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2008年10月26日日曜日

10月21日って・・・昔は誰でも知っていた・・

ブログを書くのは意外に骨だ。色々気遣うし、疲れる。実は先週、意を決してブログの作成をしていたら、その日が10月の21日だと知った。これは懐かしの「10・21」だと思って当時を思いを巡らせて書いたり、いじっていたら、すぐ、22日になってしまった。これでは、意味も霧消したので、そこで、一旦全部消して、あらためて、昨日ハノイで、チャレンジしたわけなのです。10月21日は1960年代中半から80年代まで続いたのだろうか、ベトナムに対するアメリカの侵略的戦争を止めさせようと、世界中の学生や青年、市民が立ち上がった世界共通の反戦の日でした。通称「じゅってんにいいち」と言っていました。いま、中年老年の人は大抵誰でも知っている今となってはメモリアルな日付です。

日本に「戦争を知らない子供たち」が出てきたようにベトナムにも同様の事が出てきています。が、ベトナム戦争(ベトナムでは、アメリカ戦争という)自体を知らない子供たちはさすが居ないようだ。この国はいまも、いわゆるれっきとした社会主義国です。教科書では、今でもキチンと「アメリカの非道の行為を歴史的に糾弾」しています。僕が見た教科書ではページが多いだけでなく、全体にそのポリシーが貫かれていたようにおもった。たしか、社会だけでなく国語にもあったような記憶です。

教育はそうであっても、アメリカ文化はグローバル戦略の一環で、モノの思考や感覚に入ってきており、アメリカ大好き青年は多い。朝から晩まで放映しているディズニーチャンネルなどはその先兵の代表だろう。「ハイスクール ミュージカル」などのヒット作品で溢れている。一昨日は別チャンネルで「プラダを着た悪魔」を放映していた。ベトナム語のスーパーインポーズで。
あらためて最高に面白かったが、この様に「NYの最前線」がベトナムの各家庭にダイレクトに「新しい価値」をプレゼンしているのだ。誰も抗し得ない。アメリカの金融市場中心主義が崩壊しつつあり、新しい世界構想が求められているというのに、アメリカのあるいはハリウッド的価値観の根強さは何なのだろう。

2008年10月25日土曜日

ベトナム・ハノイで野球やってみた

本日朝8時から、旧レーニン公園(現在統一公園)の広場で野球をした。僕にとっては30年ぶりだ。我がVCIATの尾崎ラビッツと佐藤スネークスの試合であったわけですが、スネークスはベトナム人女性が3名含まれているにもかかわらず、14対12で勝利。尾崎ラビッツも佐藤スネークスも当校タイガーズフアンの尾崎先生が自腹で道具を買い、この一ヶ月獅子奮迅の働きで、”野球を見たこともない”当校のベトナム人学生(大半はハノイ工科大学の卒業生で日本語やもの作りの基本を学んでいる)に身体はって教えている言わば手作りチーム。
先週土曜はハノイ唯一と思われるベトナム人チーム「ハノイクラブ」と当VCIAT連合軍が試合したらしいが、何と22対3?ぐらいの大差で我が素人連合軍は敗退したようで、昨夜は「勝ちに行く」と誓い合って、監督以下20数名みんなで「犬」を食べに行った。猛虎尾崎は本日は監督業と野球指導に専念、高校球児であった鈴木先生も腰痛とかでアンパイヤ専任。
結局9回出まくった日本人は不肖60才の私だけであった。4打席3安打(内二塁打2本)フォアボール1の好成績であったが、足はもつれるは、ボールにスピードが全く出ないはの現実に直面しあらためておどろいたが、ライトライナーを走ってキャッチした際は、野球少年パワーを久しぶりに味わった心地だ。
3回ほどピッチャーもしてみたが、大リーガーか昔の近藤昭彦ばりの、低いスイングのラビッツのスラッガーにホームランを2本も浴びせられた自信喪失。ベトナム人学生の野球熱は凄い。おとなしい風だが、結構勝ち負けにこだわって野球熱は毎週上昇の雰囲気だ。尾崎監督の夢もどうも大きく広げているようである。学生たちの(当校生は本日15人ぐらいか・・)の恋人が2,3名が来ており、甲斐甲斐しく応援していたり、バットを振ったりしている姿は微笑ましい。