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2012年12月20日木曜日

妻が亡くなって9年も経ってしまった。

本日12月20日は、命日だ。例年この時期は時の流れの速さにいつも慨嘆してしまう。ただし、思い出は遠くに行ったり薄らいだりは、していないよ。ブログで妻晃子(てるこ)の命日を取り上げるのは、初めてとなる。なぜだろう。良くわからない。けれども会いたいって事だけは間違いないんだ。供養にはならないかもしれないけれども、亡くなった当時の文とか、写真とか少し並べて改めて家族を見つめてみる。

    * 本紙は葬儀時にご会葬の皆様にお配りしたものです。
   阿部晃子(あべてるこ)について

1947年(昭和22年)7月23日、杉本鉱一(古河鉱業勤務)、秋津夫妻の次女として東京に生まれる。
東京学芸大学付属小学校(大泉)、東京教育大学付属中学校、同高等学校に学ぶ。父の仕事の関係で日光を中心に野山・自然に親しんだ。高校ではバレーボール部に所属。
1967年(昭和42年)早稲田大学第一法学部に入学。当時世界的に高まっていたベトナム反戦闘争の中で早稲田の同学部にいた阿部正行と出会った。馬が好きで早稲田大学乗馬クラブに二年ほど所属。
1972年3月5日、阿部正行と結婚、四谷の「もっきりや」で友人達に祝福されてレセプションを行った。
その頃から自然食や化学肥料を使用しない農作物やそのようなライフスタイルに興味をもつ。且つ子供達に本を読みながら子供達とお話を共に楽しむ「小さなおうち文庫」サークルを一貫して携わるなどいくつかのボランティアに参加している。いつも猫や犬など小動物を愛した。弱いものに優しい眼差しを常に向けていたと言っていい。家族4人で毎年山に登った。
1990年家を建て直す(現在の家)。
1993年9月乳癌が見つかる。ステージが2の後半で転移の可能性が大きいことがわかった。当時5年間の生存率が25%以下と医者に言われたようだ。
はじめは経過順調であったが、数年前からわずかではあるがリンパや肺に転移が始まる。
夏目漱石の文学と関連評伝などを読み漁った。明治時代・大正時代の東京の生業や文化に惹かれていたようだ。
何度かの入院・闘病を経過、本年7月に肝臓に大きな転移が見られた。
本年9月に続き、11月26日、十年来の三井記念病院に入院。
穏やかながらも激しい闘志で病魔との最後の戦いに挑んだ。
2003年12月20日土曜日14時31分 ついに天に召された。
阿部晃子は慈愛を持って二人の子供を育てた。
長女 はるひはアシェット婦人画報社にて「婦人画報」編集者に   26歳
長男 一行は慶応義塾大学理工学部大学院に学んでいる       22歳
安心して旅立ったと信じる。
病床にて最後に読んだ本は「夏目漱石を読む」吉本隆明著(筑摩書房刊)であった。前日までモーツアルトをCDプレーヤーで聞いていた。

記述 阿部正行 2003年12月22日 小平美園町
     



小平の家のお座敷の祭壇。陰が長いので冬だろう。モモが日だまりにいるね。


妻が亡くなって、2年弱後の9月頃だと思う。2005年だね。7年前だから、三人ともおのおのちょっと若い。小平の自宅のファサードで、向かいの龍江のおばさんが撮ってくれた。娘の笑顔が良いね。

一行には長男晴生も生まれた。
晃子、もう9年も経ったんだね。安らかに。






2012年12月12日水曜日

石巻:大川小学校のクリスマスツリーは、アートなのだ。

ちょっと見ただけでは何の変哲もないクリスマスツリー。この写真は大川小学校の遺族会のひまわりグループのお母さん、福田さんから昨日いただいたものです。福田さんも大切なお二人のお子さんをあの日失ったお一人です。

ここって「公民館かな?」周りを見ますとね。でも、このピンク色の大きなツリーは、大川小学校の廃墟の入り口付近に鎮座しているらしい、そう思うと変哲もないどころか、神を呼び寄せる宇宙基地のようにも思えてくるね。

