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2010年4月30日金曜日

幕末への関心

この項は、上記に4月30日となっているが、実はいま、5月24日で、ハノイに居る。最近、イギリス人外交官・通訳アーネスト・サトウの「一外交官が見た明治維新 上下」とか、勝海舟の「氷川清話」とか福沢諭吉の「福翁自伝」とか買って読み始めた。なぜか、急に江戸時代の資本性社会というか、ブルジュア社会の成熟度がどうであったかが、知りたくなったのである。江戸時代における封建制の崩壊から資本制への移行のダイナミズムをね。それに加え何故日本は英・仏など列強によって植民地化されなかったのか。大政奉還を迎えた1867年秋から江戸城の明け渡しの1968年(慶応4年・明治元年)が年表では、歴史の境目になるわけだが、その前後の市民の胎動と革命への情熱から、戊辰戦争などの内戦などまで、変化する時代のうねりにある面白さは尽きない。僕は天の邪鬼だから、流行の坂本龍馬とかにゃあ、ほとんど関心がないんだ。国民がこぞって関心するモノにはだいたい落とし穴があるもんだしね、そして、その評価のほどの割には実はつまらないモノも多かったというのが、僕の見方だね。いやむしろ生き方のセンスと言った方が良いかもしれないな。いま、上記の「一外交官が見た明治維新」の下巻を読んでいる。心から傑作だと快哉できる代物だ。例えで言うと、ジョン・リードの「世界を震撼させた10日間」と我がチェの「ゲバラ日記」と同列に並べたい冒険譚である。「世界・・・」は、ロシア革命に遭遇したアメリカのジャーナリストのリードの日記であり、ドキュメントだ。

ボルシェビキ、メンシェビキ、僕好みの社会革命党(SL)とかの盛衰、またレーニン、トロツキーらスーパースターたちの怒濤の進撃と、錯綜する膨大な闘う民衆たち。時空を超えて革命の途方もないエネルギーを現代でも体感できる良本だ。ご覧になった方も居られると思う。映画「レッズ」の原作でもあるのだ。ウオーレン・ベイティーの製作・監督・脚本・主演で、1981年のアカデミー賞最優秀監督賞を取った傑作だ。ジャック・ニコルソンやダイアン・キートンもキャラを添えている。ハリウッドの懐の深さを思い知らされるね。何せ、アメリカの娯楽の大本営がロシア革命の意義を思いっきり歌い上げてるんだからね。

「ゲバラ日記」は、彼がキューバを去り、新たなる革命戦争の旅に出た後、アフリカから、ボリビアに転戦した時の闘いながらの日記そのままだ。喘息持ちの彼が胸をヒューヒューさせ、息絶え絶えながら、世界の変革を夢みて毎日の戦闘に挑む姿は凄まじく、僕らを駆り立て魂を奮わす浪漫が溢れ出ている。2000年に「トラフィック」でアカデミー賞最優秀監督賞を取ったスチーブン・ソダーバーグ監督2008年製作の「チェ28才の革命」「38才別れの手紙」の二連作の原作の一つとしても有名な日記なのである。

このふたつの有名な作品に比べれば勿論地味な印象でしょうが、長州や薩摩とイギリスなど多国籍軍との戦闘あり、幕府とや不良素浪人たちとのアクション有りで、これも息をつかせぬ「映画向き」な傑作なのだ。桂小五郎、西郷吉之助、勝海舟、徳川慶喜、伊藤博文、高杉晋作、榎本武揚、大隈重信、明治天皇、坂本龍馬などまさに本人がリアルに登場し、アーネスト・サトウと会話を交わし、その上で厳しく論評されているから面白さは尽きない(吉田松陰と福沢諭吉はたぶん出てこないが・・)。それだけでなく、僕のこの本の読書テーマである、ブルジュア資本主義の成熟度の様子の描写も飽きさせない。1850年代、勿論江戸末期だが、全国の大都市の街の一角には本屋があり、公立学校があり、通信網も整備され、地方の港には各藩が大型軍用汽船も所有していた。現在とは大分違うだろうが特許制度もあった。越前福井辺りでは、道路にチリ一つ出ないように各家庭で玄関先にほうきと水を湛えた大桶を用意して毎日道を綺麗にしていた、とか。巨大商社も勃興しており、外国とバリバリ通商を開始していたんだ、とか。面白そうでしょう?
上記でこの本と「世界を震撼させた10日間」と「チェのゲリラ日記」を同列に並べたけれど、趣がだいぶ違うが正に体験を綴った「大佛次郎の敗戦日記」も時代の激変を見ることができる秀作だ。思い出したので加えておこう。

いま、ベトナムで発行する書籍の原稿書きに時間がとられて、どうも、このブログに向かう時間がもてず、というか書き出す心の勢いが減退しており、これには往生している。5月分も一本ぐらいは、近々まとめるとしよう。

2010年4月28日水曜日

卒業生が授業した :写真付き


*上の写真は、「先輩の授業」の記念写真。ご苦労様。


*上の写真は、中央の赤い当校ブース前での、ハノイ工科大学生への勧誘イベント。
先日、提携先のハノイ工科大の校庭で「就職祭り」があり、例年の事だが当校も参加した。当校現役学生もたくさん協力してくれてブースの中と外で「注目を引く」ためのイベントを展開してくれたり、新任の若い教員も張り切ってくれたり、とっても活気あるイベントであったようだ。日本語を猛烈学習し、日本で就職したい学生がいつもながらたくさん参集してくれた。また、一昨日は、アユミ工業でエンジニアとして働くチエンくんと、興南設計の設計のツックくんが、ハノイにGW帰省したので、当校で「VCIの先輩の体験・報告授業」を実施した。彼らが仕事上で体験した先進の技術、日本の仕事システム、社会の環境などなど、とっても重要な事を授業という形で、学生たちに「教授」してくれた。これまでも4回やってきたが、今回は「先生」が2名であったし、またお二人とも二年以上の日本体験者。だから、現役学生たちも熱心で質問も多く、とっても有意義な一時間半となったようだ。お二人ともありがとう。ご苦労様。また、アユミ工業さんと興南設計さんのご協力にも心から感謝申し上げます。

昨日、ニュースで「第五福竜丸」の何とかという方が、アメリカでの反核集会のためにアメリカに行ったことがニュースになっていた。ああおどろいたなあ。第五福竜丸って、僕が小学校の一年のガキの頃の事件です。ビキニ環礁での水爆実験で偶然被爆してしまったのが、この第五福竜丸事件で、乗船員が全員被爆し、確か久保山さんとかいう漁労長か船長が亡くなられた事件でした。当時、広島、長崎に続く第三回目の日本の被爆事件として、大ニュースであったことは、子供の僕も記憶に鮮明に残っている。その後、その船体の保存を巡ってのニュースが時々あった。その船員のお一人が、まだご存命で、それも元気な出で立ちで、アメリカン航空の機上へのタラップを上がっていった。本当に驚いた。この方は、元気で生き抜いておられたのだ。何かちょっとホッとする気分。でも、3回も被爆した日本が、3回の原水爆を破裂させ罪もない市民を数十万人殺したアメリカにほぼ60年間、子犬の用に従順で、軍事基地(占領の)の縮減や撤退の議論すら「抑止」の恫喝の下、なあ〜んにも動けない現状が続いて来たことに改めて愕然とする。

