2011年4月28日木曜日

オイオイ、お金だけで良いのか?ベトナムの青年諸君!

ベトナム全土で今秋に発売予定の「君たち、日本語のサムライにならないか!」という著作の日本語原稿の一部です。対象はベトナムの高校生、大学生、若いビジネスマン、子供を日本に留学させたいと思っている親の層です。話し言葉で語っている形式。ネタがないので、また、引用してきた。

第二章10項 「金儲けだけでいいのか!生き甲斐(がい)と社会貢献について立ち止まって考えてみよう」  
企業の社会貢献について、もう少し具体的に伝えておきたい。
ハノイやホーチミン市のビル建設の現場や、橋や道路の建設の現場でブルドーザー(Bulldozer)とか、ショベルカー(油圧のパワーショベル:Excavator)とかユンボなどの大型の建設機械を見たことがあるでしょう?たいてい黄色い色が多い。神戸製鋼(コベルコ)とか、三菱重工、とか日立建機などの社名が機械に書かれているので知っている人も多いことだろう。それらの機械なくしては、現代の大きなビル建築や土木の仕事はできない。日本の優れた技術の代表分野の一つだ。
日本の中部にある山梨県(やまなしけん)に「山梨日立建機(ひたちけんき)」という日立の系列の会社がある。元々は日立の製造したブルドーザーとか、シャベルカー、ユンボ(yumbo)などの大型建設機械を販売している会社である。
この数年間、日本は大きな不況に見舞われており、大きなビル建設などや橋の建設などの公共工事が大きく減少した。従って建設機械業界は最悪な経済状況が続いている。しかし、雨宮清(あめみやきよし)社長が率(ひき)いるこの山梨日立建機は、創業以来の最高収益を上げているのである。

山梨日立建機は、社長の夢もあって以前から海外に建機を強力に販売してきた。オセアニア(Oceania)やアジアへ戦略的に20数年前から精力的に販売してきた実績があった。今から十数年前、雨宮社長はアジアの政治状況もよく解らなかったらしく、カンボジア(Cambodia)に進出を実行した。言うまでも無くカンボジアは内戦が長期に渡って続けられてきており、国土が荒廃(こうはい)していた。だから、雨宮社長は「カンボジアは、国中が荒廃している。復興には大型建機がたくさん必要だ。さあ、大儲(おおもうけ)けができるぞ」と張り切った。だが、よく街を見ると片足が無い子供たちが多いことに気がついた。話を聞くと地雷(じらい)の被害者だという。片足の少女を連れたある老婆が雨宮社長にこう言ったという。「あなた日本人でしょう。日本の技術で何とか私たちを助けて欲しい」と。この偶然(ぐうぜん)の言葉から、雨宮社長は「俺はこのカンボジアにいったい何をしに来たのだろう。」と考え一瞬(いっしゅん)のうちに今後の自分のやるべき事が解ったと言う。

それから社長は現地に何回も足を運び、数年後世界で初めての大型の「地雷除去機(じょきょき)」を完成させたのであった。世界には1億以上の数の地雷が埋められている。悪魔(あくま)の置き土産とも言われている。犠牲者(ぎせいしゃ)は子供と農作業している女性が多いのだ。この地雷の除去は現在までは作業員が一つ一つ探しては、爆破(ばくは)していた。だから、一人の作業員がどんなにがんばっても一日に数個しか除去できないのだ。これでは世界中から地雷を無くするには何百年とかかると計算されていた。ところがこの戦車のような機械は地雷原をどんどんキャタピラーで走行して、改造パワーシャベルを稼働させて、爆破を促進させるので、今までの何百倍のスピードで地雷を爆破除去することができる大発明なのだ。現在、世界中から注目され、カンボジアだけでなくアフリカや南米にまで輸出されている。

