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2010年8月27日金曜日

★ 灼熱のアジアに神はやはり居た

今日は9月2日木曜。ベトナムは建国記念日で祭日である。
■しかし、おどろくね。菅さんって、まったく、政治的なセンスが無い人物であることが、今回はっきりわかった。田中派の残滓小沢に期待することは、以前から全くないが、市民活動家上がりで、厚生大臣時の官僚との押し合いへし合いでは、強みを発揮して、僕なんかも一定の期待感は持っていたのだが。だが、だが、なんだね、この3ヶ月なあ〜んにもやってこなかった、無策としか言えない。でも何故か対米追従だけは明言したようだ。信頼する作家高村薫さんがアエラ誌で喝破していたが、8月6日、広島で国連事務総長とか、アメリカの代表まで来た画期的な日の記者会見で管首相は何と「当面核抑止は必要で、アメリカの核の傘から出ることは考えない」と言ったらしいのだ。現実対応はいろいろあるにしても、何故その日にわざわざ、自民党さえその日に言わない様なことを、不用意に言ったのか。政治家としてのセンスというか見識がまるで無いと、僕ははっきりと認識した。

彼は、こんどの民主党の総裁戦で更に無策を曝している。9月1日の公開討論会でも良いし、本日の日本記者クラブでの討論会でもいい、世界とアジアへの当面の10年、20年の政治的経済的構想というかグランドデザインがなぜ、言えないのだ。おいおい、二人とも20年も30年も政治家をやってきたベテランだぜ、特に管さんは首相として少なくとも何故話ないのかあ?泣きたくなるぜ。今後のグリーンニューディール的なアジアでの互恵的な経済交流や日中をきちんと押さえたアジア平和外交、世界一の環境技術とサブカル含めたコンテンツの世界性が活躍できる内需外需を超越した施策、ベトナム他とのEPAの推進など何故言えないの?また雇用、雇用と言うけれど中小企業政策が全く不明、さらに中小をコアにした成長戦略もほとんど聞こえてこない。脱「官僚主導」も停滞している。この管首相の構想力の無さ、指導力の無さは何なんだあ。今後日本はどうなるのだろうか?日共や公明党はまったく論外だし。絶望だねえ。 村上龍の近未来小説「希望の国エクソダス」の冒頭部分が突如、脈絡無く僕の脳裏に蘇ってきた。アフガンから中央アジアにかけてのイスラムゲリラ地帯で、日本人中学生の武装ゲリラ部隊数百人と日本のマスコミが現地で遭遇したというテレビニュースが舞い込んできた戦慄の冒頭である。

■先日、NHKでドキュメントシリーズ「灼熱アジア 中東編」をやっていた。凄い。あのねえ、知っていますか。アフリカのサハラをふくむ赤道地帯から、アラビア半島、インド近くまでの赤道直下の地帯を「サンベルト」と言うらしい。で凄いのは、このサンベルトに強力に降り注ぐ太陽光のエネルギーのたったの6時間分が、実は全世界の必要エネルギーの1年分に等しいのだと言う!! ね、そこで、この50年間石油を世界中に供給し富と、時には世界を牽制する武器として使いまくり、ついには後20年もすると、枯渇に近づくと言われていた中東のイスラム国家群が、一斉に石油を過去の物として、太陽の恵みに国家の未来設計を大転換させたのであった。彼らは、石油の埋蔵が気になり始めていたが、不毛と思っていた砂漠と灼熱の太陽が実は、これからの国家を支える救いのアラーの神であることに気がついたのだ。ある時ふと空を見上げ、神に気がついたわけだ。いま、UAEやカタールなどの比較的小さな諸国が広大な砂漠に永遠に続いて見えるほどの太陽光パネルを並べ始めているのだ。間もなく巨大な王国サウジアラビアも始めるだろう。更に巨大ビルとビルの間にはこれも巨大な風力発電機を設置したりしており、排ガス・炭素という汚染物質の供給源諸国が一気に完全に太陽光と風力のエコ発電所の一大拠点に切り替わったのであった、このダイナミズムが番組からビリビリ伝わって来た。