最近「ツイッター」が大流行で、例のバカ殿もすぐに会員になって、時々「つぶやいて」いるようだ。キチンとしたジャーナリストで高名な斉藤貴男さんが「エコノミスト誌」で、オープンな印象作りで始めたのだろうが、総理大臣の責任と権限についてまじめに思考していないのではないか。首相は野次馬じゃあないのだ、という趣旨の事を書いていた。まったく、そうだと思う。政治的責任の重さにほとんど頓着していないと言うことだろう。もし、重要な情報とか、方向性のニュアンスとかをうっかり「つぶやいた」ら、どうするのだろうか。オバマと1対1で普天間基地のことでツブヤキ合うのなら、勿論任せるよ。でもツイッターは世界中のスパイやらゴシップマスコミやら、政敵やらが、みい〜んなチェックしているのだぜ。いい加減してほしい。その前に、例の毎日無様に緊張顔や不安定な眼を晒している「変形ぶら下がりインタビュー」を止めないとまずいぜ。あれが、あなたを奈落に落とし込んでいく。 付録:口先だけで有名だし、自分の事しか考えていない桝添が、どうして人気があるのか、全く不思議だなあ。

2010年4月26日月曜日

中国は一気に電気自動車らしい

「赤ちゃんが生まれると、お母さんも生まれる」とテレビで誰かが言っていた。なるほどだね。子供が出来て、初めて女性は母性を獲得でき、母としての生き方が始まると言うことだろう。誰だったか知らないが、とても良い言い方だね。生まれたての赤ん坊は、まあ、猿と未分化でかわいらしさがあんまり無いとおもうが、3ヶ月ぐらいすると(だったかなあ、ちょっと忘れた。半年かな)目鼻も大分しっかりしてきて、無垢な美しさが少しずつ現れてくる。この幼児から小学校の低学年(8才〜10才)まで、あどけない顔と両眼に、世界の全ての総量を超える価値を携えている。この様なあどけなさと毎日肌触れ合っている母親が、正に子供から無垢の価値の影響を受けない訳がないね。人間だけでなく、犬、猫、ライオン、カバだって、ワニだって、イルカもさ、全地球の上の全ての森羅万象を超越出来るのが、子供たちの無垢さだろう。つぶらな瞳とあどけないお顔、全ての時間の歩みはこのためにある。

今年の母の日は、5月9日だそうだ。仙台の母を思い、その想いにしばらく浸りたい。亡くなった妻晃子(てるこ)も、僕の子供たちの母であった。僕にとっても、母のような面も多かった。ブオンも娘LINHの母である。現役の一生懸命に生きている若い母親の一人だ。
ありがとう。母たち。地球上で巡り会えた幸福を改めて噛みしめる。

缶コーヒーの広告で「我慢できない男」というセリフがあった。本当に厭なCMだ。ちょっと前には「あなたのわがままかなえます」みたいな女性誌の見出しとか、CMもあった。冗談じゃあないぜ。どうして、公器であるテレビで、わがままを良しとしたり、我慢しない事を可とする価値観を声高に喧伝するのだろうか。自由な生き様とわがままは対極にあるのに、なぜ、消費社会はわざと、それらを無理矢理に同一化させて、それを「個性」と総称させるのだろうか。情けなくなる。

消費社会ということで、急に思い出して、いいたくなったことがある。我々は日々を過ごしているので、客観的には見えないわけだが、我々の生活を包んでいる社会が、消費社会であり、情報社会だ。消費社会というシステムと情報社会というシステムは、そろそろ賞味期限が切れている。時代との整合性が合なくなり、綻びがあちこち見えてきている。事例は面倒でここでは言わない。そうだからと言って次の価値とか、次の時代が、見える形で顕現してきているわけじゃあない。何となく、解り掛けて来ているというか、ちょっともどかしいが、明確に認識されない何か。言えることは、今まで300年間の資本制社会の終焉とパラレルにその役割を終えようとしているということである。では、人類が創造する次はなにか。レギュラシオン(調整)とかアソシエーション(組織)と呼ばれる組織体が答えなのかも知れないし、アジアの家族社会を止揚した制度かも知れない。人類がまだ発見できずにいるNEXTの社会はまだ曙の中にある。

先ほど、テレビを見ていたら、中国の車社会の事を報じていた。トヨタは如何にも日本の伝統的な企業のスタイルを踏襲し、まずはハイブリッドを世に問うた。しかし、遅れをとった日産や三菱自動車は、中間項を飛び越し、電気自動車開発を急いだ。ガソリンエンジン自動車は30000個の部品で作られているらしいが、電気自動車は、エンジンでなくモーターで回転させることが基本となるので、構造も相当にシンプルになり、部品も半分以下のようだ。従って、生産のスタイルも大分変化する。変化というだけでなく、技術的にも新しい異業種の企業の参入も可能になってくるようだ。そこで新しい自動車企業が雨後の竹の子のように生成してきて、群雄割拠状態になってきたのが中国である。テレビによると、中古車屋の親爺や整備工場の青年社長らが色んな部品をアッセンブリーして、デザインは今ひとつだが、立派に走る電気自動車をほぼ手作り状態で生産し販売している、ということだ。かつての光岡自動車(日本の8番目の自動車会社を標榜)みたいに小資本だが、アイディアフルな企業群がたくさん生起し始めていると言うことなのだ。ホンダの偽物企業が、あまりにも熱心で品質が高くなり、ホンダが争わずに仲間に誘った(買収した)というとっても嬉しくなる事件が10年前、中国であった。産業の創生期は、そんなものさ。かつての日本もそうだったし、世界中で始まりはそんなモノだ。現在の「成り上がり電気自動車メーカー」の最右翼はリチウム電池のメーカーから出発したBYDだ。

どうして、我が日本は新参の自動車メーカーができないのだろうか。慶応の清水教授の会社の設立の報は聞いたが、それ以外誰も始めていないようだ。トヨタとかの巨大な企業でしか出来ないという先入観が、一種の怖じ気づきを生んだのか。3大カーメーカーに牛耳られていたアメリカでさえ、中小の参入は始まっているようなのに。日本の場合は大手企業と官僚が歴史的に支え合って「車検制度」を作り、中小の参入を阻んできた過程があった。そういう今や桎梏となった制度はそれこそ仕分けで、廃止し、新風が入り清涼な環境で電気自動車を開発する企業群が大量に胎動してくることを心から望む。電気自動車なら、ベトナムだってメーカーが登場してもいいね。むしろ、登場させたいですね。当校の卒業生は7〜10年間、日本で社員エンジニアとして研鑽をつみ、帰国したら、ベトナムの裾野産業に参入してくれ、そのために、君たちは今、当ハノイ日本アカデミーで日本語と日本企業について学習しているんだよ、と授業で僕らは声を大にして、彼らにメッセージを伝えている。彼らの何人かが、電気自動車をベトナムで始めたら、僕たちの本望だぜ。

日本の総合専門学校のベトナム進出

この間、ハノイの当校に日本の総合専門学校の大手と中大手が3校も視察に来た。うち一校はオーナーが数名の社員を引き連れてきて、勝手なことをああだこうだ言ったあげく、帰国後何にも連絡がなく、その傲慢さと下品さが丸出しであった。他の2校は誠実な視察であった。その相次いだ視察は、日本の専門学校業界の現況の深刻さを表しているということだろう。先日、テレビで「中国は経済の伸長に人材の育成がまったく追いついておらず、これからは日本の教育産業、コンテンツ産業の進出が中国の要請でもあり、重要だ」「工場の進出だけでなく、ソフト系・教育系の業界にとって歴史的なビッグチャンスだ」とかなり華々しい言葉が画面に躍っていた。カメラは中国内陸部の企業や学校を視察している日本の教育・トレーニング関連企業・団体の模様を賑々しく映していた。

