2009年5月31日日曜日

★ カムイと「ベスト&ブライテスト」

例の「カラマーゾフの兄弟」読破への速報(大げさですね)です。まだ、第4巻の538ページ。去年のブログの11月18日に「10月末、ハノイへの機上で読み始めた」とあるので、いま、丁度7ヶ月たったわけだ。こんなに面白く、磁力というか、魔力に満ちた文学はそう他に無いと思いつつも、7ヶ月も掛かって”まだ一巻分と200ページ”も残ってる。本好きな諸兄で、全く時間が取れる御仁なら(リタイアの輩とか)、2週間で集中完読可能だろうね。ただし、一気に行くとこれは体力もかなり消耗するので、要注意。

さて、デビット・ハルバースタムの「ベスト アンド ブライテスト」をご存じだろうか。アメリカの良書中の最高の書のひとつであろう。タイトルは正に「最良で、最高に輝かしい人々」に在るように、1960年代初期のケネディ時代から、ホワイトハウスに集結したアメリカの最高の英知たちが、何故にベトナム戦争の泥沼に入り込み、国威が解体し、如何にしてベトナム戦争に敗北していったのかを克明に追ったドキュメントである。僕らが中学校と高校時代に新聞やテレビで名前を毎日聞いていたあのマクナマラ、バンディー大統領補佐官、ロストウ、ラスク国務長官、テーラー、それにJFK、ロバート・ケネディー司法長官、ジョンソン・・。懐かしいアメリカ政治家のトップたちの名前や肩書き。

1990年頃だと思う、僕はこの本に出会った。これを読みながら、作品の舞台である1960年代は僕が野球少年であり、またニュース好きの少年であった事とか、高校の「倫理社会」授業の試験で「倫理や哲学の授業でテストはするのは絶対おかしい」と拒否し、いつも廊下に出て行った16歳の自分を思い出したりした。当時未熟ではあるがでもそれなりに、僕には充分な未来があり、また反抗する相手も見えていた。そしてそれこそ輝かしくピュアでありたいと願い胸を膨らませていたはずだ。毎日、勉強とロックと映画に夢中だった。日本社会に明るい希望が約束されていた時代でもあった。そんな十代の頃の感覚もを確かめながら、上中下3巻(サイマル出版)という大ボリュームだが、こんなに面白い本はないとばかりに一気に読み上げた。訳は元朝日の記者で、キャスター経験もある浅野輔さんだ。

南部あがりのジョンソン(ケネディの次の大統領)以外は、東部アイビーリーグといわれるハーバードやエール、プリンストンなどをトップで卒業しMBAを取得しているエリートたち、子供の時は神童と命名された若い俊英たちが主人公の、見方を捻っていえば、”鼻持ちならない”アメリカの頭脳たちの誠実さ、愛国精神、キリスト教的ヒューマニズム、そして「無謬神話」が、アジアの小国ベトナムにすら通用しない机上の思想であり、戦略であったことを徹底して、暴いた本である。ハルバースタムの取材はおそらく、ベトナム戦争後半から、敗戦後に掛けてであるので、取材された人々が敗北に至る経緯を意外に率直に語る素直さに、この本の取材の仕方の巧みさと、アメリカ人の気質を大いに学んだ。

ご存じかもしれないが、マクナマラは、ケネディに乞われ国防長官に就任し、1968年辞任(事実上のジョンソン大統領による解任)し、世界銀行総裁に転出したわけだが、言わば「功なり名を遂げた」1990年代にベトナム戦争はベトナム人民の民族解放戦争であったとし、自分の遂行してきた「ベトナム戦争」のアメリカの位置付けである反共ドミノ理論を否定した総括を行い、さらに、北爆の直接の要因と言われたトンキン湾での北ベトナムからの挑発砲撃は実は米軍のでっち上げであり、戦争敢行のための謀略であったことをほぼ認めて、本も出し、映画でも語った。勇気ある行動というか、誰も恐くない老人になってからの行動だから、どう評価して良いか解らないが、少なくとも彼及び彼らがホワイトハウスの大統領オーバルルームの卓上に広げられた「地図」上で議論し作成した戦略と作戦で、ベトナムでは300万人以上が無惨に殺された。一方アメリカ兵も3万名が死亡し、5万人の帰還青年兵士たちが精神的に病み自殺したと言われている。この責任を彼と彼らは、どのように取るのであろうか。

