Wikipedia

検索結果

2009年12月31日木曜日

爆笑問題の失笑問題

■年末、三波春夫と村田英男のドキュメントと、ジョンレノンのドキュメントを見た。で、いま。実は1月17日日曜になってしまっている。年末から、書こう、書きたい、でも、見たいテレビもあるし、本も読まねば、ということで、新年もおわり、1月も半月たってしまった。で、書きたいことは結構たまっているので、短文にしあげて、アラカルトを記るしてみたい。

■さあ、まず書道が良い。年末に「書道ガールズ甲子園」という高校生たちのドキュメントを見た。いいねえ。書道を介したパフォーマンスなのだが、何せ参加各高校の「書」のレベルが高いのだ。それも、数メートルの巨大な紙に書くものばかりである。流行の女流紫舟とか、へたくそ相田みつをなどより、数段上の格調さがある作品を身体を使って次々に生み出していく。ちょっと小学生の「30人31足」徒競走の共同性と似ていて、思わず応援してしまう何かがある。NHKの朝の連ドラも、今年は「書道もの」らしい。実は僕は小学校3年から6年まで「東北書道展」という奴に学校を通じて出していて、初段であった六年生の時、銀賞に選ばれて、仙台の丸光デパートであったか、三越であったか忘れたが、授業中に教員と受賞式に行ったことを覚えている。僕のばあい、上手いというより大胆な形に描いての受賞だと思う。

■亡くなった妻の義母はお茶の水大学を卒業した後、「ひらがな」書の師範になり、70歳ぐらいまで原宿あたりで個展などもよくやっていた。デザイナーの浅葉克己さんがドンパ文字とか阿比留草文字など世界の文字をあつめていたり、僕の先輩の田中穣さんが、「世界の文字美術館」をつくる構想で動いていた時期もあるので、僕なりの文字や書に対する価値観や美意識はある。書というより「画」という意識で見ているのかも知れない。ピカソとマチスの作品の感覚が昔から大好きで、心と目にに送り込んでくる色彩とフォルムは、何といっても世界一と確信している。でも、その感覚を超えるような書や文字のフォルムは、古代中国や現代の日本書壇にも沢山ありそうだ。色彩と輝きを放つ墨。平面とは思えない文字の構成。この流行を切っ掛けに書にもっとアートとしてのスポットが当てられるといいなあと、切に願う。

■全国に阿部正行さんは、何人いるのであろうか。インターネット上で探すと、WEBやブログを持っている阿部正行さんは、4〜5名いる。建築家とか、フィギアの有名作家も居るようだ。
65歳ぐらいに引退したら、「全国の阿部正行(読みも漢字も同一が条件)で、集まりませんかあ」という集いをやってみたいと思っています。まあ、おそらく10数名は居ると思う。そこで司会の僕が「阿部正行の皆さん、こんにちは、ご苦労様です。今日司会の阿部正行です。」とやりたいのです。皆さんにお会いして聞きたいことはこれだけです。 ”阿部正行、あべまさゆき”って子供の時から言われてきて、どうでしたか?良い気分でしたか。自分の身体と、脳髄と名前が昔から一体化していましたか?何か不思議じゃあなかったですか?

■■NHKの番組で時々見ているのが爆笑問題の「爆問学問」だ。太田と田中の、どっちかと言えばこの番組の場合、田中のリードで進んでゆく。結構面白い。太田の乱暴な論理の構築と対案が見物であるシナリオとなっている。で、気づいたことは、大半のお相手は理系の学者なのだが、文系の先生と太田は何故か対峙できないことが解ってしまった。去年の11月ぐらいに東京芸大の学長とか、芸大関係の対論が2回ほど連続であったが、太田の芸術の感覚とか、知識は非道いものだった。単に論駁するために強引にあれやこれやいうだけで、番組として内容の無いものになった。画面で彼らを取り囲んでいた、絵画とか、音楽のアーチストの卵たちも爆問の薄っぺらさに辟易したんじゃあないかな。僕もチト驚いた。理系相手だと結構善戦しているのにね。

