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2012年5月27日日曜日

★猫の流転譚、ハノイ漂着の巻(完)

とうとう猫をハノイに連れてきた。我が家に10年ぐらい飼われているアラフィー(人間なら50才前後相当)おばさん猫二匹。妻晃子(テルコ)が亡くなったのは、2003年12月で、その2年ぐらい前にいつの間にか妻と娘はるひのさしがねで我が家に来た生後半年位の「白黒」と「三毛」の事です。僕は喘息持ちだ。猫は室内での生活が一緒だから、喘息のアレルギーの主要原因の毛だらけは厭だった。僕は血液検査で、猫ダニ、家カビなどで季節的に反応するとことは、はっきりしているのにいつの間にか白黒はラック、三毛はモモとなって、応接などで無邪気に飛び回って遊んでいる。テルコもはるひもニコニコしている。厭だっていうのにさあ。息子の一行は男の子なのでまったく女子に関係なく猫を脅したりしている。

そのだいぶ前に白い犬「白」がいた。僕が深夜西武線の小平駅を酔って寝ていて乗り過ごし、新所沢で目覚め、仕方ないので、線路を歩いて小平めざしてとぼとぼ歩いていたときに僕の頼りない足に絡みついてきた白いもの。それが目もほとんど開いていない幼犬白さ。それ以来老人犬で老衰死するまで小平の家でみんなで飼った。義父義母、はるひ、一行そして動物大好きのテルコ(晃子)皆でかわいがったものだ。途中で我が家には黒豹のような猫が加わった。これも、いつの間にか意味不明の「ファーディー」だという。

1990年代後半にこの白も黒猫ファーディーも相次いで老衰か、動物ガンで寿命を全うして死んだ。墓は庭に作って葬ってある。テルコや子供たちは泣いていた。身近な初めての「死」であった。そのあと、同居の義父や義母も80才代で老衰とガンで亡くなった。六人家族に動物2匹の大きな家族が我が家だけの4人となった。その途中の1993年秋にはテルコにガンの告知があった。5年生き延びる可能性が25%の第三ステージだという。可愛そうな晃子。そのテルコの寂しさ一番の頃来たのが、この白黒と三毛なのだ。はるひに確認すれば正確に分かると思うが、たぶん2001年頃に知っている動物病院の関係者からもらった様で、それもはじめは三毛だけだったらしいが、どうせ飼うなら白黒もという事で2匹にしたようだ。テルコらしいね。

はじめはテルコの部屋と隣接の20畳ぐらいの大納戸だけで飼う約束であったが、当時は「広大な」家にいたので(延べ床67坪の青森ヒバ木造三階建て)、すぐ約束は反故となり、家中を闊歩していた。そのうちジャングルのような庭にも進出し、ノミを家に大量に持ち込んで流石の当家猫マニアの女性二人も閉口していたようだ。当時我が家には「外猫」といわれる家には入れないけれど(この2匹がいるので、入れたら嫉妬するので)、庭でエサだけ与えている猫が雉(きじ)猫、茶、白、くろ、怪獣顔、など5〜8匹は居たんじゃあないかなあ。赤ん坊も軒下で2,3回も生まれたりして、子猫がたくさん徘徊していた時期もあった。

南側にいた三浦さん宅のご夫婦はとってもいい人なんだが猫嫌いらしく、犬はいた時期があったが、庭に消毒剤を散布するときがあって、臭いに困らされた。たぶん、当家の外猫(三浦さんにとっては、外猫も阿部さんちの猫)と猫ノミ対策なのかもしれないね。まあそんな消毒薬とかのことは、「数奇な運命に」関係ないので進める。といいつつ、猫の毛だらけの生活にハノイでなったので、くしゃみは出るは、喉奥がかゆくなるは、目がくしゃくしゃになるはで、体調も思わしくないのだ。まいったぜ。

晃子(テルコ)は1993年9月にステージ3というもう直らないほど進行していたのは書いたね。10年間果敢にガンとたたかったが、丁度10年後の12月20日、天の国へ渡った。そのときこの猫2匹はご主人様の死をどうとらえていたのだろうか。葬儀を自宅で行い、庭も明かりなど普通の葬儀用とは違う設えをしたので、ラックとももは、何も現実を知らず、ただ、家の奥に行き喧噪からただ逃れたい一心であったのだろう。冷たい奴らだ。お線香の1本でも挙げろよ。でも、猫の手だからなあ、お線香持てないね。でもさあ、それにしても晃子(てるこ)のご遺体を安置してある棺の周りをうろついて、「ああ、猫もわかっているのね」と親類縁者の涙を誘うとかしてくれてもよかったんじゃあないの、オイ、ラックともも。