先日、このマクナマラが語ったドキュメンタリー映画「フォッグオブワー(戦争の霧)」をDVDで見た。淡々とベトナム戦争の総括を吐露する80歳のマクナマラ、ハノイに行き当時のベトナムの将軍たち(ボー・グエン・ザップら)と、シビアに当時の戦争の功罪を議論するマクナマラ、どこか上手に切り抜けを計る老獪マクナマラ・・。もの凄く「面白い」映画であった。実はこの映画を見て、先ほどの「ベストアンドブライテスト 全3巻」を読了した当時の感想と、また同時に僕の1960年代中葉を想起したのであった。マクナマラはケネディに抜擢される直前は、フォードの新任社長であった。この俊英が将軍たちが待ちかまえる国防省に持ち込んだのはコンピュータによる管理と、数値解析による戦争戦略の立案方法であった。

学習していないのだろう、アメリカ政府はイラク戦争でも同様のでっち上げと、コンピュータによる「ホワイトハウスのオフィスで行う戦争」を繰り返しているとしか思えない。MBAの英知たちが描き出す寸分の迷いもない戦争計画。きれいな戦争。民衆が見えない戦争。アジアの、イスラムの、民衆と文化と歴史を顧みない戦争が、また、また、繰り返され敗北しつつある。マイノリティーのオバマは、白人アイビーリーグのエリートでうち固められている議会やホワイトハウスの中で、さらにアメリカの軍需産業と米軍一体となった政治的総攻撃に、果たして対抗できるのか。

カムイ伝は言わずと知れた白土三平による「忍者武芸長」と並ぶ日本漫画史に燦然と輝く傑作長編である。三島由紀夫に単なる西洋ヒューマニズムと批判された手塚治虫が、深く嫉妬したと言われるのが、この狂気の天才白土三平である。法政の田中優子さんが、カムイ伝とカムイ外伝の全集を使った授業を近年行っているらしい。言わばもう一つの「江戸学」といえるものだろう。それをまとめた「カムイ伝講義」(田中優子 小学館)を昨日から読み始めた。田中さんは15年ぐらい前に松岡正剛さんに紹介されて、何かのパネリストにお願いする際、電話をして話しただけだが、その後テレビでのコメント等も時々聞いていて、いつも見識のある答えに好感が持てる着物姿の艶やか女史だ。

この本のリードタイトルに「カムイ伝の向こうに広がる江戸時代から、いまを読む」とある。なるほど。まだ、出だしと、途中のつまみ読みしかしていないから、安直には言えないが、カムイ伝の半分ぐらいと、カムイ外伝のほとんど読んだ僕としては、咀嚼しながらじっくり読み始めている。アメリカは言うまでもなく、先住民であるモンゴロイド系アメリカインディアンの数百万人を大虐殺した上に建国された清教徒国家である。悲しい運命的歴史を背負っている。その凄惨な西部開拓は日本の江戸後期から、明治になった頃であり、それは1900年頃まで続いている。おいおい、そんな近代まで、自国で民族圧迫やジェノサイドやってる国って他にない。僕の祖父でも1885年生まれだ。古い話じゃあないぜ。

世界有数といわれる豊かな文化に溢れた江戸。この江戸時代には多様な知恵と技術を持つ百姓、商人、職人が、地方や裏町にはマタギやサンカ、穢多、忍びの者、遊女、河原者等など多様な人々が居た。カムイ伝にはその日本社会を克明にかつ、社会的な価値観でなく生き物としての視点をもち、広大な構想に基づいて描写されている。今でも根強い差別の根幹を白土は、言わば唯物史観的なリアルさで何者も恐れず、描ききっている。1967年には大島渚が忍者武芸帳のコマのスチール写真のモンタージュだけでで完成させた映画「忍者武芸帳」を世に問うている。10・21国際反戦デーが全世界で闘われて、ベトナムへのアメリカの侵略に抵抗する若者たちのインターナショナルな連帯が一気に生まれた年である。

