2011年5月30日月曜日

梅原猛先生が「文明災」について語った。

梅原猛・哲学者――原発事故は「文明災」、復興を通じて新文明を築き世界の模範に
*梅原先生のお言葉があまりにも素晴らしいので、「東洋経済」さんには勝手で申し訳ないが、是非多くの方に読んでいただきたいので、以下全文「コピー」させていただきました。この責任は阿部正行にあります。 
11月5日、当「ハノイ日本アカデミー」の授業にて、この先生の「文明災」を使わせていただきました。
・・・・・・
30年来、原子力発電の危険性を説き、反対を主張し続けてきた哲学者、梅原猛氏。今回の福島第一原発の事故をきっかけに、原発に頼らない新しい国をつくり、世界の模範となるべき――震災の被災地でもある仙台に生まれた梅原氏は、日本人の道徳心の高さに希望を感じつつ、これからの国づくりの方向性を語った。
※ ※ ※
今回の東日本大震災で、被災した方々の道徳心の高さ、生きていることを喜んで、互いに助け合って生きている姿を知り、日本の将来に希望を感じている。
ここ数年、一部の日本人の道徳心が堕落したことにより、動機のはっきりしない凶悪犯罪も起きていた。しかし、ほとんどの人々は、非常にしっかりとした道徳心を持っている。

仏教の徳が、日本の人々の心のどこかでいきづいているように思う。たとえば、思うようにならない天災を、「仕方がない」と受け入れ、逆に前向きに生きていこうとする。こうした姿勢は、大乗仏教の忍辱(にんにく)、つまり、精神的な屈辱や苦難に耐え、自分の道を貫くという考えからきている。日本のようなモンスーン地域では、しょっちゅう天災がある。このような地域で、自然とともに生きていくための知恵だ。一種のあきらめの精神ではあるが、日本の優れた文化でもある。

・道徳心を失った政治家、企業の罪
このように一般の人々の道徳心が高い一方で、政治家、実業家、学者、芸術家などの多くが、道徳心を失っている。特に政治家は、金銭欲、権力欲にとらわれ、私的利益ばかり追っている。

また、スリーマイル島やチェルノブイリの反省も生かさず、今回福島でも事故を起こした原子力発電を推進している東京電力は、優良企業と呼ばれてきた。しかし、これはどこか間違っていたのではないか。
福島原発の事故の後に行われたドイツの州議会選挙では、反原発を掲げる緑の党が躍進した。今や、原発は日本だけでなく、世界の問題となっている。原発をやめさせようとする世界的な流れが起こっているのだ。とはいえ、原発を廃止するのもおカネがかかる。廃棄物処理の問題も残ったままだ。人間は、本当にやっかいなものをつくってしまった。

・太陽エネルギー推進と生活の改善が大切
今回の事故は、あらためて近代文明の是非を問い直し、新しい文明を作るきっかけにもなるのではないか。まずは日本が率先して原発のない国を作り、それを世界に広げていくべきだと思う。

・そのためにやるべきことは二つ。
まず、代替のエネルギーとして、太陽光エネルギーの研究をすすめるべきだ。これまで、原発を推進する研究に莫大な研究費を投じてきた。その研究費を、太陽光エネルギーに投入する。日本企業も京セラなどはこれまでも取り組んできたが、それ以外の企業も本気で取り組むべきだろう。

もう一つは、過剰なエネルギーを浪費するような生活から脱却すること。今原発が賄っている電力は全体の3割程度。太陽エネルギーによる代替とともに、一人ひとりが生活を改めることが重要だ。

スリーマイル島の時も、チェルノブイリの時も、国や東京電力は、日本の原発は絶対に安全だと言い続けてきた。しかし、日本の原発だけが安全などということはあるわけがない。今回の事故で、それが明らかになった。今こそ原発から脱却する新しい国をつくらなければ、必ずまた同じような事故が起こる。

・福島第一原発の事故は「文明災」でもある

原発の事故は、近代文明の悪をあぶりだした。これは天災であり、人災であり、「文明災」でもある。
今回の震災について、石原慎太郎さんが「天罰」という発言をされたが、何の罪もない一般の人々が被害にあわれたこの災害に対して、「天罰」という表現は間違っている。もし「天罰」があるとすれば、それは道徳心を失った政治家、実業家に対して下らねばならない。

今も原発の現場では、自らの身の危険を顧みずに復旧作業にあたっている作業員の方もいらっしゃる。日本人には、本当に立派な人がいると感じる。こういう心を皆が持って、新しい国づくりをしていかなくてはいけない。そして、新しい日本が模範となれば、世界をも変えていけるのではないか。今こそ、経済力だけでなく、新しい価値観で世界に範を垂れる国をつくるときだ。

* 梅原先生、東洋経済さん、ありがとうございました。

うめはら・たけし
1925年、宮城県仙台生まれ。京都大学文学部哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化センター所長などを歴任。『隠された十字架 法隆寺論』(毎日出版文化賞)、『水底の歌』(大佛次郎賞)など著書多数。近著に五木寛之氏との共著『仏の発見』(平凡社刊)など。


《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。

・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2011年5月25日水曜日

★ 街が明るくなってきた / ★ 海外進出企業が国内雇用を守っている現実

《海外進出企業が国内雇用を守っている現実》は、下方に記述。
■ 最近街が明るくなってきた。言っておくけれど「気分」が明るくなってきたと言うことじゃあないよ。今回僕は5月4日~26日まで日本にいた。珍しく三週間超もいたことになる。その三週間で街の照明の印象は大分変化したように思う。4月5月当初は各家庭や工場、店舗などもまじめに15~25%も節電しようと「みんなで渡れば怖くない」方式で、だいぶ節電頑張ったよね。僕もけっこうこまめに気を遣った。だから、駅とか近所の西友ストアなどは、「本日お休みですか?」と聞かないといけないくらいの照度にさえしていた。全国民がこぞって粘り強くがんばり、落とした。でも、目が慣れたのかしら?いま、ちょっと照度が上がった?