妻が亡くなった後、2年弱ほどこのまま居て、毎日僕は朝ご飯と夕ご飯を作り、洗濯して、3人と2匹の共同生活が続いた。一行が北海道に転勤し、はるひも自立するというので、家を売る頃は僕と猫だけとなった。さあ、ここからが、流転の猫。数奇な運命というより、流浪の猫、棲み家不確定猫の方が合うかもね。猫は昔から家に付くというよね、てるこから聞いた、主人変わっても家に執着するのが猫で、主人に付いていく忠義な犬とそこが違うわけだが、可愛そうに奴らの場合、主人は僕(はるひ、一行がたまに)で、それも積極的に主人になったわけでもなく、てることはるひの圧力というかそういうものの影響でそうせざるを得なくなっただけの、消極の主人なわけさ。その飼い主と彼らの8年間、家は小平から東伏見、早稲田、早稲田のオフィス、途中で短期間はるひの本郷、狭山市、一行の江東区、はるひの中央区湊そして、ハノイ市レータンギー通りさ。

いきなりベトナム航空の荷物入れ(飛行機の胴体部分の温度調整など期待できない)に積まれてさ、お気の毒に。で、ハノイに到着して心配で急いでバッケージクレーム機に行ったが、まさが他のスーツケースと一緒にドスンと出てきてぐるぐる客の前を曝すのかなと、思ったので空港の暇そうな青いアオザイの娘に「動物はどこだ、どうやって出てくるのか」とブロークンで聞いたら「あっちだ」という。指も指す。「あっちはトイレだ」と反論すると良いから行けと顔の眉と唇を段違い平行棒にして宣うのでしょうがないので歩きだすと、確かにトイレとクレーム機の間に我が家のなつかし猫ゲージが2列に置かれていた。駆け寄るとラックは目がまん丸に開いていて、完全にくたばった感。ももは、そうでもないが、元気なく寝そべっていたので、あわてて水ボトルを買って、蓋を皿にしてのませたが、ほとんど飲まない。本当にちょっと焦った。 

でも、タクシーで自宅に向かう中で、次第に回復し、猫好きで猫が4〜5匹いる大家さんとNGOCさんや女中さん、chiさんらが自宅で迎えてくれて、歓迎の雰囲気の中ですっかり良い気分になったのか、体調も回復し大きなタイル張りのトイレに取り合えず閉じ込めて、みんなとオフィスに向かい、そのまま仕事さ。夜帰ってくると日本製のエサが、大家さんからもらったりして、彼らもまんざらではない感じ。ただし、大家さんの猫は見たところチンチラとシャムらしく如何にも由緒正しい出自のようで、我が平民出身の雑猫が、対面したらちょっと怖じ気づくかな。

偶然にも良かったのは気温だ。湿度は何時もの70〜80%で、日本と環境が違うが気温がいきなり40度にはならず、本物のファーコート着てるので暑いだろうけれど、30度程度であったりで、猛暑に出会っては居ず、心配するほどではなかったが、今後盛夏が乗り切れるか、日本の電力事情と似ているけれど、猫は猫として工夫すれば、なんとかなるさ。ベトナムの家は寒さ対策はなっていないけれど、暑さ対策は建築に一定程度施されている。その1は、何処の家も床が総タイル敷であることだ。だから、冷やっとする床に我が2匹も盛んに寝そべっていて、もう、慣れた装いで仰向けなどしていて快適なようだ。二つ目は天上が高く、暑い空気は上に集めて部屋の下方は涼しいなるような構造になっていることだ。

さあ、数奇な運命の猫ちゃん2匹よ、妻の魂も宿っているような猫ちゃんよ。上手く生きてくれ。ここは君らまるで知らないだろうけれど、ベトナムと言う亜熱帯の新興国さ。金持ちの猫も居るだろう。流転の末たどり着いたベトナム・ハノイで、熟女の幸せを探してくれ。飼い主の僕もそれぐらい手伝うぜ。
後日、ベトナムにいる写真を2,3載せようね、ラック、モモ。 《完》
上記の文にある家から、また移転して、この写真は僕のオフィスの猫部屋の二匹。

ラック(白黒)にかいがいしくつくすモモ。でも二匹ともおばさん猫です。
写真は2012年9月。







あの日本語教材専門の凡人社書店の売り場面積が半分に!