ベトナム戦争後アメリカ人たちも自分を見つめるために自分探しを始めるが、連続テレビドラマ「ルーツ」で、黒人はアフリカのクンタ・キンテ少年にたどり着きはしたが、片や”ホワイト”たちの見つめる作業あるいは自省の旅は、ほとんど無いように日本からは見える。5万人のジャングルからの帰還兵が自殺したと聞くが、ホワイトハウスに居た政治エリートで自死した者はいない。アメリカの戦争決定者や政策決定者たちがなぜ、古い歴史をもつアジアや中近東の国の民衆から学べないのか。学ばずして、戦争を始めるのか。それも、原爆や東京大空襲のように市民殺戮を推し進めてきたのか。敢えて言えば、アメリカの政治エリートたちが、カムイ伝に、否カムイ伝に書かれている視点の様なアメリカ大陸歴史書に巡り会っていない不幸が、そうさせるとしか言いようがない。君たち、ネイティブのカムイを見たか?第二第三のジェロニモを見たか!乱暴にはしょると、政治エリートやMBA教育では「市井」とか「民衆」とか、地べたに這い蹲って仕事をし、生活をしている人々の人間性や知恵、文化が埒外として排除されているからだ。フランスなどは、大分違う。パリ国立行政学院などの政治や官僚エリートたちから、革命的レギュラシオン派などが今でも生成している。

キリスト教特にピューリタン的原理主義が横行するアメリカにあって、僕らが高校生時代の1960年代中葉でさえ(たった40年前だよ)、南部の大多数の黒人は、白人と同じレストランにも入れず、バスの席まで車内で隔離され、大学まで入学を制限していた彼の国は、チョムスキーやアントニオ・ネグリなどが「帝国」(帝国主義じゃあないよ)と命名したネットワーク型の資本主義最終形へ行くのだろうか。あるいは、この世界同時不況が、偶然にもアメリカの致命的瓦解から、救い出すための産業構造大変革の切っ掛けになるのであろうか。マスコミでは余り指摘しないが、オバマ時代になり、アメリカ経済は一部とはいえ、昔で言う社会主義政策を実行している。

「ベスト アンド ブライテスト」の読了後、ハルバースタムの作品は大分読んだ。「ネクストセンチュリー」「フィフティーズ」「メディアの権力」かな。どれも卓抜な作品である。因みに彼も、ハーバード大卒業である。

■《ブログご高覧感謝》
ついでに僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
以下は、毎日100人以上の”人気”ページです。ぜひ、ご高覧ください。
多いのは一日1400名閲覧もあります。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

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2009年5月17日日曜日

ハノイで観た映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」

エルネスト・チェ・ゲバラの映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」をDVDで観た。ハノイの僕のオフィスで。以前このブログに「東京のオフィスの近所のレンタルビデオ屋で借りたが、40分ぐらいの所に傷があるらしく、何度掛けてもそこで止まるので諦めた・・」旨の事を書いたことがあった。それを読んでいた当校の佐藤文先生が「お気の毒に」ということで、貸してくれたのだ。ビデオ屋のレンタルものと違って、佐藤先生のは二枚組であった。本編とドキュメンタリー(普通のメイキング映画とは違う)という僕にとっては垂涎ものだ。

15日深夜と16日に何と本編は2回も観てしまった。本編も単に本編だけでなく、「未使用のシーン」とかプロデューサーであったロバート・レッドフォードのインタビューとか、監督のインタビューまで入っているサービス振りなのだ。ヘラルドとアミューズに乾杯だぜ。何処から書いたらいいか迷っちゃうほどの内容盛りだくさんなのである。

さてさて、僕にとっても英雄のゲバラを今更僕が論評してもしょうがないので、この映画を通じてお話ししたい。マックス・フォン・シドーを若くしてそれに草刈正雄をちょっと入れたような、キリスト役が相応しいような知的ハンサムな(修飾が長くなったが)監督のウオルター・サレスがインタビューで語っていた。「原作は、僕らの世代(ラテンアメリカ)のバイブルでした」とね。そうなんだろうと思う。調べたら、彼は1956年生まれだから、いま52歳。で驚いたのはあの驚愕のブラジル映画「シティーオブゴット」のプロデューサーであったのだ。そうか、そうか、流石だと合点した。