この写真をいただいた時、「ああああ、学校の、つまりいま廃墟状態のなかでのツリーですか。すごいなあ。そういうのは、もうほとんどアートですね、芸術的な、意図をもったインスタレーションです。それもソーラーで、エネルギーを集めているわけですね。すごい。」と福田さんにメールで伝えた。
見つめるとドキッとするほどの神々しさがあたりを征する。

福田さんはメールで「去年も皆さん(ボランティアの方々など)が素敵なツリーを設置して下さいました♪ 本当に優しい皆さんで感謝感謝です。子供達がとても喜んでいる様な気がします(^o^)ありがたいですね。」と語っていた。

いただいたひまわりの種で、今夏ベトナムにもその輪が少し広がったけれど、まだ、咲いた数は心許ない範囲だ。来年夏こそ、大川小学校の三角地帯で取れたひまわりの種をベトナムのあちこちに広げたい。何百本も咲かせたいですね。亡くなった74名の子どもたちの夢と息づかいをベトナムの皆さんに感じていただければそれで良いんじゃあないかな。僕らにはこのような事しかできないのかもしれないし。



《ブログご高覧を感謝いたします》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多い高ランキングのタイトルを紹介致します。ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。
★印は、論文・長文のものです。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ★ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 ★カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 ★僕のアミニズム / 僕の「岡本太郎体験」
・2010年4月 ★リクルートの罪 /  金のTSUBAKIの女優たち
・2010年12月 ★映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年2月 ★エリン・ブロコビッチのハリウッド的
・2011年3月 ★メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
・     3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 ★復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年6月 ★ロックンロールよろしくのお爺さん
・2011年7月 ★なぎさホテルという哀愁
・     7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年 1月 ★成田空港の不幸と幸せ伝える人
・2012月 1月 お正月は竹内まりあの「人生の扉」だね
・2012月 3月 ベトナムの床屋さんの良い感じ
・2012月 3月 ★ベトナムの青年に進んでほしい「経済以外の分野」
・2012年 4月 ベトナムで石巻・大川小学校のひまわりの芽がでたよ
・2012年 5月 ベトナム国会のとんでもVAIO
・2012年 5月 ★猫の流転譚 ハノイ漂着
・2012年 6月 TBS「たけしと安住のニュースキャスター」にVCI登場
・2012年 7月 日本の会計士さんたちが当校に大勢みえた
・2012年 9月 第二期のハノイ貿易大学のプロジェクトが始まった
・2012年10月 経済学者中谷巌先生が当校で学生と交流
・2012年11月 『日本語学んでサムライになろう』が、やっとVN全国発売開始!
・2012年11月 学生たちがマーケ戦略練ってくれた白熱教室
・2012年12月 ドヒャー、ベトナムでのサイン会『日本語学んでサムライに』

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行



日本企業の面接、LOD社訪問、三周忌とか写真日記にしてみた

去年の採用に引き続いて、本年も富士フィルムビジネスエキスパート社の採用があり、10日に面接と簡単な試験があった。当JACクラス(ハノイ貿易大学日本プロジェクト日本社会の基本教程)から6名参加した。去年はIT技術者(ハノイ工科大卒)の採用であったが本年は「会計・経理」担当者。でも、多様な才覚を見せればどんどん実力者をマーケ、営業など広域の分野に振り向けるという。能力開発型の人事戦略だ。井上執行役員と斉藤企画経理部長が来られた。

同日には窪田理容美容専門学校の総務部員の採用面接も行われた。窪田企画推進部長が初めてハノイに来られ、面接にあたられた。初めての外国人の採用だ。

今回は、2社が合同でみんなで仲良くランチも「面接の一環」で行われた。
有名店「HA HOI」の個室で。

今回の面接にご同行のTSトレーディング高橋社長のご案内で、やはりご同行の当矢印刷妻鹿社長、FFBX井上役員、斉藤部長、窪田学園窪田企画推進部長と僕で、交通運輸省系の労働者派遣仲介のハノイ最大手のLOD社に伺った。主に語学のセンターを見させていただいた。

3ヶ月程度の生徒たち(高卒だから、若くフレッシュ!)は元気で明るい。体育会系のかけ声や返事、そして笑い声が行き交って、気持ちいい。日本各地の工場に行ってそこでは、紛れもなくはつらつと働くだろうなあと思うね。僕は大分このような研修センターを見ているけれど、若者の質も環境も最高レベルだと思った。


