2011年6月29日水曜日

★ 消滅している東北弁 / 道傳愛子様


麗しい解説委員

■道傳愛子NHKアナウンサーを久しぶりでBSで見た。はっきり言って僕にとってセクシーで好みなのです、ハイ。多くの人も知っているはずですが、彼女は20年ほど前は美女で輝いており、朝や夜の主要ニュースも担当していた。もちろん、今も麗しいよ。でも人間だから寄る年波に勝てるわけでなく、予想通り小太り風になっていた。首回りに贅肉というか脂肪分というのかが、幾分張り付いていたかな。ちょっとリアルに書き過ぎかな。亡くなった女房も昔わりかし彼女に好感を持っていたようで、彼女が出演していると、心地よさそうに見入っていた。僕の母親の名前と同じ愛子だからというわけではないが、彼女の魅力は、トロッとして眠そうでその分、程よく自分の感情を押さえた「何考えているんだかよくわからない」感にあった。彼女は感情や価値観をあまり出さないので、僕の好みが続いたのかも知れない。価値観が自分と乖離していくと、ヤッパー好意も減退するからね。彼女のお顔の相を見ると、結構強い保守派だろうと思うがね。

ただし、彼女のために言っときますが、いわばNHK的に「感情をださない」規則・伝統に忠実という意味ではないんです。なんというのかなあ、「僕から浮気しない安心感」というのかなあ。「どこかに行っちゃわない安心感」というのだろうか。でもあに図らんやその彼女が10年ちょっと前にアジア総局に行っちゃって・・・、アナウンサーとしての出演がなくなり、特派員・記者の立場で得意な英語を駆使して、時々タイやシンガポールからの生中継にでていた。ベトナムへはあまり来なかったようだね。つまり、アナウンスの業界から、ジャーナリズムの分野にシフトしたと言うことで、新しい肩書きは何と「解説委員」となっていた、現在45,か46才だから、順調な歩みなのだろう。まだ、未婚の様だ。率直言ってうれしいで御座候。歴史女子の美女黒田あゆみアナは三つ目の名前渡邊さん名に、アート女子の麗人山根基世アナも六十代になってしまったが、そのNHKを代表する知的で麗しい方々連に我が道傳ちゃんも加わるのだろうね。道傳さん頑張って、応援してるよ。画面の此岸からね。僕のアイドルさ。渡邊さんも、山根さんも見てますよ〜。

■海江田は、僕の数少ない政治家の友人の一人である。前にもブログにかいた。小沢の代理人的な動きをした今春かな。でも、最近の彼はさらに非道いね。経産省というか、東電・・電事連のいうがままな「もう安全です。定期運休原発は、そろそろ稼働させましょう」という情けないことをいつものように無表情に近い顔で宣言した。リーダーシップ無き管さんでさえ「9月に原発解散」をちらつかせているんだぜ。どうなってるの海江田!!お前また、選挙でおとされるぞ。それはどうでもいいが、どういうセンスなのよ君は。ちょっと非道いぜ。

君は東大の仙石さんと同じ「フロント:構造改革系」に属して、慶応全共闘で「先駆的に」闘っていたんだろう?原発はもともと反対だろう?大人だし、選挙で選ばれる立場であるので、ガキのような「小児的急進主義」はできないとしてもだよ、未来を先取りする感覚と感性まで身ぐるみ捨てたのかよ。恥ずかしいぜ。いざという時は海江田さんの本当の姿と考えを「立場を弁えずに」断固と言って欲しいぜ。「原発解散」になってしまったら、君は選挙民にどのように言うの?原発は、あくまでつなぎのエネルギー。再生可能自然エネルギーに主軸を移そう。問題は全国54の全廃炉へのリアルな構想とその技術開発だ!!ぐらいは、雑誌「世界」か「文藝春秋」の10月号ぐらいに出稿してみてよ。元毎日新聞の記者であった君の親爺に「やっぱり、お前は立派だ」ぐらい言ってもらいたいだろう? でも言っておくけれどさ、民主党にはまったく幻想持っていないからね、すでに。僕。