サルタンの名前をもった36才の留学帰りの若いUAEの革命的官僚が、東奔西走して、郊外に新エネルギー都市「マスダールシティー」を作り上げていた。ここには中国、韓国、ドイツ、ロシアの有能な若い官僚たち、ビジネスマンたちが押しかけて、新しい事業と新しい世界作りに熱中しているのである。環境技術を持つドイツのメルケル首相はしっかりと、このマスダールの主力のシステムを受注していた。トンガやモロッコさえも、トップ営業でマスダール計画の展開構想に参入している。東電や物産、商事なども参画しているようだが、リーダーシップを発揮する位置にはほとんど入れていないようだ。菅さん!僕が言いたいのは、こういう新しい構想を東工大出たあなたの頭脳から発信できても良いのじゃあないか、と言いたいのだ。1時間のドキュメントは、心からワクワクさせられた。さあさあ、ニッポン、踏ん張ろうぜい!

■足の長いスーツの4人の男の子たちが、古い町並みの中を走る。赤い制服の数十人の女子高校生が、この愛らしいハンサム4人組を嬉々として追う。多分、この四人と制作者からのリチャード・レスター監督の名画「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」へのオマージュなのだろう。妻夫木、小栗、英太、三浦春馬の汗もかかない草食男子4人が「シュッシュー」とか言いながら走る、走る、ロンドンの街を駆け抜ける。僕の大好きなコマーシャルだ。資生堂のFOGBARが、また最近、固め打ちで、オンエアーしている。前回、去年12月も一連のシリーズがあって、思わずこのブログで褒めた。アビー・ロードスタジオ前の横断歩道でのビートルズのアルバムと同じシチュエーションは、まだ出てこないようだが、この「シュシュシュー」しか言わずシンプルなサウンドのCMは、眺めているだけで嬉しくなるね。「TUBAKI」もそうだが、映像コンテンツとして、資生堂のCMは近年の商品CMでは、ダントツにハイレベルで、かつ楽しいできばえとなっている。
■《ブログご高覧感謝》
僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
以下は、毎日100人以上の”人気”ページです。ぜひ、ご高覧ください。
多いのは一日1400名閲覧もあります。

・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2010年8月18日水曜日

嗚呼、青春の「旅の重さ」/ ニッポン専門チャンネル欲しい!!

  《ニッポンチャンネル》は、下方に記述
■御嶽山に登る人々のドキュメントをNHKでやっていた。昔から日本では山や岩、川などにそれぞれの神を見てきた。なかでも山には畏敬と恐怖が混じり合った多様な信仰が各所に在るようだ。御嶽山は、映像で見ただけで恐れ多い神が居るような気配があるね。山岳好きの息子はここに登攀したことがあるのだろうか。今度会ったときに聞いてみたい。で、さきほど、アエラをパラパラ見ていたら、四国のお遍路さんの記事が特集であった。アエラ流の「登山ガール」などのアラフォーものの一環の記事らしいが、この四国お遍路巡りの記事は僕の目を引き込んだ。書き出しにあの初々しい名作「旅の重さ」のことから切り出していたからだ。松竹映画「旅の重さ」は僕にとって大切な映画の一つだ。

胸が「キュン」となるとはよく言ったのもだ、一瞬にして初々しい新人女優高橋洋子を思い出した。久しぶりのこの感覚。何かが疼くね。昔の忘れ物を幾つか思い出す。この「旅の重さ」は、お遍路をたどっていた少女の旅路であったらしい。そうであることを僕は全く覚えていなかった。カメラマン出身の斉藤耕一監督のちょっと軽いが巧みなカメラワークが、青春映画のリズムを軽快に刻んでいたし、全編ながれる吉田拓郎の「僕は今日まで生きてきました〜♪♪」も当時の僕らの胸にストレートとに届く詞であったからね。シナリオのシチュエーションなど目に入らなかったのかも。不思議な大人たちとの出会い。今を超えようと震える身体。でも、大人の世界に行くことを拒絶したいと号泣する。この映画は青春の巡礼さ、まさしくね。高橋洋子のみずみずしい笑顔と肢体。青春の苦悩を素直に受け入れている少女の全身が全部鮮やかであった。1972年の僕を圧倒してくれた。その年の3月僕は結婚したばかりであったし、闘う学生や若者たちが一敗地にまみれた季節でもあった。多分、高橋洋子のみずみずしさは、僕の新しく始まっていた妻晃子との生活と二重写しになっていたのだろうと思う。♪♪私は今日まで生きてみました 時には人の助けを借りながら 私は今日まで生きてきました そして明日からも 同じように生きていくでしょう〜〜♪と。
それにしても、10年前ならほとんど視線に入ることがなかった四国のお遍路さんとか自然信仰について知りたいと体や心が意図せずに動いているようである。今月末で62才だ。多くの先達もそうであったようにマルクス主義を含む西洋哲学だけでは近づくことができない文明史的な積み重ねが我々のアジアにはあるのだろうと思う。

