」といえるものだろう。それをまとめた「カムイ伝講義」(田中優子 小学館)を昨日から読み始めた。田中さんは15年ぐらい前に松岡正剛さんに紹介されて、何かのパネリストにお願いする際、電話をして話しただけだが、その後テレビでのコメント等も時々聞いていて、いつも見識のある答えに好感が持てる着物姿の艶やか女史だ。

この本のリードタイトルに「カムイ伝の向こうに広がる江戸時代から、いまを読む」とある。なるほど。まだ、出だしと、途中のつまみ読みしかしていないから、安直には言えないが、カムイ伝の半分ぐらいと、カムイ外伝のほとんど読んだ僕としては、咀嚼しながらじっくり読み始めている。アメリカは言うまでもなく、先住民であるモンゴロイド系アメリカインディアンの数百万人を大虐殺した上に建国された清教徒国家である。悲しい運命的歴史を背負っている。その凄惨な西部開拓は日本の江戸後期から、明治になった頃であり、それは1900年頃まで続いている。おいおい、そんな近代まで、自国で民族圧迫やジェノサイドやってる国って他にない。僕の祖父でも1885年生まれだ。古い話じゃあないぜ。

世界有数といわれる豊かな文化に溢れた江戸。この江戸時代には多様な知恵と技術を持つ百姓、商人、職人が、地方や裏町にはマタギやサンカ、穢多、忍びの者、遊女、河原者等など多様な人々が居た。カムイ伝にはその日本社会を克明にかつ、社会的な価値観でなく生き物としての視点をもち、広大な構想に基づいて描写されている。今でも根強い差別の根幹を白土は、言わば唯物史観的なリアルさで何者も恐れず、描ききっている。1967年には大島渚が忍者武芸帳のコマのスチール写真のモンタージュだけでで完成させた映画「忍者武芸帳」を世に問うている。10・21国際反戦デーが全世界で闘われて、ベトナムへのアメリカの侵略に抵抗する若者たちのインターナショナルな連帯が一気に生まれた年である。

ベトナム戦争後アメリカ人たちも自分を見つめるために自分探しを始めるが、連続テレビドラマ「ルーツ」で、黒人はアフリカのクンタ・キンテ少年にたどり着きはしたが、片や”ホワイト”たちの見つめる作業あるいは自省の旅は、ほとんど無いように日本からは見える。5万人のジャングルからの帰還兵が自殺したと聞くが、ホワイトハウスに居た政治エリートで自死した者はいない。アメリカの戦争決定者や政策決定者たちがなぜ、古い歴史をもつアジアや中近東の国の民衆から学べないのか。学ばずして、戦争を始めるのか。それも、原爆や東京大空襲のように市民殺戮を推し進めてきたのか。敢えて言えば、アメリカの政治エリートたちが、カムイ伝に、否カムイ伝に書かれている視点の様なアメリカ大陸歴史書に巡り会っていない不幸が、そうさせるとしか言いようがない。君たち、ネイティブのカムイを見たか?第二第三のジェロニモを見たか!乱暴にはしょると、政治エリートやMBA教育では「市井」とか「民衆」とか、地べたに這い蹲って仕事をし、生活をしている人々の人間性や知恵、文化が埒外として排除されているからだ。フランスなどは、大分違う。パリ国立行政学院などの政治や官僚エリートたちから、革命的レギュラシオン派などが今でも生成している。

キリスト教特にピューリタン的原理主義が横行するアメリカにあって、僕らが高校生時代の1960年代中葉でさえ(たった40年前だよ)、南部の大多数の黒人は、白人と同じレストランにも入れず、バスの席まで車内で隔離され、大学まで入学を制限していた彼の国は、チョムスキーやアントニオ・ネグリなどが「帝国」(帝国主義じゃあないよ)と命名したネットワーク型の資本主義最終形へ行くのだろうか。あるいは、この世界同時不況が、偶然にもアメリカの致命的瓦解から、救い出すための産業構造大変革の切っ掛けになるのであろうか。マスコミでは余り指摘しないが、オバマ時代になり、アメリカ経済は一部とはいえ、昔で言う社会主義政策を実行している。

「ベスト アンド ブライテスト」の読了後、ハルバースタムの作品は大分読んだ。「ネクストセンチュリー」「フィフティーズ」「メディアの権力」かな。どれも卓抜な作品である。因みに彼も、ハーバード大卒業である。

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2009年5月17日日曜日

ハノイで観た映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」

エルネスト・チェ・ゲバラの映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」をDVDで観た。ハノイの僕のオフィスで。以前このブログに「東京のオフィスの近所のレンタルビデオ屋で借りたが、40分ぐらいの所に傷があるらしく、何度掛けてもそこで止まるので諦めた・・」旨の事を書いたことがあった。それを読んでいた当校の佐藤文先生が「お気の毒に」ということで、貸してくれたのだ。ビデオ屋のレンタルものと違って、佐藤先生のは二枚組であった。本編とドキュメンタリー(普通のメイキング映画とは違う)という僕にとっては垂涎ものだ。

15日深夜と16日に何と本編は2回も観てしまった。本編も単に本編だけでなく、「未使用のシーン」とかプロデューサーであったロバート・レッドフォードのインタビューとか、監督のインタビューまで入っているサービス振りなのだ。ヘラルドとアミューズに乾杯だぜ。何処から書いたらいいか迷っちゃうほどの内容盛りだくさんなのである。

さてさて、僕にとっても英雄のゲバラを今更僕が論評してもしょうがないので、この映画を通じてお話ししたい。マックス・フォン・シドーを若くしてそれに草刈正雄をちょっと入れたような、キリスト役が相応しいような知的ハンサムな(修飾が長くなったが)監督のウオルター・サレスがインタビューで語っていた。「原作は、僕らの世代(ラテンアメリカ)のバイブルでした」とね。そうなんだろうと思う。調べたら、彼は1956年生まれだから、いま52歳。で驚いたのはあの驚愕のブラジル映画「シティーオブゴット」のプロデューサーであったのだ。そうか、そうか、流石だと合点した。

1952年1月、エルネスト(チェ・ゲバラ)23歳医学生と生化学者アルベルト29歳の二人のロードムービーがチェが書き残した日記の原作通りに始まる。きまじめでやや線の細いエルネストとラテン系そのもので明るくナンパなアルベルト。旅は人を成長させると昔から言われる。まさにかわいい子には旅をさせろだ。衝突しながらも、友情を深めてゆく二人は、南米におけるスペインの歴史的暴虐を知り、またアメリカとアメリカの国策企業に莫大な富を独占され、古代から自分たちの土地で文化を育み生活してきたアンデスの先住民族や地元民が南米各地で駆逐され、まったくの無権利で悲惨な生活をしいられている現実を見て行くことになる。青年のその認識過程をこの映画は作意をせず、役者ガエル・ガルシア・ベナル(エルネスト役)自身の変容とエルネストとの成長を共振させ、見事な青年の成長の記録して描ききっている。天空の古代都市マチュピチュの誰もいない遺跡で佇み思索する二人、印象的なシーンだ。

ペルーのハンセン氏病のサナトリウムで、ボランティアの医療従事者として働きながら、エルネストは、24の誕生日に無謀な河泳ぎをして、向こう岸の重症患者の隔離病棟へ渡りきる。多分、この行為は今までの自分と別れを告げ、次の世界に踏み込むための彼にとっての必要な儀式であったに違いない。いわば、ルビコン川を渡るための、シーザーの様にね。医学生エルネストから、革命の司令官チェ・ゲバラになるための賽(さい)はこのシーンで正に投げられたのであった。

映画の中程から(エルネストが世界の矛盾を感じ取り始めてから)、モノクロの記念写真風な肖像ムービーのシーンが多用されてくる。アンデスの先住民、放浪を強いられた人々やクスコの市井の民衆たちの、悲しみに満ちた表情が止まったレンズ空間の中にも微妙に動くこの肖像の撮影はこの映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」のエルネストとウオルター・サレス監督のメッセージを忠実にスクリーンに投影せしめる新しいメソッドになった。「うう〜む」唸るほど、効果的な演出だ。ちょっと観念的過ぎる我がゴダール先生の有名”黒画面”より上等な演出術だね。

また、2002年撮影当時83歳で生存しているアルベルトの逞しい記憶力による映画の演出へのアドバイスが、このオートバイ南米縦断ツアー映画の成功を導いている。
もう一度言う。旅を通しての成長物語である。青年の成長を自然に効果的に表現するのは2時間程度の時間しかない映画的表現では困難な代物である。この課題をしなやかにクリアできている秀作だろう。というより映画史に残るロードムービーとして、後世の識者からも賛辞を送られよう。

僕は20代の前半から中半まで、日活と東映の映画現場に居た。撮影現場はいつもプロとしての、職人としての自己主張と喧噪とが、言葉には尽くせぬ緊張を醸し出していた。監督の「アクション!スタート!」という瞬間に全てを集中させるエクスタシー。素人とかミーハーは入れないぞと言うようなギルド的な仲間意識。本編に付いていた「ドキュメンタリー:ゲバラと共に」はメイキング映画であると共に、83歳で生存しているアルベルトの50年後の追体験の旅の記録でもあった。

このドキュメント作品(本編でない方)を見ていて南米の映画チームも日本も同じだなと、懐かしさで僕の口元がほころんできちゃう。撮影助手が女性でいつも執ようにレンズの焦点を合わせている技は見ていて格好良かった。助監督の多分フォース(4人目)のカチンコを持った女性、そしてスプリクター(記録)とおぼしき女性も格好いい、いい女だ。音声、撮影監督、小道具のおっさんたちもジーンズで決めたしゃれ者ばかりだ。まったく日本と同じ雰囲気。嬉しくなってしまう。映画を理解するためには映画言語(マルセル・マルタン:みすず書房)があるわけだが、現場には現場の”撮影現場言語”みたいな共通言語もやはり在って、これもインターナショナルなんだなあと、あらためて解った。アルゼンチンタンゴ、マンボ、サルサなどなど、このドキュメンタリーにはラテンアメリカの快適な楽曲が満載だ。これもこのドキュメンタリーを楽しい作品にしている。

ロングインタビューの中で、当時はちょっとエルネストに比べて兄貴分であったアルベルトが、伝説になってしまった当時の相棒エルネストをちょっと褒めすぎかなと思わぬでもないが、無理もないか。相棒があの司令官チェ、になってしまったのだからね。
老翁アルベルトの相貌のクローズアップには、友情と希望に満ちた一群の青年たちが闘った革命への情熱がそこに蘇って満ちているかのように見えた。静寂な佇まいの中だけれどね。
エルネスト・チェ・ゲバラ・・僕の永遠のヒーローである。天才政治家フィデル・カストロが生存している内にキューバのチェの墓前に行き英雄チェ・ゲバラと対面したい。僕の当面の夢さ。でもこの忙しさで、それは叶うのかしら。

2009年5月15日金曜日

当校卒業式 / お笑いと僕の好きな賢人たち(一部)



今日5月15日は第六期804Dクラスの卒業式であった。去年の4月から所定のカリキュラムを本当に良くこなしてきたと思う。804Dに携わった佐久間先生ほかの先生方、担当職員の努力と誠意は並大抵のものではなかった。世界同時不況と遭遇しても彼らの大志を維持させてきたのだから。おめでとうそしてありがとう。写真は当校教室があるハノイ工科大学図書館棟の前で。

タイトルにある3人の著名人が、僕にとっての英雄、心から尊敬できる三人衆です。野茂さんからすると、世界的革命家と同列に扱われて、ちょっと困ってるかも知れないですね。「ちょっと、まずいっす。」でも、野茂さん、良いんですよ。いま、現役で生きている人物で、野茂さん以上の人物、「男」は居ないと言うことです。だってそうでしょう。彼のように寡黙で、「一つの仕事」にまさに全力投球してきた人間がどこにいますか。現代日本は情報時代のまっただ中で、「上手く喋る」というどうでも良い価値が跳梁跋扈している。例えばテレビの状況だ。「お笑い芸人」がいつの間にか「芸人」と格上げしつつ「どうでも良いしゃべくり」の運動神経と運動量だけを発揮して、正に現代ニッポンの文化状況を作り上げている。

NHKも民放の真似すりゃあ、視聴率稼げるとばかりに、去年から吉本を大量動員したりしている始末。過剰なおしゃべり(しゃべくり)と「笑わせたい・笑わせられたい」症候群。深い病巣を抱えた日本のこのお笑い狂想曲は何時終焉するのだろうか。「爆笑問題」は確かに凄い。松本人志も許そう。劇団ひとりも認めよう。たけしやタモリは、一丁上がりの芸術家界の人物だろう。だけど、浜田の一党やケンコバ、ジュニアなどなど、覚えきれない数百名が「笑わせられたい」症候群のニッポンの若者の大半を巻き込み、蔑みを過激に誇大に表現する唯一の笑わせノウハウで席巻している。煎じ詰めるといじめで作る笑いだ。これで、いいんですか。これで、満足してるんですか、テレビ屋さん?