■僕の故郷である宮城県を真ん中にして岩手、福島が言うまでも無く歴史的な震災と津波を受けた。福島は更に原発のいわば人災・文明災を被ってしまった。原発の被害は、必要以上に神経質に被害を声高に言うことはないが、3月23日には、SPEEDIによる放射能の飛散のシミュレーションがでていたのにも関わらず、政府も東電も全く隠匿していた。見れば、一部は宮城の端まで含む浜通り一体が縦位置に汚染されていたのが明確に解る。20キロ、30キロの円周的区別の意味など役所の便宜でしかなかったことが、明白だ。テレビ映像ではゆっくりと侵入してくる漆黒の怒濤が、人や家屋、車や接岸していた大小の船舶を流しては、陸地に打ち上げ、そして平然とすべての命と人々の生活を深い海に連れ去って行った。石巻で医者であった高校時代の同級生もその巨大な潮の中に巻き込まれた。その様な大きな被災を受けた東北の人々は、カメラに曝され、インタビューのマイクを幾度となく突きつけられた。

3月25日に日本に戻ってテレビの前にすわり、地震と津波と原発の映像をザッピングして、たくさん見た。もちろん11日以降ハノイでYouTuBeでおもに津波の恐ろしい光景はたくさん見ていたが、人々の表情の映像は限りがあった。25日は、丁度2週間後で、被災の数十万人の人々が、体育館などの避難所で生活をしていた。ボランティアや自衛隊も活躍していた。そう言う映像を見ながらすぐに気づいたことがあった。誰も彼もインタビューに応えるとき東北特有の訛りがないのだ。僕が高校まで慣れ親しんでいた東北弁・仙台弁が見事に消え失せていた。若い人なら何となく理解可能であるが、僕のような60才ぐらいか70才位の人までも発音といい、イントネーションといい、ほぼ標準語であったのだ。画面に出てくる普通の被災者は千葉か神奈川あたりかと思うような話し方であったし、仕草も東北のそれではなかった。

僕ら仙台の人は、高校の頃まで、いや多分1980年代ぐらいまでは、「そんだべ:そうですね」「うんだっちゃ〜:そうだろう」とか、普通に使っていたはずである。1980年代までというのはぼくの想像だが、少なくとも1948年仙台生まれのオレは、1967年に大学に入るために上京するまで、そんだ話し方をしてたっちゃぁ。それがぎれいさっぱり、消えていたんだっちゃあ、たまげたよ。実は変化は2点あった。一つはいま申し上げた東北弁の言葉・発音・イントネーションがほぼ誰からも出てこないという事だ。もう一つは、インタビュアーにどう答えたらいいか、そのテレビ局に期待された正解を割に気軽に応えていることだ。もちろんこれはこの10年ほど街頭インタビューでも溢れていたことで、今回の震災に特有な現象ではないが、マイクを向けられた人の瞬時の「予定調和」の把握が見事すぎてあっけにとられることもあった。空気読む日本的臭覚(姿勢)がやや過度になっている。ただし、厳密に言うと、人生初めての激烈な体験をした人の中には、予定調和を見事に超えて、詩人かと思わせる言葉を背骨のあたりから聖出していた人も居たことは事実だ。ただし、このような鮮烈な言葉を嘔(は)いた人は、少数派だ。

なぜ、地方の言葉が消滅しつつあるのか。その大きな要因は、改めて言うまでも無い。各家庭への情報窓口を戦後一貫して勤めてきたテレビジョンだ。言うまでも無く、明治時代の富国強兵の施策の下で言語は標準語として統一されてきた。しかし、事はそんなに容易ではなく、書き言葉と読み言葉は標準でも、日常の話し言葉は、ズウズウ弁であったのだ。そう言う意味では、テレビ以前から、何時かは会話も標準へと変更を強いられる運命に在ったことは事実だ。それが、テレビという情報統一機器にて、加速されたと言うことだろう。日本が、朝鮮や台湾を植民地にしたときもそうだ。ベトナムも同様で、フランスによって漢字も廃棄させられた。言語の統一はイデオロギー施策の基本。焚書坑儒もクーデターや革命で「何を置いてもテレビ局と新聞社の制圧」も情報の管理ということでは、同根の施策だろう。

大阪はその点凄い。もちろん京都も言葉に関しては根強い。もちろん、沖縄のヤマトンチューに対抗するウチナンチューの文化の対抗は本格的だね。独自性の自覚と自信に溢れている。独立国であった歴史が物語る凄みさえあるからね。大阪人はテレビでも大阪弁を多用するし、許し合っている。沖縄のテレビも人の話で聞いた範囲だが多分、沖縄弁堂々使っていよう。東北のテレビ局の弱いところはズーズー弁を堂々使用する事が出来なかった。使おうという対抗心が欠如していたというべきだろう。そのような「文化の保護」と「対抗文化」を持とうとしなかったことが、東北人の弱さだ。具体的には仙台弁をつかうテレビ局を作れなかったことが、敗北の象徴かもしれない。(個人として、新沼健二とかいなかっぺいなど一部の芸能人と懐かしき社会党佐々木更三のがんばりは、あったが・・)