今頃知ったの?と言われれば、詮無いが本当に驚いた。前回半蔵門の凡人社書店で教材などを購入したのは何時だったかなあ。今年の1月?去年の12月ごろ?ちょっと定かでは無いけれど、そんなに前ではない。24日に教材の買い物があり、凡人社書店に寄った。そしたら、ビルの1階のあるべきところが閉鎖されており、何処かのオフィスになっているように見える。「ええっ」どうしたんだろう。ビルの中に入って若いサラリーマンに聞いたら、階上の元からあった出版オフィスの中に書店は移転したようです、という。溜息ついてエレベーターで上へ。

出版社凡人社の入り口の応接スペース的なところが書店スペースに。一階にあった当時の大きさの半分以下だろうなあ。これじゃあ、高田馬場の芳林堂の5階の日本語コーナーよりちょっとだけ広い程度。ちょっとマイナーな本とかは扱えないスペースだろう。専門店としての性格は捨象したと言うことなんだろうね。この事態は深刻だね。僕なんか東京の人間で日本語の関係の本はずうっとここで購入してきた。もちろん、アマゾンなどで必要な本はいつでも買えるさ、でも、本屋の楽しさは別にある。言うまでも無いね、手にとってちょっと良い物探しが楽しめることだ。特に日本語の教材などは普通あまり手にとって見られるほどの書籍が揃っていない本屋が大概だから、半蔵門の凡人社書店は本当に貴重でした。四塚店長、がんばってください。きれいでとっても良い感じの方です。みんなで応援したいね。

この事態、何故に起こったか。凡人社自体の経営の恣意的な新しい方向性からなのだろうか。一般的な不景気による経営の低迷が要因なのだろうか。あるいは僕が声を大にして言っているベトナムに於ける、たぶん世界中の「日本語学習者の激減」に直接関係した現象なのかしら。本当に深刻な事態ですね。アルクの「日本語ジャーナル」今月号(ベトナム特集あり)には「国際交流基金2009年データ」からの引用で「この3年で3万人から4万5千人に日本語学習者が増えた」とでていますけれど、実態は大いに違うよ。誰がどのような根拠で計算しているんだろうか。問題は政府と産業政策と海外広報にあるのであって、本当に苛つくなあ。改善策は何をどうすれば良いかはっきりと見えているのに。残念です。


《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルを紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年4月 リクルートの罪 /  金のTSUBAKIの女優たち
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 ★メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
・     3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 ★復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・     5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 ★消滅している東北弁
・2011年7月 ★なぎさホテルという哀愁
・     7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港の不幸な出自と幸せ伝える人
・     1月 お正月は竹内まりや「人生の扉」だね
・2012年3月 関西セイキ工業さんに今朝、到着
3月 日刊工業新聞で当校の大きな記事2本掲載
・     3月 ベトナムの床屋さんの良い感じ
・     3月 ★ 文系のベトナム青年に進んでほしい「経済」以外の分野
・     3月 なんだか家族に会いたくなった 写真集
・2012年4月 石巻・大川小学校のひまわりがベトナムで咲く!
・     4月 VCIの概要と実績をまとめた
・     4月 原宿の幼稚園でも大川小学校のひまわりが芽吹いた
・2012年5月 TBS「たけし・安住のニュースキャスター」にVCI登場

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2012年5月24日木曜日

原宿の幼稚園でも大川小のひまわりが芽吹いたよ。

ベトナムの事に関心の深い経産省「クールJAPAN」担当課長の渡辺さんに石巻の大川小学校のひまわりのお母さんたちに頂いたひまわりと朝顔の種をお渡ししていたのですが、渡辺さんの娘さんが通う原宿の幼稚園でも芽が出始めたというご報告と写真を頂きました。うれしいなあ。原宿にも大川小のひまわりが広がった。写真上が朝顔で、下がひまわりのようですね。

現在僕は1週間程度日本に居るんですが、ハノイのVCIのオフィスの鉢の朝顔も芽吹いています。ひまわりもそろそろだなあ。近日写真で報告します。





2012年5月17日木曜日

やるね、ベトナム航空!

いやあ、本当にベトナム航空は良い航空会社です。昨日の晩の事を書かずには居れませんね。だって、今までベトナム航空のいい加減さは、不安にも繋がっている、というような事をこのブログにも書いていたし、その非道さにはかねがね辟易していた。2010年の7月に書いた。ご参照下さい。掲示して2,3日後にはその東京支店の鈴木さんとか言う人から電話ももらった事が在った。電話の内容はいま定かじゃあないけれど「いま鋭意、改善努力中です。まあ、あまり・・」ってな感じだったかな。僕はさんざん、文句も言いました、なにせ10数年搭乗しているんだからね、不満も溜まっている。でも、今回手放しで賛辞を送るんですが、ところが改善の結果ではないんです。

ベトナム航空は、たぶん成田の駐機料金が高額なのでそれをいくらかでも避けるために成田も関空も早朝着のスケジュールを組んでいる。というより、組んできた10数年にわたってね。僕なんか、当初の1993年から何年かは直行便が無かったので、VN航空を利用できなかったわけで、アシアナとか、中華航空とかで、乗り継ぎで、ベトナムを出入りしていた。でも、その時期以降十数年に渡って僕なんか年間8〜14回ぐらい往復してきた。日本帰国はいつものように23時55分とか、0時10分などまさにミドナイト。そんな時間ばっかりであった。特に近年は0時ちょっと過ぎのものが増えた。