今月20日前後から、みんなで頑張ることに飽きたのかな。飽きやすいからね日本人。かつてのように煌々と隅々まで照らして、まるで暗闇はあってはいけないモノノケのように、暴力的に闇を蹴散らしてきた異常な照度環境であった3月11日以前に比べれば、もちろん暗いさ。でも、商業施設は何時も何時も競争に曝されている。夏に飛ぶ虫の様に僕らは、何と言っても明るい所に吸い寄せられるよね。そう言うわけで、飽きたと言うことより、差し迫ったお客の誘導という仕事の癖で、商業施設から、じりじりと明るくなって行きそうな予感。実際、5月後半から点灯したランプの総数はかなり、増えてきたはずだ。ま、節電はライトだけじゃあないけれどね。

ていうか~。だんだんバレてきたのだが、「原発必要論」だ。全国的に電力会社が火力や水力の稼働率をいままで30%〜40%あたりにしていたし、電気を過剰に「オール電化」で垂れ流してきたので、原発が必要になるように演出していたに過ぎなかったということが、次第にぼんくらな僕らにも解ってきた。CO2の削減という2000年以降の「クリーンな空気」とかいう理由は実は後付けの論理で、「原発はクリーンです」と原発派が飛びついただけなのさ。京大あたりの脱原発の「原子力」専門家や電力事情の詳しい専門家の情報では、10年程度のタームでじっくり原発を減らしてゆけば、産業界への悪影響も、我々の生活への影響のほとんど無くスムーズに原発への依存度を低下させていけるようだ。

もちろん、ソーラーや地熱などの再生可能な自然エネルギー分野への国家的開発及び利用の強力推進とか、僕らの生活を質実剛健で簡素なスタイルをめざした場合ですがね。「僕らの電気バブル」な生活を見直して、新しい価値観を模索すれば、もともと「つなぎのエネルギー」であった原子力は、そろそろ退場してもらって良いの季節なのだ。誰でも知っている知識だが、原子力の基本になるウランは、石油と同時期の70年後に、地球上から枯渇する。地球上に無くなるのさ。プルサーマルという苦肉の策的「永久生産」運動も実のところはせいぜい7~8年程度しか延命出来ないと言われている。その7年に100億円以上使ってる僕らニッポン国民。善良でお人好しの僕らの社会。

ついでに・・・
原発事故の記事で、最もきちんと良い記事を書いているのは、東京新聞らしい。僕は読んだことがほとんど無いので、周囲から教えてもらったのだ。理由はちょっと考えてみれば解る。前に書いたことだが、日本で一番に広告・広報費を使っているのはトヨタだ。年700億円。二位は花王の500億円だ、でも東電は広告・広報、マスコミ対策費で、毎年2000億円支払っている。あの世界のトヨタの三倍近くなのですよ。読売、朝日、毎日、日経と各テレビキー局の営業部にとって、東電は「お客様は神様です」の最重要の「数百億円」ぼた餅クライアントなのさ。だから、どうも、常日頃、ほとんどおこぼれをいただいていない地方新聞東京新聞は断固として、戦えるのさ。ほとんど、銭をもらっていないんだもの。腐れ縁が無い分だけ、健全に戦っているらしいのだ。頑張れ、東京新聞。

読売のオーナーの正力が1950年初頭にアメリカから誘われて持ち込んできたのが、原発ビジネスだ。今までの「軍産協同」に代わる「産官政」の戦後の新セットメニューであったのさ。だから、今回もナベツネ(正力とは、ちょっと違う)が、若い頃の反逆精神発揮しないと、読売は最後まで原発を死守するのかな。片や「毎日新聞」は、1970年代に一度倒産した貧乏新聞社で、創価学会の印刷物を一手に引き受けているので、命脈がぎりぎり続いている新聞社だ。有名な事実さ。多分、今回脱原発に踏み切れない中途半端な「毎日」の論調は、経営資金の足らない分を原発関連費用で賄っていたのかも。そう勘ぐられても仕方ないね。

よく、構図を眺めれば、簡単なことさ。原発を欲したのは、国民じゃあないのさ。強欲な一部の「産官政」の連中なのだ。税金を湯水のように使って建設現地を買収し御殿の様な市役所や公民館こさえ健全な市民的自治を後退させてきた。さらに世界一高い電気料金を集めてマスコミを把握しきってきた。いつの間にか日本じゃ、原発は、天皇制や同和に次ぐ、タブーとなってしまったのだ。唐突だが、JFK大統領はアメリカのタブーであった軍産一体体制をつぶそうとして、暗殺された。我がニッポンには、幸いリーダーが不在な分その様な事件は起きにくいね(笑い)。でも、その様な国家の体制と体質が変わっていく時代において、今までタブーで見えなかった”階級的衝突”とでも言うべき巨大なうねりを福島の事件は図らずも生起させてしまったのだ。だから、原発問題は21世紀の日本人の矜恃のあり方をひとり一人に突きつけていると言って良い。

■ 最近の僕の読書は、どうもリズムがないというか、意欲的な目で文字を追う飢餓感もなく現在の僕の精神的な現状を現しているようだ。大佛次郎の「天皇の世紀 全十二巻」の第五巻からまだ抜け出ていない。はっきり言うとこの一ヶ月これをほとんど紐解いていないのさ。まあ、体調を整えているって感じかな。いま、手元に置いて、少しずつおもろいかどうかの感触を探ってるのが、・・・・日本の天才の一人赤瀬川源平先生の「東京随筆」、中公新書「消費するアジア」。腰巻きに「国別のGDPはもはや指標ではない」と僕好みのキャッチが大文字で書かれてあったので初めての著者だが買ってみた。はい、更に現在、内田樹さんと共に信じられる論客の一人池田清彦先生の「進化論を書き換える」と大胆なタイトルの本、先生らしい。目次とか後書きとかちょっとぺらぺら探っただけでもドキドキするね。

