2010年4月26日月曜日

中国は一気に電気自動車らしい

「赤ちゃんが生まれると、お母さんも生まれる」とテレビで誰かが言っていた。なるほどだね。子供が出来て、初めて女性は母性を獲得でき、母としての生き方が始まると言うことだろう。誰だったか知らないが、とても良い言い方だね。生まれたての赤ん坊は、まあ、猿と未分化でかわいらしさがあんまり無いとおもうが、3ヶ月ぐらいすると(だったかなあ、ちょっと忘れた。半年かな)目鼻も大分しっかりしてきて、無垢な美しさが少しずつ現れてくる。この幼児から小学校の低学年(8才〜10才)まで、あどけない顔と両眼に、世界の全ての総量を超える価値を携えている。この様なあどけなさと毎日肌触れ合っている母親が、正に子供から無垢の価値の影響を受けない訳がないね。人間だけでなく、犬、猫、ライオン、カバだって、ワニだって、イルカもさ、全地球の上の全ての森羅万象を超越出来るのが、子供たちの無垢さだろう。つぶらな瞳とあどけないお顔、全ての時間の歩みはこのためにある。

今年の母の日は、5月9日だそうだ。仙台の母を思い、その想いにしばらく浸りたい。亡くなった妻晃子(てるこ)も、僕の子供たちの母であった。僕にとっても、母のような面も多かった。ブオンも娘LINHの母である。現役の一生懸命に生きている若い母親の一人だ。
ありがとう。母たち。地球上で巡り会えた幸福を改めて噛みしめる。

缶コーヒーの広告で「我慢できない男」というセリフがあった。本当に厭なCMだ。ちょっと前には「あなたのわがままかなえます」みたいな女性誌の見出しとか、CMもあった。冗談じゃあないぜ。どうして、公器であるテレビで、わがままを良しとしたり、我慢しない事を可とする価値観を声高に喧伝するのだろうか。自由な生き様とわがままは対極にあるのに、なぜ、消費社会はわざと、それらを無理矢理に同一化させて、それを「個性」と総称させるのだろうか。情けなくなる。

消費社会ということで、急に思い出して、いいたくなったことがある。我々は日々を過ごしているので、客観的には見えないわけだが、我々の生活を包んでいる社会が、消費社会であり、情報社会だ。消費社会というシステムと情報社会というシステムは、そろそろ賞味期限が切れている。時代との整合性が合なくなり、綻びがあちこち見えてきている。事例は面倒でここでは言わない。そうだからと言って次の価値とか、次の時代が、見える形で顕現してきているわけじゃあない。何となく、解り掛けて来ているというか、ちょっともどかしいが、明確に認識されない何か。言えることは、今まで300年間の資本制社会の終焉とパラレルにその役割を終えようとしているということである。では、人類が創造する次はなにか。レギュラシオン(調整)とかアソシエーション(組織)と呼ばれる組織体が答えなのかも知れないし、アジアの家族社会を止揚した制度かも知れない。人類がまだ発見できずにいるNEXTの社会はまだ曙の中にある。

先ほど、テレビを見ていたら、中国の車社会の事を報じていた。トヨタは如何にも日本の伝統的な企業のスタイルを踏襲し、まずはハイブリッドを世に問うた。しかし、遅れをとった日産や三菱自動車は、中間項を飛び越し、電気自動車開発を急いだ。ガソリンエンジン自動車は30000個の部品で作られているらしいが、電気自動車は、エンジンでなくモーターで回転させることが基本となるので、構造も相当にシンプルになり、部品も半分以下のようだ。従って、生産のスタイルも大分変化する。変化というだけでなく、技術的にも新しい異業種の企業の参入も可能になってくるようだ。そこで新しい自動車企業が雨後の竹の子のように生成してきて、群雄割拠状態になってきたのが中国である。テレビによると、中古車屋の親爺や整備工場の青年社長らが色んな部品をアッセンブリーして、デザインは今ひとつだが、立派に走る電気自動車をほぼ手作り状態で生産し販売している、ということだ。かつての光岡自動車(日本の8番目の自動車会社を標榜)みたいに小資本だが、アイディアフルな企業群がたくさん生起し始めていると言うことなのだ。ホンダの偽物企業が、あまりにも熱心で品質が高くなり、ホンダが争わずに仲間に誘った(買収した)というとっても嬉しくなる事件が10年前、中国であった。産業の創生期は、そんなものさ。かつての日本もそうだったし、世界中で始まりはそんなモノだ。現在の「成り上がり電気自動車メーカー」の最右翼はリチウム電池のメーカーから出発したBYDだ。

どうして、我が日本は新参の自動車メーカーができないのだろうか。慶応の清水教授の会社の設立の報は聞いたが、それ以外誰も始めていないようだ。トヨタとかの巨大な企業でしか出来ないという先入観が、一種の怖じ気づきを生んだのか。3大カーメーカーに牛耳られていたアメリカでさえ、中小の参入は始まっているようなのに。日本の場合は大手企業と官僚が歴史的に支え合って「車検制度」を作り、中小の参入を阻んできた過程があった。そういう今や桎梏となった制度はそれこそ仕分けで、廃止し、新風が入り清涼な環境で電気自動車を開発する企業群が大量に胎動してくることを心から望む。電気自動車なら、ベトナムだってメーカーが登場してもいいね。むしろ、登場させたいですね。当校の卒業生は7〜10年間、日本で社員エンジニアとして研鑽をつみ、帰国したら、ベトナムの裾野産業に参入してくれ、そのために、君たちは今、当ハノイ日本アカデミーで日本語と日本企業について学習しているんだよ、と授業で僕らは声を大にして、彼らにメッセージを伝えている。彼らの何人かが、電気自動車をベトナムで始めたら、僕たちの本望だぜ。

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