結果、この新しい事業は世界で誰も手がけていない分野であったため、大きな利潤(りじゅん)を山梨日立建機にもたらしたのだ。良いことをしてその結果大いに儲かった。理想的だね。でも、人類や地球に貢献する仕事をして、利潤をもたらすとこを「しかし、それは理想だけれど、普通はそうはできないよ・・無理さ」と頭から否定的に思わないで欲しい。本気に考えて高い志の仲間に協力してもらえれば、できないことはないのだ。その良い見本がこの雨宮社長の生き方さ。実は、個人の決意と生き方の問題なのだ。
この地雷除去機の研究開発は、お金がかかる。パワーシャベルを改造したこの地雷除去機は、1000度の熱や爆破に耐える特殊な開発と何年もの実験が必要なのだ。実は社内的にはこの「地雷除去機」事業だけではまだ、利益が出ていないのである。でも、企業として大きな利潤をこの不景気のさなかにあげて来たのは何故か。ここからが重要だぜ。

実は営業マンも事務員もすべての従業員全員が自分の会社に誇りを持ったことなのだ。ここが重要。ある従業員がテレビで語った。「時々、お客さんや仕事の関係者から、お宅はあの地雷除去の日立建機さんですね?」と聞れたり、声をかけられると言う。彼は「嬉しいですよ。やっぱー、誇りです。うれしいです」とニコッと笑った。この従業員のモチベーションが凄いのだ。世界で唯一の、それもあの非道な武器の地雷を除去する機械を作っているからだ。この開発後、従業員は誇りと自信に満ちあふれ、元々販売だけであった事業が開発、メンテナンスにも広がっていき、今まで無かった多様な開発の仕事も舞い込んでくるようになったのである。県外からの優秀な若者が研究開発部門に入りたいとやってくるようにもなった。

社員が夢を得たとき、企業は強くなる。使命感と目標を持った人間は強くなる。今後、日本はこういう道をめざす企業が増えるであろう。いま、日本では若サラリーマンや学生の一部はすでに、自分の得意技を社会に役立てるボランティア活動も広範囲に始められている。
ベトナムのサムライ諸君!土地の売買とか、株の売買だけに目を奪われないでくれ。
その大金は一時の金で終わるぜ。君たちの優秀な頭脳と肉体を10年後のベトナム、20年後のベトナムの国作りに向けて欲しい。ぜひ、日本に来たら、日本の市民活動、ボランティア活動(グランドワーク、プロボノなど)に携わっている日本の青年たちと交流して欲しい。さらに、社会貢献を考えている企業に就職することも考えて欲しい。本物のサムライとして、母国でかならずや、役に立つ。世界は、いな地球は今後急激に変容(へんよう)して行くからだ。
 *3月11日大震災とそれ以降の状況を加味して一部加筆予定。

分析が二分化しつつ?(VCIニュースより)

ハノイ発■大きな衝撃を日本及び全世界に与えた3月11日から、もう一ヶ月半になります。実家が仙台であるという身近なことであると同時に当校のベトナム人卒業生の採用企業は日本全国の中小企業でありますので、直接の被害が無くとも、納品先や部品とか材料の供給元が、東北に在る場合も少なくなく、次第に生産関係に停滞が出てくると読まれています。従って、去年の夏期から、一定程度景気の上昇ムードも出ていたにもかかわらず、もう一回落下し低迷するだろうと。つまり、当校で言えば、ベトナム人学生の採用は当面減少せざるを得ないと言うことだ。言うまでも無く新聞などの論調はこちらが多い。しかし一方でこの日本の現況がこのままではどうにもならないので、この際海外に例えばベトナムに進出をせざるを得ない(特別に積極的ではないが、やむを得ず)企業も急激に増加しつつあるという情報もあちこちで出てきた。

例えば、ベトナムに強いある情報調査機関では、3月11日以降、2週間程度は茫然自失状態があったが、4月に入り一気にベトナムの調査や視察、用地の相談が増えてきたという。少なくと、仕事の忙しさは3月11日以前に戻ったという。確かに、当校もいただくメールや電話の数も本年1月、2月と同様に近い。現に採用のための面接などのための具体的会議も多い。活況までは全く行かないが、大手中堅共に、「アジアの拠点作り」「ベトナムに開発拠点」とかの言葉が良く使われているように見受けられる。この方たちは、一見「やむを得ず」アジア進出に見えなくもないが(契機はそういう場合であっても)、実は10年後を見据えた積極的かつ戦略的企業群と思われる。