■「天皇の世紀」第二巻にはいっているが、何回目かの「ゲバラ日記」とか他のも読んでるのであんまり進まない。でも、先日まで読んでいた「福翁自伝」「アーネスト・サトウの外交官が見た明治維新」や「勝海舟の氷川清談話」との事実の整合性もひしひし伝わってくるので、まさにドキュメントのリアリティを享受できる。
下記は、また例によって、ベトナムで発行する本の原稿の一部だ。そのうえ、この文章は、去年まとめて書いた「海外広報のだめさ加減」原稿の一部をベトナム人向けに編み直したものだ。でも、大切なことだと思うので敢えててまたここで現した。

■私はこの十数年ほど、ベトナムのハノイ市と日本をほとんど毎月往復している。ハノイにも家があるのでテレビ番組を見ることも多い。ベトナムのテレビ番組で特徴的なことは、いくつかのチャンネルで「ディズニーチャンネル」「韓流ドラマ」「中国歴史ドラマ」を朝から晩まで放映している事だ。チャンネルを回してあちこち見ているが、それらは洪水のようだ、と言っておこう。毎日見ている、君らはどう思うか。でも、日本の映画は、たまに流れるだけだよね。

私は1948年生まれ、いわゆる団塊の世代である。ベトナムの若い君らには解らないだろうが、1945年に第二次世界大戦が終わり、その頃同年齢が年200万人生まれたのだ。それが、数年続いたので、「塊(かたまり)の世代」と命名されている。対アメリカ戦争後に君の国で子供が一気に増えたのと同じ現象さ。僕らが小学校に行った頃、少年少女の当時の世界の中心は「ぼくら」「なかよし」「冒険王」「少年サンデー」「少年マガジン」などのマンガ雑誌と数々のアメリカ製テレビドラマであった。今から、約50年前の事だ。
以下のタイトルは連日、僕らの家庭で放映されていたアメリカのテレビドラマだ。『うちのママは世界一』『パパ大好き』『ビーバーちゃん』『名犬ラッシー』思い起こすだけでも楽しい。『ローハイド』『名犬リンチンチン』『ルート66』『ララミー牧場』なんて格好良いのだろう。毎晩僕らをわくわくさせたハリウッド製プログラムの数々。僕たちはこれらのアメリカ映画を見てアメリカ市民の生活に憧れ、アメリカ的勇気と正義を学んで大きくなった。大人の背丈もある冷蔵庫、大きな牛乳瓶、そして各家庭には必ず大きな車が在ることを知ったのであった。男女の逢い引きが、気軽なデート (Date)と言う言葉に置き換わったのも僕らが中学校の頃つまり1950〜1960年代初めの頃であった。

聞くところによると1950年代当時に日本のテレビの各キー局では、それらのハリウッドテレビドラマをほとんど無償か超廉価で仕入れて放映していたようだ。言うまでもない。アメリカの組織的文化戦略の一環であったからだ。ごはんは太るから輸入小麦のパン食にしようなどというキャンペーンもあったことを思い出す。また、保守的な大家族制度から、アメリカ的な一世代だけの核家族への社会的再編作業なども、これらハリウッド製テレビ番組と一体なって、広報戦略のもとで、展開されたのだった。僕らは、当時無自覚だったけれど。あはは、君らも、今まさに無自覚だよね。