消えかかっている「フォー」のハードコア何とかとか、海パン姿に戻させられた小島とか、世界のナベアツなどの、テレビ界の薄汚いプロデューサーたちに顎の指図一つで奴隷の様に扱われている大量、数百名のそれらの”消耗品”はまさに悲惨だし、その悲惨な連中の実は悲鳴に近い「笑い」を画面を通じて、僕らが視聴して、何が面白いのか。
ともかく、”お笑いの芸人”が居ないと番組が何時からできなくなったのか。貧相な情報過剰国我が日本よ。

ちょっと興奮して脇道に逸れちゃったよ。
で、我が野茂さんは、偉いのである。正しいのである。二昔前「男は黙ってサッポロビール」と三船敏郎がドスを効かせてつぶやいていた。野茂さんは役者じゃあないし、意外に高音を発するので、ああは行かないが、日本の品とか、直向きさとか、孤独の美学とかを唯一一人で支えているように思えてならない。日本の女はかわいそうだぜ。日本に「男」が居なくなって久しい訳だからね。”晩婚”が増え、いい女が結婚しなくなった理由もまったく理解できる。

貧困層の拡大とか、女性の生活力の増大とか、理由は幾つも分析できるが、肝心の「男」不在では、如何ともしがたい。「草食系男子」などという泣くに泣けない名称が開発されたりもしている。更にハンサムからイケメンに言葉が変わって、5,6年経つだろう。その変化が生んだのは「面:つら」だけにこだわることという男への認識の変化だ。どうせ中身がないなら、「顔だけでも」と、女の心はもっともで切ない。
寡黙で有ること。何かに熱中できる「少年」の魂を持っていること。これが日本の男が取り戻すべきキャラだよなあ。だから、やっぱり今、野茂英雄なのだよ。日本の男が皆な野茂英雄化するのもどうかと思うし、社会にはバカな奴、嘘つき、軽い奴、おしゃべりイタリア男などが適当に配置されて居ないとやはり詰まらないものですがね。
ホーチミンとゲバラについては、次回に。

2009年5月6日水曜日

いま僕の心に響く歌、ふたつ / 映画「東映東制労の闘い」

まずは5月4日の項に記載した映画の紹介をしよう。何故かオリーバー・ストーン監督の作品を意図せず4本借りた。
「天と地」見たのは何回目か。言わば「ベトナム戦争に翻弄された女性」の一代記。佳作。当校の教員とか今まさにベトナムで仕事をしている方にはぜひ、理解の一環として見ていただきたい作品である。

「JFK」言わずとしれたケネディ暗殺の深層(真相)に迫る裁判映画。ゴダールは政治映画でなく映画を政治的に撮る、と40年前名言を吐いたが、正にこの映画はそこがすごいのである。この暗殺を核とし弟ロバート司法長官やキング牧師の一連の暗殺は「アメリカ軍需産業と米軍(CIA含む)一体となって起こした、(ベトナムからの軍の撤退を計画していたケネディへの)軍事クーデターだと断じ、ジョンソン新大統領を名指しで真犯人の一人」と言い切っているのである。この勇敢なシナリオと反戦派オリバーの制作にハリウッドは数十億円の資本を投じ、映画化しているのだ。まずは、そこがすごいね。「当たる」事を前提にしてるハリウッド資本の決定とはいえ一筋縄ではいかないハリウッドの神髄の一端が見える傑作だと思う。ロードショウで見た当時、アメリカ映画人の凄まじい決意の炎に感銘し涙がにじんだ覚えがある。

「プラトーン」オリバー・ストーン監督の従軍経験をシナリオ化した名作と言えるだろう。戦場での心の中の分裂を具象化したモノだ。ベトナム戦争を描いた最高の映画の一つ。
「ナチュラルボーンキラーズ」真実の愛の成就を殺意と殺人でしか表現できない若い男女の幼さと悲惨さそして、切なさ。世界中で上映中止騒動を巻き起こした。まあ、見ててうんざりする殺人の連続。

”口直し”で借りた訳じゃあないが、同日たまたま借りて見たのが、ジョン・フォードの初期の名品2作。
「我が谷は緑なりき」アイルランドの炭坑で働く、信心深く誠実で質素な大家族の物語である。心が洗われる思いがする。人間、こうでなくちゃあね、と、ひとりごちる。1940年代はこういう作品がアカデミー作品賞・監督賞(1941年)であったのだ。モーリン・オハラが本当に美しい。

「怒りの葡萄」スタインベック原作。アメリカが内部で抱える貧困と差別に、高貴で優しくかつもの悲しい表情を湛えた男ヘンリー・フォンダの闘いが始まる。上記と同時期のアカデミー監督賞(1940)である。生き方の原点をじっくりと思い起こさせる名作だね。

「バートン・フィンク」コーエン兄弟のシナリオ作家は大変なんだ、とわめきたい作品。
「ドッグヴィル」デンマークの映画らしい。ニコール・キッドマン主演。結論から言うと、すごい映画です。ブラジル映画「シティオブゴッド」を見たときの衝撃に近いラジカリズム。後半引き込まれ、最後は唖然となる。ただし、舞台中継の様な演劇的空間で進行する(つまり、壁やドアもない抽象空間の芝居の中継さながら)ので、始めの30分は我慢比べ。なんだこいつは・・とぼやくでしょうね。
「アバウトシュミット」ジャック・ニコルソンらしい芝居が満載のリタイアの親父のロードムービー。お勧めだね。

さて、映画「東映・東制労の闘い」
東京の練馬区大泉に東映東京撮影所があり、そのなかにテレビ部門の「東映東京制作所」があった。1974年の事である。そこでは、「キーハンター」「プレイガール」「柔道一直線」「刑事くん」「アイフル大作戦」など、主にアクションテレビ映画が作られていた。・・・中断。
というのは竹内まりやさんの「人生の扉」がNHKから聞こえてきたのだ。初めて聞いた。
ゆったりとして、淡々とした中に当たり前の時間の流れが描かれ行く。震える感動。名曲です。
今頃言うのは相当恥ずかしいのかも。「不思議なピーチパイ」の竹内の一つの到達点だろうなあ。

  • Uta-Net
作詩:竹内まりや 作曲:竹内まりや
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、この際、もう一つ最近感銘を受けた唄。いままで、聞き流してきたのが、これも恥ずかしい。「千と千尋の神隠し」の《いつも何度でも》だ。あらためて、言葉の無限への自在さが解る。さわやかに、心を揺さぶる。ゆっくり読んでほしい。

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ
 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー



 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに

 わたしのなかに
 見つけられたから
 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー 

・・・・・・・・・・一通り終わったところでまた「東映東制労」の映画に話を戻す。
東京の練馬区大泉に東映東京撮影所があり、そのなかにテレビ部門の「東映東京制作所」があった。そこでは、「キーハンター」「プレイガール」「柔道一直線」「刑事くん」「アイフル大作戦」など、主にアクションテレビ映画が作られていた。
当時、ここでは大卒で給与3万円。通常の企業なら5〜6万円の時代に。撮影所であるので、一定の深夜作業は当然だが、徹夜の連続もだれも文句を言わないものなら、数日もつづこうと言う劣悪な差別的環境であった。時代は全共闘が敗北し、残党や多量のシンパが市民運動や労働運動へ流れ、運動を継続していた頃でもあった。時代に「闘う」気分の名残がまだ大分あったといっていい。

この映画は、組合を結成した13名の映画労働者(助監督9名、カメラ助手2名、記録1名、編集1名)が全員解雇にあい、それに抗するために「無期限ストライキ」で闘った記録映画の第一巻である。
1974年の1月の事だ。東映には全国組織「映演総連」を構成する正社員の労働組合「東映労組」があるが、彼らは当時の”民主連合政府路線”に基づいて、我々の闘いに与せず、事もあろうに東映資本と歩調を合わせ、13名の東制労の自然発生的な闘いを押しつぶそうと計った。東制労は契約者(正社員でない、いわばフリーの、正確に言えば臨時工)の組合であった。もともと組合活動なるものに関心のなかった人やフリーで自立してる生活信条の持ち主が多った。逆にいえば素朴で真っ当なことを純粋に正面切ってもの申す「労働運動素人」集団であった。その分だけラジカルであるし、失うモノもためらうモノも何もなかった。

したがって、我々の登場は東映資本にとっては寝耳に水だし、既存の東映労組にとっては、「嫌悪の全共闘(風)の発生」であった。我々は「窮鼠猫を咬む」勢いで双方を翻弄し突っ走ったのであった。我々と記したのは、実は僕阿部は1970年3月映画制作を学ぼうとこの製作所に入ってきていた。この映画が始まる1974年1月は結婚2年の25才、組合の中で一番の年少者で、且つ13名中、早稲田出身が6名。僕はまったく末っ子的な存在ということになっていた。僕はこの仲間たちを心から信じ寝食を共にして約10年間(闘いは実は組合結成の前、69年頃から始まっていた)彼らと共に新しい労働運動の思想と形態を求め闘い続けた。極めて特徴的なことは安易に正社員になるための運動でも、「労働条件の緩和を勝ち取る」運動ではなく契約者(臨時工)で有り続けることを前提として「労働とは何か」「労働者とはなにか」を根底から「生産点」で問い続けるものであった。

この闘いの継続は、13名だけではあり得ず、東映労組の異端派が多い演出部(監督や助監督)などの社員十数人の戦闘的シンパサイザーや東制労と同様な環境に置かれていた撮影所の「東契労」20数名との連帯、京都東映撮影所の協力者たちによって大いに支えられてきたことは明記しなければならない。この映画「東映・東制労の闘い」は斬新で手作りの闘いを進める二人の女と11人の男たちの「怒れる葡萄」と言えよう。
この映画の時点から約5年後の79年、東制労の「生産点」実力闘争は、東映資本から圧倒的解決金と就労を勝ち取り、全面的に勝利し終結した。

次回はいつになるか解らないが、「スタンドバイミー」や「アメリカングラフティー」のセオリーを踏襲し、13名とそれを取り巻く人々のその後の人生を少し、綴っておきたい。
著名なマンガ原作者になった者、有力なドキュメンタリストになった者、東映でプロデューサになり定年後ハンガリーで日本語教師になっている者、中国ビジネスの猛者になった者、そして亡くなった友・・・・。
続編も作製したのだが、管理が悪く、現在見つかっていない。

2009年5月4日月曜日

VCI第一期卒業生がGWに参集

VCI第一期生の中の6名が新宿で飲み会。

忌野清志郎さんが亡くなった。RCの時代から好きであった。彼の歌の解放感は他の誰にもない特別な才能が生み出したものであったと思う。彼は58才。僕とまったく同世代、まさに同時代人の一人だ。彼の歌に影響を受けたと言うことはないし、ライブにいったことも、実はCDすら購入したこともない。遠くから「いいねえ、こいつ」みたいな感覚で清志郎さんにシンパシーの感情を抱いていた。彼の何にも流されない姿勢、抗うことの大切さを綴った言語体系は僕たちを振るわせる光線を常に発していた。じゃあ、またね。合掌。

いま、日本はGWだ。不況もあいまって、4/29〜5/10までの超大型連休にした企業も多いようだね。ベトナムでは、4/30の南北統一の国家記念日(対アメリカ戦争勝利日)、5/1のメイデイと土日の4連休が、今日明けて当校も今日から授業が始まる。ベトナムは日本とちがって、旧正月(テト)は約7〜10日公休となるが、それ以外年間を通じて祭日がとても少なく今回の4連続はベトナム市民にとっては、かなりの嬉しい大型連休となる。

■さて、昨日GWだから、VCIの第一期生が6名新宿に集合、タイン君、ソン君、ティン君、タイ君、ロン君、コア君だ。コア君は、きれいな嫁さんを連れてきた。それに当NPOのアルバイトの横国大生Pちゃん(PHUONG・・発音が日本人に困難なので、こう言わせてもらってる)も加わって、中華というか、餃子で超有名な馴染みの「大陸」に9名で陣取った。第一期生は2005年の6月のまさに開校に参加したグループで10名が2006年4月に日本に就職した(第一期だけ、変則的に9ヶ月間と短かった)。だから、まる3年日本にいるので、日本語もかなりなもので、お店の人もまったく気づかないほどだ。本当に嬉しい。全員ハノイ工科大の機械工学部卒なので、大体は機械の設計職であるが、レベルの高くない職場であったり、ルーチンワークが多すぎたりと、不況で週4日であったり、給与ダウンになったりと、不満はそれなりに有るようだ、が、この不況だから、「まあ、仕方ない」とビール飲んで笑うしか無い様子。でも、向学心は相変わらずで、各人時間を工夫して、勉学しているようで安心した。

で、結局「ご招待」と言うことで、有り難いことにご馳走になった。「我々、サラリーマンでまあ、稼いでますから」と泣ける台詞で、財布から出したお金を押しとどめられた。
まあ、うれしいですね、学校やっていての楽しみはこういった頑張ってる彼らとの飲み会だね。これに尽きる。当校の先生方もいっている。「卒業生と日本で会えるのが、VCIの良さ」とね。普通の日本語学校では、こうはならないからね。たしかに・・。
頑張れ、第一期生!君たちの明日は水平線の様に広大でクリアに望めるぜ。
     *今月15日、ハノイの当校にて、第六期13名(804D)の卒業式が執り行われる。

今週、良い映画を沢山みた。「わが谷は緑なりき」「怒りの葡萄」「プラトーン」「JFK」「アバウト・シュミット」「天と地」「バートン・フィンク」「ナチュラルボーンキラーズ」そして「東映東制労の闘い」である。近々詳細を記す予定。
・・・・「東制労」はタイトルだけに終わってしまってごめんなさい。6日の「今僕の心に響く歌、ふたつ」の項の後半に書きました。

