2009年4月8日水曜日

究極の遊びというかぁ・・《2》

最近見た映画。
監督名も覚えていない「天才マックスの世界」駄作。
コーエン兄弟の「未来は今」偶然2度目だが、まあ、アメリカらしい映画でリズム良し。
ロシアの「不思議惑星キン・ザ・ザ」まあ、不思議な寓話。佳作。
「カフェ・オ・レ」記憶に残らない最悪。
何とか監督の「フランドル」これは凄い。必見。後で監督名調べます。
「アメリカン・ビューティー」アメリカ家庭のどん詰まりの精神構造。つらいが、なかなかの代物。
ソダバーグ監督「ソラリス特別編」タルコフスキー作品に比べると「不可思議感」がないが、75点。
ゴダールの「メイド イン USA」昔から評判悪いが、初めて見て、いい加減さがやはり目立つ。
ゴダール「彼女について知っている二、三の事柄」やっぱし、いいねー。ファーストシーンから、僕が40年前に見たシークエンスを想起。アランドロンと別れてから、大分経った頃30才ぐらいであるが、マリナ・ブラディーの疲れた感じ、やつれた感じがもろに出ていて、この作品にうまく填っている。パリ郊外の団地妻の売春が如何に哲学的であるか。ゴダールは臆面もなく語る。

革命児ベルドリッチ監督「シェルタリング・スカイ」は、良い。実は身につまされるところも無くはない、辛い映画だ。
ルコント監督「ドゴラ」知らないで借りたが、美しい失敗作。
同じくルコント「仕立て屋の恋」二度目だが、寡黙な雰囲気の中に狂気の閃光が走る。良い。
R・アルトマンの「今宵、フィッツジェラルド劇場で」流石、群像の描き方のプロ、当を得ている。傑作です。
僕の近所の「ナンバーワン」とかいうビデオレンタル屋は、作品を探しに行けない店なんだ。作品群や監督群、役者の群が、全くでたらめなのだ。気持ちいいほど、何もしていない。であるから、御客の僕は、並んでいる棚をばーっとながめながら、良さそうなもの、もう一回見たそうなものを気まぐれに取り出して借りてくる方式で、毎回対応しています。
それにしても、見たDVDの一覧書くのに、振り回されるなぁ。面倒になってきたぜ。

このあいだ、書評が良いので買った「封建制の文明史」がなかなか良さそうだ。ぺらぺれめくっただけだが、僕らの思う封建制なるものがどうも誤訳からくる誤解とマルクス主義的論断に基づいていて、大分実態とは違うようなのだ。楽しみ。だが、読むもの多くて、順番が支(つか)えており読み始めは4月末だろな。例の「カラマーゾフの兄弟」も第四巻の149ページまできたぞ。が、この第四巻は700ページ。分厚い。言葉の放射がこれほど無限な作品が他にあるのだろうか。ともかく、読ませる。一貫して第一巻から圧倒的ですね。読むほどに快感感じてます。最終の第五巻までもう一歩。

で、新潮社「あたらしい生物学の教科書」というのがおもろいのだ。亡くなる1年ぐらい前につまり2004年かな、妻晃子にもらって、あとがきあたりだけ読んで、本棚で醸造発酵させておいたものだ。今回著作者名みたら、何とあのラジカルな暴論連発してマスコミでお馴染みの早稲田の池田清彦先生ではないか。気がつかなかったなあ。彼なら面白くないはずがない。いま、ハノイにもってきて読んでいる。
今日お客様と学生らと食べた豚と鶏美味かった。ハノイはともかく旨い。
究極の遊び2、これは明日だね、本読みたいし・・。以下、10日に。

■ で、究極の遊び考・・。僕の場合、できたら速めに引退し(もう、僕60なのに引退どころか、毎日あくせくあくせく)、世界中の映画会社から名画を収集して、毎日午前中に専用試写室で優雅に5000本ぐらい見続ける。終わったらどうするんだろうとは、今考えていないよ。夢想だからね。このぐらいの幸せならバチは当たらないでしょう?でも、一人で見るのも寂しいものがあるな。やっぱー隣にはビキニのグラマーな女が欲しいな(またか)。できたらC・カルディナーレなんかどう?うらやましいだろご同輩諸君。でもなんで、試写室でビキニなんだ、バカじゃあねーの。いま、僕には妻が居るし・・。隠しきれない浮気性、ちょっくら重傷だ。
ビル・ゲイツの場合、彼の究極の遊びとか、楽しみって何なんだろう。全世界に数百億円の寄付の嵐を提供しているらしい。それが遊びとか、幸福感んなのかなあ、背の高いあんまりきれいでない奥さんと毎朝の朝食は何を話して居るんだろう。WINDOWSのビジネスが彼の究極の遊びってことだろう。彼のビジネスは、ウインドウズのブラックボックスの秘密を墓場までもって行くこと、水や空気に相当するパソコンのライフラインから税金のように使用料を有料化としていることだ。遊びまで高まった仕事がこれだから、このケースは最悪ですね。彼の場合はもうこんな遊びなどやめにして、LINUXでも受け入れて、愛人作って、早々にカリブ海にでも逃げて欲しいものだ。

人には色んな究極の遊びとか、至福感あるんだろう。僕にとっては、このブログしたためるのも小さな幸せかもしれないし、乱読もその一つだろう。男の場合、最後までずるずると俗っぽさが抜けないで、みっともない場合も少なくないが、50代、60代、70代と女は小さな幸福感を堂々と求めている。女性は上手く「枯れる」と、和歌や俳句だ、「源氏物語」の読書会だ、女同士の小旅行だなんだと、清楚で正しい遊びに行く場合も多いようだ。男は60,70才になっても、昔の会社仲間とかと群れて、体力無いのに仕事作ろうとバタついてる俗物老人が結構周辺に存在してるでしょ?山口百恵さんとか、原節子さんが典型だが、俗な世間から完璧に隠遁する見事さは、男にはない。女は生き方にメリハリがあるというものですね。ハノイでのお寺参りは、おそらく、何時か日本でも僕は始めるんだと思う。でも”形而上学を語るけど、やや俗っぽく生きる線”が丁度良いのかも、僕には。性懲りもなく、いい女には弱い僕でありたいしね。

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