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2011年9月15日木曜日

あのさ〜、朝日新聞よ!(完)

「東電、原発立地自治体に寄付400億円 予算化20年余」 ・・・9月15日電子新聞 朝版

 東京電力が20年以上にわたり年平均で約20億円の予算を組み、東電の原発などがある3県の関係自治体に総額四百数十億円の寄付をしたことが分かった。原発の発電量などに応じて「地元対策資金」を配分する予算システムになっており、自治体側がこれに頼ってきた構図だ。
原子力施設の立地自治体に入る電源三法交付金、核燃料税の金額は公表されているが、東電が原則非公表としている寄付金の全体像が判明したのは初めて。東電幹部は「原発の立地などで自治体の理解を得たいという思惑もあり、癒着と批判されるのを避けたかった」と証言している。・・・・と今朝の朝日電子新聞にかいてあり、原発の協力金で建てたと書いてあるむつ市の市役所の写真が載っている。

ええっ、「東電が原則非公表としている寄付金の全体像が判明したのは初めて。」だって。笑止千万ってこのことだよなあ。以下、朝日だけでなく記者クラブにはいっている大手は大なり小なり、同様だろうと思う。
特に朝日新聞の記者さんよ。上の記事見たかい?あなたたちは、毎年東電の決算書、読んでるでしょう?また、青森始め東北の支社、や支所の記者は各県や市町村の予算書と収支書みてるでしょ??さらに問題がありそうなんだから原発の関係者、地元特に農業や漁業関係者などに会って色々聞き出しているんじゃあなかったのですか?なのに「東電が20年以上にわたって年平均20億円を各自治体に寄付をしていたことがわかった」だと。おいおい、本当にぬけぬけとよく書けるね。臆面もなくさ。20年間何処で何を取材していたんだい?原発がある自治体は何処行っても御殿のような市役所や公民館を造ってることは常識だよ。歓楽街も賑わい、地元のヤクザは皆金持ちになったのも周知の事実。素人の僕だってそのくらいの事は知っていたし、街のみんなも知っていたことだ。つまり、何故書かないか。なぜ、書いてこなかったのか、だ。あまりにも情けなくて、疲れる・・。

自由報道協会のライターの上杉さんが、先日テレビで言ってた「3月14日に原発が爆発し、15日には記者たちはみんなメルトダウンの事実を知っていた」にも拘わらず、正式発表があるまで2〜3ヶ月書かないできた、という。問題は「原発村」というタブーに若い記者たちも当たり前のようにそれに従い、疑問もなく取材活動をしているということだ。ジャーナリズム何処へいったと激憤するまえに聞いてみたいな。普通の人が持つ良心とか正義感とか、何処に置いてきたの?って。本当に不思議です。戦争を賛美していた大政翼賛会のマスコミと何処がちがうの。原発タブーのマスコミ業界内トレンドの中で縮こまっているのか、なあ〜〜んにも疑問がないのかわからないけれど、所詮同類。

僕は熱心にも朝日新聞を50年以上読んできた、というより、採ってきた。僕の田舎は仙台なのでたいていの家は河北新聞さ。それが当たり前の街さ。東北大、七十七銀行、東北電力、東北大医科病院、そして、NHK仙台と河北が、仙台の巨大なイメージのものだった。その河北新聞を僕の家でも当然な世論の構造を担って昔から配達されていたのだけれども、僕が小学校たぶん五年の時に朝日新聞に変えてくれと親にいい、すぐに都会の薫りがする朝日に変わった。小学の3,4年頃から親より先に朝刊にかじりつき1面から読んでいたので、親からは期待半分の笑顔で「ほんとに、新聞すきねえ」と言われて、内心得意げな快感を得ていた。高校ではその朝日の地方版ページだと思うが「現代教育批判」なる大仰な僕の長文の論が写真入りで掲載され、仙台二高の教員たちに話題を撒いたことがあった。僕の高校の優良だけれど保守的でうんざりする体質を露骨に(やんわり描く方法知らない)批判して書いたからだった。が、作家辺見庸さんのお兄さんであられた国語の辺見裕先生は僕を見てニヤリとされ「いいじゃん」みたいなことを言われた。