これが問題なのである。23時台の場合は、その日の夜NOIBAI(ハノイ)空港に行けば問題無いのであるが、0時ちょいすぎのがやっかいなのである。0時5分発の場合、考えれば当たり前であるが、前日の夜に空港に行く必要がある。僕は、慣れているので、お客様に何時も「0時過ぎのは前日に空港ですよ」何んてしょっちゅうアドバイスしていた。おっとと、危ないところで難を逃れたケースも無いではなく、流石(さすが)阿部さん、ありがとうなんて言われたものだ。

で、事件は昨晩起きた。いま、17日朝、成田の到着ロビーで、電車待ちながら幾分ホッとしながら書いている。今回特に本日から、都内はもとより横浜、秋田、静岡での会議とか含むかなりハードな一週間、一日たりとも変更は今更出来ない日程がびっしり組まれている。そんなときに日程のミスがあったら大変だぁ。
はっきり言って、その大変になりそうであったのだぜ。僕はいつものように人が少ないビジネス席の受付に並んだ。おいおい、阿部ビジネスかあ?違うんです何百回も使っている者の得点もあって、席はエコノミーだけれどもチェックインやラウンジはビジネスクラスと同じ扱いなだけ。で、人もまばらですぐに僕の番。ベトナム人のカウンターの若い女性が英語で、これはYesterdayのチケットだという。

一瞬、すぐさまsorryーsorryと言いながら、チケット見たら、本当に昨日16日0時20分のチケットだった。あれれれれ、昨日のチケットだぜ。マジに。まずは反省よりも、現実の対処が大切と瞬時に判断して、困惑の彼女に「HELP me」という言葉を用意したその時、彼女はひょいと目線を下げPCのキーボード打ちだした。ひょっとすると、搭乗作業進めてるぞ、このまま黙って推移を見ていた方がいいかも、下手にヘタな英語で作業を中断させない方が良さそうだ。口笛でも吹きながらの心境で事態の進捗を見守っていた。そしたら「これ昨日のチケットです」ってまだ言っていたが、でも、左手には僕用の今日の搭乗券をもって僕に提示した。早口で解らなかったけれど、状況の判断から「昨日のだけれど、(気の毒だから)今日の席確保しておいたから」といったのだと信じるしかない。有り難い。女神がカウンターに舞い降りて来ていようとは。

これが、キチンとした我がJALならどうなったろう。四角四面の話しになったのではなかろうか。絶対乗れなかったね。「昨日のチケットでは、今日搭乗できません」とね。まあそれはいいや。ともかく、良い方向に動いている。チケットもらってもパスポートの押印の日付は大丈夫なのかな、湧いてくる喜びの笑いを噛み殺して、次の心配なんかしてみた。僕はマルチVISA持っているので滞在日程が1日延期になっても問題なかろうが、チケット料は本当は微妙に変化するはず、てなこと考えたが、こういう場合成り行きに身を委ねるのが60年で得た僕の技。僕は彼女の家庭に幸福が近々訪れることを念じて、「シン・カムン」と笑顔を振りまいて、カウンターを辞し、イミグレーションに向かった。日本的じゃあないベトナム航空、ありがとう。このまんまでいいのだよ。無理して日本風にきっちりしなくていい。ベトナムはベトナムさ。

2012年5月15日火曜日

ファイスブック疲れ( fatigue )だってさ。

わかるわかる。すごーくわかる。この僕の倦怠感はそれなんだなあと納得。でも、過剰に使って来たわけでもなく、もともと、友だち何んかいらない方のぼくが、はやりに引きずられて、はじめたわけで、まずはそれが良くないのに、ここでfacebook さんの悪口たたいては失礼だろうけれど、たまには友だちの友だちぐらいから恋が芽生えるやもしれないという、情けない自分の通俗心理が画面の前でちょっと焦心しただけで、みんなに非難されるほどではないが、やはり論理で頭の中を構築したいぼくとしては、友人欲しくないけれども10人位は居ても法に違わないし、毎晩の夕飯の付き合ってくれるローテーションを考えても理はあるし、ふざけてこの2年間会員であったわけでもない。

でも、友人におくった「いいね!」が、どの範囲のどのグループの諸君が目にしているのか。検索すれば、僕のコメントがどの範囲で読まれているのかさえ、これは僕の怠慢から解らないだけで、facebookさんのシステムの性じゃあないんだろうがでも、普通のおっさんが、意欲もないけれど、参加してしまったレベルの低いぼくらにも、解りやすい説明は必要だと思う。僕のface上の友人は限られている。当社盟友NGOC、興南の和泉さん、岸本さん、藤精機の新藤さん、留学財団の堀江さん、医者の松岡さん、コンサル福森さん、娘のはるひ、ベトナム人の元職員や卒業生がそれプラス10人ぐらいかしら。その10人ですら、良く覚えていない人も(ゴメンね)何人か居る。老人だから忘れるんです。老人はどんどん忘れて身軽にしておかないと重すぎて天国に行けないからね。確認のため僕の友人とか言うリストみたら、言いにくいんですが知らない人結構いた。こまったねえ。