2009年4月27日月曜日

試行が好き

以前面白そうとだけ書いた「封建制の文明史観」を読んでみてかなり拾いモノと思っている。今までの既成概念がなんであったのか、と思うことが多い本だ。焦点の宛方がまずユニークであるのだ。ヨーロッパ、中東、中国などアジア大陸、日本などで、ジンギス・ハーンやフビライ・ハーンの蒙古=元の襲来に抵抗でき、事実上勝利した地域と完全に蹂躙された地域を比較して、論旨を展開しているところにある。日本とドイツ(当時フランク王国)、エジプトが、当時武士や軍人の雇用など人事的に、かつ土地の管理施策が封建制と言われており、その三地域だけが蒙古に勝利している史的事実から、封建制に注目しているわけなのだ。なぜ、怒濤の蒙古軍に勝てたのか。敗北し軍門に下った地域は官僚制か貴族社会、または、封建時代にまで達しない未開の地域であったという。因みにベトナムへは、日本より多い3度元寇があったがそのたびに撃退したらしい。ベトナム・チャンパ連合で元寇と闘ったその当時の社会体制はどうであったか、近々調べておきたい。日本へ来た元寇が神風で撃退されたと言われてきた。果たしてそうか。直接の敗退原因は台風ではないらしい、という新しさも実はここで語られている。

また、封建制の言葉の定義も重要だろう。中国から来た言葉であるわけで、儒学寄りのつまり中国に範を求めた封建制の当てはめと、ヨーロッパのフューダリズムを封建社会とほぼ誤訳で翻訳した福沢諭吉ら、はたまた、大隈重信、小泉八雲、藤村藤村、亀井勝一郎、日本のマルクス主義者の一群、などの封建制を巡る論争があったらしい。僕らは通常「それって封建的だよね」とかという漠然とした「悪者論」だけを、戦後の教科書で学習してきたわけで、封建制の新しい視点での照射がワクワクする。脳の中で凝固させていた思い込みをそろそろかち割りたいという考えが強くなっているようだ。そういえば、早稲田の活動で一緒だった呉智英さんは、何と25年前ぐらいに「封建主義者かく語りき」を上梓していた。流石だな。さあ、後半が楽しみだ。例の「カラマーゾフの兄弟 第四巻」はまだ213ページ。何故か進まないなあ。

さて、今日から満を持して「たのしいにほんご」つまりKIDSの日本語教室がハノイで始まったのである。児童は8名、ささやかな出発である。当校は今まで優良理工系大卒者に日本語と日本のシステム・企業のシステムを教えてきた。そういう意味ではかなり試験的ではある。言わば、試行だ。どうでも良いが吉本隆明の「試行」誌を思い出す。で、ハノイではおそらく初めての試みとなった。去年から授業の方法論、教科書、教材、教員、クラス展開の新しい仕組みや人材の投入に工夫に工夫を重ね、議論し選択してきた。残念ながら今日僕は東京だが、教員とスタッフ全員の協力で、とても楽しい第一回目の2時間を送れたようだ。親御さんも今日は全員参観したようだ。大変有り難いことである。

僕たちは理想を持っている。当面はこのKIDSの教室を塾のように発展させ、日本留学を促進させ、教育の交流を本格化を計る。更に5年後には日本で言う私立の中高一貫校的な学校を設立し、日本の高校や大学を堂々と受験で突破し、留学を果たせる体制を構築して行きたいと思っている。ベトナムの児童、生徒、学生が本当の意味でアイデンティティを堅持し、留学生して日本社会をつぶさに体験して欲しいのだ。さらに近い将来優秀なエンジニアや教員、研究者、ビジネスマンになって帰国し、何より母国で活躍をして貰いたい。それが、ベトナムの未来を形づくる大きな要素であるからだ。日本は老人社会である。最近は山手線に日中乗車すると、50代、60代、70代の元気な老人たちで溢れている。この老人社会に手をさしのべてくれる国はアメリカでもないし、中国でもない。

それは8500万人の人口の半分は25歳以下と言われるベトナムの若者たちである。特に介護や看護だけでない。産業界、学門・研究分野もやる気のある優秀な青年を強く求めている。構造的技術者不足の産業界はこの世界同時不況を脱出後、一斉にエンジニア獲得に走ることになる。中国や韓国の青年も有力だろう、立派な若者は多い。ただベトナムの優位性は靖国問題も教科書問題もないということ、また、中国のような拝金主義にはまだまだ堕してはいない。まじめで温厚な性格の人が多いと評価が高い資質にその優位性が在ろう。

僕たちは、その優秀で評価の高い社会で育った児童、生徒、学生に日本語を教えている。そして、しばらくすると、日本語で日本と世界を教える段階も来よう。正直にいうとそのステップは意外に早く来る予感がするのだ。本日教壇にたった教員は10年前ボランティアでカンボジアの子供たちに教えていたそうで、「今日、自分の原点を想起した」と報告をくれた。「面白かった」とも言っていた。そりゃあそうさ。毎日が試行だし、無垢な瞳に囲まれての授業が楽しくないはずがないものね。

2009年4月26日日曜日

メキシコの結晶洞窟が凄い

スマップの草彅君が深夜赤坂の自分のマンションそばの桧町公園で泥酔で全裸になり逮捕された。その日のマスコミは「バカだ」「とんでもない」の一色でいつもながらの公序良俗の権化であったが、二日もすると、逮捕や家宅捜査はやり過ぎとか、日刊ゲンダイ紙並に「ちょとおかしいぜ」論調に臆面もなく変容。相変わらず特にテレビのコメンテーターの情けなさが際だつ。元々酔っぱらって裸になるのは全国庶民レベルでは良く有ることだろ?タモリさんや獅童くんなどは、常態化してるし、宮崎の知事だってかつてはストリーキングの常連だった。それにこの「事件」は渋谷のセンター街を全裸で練り歩いた訳じゃあない。深夜3時に誰もいない公園に駆けつけた警官におちんちん見せたぐらいでしょっ引くのはどうかと思う。彼は正座して、几帳面にも脱いだものはキチンと畳んで携帯をその上に置いていたらしいし、酔っても草彅君らしくて微笑ましい。日本社会の余裕の無さが如実に現れてきている。昨日、警官に生卵ぶつけたとして高校生が逮捕された。

で、ところは、今、豚インフルエンザで騒動中のメキシコだ。この2週間ほど、いろいろなメディアで取り上げられているあの「結晶の洞窟」のことである。先日、キチンとした映像をNHKの深夜番組で見た。凄いのひとこと。僕らはせいぜい拳程度の大きさの水晶とか、小さなダイアとか、見たことはあるさ。見たことがあるがあの大きさは何だ。大きいのは14メートルはあるそうだ。調査隊の映像を見ていると雪の結晶の中を探検隊が踏査しているように見える。昔「ミクロの決死圏」というSFの傑作をご覧になったひとは皆そう思ったに違いない。ここに漂う不思議さは何処から来るのかしら。極小のモノと思っていた結晶すらも温度や密封環境などで巨大化するという事実がそう思わせるのか。人間の大きさとの対比がそう思わせるのか。地中にもある深淵な神秘にあらためて触れたからか。

映画のセットの様な巨大化した結晶の森から発せられる魅力、というか正に神々しい地底のシンボル。いや、何かのサインかもしれない。僕らを引き込む、見えないけれどあの結晶の森には巨大結晶以外の何かの気配が確かに存在していた。
イタリアの学者が画面でいろいろ解説していた。イタリア最古の大學ボローニア大の教授らしい。洞窟学部の先生だそうだ。「洞窟学部」だって。最高だねえ、学部名が嬉しい。冒険や探検の夢を広げる名前だね。インディー・ジョーンズはここの卒業生にちがいない。

2009年4月19日日曜日

温いミネラルウオータも良し、節電の国 / 映画「非情城市」「トリコロール赤の愛」ほか

昨日と今日「武士の日本語」と「ベトナム人と組むメリットを知らない日本人」という割りに軽い本を続けて読んだ。先の「武士・・」は「ちょこざいな」とか「片腹いたい」「ご新造さん」「鉄火」とか時代劇でお馴染みの言葉が並んだ辞典のような本。痛快な言葉が多くセレクトされているのだろうか、結構気分良くなる本であった。言うまでもなく武士は低い身分からの出自をもってるので、京都の公家言葉と並列してくれればもっと文化の違いやニュアンスの差異を楽しめたと思う。

「ベトナムと組む・」は外人部隊で有名な柘植久慶氏の紀行文というか、雑記である。彼は慶応の学生のときからフランスの外人部隊に入りアフリカで転戦し、ベトナムやラオスでも反共産軍で戦闘を行っていた稀有の日本人だ。ベトナムでは、南ベトナムの政府軍にアメリカ兵として従軍していたようだ。その彼の、平和になったベトナムののんびり紀行なのである。石原慎太郎もそうだが、「右」のお歴々の”中国嫌いのベトナム愛好家”は多い。柘植氏のサイゴン、フエ、ハノイでの人々、生活、労働、ビジネス、食事、汚職、軍隊などが、大好きの視点で語られている。僕と思想的に全く違う御仁のモノの見方が面白い。戦争の猛者も好々爺になったということかもしれない。

柘植氏の本にはなかったが、ボトルのぬるいミネラルウオーターについて、書いておこう。ベトナムで会議をするとお水がコップつきボトルで出て来ることが多い。とくに、官庁での会議に多い。16年前、はせがわさんのプロジェクトでベトナムに来たばかりの事は、それに慣れずぬるさに閉口した、というより、お客にはお茶でなくて水ならキンキンに冷やしたものであるべきだろうといつも思いうんざりしていたものである。お水だけでなく、ビールもそうなのだ。温いのである。最近、ハノイあたりでも幾分冷たいビールを出せる店が増えた印象あるが、ベトナム人からすると、「冷たいものは体に悪いのに、どうして日本人は物凄く冷たいビールを飲むんだろう」と不思議だろうと思う。日本ではよくあるが、冷蔵庫で冷やした氷のようなジョッキにビール容れて飲むのは、ほとんど狂気にみえるだろうなあ。それはビールの味わい無視だし、氷を飲んだ状態だから、舌も喉も半殺し状態。通のすることじゃあ無い。ドイツとかべルギーとかの本場では5度ぐらいの常温に近い温度で楽しんでいるものね。

ベトナムは、ベトナム戦争の後、中国やカンボジアとも戦火を交えた。ベトナム戦争が終わって30数年経ているが、すっかり終わって「ドイモイ」政策に転じて、まだ20年。だから、Vuongなども高校生の頃まで食事にも事欠いたと言っている。だからそのころ放映されたNHK「おしん」はこの国で大ヒットを記録した。放映の時間には道路という道路の自転車やオートバイがいっせいに消えテレビ前に殺到していたと神話化されている。つまり、つまり、温いミネラルやビールのことだが、経済的に豊かになった今でも貧しい時代を想い節電は常識で、何時来るかわからない客のために、冷蔵庫の電気を無造作につけっぱなしにしたくないのだ。一昨年のことだが、僕の前居た家で僕が電気を一部つけっぱなしで(防犯のつもりで)家を出ようとしたら、たまたま通りかかったおばさんが「電気点いているよ、消したら・・」と僕に注意したものだ。

中流のホテルの客室の冷蔵庫だってそうさ。お客が来てはじめてスイッチオン。それも自分でON。停電は今でも結構あるし、電力事情は僕の小学校時代と同類かな。今でも毎月1〜2回はある。彼らには地球に優しいとかという日本的現代エコ意識ではないんだが、無駄はしたくない意識は電気だけじゃあなく、料理や食事など生活や生産活動の中にも底流として強く持っている。かつての僕らが親や田舎のおばあちゃんに教えられた”もったいない”が、日本とベトナムに通底しているのは間違いない。

17~18年ぶりに台湾映画ホウ・シャオシェン監督の「非情城市」を見た。記憶によると日本でのアジア映画のブームの兆しを飾った作品ではなかったか。当時、大抵の読者と同じでアジアへの関心はまだうすく、映画はやはり欧米でなければならなかった。そんな僕をも覚醒させる作品であった。舞台は戦後直後台湾。庶民の中では日本語がまだかなり流通しており、見ている僕には、日本の犯罪というか、言語や氏名、文化まで陵辱する戦争の残滓が痛烈に迫ってくる。映画の主題は前からいた中国系と、後から来た国民党系の権力闘争の中に巻きこまれた兄弟の生死と一家を描く。改めて見て、ルイ・マル監督の「ボレロ」を想起した。「ボレロ」は戦争・家族・人生を描いた名作中の名作である。市民や庶民にとって戦争はまったくあずかり知らないところで勝手に勃発し、夫や親を殺し家族を蹂躙し絆を解体させる。

その他、今週は・・・
シャロン・ストーンの「氷の微笑2」不評をきいていたが、はじめて見て、まあ、成熟美女の魔力が奔出していて、僕は面白かった。

「彼女は最高」タクシー運転手の兄と金融で儲けた弟の鞘当。良くなる話。監督名忘れた。

「ソフィー・マルソーの愛人」なんとなく僕好みのソフィー物。倦怠と不倫の通俗もの。

「第三の男」キャロル・リードの映画史的作品。「市民ケーン」もそうだった、そういう作品には必ずオーソン・ウエルズが出てるね。天才の一人なのだろう。見たのは何回目だか忘れたが、映像の面白さと言うか「凝り性さ」と、音楽の際だった美しさは理解するが、映画としての価値は言われるほどではない。

「クリミナル」おもしろい。アルゼンチンの映画のリメークらしいが、詐欺師たちの生態とどんでん返しが、かなり良い。必見。

「リダクテッド」デ・パルマのイラク戦争をドキュメント風に演出したドラマ。あたらしい作意は感じるが退屈。半分強で止めた。

「トリコロール赤の愛」三部作の一つで大分前話題であったが、始めはかなり意味深なシークエンス多いが、なんだか途中から俗っぽく変身。まったくつまらん。

「ゲッタウエイ」サム・ペキンパー監督。スティーブ・マックイーンとアリ・マッグロー主演なのだが、もう一つ中途半端。見残していた作品であったので、けっこう落胆。

「ワイルド・バンチ特別編」ペキンパーの代表作品だ。多分学生かそれが終わった頃、つまり37〜38年前に見た印象そのままだ。撃ち合いシーンの有名さが際だっているが、全体の構成やアナーキーな気分など当時の絶賛ぶりが蘇ってくる名品である。

