2011年9月8日木曜日

辺見庸氏が3・11とその以後に在る本質を語った。

お体が不自由になられた辺見さんであるが、3月11日の震災・津波・原発事故に横たわる本源的な事象を語気強く語っています。僕にとって信頼できるジャーナリストの最後の牙城的な方です。できるだけ多くの方に読んで頂きたい内容なので、無断ではありますが、ここに全文を盗用・採録させていただきました。総ての責任は阿部正行にあります。
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特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 作家・辺見庸さん

<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇「国難」の言葉に危うさ−−辺見庸さん

わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
(「死者にことばをあてがえ」より)

東日本大震災発生後、辺見庸さんが「文学界」に発表した詩編「眼の海−−わたしの死者たちに」。被災地の宮城県石巻市に生を受けた作家がつむいだ言葉は、批評を拒むほどの緊張感に満ち、海を、がれきの街をはい回る。
だが−−作家は明らかにいら立っていた。

「僕は記者として、海外の戦場に立ったし、阪神大震災も取材しました。でもね、こうして馬齢を重ねて、今の日本の空気が一番不快だな。テレビ、新聞、そして、それらに影響された社会。飛び交う言葉が、ほとんどリアリティー(現実味)を失ってしまっている。違いますか」
こちらも身構え、先を促す。

「復興に向けて、被災地は一丸になっている、被災者は前向きに頑張っている……そんな美談まがいの情報が、あまりに多い。古里に電話をして聞くと、全然違う。この夏、クーラーもないまま過ごした避難所もあった。現実はメディアが描くより、はるかに悲惨だし、一般の人たちの方が絶望している」

先進諸国の独善的な戦争に異議を申し立て、深い思索に裏打ちされた文章を世に問うてきた。7年前、脳出血で倒れたが、左手だけでキーをたたき、執筆を続けている。
「国難って言葉、好きですか?」。唐突に問われた。言葉を探しあぐねていると、「僕は大嫌いだな」とたたみかけてきた。
「国難に対処することが最優先となり、個人の行動や内心の自由が、どんどん束縛されていないか。『手に手を取り合って頑張ろう』という空気は、それ自体は善意だとしても、社会全体を変な方へと向かわせないか」
例えば米軍。「トモダチ作戦」によって被災地の復旧が進んだことは間違いない。だが、「日米同盟の意義」が声高に叫ばれる一方で、沖縄の普天間飛行場移設問題がかすむことはなかったか。
「言葉の死」は薄っぺらなスローガンから始まる。言葉が死ねば、自由も個人の尊厳もないがしろにされる。辺見さんのいら立ちは募るばかりだ。
「誰もが『3・11』を分かったように思っているが、世界史における位置づけや『3・11』が暴いたものの深さ、大きさは、とらえきれていないのではないか」
そんなもどかしさが震災後はつきまとったという。もっとカメラを後ろに引いて、歴史的、文明論的な視点に立って、この大災害を分析する必要があるのではないか。辺見さんは思考を組み立てては壊し、一つの仮説にたどりついた。

「技術革新を信じる進歩の概念、人権、経済合理主義……近現代の骨格をなしてきた思想は終わったのではないか。『3・11』は、そのメルクマール(指標)になりうる」

辺見さんが続ける。
「近代科学の頂点をなすのが核技術ですが、これは核兵器と原子力潜水艦の動力に源流がある。しかし、その後は新聞も含めて『平和利用もあり得る』という論調になってしまった。ところが今回の福島第1原発事故で、軍事利用と平和利用という二元論で考え得る代物なのか、危うくなってしまったのです」
そういえば、この国は既に「核」についての確固たる方針を持っていたはずだ。
「もし核兵器と原発という二つの分野の次元が違わないのならば、非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)の対象に原発を加えてもいいんじゃないか。もちろん、これも仮説に過ぎない。でも、今はそこまで考えなきゃいけない時期だと僕は思っているんです」

<科学、これこそ新興の貴族だ! 進歩だ。世界は前進する! どうして後戻りしないんだ?>
死後120年を迎えたフランスの詩人、アルチュール・ランボーの「地獄の季節」(鈴村和成訳)の一節である。

「前進に前進を続け、その果ての今、僕らは崖っぷちに立っている。がれきの光景を思い浮かべながら読むと、近現代の終わりを強く感じます」と辺見さんは注目する。
「崖っぷち」にたたずめば、何が見えるのか。
「欧州では70年代、人間社会の『適正な発展段階』は、どの程度かということが議論された。当時、よく読まれたのがオーストリア出身の経済学者、レオポルド・コールの著書です。コールは『物事が巨大化すれば、必ず事故が起こる』と予言していた。少なくとも先進国においては、コールの言う『過剰発展社会』を作ってしまったと言えるのではないでしょうか」
「過剰発展社会」−−その最たるものが原発だったというのか。
断崖絶壁に立っているなら戻らざるを得ない。果たして間に合うのだろうか。

「近現代の流れには、ある種の『慣性の法則』が働いているので、恐らくもう飛び降りつつあるのでしょう。原発や核兵器にも近い将来、変化があるとは思えない。9・11(米同時多発テロ)、3・11、最近ではノルウェー連続テロ事件……過去にはあり得ないと考えられた事件が続いていますが、今後も『過剰発展社会』を維持したまま、規模にせよ発想にせよ、またもインポシブル(あり得ない)な事件が起こるのでしょう」

作家は、こうも語った。
「我々自身の内面が決壊しつつある。生きて行く足場を失ったという思いは3・11の前からありました。私は物書きだから、内面をどう再構築すればいいか、どのような内面をよりどころに生きればいいか。そのことを考えなければならないし、それを書こうと思います……」
「ならば、私たち一人一人が内面を再構築するすべは……」と尋ねかけると、鋭い目で記者を制した。
「そんなご大層なことを言わなくたって、もうやっている人はやっている」。突き放すような言い方だった。人間は皆、違う。それをひとくくりにする発想こそが愚劣であって、まず、それぞれが考え抜くしかないのだ−−。
辺見さんの希望のありかを垣間見たように思った。【宮田哲】

■人物略歴
◇へんみ・よう
1944年生まれ。作家。早大卒。共同通信記者時代に日本新聞協会賞、芥川賞。11年、詩文集「生首」で中原中也賞。近著に「水の透視画法」。
*僕、阿部正行が1960年代中半、通学していた宮城県立仙台第二高等学校の1年生と3年生のクラス担当教員が、辺見さんの兄である辺見裕氏であった。丸二年間国語を教えていただいた。既に亡くなられて久しい。
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辺見庸さん、毎日新聞社さん、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。阿部正行


《ブログご高覧感謝》
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・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

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