僕などは18才で東京に出てきた1967年3月、前からまったく使っていなかった顔をして、我が仙台弁を下宿のゴミ箱にこっそり捨てたのだった。そして7月の夏休みには帰郷してすでに「だからさぁ」とか「そうじゃん」などという横浜訛りの標準語で、ぺらぺらぺら。東北大に行っていた大沼安史などは「阿部凄いね。もう東京人になったべえか、はえーな。」とかいって、僕をからかったモノだ。赤面、赤面、何と軽佻浮薄な僕なんだろう。岩手の「めんこいテレビ」局は、社名だけだしね。いとこの和夫さんが社長らしい。
僕が子供の頃、アンクルトム物語の米国製テレビドラマをやっていた、もちろん科白は日本語吹き替えだ。善良なアメリカ南部の黒人のアンクルトムは何と「ズーズー弁」の吹き替え日本語であった。「そんだんべぇ、おぼっちゃま」とか優しそうに白人の子供たちと話して居たのだ。僕は笑った。が、おいおい、黒人はなぜ、東北弁なのか。誰が決めたのか。バカじゃないのと当時思った。悲しい背景を持った南部の黒人が大阪弁の当てレコじゃあ、演出上、都合悪いのか!

いま、時代はダイバーシティー(diversity)の時代だ。固有の文化を大切にし、それぞれに発展させることを良しとする考え方だ。多様な社会に多様な文化。僕はとても理に適ったトレンドだと思う。その多様な文化のセンターに位置するのが言語だろう。その意味では、消滅気味の東北弁の復興を震災からの復興と同時に試みる必要が在ると思う。東北弁を僕らはなぜ、恥ずかしく思ってきたか。みんな何故隠してきたのか。直そうとしてきたのか。この答と東北の復興と新たなる発展は、実は繋がっていると思う。ただし、その東北弁の「同時復興」を唱える僕自身は仙台弁の大半を記憶の彼方に放り出してきた資格無しの情けない人間なんです。


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・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ★ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 ★カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 ★映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 ★メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 ★消滅している東北弁
・2011年7月 ★なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2011年6月10日金曜日

日本を超えた韓国人気!!急げチャンネルニッポン開局!!

前項の「留学生問題」に続いて、それにも関係することだが、日本のプレゼンス:魅力の低迷について、語っておきたい。今回ここで言いたいことは、日本が好きな人が多いベトナムでさえ、いつの間にか韓国贔屓(ひいき)が急増していて、日本への関心や興味にまさる勢いだ、というかもう超えられている現実を伝えておきたいのだ。言っておきますが、僕は韓国や中国が嫌いだというような偏狭な愛国主義者じゃあ決してないし、排外的な感覚は一切無い人間ですよ。つまらない勝ち負けを煽るつもりはありません。

韓国(人口4800万人)の「コンテンツ戦略省」と言うのかどうか解らないが、その例の省庁が5〜6年前に出来てから、例の韓流恋愛ドラマは世界的な認知になったし、それだけで無くインドネシアのある地域は「ハングル」を公用語と定めた。中国語のPR機関であり、学校でもある孔子学院は日本含めアフリカなど世界各国に戦略的に設置されている。アフリカでの中国語公用も進んでいる。(*下記に日本の海外広報の無さを書いた記事を添付した)海外広報は戦略的に推進した方がすぐに優位に立てる。戦略と物量の誰でも解る関数だ。

日本の恒常的な主なものといえば、NHK国際放送の日本語と英語の放送のみ。コンテンツはニュースを中心に毎日3時間分しかなく同じ番組を毎日4回くり返しているだけなのだ。これは、外国の現地の国民に見て楽しんでもらおうと言う趣旨ではなく、海外にいる日本人サービスのためのものだから、つまりは恒常的な海外PRのためのツールというか、インフラが無いというお寒い状況にある。

そこで解りやすいように日本語の「凋落」ぶりをあえて、現象でお伝えしておく。世界各国の「日本語ブーム」なんて、10年前までの幻想なのです。少なくともベトナムではね。
1 ベトナムの大変有名で歴史在るDZ日本語学校は、以前まで年間5千人ほどの日本語を学ぶ生徒を預かって来たのですが、去年などは2千人程度までに落ち込んでいる現実。
2 あるハノイの有名大学の日本語学部では、学生の定員を集めにくくなっていると教授にお聞きした現実。
3 HCMC国家大学の人文社会科学大学の東洋学部から、日本学科は、近々学部として独立予定ですが、韓国学科は、既に学部として独立している現実。
4 英語と日本語を学んでいるブオンの娘(中学校1年)は、毎日欠かさず韓流ホームドラマを2〜3時間嬉々として見ている現実。クラスの多くもそうらしい。
5 そして、書店では大きな変化もあった・・以下読んでください。

