2011年3月30日水曜日

全共闘の100年前は攘夷の嵐 / 記者会見の言葉と心得と〈未完〉

■東日本の震災から始まる復興革命を考えているうちに、自分でもよくわからないのだが、幕末の年表を見たくなり、インターネットにあったこの表が特に良いとは思わないが、載せてみた。唐突で申し訳ない。人によっては高校の日本史の授業以来の人もいるかもね。現在、僕が読んでいる大佛次郎の「天皇の世紀(全12巻)」の第五巻目は、おおよそ文久から元治にかけてまさに激動の季節に生死を賭した若者たちの日々が綴られている。ずうっと読んでいるので、この既存の年表に加筆したい項目はあるのだが、今それを丁寧に埋める気力はない。早く風邪完治しないとね。来週、直ったらね。
■幕末の年表
1853 嘉永6年 〈黒船〉アメリカ東インド艦隊提督・ペリーが
          浦賀に、開国を迫る
1854 安政1年 ペリーが再来航。日米和親条約を結ぶ
         吉田松陰、密航に失敗して投獄される
1856 安政3年 アメリカ駐日総領事ハリスが着任
1858 安政5年 井伊直弼が大老に就任
          日米修好通商条約を結ぶ
          安政の大獄が始まる
          徳川家茂が将軍となる
1859 安政6年 橋本左内・吉田松陰らが死刑
1860 万延1年 安藤信正が老中となる
        勝海舟らが咸臨丸で太平洋横断
          <桜田門外の変>
       大老・井伊直弼が水戸藩浪士らに暗殺される
1861 文久1年 皇女・和宮が将軍・徳川家茂に降嫁
1862 文久2年 <坂下門外の変>
          安藤信正が尊攘派に襲撃され、失脚
          島津久光が文久の改革
          その帰路、生麦事件発生
1863 文久3年 幕府、攘夷決行を朝廷に奏上
         長州藩が下関で外国船を砲撃(下関事件)
         イギリス軍艦7隻と薩摩藩が交戦(薩英戦争)
        <天誅組の変>
        攘夷倒幕論を唱える吉村寅太郎らが公家の中山忠光
        を擁立し、五条代官所を襲撃
        <8月18日の政変(七卿落ち)>
        薩摩藩・会津藩が同盟して朝廷から長州藩と長州派
        の公家を京都から追放
        <生野の変> 平野国臣らが天誅組の蜂起に呼応し
         て代官所を襲撃
1864 元治1年 <天狗党の乱>
         水戸藩の尊攘派藤田小四郎が筑波山で挙兵。
         武田耕雲斎らは尊攘を徳川慶喜に訴えるために上
         京するが、途中で降伏
         <池田屋事件> 新撰組が京都池田屋で長州系の
         浪士らを襲撃
         <禁門の変(蛤御門の変)> 逆賊とされた長州
          藩が上洛するが、
          薩摩・会津・桑名などの藩の妨害で失敗
         <第一次長州征討> 幕府軍が長州藩を攻撃。
          長州藩は降伏
         <四国艦隊下関砲撃事件> 英・仏・米・蘭の連
          合艦隊が長州藩
          の下関砲台を占拠。
1865 慶応1年 幕府、長州再討の勅許を得る
1866 慶応2年 坂本竜馬らの仲介で薩長同盟が成立
         <第二次長州征討> 幕府軍が長州藩を攻撃する
         が苦戦。途中で将軍・家茂が死去したため中止と
         なる
          徳川慶喜が将軍となる
1867 慶応3年 薩・長・芸藩が討幕を約束
          山内豊信(容堂)が幕府に大政奉還を建白
          討幕の密勅が薩長に下る
          徳川慶喜が大政奉還の上表
          坂本竜馬・中岡慎太郎が暗殺される
          王政復古の大号令。小御所会議が開かれ、
          慶喜を新政府から除外することを決定
1868 慶応4年 明治元年 <戊辰戦争> 鳥羽・伏見の戦いで幕府
         軍が新政府軍に敗北。慶喜追討令が出る
         西郷隆盛・勝海舟の会談で江戸城無血開城を決定
         <彰義隊の戦い> 大村益次郎が旧幕臣の彰義隊
         が立てこもる上野寛永寺を破る
         江戸を東京と改称  年号を明治に改元 
         <長岡城の戦い> 長岡藩家老・河井継之助の指
         揮で一時新政府軍を破るが、落城
         <会津の戦い> 新政府軍は東北諸藩を降し、若
         松城を攻略
1869 明治2年 <戊辰戦争 終結> 五稜郭の戦いで、榎本武揚
          ら旧幕府軍が降伏版籍奉還が行われる

