Wikipedia

検索結果

2008年11月7日金曜日

オバマの時代

オバマが2年前、民主党の候補者で出てきたとき、正直言ってあまり好感を抱くことはなかった。ブラックパンサー党や全米学生非暴力調整委員会のストークリー・カーマイケル、アンジェラ・デービスなどを同時代人として知っている世代としては、彼の言動は何かあやふやで中間的で、期待するほどではなかった。むしろ同じ民主党の候補者であるヒラリーの鮮やかな選挙運動の方が魅力的に映っていた。

また、まずは女性の大統領の実現を見たいとも漠然と考えていたかもしれない。さらにヒラリーは、僕とまったく同世代であり、ベトナム反戦闘争を担った彼女の体験と思想性に期待があった。ついでにもうひとついうと、1992年にボストンでヒラリーに会っているのも影響しているかも・・。当時僕は、フィランソロピーやコーポレートシチズンシップ、つまり企業の社会貢献の企画を志ある企業に提案する小さな会社を経営していた。たとえば、企業の社会貢献を話し合う大きなセミナーを青山の国連大学国際会議場で2度ほど、主催したりしていた。

確か松岡正剛さんや、経団連の1%クラブ、NIFTY,アップルなどに協力してもらったはずだ。なぜ、ヒラリーにあったかというと、朝日新聞の論説委員であった下村満子さんに誘われ一緒にボストンで開催されたBSRの第二回目の全米大会に参加したからであった。BSRはいまでいうCSR(Corporate Social Responsibility)のビジネス連合体で、アメリカのエクセレントな企業の新興経済団体である。ジーパンのリーバイス、コカコーラ、化粧品のアベーダなど新進気鋭の経営者がリーダシップを取っていた。長くなったが、そのBSRのボストンの大会にゲストでヒラリーが来て、会ったというわけだ(正直言うとそばで見たということですね)。
だが、ヒラリーが敗退し、マケインも敗退していく中で、オバマの勝利は一定の歴史的価値があると思うようになった。なにせ、演説がうまい。緻密でかつ人の情感をわしづかむ。おそらく、オバマは次の時代のエネルギー構想、社会システム構想や市場の金融至上主義の規制と解体を打ち出すだろう。その意味では、アメリカは自国の民主主義の懐が深いところを見せ付けたことになった。いま、世界では、世界の産業の中軸が自動車産業から何かほかのものに移行しつある兆しも見え始めている。

でも、オバマは当面フォードなど三大自動車メーカーの不振を救出する責務を負っているだろう。この三大メーカーの次世代自動車である燃料電池車、ハイブリッド車、電気自動車などの研究が日本のトヨタなどにくらべ各段に遅滞している現状がある。であれば、オバマは環境の明日を考えるなら、また、今後の日米の関係を言うのなら、日本の環境技術の協力・移転・産業全体のコラボを堂々と日本に対して言うべきだろう。日本も救われる。それこそ、WIN/WINだ。内需や消費に限界が来ている日本の次の仕事はここにあると思える。トヨタなどは20年後おそらく自動車メーカの域を脱し、社会環境インフラの世界的メーカーに衣替えしていると思われる。
パナソニック:三洋電機の合併もトヨタの技術に統合されるイントロに見える。

日本の未来を占うひとつのメルクマールとして、トヨタが単なる自動車産業を超越した瞬間、日本に本当の次の時代が来るだろう。 が、麻生が、オバマの当選に「どなたが大統領になっても日米の50年の関係は・・・」などと渋い顔して言うセンスの悪さは、目を覆うほどのひどさだ。 昨今の一家に4,5万円をあげようってバラマキ政策などの無能で構想力のなさは、なんなんだあ。信じられない「経済政策」である。オバマという黒船をまた待つしかないか・・・。

・福井県小浜市の人たちは大喜びなわけですが、ベトナム人の妻ブオンにskypeで会話中にその小浜市の応援のこと伝えたら、彼女は知ってるという。へェ~ッ。ベトナムもいつのまにか情報社会に近付いているのかも しれない。
・今日、というより昨日筑紫哲也さんが亡くなった。日本ジャーナリズムの最良心部分が居なくなったのだ。今後日本のマスコミは、メディアはどうなってゆくのだろう。不安がよぎる。立花隆さんが、テレビ画面で泣いていた。 筑紫さんが編集長のころの朝日ジャーナルは戦後最高の週刊誌であったろう。

0 件のコメント: