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2011年9月9日金曜日

★ 「言葉狩り」の傾向、タブーの増長

鉢呂とかいう頭が良いとはいえなそうな新大臣が福島の視察中に放射能の飛散で誰もいない町を見て「死の町」と言ったらしく、それがマスコミによって餌食にされ引き回され、「撤回させられ」、謝罪する羽目になったとか。その彼は、視察の終わりに記者に自分のジャンパーをこすりつけ「放射能を分けてやる」とはしゃいでいたとかいうからかなりとんちんかんな人物のようだ。民主党の人材の無さには呆れるね。こんな大事なときに経産大臣に社会党上がりの農協ボンヤリ親爺を宛がわなければならない現状。本当に民主党の人材難の方がゴーストタウンだぜ。死の町だ、誰あれも居ない。

だけれど、問題は「死の町」と「率直に」表してしまったことをマスコミがてめえの手足を食らうタコの様に言葉尻を捉えて非難し煽る。本質には興味なく政治家のミスの暴きのことにしか興味のなさそうな態度が何年と継続されてきたのはご承知の通りさ。僕はハノイにいる、だからテレビのニュースや紙の新聞は一切見ていない。見ていないが電子新聞の2,3紙を見ているだけで「問題になりそうだ」「批判が出そうだ」と大新聞が言葉狩りよろしくはしゃいでコメントし、煽りだしていることはハノイに居る僕でさえも見える。「問題にしたくてしょうがない」マスコミの難癖精神が丸出しになっていたことは、すぐに見えた。

あのね良いですか、「死の町と言えば現地の人たちの心が傷つく・・辞任に値する・・」とかいう東京からのおもんぱかりは、捨てろよ。現地の虐げられた怒りの感覚は、東京の君らと全く乖離しているんだぜ。わかんないの?危険地域で避難を余儀なくされた住民の皆さんは自分の町が「死の町」になってしまったと思ってるよ。むしろ、死の町にしたのは誰なんだ、東電よ、町を返せ!と怒りをたぎらせているんだぜ。マスコミの冴えない若造と東京にいてことの深刻さを理解していない中年のデスクよ。君らの暴くテーマは、何処にあるの?田舎のおっさん大臣の失言を追及する前に仕事があるだろう。ジャーナリズムという大事な仕事だよ。

大マスコミ各社の労使協定にある「危険なところには社員:組合員を行かせない」ルールに乗っかっていて、福島の原発近隣の住民の被害の実態、行方不明者の捜索の遅れだって、新聞社やテレビの東京キー局各社は、何処まで食い入ってるのか。NHKの30キロ遠方からとか言う超望遠映像のむなしさ。労使協定を踏んづけ、出来るだけ現場に近づこうとするNHK撮影部社員はいないのか。原発の現場同様に、マスコミも正社員は動かず、いわゆる「記者クラブ」に入れない下請けやフリーの個人的良心に下駄を預けている悲しい現状。

科学や技術にたいしての盲目的過信からくる怠慢。根拠のない無謬神話。自然を甘く見た政府と東京電力の傲慢さが、一番の問題であった。重ねてマスコミの甘さも看過できない。特に正力松太郎が原発ビジネス開始の当事者であったことは、読売新聞も不幸で在るけれども御用学者の安全神話を「実態を知っていながらも」垂れ流してきた国民へのジャーナリストとしての裏切り行為をこの際、明確にしなければなるまい。もちろん、途中で原発容認に寝返った朝日も同罪だ。このマスコミのなれ合いで金権的環境が原発村といわれる巨大なタブーを増長させてきた。

いま、電子新聞見ていたらまた、また、言葉狩り風な読売の記事があった。「 石原氏の発言は、米同時テロから10年が経過し、当時の心境を振り返る中で出たものだが、日本人を含め、多数の死傷者を出したテロを「歴史の必然」と表現したことには批判が出そうだ。石原氏は講演後、記者団に「歴史の解釈の持論を述べただけで、テロ行為を肯定したものではない」と釈明した。
(2011年9月10日21時31分 読売新聞)

朝日新聞も「石原氏は講演終了後、「歴史の解釈に対する持論を述べただけ。決してテロ行為を認めたわけではない」とのコメントを出したが、テロを「歴史の必然」として容認したように受け止められかねない発言で、批判を呼ぶ可能性もある。」と。
・・ここにある「批判が出そうだ」「批判を呼ぶ可能性もある」が、言葉狩りの煽りの第一歩なのさ。倫理観を主観的に持ち出して非難し、世論を煽るいつもの奴。言ってる内容は何とも言えない歴史的複雑怪奇な事件だけれどもまあ、基本的には石原は間違っていないだろう。ただ、僕はブッシュが無意識に絡んだ謀略、つまり、アメリカがやった事件(もっと正確に言うとCIAが初心なイスラム原理主義的青年グループにやらせた事件)の可能性を捨てきれない。この若者らのお陰で、CIAは久しぶりで莫大増加の予算を得られ、また、産軍共同体はイラク、アフガニスタン戦争という久しぶりの特需を堪能した。

言うまでも無く、ジャーナリズム精神に裏打ちされた立場で、権力者に対抗し、且つ批判するのが彼らの仕事だ。しかし、記者クラブの面々は失言や政治資金の相当細かい「あら探し」のみにしか力点が無いようにさえ、最近は思える。外国人からの少額の献金で毎回大臣が辞任する事態も多い。いまのニュースによると鉢呂氏は辞任したようだ、まあ、TPPのこともあるので、切ったのだろう。政治家は全く新規なそして鮮烈な発言や提言がこの環境では出来ない。経済人も学者もそうだ。実はブログの炎上と同等にマスコミによる言論弾圧がまかり通っているのさ。ちょっと何かあるとつぶす。一種の集団ヒステリー状態に今のマスコミは存在する。大マスコミの諸君、昨日の前原政調会長の「武器輸出の原則」の緩和の推進の表明だとか、「失言でなく信念に基づいた発言」にこそ、「反権力的ジャーナリズム精神」を発揮してに追求や「検証」すべきなのじゃあないの。前原に比べるとかつての森首相の「神の国」発言とか、麻生首相の「みぞゆう」発言が今になると、なつかしく、かわいらしい。
永田町と霞ヶ関と大マスコミ社による「失言や呆言との小賢しいバトルが日本の世界やアジアに於けるプレゼンスを如何に降下させてきたか。
仮に第三のタブーであった「原発村」に勢いがなくなり、自然再生エネルギーの時代がくれば、今度は今までと桁違いの防衛産業による第四のタブー「防衛村」さ。前原あたりを首相として、憲法を改正し巨大利権のタブー村は受け継がれる。大手マスコミ各社の編集委員、論説委員を巻き込んで。

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