正月になってから、東京外大の亀山郁夫学長と対論していた。この一年僕が読んでいるドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」とか「罪と罰」の光文社版の翻訳でも有名なロシア文学の先生だ。この時も太田さんは、惨め。話せば話すほど敗残者に落ちて言っていた印象であった。何をどういったか、いまおぼえていないんだがね。問題はシャイで対人関係が不器用で、内弁慶な太田が、彼にとって全くの未知の領域の科学に挑んだ場合、相手の科学者が「素人」に丁寧に教え諭してくれるので、番組構成としては解りやすく良好になるのだろう。しかし、文学や芸術の場合の相手は、太田が一応「芸術分野」であるだろうと知った上で対応してくるので、実は容赦がないのだ。さらに、太田当人も「文化系のインテリ芸人」として知ってるべき事を生半可であることが多いので、どうも大胆に論理構成が出来ず、容赦ない攻勢に押しまくられやすく、「そうか、そんなもんかね」「意外に、程度ひくいのねえ」などと唾棄っぽい台詞を吐くので精一杯とあいなる。太田さんの踏ん張りに期待したい。

■12月8日は、ジョンレノンの命日だ。だから、例年12月はビートルズものや、レノンの回想もの、洋子オノの番組が増える。年末に民放の割に丁寧に作られたレノンの回想番組があった。オノ洋子のインタビュー中心にして進行する充実した内容であった。今までも何度も取り上げられているが、小野洋子の出現でビートルズが解散に向かう下りのリアルな様は凄い。ザ・ビートルズはいわずとも「ア ハードデイズナイト」「抱きしめたい」のややポップなロックではじまり、ラビシャンカールなどの影響、60年代後半の反戦・ヒッピー運動が開花した全世界的な潮流の影響もあって、後半「マジカルミステリーツアー」とか「サージェントペーパーズロンリー ハーツクラブバンド」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」などをリリース、芸術に見事に昇華したロック界から来た初めてのアーチストである。ことばどおり、ベートーベンを超えたのだと思う。

改めて、ジョンの足跡を見てゆくと、解散は必然であったことが解る。ヨーコオノの芸術的な影響が解散を促進させたことはまさにその通りであるが、「イマジン」「ハッピークリスマス」「パワーツーザピープル」を聞くと、芸術に優しさが加わった独特の世界観に到達している。世界的歴史的普遍性を獲得していると換言していい。(ここ、近々加筆する。)

■最近、いやらしいコマーシャルが流れている。大和証券キャピタル何とかという企業のものだ。画面ではカリブ海の島々の民謡(サルサとかレゲエとか)のような音楽を貧しい身なりの民衆アーチストがソウルフルに歌ったり演奏している。アフリカの楽曲も入っているかも知れない。優れてよい。心地よい楽曲である。かつてハッピーエンドの細野晴臣さんが収集していた「地球の声」のようなすこぶる良い曲が画面から流れてくる。でも、なんで、証券会社のCMなの??開発途上の国の文化を使える立場にないんじゃあないか、あんたたち。金融企業のいままでの足跡をわきまえないいやらしいCMだなあ。何処の広告代理店がこういう嘘つきの企画を彼の証券会社に提案したのだろうか。こういう周辺に自分もいたことを恥じる。広告代理店の責任も大きい。こう いう下劣なことはもうよそうよ。
■《ブログご高覧感謝》
僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
以下は、毎日100人以上の”人気”ページです。ぜひ、ご高覧ください。
多いのは一日1400名閲覧もあります。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行 