「ロスト・イン・トランスレーション」ソフィア・コッポラ監督。言わずと知れたコッポラの多才な娘だ。サントリーのCM撮影できたハリウッド男の日本体験記がベースで、歌手でプレティーな何とか(NYで活躍の)と東京で淡い恋に。西洋人が撮るとどうして日本人はあんなに無個性でちゃかちゃかするのだろうか。苦笑するも、けっこういける作品。

「レイ」レイチャールズの一代記だ。凄い。離別があろうが対立があろうが、音楽が湯水の如くに湧き出す天才の生涯のすさまじさが率直に表現されている。「心のジョージア」「愛さずにはいられない」とか、これもかと思うほど数々の名曲がオンパレードされる。最高傑作だね。

「隠された記憶」つまんないフランス映画、というか良くわからない。

「クラッシュ」監督名は知らないが、傑作。ある事故から進展して見えてくるアメリカの世相と人のつながりが紡ぎ合う不思議さを上手く演出している。アカデミー作品賞らしい。

「ママと娼婦」まあ、フランスらしい饒舌な映画。3時間40分だぜ、参った。貧乏ナンパ師と愛人たちの日常とめくるめく語られるセックス談義。ゴダールが見付けてきて「最後のヌーベルバーグ」と言ったそうだ。けして冗長じゃあないが、暇な人向けといえる。

・・見たDVD映画を全部書こうとすると結構つかれる。次から、感動作品だけにしようかな。

2009年4月8日水曜日

究極の遊びというかぁ・・《2》

最近見た映画。
監督名も覚えていない「天才マックスの世界」駄作。
コーエン兄弟の「未来は今」偶然2度目だが、まあ、アメリカらしい映画でリズム良し。
ロシアの「不思議惑星キン・ザ・ザ」まあ、不思議な寓話。佳作。
「カフェ・オ・レ」記憶に残らない最悪。
何とか監督の「フランドル」これは凄い。必見。後で監督名調べます。
「アメリカン・ビューティー」アメリカ家庭のどん詰まりの精神構造。つらいが、なかなかの代物。
ソダバーグ監督「ソラリス特別編」タルコフスキー作品に比べると「不可思議感」がないが、75点。
ゴダールの「メイド イン USA」昔から評判悪いが、初めて見て、いい加減さがやはり目立つ。
ゴダール「彼女について知っている二、三の事柄」やっぱし、いいねー。ファーストシーンから、僕が40年前に見たシークエンスを想起。アランドロンと別れてから、大分経った頃30才ぐらいであるが、マリナ・ブラディーの疲れた感じ、やつれた感じがもろに出ていて、この作品にうまく填っている。パリ郊外の団地妻の売春が如何に哲学的であるか。ゴダールは臆面もなく語る。

革命児ベルドリッチ監督「シェルタリング・スカイ」は、良い。実は身につまされるところも無くはない、辛い映画だ。
ルコント監督「ドゴラ」知らないで借りたが、美しい失敗作。
同じくルコント「仕立て屋の恋」二度目だが、寡黙な雰囲気の中に狂気の閃光が走る。良い。
R・アルトマンの「今宵、フィッツジェラルド劇場で」流石、群像の描き方のプロ、当を得ている。傑作です。
僕の近所の「ナンバーワン」とかいうビデオレンタル屋は、作品を探しに行けない店なんだ。作品群や監督群、役者の群が、全くでたらめなのだ。気持ちいいほど、何もしていない。であるから、御客の僕は、並んでいる棚をばーっとながめながら、良さそうなもの、もう一回見たそうなものを気まぐれに取り出して借りてくる方式で、毎回対応しています。
それにしても、見たDVDの一覧書くのに、振り回されるなぁ。面倒になってきたぜ。

このあいだ、書評が良いので買った「封建制の文明史」がなかなか良さそうだ。ぺらぺれめくっただけだが、僕らの思う封建制なるものがどうも誤訳からくる誤解とマルクス主義的論断に基づいていて、大分実態とは違うようなのだ。楽しみ。だが、読むもの多くて、順番が支(つか)えており読み始めは4月末だろな。例の「カラマーゾフの兄弟」も第四巻の149ページまできたぞ。が、この第四巻は700ページ。分厚い。言葉の放射がこれほど無限な作品が他にあるのだろうか。ともかく、読ませる。一貫して第一巻から圧倒的ですね。読むほどに快感感じてます。最終の第五巻までもう一歩。

で、新潮社「あたらしい生物学の教科書」というのがおもろいのだ。亡くなる1年ぐらい前につまり2004年かな、妻晃子にもらって、あとがきあたりだけ読んで、本棚で醸造発酵させておいたものだ。今回著作者名みたら、何とあのラジカルな暴論連発してマスコミでお馴染みの早稲田の池田清彦先生ではないか。気がつかなかったなあ。彼なら面白くないはずがない。いま、ハノイにもってきて読んでいる。
今日お客様と学生らと食べた豚と鶏美味かった。ハノイはともかく旨い。
究極の遊び2、これは明日だね、本読みたいし・・。以下、10日に。

■ で、究極の遊び考・・。僕の場合、できたら速めに引退し(もう、僕60なのに引退どころか、毎日あくせくあくせく)、世界中の映画会社から名画を収集して、毎日午前中に専用試写室で優雅に5000本ぐらい見続ける。終わったらどうするんだろうとは、今考えていないよ。夢想だからね。このぐらいの幸せならバチは当たらないでしょう?でも、一人で見るのも寂しいものがあるな。やっぱー隣にはビキニのグラマーな女が欲しいな(またか)。できたらC・カルディナーレなんかどう?うらやましいだろご同輩諸君。でもなんで、試写室でビキニなんだ、バカじゃあねーの。いま、僕には妻が居るし・・。隠しきれない浮気性、ちょっくら重傷だ。
ビル・ゲイツの場合、彼の究極の遊びとか、楽しみって何なんだろう。全世界に数百億円の寄付の嵐を提供しているらしい。それが遊びとか、幸福感んなのかなあ、背の高いあんまりきれいでない奥さんと毎朝の朝食は何を話して居るんだろう。WINDOWSのビジネスが彼の究極の遊びってことだろう。彼のビジネスは、ウインドウズのブラックボックスの秘密を墓場までもって行くこと、水や空気に相当するパソコンのライフラインから税金のように使用料を有料化としていることだ。遊びまで高まった仕事がこれだから、このケースは最悪ですね。彼の場合はもうこんな遊びなどやめにして、LINUXでも受け入れて、愛人作って、早々にカリブ海にでも逃げて欲しいものだ。

人には色んな究極の遊びとか、至福感あるんだろう。僕にとっては、このブログしたためるのも小さな幸せかもしれないし、乱読もその一つだろう。男の場合、最後までずるずると俗っぽさが抜けないで、みっともない場合も少なくないが、50代、60代、70代と女は小さな幸福感を堂々と求めている。女性は上手く「枯れる」と、和歌や俳句だ、「源氏物語」の読書会だ、女同士の小旅行だなんだと、清楚で正しい遊びに行く場合も多いようだ。男は60,70才になっても、昔の会社仲間とかと群れて、体力無いのに仕事作ろうとバタついてる俗物老人が結構周辺に存在してるでしょ?山口百恵さんとか、原節子さんが典型だが、俗な世間から完璧に隠遁する見事さは、男にはない。女は生き方にメリハリがあるというものですね。ハノイでのお寺参りは、おそらく、何時か日本でも僕は始めるんだと思う。でも”形而上学を語るけど、やや俗っぽく生きる線”が丁度良いのかも、僕には。性懲りもなく、いい女には弱い僕でありたいしね。

2009年3月23日月曜日

究極の遊び

お寺巡りは究極の遊びか。
22日日曜日、妻VUONGの父の家で昼食を取った後、そこに顔を出した彼女の友人である服飾デザイナーのHUCさんと、「お寺に遊びに行こう」という。フムフム、お寺に遊びにか・・、良いね、と言うわけで、前に娘と3人で行ったことが有名なお寺さんにオートバイ2台(僕はフックさんに乗せられて。娘は受験の塾で、不在)で、行ってみた。参詣の若い女性や年寄りが線香や果物をもって、ゆったりとした午後を楽しんでいた。広い境内は人がまばらで、静寂であった。VUONGと付き合いだして2年、今までもあちこちの寺院仏閣、神社に散歩してきた。

二人はベトナム人の女性だから、何のことやらほとんど解らないが笑いを交えベンチで長いこと談笑だ。で、1時間半もするとどうにも飽きたので、フックさんの製作アトリエ兼店舗に移動、休日なので二人でJUKIミシンの並ぶスペースでファッションショウを始め、3時間飽きずにやっていたが、夕食時間がせまり、ワンピースなど4点ほど、買ったようだ。僕も見たがかなり良い物だと思う。ただし1点30ドル。流石ベトナムだ。通常は20ドルらしいのだが「フックさんは、来週新規店舗を出店させるので、ご祝儀で高くはらった」ということだ。日本なら10倍近いだろうと思う。5,6年前、ブオンがオーナーで、フックさんが専任デザイナーで「ニュースタイルのアオザイ中心のファッション店舗」を展開していたとき、ハノイ市のファッションコンテストで優勝した実績があるという。なるほど、シックで上品なデザインは素人目にも納得がいくエレガンスがある。

で、近くのちょっと知られたダック(あひる)専門店に行った。路上と店舗に境目がないベトナム特有のビアホイ風な佇まい。蒸し、揚げ、焼きのアヒルがそれぞれ最高の味をだしていた。日本では鳥の唐揚げが嫌いで一切食しないが、ハーブとネギをまぶして揚げた空揚げは、ほんとに美味。大半、僕一人で平らげた。
で、さてさて、彼女たちがベトナム語で話している間、手づかみでアヒルの骨と肉と格闘しながら、遊びの究極を考えた。
遊びには金が要る。いきなり何十億円も入ったら、どんな遊びをかんがえるのだろうか。やっぱー、男は海だろうなあ。クイーンエリザベスとかで世界一周かあ・・。大型クルーザーで、地中海を漫遊もいいなあ。日本人の男の95%(根拠ないが)は、海だろうよ。巨万の富が入ったのに「足の小指に凍傷の一つもしながらエベレスト登山」を目標にする人もゼロじゃあないが、大半は海原で深呼吸し、アルチュール・ランボーの『地獄の季節』さながらに太陽の日差しを素肌にじりじり受けながら、「巨万の富によって仕事や時間から解放された永遠の安堵感に浸る」のだろう。しかし、隣にはビキニのグラマラスないい女(スペイン系)が寝そべっていなければ、やっぱー話にならない。女だ女だ、やっぱー男はこうでなくちゃ。フムフム・・。

もっと究極の遊びないのか。僕ならどうするか。ハノイに土地買って(使用権)、立派なVCIの校舎建てよう。日本国内でも広告を打って、日本企業のネットワークを一気に拡大して・・・、1億はベトナムの何処かにCSR・・いけねえ、これは、遊びじゃあないね、一種の至福感とか、充実感かな。どっちにしても、どうも現実の忙しさから抜け出られないなあ。自分の発想の貧しさに愕然とするね。・・・・近々続編・・。(4月8日へ)

2009年3月18日水曜日

ベトナムの小説「戦争の悲しみ」が凄い

息子もいつの間にか28才だそうで、先日嫁さんになる女性を連れてきた。正月に僕と長女の前で「今年結婚する」といい、その第一歩の段取りとして彼女とのご対面となったわけだ。新宿のベトナム料理屋で「333」ビールを飲みながら、3人でお話しした。息子は僕の仕事について、「ベトナムあたりでウロウロしてる」としか言っていないという。ふふ、それでも間違いはないが、準備の良い僕としては当校のパンフなど取り出して、営業まがいに熱弁。珍しく、僕は「上気」していたようだ。彼女は自分の彼氏とその親父は大分違うと感じただろうな。

息子はどちらかというと余計なことはしゃべらず必要なことや大事な件しか話さないタイプと思う。塾校では、一貫してブラスバンド。黙々と重いチューバを吹いていた。大学では東大と早稲田との三大学連合の山岳系サークルで、これまたあちこちの山岳を黙々と登攀(とうはん)していた。今でも、年末あたりは当時の仲間と山へ行っている。彼は僕と大分違い正に”黙々と一貫して歩む”人物だ。現在、化学・素材系の大手メーカーの研究員として仕事をしている。これから、彼のその骨太な精神力が大海の未来にて活かされれば有り難いと思っている。嫁さんになる女性を連れてきたことで、息子の人生と人格を客体化して見えた気がした。天上の妻の笑顔も瞼に見えた。