五木寛之・梅原猛の「仏の発見」もよさそうだ。日本を代表する知性の梅原さんの老境の中で紡ぐ言葉を味わいたいものです。まだ、イントロ触れただけで読み始めていない。僕らの10年先輩で60年安保の全学連幹部(東大の社学同)で現在保守の論客の西部邁(すすむ)さんと佐高信さんの対談で朝日ニュースターTVの番組「学問のすすめ」を採録した安直本「難局の思想」。田中角栄から三島、親鸞、マイケル・サンデルまで論じたもの。まあ、ちょう軽い流し読みにちょうどいいもの。女房が生きていたら確実に「そんなくだらない本、何処が面白いの」と一喝だね。「マルコムX自伝 全二巻」は、最高な興奮モノ。先々週一気に読めた。いまは、亀山郁夫翻訳ドストエフスキーの「悪霊 全三巻」の第二巻を読んでいる。1969年、20才になったばかりで塀の内側で読んだ印象とは、時代も翻訳者もなにもかも違っているので、同じ著作物と思えないね。僕が読んだのは米川訳か江川訳か思い出せない。黒と赤のややどぎつい装丁で、版の少し大きめのモノであったような記憶なのだが。

■ 24日NHKの19時半からの「クローズアップ現代」見ていて、「そうだろう。そうなんだぜ。本当にさあ」と独りごちっぱなし。それも大声でね。僕の大好きな国谷裕子さんが僕のほしかったボードを画面に出してくれたのだ。そのデータのタイトルには、こう書いてあった。「海外に進出した中小企業の方が国内の雇用が増える」なんとまあ、言い得て妙の棒グラフのタイトルだこと。中小企業庁が実施した2000年から2007年までの調査「中小企業白書」に基づいているから、まんざら良い加減なモノでは無かろう。”意外です”が、海外に進出することは、社内に新しい事業モデルと社風を作り上げることになり、実は社内を活性化することに繋がるというのが、このデータなのさ。海外進出は、多面的な波及効果が在ると言うことなんだろうね。工場現場でもオフィスでもね。

しかし、巷(ちまた)では「安易に海外に進出すべきではない。日本から工場と技術が無くなってしまう。雇用は大幅に落ち込み空洞化して、悲惨な経済環境となる」こう言われているようだ。実際、僕も地方周りすると、そう宣う中小企業の社長や自治体の職員にたまに出くわす。既成概念ではそう思いがちなのだが、実際には先の「中小企業白書」のように結果は反対なのだ。進出の優良企業の先達のお話を良く聞こう。実際は「思い切って海外に進出したり、外国人を雇用することは、次の何かを国内(社内)で育む」と言うことなのである。

この回の「クローズアップ現代」のテーマはその意義あるデータのお披露目ということではない。ベトナムで自家用車を開発生産始めているベトナム大手機械企業「ビナスキ」社に応援で技術を提供している日本企業、金型専門企業の「ナガラ」という会社のあり方についての番組である。このナガラは、現在日本の本社工場の有力ベテランを5名を毎月(ナレーションでは、毎月と明言しなかったが)1名50万円のギャラで貸している。ベトナムにとっては大変な高額の投資だが、ナガラにとっても、ベテランを5名も取られるのは大きな負担だろう。

ナガラの社長が「若いベトナムの技術者はみんな熱心だし、教えを強く求められている所に、当方も正面から応えることは、久しぶりの充実感がある」。そして派遣されているベテランも、大体同じ心境のようで「初のベトナム国産車開発を支援するやり甲斐」で満たされている。ベトナムの初めての自動車産業を日本人が支える。まさに、メイド・イン・ジャパンでなく「Made by japanese」なのである。そう言う時代認識が必要なのではないか。番組に出演していた立教大学の山口という先生は言っていた。「現地で求められるモノが次第に変わりつつある。」と。つまり、相手国を豊かにするためのものが、求められつつあるのだ。答は実はそう難しくはない。それは何か。

ブログのこの前項の「復興に必要な8000万人サイズの国づくり発想」でも、少し触れているが、3月13日の「Made by JAPANESEの時代認識へ」でかなり展開した。僕は日本国の将来で工業に関してはモデル工場や必要な生産拠点以外は海外に移転し、日本人が培って持っている高度知識、それも産業教育や職業訓練(モビケーション)を世界から一手に引きうける仕事に特化すべきである、と考えている。資源が無い国といわれていた日本は実は「高度知識」の世界一の資源国であった。レアメタルでなくレアな「高い知識」が集積している東の辺境国であったのさ。人類が誕生して以降、人類の持つ文化と文明は東に移動して、東の突端の日本で重なり合って集積してきた。

その中でいま、極めて世界の人々にお返しできるのは、狭い範囲でいえば、産業技術であり、それを教育するノウハウだ。実は、日本の「成長産業」は、ここらあたりに求めざるをえない環境になりつつある。2050年ごろ我が国は8000万人台のサイズダウンした大きさになる。産業人口も5000万人台に。今は青年3人で老人一人をささえているが、その頃は青年が一人で老人一人を支える時代なのだ。その流れに沿って考えれば、雇用の空洞化どころか働いてくれる若い日本人が激減しているのである。企業も雇用も再編されていく時期に入っていく。規模は小さいがレベルの高い「ピリリと辛い小粒な山椒」のような新しい国づくりさ。明治元年は日本の人口は何と3500万人に過ぎない。太平洋戦争突入時でさえ、6000万人であったニッポン。再構築可能な「事態」さ。

その際必要なことは、必要不可欠な工場以外はアジア・アフリカ・東欧・中南米などに進出してゆき、現地の国民と互恵的にもの作りを発揮することだろう。ここで必要なことは、技術の大胆な開示・技術の遷移である。技術は、防衛できるモノではない。日本は漢字・仏教・稲作・製鉄も含めて”特許権”なしで、無料でいただいてきた(笑い)。文化や技術の遷移は、歴史的現実だね。3万年ぐらいの長い人類史のなかで温故知新で思考しよう。僕らは「教えること。伝えること。交流すること」で稼ぐ方策と戦略を編み出す事が求められつつある、そう言う時代の予感。そういう時代に入りつつある事をじっくり認識する必要があるのだと、考える。