括弧内は去年ニュースに書いたものだが、事態は急変しているので、お知らせしたい。
「・・・・僕の本の出版のことで、調査としてハノイ市内のホアンキム湖脇の大手書店を見に行った。前より単行本のデザインが明るくなり種類も多種多様になってきた事がハッキリ分かる。日本語 関係の棚に寄ってみた。大分辞書なども充実してきている。5メートルほどの長さの棚は、それなりに配慮された配置にもなっている。その向かい側に韓国語関係コーナーがあり、日本語コーナーと棚の面積と扱う数量は同等かな。だが、だが、中国語コーナーは、何とざっと3倍はあろうか。日本語の棚の3倍以上の面 積を中国関係の書棚が占めているのだった。中国語熱というか、その勢いは知っていたが、書棚の大きさでその差が歴然としていることを思い知らされた。ス タッフのNGOCさんにかつて居た外国語大学のその時代の各国学習者の比率を聞いた。勿論英語は必須なので、欄外だが、彼女が言うには当時「中国語学習者 人数を仮に10とすると日本語学習者は3。コリアは1だそうだ。・・・」これ、去年書いたものです。

本年5月、実は同じ書店に行った。事態は変わっていた。中国関係の書籍の量は相変わらず、英語関係に続いて多いわけだが、実は韓国の棚が2棚になっていたのだ。スタッフが数年前に学生であった時代は上記にあるように日本が3なら、韓国は1の相対的な認知度であったのに、去年本棚の数は1:1になっていたのだ。ぐいぐい追いついて来ていたのだ。そして本年は遂に2棚になっていたのだ。韓国は日本の2倍の本棚数になっていたのだから、事態は深刻と言っていいんじゃあないか。

本屋の棚の数なんて、どうでもいいやとか、「そんな些末なこと」だと思っても良いですよ。でも、マーケティングに長く携わってきた僕の目からすると、こういう「つまらない動きのそばに真実がある」と学んできた。国民の嗜好や志向は、音楽のリクエストの数とか若者街に転がっている「些細なこと」に新しい趨勢が表現される場合が多い。上記の情報は、確証的なものではないが、その趨勢はすでにはっきりと現されていると見た方が良い。下記の新聞記事原稿にも書いたけれど、24時間毎日、美男美女の美しい恋愛を放映していれば、いつの間にかコリア式生活に親しみを感じてアイデンティファイされるのは生理的に当然だろう。僕らが、少年の頃「ローハイド」「パパ大好き」「名犬ラッシー」「陽気なネルソン」「幌馬車隊」「奥様は魔女」「ルート66」などで、アメリカの価値観を「学んで」大人になったようにね。

政治には幻想を全く持っていないが、志在る経産省と外務省の中堅が、「これじゃあ、まずいぜ」と言い出さないのだろうか。
もう、道路、橋、ダムにODAの数百億を費やしている場合じゃあないよ。海外PRに全力を注いで欲しい。すべて現地語による現地の国民が楽しめる「チャンネルニッポン」テレビ局の設立が急がれる。海外広報協会なる政府外注機関のWEBサイト見た。まさに笑止千万です。

・・・・・・・以下、記事の生原稿・・・・・(ご参照)

             ニッポン海外広報考
〜海外諸国の庶民の理解と好意を本気に求めたい〜

私はこの十数年ほど、ベトナムのハノイ市と日本をほとんど毎月往復している。ハノイにも家があるのでテレビ番組を見ることも多い。彼の国のテレビ番組で特徴的なことは、いくつかのチャンネルで「ディズニーチャンネル」「韓流ドラマ」「中国歴史ドラマ」を朝から晩まで放映している事だ。チャンネルを回してあちこち見ているが、それらは洪水のようだ、と言っておこう。

私は団塊の世代である。私たち少年少女の当時の世界の中心は「ぼくら」「なかよし」「冒険王」「少年サンデー」「少年マガジン」などのマンガ誌と数々のアメリカ製テレビドラマであった。
『うちのママは世界一』『パパ大好き』『ビーバーちゃん』『名犬ラッシー』思い起こすだけでも楽しい。『ローハイド』『名犬リンチンチン』『ルート66』『ララミー牧場』なんて格好良いのだろう。毎晩僕らをわくわくさせたハリウッド製プログラムの数々。僕たちはこれらのアメリカ映画を見てアメリカ市民の生活に憧れ、勇気と正義を学んで大きくなった。大人の背丈もある冷蔵庫、大きな牛乳瓶、そして各家庭には必ず大きな車が在ることを知ったのであった。