3月28日の本年2回目の当校「ベトナム人エンジニアを採用しませんか」東京セミナーは予定の12社がご参加、ハノイ当校とskypeして、東京会場と学生と交流も行った。

本日から、日本人教員が1名増員、5名となった。
abevci@vietnam-waseda.org   阿部 (VCIニュースより)

2011年4月24日日曜日

ハノイSOFTWARE TECHNOLOGY PARKの起工


昨日、地鎮祭がハノイ市長や日本大使の列席の下華やかに挙行された。僕も「日本側パートナー」として招待された。

■ハノイソフトウエアテクノロジーパークは、ハノイ市の中心からレッドリバーをわたり、車で20分程度の市内だがいわば郊外のつまり、東京なら練馬区のような所に立地しており、住宅地や研究所、大学の用地としては最高の立地である。元々この土地はハノイ市の所有であり、開発会社ハネル社の会長も元ハノイ市長と聞いており、その意味ではハノイ市だけでなく、ベトナム政府にとってもまさに期待のハイテクパークだ。とくに、開発の基本プランは日本の設計チームが行っているので、その期待度は非常に大きい。日本サイドとしては、まさに3月11日以降、技術先進国の名前が汚れつつあり、ぜひ、日本贔屓(ひいき)がおおいベトナムで、そのハイレベルな建築技術、マーケティング力などを見せて欲しいモノである。

現在、ベトナムの産業構造は大きな問題を抱えている。概略をいえば、日本で言う「裾野産業」が未発達なのだ。日本にはトヨタ、パナソニック、日立、三菱、ソニー、ホンダ、キャノンなど誰でも知っている約1000の超大企業を頂点として、裾野にはもの作りの企業だけで約60万社が有機的に存在し、その富士山の様な構造を支えているのである(ベトナムの製造業は約4万社)。物流や流通、コンテンツ分野、サービス分野なども加えれば、その数は250万社となる(ベトナム企業全数は、国営・民営・外資系で25万社)。この支え合うもの作りのヒエラルヒー構造が良くも悪くも日本の特徴・伝統でありこの力なくして世界に打ち勝つ日本の超大企業も存在できないのだ。トヨタの自動車はよく30000個の部品から出来ているといわれている(電気自動車は10000個に)。その30000個の一部を支えてきたのが、まさに震災に遭遇してしまった東北の関係子会社群なのであった。東北には自動車関連部品の工場だけで約1000社あり、年間売利上げ約1兆円の規模であった。

話を戻す。情報革命による情報ハイテク化の波はとどまるところを知らない。僕は専門外なのでよくわからないが、特にその中の通信分野は更に肥大化していくことでしょう。それは、人間の持つ基本的な欲求の「知りたい」「伝えたい」ための有効な武器であるからだろう。それだけではない、主たる作業は高度知識をパソコン上で駆使すれば開発も解決もつくというインフラ不要の産業であるからだ。半導体のような数千億円というようなインフラもいらず、また自動車産業の様にラインもセルも、数千人の若いワーカーも不要なのだ。その意味では頭脳と直結し媒介するものはソフトウエアだけであり、生産に必須な工具も機械もロボットも使わずに重要な製品を次々と生み出せる100年前には想像上の夢でしかなかった産業なわけだ。ただ、問題は成果物が情報と知識に過ぎず、リアルな物の生産ではないと言うことだ。

だから、ベトナムでは、アメリカや日本の東工大や東大工学部など最高の大学やマスターに行き、母国ベトナムにオフショア開発のベンチャー企業を起業する例は多い。VINASA(ベトナムのソフトの業界団体)加盟は現在何社だろうか。3年前でも250社ぐらいあったと記憶する。そのうちハノイには「日本企業をお客様とする」ソフト開発企業企業(オフショア開発)は、僕の「目勘定」だが40社はあろうか。留学生たちの帰還後に少ない財力で起業する分野としては、この情報通信系ソフト開発が、現実的なわけだが、問題は機械系や電気系、化学系などの優秀な若者たちなどの起業はほとんど閉ざされているのが現状なのだ。IT系以外の起業は資金的にほとんど不可能に近い。