上記の視察とこのテレビ番組の内容はシンクロしたもので、一般論で言えば全くそうだろうと思う。我がベトナムも、中国の後塵を拝しているとはいえ、中国よりも「やりやすそうだ」のイメージが幸いし、ベトナムも今後この様な分野の進出が盛況となろう。それも遠くない時期にね。中国の教育に関する法的なことは僕は知らないので、ベトナムの事をいえば、WTOの規定に従って2009年に開放された訳だが、「教育は国家にとって、重要な政治的、民族的な要素である」ので、実態はかなり違うようだ。従って、教育分野の進出はまだまだ難しく、時間のかかる作業となっている。

彼ら大手総合専門学校は、学校自体の進出と、ベトナム人富裕層の子弟の日本への留学(就学)促進の二本立てを考えている(近々留学と就学の区別は無くなろう)。そのうち当面は留学(就学)の斡旋と受け入れ事業が主軸となろう。ご存じかも知れないが、平成20年に文科省は、「留学生30万人受け入れ施策」を公表し、現在もそれに向かって省内や関連財団が動いている。だが、現在、留学生はたかだか12万人だ。その内8万人は何と中国人学生である。その期待の中国人学生や高学歴エンジニアが、不景気の日本にいても埒があかず、最近、帰国数が増えているという。環境を見れば、まったくなるほどと思う。だから、この一連の大手総合専修学校、専門学校の動きはこの文科省の現況に対応もしている動きでもある。現在ベトナム人の日本在留者総数は約40000人。そのうちの留学生が約3000名、さらにこのうち優秀理工系大学・学部や大学院に現役でいるのは、400〜500名ぐらいと思う。東大工学部に30名、東工大に30名(それぞれつかみ数)というかんじである。

この大手専修学校らの動きは、この上記優秀学生の大学留学とは、大分ちがったものになりそうで、いくつかの課題点がありそうだ。現在ベトナムの人口は8600万人で、生活に余裕がある中産階級は1200万人(エコノミスト誌)らしい。従って、その専修学校らの一連の動きはこの200万〜300万世帯の富裕層家庭の子弟を日本に送りだそう、否送り出せると踏んでの計画と思われる。僕の危惧はこの辺りにある。彼らの仕事は優秀なベトナム人学生を日本の優良な大学に送り出すことにはない。当然、自校の「ファッション、電子、CAD、アニメ、フードコーディネーター、日本語、スポーツトレーナー・・」などの学校や課程に入れるための留学(就学)促進である。

僕はそれらの学校の授業内容や授業料、また、就職の現況に対して一概に懐疑的であるというわけではない。しかし、日本の学生が減少しているからアジアの金持ちの子供をドンドン送り出し、受け入れようという魂胆が透けて見えるし、もともと大概の総合専門学校は過剰な学費をとり、低位レベルの高卒者に「プロ幻想」を付与し、甘いモラトリアムを提供しているだけの印象が強い。多くは本物の就職準備スクールになっているのだろうか。大いに疑問が在る。今後、ベトナム政府や日本文科省と相談して「入学する学校が客観的にみて問題ないのか。特に授業内容と授業料が見合っているのか。また、就職に不安がないのか。」を評価するベトナムの機関を作った方が良さそうだ。そのような一定の歯止めが可能な公的機関がないと、日本国内で留学生や就学生のトラブルが目に見えて増大する可能性が高い。それは、いままで親日的であったベトナム国民の日本への信頼を急低下させることに繋がる。つまり、大量でその上就職率に問題を孕んでいる「専門学校」への就学・留学は、とても危険な要素を含んでいると言うことだ。

日本に行ってから解ってくるわけだが、「授業料の割に授業のレベルが低い。日本で友人となった日本人に聞いたら、自分の学校は評判の良くない学校であった。プログラムが就職できる学力に到達できそうもない。企業の就職活動で門前払いを受けた。専門学校と大学の社会的な評価が全く違う、騙された!」など、起こりえる。ベトナムで留学を決めた際、正確な情報もない中で、いわば「騙されるように大金を払い」渡航してしまいかねないのだ。ご存じのようにかつてベトナム人研修生の脱走事件が相次いだ時期があった。10年ぐらい前だろうか。これを思い出させるようなトラブルが大量に再発しはじめたら困るなあ。日越関係者として、大いに危惧を持っている。


(*2012/01/26 加筆: 現在、当校はベトナムに進出予定の専門学校を支援する体制にある。マンガ、アニメ、会計、グラフィック、IT、料理・ケーキ、ファッションなどが、有力と思われる。)



■ 昨日、日曜のお昼前の「田原さんのサンデープロジェクト」の後番組にソフトバンクの孫社長と国家戦略相の仙石さんの対論があるというので、見た。すぐに解ったことは、日本の政治家の多くはとくに最近の民主党の人はバカ殿と日本の悪役小沢を抱え、毎日ひいこらひいこら政局だけに対応している内に、管さんも同類だろだろうが、日本の100年の計を構想する力を失っていると言うことだ。それに比べて、孫さんは、上手い。結論から言うと大した構想を彼は、言ったわけでなく、相変わらず通信だけで国を再興(再耕)するという計画を並べただけにすぎないのであるが、プレゼンのプロの説得力は政治家の数段上を行く。1:まず、落ち着いている。2:言葉がやさしい。3:プレゼン内容に見合った解りやすいチャート図、4:他者の話をじっくり聞く態度、5:龍馬を使っている。1〜4は当たり前のことではるが、ちゃらちゃらしゃべる人物に溢れているワイドショー的なテレビでは、極めて好感度を醸し出すことになる。

彼は、20数年前の創業時に、初めて借りた小さなオフィスで3名のアルバイトの学生を前にして世界一のコンピュータソフトの会社になる、いやなれると宣言してアルバイトの学生たちを呆れさせたようであるが、単なる大言壮語の人物ではなく、「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことをまじめに」話すことが出来る才能を持った人だと思う。この言葉は先日お亡くなりになられた井上ひさしさんの”名言”だ。

そして、特に上手いのはやはり上記の5、つまり龍馬のような幕末の志士たちのイメージを自社の社内的にも、業界的にも、さらに昨日のようなテレビでも上手に活用できていることだ。孫さんは、本心から龍馬を尊敬しているかどうか、解らない。むしろ、彼にとってどうでも良いのかも知れないとも僕には思える。本当に敬愛しているのは吉田松陰かも知れないし、高杉晋作、あるいは勝海舟かもしれないし、アジアは一つの岡倉天心であるのかもしれない。でも、彼は今坂本龍馬を活用しきっているのだ。僕のような我慢できない「前衛好き」は、30〜50%ぐらいな多くの民衆が関心あるものは、格好悪くて良しとしない。僕なんかは忍耐が出来ないので、0%〜せいぜい多くても5%程度ぐらいの少数のトンガッタ人だけが関心を示す事象とか人物しか良しとしない。でも、「新参」だけれども正統派のビジネスマン孫さんは器が違う。何が大切かを深いところで知っている。しかも、孫社長は昔から「ジジイ殺し」で有名であった。先輩たちは何時の世でも「過激でやんちゃだけれども、配慮の行き届いた若造」が大好きなのである。僕もそうだしね。