1952年1月、エルネスト(チェ・ゲバラ)23歳医学生と生化学者アルベルト29歳の二人のロードムービーがチェが書き残した日記の原作通りに始まる。きまじめでやや線の細いエルネストとラテン系そのもので明るくナンパなアルベルト。旅は人を成長させると昔から言われる。まさにかわいい子には旅をさせろだ。衝突しながらも、友情を深めてゆく二人は、南米におけるスペインの歴史的暴虐を知り、またアメリカとアメリカの国策企業に莫大な富を独占され、古代から自分たちの土地で文化を育み生活してきたアンデスの先住民族や地元民が南米各地で駆逐され、まったくの無権利で悲惨な生活をしいられている現実を見て行くことになる。青年のその認識過程をこの映画は作意をせず、役者ガエル・ガルシア・ベナル(エルネスト役)自身の変容とエルネストとの成長を共振させ、見事な青年の成長の記録して描ききっている。天空の古代都市マチュピチュの誰もいない遺跡で佇み思索する二人、印象的なシーンだ。

ペルーのハンセン氏病のサナトリウムで、ボランティアの医療従事者として働きながら、エルネストは、24の誕生日に無謀な河泳ぎをして、向こう岸の重症患者の隔離病棟へ渡りきる。多分、この行為は今までの自分と別れを告げ、次の世界に踏み込むための彼にとっての必要な儀式であったに違いない。いわば、ルビコン川を渡るための、シーザーの様にね。医学生エルネストから、革命の司令官チェ・ゲバラになるための賽(さい)はこのシーンで正に投げられたのであった。

映画の中程から(エルネストが世界の矛盾を感じ取り始めてから)、モノクロの記念写真風な肖像ムービーのシーンが多用されてくる。アンデスの先住民、放浪を強いられた人々やクスコの市井の民衆たちの、悲しみに満ちた表情が止まったレンズ空間の中にも微妙に動くこの肖像の撮影はこの映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」のエルネストとウオルター・サレス監督のメッセージを忠実にスクリーンに投影せしめる新しいメソッドになった。「うう〜む」唸るほど、効果的な演出だ。ちょっと観念的過ぎる我がゴダール先生の有名”黒画面”より上等な演出術だね。

また、2002年撮影当時83歳で生存しているアルベルトの逞しい記憶力による映画の演出へのアドバイスが、このオートバイ南米縦断ツアー映画の成功を導いている。
もう一度言う。旅を通しての成長物語である。青年の成長を自然に効果的に表現するのは2時間程度の時間しかない映画的表現では困難な代物である。この課題をしなやかにクリアできている秀作だろう。というより映画史に残るロードムービーとして、後世の識者からも賛辞を送られよう。

僕は20代の前半から中半まで、日活と東映の映画現場に居た。撮影現場はいつもプロとしての、職人としての自己主張と喧噪とが、言葉には尽くせぬ緊張を醸し出していた。監督の「アクション!スタート!」という瞬間に全てを集中させるエクスタシー。素人とかミーハーは入れないぞと言うようなギルド的な仲間意識。本編に付いていた「ドキュメンタリー:ゲバラと共に」はメイキング映画であると共に、83歳で生存しているアルベルトの50年後の追体験の旅の記録でもあった。

このドキュメント作品(本編でない方)を見ていて南米の映画チームも日本も同じだなと、懐かしさで僕の口元がほころんできちゃう。撮影助手が女性でいつも執ようにレンズの焦点を合わせている技は見ていて格好良かった。助監督の多分フォース(4人目)のカチンコを持った女性、そしてスプリクター(記録)とおぼしき女性も格好いい、いい女だ。音声、撮影監督、小道具のおっさんたちもジーンズで決めたしゃれ者ばかりだ。まったく日本と同じ雰囲気。嬉しくなってしまう。映画を理解するためには映画言語(マルセル・マルタン:みすず書房)があるわけだが、現場には現場の”撮影現場言語”みたいな共通言語もやはり在って、これもインターナショナルなんだなあと、あらためて解った。アルゼンチンタンゴ、マンボ、サルサなどなど、このドキュメンタリーにはラテンアメリカの快適な楽曲が満載だ。これもこのドキュメンタリーを楽しい作品にしている。