先週の土日に、ロバート・エバンスのドキュメンタリー「くたばれハリウッド」、デ・パルマ監督の「ブラックダリア」、ソフィー・マルソーの「スチューデント」、ユーゴのエミール・クストリツア監督「黒猫白猫」、石井輝男監督「網走番外地望郷編」、「ゴダールの訣別」、「ゴダールのカルメンという名の女」、「ゴダールの10ミニッツオールダーグリーン」、J・ジャームッシュ監督の「ナイトオンザプラネット」、中国チャン・イーモウ監督の「至福の時」を見た。「くたばれ・・」は、ローズマリーの赤ちゃんなどで、成り上がったプロデューサ エバンスの悲喜こもごもの一代記。面白い。デ・パルマのこれは、どう見ても不調でしょう。「ソフィー」はソフィーマルソーが若々しく、かわいい。「黒猫白猫」は傑作です。以前テレビで見て、じっくり見たいと考えていた作品の一つ。名前は無名だが、ユーゴ、バルカンあたりのジプシーや達者な役者をそろえて、画面の中はいつもカーニバル。敢えて強引に言おう。「フェリーニ、ルイ・マル、ブルース・ブラザーズをまぜこぜにして、ラテンの油で揚げた」ような可笑しい映画的狂想曲なのだ。「網走」、本当は「三代目襲名」「総長賭博」を探して無いので、代わりに懐かしく見た。40年前には”面白がって”見たが、時代の風雪に耐えられず、随分とチャチイ印象。

「訣別」と「カルメン」は快調。ゴダールの映画言語がバンバン。意味不明な分だけ、嬉しくなるぐらい。天才は流石です。このゴダール調がたまりません。「10ミニッツ」は若手やマイナー監督のオムニバス。ゴダールの企画なのだろう。玉石混合。「ナイト」は地球各地の様々な夜の出来事の短編6作。ジャームッシュのロードムービー風情が味わえる。「至福の時」は良いね。イーモウ監督の「初恋の来た道」「あの子を探して」と、これは彼の初期の「少女シリーズ」三部作。盲目の少女を騙しながら、親心を発揮する貧乏なおじさんたち。チャップリンの「街の灯」を想起させる。秀作である。ただし、手足(てだ)れていない分、前2作「初恋」「あの子」の方が初々しく印象深い。

ちょっと困っている。ベトナムでの空前絶後のヒット小説であるバオ・ニン(BAO NINH)の「戦争の悲しみ」がものすごく良いのである。ロブグリエ、レ・クレジオ、ビュトールなどを思い起こさせるヌーボーロマン技法。また、アラン・レネ監督の「戦争は終わった」を想起させる映画的なシノプシス。戦闘や空襲はハリウッドのアクション映画。全体を貫く戦争の狂気と殺戮の連鎖。偶然に「カラマーゾフ」と並行して読んでいたわけだが、それにまったく劣らずの人間の本性の描写。感服した。もの凄い作品であったことを、購入10年目にして紐解いて今回やっと知った訳なのである。これは、近々本気になって、書評書かねば、と僕の心に何かが強いてくる。難題だがねえ。

2009年3月11日水曜日

書くもの無いね。

今、日本時間深夜3時半。ハノイの当校の尾崎先生と新しい授業の内容についてskypeしたのは、1時だから、大分時間もたっている。結構寒い。「戦争の悲しみ」を読んでいる。が、時間取れなく、あんまり捗らない。なのに「高校生のための文章読本」も読み始めた。この「読本」丁度30年前、かなり、話題を読書欄で提供した本だ。無名の高校教員が書いた文字通り高校生向けの文章を書くための技術本である。極めて優しく、かつ合理的で、さらにいい例文に溢れた良書なのだ。かつて三島や谷崎の「文章読本」も読んだ記憶があるが、やはり、これは良いと膝をたたいた記憶があるのは「本多勝一の作文技術 上下巻」だ。

朝日新聞の有名な記者であった彼のこの本は一流のジャーナリストの文章の書き方を具体的に且つ全体的網羅してに教えてくれる最良の本だ。この「高校生の・・」は基本中の基本だけだが、エキスだけ、わかりやすく提示しているので、本多本に比べてもボリュームが少ないが、まったく見劣りしないマニュアルといえる。マニュアル嫌いの僕でもうれしいまさに推奨本である。表3に僕の購入日が書いてあった。1978年9月19日となっている。30歳で読んだということだなあ。それはそうと、問題は、この良書2冊ともに書いていないことがある。それは、 読んだからといって上手になるわけではない、と。

この土日、ペネロペ・クルスの「トリコロールに燃えて」(最悪)、チャンツイの「ジャスミンの花開く」(最低)、小津さん「秋刀魚の味」、チェ・ゲバラの「モーターサイクル ダイアリーズ」、「フェリーニのローマ」、今村昌平監督の「復讐するは、我にあり」、溝口健二監督の「雨月物語」、「小さな中国のお針子」をDVDで見た。32歳の娘を持つ僕には身につまされること多い「秋刀魚の味」は、6,7回みたが、良いものはいいねえ。流石です。「モーターサイクル・・」は楽しみにして、見たのだが、DVD表面に傷でもあるらしく、40分でアウト。どうやっても、画面が中止に。出だしが良かった分、不満だけ残った。残念だ。「雨月物語」は「楊貴妃」とともに言わずと知れた”溝口芸術”の代表作品。やっぱり初期の黒澤に影響与えてるねえ。森雅之を三船敏郎に代えれば、「羅生門」に成りそうな気配だもの。世界をリードしていた日本映画の隆盛期の映画の質に改めて魅せられた。 フェリーニは映画的世界の本当の天才だ。僕にとって、フェリーニとゴダールを超える人はいない。

「復讐するは・・」は実は始めてみた。今村さんは尊敬する監督の一人だ。最高な傑作です。こういう人間のサガをひじり出す映画らしい骨太映画が今無さ過ぎる。「小さな中国のお針子」はかなり良いね。フランス映画であったのには驚いた。タイトルは記憶にあったが、地味だからね、見ないでいたんだ。下方時代の自分の体験をまとめたダイ・シージエ監督の自伝的小説の自分での映画化だから、それもすごいね。文化大革命の時代に下方で労働を強いられた大学生二人が時代の変容に伴走し20年後医者やアーチストになり、下方時代に居た思い出の農村が長江の巨大な三峡ダムによって、川底に沈んでゆく現実を見つめさせられるまでのまさに大河の映画である。時代に翻弄された可愛いお針子は自立し何処へ。バルザックを超えたか。

2009年3月3日火曜日

「青いパパイヤの香り」と「戦争の悲しみ」

堰を切ったようにとは、多分こういうことなんだろう。この2,3日、ロシア映画で10年ほど前に話題になった「父帰る」、ペネロペ・クルスの「帰郷」、T・A・ユン監督の「青いパパイヤの香り」、キュブリックの「アイズ ワイド シャット」、J・クルーニーとキャサリーン・ゼダ・ジョーンズ主演のコーエン兄弟のコメディ「ティーボーズ・ショー」、小津安二郎の「晩春」、「麦秋」、誰監督か解らない「ブエノスアイレスの夜」、テレビでは大半かつて見ていた「セックスアンドザ シティ」を夜を徹して見た。本当は、「パパは出張中」作った確かユーゴの監督の「黒い猫白い猫」いきなりまた見たくなって、レンタル屋で探して見つからず、仕方なく前に見た作品を色々軽い酔いに任せて借りてしまったんだ。なんだか、目とか頭を疲れさせたいというか、脳みそとかを虐めたい気分がわき起こってるみたいな気がする。

で、これ以上、いま書く気になれないなあ。例のカラマーゾフの兄弟3巻もやっと351ページ。読むと一気に進むが、気分次第で、この一週間、止まってる。上記ユン監督が2月から「ノルエーの森」をクランクインさせたようだ。今日はここまでだな。今までで最短の私信となったかな。ただし、近々「青いパパイヤの香り」と僕の小津さん評と、僕の東映大泉撮影所のことは、書くつもりです。ユン監督の「夏至」は見たような気がするがどうだったかな。まあ、今夜は石川淳「新釈雨月物語」の一ページを開こうと思う。

・・続き・・今日は6日金曜。それも4時。オフィス。僕の本6000冊ぐらいが部屋に積まれた段ボールに入っている。2年まえ、自宅にも入りきれなくなったので、4000冊ほど早稲田の古本屋に売って残った分だ。で、その一部であるが、読み残したり、あるいは気になる本だけ本棚に別においてあり、時間ある時、少しずつ読了して”潰して”いる。で、今日はいま、オフィスに誰もいないので、仕事をサボる訳じゃあないが、何気なくその棚から「戦争の悲しみ」を抜き出した。ベトナムのほとんど唯一ヨーロッパ数カ国で翻訳されヒットしたベトナムの有名な小説である。僕にとっては、曰わく付き本の一冊と言えよう。奥付を見ると発行は1997年だ。僕が買ったのはたぶん、話題になって直ぐだから、約10年前と言うことだろう。ただし勇んで読もうにも、何せテーマが「戦争」と「悲しみ」である。読むにも覚悟というか、意を決した突撃が必要だろうが、当時軟弱になりかけていた自分としては、うむむ・・という精神環境で、いわゆる”つんどく”本の一冊になりさがり、手付かずでいた。

毎月買ってしまう本はドンドン増えるし、「あ、きれいないい女だ」と街で麗しい女性とすれ違うぐらいに自分の本棚での出会いが運命的でないと、読み残した気がかり本を読む気にはなれない。換言すると本棚とか、段ボール巡っっていて「今日は焼き肉食いて〜」って、全身が求める病理学的な身体のざわめきと、本の出会いは同一だから、それが無いと本を自分の眼前に引き寄せたりしないのである。そして、天使の瞬きの瞬間にたまたま、我が輩の白羽の矢に射止められし幸運な読み残し本のみ、私めにに文学的良い言葉を大量に供出する運命になるのさ。で、この本は一度、5,6年前に「買ったから、一応読まなくっちゃ」貧乏精神で、ページめくったが、20p程度で、その不埒な精神を真っ向から蹴散らされたようだ。まったく覚えていないが・・。21頁に中断の折り目が付いているものね。作者に対して生半可な気持ちで本を手に取った恥さらしな軌跡が、21頁の上の隅の斜めの折り筋に表示されている。うむ、本は読むだけでも決意がいるんだなあ、なんて、改めてこのBao Ninhの「戦争の悲しみ」の美しい装丁を見つめて思った。
尊敬する辺見庸さんが腰巻きに激賞文を書いているし、ニューヨーカー、タイム、エコノミスト、インデペンデント紙などが、絶賛したこの本の重みが改めて、太り気味の僕の生活態度に「真剣」を刺してくる。ということで数日間、”人間の悲しみ”を本気で読み解くことになりそうだ。

映画「青いパパイヤの香り」は今回で2回目、劇場では見ていない。ユン監督(僕らハノイにいる人間からするとhungさん、つまり、フンさんである)の映像の最大特徴である静寂さはほとんど接写に近いクローズアップの多用からくると思われる。人物の接写は人間を物質化してしまう。彼の映し方は人間をそのままで捉えず、人間は皮膚で覆われた生命であると暴き、更に皮膚は美しい元素から成り立っている事を暗示させる。彼の物質化は、俗としての人間を超克し、人間を構成する生命の神秘の物質を愛おしくさせる効果を持っている。そのいわばナノの映像世界に世俗の音声が入ってくる隙はない、深閑とした世界が画面に広がる。彼の静寂さの第二は、庭と家屋を自在に移動するカメラにある。移動車と小型クレーンを使用したものだろう。CGのデジタル的な画面変化でなく、カメラとレンズの移動という現場で創作される画面の艶やかさは、映画の古典的な技法だが、光と影がレンズを通過してフィルムの銀箔に定着されたものである。ここでも不逞な雑音の侵入を拒絶している。・・続きは、この土日に書きますね。
さてさて、今勤務時間中。ハノイの学生管理課主任のNGOCさんから、SKYPE入った。仕事の振りして、さあ、「なんだね、NGOCさん・・ご苦労様」とチャット始め・・た。普通は、こうじゃあないぜ、一心不乱に仕事してるんだよ、スタッフ諸君。運命の本を手にとってしまって、30分ばかり魔が差してブログをしたためただけさ。許せ。

2009年2月26日木曜日

小学生の見た大正末期 / ホイアン3《観光の戦略》

昨日から読み始めている本が、結構面白い。「小学生が見た大正末期・昭和のはじめ」というタイトルである。大正14年に小学校に入学した子供たちが、担任の恩師と成人になってまでも交流し、当時の小学校時代にたくさん書いた作文を生徒たちが老人となった1990年代にまとめ、出版したという代物である。面白くないわけがない。大正14年と言うと、僕の母親が生まれた年だ。その時、6,7才の小学一年生であるから、皆さん今九十歳超であろう。

生活、学校、勉強、社会、自然・・等に書いたテーマ別に整理されていて、当時の少年少女が大正の時代の平穏な市民生活、特に和気藹々とした兄弟姉妹たちとの遊びや親への敬愛の情、また迫ってくる軍国主義の社会の雰囲気を上手く書き込んでいるのである。舞台となるこの学校は都内の筑波大付属の小学校と中学校である。田中豊太郎先生という方の綴り方教育に対する特異希なる努力と生徒たちとの信頼関係から生まれた成果なのである。例えば選挙という作文がある。小学五年女子のもの。「・・・田中先生も教生の先生も(注:選挙には)いらっしゃるだろう。選挙権をすてる人が沢山あると新聞に出てゐたけれどこんな人は日本人のくせに責任をもたない人だ。いけない。もし、十数年たってから女にも選挙権が出来たらその時は一番によい人を選ばうと思ふ。英国では女の代議士もあれば女の大臣もあるさうだ。日本はやっぱり英国にはかなわない。なんでも負ける。これからは女でも英国のやうに元気を出さなければいけない。・・・」また、