さあ、「高度知識」の産業教育、(身の丈に相応しい精度の高い)工業分野、観光、農業、コンテンツ、工芸・芸術、サービスで喰っていくニッポン。結構いいんじゃあないかい。その頃は今ある原発は、自然的に廃炉になっているでしょう。反比例して再生可能な自然エネルギーは30〜40%になるだろう。というか、エネルギーを過度に消費しないですむコンパクトでシステマチックな時代をそのころは迎えているだろうね。高度知識を歴史的に集積して来た日本人です、まあ楽観的に期待しようじゃあないの。

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2011年5月15日日曜日

復興に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想《要約》

《要約》「ダウンサイズ時代の国づくり」
1■2,3日前に自動車のスズキの鈴木会長は流石の会見をした。管首相の浜岡原発の停止について、産業界ではほぼ唯一、賛意を強く示した。あの御大は昔から大好きだ。本当に脳裏がクリアな経営者だと思う。去年の1月にも僕の敬意をこのブログに書いているので読んでほしい。僕らはこの2ヶ月間に、電気の過剰な使い方に自省し始めている。デパートもスーパーも駅もちょっとぐらい暗くてもいいさ、と思い始めている。普通の人間でも前からコンビニの煌々とした過剰照度は、異様に感じていたよね。

2■2050年には日本の人口は8000万人台となる。太平洋戦争に突入時、日本の人口は6000万人に過ぎなかった。ついでに、幕末は3500万人に過ぎない。現在は若者3人で老人一人を養う構造であるが、今から40年後は若者がたった一人で、老人一人を支えなければならない社会となる。生産人口はせいぜい5000万人ぐらいのようなサイズになるのだ。サイズは「自然現象」で小さくなるが、機能的で上質な社会をめざす方向を選択したい。

3■東電やソニー(情報漏洩)に於ける日本の組織や技術の劣化の現実を露呈させた。実は、もの作りの現場も、既に空洞化現象が始まっている。「食」の現場では「焼き肉」だけでなく、プロの技術が激減し荒廃して久しい。公共の見直しと公共政策の確立、さらに「太平洋戦争の敗北の研究」の重要性が増してくる。特に津波に関する温故知新を忘れ目先の利潤に振り回されている「科学と技術」の軽佻浮薄。

4■日本は世界に冠たる「資源国」であった。石油など化石燃料の資源はほとんど無かったけれど、高度知識の最たる資源国であったのだ。文化・文明の集積しやすい極東の辺境にある故だ。日本の主たる産業は教育・コンテンツ・観光・農業に収斂する予感が見えてきた。工業はメイド・イン・ジャパンでなく「Made by JAPANESE」の時代認識で、世界を内需に止揚する。世界の開発途上国の「裾野産業」構築を産業教育や職業訓練(モビケーション)の分野で協力する役目は日本の独壇場である。5月24日クローズアップ現代「アジアの工場の先生になる:先生ビジネス」を放映。まさにそれなんだ。

5■ウランは石油と同時期の70年後に枯渇する。プルサーマルは、それを7年延期するに過ぎないこともはっきりした。日本の原発は、新規建設をしなければ、2050年までにゼロとなる。原子力は、安価でない上に、クリーンでもないをはっきりさせた。さらには、原発が無くとも、「ちっとも困らない」充足環境であることも解ってきた(みんなの節電が期待できればね)。また、多様で本格的な再生可能エネルギー開発(登場)までの、単なる「つなぎのエネルギー」であることが明白となった。

6■原発は、日本のかつての軍部関係者ら(読売の正力・中曽根)が持ち込んだ「軍需」に代わるあたらしい形の「軍産官」利権体制であった。系列が違うが田中角栄がそれに加わり、現在までに「地域独占体制」を軸に産業界・政界・官僚の圧倒的な巨大利権構造を構築することになってしまった。そしてマスコミも抱き込んだタブーを生んできた。広告費の日本一は、トヨタの年間700億円だ。第二位は、花王の500億円である。が、東電だけで広告・広報費を毎年マスコミに2000億円を払っていることが暴露された。さらに、原発立地の地方への莫大な原発交付金は、本当の豊かさを生起できず、むしろ地方の自立的自治を放漫にしてきてしまった。

7■《雑情報》アメリカの無人偵察機グローバルホークからの重大情報の秘匿が、近々暴露された場合、本当のパニックになる。福島は数十年立ち居得れない事態が予想される。更に、広島・長崎で原子力被害者であった日本が世界への「加害者」になってしまったのである。コントロールできない巨大科学についての考察が少なすぎる。事故後原発構内の放射能が大きい場合、誰が修理するのか。全員下請けの元農民の特攻隊が日当5万円〜日当40万円で何とか作業できている現実。東電の社員労働組合には社員を事故時に現場に行かせない労使協定あり。原発がテロリズムの最大のターゲットになってしまっていることもはっきりした。
     ** 近日に上記全部をひっくるめた長文「ダウンサイズ時代の国づくり」執筆予定。

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2011年5月12日木曜日

ベトナム人と計画性

またまた、面倒で生原稿を持ってきた。仮題「めざせ、サムライ!日本語SAMURAI」の原稿さ。現在ベトナム語に翻訳中。
第三章四項の2 「計画はきらいですか?」
18年もベトナムのいろいろな階層の人々つきあっている。総じて言えることは、「計画」というものに関心が無い人が多い。計画が苦手というより、計画というものは大して意味がないと思っているようにも見えるね。確かにいろいろな客体的な要素で成立させた計画は、自分に関係ない客観的状況によって、どんどん変化する。変化すれば、計画も変更をしいられる。だから、あまり計画にこだわりたくないと思うのであろう。それはわからないでもない。