ロングインタビューの中で、当時はちょっとエルネストに比べて兄貴分であったアルベルトが、伝説になってしまった当時の相棒エルネストをちょっと褒めすぎかなと思わぬでもないが、無理もないか。相棒があの司令官チェ、になってしまったのだからね。
老翁アルベルトの相貌のクローズアップには、友情と希望に満ちた一群の青年たちが闘った革命への情熱がそこに蘇って満ちているかのように見えた。静寂な佇まいの中だけれどね。
エルネスト・チェ・ゲバラ・・僕の永遠のヒーローである。天才政治家フィデル・カストロが生存している内にキューバのチェの墓前に行き英雄チェ・ゲバラと対面したい。僕の当面の夢さ。でもこの忙しさで、それは叶うのかしら。

2009年5月15日金曜日

当校卒業式 / お笑いと僕の好きな賢人たち(一部)



今日5月15日は第六期804Dクラスの卒業式であった。去年の4月から所定のカリキュラムを本当に良くこなしてきたと思う。804Dに携わった佐久間先生ほかの先生方、担当職員の努力と誠意は並大抵のものではなかった。世界同時不況と遭遇しても彼らの大志を維持させてきたのだから。おめでとうそしてありがとう。写真は当校教室があるハノイ工科大学図書館棟の前で。

タイトルにある3人の著名人が、僕にとっての英雄、心から尊敬できる三人衆です。野茂さんからすると、世界的革命家と同列に扱われて、ちょっと困ってるかも知れないですね。「ちょっと、まずいっす。」でも、野茂さん、良いんですよ。いま、現役で生きている人物で、野茂さん以上の人物、「男」は居ないと言うことです。だってそうでしょう。彼のように寡黙で、「一つの仕事」にまさに全力投球してきた人間がどこにいますか。現代日本は情報時代のまっただ中で、「上手く喋る」というどうでも良い価値が跳梁跋扈している。例えばテレビの状況だ。「お笑い芸人」がいつの間にか「芸人」と格上げしつつ「どうでも良いしゃべくり」の運動神経と運動量だけを発揮して、正に現代ニッポンの文化状況を作り上げている。

NHKも民放の真似すりゃあ、視聴率稼げるとばかりに、去年から吉本を大量動員したりしている始末。過剰なおしゃべり(しゃべくり)と「笑わせたい・笑わせられたい」症候群。深い病巣を抱えた日本のこのお笑い狂想曲は何時終焉するのだろうか。「爆笑問題」は確かに凄い。松本人志も許そう。劇団ひとりも認めよう。たけしやタモリは、一丁上がりの芸術家界の人物だろう。だけど、浜田の一党やケンコバ、ジュニアなどなど、覚えきれない数百名が「笑わせられたい」症候群のニッポンの若者の大半を巻き込み、蔑みを過激に誇大に表現する唯一の笑わせノウハウで席巻している。煎じ詰めるといじめで作る笑いだ。これで、いいんですか。これで、満足してるんですか、テレビ屋さん?

消えかかっている「フォー」のハードコア何とかとか、海パン姿に戻させられた小島とか、世界のナベアツなどの、テレビ界の薄汚いプロデューサーたちに顎の指図一つで奴隷の様に扱われている大量、数百名のそれらの”消耗品”はまさに悲惨だし、その悲惨な連中の実は悲鳴に近い「笑い」を画面を通じて、僕らが視聴して、何が面白いのか。
ともかく、”お笑いの芸人”が居ないと番組が何時からできなくなったのか。貧相な情報過剰国我が日本よ。

ちょっと興奮して脇道に逸れちゃったよ。
で、我が野茂さんは、偉いのである。正しいのである。二昔前「男は黙ってサッポロビール」と三船敏郎がドスを効かせてつぶやいていた。野茂さんは役者じゃあないし、意外に高音を発するので、ああは行かないが、日本の品とか、直向きさとか、孤独の美学とかを唯一一人で支えているように思えてならない。日本の女はかわいそうだぜ。日本に「男」が居なくなって久しい訳だからね。”晩婚”が増え、いい女が結婚しなくなった理由もまったく理解できる。