今回地鎮祭で感じたことは、この夢のような立派なソフトウエアのハイテクパークにハイテク企業のそれもインキュベーションが必要な新進の企業が入居したり、活用するのだろうかという疑問である。インターネットの最大の武器は空間を超越することが出来ると言うことだ。つまり、この時代にソフト企業の企業間同士の物理的な集合性は本当に必要なのだろうか。僕は1990年代終わりに日経ビジネス社のコンベンション部門と協同でWEB上の「ハイテクパーク」の構想を練り、準備したことがあった(現実のコンベンションは1週間程度で終わるがWEB上で1ヶ月継続するマッチングのパーク)。情報革命の前線を担い、突出した開発を驀進する若いソフト企業にとって重要な事は、「物理的に近所に大学や研究所またはパートナー企業がある」ことでは無いだろう。大事なことは資金の支援であり、「経営と技術の分業」の調整である。集合性や協力関係はオンライン上で問題ないということなんだ。

僕は1980年代に川崎のKSP(神奈川サイエンスパーク)のプロモーションに少し携わった。これは完全にインキュベーションに特化していた。つまり、家賃が格安で、かつ法務、金融、経営の支援を神奈川県や川崎市から「ほぼ無料」で得られる。KSPは各社に一部資本参加して、5年後、10年後の上場利益を想定していたと思う。でも、公的機関にベンチャー企業を見る「目利き」がいるわけでもなく、KSP自体の経営は事実上無視しているからこそ可能で在ったはずだ(すこし、最近の状況を調べておきます)。その80年時代の日本にとっては、有意義で的を得た公的な事業であったと思う。その後、僕は早稲田大学にて1990年代の中葉に学生ベンチャーのインキュベーション事業に携わったこともあり、入居もさせていただいていた。そのころ、日本の各大学のインキュベーション事業は盛り上がったが思ったほどの成果は上げられていない様だ。

1980年代のKSPと一緒に議論は出来ないが、短期的売り上げを重視するアメリカと似た経営体質のベトナムにて、このパークは経営が可能なのだろうか。新規のソフトの開発に十分な費用と時間をあたえられるシステム(パーク側の育成とマーケティングのシステム)になるのだろうか。単なる貸しビル業なのかしら・・。再度言う。情報技術の革命家(企業)には物理的な企業間の集合は不要であり、彼らにそれを良しとする雰囲気はない。むしろ、ソフトウエア分野ではなく、僕がいう機械や電気、化学、加工業、国際人文知識系などの中小企業を雨後の竹の子のように生起させるために、インキュベーション施設で開発、モデリング、実験、生産ラインを支援するもの作り現場をパーク内に構想すべきなのではないだろうか。ベトナムには高度な溶接の学校さえ満足にないのだ(ホイアンには、日本が支援の学校有り)。残念ながら旋盤、プレスでも、現況のベトナム職業学校施設だけではレベルの高い「技能者」が生まれてこないのが誰でも知っている現実だ(金型企業はHCMCはじめ各地で育ち始めていると聞く)。いま、ベトナムで大事なことは、ベトナムに工業的な基礎部分の中小企業を無数に育成することだと言い切って良い。そう言う産業の下部構造的な分野を育成していかなければならないのである。同時に人材を独自に錬成させる産業教育のシステム化もである。ソフトウエアーは、ほっておいてもどんどん生起し成長できる。

ベトナムはこのままだと、「不動産」と「金融」と「IT」だけの砂上の楼閣の産業構造となる。つまり、いつでもバブルに陥りやすい経済構造となってしまう。いわば実体経済や実態産業に与していない分野だけが肥大化しかねないということさ。全く不幸なことだ。これではタイ国に追いつき、シンガポールや台湾を目指すどころか、フィリピン止まりだぜ(フィリピンの方すみません!*フィリピンには日本人2〜3名の阿部ブログ読者いる)。嗚呼、ハノイ工科大学の周りにある数百軒のインターネットカフェー&ゲーム屋は、今日も朝から何処も盛況のはずだ。