今回、彼の提案は「i Pad」とか、アマゾンの「Kindle」などのような簡便なツールで電子教科書をつくり、小学生から大学生の全学生に無料配布するものなど、彼らしい「成長産業」構想を解りやすく語った。僕からすると、是非、彼には「農業の未来」とか、通信以外で実体経済を形作る成長産業の生成にキチンと触れてほしかった。でも、孫さんがそこまで語ってしまったら、仙石さんも無用だし、その辺の政治家は誰もが不要となってしまうね。そこまで考えて、政治家にもそれなりのプレゼンスを残したつもりで彼は、全部の総論は控えたのかもしれない。そのときのテレビ視聴者は、彼に政治を任せたら面白いかもと、自問した人も多かったと思う。そのぐらいのカリスマ的魅力は在ったよ。でも、彼は番組のラストに彼らしくなく不用意に「僕に国の経営を任せてくれたら・・」とぽろりと、カメラの向こうの国民に語ってしまった。むむむむむ・・。これが、テレビの怖さだ。

2010年4月20日火曜日

オゾンホールに挑んでみた

地球という生命体の体調は、微妙なものである。アイスランドの火山の噴煙で気温も下がったという。日本などは、元々今春は日照時間が不足で野菜などが不作でスーパーと台所が混乱をきたしていたが、この噴煙で、更に被害が拡大するだろう。20年ぐらい前にフィリピンのビナツボ火山の大爆発があり、今回と同様大きな被害を与えたことを思い出すが、飛行機への影響は、ヨーロッパであるアイスランドの今回のほうが、過剰に影響をうけているようだ。

このことで、20年前の「オゾンホール」番組企画のことを思い出した。言うまでもなくオゾンホールとは、大気の外側を包み地球を紫外線等から守ってくれている薄いが最も地球上の生命維持に関係する”オゾン層”に出来てしまった巨大な穴のことである。現在あちこちにあるらしいが、南極とか北極の上空にはこの大きなホールがあって、紫外線が直接地上に降り注いでいる。人間なら、すぐに皮膚癌になると言われ、生命体である地球にとってもその体調不良をきたす可能性がある、環境問題として大きな問題の一つなのである。このオゾン層の破壊の原因多くは、冷蔵庫やエアコンに使っていた「フロンガス」であるとされる。

1988年頃から2年間程度であったが、僕は「タモリクラブ」や「秘密のケンミンショー」「イカ天」製作でテレビ業界的には有名な「ハウフルス」社でイベント事業部門の部長であったことがあった。ここの社長の菅原正豊さんは慶応の学生時代から、有名番組「11pm」のスタッフをしていたという根っからのエンタメのプランナーで、柔和なキャラ。で、いつも「うふふふふ」と薄笑いしながら、汗かかずにヒット番組を作り出すという名人であった。僕は彼の弟と友人で、その関係でしばらくその会社にいたわけだ。

そのころまた(1970年代中半から)、僕はダイアモンドビッグ社の「地球の歩き方」のコアスタッフの安松さん(後に社長)、前川さん、藤田さん、後藤さんと親しくなっており、「地球の歩き方」のPR映画などを受注し、プロデューサーをやったりしていた。で、僕がハウフルスに居るときに、ダイアモンドのごっちゃん(後藤)から、「阿部ちゃん、イギリスにオゾンホールの拡大を防ぐために、気球で大空に舞い上がり、特殊な機械でオゾンホールに酸素を大量に吹きかけて、オゾンホールを修復し、ホールを小さくすることに命を掛けている冒険家がいる。」と聞いた。吹き込まれたと言った方が良いかな。それは立派な仕事だと直感で納得し僕はすぐ動いた。

で、僕は社内でいつも一緒に仕事をしていた若手ディレクターの若目田君をイギリスに派遣した。社長と専務である弟が、快諾してくれたのだ。ロンドン郊外の何とかという田舎町についてすぐに、その冒険家と一緒に巨大気球に乗って大空へ、とはならず、気球の故障とオゾンホール修繕用のマシーンの未完成で、どうにも身動きがならず、若目田ディレクターは地上にてビデオカメラとスチールカメラで、その苦戦模様と初老の冒険家のインタビューを納めて、慚愧な気持ちで10日後引き上げて来たのであった。社内では阿部たちはインチキ話に騙されたと冷笑されたが、我々冒険派は、再度の撮影チャレンジと番組化をねらってそのタイミングを待っていたものだ。「科学冒険譚」は僕ら男の子にとって浪漫あるからね。それからもう20年、あのオゾンホール科学冒険オヤジはどうしたかなあ。アイスランドの火山噴火で緊急出動し、大気圏に大量に浮遊している火山灰の掃除をしているかもしれないね。それにしても、温暖化は話題になるが、オゾンホールのことは最近あまり話題にのぼらないね。こちらも深刻な事態なのに。

2010年4月16日金曜日

風姿花伝 / 宙を泳ぐ目

「ウイスキー〜がお好きでしょ♪♪」と艶めかしいサントリーのハイボールの歌がときたま流れる。なかなか良いね。石川さゆりの「ウイスキー〜〜」の「きー〜〜」のハイキーな声がとくに色気を醸し出している。気になって調べたら、もう20年近くCMとして使っているようだ。初めはハイボールではなくて、あるウイスキーの飲み方推奨風なものであったようだ。竹内まりやとか、ゴスペラーズのバージョンも悪くないが、小雪の大人の色気との整合性はやっぱー石川さゆりだろうね。あの「キー〜〜」の天に駆け上がるような高さが心地良い。お笑いのおぎはぎのふたりの照れた仕草も悪くないしね。このハイボール版になってから、小雪さんと会える気持ちになった男子が多いのだろう、ハイボール用のソーダとウイスキー角の売り上げが広告戦略通りすべからく増したと聞く。

ぼくが広告やSP、PRの仕事を青山の自分のオフィスでやりはじめたころ、1990年代初頭、丁度20年前だね。当時の第一企画のサントリーなどを担当していた知人がこう言った「阿部ちゃん、今の若者はサントリーオールドを知らないんだぜ。」担当者としてはかなりの危機感で語った。ウイスキーの売り上げが急降下していたのだ。確かに、時代はバブル。若者はこぞって、車を買って軟派に勤しんでいた時代だ。車文化と酒の両立は難しい。さらにウオークマンも定着し、パソコン、インターネットが広がり始めた時期だ。テレビすらも若者の関心から、ズレ落ちそうになってきた時代であった。そんな時期にストロングな酒、とくにウイスキーは分が悪い。女の子とワインとビールで、美味しく食べて、軽く嗜む。そんな都会のおしゃれな時代の空気感は、ウイスキーを自然と遠ざけていたのであった。そのころに、販促として、石川さゆりの歌をつかったウイスキーのCMが生まれたのだ。だから、この歌は20年のロングランということになる。