2009年12月28日月曜日

家族の肖像

昨夜、中勘助の「銀の匙(さじ)」を読み始めたら、急に家族が愛おしくなり、その分寂しさが募った。僕には三つの家族が存在する。ルキノ・ビスコンティ監督の「家族の肖像」をなぞってこのタイトルにしたわけじゃあない。歴史の狭間で倒壊してゆく貴族の家族とは、違うからね。まず、僕にはベトナムに家族がある。仕事のパートナーでもあるVUONGと、娘のLINH。今年は、不況の荒波の中で家族として一緒に居られる時間が激減してしまった。今年は例年と違って、彼女の誕生日もクリスマスも、ぼくの8月の誕生日も一緒に家族としてお祝いをすることすらが出来なかった。例年より大分少なく90日ぐらいしか、ハノイに居られなかったのである。10月のLINHの誕生日だけは、幸い辛うじて一緒に家でお祝いができたが・・。近日もらったブオンからのグリーティングカードはとっても心がこもって、制作に時間もかかった物と思われるうれしい、かわいらしいカードであったわけだが、彼女の言葉には意図せずも「来年はたくさん、一緒に家族でいましょうね」と英語で認ためてあった。そうだね、来年はできるだけ一緒に居ようね。食事もLINHの学校のことも一緒に悩もうね。心優しく、この一年の困難を一生懸命に支えてくれたブオン、本当にありがとう。ブオンの肖像は時間をかけて描写したい。この母子は、僕の新しい大切な命であるからね。今日は「ごめんね」と言う範囲でしかここに書けない。

もう一つの家族は娘のはるひと一行だ、そして、彼と9月に結ばれた嫁さんの紘子さんだ。12月20日は、亡くなった妻晃子(てるこ)の命日。最期は2003年だから、まる6年経過した訳だ。自分の愛する妻が病死してしまう人生を僕が歩むことになるなんて、全く信じられない。が現実は、既に7年目に入っている。彼女と僕は32年生活を共にした。楽しみとか、価値観の共有とかあらゆる事を共にした32年であったように思う。彼女は発病して10年間病魔と闘い続けたが、56歳で天命に従った。その10年間、僕は何をしていたのだろうか。彼女の孤独とか、悲しみや不安に僕は応えてあげられなかった。どう悔やんでも遅いのだが。

晃子の肖像を何時か書かなければならない。ただ、彼女を書くことは、僕自身の内部を誠実に切開せざるを得ないだろう。とてつもない刻苦を身に受けつつ書き進めることになろう。今日は、何も書けない。何時書き始めるのかも、良く分からない。最近、やはり自分も老境なのだなあと感じる。はるひと一行への愛おしさに自然に浸ることが出来てきたもの。出来るだけ会う機会を作って、普通のオヤジとしての会話をすこしずつ、していかねば。子供たちには晃子の人生を伝えたいし、な。僕の義務だ。30日にこの3人(はるひ、かずゆき、ひろこ)と会った。家でぼくは、4人家族として酒を交わし、張り切って手料理を振る舞った(ここだけ31日加筆)。

もう一つの家族は仙台の父親94歳と、母親85歳と、彼らの世話をしてくれている弟とその家族の事である。以前に書いたが、大学七つに籍をおいていた学者肌の教員の父の子供として生を受けた僕。田舎の地主の気丈夫な美しい娘であった母から生をもらった僕。
僕は、この三家族の中で生きている。と言うより、地球上の生のよりどころの在処をここでしか見つけられないのだろうなあ。そういう運命の中で、僕は61歳の自分をどのように見詰めていけば良いのだろうか。どのように思考していけばいいのやらも良く分からない。何時か、何時か、そして何故か、この地上の悲しみに耐えきれず、号泣したい想いが強いことに気がついた。誰に何を叫びたいのか。号泣したい欲求が、肺腑の下あたりに堆積しているような感じ。不思議な感覚だ。この俺が屹立したまま涙を拭こうともせず大声で泣くのだろうか。

「銀の匙」については11月3日のこの欄に書いた。神戸の灘校の国語の1年間はこの「銀の匙」しかやらなかったらしい。あの灘校は、つまらぬ受験用ハウツー学習などせず、何十年もの間、ある教員の下これだけに集中して、国語と文学を体得していたという。その本質的な凄さに驚いて、やっと最近買い求め、読み始めたと言う訳なのだ。

