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2011年12月31日土曜日

おおい、2012は、どこにいくんかぁ?磐城平まで行くんか?

山村暮鳥の「雲」だね。懐かしいね。小学校の高学年の国語の時間に習った様な気がする。のんびりした印象だが、大抵そういう詩歌には、別な側面があるものだ。結核を病み、牧師の仕事も上手くいっていなかったようだから、その苦しさが、雲のゆっくりとした様を謳わせたのでしょう。僕等の2012は本当に何処に行こうとしているの?と言うことで、実は書いている今は4日朝ハノイなのであるが、今年こそ久方ぶりに元旦に映画を観ようと早稲田松竹に行った。

元旦に映画は、何年ぶりだろう。僕と晃子(てるこ)と、東映の東制労の仲間の岡本ちゃん(現在70才位の昔から仙人風な当時のカメラ助手)と3人で新宿歌舞伎町のオデオン座(だと思うが)に行きあのポール・マザースキー監督の「ハリーとトント」を見た。子供も一緒でなかったところをみると、36〜37年前なんだと思う。月日は驚くほど展開が速い。岡本ちゃんとは、久しぶりに一昨年、山本一成くんのお葬式と去年春2月の「梅見会」で会ったが、仙人はほとんど相貌に変わりようが無く、20才代で付き合っていた頃と全く同じで、衰えも老化も無いように見えたものだった。

名作「ハリーとトント」は、猫のトントと老人ハリーの友情の物語だ。心に残る名画ってこういう作品を言うのだろうと思う。と言うことで、元旦は30数年ぶりに名画を見た。小津さんの「東京暮色」。実は「東京物語」と二本立てなのであったが、「東京物語」は、DVDももってるし、去年秋かなNHKが最新のデジタル技術で「揺れ」や「雨」「傷」を見事に修正した作品をBSで見ていたしで、頭だけちょっと見ようと言うぐらいの気持ちで、朝から「東京暮色」だけを見に元旦で閑散としている早稲田通りの舗道をとぼとぼとリュック背負って歩いて行った。「暮色」は、小津作品にしては何時もと違いかなりの波乱があって、困惑させられる。2012年もこの分だと、大波乱もあるのかよ〜などと内なる声。


で、磐城平も、福島浜通り一帯の人々は、本当に大変だ。本当に非道い話だ。10ヶ月も過ぎたのに、東電の万死の大罪に値する厚顔な面々と、それを救おうというメガバンク。方針が全く出てこないどぜう野田。ストロンチウムもセシウムも、おおいに吸い込んだ真っ黒い雲よ。何処までいくんかあ。我らの大都会東京まで行けば良いと思う。ところでハリーとトントは、今どこですか?

寺山修司全歌集とか / 維新大好き男子会のつまらない共通項

いま、なぜか寺山修司が読みたくなっていた僕の身体。でも、全部読通したが、心晴れない僕の心。同時に例の「天皇の世紀 第六巻」をふらふらと,じっくり継続。でも、結構面白いのが渡辺京二の「逝きし世の面影」(平凡社)。幕末から、明治中期頃までの日本の姿を再現している。とっても刺激がある。が、彼の独特の文体がやや観念的に流れる場面もなくはなく、わかりにくい面が一部見える。岩波新書の森岡孝二という人の「就職とは何か」は、好著。仕事についての本質的なヒントにあふれている。が、後半、現状の就活批判がおおく、ありふれた「就活批判もの」にちょっとに堕した印象。残念。新潮社の新書「原発・正力・CIA」という実もふたもないというか、解答をタイトルで明け透けに伝えている判りやすい本も12月に読んだが、スラスラ本なので、1日で。東北大の教授の書いた物で、読売の社主正力松太郎が、つまり読売総力を挙げて原発をCIAと一体で、日本に売り込んだ様が、アメリカの資料に基づいて示されている。

実は、高校の一年か二年生の時に担任であった辺見裕先生(作家辺見庸さんの兄)が、なぜか授業で寺山の歌を披瀝した。「少女」「青い」「赤い」というような字句で構成された鮮烈な歌であったような記憶であった。それを探すのが、何となくこの何十年の僕に「小さな」課題であったので、だから、買って猛烈に歌を詠み歌った。でも、僕の記憶にある歌は出てきなかった。この「寺山修司全歌集」は、選集のようなものだそうで、ここにたまたま入っていない、きわめて特殊な出自の歌であったのかもしれず、かえって探す興味を深めた。・・・・今年中になんとか書かないとね。

■ 維新ものというか、幕末ものが、テレビや映画も席巻している。それは言うまでもなく、国民の諸君がいくら、善良で忍耐力が人一倍であっても、もう、いい加減にしてくれと言うことだろう。大阪の橋下のような、新鮮で強引な若い者が出現してくるとどっとマスコミは飛びつき、既成政党も様子見から、「ポチ」状態に。・・・・・・でも、どうも書く調子がでないなあ。書いているウチにばかばかしくなってきたと言うのが本当。つづきと書いて、一休みしてる項目が、ふえてきたなあ・・。現在2/7日、いやはや、中断がなふぁいね。すみません。何とか近日まとめます。阿部