でも、いつも、友人の友人という知らない人や僕にとって興味ない人々が20人単位、30名単位で「友人化」を求めてくる。何回も何十回も僕に「友だちになってぇ」と押しかけてくる。嬉しいけれど、俺そんなに20〜30才代の若者の友人はいらないもの。ゴメンね、僕も悪気はないんだよ。ただ、 fatigue してきたのさ。僕もマーケの業界に長く居たので、こういうネズミ講的、そんなことい言っちゃあ悪いかな、連鎖的な販売促進のツールとして、実名の実の友人たちな訳だから、信頼度は高いわけで、何時か使おうと思ってはいるものの、その前に当人が fatigue 。

なんてったって天才が作ったシステムですぞ。IPO直前だから、話題沸騰で金融業界の悪巧みの悪たれたちが、facebookのマイナス面を煽っている。このfatigue もその一つだろう。僕なんかそういうのでもなく全く関係なく、新しい友だちは麗しいGIRLひとり見つかればいいわけだし、ぼくなんか既に付き合う人を減らしてているもんね。沢村貞子さんのエッセーじゃあないけれど「もうそろそろ店じまい」さ。仕事の関係で友情に近い感情、否それと比する以上の理解と気遣いを頂いている人間関係も幾つか幸運にも頂いてきたし、いただいている。大学や高校の友人たちとも違う大人の人間関係だ。特にそれは、お客様の中小企業のトップの方々に多い。それ以外、大学高校の時の何人か除いて、あんまりいらないもんね。そういう貴重な友人関係を得ている以上、facebook で、僕は何を得ようとしているんだろうか。薄くて、どうでもない関係をえて、どうするんだろうね。僕の名前と写真が仮に1000人に行き渡っていても(見られる環境にある)、僕の痛みや悲しみは何処までつたわっているのかしら。もちろん、伝わっているあろうはずもなく、何を期待して友だちの輪を広げていくのかなあ。僕が死んだらその1000人が「いいね!」って、僕の御霊前写真に書き込むのかな?

震災時の絶妙ネーミング「友だち作戦」はアメリカの国家的意志というか、軍事同盟上の戦略であり、狙いは明確だ。友だちにはいろいろあろうというものだろう。そういう意図は勝手だけれど、ずるずると、「名前と写真と学歴」だけ知った「知人」を1万人得てもどうなんだ。景品のないパチンコしたような、というより何が楽しいのか、僕なんか楽しみ方がまるで解らないのだから、始末にわるい訳よ。当社NGOCさんなんか「ブログより、良い」とか僕に挑戦的に言い放ったこともあった一種のfacebook中毒者だけれど、友人の友人たちに「友だちになってぇ」と攻められてて、どう対処しているのか、一度じっくり聞きたいね。彼女の見てると、友人増やしているというより、写真展示場に割り切っているようにもみえる。果たしてそういう絞った使い方もできるのか聞きてみたいが、僕疲れてるので、徐々にfacebookは店じまいだね。よく考えるとfade outの仕方もわかんないよ。

2012年5月10日木曜日

ベトナム国会のとんでもVAIO。

昔、プロモーションやPRの仕事をしていた時分には、例えば、テレビのクイズ番組の中で解答者であるタレント席の前テーブルにはマイクだけが置いてあるので、もったいないので、何かPRすべき商品を堂々と、でも目立たなく置いていただけないだろうか、などとつまんないことに腐心していた。解答のタレントがバストサイズのショットで写る度に僕等の仕掛けた商品が澄まして写ろうというわけだ。

2,3日前、ベトナムのテレビで国会中継をやっていた。たぶん国会と思うね。どうも青年関係の審議が中心の国会らしい。いつものようにひな壇には政府の要人がずらり、相対する下段の席には200〜300名の国会議員らしい方々が、表情を統一して畏まって審議か演説を聞いていた。日本と違って、中央には演壇があるわけでなく、首相はじめ幹部5人用の特別席が用意されていた。ベトナムは意外にIT発展国である、携帯通信も含めてその進展や日常の利便性は日本以上の側面もある。国家のトップ、政府の要人のご老人たちがパソコンをいじれても不思議はない環境でもある。

でも、驚いたね。この国会のトップ5名の要人が、ノートPCを国会中に持ち込んで揃って使用していたんだ。使用しているのかは、実は解らないが蓋を開けて、その蓋も本体に90度で屹立させているのだから、使おうとしているだけかも知らないけれど、意図的に蓋は揃って90度でまっすぐ開いて立っていた。要人の方々の両手も片手も動いているようには見えず、審議しながら情報集にいそしんでいる要人はおられなかったように見受けられた。つまり、ただ、誰にも意味を問われず、ロゴマーク入りのノートPC銀色の蓋は開いていて立っているように視聴者の僕には見えた。