2009年12月19日土曜日

理解を本気に求める

うう〜ん、鳩山さんの目が完全に宙を泳いでいる。自信なげな表情が丸出しとなっていて、気の毒なくらいだね。会見前にマイクの前で転けそうになったりさ。鳩山さんにリーダーシップがないことは、大分前から関係者は充分に知っているわけだから、問題は国家戦略局というか、管さんが活発に動いていないことにありそうだ。何故かね。国連では、CO225%削減をひっさげて登壇して目立ったし、良いデビューを飾ったことになったが、今回のコペンハーゲンのCOP15会議のように開発途上国がガンガン発言し、つわものの海外NGOが跋扈するなかで、どんなに「金だすよ〜」と叫んでも、誰も振り向いてくれない。この世界における日本のプレゼンスと政治力の無さの現実を直に肌で感じたと思う。だいたい、そのような闘いの場に着物着た女房つれていって、どうするんだ。まったく〜〜。

最近小沢さんが、いらついて思わず表面に出始めたが、事態が落ち着けば、裏に回るはずだ。彼は保守の革命家であって、つまり総理大臣は自分に無理と自覚もしていると思う。民主党結党の総費用20億円全額は鳩山さんちのママが提供したわけだから、鳩山さんはオーナーとしてもっとメリハリ付けて欲しいですね。それにしても、すぐに官僚に取り込まれて「省益」にきゅうきゅうし始めた元社会党の赤松とか、防衛の北澤とか、総務の原口とか最低だ。彼らの政治センスは本当に情けない。しかし、期待できそうな副大臣が結構いるね。大塚さんとか、古川さんとかね。なかなか溌剌としています。年末を迎え、気持ちは明るくしていこうぜ。

六月十三日のこの欄に書いたことだが、今時の冴えてる学者は神戸女学院大学の内田樹(たつる)さんと元早稲田の生物の池田清彦さん、東大の上野千鶴子さんぐらいとね。で、いま、内田さんの新しい「日本辺境論」を読んでいる。いままでなかった最深の(最深だよ)知識をもたらしてくれる。彼は丸山真男さんや川島武宜さんの受け売りですとか、埋もれていてもったいないので掘り起こしているだけと謙虚だが、日本に横行する現実主義という仮面や、戦争責任でさえ誰もそれを負うことがない日本の国家の姿、また世界基準に準拠しないと不安になる日本人の位相を余すところ無く暴く。「和を以て貴しと為す」という”思想や戦争をも超越する感覚”。我がニッポンという辺境の思想と文化の成立を語り部の如く平易に解き明かしてくれる。そして、その辺境者の文化を安易に否定せず、より深く論を進めてゆく。本年最高の収穫だといえそうだ。良い本です。先週あたり、ベストセラー上位ランクに顔を出していた。
ページに線を引いたり明快白眉のページの上部を折って、後でまた読もうと意識するのはホントに何年振りだろう。

同時に元朝日ジャーナル編集長の村上義雄さんの「朝日ジャーナル・現代を撃つ」も読んでいる。「朝ジャ」の歴史的意義などだけでなく、小田実さんや、久野収さん、加藤周一さんらの当時の記事や対談もあり楽しい。今となってはとんちんかんに見える当時の論旨もあって、全体が無理せず自然体に仕上がっている。でも去年逝去された筑紫哲也(かつてやはり「朝ジャ」の編集長であった)さんのことが何故か触れられていないようだ。さらに、昨日から四方田犬彦さんの「日本映画100年」も並行して読み始めた。

