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2012年1月30日月曜日

リハビリ三昧 / 4年以内に首都大地震、困ったね。

僕は29才から喘息となった。年子の弟は小児喘息であったが、大学を京都にして、環境をかえたら、直ったようだ。であるので、まさかぼくが、いい年してなるとはおもわなかった。今から30数年前の2月の寒い夜に、猫の散歩を兼ねてサッカーボールを転がしながら、近くの運動場まで行き、野球のバックネットに何度も力強いシュートを放ったりして、冬の体のなまっている感じを吹っ飛ばすつもりで、一汗かいた。その時たぶん、冷たい空気を大量に吸って、呼吸が不調になり、その夜であったか、次の朝であったか、晃子(てるこ)と一緒に行き、そのまま国立埼玉西病院に入院した。当時は今と違って、喘息のレギュラーな安定薬がなく、その後も季節の変わり目に大抵発作が起き苦闘がつづいて、妻に迷惑を随分かけてしまった。

当時から西洋医学でなく、自然療法とか東洋医学に目覚めていた(今考えると本当に先進的であった)妻晃子(てるこ)は、僕に東洋的体操を薦めてくれた。一つは呼吸法。腹式呼吸であった。もう一つは日本古来からの簡単な体操であった。名称が思い出せないが有名な「自彊(じじょう)流」ではなかったようだ。思い出したら、書きます。あぐら組んで後ろに倒れるとか、面倒な体操ではなかった。でもでも、妻の真剣で本気に僕に薦めて、時には「一緒にやろう」と言って夫婦で行った呼吸法とか体操を当人の僕が本気になれず、何時もサボり(僕はバカ者です)、妻をがっかりさせてきた。でも、いま椎間板ヘルニアのリハビリで、一等最初に行っているのが腹式呼吸なのだ。今となって真剣にやっている。遅いよねえ今頃。本当に済まない、天上にいるテルコ。

医者のアドバイス、インターネットの医者のリハビリのメニューなどを参考に僕なりに編み出したのがこれだ。1 腹式呼吸10回×2を3(一日)、2 しゃがんでは立ち上がるスクワット10回×2×3(一日)、3 十五分ほどの散歩2回、4 ベッドにて仰向けに膝とじ10回×2×3(一日)、5 ベッドの上で、膝を抱えて、片足ずつ延ばすストレッチ(回数は同上)、6 ベッド状で片足ずつ、上下運動(回数は同上)、 7 ベッド上で、股を片足ずつひらく運動(回数は同上)・・ということで、オリジナルな自己流の体操に専念している。正直言って、痛みは軽減してきたと思う。さあ、2月上旬には、ハノイ。がんばろう。

■ 東大の地震研の平田教授という方が、「4年以内にマグニチュード7程度の首都直下(南関東)大地震が来る確率が70%」と発表した。今までは都庁などが、同じ内容で30年以内と言ってきた。30年以内だから、来週起きても誰も文句は言えないわけではあるけれど、まあ、普通当面来ない、20年は来ないだろうと、高を括ってこれたね。それを4年以内とした。政府、都庁、都民も大概の感覚では「必ず、東京大地震はくる、来るけれども、今すぐではない。さらに、自身も家族も運良く、死ぬことはない」とリアリティーを持っていない。本気になって心配する人がもし居たばあい、「ちょっと変な人」ってまだまだ言われそうな空気だろう。東北ではあんなに凄くて、むごい地震と津波を受け、その画像を何十回と見たにも関わらず、自分にはふりかからない、と思い続けている暢気な僕等の認識。もちろん、僕なんかも何の根拠もないのに、ベトナムに行っている事が多いので、僕は大丈夫と決めつけている。

他人事。対岸の火事・・・僕等の日本語には、時代の風雪に耐え、生き残っている平易な言葉を持っている。みんなそうやって、問題から逃亡もしくは回避して来たわけだ。何回大きな地震が来ても「学習」したとも思えない。温故知新の観点からすると、「地震、雷、火事、(親爺)」の四大”恐怖の自然現象”については、あまりにも頻発している災害なので、つまり日常化しているので、いちいち本気に心配し、備えを何時も考えるのを忌避してきたきらいはないのか。津波も含めて、受け入れざるを得ない自然現象として、諦念して来たのではないだろうか。他人事も、対岸の火事も、「主体性が無い倫理的に良くない言葉」と思ってきたけれど、最近「待てよ、歴史が作ってきた方便かも」と考えてもみるようになった。もともと、「主体的」な考え方は近代西洋合理主義の中から生まれてきたものだものね。梅原猛先生は「文明災」の論(当ブログ2011年5月に掲載)で以下の様に語っている。

「たとえば、思うようにならない天災を、「仕方がない」と受け入れ、逆に前向きに生きていこうとする。こうした姿勢は、大乗仏教の忍辱(にんにく)、つまり、精神的な屈辱や苦難に耐え、自分の道を貫くという考えからきている。日本のようなモンスーン地域では、しょっちゅう天災がある。このような地域で、自然とともに生きていくための知恵だ。一種のあきらめの精神ではあるが、日本の優れた文化でもある。」

これは正式には六波羅蜜の一つで忍辱(にんにく)波羅蜜というようだ。災害も含む困難に耐え忍ぶ修行を行い悟りにいたることだという。僕は、石巻の大川小学校の「ひまわりを咲かせたお母さん」たちのお二人とお会いしたり、お手紙やメールを交換している。彼女らは自分の命以上大切な子供を或日、同時に二人とか亡くしてしまったのです。それも学校組織の不手際で北上川を逆流してきた津波に学校の大半の子供たちが奪われた。お母さんたちは、この苦しさと悲しみをこの世のモノとは思えないまま、堪え忍んでいるのかもしれない。否、現実であることも深く認識していよう。忍辱波羅密と言う言葉は、彼女たちの事かも知れないね。でも、やっぱり「怒り」はどうしたらいいのか。自然災害だけではないからね。詳しくお話し合いしていないけれど、まだ、怒りがわき上がる以前なのかも知れない。全身全霊で堪え忍んでいる日々に心を掻き乱すものは、入り込む余地はないのかも知れない。

梅原先生はあきらめを知恵であり日本の優れた文化のひとつだとおっしゃっている。たぶん、そうなのだろうなあ。西洋文化の優れて功罪の一つは「個の発見」だろう。戦後、主にテレビと共にアメリカ流の個の導入が学校教育はじめ多様な文化の主流を占めるばかりになった。僕が十代後半から、二十代後半まで全身で堅持し、他者に伝えようとしていた左翼急進主義の土台はまさに個から発する最も文化史的に重要なメンタリティーだと思ってきた。でもこの年になってくると日本も含むアジアには実はその西洋史的「個」を超越する何かがあるように考えるようになってきた。フォイエルバッハやマルクスのいう「類的存在」とも違うモノなんだろう。初期マルクスの「経哲草稿」のその類的存在と双璧をなす疎外概念がアジアに何故生起しにくいのか。それも同じような事だ。上記にある「忍辱波羅密」ふくむ六波羅密の前で天才カール・マルクスは、言葉を失うようなイメージすら一瞬浮かぶ。敢えて言えば、二元対立の止揚後のジンテーゼ的なものの状態が僕等のアジア史、特に多様な文化の堆積した東の辺境国ニッポンの歴史に既にあって、連綿と繋がってきたような・・。

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