2011年12月17日土曜日

無印良品とユニクロだけの質実なワンパタ生活とMade By Japaneseの時代認識

お金が無いのと、老人的面倒くささが、相まってこちとら、この10年ユニクロと無印良品の二社で衣服から、ベッド、布団、家具や小物、お土産まで、この2社で賄ってきたきた感じがするね。これに「ニトリ」あたりを加えたら完璧だね、たぶん。で、靴は当然ABCマートさ。この数年、ABCで年に1〜2回程度の履き物の買い物は全品ここで済ませてきた。間違いなく品質高い品物多いし、安価だ。ハッシューパピーとか、ポート何とか、コンバースだって、僕の好きな「チロリアンシューズ」だって、かなり安いんだもの。品質良くて、価格が低い。商品としてのポリシー全面展開。だれも文句つけられない生産と小売りだろう。素人の僕にそう見える。

もちろん、中国やバングラディッシュの生産現場での労働環境とか、材料や現地ビジネスでフェアトレードに近い形にキチンとなっているかなど、よく分からないけれど、期待はしたい。さて、無印良品は80年代の初頭、インテリ改革派西武デパートの「ノーブランド」ブランドとして、颯爽と世に出た。堤さんと友人のデザイナー故田中一光さんが、創案したモノだろう。華美や装飾を捨てる生き方の提唱だね。僕なんか鮮烈で嬉しくなって、大分買わされたものだ。でも、時代はバブリーな例の時代だし、僕の様なものでも、時代の雰囲気にほだされて、イタリア系のブレザーとか、靴なんか履いてさ、40才代の「語り部プランナー」として、建築からメディアまで口出して、結構稼いでいたりしていて、自分の人生がやや行方不明になりかけたときでもあったくらいで、そういう高額良品も買えていた。だから、アンビバランツなメンタリティー引きずって、両方納得していたのかも知れない。「田舎者的華美な豊かさ」とそれにアンチな「都市的質実な格好いい生活」をね。

僕はユニクロにはじめ良い感じを持たなかった。まず、イタリアのベネトン「ユナイテッドカラー:ブランド」のまねと思って居たし、ペットボトルのリサイクルの素材開発は聞こえは行けれど、当時のメイン商品のフリースは、結局プラスチックの服着ろ、ってことでどうにも僕にはなじめない。だから、ユニクロを着始めたのは、大分経ってからということになる。でも、新宿の伊勢丹並びにかつて出来た旗艦店ふうなお店で、「羊毛」のベストを買った記憶があり、それだけ当時買ったままで、あまりその後も関心は寄せてこなかった。で、他に行かず買うようになったのは、必要に迫られてだし、2003年12月20日妻晃子(てるこ)が天に渡った後かな・・。「五月蠅い、評論家」でもあった彼女が不在になったので、買いやすくなったこともあったかもね、誰にも何も言わせず、少しずつ商品が増えていった。やっぱあ、フリースから、その道に入ったような気がするね。・・・なんだか、書くきもちになれない。なんだろう。ねんまつなのだから、あと2、3本かかねばいけないのに。ちょっとこのテーマ、中断。お正月に、頭整理して、書きますね。

それまで、去年書いた耕論「Made by Japaneseの時代認識」論を読んでいてください。http://vciat.blogspot.com/2011/03/inmadebyjapanese.html  まもなく、ここもかきますので。


2011年12月3日土曜日

ハノイ貿易大学 日本プロジェクトのブログ出来たよ。

ハノイ貿易大学の僕のクラス「日本プロジェクト日本社会の基本学教程」のクラスのWEB委員が作ったブログが活気づいてきた。色んなテーマを日本人には考えつかない角度から書く人もおおく、読んでいて面白い。文章も結構冴えていて、キチンとしている。もちろん、子細をほじくれば、構文上の「粗」も、言葉の選択のミスもあちこち当然見受けますが、目的意識で溌剌とを文章の構成に取り組んでいるので、ほほえましいと評価するのが普通なるんだろうけれど、もっと超えていてパワーがにじみ出ていて、嬉しくなる。

ベトナム人学生の採用をお考えの日本企業の皆様、マスコミの皆様、時々ブログに入ってご高覧下さい。日本で就職し、本物のビジネスマンやプロの仕事人になろうと努力しているベトナムの若人(女子7名、男子3名)のアーティクルの一文字一文字に目を運んで下さいませ。

http://vci-jac.blogspot.com/

このURLから、「ハノイ貿易大学日本プロジェクト」の学生たちの自主的なブログに飛べます。

■以下は、当クラスのシラバスの概要です。一部をご紹介いたします。
ハノイ貿易大学「日本プロジェクト日本社会の基本学教程」

A 日本企業理解の基礎
1企業に就職し、社員になるということ ・ 企業とは何か、働いて給与をもらう厳しさ、プロ意識、原価意識・・・
2組織の一員としてのルールと常識・社則厳守の心得、社員教育、組織と自己実現 コンプライアンス・・
3問題解決への思考
4論理的な思考とプレゼンテーション
5日本の産業構造
6仕事の概要  営業、法務、マーケ、総務、税務・・
7企業の欲しい人材・他

B 日本社会の基礎
1日本の基本情報・法と論理、公共性、生活と環境、医療、家庭・・
2社会の構成・消費、マスコミ、観光、先端技術、住宅、交通・・
3社会の現象・3月11日、絆、犯罪、婚活、在日の外国人・・
4文化と歴史・教育、サブカル、品質、武士道、明治と江戸・・

C 英語会話の補足
D 秘書検定・ビジネス検定への準備
・・・など経産省の推進する「社会人基礎力」育成に 沿ったベトナム人向けオリジナル教程となっています。


《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。

・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行