さてさて、ドストエフスキーの「罪と罰 第三巻」がちょっと進みが悪い。最終巻に来ているのでスパートかけようかな。実はまだ20ページそこそこなんだ。そういえば僕が中学校の時、文学好きなクラスの女の子が既に「罪と罰」を読んでいたことを思い出した。ぼくの高校は男子校であったので、その彼女は間違いなく中学三年の同級生だと思う。多分、江川卓さんの翻訳本かと思ったが不安で調べたら、江川さんのは1965年翻訳だから違うようだ。1965年は僕ら高校だったからね。おそらく戦前からの大御所米川正夫訳なのだろう。その文学好きなクラスの女性は中学三年の14歳で「罪と罰」読んだ後、60歳過ぎたまた最近読んだかしらん。そんな本好きな女の子は結構周りにいましたよね、昔。僕らはまじめな女子と違ってもっぱら「マガジン」」とか「サンデー」。ラジオは「小島正雄の9500万人のポピュラーリクエスト」とか。なつかしいな。洋画は叔父さんが、東一番町に映画館を持っていたので、かなり見た。それについてはまた、次回に。
 
最近のCM。資生堂のヘアスプレー「UNO」かな。なつかしきリバプールの風情の4人が「シュシュッ」とか「ススス」とかしか言わない。たぶん瑛太とか小栗何とかが出ていると思う。みんな似ているんで、見分け付かず。4人ともハンサムで、ほっそり。胸毛もなさそうで、汗もかきそうにないさわやか草食男子。ビートルズの初期のスーツっぽい物着ててかなり格好いい。ビートルズは襟無しだったがね。実に快適シュシュシュッの30秒。ところでリズミカルなデブの踊りは、けっこう小気味良い。シュシュシュの4人と正反対で、迫力あっておもしろい。「凄麺」とかいう即席麺のCM。かなりいける。お相撲さんといっても三段目とかぐらいの髷が小さい連中が、ガンガン踊ってラーメン食うだけだが、なんか可笑しい。微笑ましい。パパイヤ鈴木的なメリハリが効いたダンスだ。見てて気持ち良し。ジョン・ランディス監督の「ブルースブラザース」をちょっと彷彿とさせる。

■先日書いた「ニッポン海外広報考」を整理し、字数を半分以下にして改竄(ざん)した。大分、わかりやすくした。

タイトル『海外諸国の庶民に理解と好意を本気になって求めたい』

私はこの十数年ほど、ベトナムのハノイ市と日本をほとんど毎月往復している。ハノイにも家があるのでテレビ番組を見ることも多い。彼の国のテレビ番組で特徴的なことは、いくつかのチャンネルで「ディズニーチャンネル」「韓流ドラマ」「中国歴史ドラマ」を朝から晩まで放映している事だ。チャンネルを回してあちこち見ているが、それらは洪水のようだ、と言っておこう。

私は団塊の世代である。私たち少年少女の当時の世界の中心は「ぼくら」「なかよし」「冒険王」「少年サンデー」「少年マガジン」などのマンガ誌と数々のアメリカ製テレビドラマであった。
『うちのママは世界一』『パパ大好き』『ビーバーちゃん』『名犬ラッシー』思い起こすだけでも楽しい。『ローハイド』『名犬リンチンチン』『ルート66』『ララミー牧場』なんて格好良いのだろう。毎晩僕らをわくわくさせたハリウッド製プログラムの数々。僕たちはこれらのアメリカ映画を見てアメリカ市民の生活に憧れ、勇気と正義を学んで大きくなった。大人の背丈もある冷蔵庫、大きな牛乳瓶、そして各家庭には必ず大きな車が在ることを知ったのであった。男女の逢い引きが、気軽なデート (Date)と言う言葉に置き換わったのも僕らが中学校の頃であったと思う。

聞くところによると1950年代当時に日本のテレビの各キー局では、それらのハリウッドテレビドラマをほとんど無償か超廉価で仕入れて放映していたようだ。言うまでもない。アメリカの組織的文化戦略の一環であったからだ。ごはん食でなくパン食の積極普及とか大家族から核家族への社会的再編作業などと、これらハリウッド製テレビ番組の広範な放映は文化・広報戦略として一体であったのだ。僕らは、当時無自覚だったけれど。