君らと反対に日本人は計画が大好きなのだ。何をするにもすぐ、計画を作り始める。正確に言うと「計画書」作りが好きなのだ。
一般的に僕らの言う計画は「1:期間、2:費用、3:事業の内容の詰め」 という3点だ。この3点がどうなるのかを現在の時点で論理的に想像し構築するのが計画というものだろう。とくに3は、事業の内容を構成している客観的な要素が多い。わかりやすく言うと、他人や他社と絡んでいるわけだから、自分ではどうしようもないことが、突然起きることも多い。そこが変更になれば、当然1が変わる、普通は期間が延びてしまう。そうすれば、2も、大きく変わってくる。そんなことは、百も承知だけれど、日本人は会社や、役所の中で予算を確保するために、時によっては「形式的に」事業計画を作る場合さえ在るのだ。計画書は、心の安心材料と言っても良いかもしれない。

それに比べて、ベトナム人は一般的に、そのような変化があるから、特に計画書を熱心に作ることは意味ないんじゃあないかと考えているように、日本人の目には映っている。だから、積極的に計画「書」は作らない人がおおいね。

ここは比較文化論のページじゃあないので、話を戻す。この「日本語を学習する計画」の場合の3は、他人とか客観的な要素がほとんど無いと言っていいだろう。問題は、自分だよ。自分が決意して進めていくだけの計画書なのだ。自分の意志が弱くなければ、ほとんど変更はない。だから、この1年間の計画を立案することは意味があるし、十分に可能だと言うことさ。計画書は実は自分の決意の書なのだ。

第三章四項の3 「目標」をたてることから
計画作成の第一は、自分の目標を立てることだ。
第二に、期間を決める。ここでは、1年間が良いだろう。
第三に2ヶ月とか3ヶ月とかのSEGMENTに分ける。三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプと同じだ。階段を作って上がっていくといっても良い。ここでは3ヶ月ずつにSEGMENT(分ける)して、1年間を4段階に分けて、それぞれに主力の学習テーマと、短期(年を4つに分けた3ヶ月分の))の目標を設ける。そして、その分けられた4ステップの短期目標と成果を比較して、評価をすることが重要で、基準を満たしていないものを次のステップで、どのように扱うか。ここが肝心である。
断っておくがこの計画は、自分の自習用である。日本語学校を選択する際にその学校の計画のあり方をチェックする時にも使えるぜ。
当校は、こういうセグメント方式をとっている。

上記の4つのステップのそれぞれの中身は、たくさんのアイディアや、成果の上がった方法があるが、ここでは、割愛しておこう。当校スタッフがあんまり開示してはいけません!!とうるさいからね(笑い)。教科書の選択だけは記しておこう。「みんなの日本語 初級1・2」「中級に行こう」「みんなの日本語中級」は、間違いなく良い教科書である。もちろん、他にも良い物は数多い。 《了》

2011年5月10日火曜日

ベトナム好き多いんだ、ニッポン!

またまた、『めざせ、サムライ。日本語SAMURAI!』の生原稿から持ってきた。今秋の出版時は全部ベトナム語になるよ。
第一章9項「 何故か、日本人はベトナムが大好きなのだ。本当だよ!」

韓国人への差別意識は、日本に隠然とあった。侵略者である軍国日本が作り出した風唱というかマハトの一つだ。でも、近年になりハンサムな韓国男優や美しい女優の活躍とかアイドルの連日の来日とか、サッカーのワールドカップ大会を日韓で共同開催したころから、若い人を中心に大分その差別意識は薄れた。現在はほとんど無くなったと言って良いかな。中国には、最近の経済の勢いもあるので、日本の側のやっかみも在るし、嫌悪(けんお)現象は、当面双方に続くだろう。黄砂に含まれる放射能物質問題など再燃する懸案も数多い。残念だがね。それと反対に日本人はベトナム人とか、ベトナム国に好意を持っている人が多い。実は僕、嫌いだという日本人に会ったことがないのだ。理由を整理しながら解き明かそう。今後付き合いがどんどん広く深くなる両国にとって、とても重要な事だ。
時間軸に沿って書いてみた。

1 やはりベトナム戦争(対アメリカ戦争)の悲惨さが挙げられる。これは、たいていの人の一致した見方だ。当時の日本人の多くは「アメリカはひどい。小さな国のベトナム人民はかわいそうだ。ベトナム、がんばれ」と考えていた。日本ではアメリカ大使館や、防衛庁、自民党本部に突入して、ベトナム戦争反対を意思表示した我々など大学生・青年労働者中心の戦闘的なグループは当時100万人ぐらいいた。その数は、全国の良心的で、反戦的な感情をもった広範な人々の一部に過ぎなかったのだが、実に多くの市民がベトナム人にシンパシーを感じていた。そして対アメリカ戦争後、“世界の帝国アメリカに唯一勝った国”として、その民族のがんばりと優秀性は、世界の人々に感銘を与えた。ベトナム戦争の最後の日、南ベトナムのサイゴンの大統領官邸に解放戦線と北ベトナム軍の戦車が突入し、ベランダから勇敢な兵士たちが解放戦線旗や北ベトナム旗を振っているニュース画面に引きつけられ、日本人の多くが涙して喜んだ。本当に多くの日本人が嬉しくて泣いたり、拍手したんだよ。静かに感動をかみしめていた人も実は多い。もちろん、反戦運動を激烈に戦っていた僕の目からも熱い涙が、止めどなく流れたのを覚えている。1975年4月30日のことであったね。

2 ベトナム戦争が終わった後も、インドシナ地域からのボートピープルで日本に流れ着いた人もたくさんいて、どの様なことが在ったのかは知らないが、日本人は心を痛めて、同情していた。
3 1980年代後半からのドイモイ政策がかなり日本でも話題になり、国家としての新しいあり方の評価が高まった。
4 1990年代初頭からの日本企業の投資やビジネスの本格開始、観光旅行などを通じて、ベトナム人は戦争に勝利する精神力だけでなく、誠実で、日本などとも共通する「東アジア的価値観」があり、さらに器用な民族であることが日本のマスコミでどんどん、知られることとなった。僕はPRやマーケティングが専門のプロデューサーであったので、1990年代当時の観光総局、外務省、投資計画省、交通運輸省、情報文化省の幹部との色々の多様な会議に基づいて、日本の新聞やテレビ(当時インターネットは、まだ始まったばかり)、雑誌を通じてベトナムの文化や現状を一生懸命に日本の国民に送り出す仕事をしていた事を感慨深く思い出す。我田引水(がでんいんすい)で言わせてもらうが、効果というか、成果はかなり在ったと思うぜ!