聞くところによると1950年代当時に日本のテレビの各キー局では、それらのハリウッドテレビドラマをほとんど無償か超廉価で仕入れて放映していたようだ。言うまでもない。アメリカの組織的文化戦略の一環であったからだ。ごはん食でなくパン食の積極普及とか大家族から核家族への社会的再編作業などと、これらハリウッド製テレビ番組の広範な放映は文化・広報戦略として一体であったのだ。僕らは、当時無自覚だったけれど。

アメリカはおそらく、戦後の日本での広報戦略スタイルをこの60年間、世界中で継続しているだろうと思う。結果、英語の普及は地球上で圧倒的だ。中国も孔子学院を使い同様に広報に力を入れ始めている。韓国では最近コンテンツとその販売の世界戦略を統括する省庁が発足した。日本への「韓流モノ」の攻勢もその一環なのだろう。

一方、日本はどうか。私は今ベトナム以外の事情には不案内だが、国民の大半が日本を敬愛しているベトナムに於いてさえ、テレビなどを通じた広範な国民への広報活動は完全に出遅れている。

はっきり言って、日本の良質な番組を日本政府は日本の各テレビ局や映画会社から計画的に買い上げ、アジア各国の主要メディアに無償で大量に供給したらいい。各国の国民が現地語で視聴できる独自の「チャンネルニッポン」を各国に設置することだって不可能ではない(NHK国際放送は各国在住の主に日本人向けの日本語放送のみ)。現地新聞の活用とか、現地語のインターネットWEB展開など経費「縮減」の施策はいくらでもある。

世界語になった日本語は多い。中でも「もったいない」が世界語になったことは、環境を大切にする新しい時代の嚆矢だろう。日本古来のリサイクルシステムや節約の心から最先端技術まで、私たちが東の端から世界に提案し広報するものは少なくない。 *2009/12 
  
日刊工業新聞「主張」記事は、本ブログ2011年2月のページに掲載 pdf                             以上。

2011年6月7日火曜日

ベトナム人留学生は3千人しかいないのだ。

第一章−10 中国人留学生は8万人もいる。日本政府の「30万人留学生計画」とは何だろう?簡単に説明しよう。
*福島原発の影響など、加筆訂正が一部必要です。
2008年日本の文部科学省は、2020年までに日本に居る留学生の数を30万人にしたいとの計画を大々的に発表した。これが「留学生30万人計画」である。留学生を受け入れる日本の考えは、色々な要素があるけれど、一番大切に考えたことは、アジアの優秀な青年を留学で来てもらい、日本の魅力や日本の文化を世界に特にアジアに彼らを通じてさらに強力に各国に伝播(でんぱ)させたいということだ。まず、魅力的な国でなければ、留学生は集まらないだろ?

日本には、先端の技術がある。また、農業や漁業の先端技術がある。最近ではアニメーションやマンガなどのサブカルチャーは、正に世界TOPだろう。「COOLJAPAN」は、世界の若者のあこがれのひとつだぜ。「かわいい」という新しいファッションカテゴリーも最近世界的になってきた。東京は、「かわいいギャルズファッション」のメッカだぜ。また、伝統的な美しさは京都や奈良だけでなく、富士山もふくめて全国津々浦々に美しい自然が存在している。このような日本だからといって、留学生を30万人集めるなんて、簡単か?

アメリカには世界から留学生が約70万人、フランスには27万人(中国には24万人)来ている。それぞれの学生の感じている魅力、もっというならば、自己投資に適う(かなう)何かをそれらの国は持っていると言うことだ。日本に来ている世界からの留学生は残念ながら、現在17万5千人だけだ。勿論、留学は個人の投資と言う側面もあるが、国家からすると、知識や技術や文化の移転や遷移(せんい)でもあるので、留学生を世界に出すことも実は国家の戦略でもあるのだ。中国はアメリカに13万人も留学生を出している。これが国家戦略でないはずがない。まあ、見事ですね。韓国でもアメリカに7万人(韓国の総人口は4800万人の小さな国なのに)を送っている。