アメリカはおそらく、戦後の日本での広報戦略スタイルをこの60年間、世界中で継続しているだろうと思う。結果、英語の普及は地球上で圧倒的だ。韓国も、中国も同様に広報に力を入れ始めている。韓国では最近コンテンツとその販売の世界戦略を統括する省庁が発足した。日本への「韓流モノ」の攻勢もその一環なのだろう。ベトナムで日本映画の放映があまりにも少ないので現地テレビ関係者に聞いたら、日本の番組は高額すぎると言う。いま、ベトナムの或る局ではエミー賞受賞のドラマ『アグリーベティー(NHKで深夜放送している)』の「番組フォーマット」(番組のコンテンツとノウハウの売買)を購入し、ベトナム版連続ドラマを制作し、ゴールデンタイムに放映までしているのだ。私は今ベトナム以外の事情には不案内だが、国民の大半が日本を敬愛しているベトナムに於いてさえ、テレビなどを通じた広範な国民への広報活動は完全に出遅れている。

「えっ、内需の拡大?」でも、それが限界に来ていることは誰でも知っている。日本は、社会も文化も成熟し、情報も物品も溢れに溢れている。「これ以上どうしても買いたいという物はないよ。」と大半の“大人な国民”は既に解っている。むしろ、技術移転も含む裾野産業構築を基礎にした各国国民との「共生的な外需」の方向に行かざるを得ないと、これも多くの人は既に予感している。そう言う意味でタイ、カンボジア、ラオス、ベトナムなどのメコン流域地域などは、これからの正にパートナーになっていくだろう。
我々がそれらの国々に提供できるものは多い。「環境分野などを中軸とした技術とサイエンス」や「観光」、「サービス、サブカルチャー(マンガやアニメなど)、食と農などのコンテンツ分野」などは、成長分野であると同時に外需向けに相応しい。しかも、新政権が東アジア共同体構想を本気に押し進めるなら、日本語の流布拡大と日本社会をアジアの皆さんに身近に感じていただく広報活動を貿易、投資、企業進出に先駆けて本気で始めるべきだ。広報はそれらの基礎を作る先行のファンダメンタルだからだ。

はっきり言って、日本の良質な番組を日本政府は日本の各テレビ局や映画会社から計画的に買い上げ、アジア各国の主要メディアに無償で大量に供給したらいい。各国の国民が現地語で視聴できる独自の「チャンネルニッポン」を各国に設置することだって不可能ではない(NHK国際放送は各国在住の主に日本人向けの日本語放送のみ)。現地新聞の活用とか、現地語のインターネットWEB展開など経費「縮減」の施策はいくらでもある。

世界語になった日本語は多い。中でも「もったいない」が世界語になったことは、環境を大切にする新しい時代の嚆矢だろう。日本古来のリサイクルシステムや節約の心から最先端技術まで、私たちが東の端から世界に提案し広報するものは少なくない。 

2009年12月10日木曜日

”ニッポンの海外広報”考

僕は1948年 (昭和23年)生まれである。いわゆる団塊の世代の真ん中に位置し、中学一年生の僕のクラス名は1年18組であり、確か1年生は21組までクラスがあった 。体育館はベニヤ板で仕切られ、教室がまったくの不足状態であった。その当時、僕ら小学生や中学生、つまり少年少女の世界の中心はマンガとテレ ビであった。
「ぼくら」「少年」「なか よし」「冒険王」などの月刊雑誌は誰もが読んでいた。その中の大ヒットは「少年ケニヤ」と「月光仮面」だろう。追って「少年サンデー」「少年マガジン」などの週刊雑誌が主流にな り、「おそまつくん」や「スポーツマン金太郎」などに出会ったものだ。そこでは先代の朝潮や、長嶋さんら僕らのヒーローが表紙を飾っていた。僕たちはこのマンガを毎週毎月むさ ぼり読んで、クラスの友人たちに新しいストーリーの展開や情報を教室や廊下で語り合い伝え合った。