でもさ、意味があるわけだよね、どう見てもVAIOのプロモーションだもの。あの亡くなったアップルのジョブスが「VAIOはセクシーだと」最大級の賞賛をしたソニーの最後のヒット商品だ。
どうしていきなり国会の要人たちの手元にセクシーなPCが陳列することになったのだろうね。僕は、あわてて、チャンネルをザッピングしてみたが、重要な国会の審議らしく、各局がそろって歩調をあわせて、その5台のVAIOの美しい筐体とロゴを写しだしていた、いえいえ、首脳らを映し出していた。

日本では1%の視聴率は100万人が見ていることと計算されている。ベトナムはどうなのだろう。ベトナムの人口は8700万人。日本より、3000万人ほど少ない。でも、日本の日常生活の中ではテレビが情報や娯楽の王様から転落して久しい。分散多様化しているよね。でもベトナムの家庭では、日本の昭和40〜50年代の様に朝からつけっぱなしだし、テレビ見ながらの「ナガラ族」になっているように思う。ちょっと懐かしくもある。

だから、1%が100万人ではなくて、仮に80万人であっても、各局分の視聴率を合計すれば30%ぐらいはあったんじゃあないかしら。フェルミ推定というより、邪推定といったほうがいいのかもしれないけれど、掛け算すれば80万人×30=2400万人の視聴者が、国会という権威の殿堂にて大胆に使われていた(陳列されていた)ソニーのVAIOを見てしまう羽目になったということさ。誰が仕掛けたのかは知らないけれど、僕なんかちんまりとした民放のクイズ番組の解答タレントの手元に商品を置いていただく様にがんばていたのにさ、ベトナムでは、国会の重要審議の要人たちを否、中継カメラはマラソンのトップランナーを長時間押さえるごとくにずうっとVAIOの銀色に光る筐体をキチンと撮影していたんだ。たぶん、1時間ぐらいね。なんてこったあ。

最近凋落傾向で、サムスンに人気度奪われていて、心配であったが何と、すごいところで復活。ソニーはベトナムの日本企業大手としてはめずらしく、ベトナムのHCMCから10年ほど前に撤退していた。ってことは、ソニー、もう一回ベトナム参戦か。でも、テレビ部門は韓国のサムソン、LGに天下取られているし、どんな製品で復活するのだろうか。世界のソニーだから、戦略的にこの国会をVAIOで掌握したのだろう。あはは、アジア各国、東欧、中央アジアなどの国会中継にもVAIOが食い込んでいるのかしらね?ソニーの復活は日本の低迷プレゼンスをぶっ飛ばすことになる。吠えろ、ソニー!
各国国会はVAIOで支配せよ(僕はMACですがね)。
  


 *上記から数日たった今日15日の朝のVTV1ニュースに出てきた国会の模様にもホーチミン大統領の大きな銅像の下の5人の要人用のひな壇には、お歴々は不在であったが、VAIOが5台ともボンドでくっついている様にロゴを光らせて鎮座していた。

2012年5月6日日曜日

ベトナム語・漢語・和製漢語の関係ちょっと面白いよ。

以下は「日本語教育」というメディアに掲載されたものです。出来るだけ、特にベトナム関係者が多いこのブログで多くの方に読んで頂きたく、例によって勝手に不法にコピーさせていただきました。中半からは、WEBに飛んでご作成者名も含む原稿全部を高覧頂けるように致しました。関係者の方には大変恐縮ですが、ご理解を賜りたく宜しくご高配下さいませ。責任は全て阿部正行にあります。(*読みやすくするために一部整理・削除などした)


「世界の日本語教育」18号             2008 年 6 月発行

「ベトナム語母語話者にとって漢越語知識は日本語学習に どの程度有利に働くか 」
――日越漢字語の一致度に基づく分析――

・研究者 松 田 真希子、タン・ティ・キム・テュエン 他

要旨
本研究は,ベトナム人日本語学習者のための日本語の漢語とベトナム語の漢越語の対照分析
である。現代ベトナム語は漢字を使用しないが,語彙には漢語からの借用語(漢越語)が多い ため,韓国語・日本語と同様に漢字文化圏に属する.そのため,ベトナム語母語話者は,日本 語を学ぶ際に学習ストラテジーとして漢越語知識を活性化させていることが明らかになってい る。しかし,実際に漢越語知識がどの程度日本語学習に効果があるかはまだ明らか にされていない.そこで本研究では,ベトナム人学習者が日本語を学ぶ際,漢越語の知識がど の程度日本語学習に役立つかを明らかにすることを目的に,日本語能力試験出題語彙全約 8,000 語に占める二字漢字語約 4,000 語における漢越語との意味の一致状況を調査した.その結果・・・

(1) 二字漢字語においては全体の 5 割が一致語や類似語である。
 (2) 1 級と 2 級の二字漢字語については日越漢語の一致や類似が 6 割近くに達し,更に語
彙全体に占める二字漢字語の比率も 1 級 56%,2 級 46% と高くなっている.
(3) 4 級語彙については日越の漢字語彙の一致度は多くとも 2 割以下である.3 級も同様に
一致度は低い.
(4) 和製漢語と漢越語の一致率は 6 割以上であり,学術専門用語であれば更に一致する可能性がある.