5 2000年代には、日本の大都市には、ベトナム料理レストランがあちこちにでき、若い女性だけでなく、ベトナムツアーには中高年の方たちも大量に増えた。企業や、農漁業関係の視察も増加した。それに従って、世論としてベトナム「ファン」が大量に発生した。2006年安倍首相の時代には「日越パートナー宣言」という友好条約も結んでいる。そして、2010年5月の、日本の新幹線や原発、水処理plantを日本政府がベトナム政府へ営業している今日まで続いているのだ。

6 大切な情報なので加えておくが、ベトナムが他国に比べて有利なことは実はこれだけではないのだ。実は日本のマスコミのジャーナリストにベトナムフアンが圧倒的に存在しているという事実だ。昔から日本と関係が深いタイやマンミャーのニュースはいつも、どうも最近は政治的混乱と軍事政権の横暴の情報ばかりだ。インドネシアやフィリピンのニュースは、日本に来て、がんばっている看護士さんたちのニュースばっかりで、政治も良いニュースがないね。それに比べて、朝日新聞(リベラル系:毎日800万部発行)、毎日新聞(中道・リベラル系:毎日400万部発行)、読売新聞(保守系:毎日1000万部発行)、日経新聞(中道系:毎日350万部発行)、産経新聞(民族派系:毎日200万部発行)などの新聞やテレビの報道分野の人々のとくに中堅やベテランのジャーナリストがベトナムのファンなのだ。ニュースの量が他のアジア諸国と違う(小さな事でもニュースをセレクトして掲載してくれる)、ニュースの扱いが好意的(ここが肝心)だと言い切って良い。

理由は実はハッキリしている。彼らが、中学校、高校、大学生の時に、ベトナム戦争(対アメリカ戦争)があり、青年として、少年少女として心を痛め、なんとか、ベトナムに勝ってもらいたい、戦後もぜひ、民族自決でがんばってもらいたいという、そのような暖かい心がある人たちが、ジャーナリストになることが多いし、さらにまた、実際に反戦運動を担った若者が大学を卒業して、ジャーナリストになった例が多いからだ。僕の周辺や先輩後輩には実に多い。もし、調査できれば、よりハッキリするだろう。考え方の右翼左翼に拘わらず、このマスコミ界にベトナム好きな人が多いというのが、他のアジア諸国には無いベトナムにとって最大の「武器」だろうと思われる。日本で有名な作家であり、東京の都知事である石原慎太郎は、いわば「反中国派」の急先鋒なのだが、大のベトナム好きでも有名なのさ。彼は「僕を作家として育ててくれたのはベトナムだ」とかつて産経新聞などに書いていた。だからだと思うのだが、都庁には、ベトナムとの友好の促進事業が割と多い。知っていたかい? (了)

2011年5月9日月曜日

フツーの人が優れている我がニッポン!

またまた、「めざせ、サムライ!日本語SAMURAI」(仮題)の生原稿から引っ張ってきた。翻訳も大分進捗。今秋は、ベトナムの主要都市の書店の店頭に並ぶ予定。*3月11日以降の事態・現象を加筆予定。
■第二章六項 「日本の学力と教育システム。日本は”フツーの人”がすごいのだ。」  
2010年6月、新政府の「成長戦略」が提案された。主な骨格は「人材の育成」だ。朝日新聞や毎日新聞などリベラル派の新聞からは良い評価があったようだ。でも、中身はもう一つ冴えない。さて、教育は日本のお家芸(おいえげい)であることは、世界中が知っている。何故に日本には教育や学習のノウハウが蓄積されているのだろうか。さらに、何故に中間層のレベルが高いのだろうか。ちょっと考えたい。1850年代つまりサムライのいる江戸時代の後期、江戸を中心に全国に公立や私立の学校がすでに2万校もあり、身分を超えて子供たちに主に漢文やソロバン、礼儀作法を教えていた。こういう教育への熱心さが、1868年の明治維新以降、「富国強兵」のスローガンと平行して「教育立国」が掲げられ続けたのだ。この教育については、韓国も中国も異常なほどの熱の入れ方だ。が、日本と違うのは、エリートや金持ち中心にこれは展開されている。

日本人の心の内部では、この大事な5〜14歳ぐらいまでの義務教育期間に社会人としても基礎力をつけ無ければならないという大人の側の義務感があると言って良い。行列をつくって、順番をまつ。足で物を取ったり、動かしてはならない。自動車のクラクションは普通は鳴らさない。部屋をあるくとき、本や新聞を踏んではならない。親切にしてもらったら、「ありがとう」とキチンという。道路につばを吐かない。ゴミはゴミ箱にいれる。川や山にゴミを捨てない。むやみに道路を走らない。お店やレストランでは大声や奇声を発しない、座るとき足を投げ出さない・・いくら書いても終わりがないのでやめるが、こういう当たり前の事はたいてい母親の「しつけ」というものである。母親が世間の常識的なしつけをし、父親が人生への覚悟を教えるのが、日本の普通以上の家庭の一般的な家庭教育であった。もちろん近所のおばさんやおじさんも、子供へのアドバイスや注意は、田舎ではまだ、健在だ。子供は社会が育てるということだ。さらに家庭によってはおばあさんから伝統的な食べ物の作り方や、裁縫(さいほう)、台所の合理的な工夫を教えてもらい、おじいさんからは郷土の歴史を教わる事も多かった。