こ れらのマンガと同様に、いやそれ以上に僕らの心をワクワクさせ、話題を提供していたのは、家庭向けや少年少女向けのアメリカの30分ドラマであったろう。 『うちのママは世界一』『シャープさんフラットさん』『パパ大好き』『ビーバーちゃん』「ミッチーミラーショー」『名犬ラッシー』思い起こすだけでも楽し い。『ローハイド』『名犬リンチンチン』『サーフサイド6』『ルート66』『ララミー牧場』なんて格好良いんだ、毎日毎晩僕らをぞくぞくさせたハリウッド 製アメリカ映画のプログラムの数々。

僕 たちは、毎日これらのアメリカ映画を見て育った。毎日少年たちは胸を躍らせながら、アメリカの生活に憧れ、勇気と正義を学んで大きくなった。大人の背丈も ある冷蔵庫、大きな牛乳瓶、そして、勝手口には網戸があり、各家庭には、必ず大きな車が在ることを知ったのであった。男女の逢い引きが、気軽なデート(date)と言う言葉に置き換わったのも僕らが中学校の頃であったと思う。つまり、”中流家庭の幸せ”というもののアウトラインを僕らはアメリカから教わったのだ。

さ て、一年前からの世界同時金融不況が、今となってなにやら日本だけが取り残され、原因の本家アメリカでさえ、現在持ち直しつつあるという現在、内需拡大が 必定な条件だとマスコミや政府は喧伝している。国民の多くは「この様な成熟した社会になって別に買いたい物もない」とおそらく10年前から、そのような気 分となっている。内需の本格的な掘り起こしは、各家庭での太陽光発電とか、電気自動車とか、skype携帯電話とかが、社会的トレンドになる時までまたね ばならないだろう。まあ、10年後か。それまで、社会的なパワーとなる内需が期待できないとすると、力点を置くのは言うまでも無くいわゆる「外で稼ぐ」外 需だ。

我 が日本が世界に向けて売り出せるのは、沢山あるが「環境分野などを中軸とした技術全般」と「サイエンス」と「観光」「サービス、サブカルチャー(マンガや アニメなど)、メディア、食などを中核としたコンテンツ分野」などは、かなり行けると、国民の多くが理解している。しかも、どれもこれからのアジアや世界 にとって必要なことだし、世界からの希求は強いモノばかりだ。つまり、これからの時代の「売りの商品」を我が日本はかなり持っていると言うことだ。

そこで、ここでは、それらの産業を世界に発信する基本となる「ザ・ニッポン」のPR(パブリック・リレーションもしくはマーケティング・コミュニケーション)について、力説したくて、回りくどいが、冒頭の戦後のテレビについて書いた。

私 は、ベトナムのハノイ市に16年間通い詰めの生活を送っている。日本とハノイに家があり、ほぼ毎月往復している。日本語が堪能なベトナム人大卒エンジニア を育成する学校をハノイで運営しているからだ。ベトナムの家庭には、何処の家にもテレビがある。パソコンや電子レンジもオートバイ同様に都市部の家庭には 大抵ある。そのテレビ番組で特徴的なことは、いくつかのチャンネルで「韓流ドラマ」「中国歴史ドラマ」「ディズニーチャンネル」が朝から晩まで放映されて いる事だ。聞くと、たまに日本の映画の放映はあるようだが・・。