 これは小学四年男子の二人の新聞配達というもの。「朝日新聞の配達人はしょうじきな人だ。時々朝日新聞がおそいと、お父様が、今日はおそいね、とおっしゃると、今日はねぼうをしましたからおそくなりました、としょうじきに答える。中略 おかんじょうを取りにくる時、内に誰もいない時では、又いつかきますから、ときげんよくかえってゆく。朝早くからあせみどろになって新聞をくばっている。報知新聞のはいたつ人はとてもおこりんぼだ。内に誰もいない時、おかんじょうを取りに来る。女中が今誰もいませんというと、ぶつぶついいながら、けちなうちだ、新聞代ぐらいはらえないのか、とどなって出ていってしまう。雨のふった日なんか新聞をおもてにおいていったこともある。中略 おそいというと、トラックがおそかったから、おそくなったんだとりくつを言う。・・」 良好な家庭環境の子供たちだと推察は出来るが、今読んで溌剌で爽快。そして、愉快だね。

このように元気でクリアな洞察力に溢れ、子供の目で時代を描写した作文集なのである。一級の歴史資料と言って良い。僕の亡くなった妻がやはりこの中学・高校(以前は教育大付属と言った)で少女時代を過ごしていた。妻の時代はこの文集の時代から大分後の昭和30年頃である。僕はこの作文集を紐解きながら、妻が溌剌として聡明であったであろう少女時代に彼女の胸を焦がした夢や希望を、この作文集の行間に想像した。書きながら切ないの思いで一杯となった。名もなき良書の一冊である。

■ 今までダナン・ホイアンには4回行った。今回は時間もないので、どぶ川に架かったあの有名な「日本橋」へは行かなかったが、夜に川縁のランタン風情が美しいレストランの一角で、件の職業訓練学校の校長や溶接の滝野講師やスタッフと、我がVCIの4名と美味しい夕べを楽しんだ。この一帯の洗練された観光エリアは以前はなかったと思ったので校長に聞いたところ、この3,4年で整備されたらしい。ベトナム航空のカレンダーにも採用されているくらいだから、ホイアンやダナンにとっては観光の目玉に成長させたいのだろうし、その意欲もインフラの整備から読み取れる。ただし、川の(名前は知らない)両側に色とりどりランタンを演出したクラシックなレストランが数軒存在するだけなのである。まだまだの感あり。

さっきどぶ川と言わせてもらった「日本橋」の最悪な環境を大分以前に見て、僕は憤激し、というより愕然として、それまでもあちこちの寺院や神社で情けない思いをしたことも総ざらいして、ベトナムの観光政策を当時の服部大使に4年前の今頃かな、提言したことがあった。マーケティングの専門家として、ベトナムの観光立国化を目指すための提言書として、したためたのだ。
主な趣意は、ベトナムには、沢山の観光資源がある。が、観光を資源として、磨き再生産していく知識と技術が地域住民にも、地方政府にも観光総局(現在観光省)にもほとんどなく、自覚さえもないことを明示した上で、観光資源をコアにした住民・市民・地方大学による資源の再生の委員会と運動体を設立し、一方、ホテルやレストランでのお客様を中心にしたサービスの改善や衛生教育の組織化とノウハウ開発と、観光総局の内部の組織改革、更にODA予算の観光への振り向け、またマーケティングの導入などを大胆かつ簡潔に具体的に記述した30ページぐらいのものであった。大使は、大変喜んで確か「こういう感じで行きたい」旨をおっしゃり、僕も期待がふくらんだ記憶がある。

う〜〜むでも、大分時間が経ってしまったなあ。誰のせいでもないが、こういうのは進まないものですね。今回、その日本橋は見ていないが、聞いたところ、まだどぶ川はそのままなようだ。さらに、日本橋と言われても日本人が見れば、まさしく中国デザイン風の橋であり、そんなものを見させられて”ホイアン観光の目玉です”といわれてもうんざりするばかりだろうと思う。後は「太いうどん」と日本風のしもた屋が何軒あるだけ。うどんは美味くてお勧めだが、それ以外のお粗末さは問題だよ。本当にベトナムの観光の未来が心細い、と言うより極めて深刻と言える。お隣タイに日本人観光客は年120万人、ベトナムは確かビジネス渡航も入れて約45万人。この差は、この何年も埋まらないでいる。

一回見れば、もう来ない。それが現状だ。有名なハロン湾でも同様である。まあ、悪くはないが、良くもない昔からのルートと島巡りスタイル。日本人で、ハロン湾にリピートで何回も行きたいと言ったり、あるいは何度も行ったという観光客を僕は知らない。先ほどの提言書の副題はたしか・・「リピートがある観光資源作り」であったと思う。
ディズニーランドをいきなり例えに持って来るのもいささか乱暴であるが、ご存じに様にディズニーランドのお客様の大半は10回、20回、多い人は100回来たというリピートのお客様で毎日埋め尽くされているのである。人がまた来たいと感じる魅力って何だろうか?答えはそう難しくはない。ベトナムには良い”ネタ”が無尽蔵にあるからだ。世界の観光地やリゾートも仕事で見ている僕としては、何とかベトナムの観光の芽を育み、協力したいね。毎年日本からベトナムへのODAの予算は約1000億円である。そのなかの10%でも、観光や教育に充当できないものなのだろうか。今夜はちと愚痴っぽくなってしまった。

2009年2月24日火曜日

ホイアン2

いきなりホイアンでの紀行に入るのも野暮なので、今日の朝の映画的出会いを一つ。朝、都庁関係の国際支援の部門に相談がありお邪魔した。ちょっと淀川長治さん風なUさんという方が現れた。僕からの相談目的は、ハノイの学校の活性化のための企業情報の収集なのだが、お会いして10分も経たないうちに何故かしら、ほんとに何の切っ掛けでそうなったか覚えていないが「笛吹童子知ってますか」と聞かれ、僕「シャリーコシャラレードー♪♪でしょ。」と答えていた。いやはや、これ以上楽しい会話はないですよ。と言うことで、近々新宿あたりで映画談義を下戸のUさんと、コーヒーやりながら、交じわすことと相成った。

で、改めて、ホイアン。ベトナムの理工系の高学歴の青年たちは、フランス的な習慣と文化もあり、言わば学歴の下の人や職人さんと一緒に仕事することは少ない。で、それに輪をかけてしまう環境が”大学に予算がないので、最新機械の導入がほとんど行われていない”と言う現況だ。つまり慣習と環境とがダブルで、現場で機械を使って体得する学習の機会を少なくさせているのである。ところが、変化も少しある。最近、ハノイ工科大よりも「レベルが低い」とされているある工業大に日本企業とか外国企業の寄付が集中し、一気に学習インフラが近代化された大学がある。その理由も含めちょっと僕は注目している。来月は視察してみよう。

で、当校のホイアンにいるトライアル4人組だが、現場で再会したら、何を隠そう予想以上に逞しく見えたのだ。まだ、10日程度であるにもかかわらずね、教室で日本語の会話を学んでいたときより、「男」になっていた。火花が散り、金属音があたりを切り裂く熱い現場で、彼らは、それぞれに「結構面白いですよ」とこの僕に言ってのけた。若者は凄い、奴らはやるぞ。思わず僕の瞼が震えた。滝野さんという長らく橋梁の分野のベテランの講師の人間味も最高。日本人誰もが知らないベトナムの片田舎で滝野さんの意志や本物の技術が、何物をも熔解させる灼熱の現場を創造させていた。4名はラッキーだよ。当校の彼らダオ、クイ、チャウ、ディエップの4君は4月に内定の朗報と共に、一皮むけて、ハノイに凱旋することだろう。

2009年2月19日木曜日

中部HOIANに行って来た。

ホイアンには、鎌倉時代に日本人町があり、そこでは2000人もの日本人が貿易などに勤しんでいた様だ。日本人にとって馴染みある歴史の町である。イスパニアの「ヤポン」さんの町等と同様に日本人は実は海洋冒険家も多く、世界のあちこちに日本人町があったようだ。また、朱印船や海賊の男たちとはまったく環境も位相も違うが森崎和枝の「からゆきさん」や山崎朋子「サンダカン八番娼館」にある様に強いられていた人々ではあるが、東南アジアだけでなく、アフリカまで自分の運命に逆らわず短い人生を、絶海の海の風と帆に託した女たちも数多く居た。
江戸幕府の鎖国政策によって、多くの日本人が帰国を余儀なくされたが、帰国せず越南の歴史のうねりに身を投じて行った者も数多くいたと聞いている。
今回ホイアンは3回目、17日の午後に行って、18日の午後にはハノイに戻っていたので、落ち着かない紀行となった。

当校の学生は全員ベトナムを代表するトップ大学の卒業生たちである。その彼らの大きな課題点の一つは大学の授業で最新の機械を使い「もの作り」をしたり、身体で体得するような現場作業の体験が少ないということである。フランスの労働の価値観の残滓ともいえるが、大きな要因は大学に良いマシーン、最新の機械が導入されていないのである。最近は良くなってきたとはいえ、つまり、途上国の大学の現状はまだまだ、こんな予算がない状況なのだ。これを少しでも突破し、「腕に技術がある大卒生」「溶接も出来る最優秀生」を輩出させようと、今回企画されたわけなのである。

母体はホイアンにある国立の職業訓練学校の中に日本の「鉄工・溶接業界」の有志のみなさんが、一昨年から立ち上げたプログラムだ。そこと提携したのが今回の当校の試みである。そういうことで久しぶりのホイアン行きとなったわけだ。飛行機でハノイから1時間弱、ダナン空港に下りると、大分地方に来たという感じがしてくる。ダナン市はご存じの様にベトナム戦争当時アメリカに占領されていた一大軍港があったところだ。目指すホイアンは、ここから車で30分。溶接学校がある国立職業訓練学校の校長が、愛想良く空港まで迎えに来てくれた。空が青い。地平線には、少し赤みが差してきた。数年前に2度ほど宿泊したことがある「フラマリゾートホテル」が目的地に行く道すがらちらっと見えた。快適なロードが続く。

空耳だろうか、シェーンの「遙かなる呼び声」が馬の闊歩のリズムで耳に現れた。
「シェーン、カムバック」の少年の声が寂れた俺の脳髄に響く。監督のジョージ・スティーブンスがキリスト者では有名だが、今回ハノイでビデオを見ていて、鈍い僕でもジーン・アーサーの清楚な愛が、如何にこの「シェーン」の重要な骨格になっているかが改めて僕の映画的記憶に染みてくる。しかし、実はモルモン的清教徒の誠実さや常識的健全観念が、如何に社会の現実に無自覚で、逃避させてきたか、結果差別を許し醸成してきたか。それに対する生理的嫌悪が僕の中で少し首をもたげてくる。10回以上も見ている「シェーン」に初めての明確な違和感だ。一回目は僕が小学校高学年に父と一緒に、叔父が経営していた仙台東一番町の仙台松竹で見たと思う。

ついでに、どうもこの土日、いきなりビデオが見たくなり、近所のビデオ屋から、サガンの「悲しみよ、こんにちは」とか、ゲバラのあの世界的有名な「肖像写真」を撮ったカメラマンのドキュメント「コルダ」、とかエンリオモリコーネの曲も聴きたくて、セルジオ・レオーネの「ワンス・アポーン・ア・タイム・イン・アメリカ」とか、ゴダールとローリング・ストーンズの「ワン プラス ワン 悪魔を哀れむ歌」のDVDを借りた。「悲しみよこんにちは」はビデオテープ持ってるがデッキは既に廃棄の時代、久しぶりに見たが、オットープレミンジャーの演出も今見るとノンビリしてるし、気になったのはあのキュートなはずのジーン・セバーグが美しくない、魅惑に欠けて見えたことである。多分、4回は見ているのだが・・。僕の生理があのセレブ生活に嫌気がさしているのかも知れない。最後に居眠りし、見直す気にもならなかったほどだ。

「コルダ」はカストロのお付きのカメラマンであったコルダ氏の革命前はファッションカメラマンで、革命の証言者に変わっていった人物の道程を追うもので、彼が数年前まで生きていたこともあり、もの凄く時間の軸を自在に動かした深いドキュメントになっていた、10年ほど前のカストロとの彼の懇談も貴重なものだ。監督は僕の知らない若手で、アメリカ人の様だ。ゴダールの「ワン プラス ワン」も初めて見る作品で期待がふくらんだのであるが、何と僕のMACでは、動かず。なんてこった。
で、「ワンス アポーン・・」をゴロ合わせではないが、代わりに借りたわけだ。実は最近のベトナム航空の機内で、乗る時と降りるときに静かに流れる楽曲が、このエンリオ・モリコーネのこの曲と思って、その確認のためもあったのだ。でも、映画を見るとどうも違う。オカリナを使ったようなあの1930年代のニューヨークの光と影を詠うようなメロディーは同じなのであるが、違う曲だというのは、わかった。ベトナム航空に聞くしかないな。しかし、この映画の壮大さ、構想の太さは正に尋常じゃあない。一介のユダヤの不良少年が大物ギャングにのしあがり、更には連邦準備銀行の総裁まで上り詰めるアメリカ社会の暗渠をイタリア人監督のレオーネが執念で描いている。名作中の名作だろう。今回で4,5回みたが、またまた発見は多い。225分。すごいぜ完全版。

ということで、ついでに榊原英資の「金融恐慌の深層 メルトダウン」読んだり、元フォーブスのフルフォードの「ルシフェリアン」読んだりで、結構忙しい土日であった。榊原さんは、元東大の全学連の社学同の幹部で、革命諦めてさっさと大蔵省に入って「ミスター円」と言われた名物官僚。リタイア後、慶応教授から、最近早稲田に移っている。僕の7,8年上かな。「ルシフェリアン」は2001年の9月11日の事件はブッシュ家も深く絡む謀略であるという、また、同時にキリスト教プロテスタントの本性と魔性を分析した本だ。やや、荒唐無稽な部分もあるが、一気に読ませる。
・・ということで、ホイアンの続き書くのは疲れた。次回ということで。