* 明治元年は1868年だ。その100年後の1968年、僕たち団塊の世代の多くはベトナム反戦の激烈な戦いをしていた。明治元年のたった100年後だ。いずれも時代と世界性を先取りしようとした青年や学生たちが決然と闘った。叫んだ。
* 東北の復興への構想、更に国家の枠組みと社会の仕組み、エネルギーを含む国民生活の新しい姿をどのように構想するのか。2050年には人口8000万人台(生産人口は5000万人に)のサイズになる日本社会のあり方をどのように計画するのか。今まで資源が無いと言われてきた日本は実は高度知識の世界一の資源国であること。また(メイドinジャパンでなく)「made by Japanese」を命題化して外需・内需を止揚して行くことも必要だ。その上で僕は20代の若者たちに期待したい。
 3月13日の項に少し耕論してみてある。

■いま、完訳「マルコムX自伝」(中公文庫全二巻)を読んでいる。スパイクリー監督の映画「マルコムX」(1992年)の原作だ。紹介するまでもなく、マルコムXは、1960年代のアメリカのブラックモスリム(イスラム教)の中興の祖であり、その戦闘性で世界の表舞台に出てきた伝説的人物である。ムハメド・アリがそのグループの一員であることで知られている。この著作は「自伝」とはなっているが40才足らずで暗殺された天才革命家は、自伝など書く時間など無い中でアラーの神の下に行ってしまったわけだから正確には自伝ではない。実はあのクンタ・キンテというアフリカ少年の名前で世界中で大ヒットした「ルーツ」で有名な作家アレックス・ヘイリーが何度も直接インタビューしながらまとめたワクワクさせる最高のドキュメントなのだ。ドキュメントの名作中の名作は何と知ってもロシア革命のど真ん中で記録したジョン・リードの「世界を震撼させた10日間」だろう。(ウオーレン・ベイテイの映画「レッズ」1981年公開の原作である)それに共通する雰囲気が出だしから醸し出されている。面白そうな予感。進捗したら改めて報告する。

大佛次郎「天皇の世紀 第五巻」(文春文庫全12巻)は、2月23日のブログに50ページと書いてあるのにまだいま、120ページ足らずだ。攘夷から倒幕に移行しつつあり、農民軍、天狗党、天誅党などが入り乱れ面白い節に入っているにも拘わらず、ちと遅いね。まあ、2月後半から、3月上旬までは、新しい業務の企画・計画・準備で忙しかった所為もある。それにドストエフスキーの亀山郁夫翻訳「悪霊1」(光文社文庫)も並行して読み始めているからね。それにやっぱり、11日以降、考えることが多くどうも落ち着いて読めていない3月であった。最近購入した玄侑宗久「荘子と遊ぶ」(筑摩選書)、植村和秀「昭和の思想」(講談社選書メチエ)は、しばらく、放っとくしかないね。

■また、「ハゲタカ」かあ、と言われたくないが、昨日ふと深夜見たら映画の「ハゲタカ」をBSでやっていた。結論的にヒドイいね。テレビの名作(シリーズ6作)の続編というような「縛り」があるし、役者も演出(監督)も同じという良くある間違いをしていた。更に時代はバブル時代から急降下していて「悪」として中国を登場せざるをえないとか、リアルの時代の躓きが、映画のシナリオの躓きにもなってしまって、それがもろに出たのだ。テレビで良かった主演の大森の顔も冴えない。太っただけでなく、顔色に切れがないのさ。その上中国人ハゲタカの玉山鉄二に喰われていたしね。