僕はこのパークの日本の大学誘致の仕事を仰せつかっている。それはそれで努力してみたいが、写真にあるような夢のお城のような超現代的なプランだけでは日本の大学の経営者の心を捉えることは難しいだろうと思っている。もう、こういうきらびやかな構想の時代はおわっていたはずじゃあなかったのかしら。少なくともUAEの太陽光エネルギー都市「マスダールシティ」の様な未来に向けた世界戦略が無ければいけないんじゃないかな。つまりさ、もっと画期的な構想が必要だろうと思うわけですよ。僕は1996年頃、やはりハノイ市の用地の計画を頼まれたことがあった。僕の構想は「平和」であった。建築のプランはなく構想だけの10ページぐらいの概要企画書だ。

現代社会で声高に平和を叫べるのは日本とベトナムとパレスチナとユダヤ(イスラエル)だと当時考えていた僕は国連「世界平和研究所」(所長カーター元大統領)の創設をパークのコアにして、全世界の優秀大学の学生を居住させ、研究だけでなくアクションをおこすことの重要性を教育のコアーとして、大学生PKO(部隊)を数万人で構成し、ボランティアで社会訓練も兼ねて「紛争地に赴く」システムの構想である。更に世界的なベンチャー企業トップと技術者のサミットの常設施設をつくる構想であった。がハノイ市の担当者は賛同してくれた気配もない中で、霧消してしまった。もちろん、今考えると青っぽい観念的なしろもので、まあ、あんまり参考にならないだろうけれど、一応ご披瀝してみた。

で、会場で偉い方々と名刺交換させていただいたが、何だか晴れない気持ちで地鎮祭をあとにした。
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・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2011年4月21日木曜日

ドミンゴさん、この時代だから第二国歌ありかもね / ドナルド・キーン先生

■スペインの歌手であるドミンゴが先週あたり公演で来たようだ。いわゆる三大テノールの一人であり、唯一の現役だ。世界からのアーチストのキャンセルが増える中で、彼の日本に寄せる気持ちは他の人とちょっと違うね。彼は今回の東京のコンサートの最後のアンコール時にいきなり日本語で「うさぎ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川~、夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷・・・」と「故郷」を歌い出したらしい。選曲のセンスが流石だね。日本の唱歌の代表だもの。ドミンゴさんの切々とかつ力強い日本語に会場の全員が和唱して、そして多くの聴衆が滂沱の涙を流したようであった。終演後、目を真っ赤にはらした観客たちがニュースカメラの前を幾人も通りすぎた。

会場にいたというテレビの女性アナウンサーも目蓋を熱くして、そのときの模様をニュースのコメント時に語っていた。唱歌「故郷」は本当は長野あたりを見て作られたようである。でも、イメージは東北であり関西でもあり実はかつて何処にでも在った日本の里山の風景と立志や親を詠った歌である。だから、何処の地方の老人でも、現在の中学生でもイメージ豊かに歌える数少ない唱歌の一つだと思う。もちろん「早春賦」もいいし「夏は来ぬ」だっていいし「赤とんぼ」も名曲だね、「朧月夜」も悪くない。でも「故郷」は季節に偏りがないし、空間も多様だし、志も見える。

今更、君が代を云々するのも野暮だし面倒だ。「新しい国歌に」とは、言うまい。アメリカの第二国歌の「 God Bless America 」のように非公式から、公式行事までどんな時でも誰の反対や非協力に合わずに堂々とみんなこぞって歌える歌が日本に在っても良い。第二国歌として唱歌「故郷:ふるさと」を意識しませんか。今僕らは「日本を信じよう」とか「日本はチームだ」「がんばろうニッポン」と相互に励まし合っている。その「紐帯」として、誰でもが自分のふるさとを思い起こす歌が在っても良いと思う。僕は国民運動的なことはあまり与しない。でも、故郷が被災地仙台である僕にとっていま、必要な歌の一つであると強く思っている。