2009年2月13日金曜日

BIA HOI

ビアホイと読む。ベトナムの何処にでもある居酒屋と言えばいいだろう。牛、豚、鳥、魚、豆腐あたりを素材にした多様なバリエーションが何でもある、つまり、それらを焼いたり、煮たり、蒸したり、炒めたり、あるいは香辛料のきつさのバリエーションとか、また、熱いベトナムでは夏でも鍋もあり、真夏でもそれをアチチあちちと汗かきながら宴会で囲むグループもけっこう多い。で安いのだ、どんなに食べて飲んでも、一人500円だろうな。まあ言わば、ベトナムの男にとってアフター5には欠かせない居場所ということだ。ここには日本のビアホールなどと同様にビール会社の系列があるようだ。料理の味もインテリアもスタッフの制服も統一性などほとんど無視で、ビール会社の看板だけがその系列を表している。

今日、日本の有力企業グループの一社が来て、学生と交流会。いわば面接に至る前のイントロといえるものだ。それが終わり、ビールを軽く飲みに行きたいのに、本日は金曜日と言うことで当校教職員も冷たいもので、誰も付き合ってくれないし、ハノイの妻も娘が受験で忙しいし、私はあなたの妻でなくほんとの友人だ。でも、娘はあなたも娘と言っていい、とか疲れにまかせて、いきなり分けわかんない日本語を連発して、21時にバイクを駆って、オフィスから出て行った。ふむふむ。と言うわけで、ビアホイである。今日は日頃のビアホイでなく、ちょっと新規を探そうとサッカー場の反対に10分ぐらいいったら、真っ黄色のイスが並んでいるビアホイがあった。

豚のスープ、空芯菜の炒め物、蒸し鳥とビールを発注して、軽いアルコール度の生ビールの杯をぐい〜と進めた。満員ではない環境で、周りの見渡しもきき、4列向こうに外人が2名この汚い店に不似合いだがちょっと慣れた佇まいでビールの杯を空けていた。オーストラリア人かな。アメリカ人だろうかよくわからんね。そう思って見ていると片方の悠然と構えて飲んでいる中年の風情は元エリザベス・テーラーの夫(2回夫になったはず)のリチャード・バートンの弟風な人物だ。そう、ラッセル・クロウに似ている。と言うよりまさしく彼だと断言したいぐらいに同一人物なのだ。背格好もね。でも、ラッセル・クロウがまさかベトナムに、さらにこんなションベン臭いBIAHOIに居るわけないし、撮影のベトナムロケという話も伝わっていないしなああ。もう一人は細身で背が高いウディ・アレンばり。ラッセル・クロウのマネージャーかな?デルのノートPC使ってのふたりの議論ははてしない感じ。僕はいつもの癖で持参の文庫本のページをめくって彼らから視線を活字に移した。

活字はこういっていた。「ミーシャは考え込んだ。きっと今日も見張って居なくてはならない。ここか、サムソーノフ家の門のところか。」カラマーゾフの兄弟3巻の161ページ目だ。そうか見張って居なくては・・か、と外人二人に見張り風視線を戻しつつ鳥を「塩レモン」にさっと付け口へ。続けて空芯菜をニュックマムにちょと端だけ付けて、またほうばる。で、また外人を見やったら、彼らがなんと僕目指して(目指しているとしか思えない近付き方)歩いてきた。ものの15秒ぐらいだろう。何せ狭い舗道上の店舗内だ。座っている僕。180はあるだろうクロウ氏とユーモラスさが本家より不足気味のウディー・アレン氏が僕の眼前に屹立。デカイ。彼らは僕に抗議に来たんだと咄嗟に思った。思えば、文庫本に目を落とす前に僕は失礼にもジロジロ彼らを見ていたからだ。なにしろこの環境が不釣り合いな二人だからね。逆に僕はというと、彼らからすれば、想像するにどうもベトナム人じゃあないし、コリアかジャパンか中国か、不快な中年アジアン野郎がジロジロ見ていやがる、とでもいいたそうな面構えで、いきなり、このお二人は大きなお尻を僕のテーブルの塩化ビニールのへなちょこイエローイスにどかっと納め僕に向き合った。

お前は”何人か”というので、堂々、「日本人です」と応戦。更に君はここで何してる、とか畳みかかるので、読書しながら、夕餉をたのしんでいるのでございます、と悠揚迫らぬ態度で、スターに申し出た。「ジロジロ見るな」とか野暮を言わないのが世界的スター。その上、僕の読書傾向に切って入ってきた。多分、何を読んでいるのかと僕には聞こえた。ドストエフスキーの文学ですと、僕はすぐさま言った。カラマーゾフのなんとかなど、英語でいえるはずのなく、ともかく世界一の天才作家の名前を丁寧にスターに奉じた。しかし、クロウ氏は、ええっ・・という感じで、彼にとっては三半規管に音声が到達する前に既にまったく理解できないという渋みの表情を美顔にうっすら漂わせた。この作家の名前はカタカナ英語的発音ではまったく通用しないようだ。

幸運にも、光文社亀山郁夫訳文庫本には、ロシア語でドストエフスキーという記載があった。この初老美男子はたしか「アアウワ」といかいって、破顔一笑し「ふ〜む」と思考する表情を見せた。で、恐れ多くもまた僕に「YOUは何者ですか」と言った。間違いなく僕の素性を聞いたようだった。大スターが僕風情の素性を聞いてどうするの、と60になった老練な僕は、僕なりにそう単純じゃあないぜ外人さん、と言わんばかりに「あなたの笑顔は、世界を魅惑するスターだけが保ちうるものですね」といったものだ。そんな英語俺って言えるのかしら。彼らが持参した分厚いガラスのビアグラスと僕のグラスで、3方からがっちり乾杯したまでは、僕としても覚えているのです。これって、ビアホイ幻想?あるいは幻影のハノイかもね。

2009年2月8日日曜日

久しぶりに芝居見たのだ

ベトナム私信と銘打ってるのにまたまた、少なくとも書き出しは、ベトナムに関係ない芝居のことになった。いま、深夜2時ごろ、NHK画面ではノルウエーの寒い分だけクリアな美しい風景ドキュメントが、静かに流れている。矢崎滋のナレーションが煩い。ところで、劇場で芝居を見たのは何年振りであろうか。というか、最後に見たのはなんだったのかなあ・・・。

妻晃子(てるこ)が好きだったこともあって、大学の3年生から中退し結婚したころ(1972年)までの3~4年間に二人でたくさんの劇場やテント小屋に足をはこんだものだ。彼女に誘われたほうが多いかな。赤テントの状況劇場の唐十郎、黒テントの自由劇場の鈴木忠志、菅孝行、早稲田小劇場の別役実、白石加代子また、暗黒舞踏の土方巽や麿赤児、小林嵯峨、天象儀館、流山児祥、そして、歌人寺山修二の天井桟敷と、綺羅星のような小劇場の革命児や俊英たちの天空を駆けるような芝居を、熱にうなされた若者で満員の狭い漆黒の桟敷の片隅から、僕と恋人であった晃子は毎回、食い入るように見つめ、手を握りあい、顔を見合わせ、ほかの客と一緒に爆笑し、檄を飛ばし、感動の拍手を送っていたのであった。まさに伝説的小劇場開花の群像たちと同時代人として合間見えていたわけだ。そのころ、ゴダール、トリュフォー、フェリーニ、アントニオーニ、アーサー・ペン、黒澤、深作、今村などを仲間と語り合い、そして芝居見て激情し、「明日のジョー」を毎週むさぼり読んでいた。

そんなこと書いているうちに、思い出すかなあと、おもっていたが、まだ、最後に見た芝居を思いださいが、多分、有楽町帝国劇場に来たブロードウエイミュージカル「レ・ミゼラブル」かもしれない。1990年頃かしらん。それ以前にニューヨークで家族で見ていたので、改めて日本語で確かめたくて見た記憶がある。そうだとすると20年ぶりぐらいになるのだろう。そのぐらい久しぶりに30人足らずの入場者で一杯の「新宿ゴールデン街劇場」で今日、一人芝居(実際は3人芝居であった)を見たのである。鈴木勝という役者で、僕もよくは知らない。今時の芝居の感覚がテレビのお笑い芸人化している予想もできるほど、彼の芝居も”コミックの線”を行っていたので、演技上の表現の中々のうまさもどこか予定調和的で破壊力に欠けた印象も無いではない。しかし、演者の鈴木や仲間の2名の派遣労働やアルバイト労働の苦痛と焦心に塗りこめられている現実生活がまるで、そのまま汗まみれに演じられているようで、抽象空間に不思議なリアリティーを与えていた。1月末に僕の自宅の引っ越し作業があった。その時、インターネットで依頼してたまたま偶然に来た運搬・便利屋がその鈴木勝さんと彼の奥さんであった。

2009年1月25日日曜日

一月のあれれ、これれ

1 このブログにも書いた「K−20 怪人二十面相伝」を見るつもりだが、見ていない。
2 ゲバラの映画「チェ 28才の革命」も見ていない。
3 ハノイに行って、教職員と最近の情勢分析したり、新しい展開を議論したいのだが、今年まだ行けていない。 会議はもっぱらskypeだけだ。skype活用してますか?中年諸君!
4 だから、ベトナムの家族にも会っていない。
5 難関「カラマーゾフの兄弟」は遂に「3巻」の30Pまで来た。途中あれやこれや読んで脇道逸れてる割には進んでいる・・かな。
6 オバマへの壮大な構想への期待と、イスラエル支持のままのオバマへの幻滅。
7 いくつか心ある企業のtopの方々の言葉に感銘することが最近とみに多い。凄い方々は本当に存在しますね。

8 現況の当校のVROPS、更に留学システム、また5年後の中高一貫校の創設。僕らの夢は本年少しずつ歩みだす。 
9 オバマの就任演説にほとんど感銘を受けなかった。冷静な自分が不思議なほどだ。
10 息子26才が今年結婚すると言う。う〜むむむむ。凄い。
11 娘31才は女性出版社で変わらず猛烈らしい。
12 去年の12月20日、家内が天上に旅だって6年目に入った。過ぎ去る時間の何と速いことか・・・。
13 何故か・・・家族のこと書いてしまった。
14 このブログ、中年の読者が多いようだ。

15 明日26日が、元旦だ。ベトナムの旧正月「テト:Tet」がはじまる。正月明けは通常2月4日らしい。当校は2日から授業。 僕が子供のころ、旧正月は故郷仙台ではきちんと祭られていた。
16 新しいベトナムの家族と、テトなのに会えていない。去年は一緒に旧正月を楽しんだのに。今年は忙しすぎる。
17 さあ、僕らも財務的に縮小出来るところは徹底的に削ろう。
18 最近、ちと酒量が増えたかもしれぬ。
19 この半年、眠り方を忘れたようだ。何処でも眠れた僕なのに・・。
20 この間の当校教員スタッフの誠実な対応と頑張りにはあらためて頭が下がる。

21 12月始めに「Tバックランチ」という、ランチタイムにハノイのレストランで秀麗で豊かなTバックを運良く拝んでしもうた貴重な体験を書いていたが、偶然に元Tバックの女王飯島愛が亡くなったので、中断したまま。再開の目処立たず。
22 12月初頭に亡くなられた本物のインテリゲンチャーである批評家の加藤周一さんのことを何か書こう書こうと考えてきたが、未だ筆持てず。
23 早稲田界隈にまだ、春は来ていない。が、2月になると当オフィス前の早大通りの並木道に可憐な梅が咲く。
24 さっき、ベトナムの教員スタッフ、関係者、家族にメールでテトの年賀状を送付した。日本人教員は皆さんの大半は、ベトナム国内旅行に行ったようだ。ゆっくり楽しんで欲しい。
25 朝青龍が久しぶりに優勝した。下馬評を見事に覆した。面白かったね。でも今場所、怪しい取り組みも結構あった。ガチンコじゃあない勝負があったと思う。言うまでも無く大相撲はひとつの会社であって、関取は社員だ。部屋が違っていてもしょっちゅう一緒に食事したり、遊んだりしてる。その上、上下の関係の厳しさはご承知のとおりだ。

つまり土俵上には「威圧」「遠慮」「配慮」「友情」「付き合い」とかは当然、昔からあるだろう。その塩梅ある勝負は微妙すぎて八百長とは誰も言えない。協会もそのあたりを神事と逃げている。八百長は金銭の授受があって、はじめて成立するわけだしね。正直、ガチンコという相撲用語がある以上、そうではない勝負もあるということだ。あうんの神事。それも相撲なのだと思うしかない。

2009年1月21日水曜日

オバマの才気

オバマの就任式を見た。で、いきなり似た風景を思い出した。多分16年前だと思う。クリントンの大統領就任式をやはり今頃、寒い朝布団の中で見た。僕が確か44歳でクリントンは45歳であった。何か新しい時代が始まる予感がして、ものすごく感動したことを覚えている。僕らの世代の時代が来たんだ。「ベトナム反戦世代」が大統領になる時代なのだと、しみじみ思った。