貧困層の拡大とか、女性の生活力の増大とか、理由は幾つも分析できるが、肝心の「男」不在では、如何ともしがたい。「草食系男子」などという泣くに泣けない名称が開発されたりもしている。更にハンサムからイケメンに言葉が変わって、5,6年経つだろう。その変化が生んだのは「面:つら」だけにこだわることという男への認識の変化だ。どうせ中身がないなら、「顔だけでも」と、女の心はもっともで切ない。
寡黙で有ること。何かに熱中できる「少年」の魂を持っていること。これが日本の男が取り戻すべきキャラだよなあ。だから、やっぱり今、野茂英雄なのだよ。日本の男が皆な野茂英雄化するのもどうかと思うし、社会にはバカな奴、嘘つき、軽い奴、おしゃべりイタリア男などが適当に配置されて居ないとやはり詰まらないものですがね。
ホーチミンとゲバラについては、次回に。

2009年5月6日水曜日

いま僕の心に響く歌、ふたつ / 映画「東映東制労の闘い」

まずは5月4日の項に記載した映画の紹介をしよう。何故かオリーバー・ストーン監督の作品を意図せず4本借りた。
「天と地」見たのは何回目か。言わば「ベトナム戦争に翻弄された女性」の一代記。佳作。当校の教員とか今まさにベトナムで仕事をしている方にはぜひ、理解の一環として見ていただきたい作品である。

「JFK」言わずとしれたケネディ暗殺の深層(真相)に迫る裁判映画。ゴダールは政治映画でなく映画を政治的に撮る、と40年前名言を吐いたが、正にこの映画はそこがすごいのである。この暗殺を核とし弟ロバート司法長官やキング牧師の一連の暗殺は「アメリカ軍需産業と米軍(CIA含む)一体となって起こした、(ベトナムからの軍の撤退を計画していたケネディへの)軍事クーデターだと断じ、ジョンソン新大統領を名指しで真犯人の一人」と言い切っているのである。この勇敢なシナリオと反戦派オリバーの制作にハリウッドは数十億円の資本を投じ、映画化しているのだ。まずは、そこがすごいね。「当たる」事を前提にしてるハリウッド資本の決定とはいえ一筋縄ではいかないハリウッドの神髄の一端が見える傑作だと思う。ロードショウで見た当時、アメリカ映画人の凄まじい決意の炎に感銘し涙がにじんだ覚えがある。

「プラトーン」オリバー・ストーン監督の従軍経験をシナリオ化した名作と言えるだろう。戦場での心の中の分裂を具象化したモノだ。ベトナム戦争を描いた最高の映画の一つ。
「ナチュラルボーンキラーズ」真実の愛の成就を殺意と殺人でしか表現できない若い男女の幼さと悲惨さそして、切なさ。世界中で上映中止騒動を巻き起こした。まあ、見ててうんざりする殺人の連続。

”口直し”で借りた訳じゃあないが、同日たまたま借りて見たのが、ジョン・フォードの初期の名品2作。
「我が谷は緑なりき」アイルランドの炭坑で働く、信心深く誠実で質素な大家族の物語である。心が洗われる思いがする。人間、こうでなくちゃあね、と、ひとりごちる。1940年代はこういう作品がアカデミー作品賞・監督賞(1941年)であったのだ。モーリン・オハラが本当に美しい。

「怒りの葡萄」スタインベック原作。アメリカが内部で抱える貧困と差別に、高貴で優しくかつもの悲しい表情を湛えた男ヘンリー・フォンダの闘いが始まる。上記と同時期のアカデミー監督賞(1940)である。生き方の原点をじっくりと思い起こさせる名作だね。

「バートン・フィンク」コーエン兄弟のシナリオ作家は大変なんだ、とわめきたい作品。
「ドッグヴィル」デンマークの映画らしい。ニコール・キッドマン主演。結論から言うと、すごい映画です。ブラジル映画「シティオブゴッド」を見たときの衝撃に近いラジカリズム。後半引き込まれ、最後は唖然となる。ただし、舞台中継の様な演劇的空間で進行する(つまり、壁やドアもない抽象空間の芝居の中継さながら)ので、始めの30分は我慢比べ。なんだこいつは・・とぼやくでしょうね。
「アバウトシュミット」ジャック・ニコルソンらしい芝居が満載のリタイアの親父のロードムービー。お勧めだね。