だいたい、シナリオに無理が多いし、よくわからない混乱を上手く削除できず、不用意にそのまま撮影してしまったようだ。更に言うと、映画の演出セオリーとテレビの演出方法は実は全く違うモノだ。もちろん、大友監督(NHK職員)もそのことは良く知った上で製作にあたったろうが、思ったように上手く出来なかったのだろう。ところで、映画にすると言い出した奴は誰だ。映画にする必然性、ちっとも無かったのに。テレビドラマで終結すべきであったのさ。

★ 記者会見の日本語:
 頑張れ、頑張るぞは、日本人にとって、常套の科白だし、ちょっとしたことにでもやたら使ってしまう。特に他人を元気づけるために「頑張れよ」「がんばってね」は不用意にいってしまいがちなほど、僕らはたびたび使う、使ってしまうと言った方が良いかもしれない。頑張っている人に頑張ってという、不似合い。言った方はちょっと「しまった」と後悔し、言われた方は「まあ、彼は悪気でなく、思わず習慣で言ってしまったのだろう」と一応の理解は示す。実は、日本語は豊かな割に、日常の使用言語はワンパターンに陥ってしまっていて、例えば、食の「美味しい」「旨い」以外ほめる言葉を探すのは意外に苦労する。ことほどさように「豊かに微妙な言葉がたくさんあるはず」とおもいつつ、どうにもがんじがらめで、言葉に変化を付けられず、パターンに陥っているものは少なくない。

心理学者は被災地で「頑張ってください」は言うべきでない、という。そんなことは、子供でも解る。けれども、「不用意に言ってしまう」ものなのだ。ここでは「・・と思う」「・・・かも知れません」「・・・すくなくない」「直ちに・・・ない」などを危機管理の局面での課題として、取り上げてみたい。更に「言い方」「表情」「人選」などの戦術的あり方についても触れる。もともと私はパブリック・コミュニケーション(マーケティング・コミュニケーション)のプロとして、企業のIRのも関わってきた。従って、直接危機管理の直接の訓練は受けていないが、知識としては危機の時の対応の仕方は、PRとIRの立場から一応の心得はある。特に記者会見のあり方については研究し、「演出する」立場にあった。

今回の東日本大震災は、地震と津波と原発事故の三重の災害となった。原爆を投じられた戦災と同レベルの対応が必要だと言うことは言うまでも無い。今回占領軍は居ない分、自立して革命的な戦いが必要だろう。自分らだけで軍国主義・国体主義から、民主主義に強引に回転させなければならない訳だからね。「黒船」が来ない、つまり外部圧力がないままに自立して国家や社会の大切開を経験したことが無い日本にとって、何処まで可能なのか。その意味では、歴史的に初めて外圧に左右されない、自立した革命的な社会の変革をして行かざるを得ない歴史的瞬間を迎えた。本当の試金石だ。国のサイズ、社会のシステム、生活のスタイルを同時に変革していく、実は最大のチャンスといえる。否、この大震災の悲劇を新しい社会作りに止揚することが、亡くなられた3万名以上の方々、100万名の被災の方々へと未来の子供たちへの我々の責務だろうと思う。

中断・・4月13日夜ニュースで東電の清水社長の会見を見た。ほとんど初めてマスコミの前に登場してきた。その彼の姿と言い分を前にして我々日本の国民は今、矮小なそして荒涼とした荒れ地に立たされているのではないかという感を強く持った。日本企業有数なトップ企業の社長の顔を見つめ、彼の顔の内側に潜む何かについて、考えた。いや、考えざるをえないと感じた。僕は今まで企業の記者会見の方法を”演出”してきた「側」として、東電、保安院の情報の出し方、会見の仕方を凝視してきた事を書きたいと思っていますが、そういった立場であった時の反省点もふくめて、すぐに書けない気持ちが膨らんできた。その上、記者会見は続いているので、もう少し時間をかけたうえで、きちんと整理して書くことにした。4月末までには必ず執筆します。この項、5月の初頭の項に継続させることとします。済みません。阿部

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