真ん中は、LODのビン会長だ。実は、彼と6,7年振りでの再会。かつてはご自宅に何度もお邪魔した「仲」であった。今回ぽんぽん話が弾み、ご一緒に提携事業をやろうと言うことで近々、ハノイの本社(今回の訪問先は、フンエン省の研修センター)で会議することとなった。高橋社長のお陰ですねぇ。

「おっ」みんな真剣になにしてんの。実はスタッフ全員総出で僕の本「日本語学んでサムライになろう」のPR作戦実行中なのです。さあ、みんなやる気だね。


17,18年来の友人であるツーさんの御尊父の元交通運輸大臣の三回忌の家族だけのランチの会に呼ばれてお邪魔した。ツーさんはすでに僕の本を50冊ご購入いただいているけれど、改めてお母様に本を進呈したら、「2,3日前にテレビで阿部さんがこの本の事説明しているインタビューを見ましたよ」とおっしゃった。いやあ、嬉しいね。


6,7年前だろうか、赤坂の焼き肉やで会食。懐かしいなあ。僕とツーさんも若いがお父様も矍鑠(かくしゃく)として元気であった。

一昨年の年末に亡くなられ、去年の1月元旦に国葬として葬儀が行われた。ベトナム戦争を勝ち抜いた「橋梁や土木建設の英雄」であった方にふさわしいお弔いであったようだ。三回忌のこの日は、ツーさんのお勧めで自著を奉納した。


また、いきなり、自炊の写真。例によって献立と言う物もなく、冷凍庫に残っていたイカを引っ張り出して、バター炒めだけれど、ひと味加えたいのでミニトマトを4,5個フライパンに放り投げ、包丁で一部つぶして、トマト汁と香りを出してつめたい残り飯にぶっかけ。結構いいねえ。お味噌汁は代わらず、タケノコ水煮と豆腐。ただ、このタケノコは軽く燻製状態にしたもので、臭みとすっぱみがあって、美味。











2012年12月7日金曜日

ベトナムで漫画「釣りバカ日誌」のお手伝いと、例によっての写真日記(12月上旬)

「NGOC姉さん、高いところで何してるんだ」「12月だし、クリスマスかしら」

「そう、部屋を飾るのよ」

「君たちには関係ないのよ」

今年も、こういう季節になりました。ハノイは寒いですよ。日昼でもセーターは必須。
サンタさんが、かわいい。

「きれいでしょ?」

先日、「釣りバカ日誌」の原作者やまさき十三さんから、直接電話があって、ハノイの釣り文化とか、ハノイの河や湖でいま何がつれるかなどの問い合わせあった。早速、スタッフと調査にあたった。マンガや映画の原作の一部になるらしいわけだからちょっと嬉しい。

ハノイには釣り大好き市民のクラブがたくさんあることが分かり、その最大の「ハノイクラブ」の会長に会えることになって、彼の経営する釣り具店に伺うことになった。
立派な構えで店内も日本のきちんとして店舗のたがわない。日本製の商品がたくさん陳列されている。

同好の士の集合写真はみんなどっか似てる。安心感なのかしら、醸し出される砕けた雰囲気は世界共通だね。ハノイクラブの面々。
中国での河釣り大会に出場して好成績をとったこのもあるとか。

ハノイにはこのお店で売っているような道具を使った趣味の市民は、5000人ぐらいだろうと、会長のタイ(鯛)さんは、いう。竹竿つかった子どもや湖周辺に住んでいて釣りを日常的に楽しんでる人を含めると、数万は居るだろうとも。
「平和になって生活が一定程度豊かになってきて、趣味の釣りが勢い持ってはやってきたのはまだ、この10年だろう」と。やまさき十三さんには、写真とレポートを張り切って二日後に送った。
実は、山崎さんは早稲田の先輩であると同時に、東映撮影所の助監督時代の4年先輩で、僕なんかいつも頭の上がらない尊敬する人物のひとりだ。だから、電話で頼まれれば「はい、合点です。すぐやります」さ。【写真】タイ会長と彼のお店で

一年以上、お世話になった只木先生がそろそろ、ご帰国。そこで、別れを惜しんで、海産レストランで涙のランチ会。でもニコニコ。

おっと、蟹だあ。美味しかったね。NGON!