で、何故か、石川さゆりの「キー〜〜」の声と小雪の微笑が気になって、何年振りかにウイスキーを西友で買った。ソーダも買って、ぼくも小雪ちゃんにあうべく、ハイボールを作って、グイとやってみた。炭酸の発砲が心地良い。いいね、なかなか。今日はぼくもおぎはぎの二人と同様に小雪さんに会いたくて、超高層のガラス張りのバーの止まり木で、ハイボールを一杯ひっかけたの巻。でも、しがないマンションの小さな一室のテレビの前で、ハイボール飲んでも小雪さんは来なかった。その上、ウイスキーはウイスキー、なんだか胃に重く来るだけで、大した味わいじゃあなかんべさ。小雪さんに騙されず、ワイン買えばよかったかな。ああごめん、小雪さんが悪いんじゃあないんですよ、その気にさせられた消費者のぼくが悪いんでございます。そう言えば、去年お若くして亡くなったが、大原麗子さんのサントリーレッドの一連のCMもなかなかな傑作でしたね。麗子さんのあのハスキーなボイスがまだ、僕らの耳に残っている。

ご存じの方がおおいかもしれないですが、サントリーは、昔「壽屋」と言った。竹鶴氏が工場長で、ニッカも創業した不思議な両社。壽屋には、アートディレクターでアニメ作家の柳原良平が居た。また、何と何と開高健と山口瞳も居たのだから凄いね〜。彼らの広告作品の良質さで、サントリーADは広告の歴史に名を残した。「トリスを飲んで人間らしくやりたいな、人間らしく〜♪♪」僕らが小学校、中学校で何度も楽しんだ開髙さんと柳原さんの傑作の一つですね。広告の領域にアートと文化を明確に持ち込んだのは、1960年代のこのサントリーと、1970年代初頭のパルコ・西武であったろう。パルコ・西武は現在失速したが、サントリーの広告の上質と上手さは、まだ健在だね。「ウイスキー〜がお好きでしょ。もすこししゃべりましょ。あなたは忘れたでしょ♪♪」

桜の花が雪で隠れる。16日、珍しいがとっても素敵な気候の巡り合わせが自然界で演出された。何十年振りだそうだが、桜と雪の取り合わせです、それだけで、美しい。それだけで、圧巻の自然のアートです。日本の季節の持つそれぞれの風景がちょっとした変動で、組み合わせが変わる。こんな優雅な楽しみはそういつもないよね。わくわくした一日であった。今日は記さないけれど、植物を愛でてじっと眺めながら心を通わせようとする、老人としてのぼくの「植物誌」を書けたら良いなあと最近しきりに思い始めてきた。

最近、世阿弥の「風姿花伝」を読み始めた。世に言う「花伝書」である。言わずもがな古語だから、難解だ。すらっと読むと半分も意味が読み取れない。訳注と解題に目をやりつつだから、時間もかかるが、その分味わいが感じられ、一種の快感さえある。先日、宮本武蔵「五輪書」と新渡戸稲造の「武士道」も買ってきた。これは仕事で使うのもだが、目次を開いただけで胸が疼く。梅棹忠夫の名著「文明の生態史観」も最近買ってあり、机上に積まれて読まれるのを待っている。そう言えば「高校生のための東大授業ライブ・・純情編」も買ってきた。現在ハノイの当校の授業では「同本 熱血編」を使用しているので、これはその続きに使おうと購入したのだ。東大の中堅の教員がそれぞれの専門の領域の基礎的学問を解りやすく、高校生に教えている特別講座のノートをまとめたもので、知的なコーフンを感じさせるグッドな本だ。数学、物理、生物、世界史、地理、国語・・と多様な分野が親切な配慮の元で上手く開示されている。立花隆さんが書いた腰巻き文にはこうある「大学は世界一の不思議空間だ。とにかく何でもあるのだ。君たちのイメージするどんな大学よりも本当の大学は奥行きが深い。学問というのは何でもありの世界なのだ」と。

民主党の仙石国家戦略相が「参院選は、ダブル選挙になる。もし鳩山さんが辞めた場合、単なる首相交代では済まないだろう」と、今朝(18日)放映の「時事放談」の収録時に語ったと、先週金曜から、あちこちで喧伝されていた。それを確かめるべく、彼と司会の御厨(みくりや)の表情と、ビデオ編集の仕方を凝視していた。而して、何となくはめられて言わされたわけでもなく、一人で吐露しようとしたわけでもなく、ほぼ間違いなく、ディレクターと御厨と話し合った後に段取りよく、話した感が強い。彼がそう話さざるを得なかった理由はいくつかある。黄門様を自認するボケ渡辺恒三が「次の首相は管くんだ」とライバルの名前を言ったことも理由だろうし、選挙しないで首相を変えた場合、安倍、福田、麻生に続いて毎年首相の首がスゲ変わるニッポンの悲惨さが世界で露呈させられる。だからもし、変わるなら選挙を伴った物であれば、いくらかでも事態の深刻さを軽減できるのではないか、と踏んだのかも知れない。

ともあれ、平成維新があっという間にここまで凋落してきた。管さんが良いのか、仙石さんが良いのか僕は解らないが、小沢と鳩山という旧来から金権体質の色濃い田中派をここで一挙に放逐する選択肢はある。しかし、そうするなら、一挙にすべからく、国家戦略構想と成長戦略を図表みせて、解りやすく大々的に提示すべきだ。また、細かいことだ(実は大問題)が、毎日鳩山が宙に泳いだ目を国民に晒している「ぶら下がり」の変形の毎日の首相公邸ラウンジでのインタビューは、即刻止めることだ。鳩山さんは、すでに完全に宇宙人顔だよ、すでに。矢追純一がこれはUFOに乗ってきた火星人です、といってもばれないほどの域に達している。あのインタビューで、鳩山も含むこの四代の首相は引退に追い込まれた。あれが続くかぎり、首相は誰がやっても短命となるだろう。あのやり方は、多分10年未満だ。良くない慣例が定着したものである。完全にあの代表インタビューは、「政治家」としての顔と「政治思想」をすり切れさせる装置と化している。言葉と表情を異常なスピードで消費させる装置となってしまっている。マスコミも自重したほうが良い。

2010年4月12日月曜日

★ 行方なきこころの貧困

先ほどまで、NHKの深夜で「自分の聖地」を紹介する番組をやっていた。プロジェクトXに出ていた国井雅比古アナと阿川佐和子が司会していた。100年前の大正後期に人工的に創られた明治神宮の森。その森の苗木は全国国民から10万本ほど寄進されたもので、それをボランティアの若者たちが6年の歳月をかけて完成させたものらしい。しかも計画の当時に、150年後には人間の手を今後借りなくても自立的に成長発展できる鎮守の森となるように計画されていたという。更に誰が送った樹木が何処に植えられているかの記録も正確に残っている。番組ではインタビューに答えていた福岡の90才代の老婆の父と近所の方たちが当時、魂を込めて送付した樹木の行方の蒼々と茂った巨木になった写真を見て驚き安堵し森に感謝をしていた。彼女にとっての聖地となったということだろう。また、自殺願望の男が羽田空港のレストランで飛行機の発着を長い時間眺めることによって、別な生き方の可能性と希望の兆しをイメージできるにいたり、新生の発進となった羽田の滑走路は彼にとって聖地となった。また、ある初老の女性の癌患者にとって、沖縄戦で逃げ込んだ少年たちがそのまま米軍に焼き殺された洞穴が、自分の祈りの聖地だという。人々の多様な聖地を紹介していた希有な番組であった。