でも、1億2000万人の日本がアメリカに2万5千人だけなのである。年々じり貧状態。「出不精」の若者の増大との関連さ。世界の主要各国に留学生を出している数字もお教えしよう。国家戦略が見えてくる。中国はなんと20万人の最優秀者を世界各国に出している。インドも凄いよ、13万人送り出している。韓国は10万人を世界各国に送り出している。ベトナムも世界に約3万人を出している。結構すごいね。日本が世界に送っている留学生はなんと9万人だけ。有力国と比べてやる気無しとしか、見えないね。ついでに、披露しておこう。日本に来ている留学生は現在17万5千人で内訳は以下の通りである。1位が8万人の中国人、2位が2万人の韓国人、3位が5000人の台湾人、そして、ベトナム人が堂々の4位の3000人である。新しい凄い情報もここに書いておこう。アメリカはいま、全世界から天才・秀才の高校生と大学生を年間16万ドルの奨学金を5年間支払うという約束で毎年30名も集めている。まあ、これは、留学というより、金で集めた「誘拐犯罪」だね。ここに記述した人数は解りやすくするために切り上げや切り捨てをして大づかみにしてある。留学の最終決定は学生個人だが、各国政府の戦略が色濃く出ている。とくに中国と韓国は「国を挙げて」取り組んでいることが解る。

さて「30万人計画」の問題を話そうね。現在の日本への留学生数はたかだか、17万5千人に過ぎない。上記に在るように2020年までに、果たして30万人の目標を達成できるのだろうか。勿論、現状の戦略と方針では、全く届かないだろう。政府内で大きな問題となっている。
さて、この状況を君はどう思う?「さあ、しめた、チャンスだ」と思うべきだよな。政府や民間の奨学金も、現状より種類も金額も増えていくだろうし、入国の条件も幾分緩和されるだろう。でも、実はこの30万人計画にはそれなりの理由がある。既に、君に教えたはずだ。日本の若者の人口がかなり減り始めている現実と関係があるのさ。

現在、全国に在る大学1200校(短大含む)の中の人気や信頼のない大学の倒産が予想されているのだ。設立が10〜30年前からという程度の歴史がない新しい大学で、特に経営が低レベルの大学には、学生が集まらず、結果学生募集を止めたり、廃校を告知したり始めている。大学を作りすぎた日本政府はたぶん低位の大学の200や300校は無くなっても良いと思っている。僕もそうおもうよ、過剰なのさ。だから、このレベルの大学のことは、どうでも良いのだが、問題はそろそろ、伝統在る中堅の大学でさえも、留学生がいないと経営が困難になってきている事なのだ。だから、30万人も必要なのだ。

東大、京大、東工大などの最有力校はさすが、優秀者の人数の維持は問題ないといわれている。では、他はどうか。最有力校の一つである東北大はもちろん、構造的には問題ないのだが、「最近の大学院の学生の質、精神力に弱さを感じて」ベトナム他数カ国から、パワフルな大学院学生を積極的に受け入れ始めている。東北地方の有力大学である山形大も、2008年から留学生受け入れのためのオフィスをハノイ市内に開いた。あの京都大学もオフィスを持っている。つまり、歴史在る有力校でも今後の10年、20年を構想した上で日本人だけでなく、ダイバーシティー(diversity)の考えに基づいて、多様な国際化を計ろうとしているのだ。重要な、よい発想だね。
有力な有名大学でさえも、アジアの優秀学生を受け入れたくて、積極策に出てきているのである。お〜い、日本語サムライの出番だぜ。チャンスを見逃すな。    *ただし、民主党が政権を取って以来、30万人ぐらいは入れよう、という方向性はあるようだが、計画そのものは、不明にあいなっている。*6月12日、一部留学生数を訂正した。


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2011年6月4日土曜日

「ロックンロールよろしく」のご老人 / 火野正平のインターナショナル 

■ 大きな震災があって、みんながまとまって頑張れニッポンなどと言ってる時に火野正平のことなど書いていていいんでしょうか。火野葦平じゃあないよ。作家じゃあなく、軟派な男の人の件なのです。若い人にはよくわかりにくいかも知れないが、1970年代に小学校であれば、知ってるかも知れない。若いときから猿顔というかくちゃ顔で、テレビや映画の女性スタッフから、女優、歌手まで切れることなく手を出し子供の認知も3人ぐらいあったか無かったか。たしか、僕と同年で、僕が東映でキーハンターとか、プレーガール、柔道一直線、刑事くんとかの助監督をやっていた時分に急に芸能ニュース部門で有名になった輩のことだ。最近、ちょっとまた目立つ。