そのずうっと愛読の朝日がさあ〜、もちろん、1960年代後半の学生運動していた頃から、朝日の戦前の戦争協力や戦後でも都会インテリの軽薄さやいい加減さはもちろん知っていたが、最近とみに「変」だよ。一回倒産した毎日の方が資金力無いがよい記事も多い。とくに原発に付いては読売とほとんど同じだね。また、がんばってる様子の東京新聞の爪の垢でも煎じて・・だよね。朝日では20才代で黒塗りの社有車で朝日の社旗翻して現場に行くらしい。現場の弁当も重役弁当らしく、我々は「ホカ弁」だとかつて毎日の人が言っていた。そんなガキが政治家にぶら下がって、何が聞き出せるのか。なめられるだけだろう。40才代で現場離れてシステムに乗ってキャリアアップしていく現状は誰でも愚痴るが、誰も何処の社も直さない。ラインに乗らず現役のジャーナリストを継続するシステムなど、難しい事はない。アメリカさえやれているんだ。アメリカ大統領の記者会見で筆頭質問者は、例の80代のおばあさんだ。良くやるね。亡くなったかな??

実はもう、紙の新聞は3年も取っていない。ベトナムから、2週間ぶり、3週間ぶりで帰ってまた一週間滞在でベトナムへの生活では、山積みの新聞は処理不可能となったことが理由だが、新聞が面白くない事がたぶん一番の理由かも知れない。キー局のテレビと同じで、同じ事件を同じ角度から、いつも平板なとらえ方しかしないマスコミ人と評論家が異口同音に澄まして語るのと同列の各新聞。インターネットに喰われるのは、仕組みの事じゃあないんですよ。機能の必然的交代じゃあないんですよ。コンテンツがおもろくないのです。工夫がある新鮮さが無いって事。

インターネットやメールのお陰で、若者の活字離れが止まったわけで、その反動を利用して、あの大きな新聞のサイズの良さの活用を考えれば、新聞は生き延びられる。両腕を太陽に向けて全面的にニュースペーパーを大きく広げる快感はiPadではえられない、紙の新聞以外には感じ取れない良さがある。紙新聞の命は、日頃関心のない事象を発見できることが第一だろう。つまり知識に広がりがでる仕組みがあの大判の昔からの紙には隠されているのさ。秘密のようにね。片やインターネット・電子新聞は関心あるものしか目に入らない。そういうマーケティングで成立しているメディアなのだから、生まれたときから、そう言う宿命の中にあるのさ。だから、これからの問題は、インターネットマーケティングで、モノはじゃんじゃん買わされるし、自分の今の興味と快感から離れられない志向性を若者の脳髄の最深部に染みこませてしまうことだろう。紙新聞がんばれ。拡散系メディアよ、考えろ、方法はいくつもある。・・やっぱー、新聞僕好きなのか。

そんなことで甘く考えたくないね。ともかく大マスコミのていたらくは目に余る。良心的ジャーナリストは亡くなるか、病。若いジャーナリストを育成できる制度が無いんだね。前から提案しているけれど、「研究所と青年行動隊」をミックスして大学が必要なんだ。2000年代初頭に早稲田の大学院拠点化であったか、国際化重点とかの文科省の構想募集に僕が書いた物を所轄の担当管理者が文科省に提出したはずだ。予算取りでね。友人の池田さんに聞けば思い出すかも。その中身は今の京大の次世代地球のリーダー育成大学の構想ににてるね。戦地は武器の携帯の課題が出るので、主にインド、メキシコなどの大都市の貧困地に数十人単位の早稲田の学生が、2年交代ぐらいで(4年であったかも)居住して、現地のリーダーとなって、貧困に立ち向かう、これが早稲田の大学院だというものさ。だから、これをマスコミに援用すれば、若くて信頼できる連中が育つはずさ。費用はもちろん世界に貢献せざるをえない、日本の世界企業たちだ。以前、ブログに書いたハノイ郊外の「世界平和研究所」(所長カーターかクリントン)の僕の構想(ハノイ市へ提出)に似ていると言えば似てる。同じ頃に書いたからね。

ともかく、現場で学ぶ若者たちに会いたいよ。地球の困難を背中に背負い込んだ青年たちにね。もちろん、見えないけれど、何処かの現場というか、前線でいま、胎動しているのだろう・・。

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