最上川の流れのうへに浮びゆけ行方なきわれのこころの貧困

斉藤茂吉の心の聖地であったということで、最上川の滔々とした流れの映像もこの番組に出てきた。彼の主要な歌集「白き山」の一つの歌らしいのであるが、この短歌に打ちのめされた。この歌が詠まれ、画面にこの歌の文字が浮かんだ後、番組の映像も音声も僕には認識できなくなり、一度倒れるようにベッドに入りいま、意を決して布団をはいで、今このPCに向かっている。この歌は、別に難解な精神性が複雑に入り込んでいる物でもなく、素人の僕がそのままに理解出来て解題出来る作品だと思う。「浮かび行け!」「行方なき」「われのこころの貧困」これらの言葉は、激しく胸を打ち、心を揺さぶる。だけれども、なんなんだよ〜〜、茂吉が自らを「こころの貧困」って、言ってしまって。高名な歌人であり有力な医者である茂吉が、自分の心を貧困とつぶやいてしまえば、ぼくは以後何を語れよう。多分誰しも言葉を失い身体全体から脱力せざるを得ない。失礼ですが禁句じゃあないですか、それって。大茂吉が詠んだら、卑怯じゃあないですかといいたくもなるぐらいギリギリのところを考えて刻んだ言葉なのであろう。僕ら市井の人間のこういった反論に似た異論の生起も充分に計算された上での表現なのであろうと思う。それを理解した上で、この短歌は今のぼくに重すぎる荷を背負わせた作品として、記憶に刻んでおくことにした。

先の項で日本文学の古典をキチンと学んでいないことを吐露したが、晶子も正岡子規、伊藤左千夫、そして、この茂吉も詩歌はほとんど読んで居ない。ぼくは中学校で斎藤茂吉には「赤光」という短歌集があるということだけを学び、一句か二句を授業で諳んじたに過ぎない。唯それだけにすぎない学び方であったのだ。心の貧困、知識の貧困。これから先「行方なき」自分の道をどの様に模索したらいいのか。ますます皆目解らない状態に入っていくような気がする。もう一回、声を出して諳んじてみよう。   「最上川の流れのうへに浮びゆけ行方なきわれのこころの貧困」

昨日、井上ひさしさんが癌で亡くなられたという。言うに及ばず「ひょっこりひょうたん島」の作者だ。「吉里吉里人」「ドン松五郎」戯曲「天保十二年のシェークスピア」「自家製文章読本」とか、ぼくが読んだ物はさほど多くない。彼は山形出身のようだが仙台の高校(仙台一高)出身であり、ぼくの実家のご近所の俳優菅原文太さんの友人でもあったということもあって、昔から親しみを覚えていたし、彼の文学作品や評論集、また彼の平和への熱心な行動に敬意を持っていた。ともあれ、井上さんは、文体の天才と思う。柔和で微笑を誘う文体と展開は、野坂昭如さんと双璧だろう。あまり知られていない中編だが「青葉繁れる」という作品は彼が孤児院から通学していた仙台一高時代の懐かしさに溢れた佳作だ。村上龍の高校物「69」ほどの大暴れはないが、蛮カラ少年たちの仙台グラフィティーと言って良い。ご一読を勧めます。東北の魂を持つ才人に心から合掌いたします。
* 俳優菅原文太さんの実家はぼくの家の近隣で、歩3〜4分のところにあった。文太さんのご尊父は西洋画家でぼくの父と親交があり、ぼくも父と一緒に時折そのモダーンで植物に囲まれたアトリエ兼ご自宅に遊びに行っていた。ぼくが小学1〜2年生である当時には、文太さんは不在であった。仙台一高を卒業し早稲田に行ってしまっていた時期だと思う、一度もお会いしたことは無い。それから15年後、1970年頃ぼくは助監督をしていた練馬の東映撮影所で一度か二度すれ違ったことはあった。人気を博す「仁義なき戦い」の直前の頃である。文太さんは「仁義・・」で主に東映京都スタジオに行かれた。

2010年4月6日火曜日

エンゼルス松井

うれしいね。松井が赤いユニフォームでいきなり入団開幕ホームランだぜ。松井のフアンじゃあないけれど、嬉しくなるね。素直に楽しい気持ちになりますね。今日はヒットもあって4−2らしい。凄いや。ヤンキース入団開幕戦もホームランで飾ったね、あれは満塁ホームランだったかな。いやはや、ゴジラはやはり、日本のスターです。今年はハリウッドがまたまた、「ゴジラもの」の映画製作に入るらしいし、西地区にゴジラが二匹というか二頭登場ということになる。松井を語るには、イチローもいわねばね。僕はイチローも好きです、というか、あの「才能」と「毎日同じ事を積み重ねる尋常でない努力」はまさに天才だし、尊敬している。が、前にも触れたが「言うことに臭み」があるのでつらい。女子アナあがりの女房の教育とアドバイスも在るかも知れないが、それこそ持って生まれた嫌み性分があると言った方が、奥さんに非難も行かず、無難な解釈だろう。

それに比べて、ゴジラ君はミテクレとは違い、謙虚であくまで良い奴なのだ。青春の巨匠といえばインチキ知事森田健作だが、天下の善人の二大巨匠といえば、やっぱー今は、まぎれなくゴジラ松井と浩宮皇太子だろう。浩宮さんは40歳代にして正に純粋。数年前の雅子さんの孤立を心配し、妻を守ると宣言した男気を見て僕は感銘を受けたね。今ではすっかり浩宮フアンさ。彼を見ていると、僕も良い人になろうと不思議に心がクールダウンできる。さて、それはそれとして、ゴジラは余計なことや、小難しい風情の言い回しはしないのだ。ゴジラなどと、ネーミングしたスポーツ紙のデスクは誰だか知らないが、あまりにも絶妙で、若手の時の松井には本当に気の毒な気もしたが、本人も今となっては話題作りとCM受注には、わるくないとか、割り切った大人の判断もしてはいよう。飾らない。そして控えめ。だけれど、これぞという時にスターの真価をはっきする。最高のアスリートだね。彼のオヤジが新興宗教の教祖らしいというのも、世界ゴジラになった昨今は、ご愛嬌となったってことで・・。天の邪鬼の僕も、松井の「良い奴」には、弱いんです。では、臨時ニュースでした。ハノイ発■

2010年4月5日月曜日

ミス別府にベトナム人留学生♪♪

いまどき「ミスなんとか」とは、かなり古めかしいが、ともあれ湯の町別府の伝統あるミスコンテストで優勝はめでたいめでたい。地元新聞や朝日によると、彼女はホーチミン出身のチャンさん(22才)、立命館アジア太平洋大学(APU)の三年生という。写真を見ると、同時に選ばれたもう一人のミスの阿部さんという日本人と写真下のキャプションがないと見まがうほど、区別がつかない印象。プレティーでとっても良い感じ。APUは、名称通り日本で一番留学生が多い大学だ。約3000名ほど居るはず(2位は早稲田で2500名くらい)。そのうち700名は中国からの留学生だ。ベトナム人のデータはないが他国のデータから推測すると数十人規模かしらん。ついでに言うと日本政府はこの10年で留学生を30万人にする計画を進めているが現在約12万人で、増加度合いから言って、目標達成はほとんど無理の状態。

