2008年11月17日月曜日

小市民的僕のドタバタ

阿部正行のベトナム私信といってる割には東京で書くことが多い。実は今日16日日曜いきなり救急車で運ばれ戸山ハイツにある国立医療センターに入院した。いま、娘に急遽持ってきてもらったモバイルパソコンでこれを打っている。明日17日月曜朝から、仙台に行って商工会議所で「VCI採用セミナー」が予定されている。予約制だから参加企業も分かっているので、今からお客様に中止のメール連絡し、会場もキャンセルしなくてはならない。やっかいだが、それ以上にセミナーに期待していたお客様に申し訳なくて暗澹たる気持ちだ。
18日火曜日からハノイ行きの予定。医者はとんでもない・・という。医者の立場からは当然だろうな。19日は飛行機がいっぱいで18日にしていたが、この際19日に訪越して、20日面接のお客様ご6名の現場段取りは、SLの佐藤先生、今回担当の作間先生、鈴木先生、学生管理課のNGOCさんらに”仕切って”いただくほかなさそうだ。26日からは、一気に8社来るので、何とか行こうと思う。

実は、16日日曜夕方4時半ごろ、久しぶりに「不整脈」が来たのだった。8月はじめ妻Vuongのハノイのマンションの階段でいきなり来て以来だ。8月の時は、階段途中で立ち上がれず、猛暑の中で正に冷たい「冷や汗」をあちこちから噴出させ、1時間ほど座り込んだ。ブオンは階上の家から、水やお絞りを持ってきたりと、迷惑かけたが小学校5年の娘LINHが何もできない自分をせめているような悲しい目で僕を見つめていた。 LINH、VUONG大丈夫だよ、心配しないで・・・・。普通長くとも1時間でケロリと回復するのだが、今回は夕方4時半から8時過ぎても回復せず、心臓の痛みが激しく119番に電話した。床に倒れたオフィスから救急車に搬送されるとき、酸素吸入器を顔に乱暴につけさせられストレッチャーに仰向けにされた僕を見る数人の若者からの好奇な視線、嫌なものだ。運ばれるとき二つのことが頭を巡った。

ひとつは妊婦がたらいまわしにあい死亡した事件だ。僕の場合幸いにも119番を電話して2分後には向かってくるサイレンの音を聞けた。救急隊がどやどやとオフィスに入っててきぱきと僕に事務的なことを処理し、軽々と僕を椅子型のストレッチャー(階段だからだろう)に乗せ、一気にエンジンを吹かし、10分後には最短距離の「国立国際医療センター」にいた。妊婦が亡くなった事件とどんな違いがあったのだろうか。運、不運としか言いようがないが、ぼくの場合、医師や看護婦が数人待機していて、バッと裸にされ、心電図とか、酸素吸入とか手際良くことは進んだ。看護婦の言葉はまさに男。頼もしいがやや不快。でも「ああ助かった」と正直思った。亡くなった妊婦の場合、当人もご家族も「待たされること」を恨んだであろう。なんという違いだろうか・・。ぼくのそばの医者がいった「この救急室は今日まだ、手があったが、病棟は満床」だそうだ。政治の無策で現場はぎりぎりのところあるのは確かだ。

もうひとつは、こうだ。どやどやと、救急隊が入って来たとき、実は山場を過ぎていた。心臓の痛さのピークなど、素人判断でも70%ぐらいに落ちていた。さあどうするか。「もう大丈夫です。お帰りください」というかあ?ぼくはあわてて目をつぶり「ありがとう、すみません」といったような気がする。
臨時の酸素計量器(指を差し込む奴)をあてがわれ、「酸素濃度」で「回復がばれたら恥かきそう」と一瞬感じたが、幸い酸素濃度はまだまだ悪いらしく、「さあ、担ぎますよ」といったので、ほっとした。車中のしぐさもちょっと重症らしく(だんだん回復傾向に)、病院の救急の部屋に着いたときなど、 一層ぼくの演技にも熱が入いった。目を開けないで、呼吸困難状態で娘にベッドから電話したりで・・。
亡くなった妊婦の方のお気持ちと相反するぼくの小市民的立場と気持ち。

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