お相手は一流の芸能人でなく、二番手ぐらいに的を絞って確実にしているのが嫌らしい。西川峰子とか、新藤恵美とか、「ベッドでたばこを・・」のリリーとか、相手はたいしたことないのだが、何時も戦時体制で、まめで成果を上げているように見えた。確か「刑事くん(桜木健一主演)」で1〜2回一緒だったような。当時、若く同年代であった僕には、彼のモテ具合がほとんど想像がつかない事に思えた。ハンサムは業界にたくさんいる。話のうまい人も多い。でも彼は身長もないし、ぼそぼそとしか言わない印象。当時、何でこいつ女にもてるか解らなかった。「まめさ」がモテの最大武器であるなんと気づいたのは、40才になってからじゃあないの。今の若者は情報社会で育ってるから、若い内から「まめさ」が重要ぐらいしってるんだろうなあ。知ったからと言って若い内に「まめさ」で勝負するの、どうなの。若い内は戦略も計画もなく、ぶち当たって、転けてしまうのが相応しい。そのうち学習して行く訳で、若い時から、手練手管の成功「チャート図」だけ知っていてもしょうがないぜ。おっとっと、話はすぐ若造批判に行ってしまう。

で、火野正平はベトナムにも結構いると言う話をしたいのさ。昨日夕方、寂しくもひとりで、角のBIAHOIで、VNのソーセージ「ネムチュア」をかじりながら、生ビールをぐびぐびやっていたら、僕の目の前に火野正平がいた。いつものように女を口説いている。身なりはワイシャツ、黒いズボンの造作ないカッコウで、火野正平はお相手を飽きさせず、囁いている。彼はNHKのBSでロード自転車で全国行く「ちいさんぽ」みたいな新番組を始めたので、彼は当人でないことはすぐ解ったが、たれ目の猿顔、飽きさせない話題、落ち着いた話し方をサポートするような大きくはないが何か意味を暗示する手の仕草、料理を仕分けして、勧める際の優しい破顔。まさにそっくりのプロの火野正平だ。女性は、こんな場末のBIAHOIが似合わない富裕層のグラマラスな40才代。たまたま、西川峰子似であるのが可笑しい。周りには場所柄ハノイ工科大学の学生どもが騒がしく飲んだくれていたが、そんな騒音モノともせず、夜の帳が下りた頃、まさにスポットライト当たっているような、独壇場な風情であった。

冒険家で医師の関野吉晴さんが十何年継続している人類の移動の踏査「グレートジャーニー」に従えば、人類が誕生したアフリカ中部を10万年前に出発した火野正平、いや人類はどうも猿顔アジアモンゴロイド種をあちこちに分散定着させながら、1万五千年前までに、アリューシャン列島から北米、中米そしてチリマゼラン海峡まで行進し人類は地の果てに到達した。よく考えると、グレートなジャーーニーの実行に及んだクロマニオン人は、大型ネアンデルタール人と違って、モンゴロイドのつまり火野正平種の相貌と体系を形作りながら、海をわたり、アラスカから、一直線に南下した。だから、火野正平は、トルコやウズベキスタンあたりにもきっといるし南下したベトナムに、北上して中国、韓国そして、アラスカ、メキシコ、中米、インカ・チリあたりにわんさかいて、可笑しくないわけだ。つまり、まめな御仁も世界にゃあ多いってことでしょうか。

日本人で火野正平より、ちょっといい男だが、まさにそっくりのお猿男で、後藤勇というこれまた同年の友人がいる。彼とは20才代からの付き合いで本当にモテテいた。彼は、「地球の歩き方」の創設編集者のひとりだから、ロンドンにも恋人が、キューバにも、東京にも2,3人いて、僕も随分付き合わされて一緒に酒飲んだ。まめな人は一生懸命だから、ロンドンのレイチェルが、別れのレターを寄越したときには、僕は新宿のジャズバーあたりに彼を誘わないと心配なくらい落ち込んでいたな〜。まだ、本当の紙のメールの時代。リタイアして、今日あたりも豪華船(先日乗船するとメール在った)で、どこかの海原にいて、白いテーブルを挟んで、麗しいお姉様と微笑み交わしているはずだ。

