2011年6月29日水曜日

★ 消滅している東北弁 / 道傳愛子様


麗しい解説委員

■道傳愛子NHKアナウンサーを久しぶりでBSで見た。はっきり言って僕にとってセクシーで好みなのです、ハイ。多くの人も知っているはずですが、彼女は20年ほど前は美女で輝いており、朝や夜の主要ニュースも担当していた。もちろん、今も麗しいよ。でも人間だから寄る年波に勝てるわけでなく、予想通り小太り風になっていた。首回りに贅肉というか脂肪分というのかが、幾分張り付いていたかな。ちょっとリアルに書き過ぎかな。亡くなった女房も昔わりかし彼女に好感を持っていたようで、彼女が出演していると、心地よさそうに見入っていた。僕の母親の名前と同じ愛子だからというわけではないが、彼女の魅力は、トロッとして眠そうでその分、程よく自分の感情を押さえた「何考えているんだかよくわからない」感にあった。彼女は感情や価値観をあまり出さないので、僕の好みが続いたのかも知れない。価値観が自分と乖離していくと、ヤッパー好意も減退するからね。彼女のお顔の相を見ると、結構強い保守派だろうと思うがね。

ただし、彼女のために言っときますが、いわばNHK的に「感情をださない」規則・伝統に忠実という意味ではないんです。なんというのかなあ、「僕から浮気しない安心感」というのかなあ。「どこかに行っちゃわない安心感」というのだろうか。でもあに図らんやその彼女が10年ちょっと前にアジア総局に行っちゃって・・・、アナウンサーとしての出演がなくなり、特派員・記者の立場で得意な英語を駆使して、時々タイやシンガポールからの生中継にでていた。ベトナムへはあまり来なかったようだね。つまり、アナウンスの業界から、ジャーナリズムの分野にシフトしたと言うことで、新しい肩書きは何と「解説委員」となっていた、現在45,か46才だから、順調な歩みなのだろう。まだ、未婚の様だ。率直言ってうれしいで御座候。歴史女子の美女黒田あゆみアナは三つ目の名前渡邊さん名に、アート女子の麗人山根基世アナも六十代になってしまったが、そのNHKを代表する知的で麗しい方々連に我が道傳ちゃんも加わるのだろうね。道傳さん頑張って、応援してるよ。画面の此岸からね。僕のアイドルさ。渡邊さんも、山根さんも見てますよ〜。

■海江田は、僕の数少ない政治家の友人の一人である。前にもブログにかいた。小沢の代理人的な動きをした今春かな。でも、最近の彼はさらに非道いね。経産省というか、東電・・電事連のいうがままな「もう安全です。定期運休原発は、そろそろ稼働させましょう」という情けないことをいつものように無表情に近い顔で宣言した。リーダーシップ無き管さんでさえ「9月に原発解散」をちらつかせているんだぜ。どうなってるの海江田!!お前また、選挙でおとされるぞ。それはどうでもいいが、どういうセンスなのよ君は。ちょっと非道いぜ。

君は東大の仙石さんと同じ「フロント:構造改革系」に属して、慶応全共闘で「先駆的に」闘っていたんだろう?原発はもともと反対だろう?大人だし、選挙で選ばれる立場であるので、ガキのような「小児的急進主義」はできないとしてもだよ、未来を先取りする感覚と感性まで身ぐるみ捨てたのかよ。恥ずかしいぜ。いざという時は海江田さんの本当の姿と考えを「立場を弁えずに」断固と言って欲しいぜ。「原発解散」になってしまったら、君は選挙民にどのように言うの?原発は、あくまでつなぎのエネルギー。再生可能自然エネルギーに主軸を移そう。問題は全国54の全廃炉へのリアルな構想とその技術開発だ!!ぐらいは、雑誌「世界」か「文藝春秋」の10月号ぐらいに出稿してみてよ。元毎日新聞の記者であった君の親爺に「やっぱり、お前は立派だ」ぐらい言ってもらいたいだろう? でも言っておくけれどさ、民主党にはまったく幻想持っていないからね、すでに。僕。

■僕の故郷である宮城県を真ん中にして岩手、福島が言うまでも無く歴史的な震災と津波を受けた。福島は更に原発のいわば人災・文明災を被ってしまった。原発の被害は、必要以上に神経質に被害を声高に言うことはないが、3月23日には、SPEEDIによる放射能の飛散のシミュレーションがでていたのにも関わらず、政府も東電も全く隠匿していた。見れば、一部は宮城の端まで含む浜通り一体が縦位置に汚染されていたのが明確に解る。20キロ、30キロの円周的区別の意味など役所の便宜でしかなかったことが、明白だ。テレビ映像ではゆっくりと侵入してくる漆黒の怒濤が、人や家屋、車や接岸していた大小の船舶を流しては、陸地に打ち上げ、そして平然とすべての命と人々の生活を深い海に連れ去って行った。石巻で医者であった高校時代の同級生もその巨大な潮の中に巻き込まれた。その様な大きな被災を受けた東北の人々は、カメラに曝され、インタビューのマイクを幾度となく突きつけられた。

3月25日に日本に戻ってテレビの前にすわり、地震と津波と原発の映像をザッピングして、たくさん見た。もちろん11日以降ハノイでYouTuBeでおもに津波の恐ろしい光景はたくさん見ていたが、人々の表情の映像は限りがあった。25日は、丁度2週間後で、被災の数十万人の人々が、体育館などの避難所で生活をしていた。ボランティアや自衛隊も活躍していた。そう言う映像を見ながらすぐに気づいたことがあった。誰も彼もインタビューに応えるとき東北特有の訛りがないのだ。僕が高校まで慣れ親しんでいた東北弁・仙台弁が見事に消え失せていた。若い人なら何となく理解可能であるが、僕のような60才ぐらいか70才位の人までも発音といい、イントネーションといい、ほぼ標準語であったのだ。画面に出てくる普通の被災者は千葉か神奈川あたりかと思うような話し方であったし、仕草も東北のそれではなかった。

