2009年5月15日金曜日

当校卒業式 / お笑いと僕の好きな賢人たち(一部)



今日5月15日は第六期804Dクラスの卒業式であった。去年の4月から所定のカリキュラムを本当に良くこなしてきたと思う。804Dに携わった佐久間先生ほかの先生方、担当職員の努力と誠意は並大抵のものではなかった。世界同時不況と遭遇しても彼らの大志を維持させてきたのだから。おめでとうそしてありがとう。写真は当校教室があるハノイ工科大学図書館棟の前で。

タイトルにある3人の著名人が、僕にとっての英雄、心から尊敬できる三人衆です。野茂さんからすると、世界的革命家と同列に扱われて、ちょっと困ってるかも知れないですね。「ちょっと、まずいっす。」でも、野茂さん、良いんですよ。いま、現役で生きている人物で、野茂さん以上の人物、「男」は居ないと言うことです。だってそうでしょう。彼のように寡黙で、「一つの仕事」にまさに全力投球してきた人間がどこにいますか。現代日本は情報時代のまっただ中で、「上手く喋る」というどうでも良い価値が跳梁跋扈している。例えばテレビの状況だ。「お笑い芸人」がいつの間にか「芸人」と格上げしつつ「どうでも良いしゃべくり」の運動神経と運動量だけを発揮して、正に現代ニッポンの文化状況を作り上げている。

NHKも民放の真似すりゃあ、視聴率稼げるとばかりに、去年から吉本を大量動員したりしている始末。過剰なおしゃべり(しゃべくり)と「笑わせたい・笑わせられたい」症候群。深い病巣を抱えた日本のこのお笑い狂想曲は何時終焉するのだろうか。「爆笑問題」は確かに凄い。松本人志も許そう。劇団ひとりも認めよう。たけしやタモリは、一丁上がりの芸術家界の人物だろう。だけど、浜田の一党やケンコバ、ジュニアなどなど、覚えきれない数百名が「笑わせられたい」症候群のニッポンの若者の大半を巻き込み、蔑みを過激に誇大に表現する唯一の笑わせノウハウで席巻している。煎じ詰めるといじめで作る笑いだ。これで、いいんですか。これで、満足してるんですか、テレビ屋さん?

消えかかっている「フォー」のハードコア何とかとか、海パン姿に戻させられた小島とか、世界のナベアツなどの、テレビ界の薄汚いプロデューサーたちに顎の指図一つで奴隷の様に扱われている大量、数百名のそれらの”消耗品”はまさに悲惨だし、その悲惨な連中の実は悲鳴に近い「笑い」を画面を通じて、僕らが視聴して、何が面白いのか。
ともかく、”お笑いの芸人”が居ないと番組が何時からできなくなったのか。貧相な情報過剰国我が日本よ。

ちょっと興奮して脇道に逸れちゃったよ。
で、我が野茂さんは、偉いのである。正しいのである。二昔前「男は黙ってサッポロビール」と三船敏郎がドスを効かせてつぶやいていた。野茂さんは役者じゃあないし、意外に高音を発するので、ああは行かないが、日本の品とか、直向きさとか、孤独の美学とかを唯一一人で支えているように思えてならない。日本の女はかわいそうだぜ。日本に「男」が居なくなって久しい訳だからね。”晩婚”が増え、いい女が結婚しなくなった理由もまったく理解できる。

貧困層の拡大とか、女性の生活力の増大とか、理由は幾つも分析できるが、肝心の「男」不在では、如何ともしがたい。「草食系男子」などという泣くに泣けない名称が開発されたりもしている。更にハンサムからイケメンに言葉が変わって、5,6年経つだろう。その変化が生んだのは「面:つら」だけにこだわることという男への認識の変化だ。どうせ中身がないなら、「顔だけでも」と、女の心はもっともで切ない。
寡黙で有ること。何かに熱中できる「少年」の魂を持っていること。これが日本の男が取り戻すべきキャラだよなあ。だから、やっぱり今、野茂英雄なのだよ。日本の男が皆な野茂英雄化するのもどうかと思うし、社会にはバカな奴、嘘つき、軽い奴、おしゃべりイタリア男などが適当に配置されて居ないとやはり詰まらないものですがね。
ホーチミンとゲバラについては、次回に。

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