・・・ということを明らかにした.これにより,漢越語知識は日本語の習得に役に立つが,特に効果 が発揮されるのは中級以降であること,また学術専門用語の学習には漢越語知識が役に立つ可 能性が高いことが明らかになった.
ただし日本語学習における漢越語の効果については個々の意味の対応の調査だけでなく,書 字や音との関係性も踏まえて漢字語彙の認知処理の状況を調べる必要がある.今後の課題であ る.

1.は じ め に

近年ベトナム人日本語学習者数は急速に増加している.日系企業の工場進出に伴う日本語需要 の増加が第一の原因と考えられるが,多くの若年層を抱え,高等教育機関も不足しているベトナ ムでは,日本への留学生数も急激に増加し,2006 年ではマレーシアを抜き中国,韓国,台湾に 次ぐ第四位となった.今後も日本語学習者や日本への留学生数は増加することが予想される.
一方,学習者数の急激な増加にもかかわらず,ベトナムは他の日本語教育先進地域(アメリカ, 中国,韓国,タイ,マレーシア)などと比べ,日本語教育の基礎研究も教材開発もほとんど進ん でいない.音声研究でいくつかまとまった研究があり1,自国で製作された語彙集,表現集や日 本で製作された教材の翻訳版が多少ある程度で,語彙,文法,聴解,教授法等あらゆる方面で研 究を推進する必要性がある.

本稿では,ベトナム人の日本語教育への基礎的な研究成果の蓄積に貢献する研究の一環とし て,漢字教育に焦点を当てる.漢字教育を取り上げる理由は,漢越語の正の転移にある.世界中 の言語の中で,日本語を学習する上で最も有利な母語が韓国語であることは間違いないだろう. そしてベトナム語の語彙は韓国語と同様,固有語の上に漢字語(古典中国語系語彙)と英語など の欧米系借用語の二つの上層を持つという意味において日本語と似た語彙構造を持っている.実 際ベトナム人日本語学習者が日本語の漢字語と自国の漢越語に一致を感じることは少なくない. しかし,漢字圏といわれる中国語や韓国語母語話者と比べた時,同程度に日本語の習得が早いと いうことは決してない.果たして彼らにとって漢越語の知識はどの程度日本語学習に有利に働き うるのだろうか.

本稿では上記の問題意識に基づき,ベトナムで用いられている漢字語(漢越語)と日本語の漢 字語の対照データベース作成にもとづく調査結果を報告し,ベトナム人にとって効果的な語彙教 育に関する考察を行う.具体的には,日本語能力試験出題語彙における二字漢字語約 4,000 語を ベトナム語と対照し,漢越語がどの程度日本語の漢字語と一致しているかについて分析すること にする.

 2.ベトナムにおける漢字教育における漢越語使用の現状

現在,ベトナムでベトナム語母語話者に対して漢字教育が行われる場合,!漢越語は日本語学 習に有利に働くため積極的に活用したい"と考える教育機関と,!有利に働かないため積極的に は利用しない"と考える教育機関とに分かれる.
最も積極的に利用している代表的機関としてはホーチミン市のドンズー日本語学校がある.そ こでは学習開始時にまず漢字に対応する漢越音を約 800 字導入している.これは,その後の日本 語学習で導入される語の漢字に漢越音をあてはめて意味を類推しやすくするのが目的である.他 の日本語教育機関でも漢字の導入の際,その漢字そのものや,その漢字を用いた漢字語彙に相当 する漢越音を導入する機関は多い.ハノイ国家大学外国語大学やハノイ外国語大学(現ハノイ大 学)もこれに該当する。
一方,消極的立場に立つ機関では,漢越語と漢日語の意味のずれを警戒し,非漢字圏の学習者 と同様に漢字を教えている.漢越音導入を積極的に行わない機関としてはハノイ貿易大学,ハノ イ国家大学人文社会大学などがある。
日本で日本語教育を受けるベトナム人学生も,漢字を学ぶ際,漢越語の知識を教室で提示され ることはほとんどない.日本では,ベトナム語を漢字圏と認識している日本語教師自体が少ない ことも一因であろう.
一方,教える側とは異なり,ほとんどのベトナム人学習者は自身の漢越語知識を学習に利用し ているとの調査結果がある.ベトナム人日本語学習者の漢字学習ストラテジーにおける漢越語利 用の有無については Tuyen(2003)の研究がある.Tuyen はハノイの 4 つの日本語教育機関(ハ ノイ国家大学人文社会大学,ハノイ国家大学外国語大学,ハノイ外国語大学(現ハノイ大学), ハノイ貿易大学)で日本語を学ぶ学生 416 名に対して,Bourke が開発した漢字学習ストラテジー SIL+(Strategies Inventory for Kanji Learning Version 1994)を改編した質問表に基づいて調査を 行った.その結果・・・