更に、この不景気の蔓延と長期化で、頼みの中国からの留学生やエンジニアたちが帰国を始めている。確かに、それはそうでしょうね。好景気真っ盛り、今年は上海万博もあるし、不景気な日本でもたもたしたくないものね。そう言う意味ではその「間隙」ぬって、ベトナム人に活躍してもらいたいものです。別府のチャンさ〜ん、頑張ってくださいね。別府の町の人たちは美しいベトナム人のミス別府にまったく違和感は無いっていってますよ(新聞報道によると)。2年間の活動期間があるようだけれど、あなたの活動は「ベトナム人にはスレンダーな美人が多いこと、また、熱心に仕事に取り組む姿勢を日本国民に見てもらうことでしょう。ぜひ、多くの日本人との交流を宜しく、お願いいたします。チャンさん、頑張れ。 *日本在留のベトナム人の総数は約4万人、留学生はそのうちの約3000名です。ついでに主な在留外国人のデータ。中国人約70万人、朝鮮・韓国人約60万人(従来からの在日の方が内40万人)、ブラジル人30万人、フィリピン人20万人、アメリカ人5万人、ペルー人5万人です(つかみの人数です)。

最近、動きが急なので、進出・投資ニュースを何本か。
本年は何といっても日本の「新幹線のハノイ・ホーチミン市間の導入」が明るいニュースの嚆矢でしょう、正月明けの大ニュースでした。最近でも日本の4大ビール会社やブリジストンの全国販売会社、本日は神戸製鋼の進出のニュースが日経などの見出しを飾っています。日本の不況で進出を見合わせていた、数多くの企業群が今夏の回復を見込んで一斉に動き出し始めたと言うことだろう。自国の景気が悪いから進出を止めるのでなく、景気が悪いから故に景気の良いベトナムや中国で新たなビジネスを始める、これ自然なことですね。がんばろうニッポン。

2010年4月3日土曜日

金のTSUBAKIの女優たち / リクルートの罪

綺麗です。本当に美しい6名の女優さんたちが、資生堂「金のTSUBAKI」CMの発表を行い、舞台で挨拶をしていた。ハノイで見た映像だから、ちょっと動きがスムーズではなく、30秒ごと位に止まっては動き、声を発してはとまる体なので、せっかくの美しい人たちなのにちょっと無惨。帰国したら、スムースな映像でもう一回見ておきたい。多くのオヤジたちもご存じ、軽快なSMAPの唄に合わせて、日本を代表する気品在る女優さんたちや、フジテレビ退社すぐの滝川クリステルらが、ご自慢の豊かな黒髪をたわわに実ったフルーツのようにリズムカルに揺らせた姿を主に後から撮影した言わば”華作のCM”でお馴染みですね。ぼく、正直大好きです。サブミナルが仕込んであると疑いたくなるほどセクシーです。天国の女房やブオンさんには、内緒だけれど、許されればあの女神たちのあの豊かな黒髪に顔をそっと埋ずめたい、埋めて脳髄を刺激するフェミニンの香りを胸一杯吸い込みたいものですなあ。そういう、CM戦略に僕なんかすぐ引っかかっちゃいますねえ。第一号の部類でせう。引っかかって何が悪いの、と居直りもしたいですがね。どう、ご同輩?でもこういう絶世の美女たちにもそれぞれ夫や恋人が居るわけだからねえ。どういう男子たちなのだろう、癪だねえ。

今回の6名では、ぼくはありさ観月さんにはもう一つ関心が薄いのですが、他5名は大将に鈴木京香、前衛に蒼井優、飛車角級に竹内結子と広末涼子、正に金将に仲間由紀恵という、豪華な配置だぜ。これに、木村多江とか滝川、黒川メイサあたりが、赤と白のTSUBAKIシリーズのように勢揃いしたら、垂涎して眩暈(げんうん)。さてさて、YOUTUBEで見た約4分弱の取材映像で、奇異なことに気がついた。最近の一般的な傾向だから、とやかく美女には言いたくないのですが、女神たちの敬語の使い方が過剰極まりなかったのだ。ぼくの愛して止まない女神たちですから、個々人へは、言いたくないのですが、ある人は「ロサンゼルス郊外で撮影させてもいただき・・」と。税金で撮影に行ったわけでもなく、オバマ政府に無理して特別な場所を借りて撮った訳でもないんだよ。そんなにへりくだらなくてもいいんだよ。「私はダチョウと撮影させていただいた」といった美女もいた。おいおい、ダチョウ倶楽部が何時からそんなに偉くなったのか。「・・に行かせていただき、ライオンの子供と撮影させて・・」スポンサーの制作費でアフリカに行ったのは事実さ、だけれども、視聴者やお客さんの前で「行かせていただき・・」は、発言の弁えが分かっていないよ。それは楽屋でスポンサーに挨拶する場面での言い方だよ。で、百獣の王ライオンは偉大だよ。でもさあ、前足が太い可愛い無垢なレオちゃんにまで敬語かよ〜〜。なぜ、ロスの郊外で撮影しました、と言わないのか。「私はダチョウと共演したのです」といわないのか。

もし、舞台挨拶にシナリオが在り、その段取りで進められたならちょっと非道い話だ。宣伝部と広告代理店の御客をなめた、むしろ愚弄した態度の、その反作用として生起した過剰な被害妄想だとしか思えない。ぼくが30年以上毎日乗車している西武線の車掌に至っては「ドアーを閉めさせていただきま〜す」と叫ぶ。バカじゃんかあ。ドアは「閉めま〜す」か「閉まりま〜す」でいいんだ。言葉は目的をふまえ端正に発すべきなんだ。バカ殿鳩山さんは、昔から過剰敬語で、つまり、国民を知らないから慮(おもんぱか)りすぎになり、過剰反応で、言われても喜んでいない国民を異常に奉ってしまっている。それは大金持ちの(悪気はないが)国民への無知から来ている。ということで、ぼくの大切な女神の皆さん、気をつけようね。

■ 最近、身体が古典を欲している。加藤周一さんの「日本文学史序説」を読みつつ、夏目漱石を読もうと思い立って、晃子の祭壇に積まれている「我が輩は猫である」「こころ」等を取り出した。その本を手にとって眺めていたら、この日本古典的名作をキチンと終わりまで何故か読了していないことが改めて思い起こされてきて恥じた。円地さんか、瀬戸内さんの「源氏物語」も読まずに昇天したくないし、「風姿花伝」「五輪書」も欠かしたくない。少なくとも専門家で無くても読める明治大正の名作は一応全部読もうと心に誓った。今まででも石川淳とか、藤枝静男、正宗白鳥、中島敦、石川啄木、泉鏡花とかそれなりに読み込んできたつもりだが、一万冊も蔵書があって、自分は今まで何を読んできたかと、焦心してしまう。日本の名著の未読の大穴が開きっぱなしである事が、悔しいけれど改めて明白だ。漱石も鴎外も龍之介、志賀直哉、有島武郎も部分しか読んでおらず、晶子や藤村、一葉などにいたっては、多分一冊すら読んでいない最低な読書傾向であったことが今更ながらわかる。

岩波や新潮などが少なく特に文庫本が少なく、みすず、河出、筑摩、技術評論、亜紀書房、工作舎、集英社、現代思潮社、藤原書店、白水社、朝日出版、草思社、国書刊行会、青土社、晶文社、勁草書房、ミネルバ、早川、イカロス、作品社、鹿砦社、美術出版社、パルコ出版、有斐閣などあたりが思い出すだけでも多い気がする。これじゃあ、日本の古典が少ないよね。今後は、限られた時間だからその分翻訳物を読む時間は減らさざるを得ない。でも長谷川宏さんのへーゲル全集の「精神現象学」などヘーゲルの主要なものだけは読まずに、死にたか〜ないぜ。資本論も分かりやすい新訳が出たら読むし、以前ブログに書いたがプルーストの「失われた時を求めて」も必須だしなあ、J・ジョイスも一冊も読まないのは、人生に悔いが残るし。61才のぼくがボケる前に何冊読めるのかなあ。100冊×15年=1500冊だけかあ。両手が使えなくなったら、ほとんど読書が無理になる。でも我がアップルか開発したiPADなら、身体が不自由でも、コンテンツさえ、売ってれば、読書可能かも。

