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2010年10月9日土曜日

1000年祭りとKFC

今年はハノイに都ができて1000年だそうで、奈良の1300年と共にお祝いされている。ベトナムでは10月初頭から旗日で、ハノイの街中がお祝いムードに包まれている。昨日は2週間ぶりにハノイに入った。ベトナムのインターネット新聞の写真特集などでも数日前に東京で見ていたので、大体は知っていたが、こういうお祝いなどの喧噪は現場じゃあないと味わえないね。昨夜はブオンの娘LINHの13才の誕生日であったので、ミニパーティー会場である「KFC」に行ってみた。こっちの人はケンタッキーと言わずにKFCという。おめでとうと言ってチキンやフィッシュのフライを食べてとコーラを飲むだけのたわいのない集いだがわいわいと楽しい。ブオンの親友の女性会計士さんと、ブオンの前夫のお姉さんの娘で、時々我々の食事にも来るボーイッシュでかわいい子チャンのハノイ貿易大学の学生と子供が5人。その中の4名は中学2年生。日本で言うと中学1年生だ。「♪ハッピーバースディーツーユー♪」のCDが部屋にがんがん響き、あの油まみれの空気の中であったが、楽しくやっていた。リンはいつの間にか僕より背が高い。おめでとう13才。

ケンタッキーは、20年ぶりだろうなあ、食べたの。あのガーリックと複雑な胡椒がきつく効いた味わいは、嫌いじゃあないが、あまりにも食べ物としての健全性に欠けるので、自分から食べたいと思ったことはなかった。真っ暗な体育館の中、シーンとした物音ひとつしない暗闇。だが、何かの気配がある。撮影ライトをつけたら、そこに一面に何万羽という鶏が声も立てずに蠢いていた、とかいうレポートの噂などは誰でも知っている。工場化する理由もわからない訳じゃあないけれど、その暗闇で3ヶ月で成鳥にして、出荷するそのシステムは食べる以前の問題で、普通の感覚ではゾッとするよね。根拠もない噂であれば、KFCさんに営業妨害なことだが、これに近い実態が、リアルな事だろうと思う。消費量と生産を考えれば、このようにシステマチックにしなければ追いつかないからね。

でも、「地鶏」しかいないベトナムで、ケンタッキーはチキンの仕入れをどうしているのだろう。そして、お肉自体のお味はどうなのだろう。実は前々から、ベトナムのケンタッキーを試食してみたかったのさ。わざわざ、「暗闇のブロイラー」を日本から輸入する必要も無いしね。ベトナムのお肉の牛(ボー)と鶏(ガー)と豚のうち、ぼくは、豚の味が秀逸だ、その次がチキンやダックの鳥肉だと思っていると今までベトナムに来た関係者にそう語ってきた。牛も含めて、ベトナムのお肉は味が濃い。鳥と豚はそれこそ逸品と言って良い。まあ、ベトナムだけでなく、工場化し大量生産していないメコン地域の国々のお肉は本来の味わいを保っていよう。
さて、食べてみた。日本のケンタッキーに比べて、胡椒やガーリックの度合いは薄い。なあるほど、良い肉には「刺激」あるふりかけは少なくて良いはずだ。で、どうなの、お肉自体は?

・・うう〜ん。実はそうでもないのだ。おいしいチキンだ、とは言えない。残念ですが。ベトナムに通い続けて17年。ベトナムの鶏肉は何十キログラムと食ってきたはずだぜ。が、今回はっきり言って、良くない。ベトナムのチキンの本来の濃い旨み成分が感じられないのだ。おいおい、どういうことだ。ベトナムでも「暗闇ブロイラー」にしているのか。・・・この件、調べます。いい加減なこと、言えないからね。近々報告します。
さて、こういう事でも、西洋から来た「進んだお店」KFCは、親子や恋人で今夜も超満員でした。サービスはマニュアルが行き届いているようで、テキパキと快適に遂行されていた。通常のレストランにはないアメリカンスタイルのスムーズさが、少し散財しても良い日の気分を充足させるのだろうね。
ちなみに、ロッテリアはあるが、マクドナルドは、まだ進出許可が下りていない。

で、帰り道、ブオンやリンはオートバイで帰ったが、僕はぶらぶらすることにして歩き出した。1000年の誇りが、街中に溢れていた。大きな人だかりが、あちこちに生まれている。常日頃さえ、車道も歩道も区別無くオートバイがうねり、人が往来している街ではあるが、今日は(たぶん、この1週間)、歩行者天国状態で、危険といえば路上は危険状態だ、オートバイは普通にブイブイしてるからね。人混みを分けて入っていくとそこでは、仮設な舞台が設えられており、黄色い衣装の娘さんが10名ほど民族舞踊を舞っていた。音楽は、ドラムスや低音が効いた今風なもの、日本で言うと原宿などで例年やっているよさこい祭りというか、現代ソーラン踊り調なのだ。日本でそれらを見ると「衣装が香港っぽいなあ」と感じるけれど、まったくそういうものと同じで、こちとら本場だよと言わんばかりに、優雅にかつ激しく踊っていた。舞台袖には、赤い一群、後には青い衣装の一群もおり、おそらく、踊りのコンテストで、競っているものと思われる。まあ、大学の学園祭だね、街中が。テトと違うのは、旗日といっても休みが公務員だけとか、中途半端なようで、多くが田舎に帰郷していない分だけ、人々が何か楽しいことを探して街頭に繰り出していることだろう。特に僕が歩いている地域はハノイ工科大を中心にした大学の街のせいもある。若者で路上が溢れ、何となく懐かしさも漂っていた。

で、本日9日土曜。ベトナムでの僕の出版の重要な会議があった。夜、ブオンの家で、ブオンと親友の美人アラフォーファッションデザイナーと娘LINHと4人で飯食べつつ、明日10日は、遷都1000年祭のフィナーレで朝から、ホアンキエム湖周辺は盛り上がりが最高潮になるようだと、ブオンがインターネット新聞見ながら言い出し、ハノイに居るのだから明日を見逃す手はないわよ、でも、車もバイクも大半交通止め。徒歩で行くのよというので、朝から出かけることにしたが、女子三人組は疲労困憊で、日曜は昼まで眠らせてとのたまう。どういうこっちゃあ。リンだけには、「どう、行こうぜ」と声かけたが、ベトナムの中学生も日本や韓国並みに猛烈な毎日。日曜午前の眠りも大切だね。仕方ない、朝からひとりでホアンキエム目指してフエ通りを散策し祭りの熱気と喧噪に分け入ってみるとしよう、ということでこの項続く。

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