(1) 漢字学習ストラテジーをグループ別に見た場合,!漢越音"は!感情的反応"!文脈の利 用"についで使用される頻度が高い。
(2) 具体的なストラテジーごとに比べた場合,特に!漢越音を覚える",!漢越音から連想する" というストラテジーは漢字学習ストラテジーの上位(66 項目中 3 位と 5 位)に位置する。
(3) 教育機関で漢越音を積極的に取り入れるかどうかにかかわらず,学習者は漢越音を漢字
学習ストラテジーとして積極的に利用しているということを明らかにしている.これより,ベトナムで学ぶベトナム人日本語学習者は教育機関 にかかわらず学習ストラテジーとして漢越語を積極的に活用していることがわかる.

3.日本語の漢字語(漢日語)と漢越語の特徴


日本語の漢字語の特徴はいくつかあるが,第一にその多様な読み方が挙げられる.いわゆる音 読みと訓読みの二種に加え,音読みに限っても,取り入れた時代や地域,位相4 によって三種類 の読み方がある.時代別に呉音(六朝時代・江南),漢音(唐時代,長安を範とする北方音),唐 音(宋音,南方)がある.現代日本語の音読みに見られるこの多様性は,現代中国語及び他の漢 字圏においても見られないため,漢字圏出身者にとって日本語習得の難しさの一つとなっている.
第二に同音語の多さが挙げられる.玉岡(2002: 27,2005: 49)によれば,日本語には中国語 のような声調がないため,漢字導入時に中国語の漢字の発音が単純化され,多くの異字同音の漢 字が生まれた.常用漢字中,多いものでは,/syoR/(R は長母音を表す)と発音される漢字が 65 字(全て音読み),/koR/と発音される漢字が 65 字(1 字だけが訓読み)にも及ぶ(図 1).この ことも漢字圏出身者にとっては日本語習得の難しさの一つとなっている.
第三に和製漢語の存在が挙げられる.日本では,明治時代前後に欧米の学問成果を導入するに あたり,多くの和製漢語が形成された.科学技術,社会,哲学などの抽象的概念を表す語が多 く,和製漢語の多くは中国,韓国,ベトナムに逆輸入されている.尚,和製漢語の多くは漢音で 作られている.
次に,ベトナム語の漢字語(漢越語)の特徴について述べる.ベトナム語の辞書に登録されて いる単語の 7 割が漢字語(“tù’ Hán Viêt:漢越語)といわれており5,これらは漢字表記が可能で ある.過去,対応する漢字が無い語については,漢字を応用した独自の文字チュノム(字喃)を 作り,漢字と交ぜ書きをすることが行われた.現在ではラテン文字にアクセント記号をつけて表 されるクォックグーという表記法が用いられており,書字としての漢字は使われていない.

以降、コピーしにくい表も多いので、改めてURLで、本文をお確かめ下さい。頭から全文が読めるはずです。
www.jpf.go.jp/j/japanese/survey/globe/18/02.pdf


大変重要な論文です。日本が作った和製漢語(= 日本語)が中国を通さず、太平洋戦争後、ベトナムだけでなく東南アジア一帯に使用され流布したものも多いと聞いている。まさに、この論文はその研究の入り口を示しているかのようです。この論文の目的はベトナム人に日本語を教えている日本人教員向けのものですが、実は僕はその意味だけでない日本語の現代的な広がりについて関心があり、その一つとして、採り上げました。阿部正行

2012年5月1日火曜日

大川小学校近くの三角地帯がチューリップとかで美しい

石巻の大川小学校のそばの三角地帯で、先日伺った時にパンジーが咲いていて、チューリップは小さな葉だけであったのですが、(皆さんと撮った集合写真の背景に写っていますね)現在力強くみえるほどの勢いで咲いていますね。ひまわりのおかあさんのお一人の福田さんから、お写真頂きました。
右側に北上川が見えます。
このあと、ひまわりの順のようです。ひまわりって、8月頃、つまり三ヶ月程度で人の背丈ぐらいになるんですね。すごいね成長って。

下の「芽」は、15年来の友人のベトナムマリン財団の副総裁ツーさんのハノイ市内のお庭に出てきた「大川小学校のひまわり」の芽です。

芽は5〜6個出てきたようです。期待できますね。
いやあ、立派なお庭ですね。庭の向こうはホータイ湖らしい。