ついでにケネディ。あまのじゃくな僕は昔からケネディー一家にほとんど興味が湧かない。でも、なるほどと思うのは新教の国アメリカにおいて、アイルランド系かつカトリックという少数ながら大統領になったというカリスマ性だ。彼の親父はギャングとの怪しい関係が在ったわけだし、金持ちの女好きのボンボンに過ぎなかった彼が、悲劇に見舞われた事で偉大さが紡がれ、伝説となった。キューバ危機でさえ、ソ連のフルスチョフが国内事情で撤退したということであって、それ以上でもそれ以下でもないだろう。
あえて言えば、彼の唯一の功績はスピーチライターが書いた「あなたが国に何を求めるかでなく、あなたが国に何ができるか・・」というフレーズが世界中の記録フィルムにその残滓を残しただけだろうと思う。でも、司法長官であった弟のロバートはまだ、青年将校的な純粋さがあった。オリバー・ストーン監督の映画「J・F・K」ではこの二人とキング牧師の暗殺をアメリカ南部の軍事クーデターであると分析していたことを思い出す。あのマイケル・ムーア監督じゃあなくとも、いつも起きる学校での銃撃含め、完成された「民主国家」とはほど遠い、と毒突きたくなるね。オバマの暗殺も充分にありえるのが、まさにアメリカだ。

さて、オバマです。彼は一種の天才なのだろう。彼は自分のイデオロギー(階層や階級、民族が醸成する限定的な思想)を振り回さず、「夢をもった実務家」として立ち現れた。危機に現れるカリスマの一種なのであろう。ワイマール時代に弱体化したドイツの危機に登場したのがあのヒットラーである。オバマを同列に扱う気はさらさら無いが、彼も危機にしか現れない典型的ヒーローなのだろう。彼のその天分は、就任演説できわめてはっきり現れた。選挙運動期間はアジテーターであったのにも係わらず、世界の誰もが聞き入る就任演説では、”国民へのリアルな実務的問いかけ”にすらりと変えた。現実の困難を明示し、安易な期待を拒絶し、国民一人一人の責任を問い、一緒に歩む「旅:ジャーニー」にいざなった。一見地味になったが見事と言うほか無い。 このしなやかさが、彼一流の才気だろう。

オバマは戦争よりもっともっと困難な世界の経済の破綻の再構築の責務を負っている。世界の経済の、それも単なる回復じゃあないぜ、次の時代の世界構想の提出を期待されているんだ。新しい次世代の「資本主義」を打ち出さなくてはならない。グリーン・ニューディールはそれの第一弾だ。それは、既存の資本主義のカテゴリーを越えるシステムかも知れないのである。そのくらい、通常のシステムを軽々と越える思想と戦略でなくてはならないのだ。しかも同時にビッグスリー(GMなど3社)の支援、つまり、いままでぼんやりしてきた彼らの環境技術の開発強化を含む「普通の経済回復」もやらなくちゃあならないから大変なのだ。両構えですね。

このビッグ3の救援隊は本来トヨタとか、パナソニック(三洋電機)、ホンダあたりが、一番いい。日米関係に良好だけでなく、日本の車メーカーにとって大チャンスだ。言うまでも無く日本は省エネ技術と環境技術、電池技術は圧倒的に世界一だ。電気カー、水素カー、燃料電池カーの技術をアメリカに売るべきだ。また、環境技術における世界基準を日本が一気に獲得できるいい機会といえる。世界のトヨタの社会貢献パワーを見せてほしいものだ。麻生さんが、オバマにきちんと売り込めばいいのだが、今日21日、彼は「アメリカと日本はお互いに、世界1位、2位だし、(オバマ大統領の)考え方も私と似ているようので、一緒にやれそうだ・・」みたいな信じがたい事いってる。今後日本には内需の活性化というものはありえない。不遜な言い方すれば中国も含めた市場が内需になったのだ。いまや、日本人はこれといってほしい「物」はすでにない、物欲はすでに減退しています。少しはわかってほしい、政治家諸君!

2009年1月19日月曜日

ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか

ジョージ・クルーにーは、かっこいいね。どうして僕は、彼として生まれなかったのだろう・・と悔やんじゃう。車から降りてきて、飲み終わったコーヒーの紙コップをポイッとすてるだけで絵になってる。ただそれだけで、売れなくなった車の宣伝を一手に引き受けてるのだからすごい、というか大変だ。まあ、社会派のクルーニーを使うのはホンダらしい。で、好きな女優を並べてみよう、一番最初はジャクリーヌ・ササールだ。クリスチーヌ・カウフマン、ミリー・パーキンス、ロッサナ・ポデスタ、ブリジット・バルドー(BB)、クラウディア・カルデナール(CC)、ソフィア・ローレン、ジーン・セバーグ、キム・ノバック、マリー・ラフォーレ・・このあたりは高校時代だ。大学になって、誰を一押しにしたっけなあ・・・。そうそう、憂いに満ちたモニカ・ビッティだ。アンナ・カリーナ、ダイアン・キートンとか、おば様だが、ジャンヌ・モローも大好きだった。本当の大人のセクシーさがたまらなかったね。でも、ヴァネッサ・レッドグレイブを忘れちゃあいけないね。「裸足のダンカン」「ジュリア」のね。知的美人の本物という感じでした。

高校のころ仙台二高の映画愛好会にいた。僕も会長をしていたが、僕の前の会長はやはり早稲田に行って、漫画家と映画監督になった石井隆さんだった。そのころは、まだまだガキであったようで「映画の友」や「スクリーン」の美しい写真を切り抜いては、自分の写真集を作っていたりしていた。15才〜16の青春でちょっと恥ずかし。早稲田の映画サークルで「映画評論」「映画芸術」「カイエデシネマ」「シナリオ」などの雑誌を貪る前の時期だ。東京に来てからの映画との伴走青春のあたりは、じっくり近々の日曜にでも、きちんと改めてまとめて整理したい衝動です。フェリーニや、ゴダールなどの監督編も書きたいものだ。ベトナムに関係なくすみません。今日はとりあえず、女優の名前だけ並べてみました。女優って一文字一文字名前をしたためるだけで、嬉しくなる。鮮烈な存在感が一瞬蘇るね。ほのかな薫りもスッと僕らの夢の中を通り過ぎる。


NHK「ようこそ先輩」は、有名人が自分の小学校の母校で2,3日授業をする番組だ。新藤兼人監督が嘘について6年生に授業をしていた。96歳とは思えない柔軟な発想で子供たちに真剣に対峙していた。「嘘の告白」をみんなで話し、新藤さんは「僕は嘘をつきすぎて疲れた」と言った。確かに映画は嘘と錯覚を利用して作成するものであるので、確かにそれはそうだ。また、音羽信子との不倫もそれ(嘘:苦しかった)だとナレーションが語っていた。車椅子で体は不自由そうだが、頭脳は完全に鮮明だ。凄い。
 (*2012年5月29日亡くなられた。映画の末席にした者として心より合掌いたします)

1月27日記・・いやはや大切な美女たちを忘れていました。カトリーヌ・ドヌーブとフランソワーズ・ドルレアック姉妹です。姉ドルレアックが交通事故で亡くなって、もう40年ぐらい経つのだろうか。姉妹が主演の「ロッシュフォールの恋人たち」とか、ドヌーブの名作「シェルブールの雨傘」。涙こぼれるほど、懐かしいですね。

■《ブログご高覧感謝》
ついでに僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
以下は、毎日100人以上の”人気”ページです。ぜひ、ご高覧ください。
多いのは一日1400名閲覧もあります。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

ハノイ日本アカデミー
NPO法人VCI人材戦略研究所
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2009年1月17日土曜日

14年前と40年前のテレビ画像

実は、ここから、久しぶりに書き出した。今日1月17日である。阪神大震災から14年たったようだ。思い出す。14年前の朝、いつものように僕は5時半過ぎごろに目が覚め、枕元の小型テレビを付けた。奥の深い所にある記憶では、脳裏にモノクロ色で張り付いている。低空で幾つかのヘリコプターがパタパタと音を発して、グレー色に染まった市街地を飛び回っている。この僕が見ている画面のカメラもその一つなのだろう。取材者が「ナントカ・・の高速道路がタオレテイルヨウデス」と言葉にならない音声を張り上げた。予想もしない事件を目撃したときの悲鳴に近い。
よく目をこらすと、爆撃の跡の破壊された都市の様な画像のあちらこちらから、火が噴き出し煙も数多く上がっていることに気付く。この戦場は何処なのか。その言葉が体内で完結しないうちに神戸らしいと解った。神戸だ。日本の神戸だ。それが、いまそこに何が起きたのか。この風景はなんなんだ?大地震と気づくまでに30秒は要したと思う。動転したのだ、画像を見てるだけで。急いで寝床を跳ね上げ大声を出しながら、階下のダイニングに急ぐと、既に妻がテレビを凝視つつ、朝餉の用意をしていた。大変なことになったね。神戸だけらしい。数千人が亡くなったんじゃあないかしら・・。その後の記憶は僕に一切無い。

妻や、高校生と中学生であった子供たちと何を話して食事をし、勤めに出たのだろうか。身近な東京大地震とか、東海地震などを想像して、子供たちに何かを言ったのだろうか。悲惨さを憂い、鎮魂の心について、語り合ったのだろうか。おそらく9時過ぎには青山の仕事場で、ニュースとしての神戸の震災を画面を介して遠くから僕は眺めていたのだろうと思う。当事者に成れない想像力。「想像力が人間の特権だ。想像力が革命を生む」などと、ほざいていた自分を恥ずかしく思い出す。”現場に行こう”ともせず、神戸はあくまでニュースであり、バブル崩壊直後の東京の忙しさという怪物の陰に隠れ、大震災すらも、僕はニュースとして消費していたのだ。居ても立ってもいられなくて、たくさんの心ある人たちが現地入りした。作家の田中康夫さんもその中の一人だ。1年後、感銘を受けた僕はユニークな活動をしていた田中さんを招いて、当社主催で「企業の社会貢献活動と神戸」のセミナーを青山で開催した。田中さんとの付き合いの始まりだ。

今朝、NHKで「東大安田講堂落城から40年」とかいうドキュメントを偶然途中から見た。当時の記録フィルムと、10年後(1979年)のドキュメンタリーと現在をモンタージュした「あの人は今」風な番組である。 民放と違って、映像アーカイブの量が膨大なので、資料としてはそれなりに評価出来る番組であった。であるが、当時数100万人を越える大学生や高校生そして市民、一部の若い労働者たちがベトナム戦争反対や、大学の解体をも含む大学闘争に何故闘ったのか、そして何を失ったのか・・など、この番組はまったくそこを深く掘り下げない。掘り下げることに関心が無いようにも見える。

たまたま、同日夜には日比谷公園にできた「派遣村」の記録番組もみた。 困難を越えようとする献身的ボランティアの人々が画面に描かれインタビューに答える。解雇され苦痛の境遇の人々が話す。ただ、これも朝の番組同様に事象や人間に迫る姿勢がない。おそらく、ドキュメンタリーなのではないのだろう。みのもんたの「朝ズバ!」の”ほっておけないシリーズ”みたいなものと思うべきなんだ。ドキュメンタリーでなく、情報番組ということだろう。だから、かの朝の番組の中では、部分的に使用されている「新日本紀行」か何かの東大闘争10年後の映像の方が溌剌としており表現者の意思が画像にくっきり表出されていた。NHKの姿勢の変容は今更言っても仕方ないが、気を吐く演出家の不在はやっぱり情けない。かつてNHKには、矢沢永吉の”キャロル”のドキュメンタリーを作ってNHKを解雇され戦っていた龍村仁さんらもいたんだ。

ところで民放の番組の無残さはなんなんだろうと思う。お笑い芸人(最近はお笑いを書かず”芸人”とだけ言っている。冗談じゃあないよ)がいないと番組ができないのか。最悪だよ最近。”車の時代”といわれるものが終焉したと皆が気づかされたのは去年だが、テレビの時代が終わったと皆が自覚してから、既に10年は経つ。このままだと、「地デジ」になる2年後にはまともなコンテンツほとん期待できない。おそらく、副次的であるはずのパソコン的使い方だけが主軸になり、いままでのメディアとしての「テレビ」的テレビは60年の幕を下ろすことになるだろう。すでに民放ではテレ朝「タモリクラブ」以外見るものないでしょう・・?

いま、NHKの深夜アメリカ連ドラの「アグリーベティー」を見ながらこれを書いている。毎週結構おもろい。実は去年12月にハノイの妻の家でテレビでドラマを見ていたら、それがベトナムが作ったベトナム版「アグリーベティー」だと彼女がいう。確かに良く見ているとシチュエーションはまったく同じだと気づく。彼女の言だと、これはパクリじゃなくストーリーをアメリカから買ったものらしい。大分昔、ぼくらが子供のころ「名犬ラッシー」「パパ大好き」「シャープさんフラットさん」「奥様は魔女」などのホームドラマまた、一連の西部劇「ララミー牧場」「名犬リンチンチン」「ライフルマン」「ローハイド」また、「サーフサイド6」「ルート66」などのハンサムアクション物などのわくわくするテレビドラマが毎日各局でゴールデン時間帯に湯水のように放映されていた。もちろん白黒だよ。ぼくらは、そのアメリカ文化の洪水の中でアメリカに憧れそして大人になった。

調べると、当時日本のテレビ各局は、これらのハリウッド製テレビ作品をただ同然で譲り受けていたようだ。同じことが毎日ベトナムでもディズニーチャンネルなどが朝から晩までアメリカの豊かな生活と思考を垂れ流している。アメリカの文化イデオロギー施策の巧妙さはこの60年一貫しているのだ。おそらくアジアだけでなく世界中で同様なのだろう。ところで、覇権を目指さない日本も積極的に輸出すべき文化・思想もたくさんあるはずだ。マンガやゲームなどのサブカルだけでなく、たとえば「もったいない」とか「ものづくり」の思想があるね。今こそ大切な時代だと思う。であれば、ODA支援の中身の大転換が至急必要だよね。橋や道路の寄贈だけでは、敬意や理解は得られない。