バイトの東京外語大の学生讃井さんの誕生日。来たばっかりなのにラッキーな人だね。
とっても優秀。なかなかいいぞ。

名前がクリームで刻印。僕はほんの一口。

お、来たね、アポ無しで。

ハノイ国家大学自然科学大学の学生。FAHASAのサイン会で、僕の本に受験の参考書のように色ペンで書き込みやマーキングたくさんしていた彼だ。福沢諭吉、豊田佐吉の自伝や盛田昭夫の「メイドインジャパン」?などをベトナム語であるけれど読みこなしていて、日本の発明家や偉人たちが大好きなのであった。彼は、普通じゃあない。才能というか何かが溢れている。

僕がダイエットを始めていると聞いて、NGOCさんが、ミエンを作ってくれて、みんなでいただいた、最高の味わい。

ちょっと面倒でスーパーに行かなかったので、自分で漬けたキュウリの塩漬けと、梅干しと、ソーセージ1本。ダイエット中だし、ビールはやらず、NGOCに「先生の日」にもらったワインで地味な夕食。

先日つくった子持ちししゃも丼の応用編。ししゃもタケノコスパゲッティー。ちょっと、珍しく手元が狂って塩味濃すぎ。

今日もNGOCが、気を利かせて「太らないと言って」ミエンを作ってくれた。
いやはや、美味い。
夢中になっていただいていて写真撮影を忘れた。ごミエンなさい。


おおいいねえ、今日も僕の「日本語学んでサムライになろう」が並んでる。



















2012年12月2日日曜日

ベトナムのサイン会体験の巻2

右手の霞んで上階が見えないこのビルは72階建て。日本にもないビルの高さだよね。
19年前、ハノイとHCMCで、僕の仕事は、両都市のランドマーク的高層ビルの建設(担当はマーケティング)であった。その高さはなんと15階。この時代の差は凄いね。まあともかく、曇天のこの日、この72階の韓国系ビルの上部3割は見えないほどの偉容さがあった。サイン会の会場は写真の左手にピンク色の「C」のマークがあるつまり、「big C」という大手スーパーがテナントで入っている大きなショッピングモールの「ガーデンなんとか」という。
まあ、イオンのショッピングモールの中型店ぐらいかしら。でもデカイよその上、クラシックな建築デザインなんだよ、日本の大型スーパーの色気無し建造物よりは、おしゃれだね。左のビルです。


すっきりと整然としたサイン会場。ここはどうもメディアミックスの店舗らしく、書籍、雑誌、音楽CD、映画などのDVDなども販売していて、ここはそのお店のカフェコーナー。全体ではかなり大規模な造りだ。結構おしゃれだね。階上には映画館もある。
僕の本がアールヌーボー風な曲線(机上の向かって左)と、アールデコ建築物風(机上右)なしつらえの書籍展示になっていて、眩しい。

「どう?そろそろ始める?」とかなんとか言ってるようだ。机上の書籍の並べ方の器用さはすごいでしょ?日本ではこのような「こったこと」しないね。

喜んでいる女子大生。僕もああうれしい、来た甲斐があったというものさ。

いきなり「対人の距離感無視」で顔寄せてきたスマートな坊ちゃん大学生。
読んで頑張ってね。


写真はあまり撮って無いけれど、NGOCさんの通訳的アシスト無しではサイン会は進まないので、彼女はいつもながらに大忙し。土曜出勤ありがとう。



サイン会なのに就職相談や留学相談も実は多かったね。でもそれに丁寧にお答えするのが僕らの仕事の基本。話していると興味深いことがたくさん出てくる。

ちょっとかっこつけて一休み。おっとっと、終了らしい。


《ブログご高覧を感謝いたします》
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★印は、長文・論文です。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
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・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができた           よ。
・2012年 1月 成田空港の不幸と幸せ伝える人
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・2012年 4月 ベトナムで石巻・大川小学校のひまわりの芽がでたよ
・2012年 5月 ベトナム国会のとんでもVAIO
・2012年 5月 ★猫の流転譚 ハノイ漂着
・2012年 6月 TBS「たけしと安住のニュースキャスター」にVCI登場
・2012年 7月 日本の会計士さんたちが当校に大勢みえた
・2012年 9月 第二期のハノイ貿易大学のプロジェクトが始まった
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これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行