■ なぜ、今の若い人は「ノウハウ」ばかり追いかけるのであろうか。先日、確かNHKで「男子の婚活」を伝えていた。すね毛を抜いたり、「お話教室」に通ったりして口説き方を学習・・・。おいおい、「就活」の後は婚活かあ。悲惨なもんだぜ。ここでは、このヒステリー状況というか「ノウハウ依存症候群」を少し論耕したい。ぼくは1972年ぐらいから、5年ほどそのころはときめく江副さんのリクルートに居た。正確に言うとそのころは東映でテレビドラマの「キイハンター」「アイフル大作戦」「刑事君」「プレイガール」の助監督をぼくはしていたが、僕らの東映での小さい急進的反主流派労働組合の闘いの都合上の「凌ぎ」で、僕はリクルートにいた。「トラバーユ」が発刊されたり、フロムAが創刊された、企業としてのリクルートに華があった時代、ぼくは、そこで映像ディレクターとかコピーライターとして仕事を始めていたのであった。そこには優秀な若い強者がたくさん居た。僕が24,25才の頃だ。

話が逸れるが、リクルートは東大新聞会の営業部の江副さんが「大学新聞広告社」として独立し新橋の森ビルの屋上のプレハブからスタートした、ベンチャーの走りな訳です。そう言う意味で、とっても画期的であり、歴史に名を残す企業となったと思う。リクルート(ぼくが居た当時は日本リクルートセンターと言った)が出来たので、ダイアモンドビッグ社が、文化放送ブレーンが、また日経ディスコが生まれた。つまり、業界というか新しい産業を創造したのだ。これで、今までの「大卒就職・・新聞広告か職業安定所かコネ」の流れが全く生まれ変わったのである。従って、企業サイドも大きく変容し人事部の社員募集と採用のシステムとスタイルを根本的に変革することになったのだ。無論構造的には時代の要請がそうさせたのだろう。しかし一種の革命児江副浩正がほとんど構想し実現した本物のベンチャーであった。だから、社内組織もフラット型(ヒエラルヒーでなく平たい体制)で、江副さんは社内で「社長」とは言わずあくまで「江副さん」であった。70年代初頭にそのような企業が他にあったかどうかは知らない。知らないが、新しい企業組織のあり方に先鞭を付け、何か次の時代を予感させる夢を創造したことだけは確かだ。

しかし、罪も重いものがあるぜ。この項はここからを言いたいわけさ。「学生が、学業や探究をそっちのけで、企業に就職することが大学生の目的となり、血相を変え三年生から就職活動にあたふたとなる運命に引導した」罪はやっぱり、重いね。ぼくが携わった70年代の前半に「企業の調査」という言葉で充分なのに「企業研究」なるインチキ言葉を開発し、流布しつつあった時、ぼくはあきれかえったものだ。でもその「人をその気にさせるマヌーバー(maneuver)な言葉」を書き、媒体化していた一人がリクルートにいたぼくでもあったのだ。僕もその企業研究メディアに色んな原稿を書いていたわけだ。その結果というか、「就職狂想曲に躍らされ自分の主体性に自信のない大半の学生が、採用・面接技術だけへの偏執過多になり、企業サイドから深刻な事態だと警鐘が鳴らされている」現実になってしまった事についてここでオイオイ!と注文をつけたいのだ。最近、企業では面接を通るためだけに腐心する彼らを「攻略世代」とも言っている。この深刻な状況を作り出し、面接攻略だけの一群の、否大半の学生群を結果作り出したのは、やはりリクルートと言えるだろう。しかし、大半の罪は言い出しっぺ、先駆のリクルートにあるのではなく、それに乗せられ大学生の本来の意味を見失った企業と大学と、学生当人にあると敢えて言わせていただく。

若者だけでなく、30歳代の人間も電車の中とかを見ていると何かのハウツー本を読んでいる人をよく見かける。どうして、安直に方法と答えを求めるのだろうか。本当に不思議でならない。自分で考え、自分なりの方法を確立した方が楽しいし、オリジナリティーをみんなに認めてもらえるわけで、先生と言われる他人が適当に、部下や弟子に書かせた「魂が無い」本を読んで何が、何処がどうして参考になるのだろうか、そんな幻想を持つこと自体が不思議としか言いようがないぜ。本質を極めないで(極めようとしないで)、鋭いノウハウなど習得できるはずがないじゃん。俺なんか、30年ぐらい前かな、会社の設立の本と、確か税務の本を買ったぐらいしか、覚えてないよ。

まあそれは良いとして、企業の求める人材はハッキリしている。将来性が見込め優秀と思われる少数の人材(こういう人物には主体性を発揮できるような環境を与え個性を引き出そうとする)と大半の普通の人間と可能性の見込めない人間(これらには、ルーティンな作業を唯諾々とキチンとこなせる様に育成する)とをバランス良く採用する。ただそれだけです。ぼくがリクルートに居た時分と人事や組織、採用方法は大分変化した、確かに大きく変わったが、欲しい人材の本質的なことは不変と言って良い。平たく言うとこういう事です。これ以上でもこれ以下でも無いんです。東大や早稲田、慶応、優良国立ばっかり大量に採用していた東京海上は入社後の熾烈な争いで、自殺者が極めて多い企業として、70年代は一部に知られていた。そう言うこともあって、採用の「層のバランス」にも理があるといえば、あるのだ。

良いとか悪いとかじゃあ無い、組織とは、どうしてもこの様になる。こういう企業の現実の中で「僕ら普通の人間」は、問題はどう仕事上で闘っていくのか、なのだ。そのためにはノウハウがある(あははは、自己矛盾)。でも、このブログは、就職期の若者が読んでいないので、敢えて書かないよ。ただ、企業の人事部の目はもの凄く肥えており、粉飾は瞬く間に見破られると言うことさ。大切なことは、入ることじゃあ無く、入ってからの20年ぐらいをイマジネーションできるかどうかとだけ、ここでは言っておこう。企業研究などすぐ止めて、自分研究を直向(ひたむ)きにね。むだ毛剃って合コンに出てどうするの?自分にはムダな部分なんかありはしない、と開き直ってくれ。人間は十色だ、たで食う虫も好き好きさ。「ノウハウ依存」を脱する事から始めてくれ。就職も結婚も言わずもがな、ゴールじゃあないんだ。でも、本当にあれだよなあ、自分に自信を持てず、いつも不安に苛まれている現代青年は本当に不幸だ。気の毒と言うしかないねえ。ベトナムにでも、来いよ!毎日刺激だらけだぜっと、一応言ってみるか。さてさて、溜息は出てしまうが、何も悲嘆に暮れることもないよ。教育政策と社会政策(多様だが)を”志ある”テーマを決めてキチンと執行すると、10年後には子供たちの生活態度や学習能力が目に見えて向上することは、北欧やフランス、イギリスなどの例でハッキリしている。