戦後の日本では、戦前の軍国主義の反省から、いきなり西洋的民主主義を敗戦の1945年の秋から急展開で教え始めた。だから、現在の日本の教育の指針のようなものは、古来からの中国の儒教的な要素、明治時代のドイツ的な要素、戦後のアメリカ的な要素が実は混在している。地球の東の端の辺境国日本は古代から多様な文化の受容と顴骨奪胎(かんこくだったい)に長(ちょう)じており、いまでは、日本独特の文化というか、社会的なルールとして生活の規範となっている。製銅、稲作から漢字、儒教、道教、仏教などの思想や規範まで、多くの文化が、そうやって、日本に同化してきたのだ。

全く時代は変わるが、新しいものもあるぜ。現在、日本中で、燃えるもの、燃えないもの、資源になるゴミ、カンやビンを分別しているが、実は新しい規範なのだ。1980年代から、北欧などの真似をして、始めた訳だから、まだ、30年未満のルールといえる。順応も早いんだよ。1964年のオリンピックの前までは、立ち小便のおじさんも多かったし、つばを道に吐(は)く人も多かったのだ。中国はオリンピックと万博でどのような「社会人基礎力」をつけるか楽しみというものだ。社会人の基礎力は、「公共」ということを市民の一人として考えて活動して身につくものだ。
公共とは「社会という市民の生活の場を皆の責任で維持管理(ある時は創造してゆく)して行く事」だろう。その意味を教える教育を戦後の日本は長い間ネグレクトして来た。それは「公共」がかつて国家(国家権力)と結びついて、戦争に総動員していった不幸な歴史を日本は持っていたからだ。

公共の感覚をもち、社会人としての基礎力がそれなりに持っている日本人の能力の特徴は「中間層」が強いということだ。中間層が常識や社会的な情報をきちんと取得しているので、レベルが高いのだ。
たとえば、アメリカなどは、一部の能力的ハイクラスと、労働者クラスしかない。つまり、中間層が弱い。こういうと、あちこちの大使館からおしかりの電話があるかもしれないが(笑い)、ラテン系の諸国もたぶんそこが弱い。ところが、日本はその中間層がパワーがあるし、知的で意欲的なのさ、たとえば有名な電気店街の秋葉原の電気店の店員さんたち。たいていは高卒か、地方の名も無い大学卒者が多いとお聞きしているのだが(幹部候補者は別だが)、家電やITに関する知識の深さやサービスに対する意欲は感心することが多い。技術者並みのレベルの人も多いんだぜ。日本のパワフル中間層の代表だとおもう。企業とか政治のトップ層は、大したことがない例が多いが、中間層、労働者層が優秀なのさ、我がニッポン。

また、引っ越しのスタッフ、トラックの「サービスドライバー」、スーパーマーケットや、デパートの店員さん、ブランドショップの店員、キャバクラやバーのセクシーな女性たちなどなどあげたらきりがないほど、こういった中間層には、責任を持ちまた目標をもってがんばる人々が多いのだ。もちろん、工場労働者層もほとんどは高卒者で、何らかの理由で労働者になった大卒者も多い、また、農家は、冬の仕事がないので、季節的に農民が労働者になっている場合もおおい。従って、社会との関わりも自覚的であり、仕事に工夫やアイディアもだすし、たんなる労働力ではない。日本の労働者は他の国で言えば中間層ぐらいの社会人の基礎知識を持っている。1970年代前半に日本の首相であった田中角栄氏は、中学校しか出ていないが、寒い田舎で、土建企業の社長になり、最後は日本首相になった。日本はそういう国なのある。 *3月11日以降の事態を加筆予定。

2011年5月8日日曜日

やっぱり、ニッポンは社員教育だね。

《写真》4月は日本で活躍の当校卒業生の講義やスピーチが相次いだ。             東証第一部上場の株式会社ニフコ(横浜)に約3年前に就職した卒業生(709クラス)テー君が休暇で里帰りしたので、当校で日本での体験記を授業してもらった。後輩たちには最高の情報と知識の提供となりました。


仕事の関係でハノイを訪れた株式会社タイショー(埼玉)の橋本社長と卒業生ヒュー君が、日本の工場に付いて後輩のクラスにて、特別講義。お忙しいのに、ありがとうございました。


近日、姫路のアユミ工業に就労予定のチュンとフックの両君が後輩のクラスにて「出発の決意」表明と日本語学習の経験を披瀝。後輩たちは全員、一年後の自分をダブらせて、目を輝かせていました。頑張ろう。


また、ブログ書く時間が無く、僕のベトナムで出版する生原稿から引っ張り出した。

■ 第四章−5項「入社すると、徹底した社員教育がある。日本企業の特徴の一つだ。」

前項4−4もそうだが、入社してからの安心感をここで君らに話をしておこう。
日本人は誰でも教育が大好きなんだ、教えるのも学ぶのも伝統的に好きなんだ。今から400年以上も前の江戸時代の前期の1600年頃でも、すでに身分の高いサムライの子弟だけでなく町民や農民、職人の子供たちが学べる民間の寺子屋や手習指南所という学校が江戸を中心に全国のあちこちにたくさんできていた。1800年頃の江戸時代の後期には、江戸に1500校、全国には約20000校も在ったと言う調査がある。子供に読み書きや算盤(そろばん)から「十八史略」などの歴史書や「四書五経」などの儒学書、吉田兼好の名作「徒然草」とか、地理の本などを大きな声で読んだり書き写したりすることが行われていた。

驚くことに江戸の子供の就学率は約80%であった。同じ時期の英国の就学率が25%、フランスなどは2%に満たない時期にだぜ。どうだ!すごいだろ、ニッポン。やがて、オランダ語や医学、天文学を学ぶ20歳代青年中心の塾という学校も江戸や大阪、長崎などに続々設立され、封建的な武家社会だけではない、次の社会を模索する身分の低い武士の青年たちが大きなうねりとなって育っていった。これが1868年の明治維新という革命となっていく。前書きが長くなったが、従ってこういった伝統のなかで、日本企業は歴史的に社員の育成は当然視されているのさ。全く当たり前なのである。