■なんだか、芸能ネタがつづくね。初めてのことです。内田裕也さんが、ロック業界のドン風になってきたのは、いつからだろう。芸能界の女のドンは前からいるが、魔法使いのような白髪の風采で、ツエを持っていれば、確かに怖い。とくに「俺はヤクザとお友達です」と手紙を送れば、もらった女性は震えるでしょう。この人は何でも「ロックンロールよろしく」で済んできたので、幼稚さが抜けないうちに感情が発育不全に、つまり、若い頃から脳内イメージは「自由・平和・愛・あぶり・ロックンロール・J.レノン」などの強烈な言葉でいっぱいになり、新規な言葉が入りにくくなったのさ。大分経って「仕分け」が入ってきたようですがね。だから現在は、借金するときでも「ロックンロールよろしく」でしょう。ご飯食べるときも「ロックンロールよろしく」、寝るときも、夜に事に及ぶときも「ロックンロールよろしく」で始まるんでしょう、この御仁のことだから。これほどすっきり解りやすいことはないね。

言葉は、多ければ多いほど、文化が深いと言われる。アフリカの在る部族(ちょっと今となっては差別的)では200言語で生活が間に合っているという話がなんとなく、僕の記憶に置き去りになっている。でも、良いんじゃあないの。人生、言葉だけでないよ。微妙で深いことは、日本では「言葉にはあらわせない」ほど綺麗とかいう。それを特化したのが、この「ロックンロールよろしく」のお爺さんだ。だって、人生、たった一言で乗り切ろうというわけだからね。特許庁にたぶん、サービスマーク、商標とか、多分内田プロで申請済みと思うが、逆に賢いどこかの輩が、すでに「ロックンロールよろしく」を既に申請済にしていたら大変だよ。「ロックンロールよろしく」と書いたメモを持たされて、あの魔法のツエでボコボコさ。

25年ほど前、バブルがバブルと言われず、「ジャパンアズナンバーワン」って、大騒ぎしていた頃の六本木。僕も社会の浮ついた波には抵抗できず、毎日高い酒を驕っていただいていた。アイビーホテルの裏あたりにあったおしゃれなバーで、大抵そこで、社長の河村と僕とかが、毎日無駄な話をしていた。僕も常務とかいう肩書きで、ダブルのスーツなど着込んで威勢も良かった。そこに裕也さんが怒鳴り込んできたことがあった。そして、彼は痩せた体をしならせて、ある小柄なおっさんに飛びかかった。「この野郎、浅葉、ロックンロールよろしく」と捕まえて倒した。有名グラフィックデザイナーで、最近は世界の言語の収集家でもある巨匠浅葉克己さんも「ロックンロールよろしく」にはお手上げ。でも、ママ(もちろん男性)や、ちいママ(もちろん男性)らに、力ずくでガブリと取り押さえられ、そこで、幕は閉じたので、「決闘の終わった西部のサルーンバー」のように、一気に和やかさがあたりを包み、音楽もがんがん奏でられたような記憶。

保釈され、記者会見で見せた片膝付いて「ロックンロールよろしく」の挨拶は、初めてのバージョンだね。流石、裕也さんは良いスタイルを編み出す。カッコマンで来た人は良い感覚をお持ちですね。でも、どう見ても「ヤクザの仁義を切る」儀礼に近づいたように見えるね。「お控えなすって、手前、生国と発しまするは、銀波・・・」のあれだ。日本のヤクザは60%が同和関係、30%が在日の韓国・朝鮮系、残りがそのほかの外人だと、元公安調査庁の有名人菅沼さんが、プレスセンターで語っていたが、今回、「ロックンロールよろしく」界から、初めての参入になるかもしれないね。裕也さんに頑張ってもらって、日本中のヤクザを感化していただき、”仁義切り”をみんな「ロックンロールよろしく」に変えてくれれば、日本は平和になるので、裕也さんは樹木希林さんに、初めて挨拶が出来るのじゃあないですか。今回は本当に恥ずかしいですね。

宮城県石巻市(石をrollする)に縁があるとおっしゃる裕也さんですが、基本的な質問があるんです。「ロックンロールよろしく」という名フレーズの「・・・ロール」と「よろしく」の間に「、」入れた方が良いですか?また、この言葉の意味するところですが国民の皆さんに対して「ロックンロールという音楽や魂を、これからもよろしくね」という意味なのですか。それとも「ロックンロールの神様、どうぞ、我が国民をよろしくお願いいたします」と言うことなのでしょうか。あるいは「ロックンロール」というFAVORITEな言葉と「世露死苦」みたいなちょっと怖そうな挨拶を並べてモンタージュさせてみただけなのでしょうか。今後重要なフレーズになっていくはずです。流行語大賞の筆頭候補でしょう。ですので、正確に知っておきたいのです。お忙しいとは存じますが、お時間在る時お教えくださいますよう、ROCK'N'ROLL YOROSHIKU お願いいたします。