■コロンビア大学の名誉教授のドナルド・キーンさんが、3月11日以降に日本国籍を取り、日本人に帰化した。そして、日本に永住を決めたという。国際的な放射能の風評被害に対する先生なりの反発というか抵抗なのだと思う。88才のご老体にも拘わらず、元気だ。僕が大学生の映画青年時代、キーンさんは「映画芸術」や「映画評論」「キネマ旬報」に論陣を張っていた。その頃コロンビア大学の教授でありながら、日本の書評や映画評を旺盛に執筆していた。テレビでのインタビューも立派なネイティブ日本語で映画芸術などを語っていた。困難な時だからの外国の友人たちの誠実な思いに、僕らは絶対にきちんと応えて行かなければいけない。信念を見せてくれた人に僕らもきちんと信念を見せねばなるまい。

2011年4月19日火曜日

東京物語、二十四の瞳、荒野の七人、シンドラーのリスト、アマデウス / 東京のベトナムの留学生たちと座談し酒飲んだ。

4月16日土曜、ベトナム留学生5人に集まってもらって座談会を行った。9月にベトナム全土で販売予定の僕の著作の中の一部のコンテンツに使うためのもの。

■近日、NHKBSで見た小津さんの「東京物語」はCDも持ってるし、今まで4,5回は見てきたが、それに比べて「二十四の瞳」は何故か初めてだと思う。さて、NHKの「山田洋次監督が選ぶ100本」とかいう放映シリーズが、BSで始まったのだ。おいおい、いつのまに、山田洋次が日本の映画監督の代表になったんだあ。なぜ、山田さんが、名画を選ばなくちゃあいけないの。あの人嘘臭くて好きになれない。それに相応しい映画の巨匠たちは何処行ったのだい?NHKも安易だぜ、ほかに誰か探せないのか。深作さん、今村昌平さん、大島さん。で、一応、初めてだが日本映画監督協会なる組織のWEB見た。ちょっと前のというか、僕らの「常識な巨匠」を探したら、大抵亡くなっているか、肉体的「よいよい」状態の御仁が多い。嗚呼、本物の映画人たちよ、そういう時代かあ〜。でも大林宣彦がいるし。否否、奴は大学教授風にヘラヘラおしゃべりするから良くないよ。だったら、奥の手だ。前東映の伊藤俊也さんでいいじゃあないかあ。断固とした現役だぜい。あるいはジャンルを変えて、映画好きの村上春樹でも良いしさ、村上龍だっていい。呆けていない渡部淳一とか巨匠たちだって、良いんじゃあないのか。選者に不満ありだね。

で、リマスター版の「東京物語」いいねえ。まず映像がCGの修正で見違えるようにフィルムが蘇っていた。「雨やノイズ、画面のブレ」が消えていた。当時撮影助手で付いていた川又昂名人がアドバイザーとなって修正作業に携わったようだ。小津作品では、個人的好みで言うと「麦秋」「晩春」「秋刀魚の味」が良いね。「お早う」も秀逸。子供たちの明るさや新しい文化住宅の生活は僕らにはまさに身に染みる。「二十四の瞳」は、久しぶりに見た木下恵介監督作品だ。「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾歳月」なんかをビデオで買って見て以来かも。敗戦時の日本国民に絶賛されたいわば国民的映画だね。洋画で「ローマの休日」を第一等に選んだ人が選ぶ誰でもが賛辞した国民映画がこれだろうね。新しモノ好きで、天才の誉たかい木下恵介監督だが、この作品の後半の亡くなった子供たちの登場してくるシークエンスあたりから、時代の社会主義リアリズムの空気を読んだのか、影響されたのか、僕には「うむむむむ」と言うところも実はある。でも、「浜辺の歌」「故郷」「からす」「港」「アンニーローリー」「仰げば尊し」「蛍の光」など昔の文部省唱歌(だけじゃあないかな)のオンパレードが嬉しい。