日本は前に記述したが、社員を家族と見る傾向が強いんだ。(もちろん、不況が続いてきたので、そうではない側面も増えてきたことも事実だ)だから、17時以降の飲食も共にすることも、多いし、土曜、日曜日には社員同士とか上司と部下のゴルフも多い。社員が一緒に出かける社員旅行とか、運動会、クリスマス会もある。毎月一回その月の誕生日があった人用のお誕生会など、まさに家族と同様に「私的な時間」までみんなで一緒、と言った傾向がいまでも在る。さすがにこの20年前からは社員旅行と運動会は大分減ったが・・。
現代日本は個人主義が行き過ぎた傾向も在って、内にこもる心持ち方の青年も多く見かけ、みんなと一緒に居たくないだけならともかく、深刻な人は孤立を好みインターネットとゲームとしかつきあわないような一群の若者も生んでしまった。その問題在る「おたく」な人々も居るけれど、本来からの日本人が持っている心情とか感覚の人がまだ圧倒的に存在して、企業を支えている。

言うまでも無いけれど、家族なら、当然大きく育って欲しい。つまり立派な社員になって欲しいと思う。だから、日本企業はかなりの費用をかけて社員の教育に取り組んでいる。日本の社員教育は新人の時のはじめの半年間とか、一年間だけじゃあないんだよ。かなりベテランになった課長さんたちの研修とか、部長の研修とかもたくさんある。新人に技術や会社の仕事の事を教えるだけが研修ではないのだ。また、上位の人の研修は、仕事だけについてではない、内容は健康とか、精神衛生とか、だから、外部のコンサルタントや大学の先生とか、いろいろな分野の専門家も参加する。30才代なら、彼らが抱えやすい問題、課長になったら、直面する精神的な問題の解決とか、多岐にわたる。

例えば、先日、雑誌に掲載されていた即席ラーメンの日清食品の課長さんら上級の人たちの研修は、ちょっとユニークだ。
日清の課長さんらが20名ぐらい集められて、無人島に連れて行かれた。そこでは教育係の社員が待っていて、全員から携帯電話、財布など私物をすべて没収され、代わりにナイフとか、テント用のビニールシート、水と小麦粉、2,3個の即席ラーメンだけしか渡されない。これで、2泊3日を生活しろという研修だ。目的はこのサバイバル体験を通じて精神的、肉体的に強い人間を育成することであり、生きる強さを今誰が持っているかの評価でもある。

今時の「ひ弱な」ベトナム人青年大丈夫か?火も自分で熾(おこ)すんだぜ。食べ物も自分で取ってくるんだよ。雨風しのぐテントもビニールしかないわけだから、工夫して作らねばならない。
もし、病気になったり、餌がとれず、お腹がすいてギブアップしたら恥ずかしいですねえ。“私は弱い男です”を丸出しにしてしまうわけさ。また、一部の大きな会社では、定年(普通60〜62才ぐらい)になったときに備えた精神的ケア(care)とか、第二の人生の生き方の指針を提案したり、僕からすると、あれこれ、親切すぎでかえってひ弱な老人を作るようで、やや疑問も抱くが、このように日本は「家族」に定年まで、かなり親切なのである。日本では社会保険がそれなりに充実しているので、その余剰金とか蓄積金でこのようなことがいろいろとできるのだ。

  *ただその保険を扱う社会保険庁が、長年にわたって汚職や隠然としたサボタージュ、税金の不当使用などで、大きな問題を現在起こしている。

いま、幾つかのことを君に教えたが、当面君らが入社後に体験するのはたいていの場合、半年間ぐらい、いろいろなセクションを体験させられる事が多い。会社によって違うけれど、会社全体の仕組みを知ってもらいたいからだ。さらに、君の才能とか興味が何処にあるかを君と一緒に発見するためでもある。能力開発と言っておこう。君が自分で専門だと言ってきたこと以上に君の興味とかやり甲斐が感じそうな仕事が、他の分野で在るかもしれないからだ。良く考えてごらん。大学の学部はたいてい16才、17才の時の頭脳で、その上少ない情報量で考えたことだ、人によっては父親が勧めたので、何となくそうした人も結構多いだろう。つまり、“自分の人生の本当の専門”など全く解らない中で、自分の専門をとりあえず決めたに過ぎない場合が多いだろう。その上、日本企業は、日本人の新入社員であれ、ベトナム人であれ、学生が持っている「専門」を、あまり期待していないのだ。たいしたレベルではない、プロの技術は会社でおしえるよ、と考えている場合が多いのだ。これ間違いないぜ。大事なのは高校や大学の1〜2学年で学んだ基礎知識、つまり、数学や物理、生物などの基礎知識に期待している。面接の項で詳しく教えたね。

さらに、教育は、実は与えられる物ではない。日本人の先輩や優秀な友人と積極的につきあうなかで、学ぶ事が基本だ。日頃職場で「迷惑にならない程度に」お聞きして学ぶ事が重要だ。与えられることを待っているのではなく、自分から積極的にアタックして、上位者から技術を“いただくこと”が基本なのだ。そもそも、日本語の「学ぶ:まなぶ」は、言葉が変化したもので、もともとは「まねぶ・・・まねる」から来ている言葉なのである。つまり、優秀な人の技術や知識を「まねる:真似る」事と言うことなのだよ。だから、日本の職場では工場でもオフィスでも堂々と、先輩のノウハウを盗め、と言ったりする。そばにいて、やり方を盗み、真似ることから、成長が始まるということなんだぜ。おい、青年、解ったか?サムライが武士道に入門するスタートはここからだ。
■《ブログご高覧感謝》
僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
以下は、毎日100人以上の”人気”ページです。ぜひ、ご高覧ください。
多いのは一日1400名閲覧もあります。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行