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2008年11月26日水曜日

老人と本

本日夕方成田を出発してハノイへ。本年12〜13回目の渡航だ。どうしても買いたくて出発前の時間割いて、さっき早稲田の本屋で「キャパになれなかったカメラマン・上下巻」を買った。最近あちこちで書評を見ていた。文春だったか作家の池澤夏樹さんの書評が特に印象的だ。カメラマンというと「スチールカメラマン」が戦史などを記録しているので、澤田さん、一ノ瀬さん、キャパ、岡村昭彦さん、石川文洋さん、マグナムの英雄的カメラマン群など有名なわけだが、ベトナム戦争は「テレビ報道が戦争終結に道をひらいた」と言われるぐらいに、テレビの時代となっており、1960年代のお茶の間に悲惨な戦争が連日侵入した。したがって、実は無名の16mmフィルム(ムービー)カメラマン(未だビデオカメラやENGがなかった)たちの報道が量としてもアメリカ国民に大変な影響を与えたわけだ。

この本はアメリカの元ABCのカメラマンの平敷安常さんの膨大な回顧録だ。読まずには居られない表紙や本が醸し出す魅力。「カラマーゾフの兄弟」は順調に読み進んで今二巻目の200ページあたりだ。つまり、これで当面中断だな〜。更に本屋の出口でロバート・ライシュの「暴走する資本主義」も買ってしまった。ライシュはご存じのようにクリントン時代の労働長官、天才的経済の構想家だ。15、16年前に彼の先鋭的「ザ・ワークオブネーション」を読み、かれの”シンボリックアナリスト”の提示から大きな衝撃を受けた記憶がある。僕には珍しくページに線を引いたり書き込みしたりした。そういえば、昨日、F・カストロの「チェ・ゲバラの記憶」も買った。

最近どうも、僕は老人症であるようだ。かつて買ったのを忘れて、また同じ本を買ったというのではない。好々爺になれない老人なのである。キャパになれないより、悲惨かもね。
実は短気になってきたのである、それも良くない感覚が忍び寄っている感じなのである、近頃。パパヘミングウエーの”老人と海”の様にカジキ釣り上げるような人生余録なく気持ちに余裕が無くなってきたという話なのである。
僕は本来から、差別を見たり、差別されると常に反発する。許せないと一瞬にして心に誓い反撃に出る。僕の親父は、いわば戦後民主主義の権化の様な誠実で熱血もある高校教員であった。神は居ないよ、と僕ら子供らに諭していたが軽いキリスト者であるし「オウガスチン」というクリスチャンネームも持っていた。彼から一貫して教えたれたのは公平とか、平等についての感覚であった。人の良い母親の感性も僕のそれを後押ししてきたと思われる。

その環境で育った僕は、大きいモノの横暴、つまり、国家とか、大企業とか、帝国アメリカ(まあ中国、ロシアもだね)とかの傍若無人が極めて嫌いなのである。ところが近年、身近なところでは満員電車で背の低い僕に鼻息を無造作に吹きかける背の高い奴らも我慢ならん。もっと敷衍すると、シルバーシートで居眠りする少年少女。ジャンボ尾崎風襟足長目の子供のヘアスタイル。ああイヤだ我慢できんぜ。平成新撰組でも設立して、バカな奴らを掃討したい衝動。マーチン・スコッセシの映画「タクシードライバー」にはなりたくないがね。そんな皮下脂肪を泡立たせるような感覚が巷にも僕にも通底する共通感覚の様な気がする。

つまりは、そのようなざらつき感が僕にもいつの間にか蓄積してきているような予感がするのだ。少なくとも、短気というより、「いらつき感」というのだろうか、そんな感覚が体内に宿どっている気配。老人は本を読み、先人や達人とも交わり多様な経験を積んで、精神も感覚も一段、高尚になって居るはずなのに・・。赤瀬川源平さんのような”老人力”にはなかなかなれない。老人社会に更に深く沈んでいくこれからは、老人でさえも持ってしまっているこの様ないらつき感的短気症状をどのように治癒していくのだろうか 。実は大きな社会問題になって行くような気がする。
そういえば、25日夜民放で、80歳代になった金嬉老が故郷釜山で差別が引き起こした自身の40年前の事件を静かに回想していた。まずは、ハノイの堅いベッドで分厚い「キャパになれなかったカメラマン」を枕に昼寝でもしてみて、スローな気分を自分で演出してみるしかないか・・。

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