さて、「荒野の七人」、「シンドラーのリスト」、成瀬巳喜男「めし」、「第九地区」、「最高の人生の見つけ方」も寝食惜しんで先日見続けた。最近、仕事に没頭していたし、体調ももう一つであったし、東電や保安院の会見を見なければいいのに毎日見てしまい、吐き気してくるしで、全くブログが書けないでいた。ほぼ二週間にわたって、ふつふつと何かが背骨と胃腸あたりに湧いてくる感じであったが、どうにも構想して書くまでには忍耐力がかなわずにいた。
「荒野の七人」は、もう10回は見ただろう。安いDVDをまた買ってしまった。ハノイの教員用(小さな厚生設備)にと思ってさ。ハリウッドの最高作品の中の一つだろう。見事な作品だ。で、このCDには「メイキング」も付帯されていて、これも堪能した。ブリンナーと新鋭マックイーンの見えざる戦いの話は、俳優のプロとしての白眉だね。また、悠然とした”好々爺”になった、ジェイムス・コバーンの述懐は嬉しいね。

「シンドラーのリスト」は20年ほど前、劇場でロードショウで見て以来だ。妻晃子とはるひ、一行と家族揃って満開の桜見物に千鳥ヶ淵・フェアモントホテル付近行き、僕の喘息が桜吹雪の中で酷くなり、でも、何故かそのまま「シンドラーのリスト」に行った記憶あり。ぜいぜいしながら見た。覚えているのは、いきなり、曰く付きのシャンソンが流れてきたことだ。実は僕が小学校の頃、ラジオから流れてきたこの曲について親爺が驚くべきことを言ったのだった。「この曲は暗い日曜日と言ってね、この曲を聴いた世界の青年たちが世を儚んで何十人も自殺したんだ。日本でも一人亡くなったんだよ」と。びっくりしたねえ。人間って音楽だけで死ねるんだ、とね。まさに衝撃を受けたね。さて、映画。僕は悲しみに耐えきれず泣いたね。観客のあちこちでも号泣の人々がおり、後ろにいた西洋人の大男などはまったく何もはばからず泣いていた。僕にはこの映画の様にナチ的なドイツ・オランダ、ポーランドなどの社会風唱の中で大量に殺戮さればならなかったユダヤ人が、現代のパレスチナの人々に対して同様の暴虐を強いていることの不思議さをまったく理解出来ない。秀逸な反戦映画だと思う。

成瀬巳喜男監督の「めし」も2,3回テレビとDVDで見たが、名作と言えるかどうか。加山雄三の親父上原謙は、本当にイヤらしい人物だし、永遠のマドンナ原節子に不貞の兆しを臭わせたりして、良くない。不安の作品で、精神的によくないなあ。20数年前、ナイアガラの滝を僕と家族四人で連れだって行ったときにご老体だが矍鑠(かくしゃく)とした上原謙さんと加山雄三さんご家族とばったり出くわした。水煙のなかで晃子が「あら、上原謙さんよ」と言ったのだった。
「第九地区」は宇宙人の海老マンたちが、地球の大都市に来てスラム街を構築して、平気で共存し始めるSF。薄気味悪が良いできだ。チープに製作した気配だが、決してB級作品ではないインパクトあり。

ジャック・ニコルソンの「最高の人生の見つけ方」。役者はいい。ニコルソンとモーガン・フリーマンだからね。圧倒的さ。演出も彼らに逆割らず上手く「飼い慣らした」感で、良い。でも、シナリオが胡散臭い構造。大金持ちの白人ニコルソンがいてくれて、黒人庶民のモーガンも死ぬ前に現世を楽しむという寸法。ちょっとねえ〜。つまり、プロデューサーが無能で、受けた監督が怠慢であった映画と言うことさ。