僕ら仙台の人は、高校の頃まで、いや多分1980年代ぐらいまでは、「そんだべ:そうですね」「うんだっちゃ〜:そうだろう」とか、普通に使っていたはずである。1980年代までというのはぼくの想像だが、少なくとも1948年仙台生まれのオレは、1967年に大学に入るために上京するまで、そんだ話し方をしてたっちゃぁ。それがぎれいさっぱり、消えていたんだっちゃあ、たまげたよ。実は変化は2点あった。一つはいま申し上げた東北弁の言葉・発音・イントネーションがほぼ誰からも出てこないという事だ。もう一つは、インタビュアーにどう答えたらいいか、そのテレビ局に期待された正解を割に気軽に応えていることだ。もちろんこれはこの10年ほど街頭インタビューでも溢れていたことで、今回の震災に特有な現象ではないが、マイクを向けられた人の瞬時の「予定調和」の把握が見事すぎてあっけにとられることもあった。空気読む日本的臭覚(姿勢)がやや過度になっている。ただし、厳密に言うと、人生初めての激烈な体験をした人の中には、予定調和を見事に超えて、詩人かと思わせる言葉を背骨のあたりから聖出していた人も居たことは事実だ。ただし、このような鮮烈な言葉を嘔(は)いた人は、少数派だ。

なぜ、地方の言葉が消滅しつつあるのか。その大きな要因は、改めて言うまでも無い。各家庭への情報窓口を戦後一貫して勤めてきたテレビジョンだ。言うまでも無く、明治時代の富国強兵の施策の下で言語は標準語として統一されてきた。しかし、事はそんなに容易ではなく、書き言葉と読み言葉は標準でも、日常の話し言葉は、ズウズウ弁であったのだ。そう言う意味では、テレビ以前から、何時かは会話も標準へと変更を強いられる運命に在ったことは事実だ。それが、テレビという情報統一機器にて、加速されたと言うことだろう。日本が、朝鮮や台湾を植民地にしたときもそうだ。ベトナムも同様で、フランスによって漢字も廃棄させられた。言語の統一はイデオロギー施策の基本。焚書坑儒もクーデターや革命で「何を置いてもテレビ局と新聞社の制圧」も情報の管理ということでは、同根の施策だろう。

大阪はその点凄い。もちろん京都も言葉に関しては根強い。もちろん、沖縄のヤマトンチューに対抗するウチナンチューの文化の対抗は本格的だね。独自性の自覚と自信に溢れている。独立国であった歴史が物語る凄みさえあるからね。大阪人はテレビでも大阪弁を多用するし、許し合っている。沖縄のテレビも人の話で聞いた範囲だが多分、沖縄弁堂々使っていよう。東北のテレビ局の弱いところはズーズー弁を堂々使用する事が出来なかった。使おうという対抗心が欠如していたというべきだろう。そのような「文化の保護」と「対抗文化」を持とうとしなかったことが、東北人の弱さだ。具体的には仙台弁をつかうテレビ局を作れなかったことが、敗北の象徴かもしれない。(個人として、新沼健二とかいなかっぺいなど一部の芸能人と懐かしき社会党佐々木更三のがんばりは、あったが・・)

僕などは18才で東京に出てきた1967年3月、前からまったく使っていなかった顔をして、我が仙台弁を下宿のゴミ箱にこっそり捨てたのだった。そして7月の夏休みには帰郷してすでに「だからさぁ」とか「そうじゃん」などという横浜訛りの標準語で、ぺらぺらぺら。東北大に行っていた大沼安史などは「阿部凄いね。もう東京人になったべえか、はえーな。」とかいって、僕をからかったモノだ。赤面、赤面、何と軽佻浮薄な僕なんだろう。岩手の「めんこいテレビ」局は、社名だけだしね。いとこの和夫さんが社長らしい。
僕が子供の頃、アンクルトム物語の米国製テレビドラマをやっていた、もちろん科白は日本語吹き替えだ。善良なアメリカ南部の黒人のアンクルトムは何と「ズーズー弁」の吹き替え日本語であった。「そんだんべぇ、おぼっちゃま」とか優しそうに白人の子供たちと話して居たのだ。僕は笑った。が、おいおい、黒人はなぜ、東北弁なのか。誰が決めたのか。バカじゃないのと当時思った。悲しい背景を持った南部の黒人が大阪弁の当てレコじゃあ、演出上、都合悪いのか!

いま、時代はダイバーシティー(diversity)の時代だ。固有の文化を大切にし、それぞれに発展させることを良しとする考え方だ。多様な社会に多様な文化。僕はとても理に適ったトレンドだと思う。その多様な文化のセンターに位置するのが言語だろう。その意味では、消滅気味の東北弁の復興を震災からの復興と同時に試みる必要が在ると思う。東北弁を僕らはなぜ、恥ずかしく思ってきたか。みんな何故隠してきたのか。直そうとしてきたのか。この答と東北の復興と新たなる発展は、実は繋がっていると思う。ただし、その東北弁の「同時復興」を唱える僕自身は仙台弁の大半を記憶の彼方に放り出してきた資格無しの情けない人間なんです。


《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ★ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 ★カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 ★映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 ★メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 ★消滅している東北弁
・2011年7月 ★なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

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