アメリカはおそらく、戦後日本での広報戦略スタイルをこの60年間、世界中で継続しているだろうと思う。現在のその先兵はディズニーチャンネルなのさ。結果、英語の普及は地球上で圧倒的だ。韓国も、中国も同様に広報に力を入れ始めている。韓国では最近コンテンツとその販売の世界戦略を統括する省庁が発足した。日本への「韓流モノ」の攻勢もその一環なのだろう。ベトナムで日本映画の放映があまりにも少ないので現地テレビ関係者に聞いたら、日本の番組は高額すぎると言う。いま、ベトナムの或る局ではエミー賞受賞のドラマ『アグリーベティー(NHKで深夜放送している)』の「番組フォーマット」(番組のコンテンツとノウハウの売買)を購入し、ベトナム版連続ドラマを制作し、ゴールデンタイムに放映までしているのだ。私は今ベトナム以外の海外事情には不案内だが、国民の大半が日本を敬愛してくれているベトナムに於いてさえ、テレビなどを通じた広範な国民への我が日本の広報活動は完全に出遅れているのが歯がゆい。大切なことは、他の国の文化も摂取しつつ、ベトナム独自の文化を守り、そして育成してゆくことである。だから、君らからすると余計なお節介かもしれないが、ベトナムの文化の今後を心配しているんだ。文化というかセンス(sense)の持ち方もね。アメリカ文化に体中「毒された経験」がある先輩として。

我々の日本はこれから、技術移転も含む裾野産業構築を基礎にした各国国民との「共生的な外需」の方向に行かざるを得ないと、これも多くの人は既に予感している。そう言う意味で中国や韓国だけでなく、ベトナム、タイ、カンボジア、ラオスなどのメコン流域地域などもこれからの正にパートナーになっていくだろう。
我々がそれらの国々に提供できるものは多い。僕らの自負さ。「環境分野などを中軸とした技術とサイエンス」や「観光」、「サービス、サブカルチャー(マンガやアニメなど)、食と農などのコンテンツ分野」などは、成長分野であると同時に外需向けに相応しい。そうであるなら日本語の流布拡大と日本社会をアジアの国民の皆さんに身近に感じていただく広報活動を貿易、投資、企業進出に先駆けて本気で始めるべきなのだ。東アジア共同体構想の下にアジア政策を推進する場合、言わずもがな広報はそれらの基礎を作る先行のファンダメンタルである。だが、君らが知っているように、日本の海外広報は弱い。橋を建設したり、道路、ダムを造っているだけだ。日本はベトナムへ毎年約1000億円のODA予算を投入していても、おそらく、ベトナムの国民の多くはそのこと自体を知らない。知らせる努力も足りないが、支援の分野が建設・土木に偏りすぎているのだ。バランスが悪い、ゼネコン主導の分野がいつまで、のさばるのか。

はっきり言って、日本の良質な番組(世界の黒沢明監督や手塚治虫先生が代表する日本の良質な映画、ドラマ、アニメ、バラエティー、ドキュメンタリー)を日本政府は日本の各テレビ局や映画会社から計画的に買い上げ、アジア各国の主要メディアに無償で大量に供給したらいのだ。各国の国民が現地語で視聴できる独自の「チャンネルニッポン」を各国に設置することだってODAの予算の一部を確保するだけで、十分に可能だ(NHK国際放送は各国在住の主に日本人向けの日本語放送のみ)。そのほか現地新聞の活用とか、現地語のインターネットWEB展開など経費「縮減」の施策はいくらでもある。

世界語になった日本語は多い。中でも最近「もったいない」が世界語になったことは、未来志向のグリーンニューディール時代の嚆矢(こうし)だろう。日本古来のリサイクルシステムや節約の心から最先端技術まで、私たちが蓄積した“世界財産”は途方もなく膨大だ。ベトナムの知的な青年諸君、どうだね。ぼくの言いたいことはわかるね。僕ら日本は、ベトナムを兄弟と考えて、相互協力して未来を切り開くのが、一番現実的だと考えている。さあ、君はどう思う?