「アマデウス」もロードショーで妻と見た記憶。でも、モーツアルトの「あはははは」という甲高い笑いを25年前のその晩に自宅で子供たちにして見せたような記憶もあり、4人家族で行ったのかも。そういう意味で、久しぶりに見た訳だ。「カッコーの巣の上で」の監督でもあるミロス・フォアマンはヤッパー天才だね。無名の俳優をサリエリに抜擢したこともそうだが、それ以上はサリエリの内面の動きを外面しか採録できないカメラに見せる才覚が普通じゃあない。天才を死に追い込む天賦の才をいただいていない男。この男こそ僕たち自身だから、映画の主題は実は極めてシンプルなのである。

■写真にあるようにベトナムの優秀青年たちは明るく元気だ。東工大3名、東大工学部1名、横浜国大1名が16日都内で集まった。いずれも大学院生だ。採録した詳細は著作に記述しますが、ここでは概括だけ、ちょっと話そう。で、それとは別に昨日19日は彼らの先輩(東工大卒が多い)にあたる1995年の日本渡航グループに、ホーチミン市で4名に会った。彼ら先輩の方はみんな35才前後。バシバシっとビジネスを展開しているベトナムのビジネス社会の中核を担っている最優秀の青年たちだ。彼らの特徴は、ホーチミン人文社会科学大学出身者の女性1名を除けば、まったく日本語がゼロの状態で日本に渡航して、東工大とか電通大に入学して、ソニーとかパナソニックなど先端企業で仕事をした後、母国に帰ってきて、ベンチャー企業を起業して成功を収めていると言うことだ。前記の東京での大学院生5名も大体同様の軌跡を今後歩むであろう。

共通した環境は彼らは、ベトナムの大学1年生の時に日本の文科省の奨学金の受給の資格に合格していることだ。彼らは大学入学試験で、全学で5位以内、さらに奨学金申請試験で、全学10位以内とか言う、僕などは驚くばかりの秀才たちなのだ。日本の文科省のベトナム人奨学金給付学生の枠は、毎年50名程度と聞いている。もちろん、この国費留学生だけでなく、交換留学生もこの彼らの中に居るし、働きながら頑張ってきた私費の留学生もいる。みんなが極めて優れているのは、勉学の点だけで申し上げているのではない。日本人の僕たち年長者との付き合いとか、会議とか、段取りとかまさに日本の「社会人基礎力」と言われているものの体現者だから凄いのさ。シンプルに換言すると、日本人以上に日本のルールや慣習を体得していると言うことなのさ。つまり頭脳明晰でかつ人柄が優しい。ちょっと〜褒め過ぎかな?でも、彼らがこれからのベトナムの社会を支える。期待が膨らむ。僕は嬉しい。

日文研(国際日本文化研究センター:京都)の研究員であるTAM先生の特筆すべき最近の原稿がある。「日本語教育における”社会人基礎力”養成事業の展望」というものだ。いままで僕ら当校が6年に渡って実行してきた「企業内コミュニケーション授業」「生活環境授業」「技術者教育」を日本の経産省主導の「社会人基礎力」というカテゴリーを使って提示させた論文で、僕らがベトナムでして来たことに間違いがなかったと改めて確信をもった。従って、今春から、順次授業の名称も「社会人基礎力育成」授業、「企業人基礎力育成」授業と変更しつつ在る。

その彼らの3月11日以降の日本について、聞いてみた。「世界中が日本人の行動に感銘を受けた」「日本人しかない価値観を示してくれた」と熱く語ってくれた。本当にありがとう。そのような思いに日本人の一人として応えたい。しかし、東電や保安院、原子力安全委員会、政府への僕の違和感と怒りはむしろ増大している。ベトナム人たちの健全な認識に日本人としてどのように答を見いだし、応えるのか。実にやっかいで、期待に応えられない不安の方が着実に膨張している。
  *でも、久しぶりで何か文章に力入らず、平板な印象となった。さあ、今晩、ハノイだ。がんばるそ〜〜〜。じゃあ。阿部
■《ブログご高覧感謝》
ついでに僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
以下は、毎日100人以上の”人気”ページです。ぜひ、ご高覧ください。
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・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリスト」
・2011年5月 復興に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

ハノイ日本アカデミー
NPO法人VCI人材戦略研究所
代表理事 阿部 正行
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