「よ うこそ、ニッポン」キャンペーンもまあ良いだろう。観光庁の発足も悪くはないが、精彩ある方針には見えないし、大局的戦略性が見えない。少なくとも海外での広報活動の軸はどうも見えない。鳩山新政権は、その あたり、どうするのだろうか。国家戦略局あたりの仕事だと思うが、次代の成長戦略や、いわゆるグリーンニューディール的な産業の育成やそれに伴う新しい社 会システムの構築構想がまだまだ、提案されていない現状では、広報戦略が出てこないのは、順番からして仕方ない面があるけれども、せっかく日本びいきの国であるベトナムでさえ、全くの無策・無防備状態に見えるのが現状なのだ。ベトナムのかつての宗主国であるフランスは流石で、ハノイ の言わば銀座の様な繁華街に大きくておしゃれな文化センターを運営しており、何時でも誰でも入れ、フランスの名画も無料で見られる。しっかりと「おフランスの文化の高さ」を恒常的に市民に提示している。
いわゆる教科書問題も靖国問題も起こることはなく、日本が大好きだと国民の多くが語るベトナム。そのベトナムへさえ、文化の発信が不足していると言わざるをえない。大分前だがPRを本業としていた人間として、かなりの焦燥を覚える。国家の動向に関心がやや薄い僕でさえも、海外の各国で海外広報がどうなっているのか不安になる。

上 記に日本の戦後、僕らが親しんだハリウッド製テレビ番組を挙げた。聞くところによると当時日本のテレビのキー局では、それらのプログラムをほとんど無料か超廉価で仕入れて放映していたようだ。言うまでもない。アメリカの組織的文化戦略の一環であったのだ。ご飯食でなくパン食の普及、大家族から核家族への再 編と、ハリウッド製テレビ番組はこれらと一体となった文化・広報戦略であった。一言で言えば戦勝国側からの「新しい価値観の刷り込み」であった訳だ。それは、敗戦国として僕らは強いられたことであったわけ だ。現在、我がベトナムやまた今後更にお付き合いが必要なアジア全体では、どのような海外広報、もしくは文化戦略を日本は構想しているのだろうか。東アジア共同体構想があるのなら、まさに具体化を急ぎ鮮明にしてほしい。

も う一回言う。ベトナムではかつての敵国アメリカが、子供たちが大好きなディズニーチャンネルを朝から晩まで放映している。たぶん、アメリカは、世界中で戦略的に実施しているだろうと思う。韓国も、中国も同様に広報に力を入れ始めている。韓国では最近コンテンツの世界戦略とその販売戦略を統括する省庁が発足したようだ。日本への「韓流モノ」の攻勢もその一環なのだろう。ベトナムのテレ ビ関係者に聞いたら、日本の番組は高すぎて買えないと言っていた。いま、ベトナムの或る局ではアメリカのテレビの「フォーマット販売」(番組のコンテンツ とノウハウの販売)を買って、ベトナムで「ベトナム版」番組を作っている。NHKで深夜放映している「アグリーベティー」のベトナム版がゴールデンタイムに放映されている時代なのだ。 韓国のホームドラマも中国の歴史物も、大半は正直言ってどう見ても安手の作品で、市民は良質のドキュメンタリーやドラマを希求している声も在るようだし、韓国のドラマを日本製と勘違いしている視聴者も少なくないと聞くと、ちょっと参ってしまう。 はっきり言って、日本の良質な番組を日本政府はODA予算で買い上げ、アジア各国の主要メディアに無料で配布したらいい。話題の官房機密費を使用してもいいんだぜ。それぐらいの戦略的な施策は、いま、海外各国で、日 本の良好なイメージを構成し醸造するためには必須と思うが、どうだろうか。日本語の普及と日本国(文化)の広報は、今後の日本の立ち位置を明確にするためにも急務だろう。

僕が、ベトナムに行き始める直前の1990年代始め、ベトナムを含むアジア各国ではNHKの 「おしん」がテレビ連続放映された。その放映となった経緯はつまびらかではない。しかし、大変な日本ブームとおしんブームがベトナムでも沸き起こった。テ レビから伝わるおしんの前向きな人生をベトナムの人々は自分たちの生活に重ねたのだろう。そこで共感と共鳴が起き国中にアイデンティファイしたのだ。広報はここが何より肝心だ。そして今では「おしん」はベトナム語となった。ホンダがオート バイの一般用語となったのと同じ様に民衆の中におしんは、「女中さん」という意味の言葉として定着している。