さて、映画「東映・東制労の闘い」
東京の練馬区大泉に東映東京撮影所があり、そのなかにテレビ部門の「東映東京制作所」があった。1974年の事である。そこでは、「キーハンター」「プレイガール」「柔道一直線」「刑事くん」「アイフル大作戦」など、主にアクションテレビ映画が作られていた。・・・中断。
というのは竹内まりやさんの「人生の扉」がNHKから聞こえてきたのだ。初めて聞いた。
ゆったりとして、淡々とした中に当たり前の時間の流れが描かれ行く。震える感動。名曲です。
今頃言うのは相当恥ずかしいのかも。「不思議なピーチパイ」の竹内の一つの到達点だろうなあ。

  • Uta-Net
作詩:竹内まりや 作曲:竹内まりや
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、この際、もう一つ最近感銘を受けた唄。いままで、聞き流してきたのが、これも恥ずかしい。「千と千尋の神隠し」の《いつも何度でも》だ。あらためて、言葉の無限への自在さが解る。さわやかに、心を揺さぶる。ゆっくり読んでほしい。

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ
 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー



 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに

 わたしのなかに
 見つけられたから
 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー 

・・・・・・・・・・一通り終わったところでまた「東映東制労」の映画に話を戻す。
東京の練馬区大泉に東映東京撮影所があり、そのなかにテレビ部門の「東映東京制作所」があった。そこでは、「キーハンター」「プレイガール」「柔道一直線」「刑事くん」「アイフル大作戦」など、主にアクションテレビ映画が作られていた。
当時、ここでは大卒で給与3万円。通常の企業なら5〜6万円の時代に。撮影所であるので、一定の深夜作業は当然だが、徹夜の連続もだれも文句を言わないものなら、数日もつづこうと言う劣悪な差別的環境であった。時代は全共闘が敗北し、残党や多量のシンパが市民運動や労働運動へ流れ、運動を継続していた頃でもあった。時代に「闘う」気分の名残がまだ大分あったといっていい。

この映画は、組合を結成した13名の映画労働者(助監督9名、カメラ助手2名、記録1名、編集1名)が全員解雇にあい、それに抗するために「無期限ストライキ」で闘った記録映画の第一巻である。
1974年の1月の事だ。東映には全国組織「映演総連」を構成する正社員の労働組合「東映労組」があるが、彼らは当時の”民主連合政府路線”に基づいて、我々の闘いに与せず、事もあろうに東映資本と歩調を合わせ、13名の東制労の自然発生的な闘いを押しつぶそうと計った。東制労は契約者(正社員でない、いわばフリーの、正確に言えば臨時工)の組合であった。もともと組合活動なるものに関心のなかった人やフリーで自立してる生活信条の持ち主が多った。逆にいえば素朴で真っ当なことを純粋に正面切ってもの申す「労働運動素人」集団であった。その分だけラジカルであるし、失うモノもためらうモノも何もなかった。

したがって、我々の登場は東映資本にとっては寝耳に水だし、既存の東映労組にとっては、「嫌悪の全共闘(風)の発生」であった。我々は「窮鼠猫を咬む」勢いで双方を翻弄し突っ走ったのであった。我々と記したのは、実は僕阿部は1970年3月映画制作を学ぼうとこの製作所に入ってきていた。この映画が始まる1974年1月は結婚2年の25才、組合の中で一番の年少者で、且つ13名中、早稲田出身が6名。僕はまったく末っ子的な存在ということになっていた。僕はこの仲間たちを心から信じ寝食を共にして約10年間(闘いは実は組合結成の前、69年頃から始まっていた)彼らと共に新しい労働運動の思想と形態を求め闘い続けた。極めて特徴的なことは安易に正社員になるための運動でも、「労働条件の緩和を勝ち取る」運動ではなく契約者(臨時工)で有り続けることを前提として「労働とは何か」「労働者とはなにか」を根底から「生産点」で問い続けるものであった。

この闘いの継続は、13名だけではあり得ず、東映労組の異端派が多い演出部(監督や助監督)などの社員十数人の戦闘的シンパサイザーや東制労と同様な環境に置かれていた撮影所の「東契労」20数名との連帯、京都東映撮影所の協力者たちによって大いに支えられてきたことは明記しなければならない。この映画「東映・東制労の闘い」は斬新で手作りの闘いを進める二人の女と11人の男たちの「怒れる葡萄」と言えよう。
この映画の時点から約5年後の79年、東制労の「生産点」実力闘争は、東映資本から圧倒的解決金と就労を勝ち取り、全面的に勝利し終結した。

次回はいつになるか解らないが、「スタンドバイミー」や「アメリカングラフティー」のセオリーを踏襲し、13名とそれを取り巻く人々のその後の人生を少し、綴っておきたい。
著名なマンガ原作者になった者、有力なドキュメンタリストになった者、東映でプロデューサになり定年後ハンガリーで日本語教師になっている者、中国ビジネスの猛者になった者、そして亡くなった友・・・・。
続編も作製したのだが、管理が悪く、現在見つかっていない。

2009年5月4日月曜日

VCI第一期卒業生がGWに参集

VCI第一期生の中の6名が新宿で飲み会。

忌野清志郎さんが亡くなった。RCの時代から好きであった。彼の歌の解放感は他の誰にもない特別な才能が生み出したものであったと思う。彼は58才。僕とまったく同世代、まさに同時代人の一人だ。彼の歌に影響を受けたと言うことはないし、ライブにいったことも、実はCDすら購入したこともない。遠くから「いいねえ、こいつ」みたいな感覚で清志郎さんにシンパシーの感情を抱いていた。彼の何にも流されない姿勢、抗うことの大切さを綴った言語体系は僕たちを振るわせる光線を常に発していた。じゃあ、またね。合掌。

いま、日本はGWだ。不況もあいまって、4/29〜5/10までの超大型連休にした企業も多いようだね。ベトナムでは、4/30の南北統一の国家記念日(対アメリカ戦争勝利日)、5/1のメイデイと土日の4連休が、今日明けて当校も今日から授業が始まる。ベトナムは日本とちがって、旧正月(テト)は約7〜10日公休となるが、それ以外年間を通じて祭日がとても少なく今回の4連続はベトナム市民にとっては、かなりの嬉しい大型連休となる。

■さて、昨日GWだから、VCIの第一期生が6名新宿に集合、タイン君、ソン君、ティン君、タイ君、ロン君、コア君だ。コア君は、きれいな嫁さんを連れてきた。それに当NPOのアルバイトの横国大生Pちゃん(PHUONG・・発音が日本人に困難なので、こう言わせてもらってる)も加わって、中華というか、餃子で超有名な馴染みの「大陸」に9名で陣取った。第一期生は2005年の6月のまさに開校に参加したグループで10名が2006年4月に日本に就職した(第一期だけ、変則的に9ヶ月間と短かった)。だから、まる3年日本にいるので、日本語もかなりなもので、お店の人もまったく気づかないほどだ。本当に嬉しい。全員ハノイ工科大の機械工学部卒なので、大体は機械の設計職であるが、レベルの高くない職場であったり、ルーチンワークが多すぎたりと、不況で週4日であったり、給与ダウンになったりと、不満はそれなりに有るようだ、が、この不況だから、「まあ、仕方ない」とビール飲んで笑うしか無い様子。でも、向学心は相変わらずで、各人時間を工夫して、勉学しているようで安心した。

で、結局「ご招待」と言うことで、有り難いことにご馳走になった。「我々、サラリーマンでまあ、稼いでますから」と泣ける台詞で、財布から出したお金を押しとどめられた。
まあ、うれしいですね、学校やっていての楽しみはこういった頑張ってる彼らとの飲み会だね。これに尽きる。当校の先生方もいっている。「卒業生と日本で会えるのが、VCIの良さ」とね。普通の日本語学校では、こうはならないからね。たしかに・・。
頑張れ、第一期生!君たちの明日は水平線の様に広大でクリアに望めるぜ。
     *今月15日、ハノイの当校にて、第六期13名(804D)の卒業式が執り行われる。

今週、良い映画を沢山みた。「わが谷は緑なりき」「怒りの葡萄」「プラトーン」「JFK」「アバウト・シュミット」「天と地」「バートン・フィンク」「ナチュラルボーンキラーズ」そして「東映東制労の闘い」である。近々詳細を記す予定。
・・・・「東制労」はタイトルだけに終わってしまってごめんなさい。6日の「今僕の心に響く歌、ふたつ」の項の後半に書きました。