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2010年10月16日土曜日

ハノイ・コンビンザン考

■いま、「♪♪ホンキートンク・ウーマン」を聞きながら、これを書き始めた。なにせ、ストーンズが80年代末に東京ドームに来たとき、彼らのコンサートに連続三日間3回も行ったんだぜ。まあいいさ。で、コンビンザンだ。「COM BINH DAN」と書く。日本なら定食屋と言ったところであろう。日本の場合、定食屋では大抵各種の小皿とか、角長の焼き魚皿などに煮物、卵焼き、サンマの開き、唐揚げやコロッケなどから、おひたし、納豆、シラスおろし、お新香まで取り分けてあり、お客さんは、好きな皿を好きな数だけ、と言っても多すぎないように3,4点自分のお盆に乗せて、最後にご飯とみそ汁をいただき、席について食する。お店によっては、10も20個もある大皿にたくさんの各種おかずが並んでいて(良い皿使っていて結構壮観さを演出している店もある)、自分で適量をとったり、店員にとってもらったりするお店もある。「大戸屋」などのチェーン店から、昔から地元商店街に馴染んでいるおじいさんおばあさんのお店も結構あちこちにまだ、生き延びている。こんな事、これを読んでる日本人には常識の話だね、最近ベトナムの青年向けに書いている事が多いので、コンビンザンに至るまでのイントロ部分がうっかり長くなってしまった。

で、コンビンザンだ。大抵、お店の店頭に20種類ぐらいのおかずが、台所のシンクのようなものに入って並んでいて、お客があれだこれだと言って、大皿のに盛られたご飯の山の峰から、てっぺんまで、乗っけてくれるシステムなのだ。プレート(皿)の丼とでも言おうか。煮込んだ豚肉や鳥、インゲンやもやしの炒めサラダ、空心菜、牛の煮っ転がし、目玉焼き、卵焼きいろいろだ。南京豆の炒め物もあるぜ。一通りのっけてから、店員の田舎娘はつゆもかけるか、と聞いてくる。
僕のように、ビールを飲みながら食べる向きは、ご飯少なめにおかず多めに発注すると40000ドン位。つまり160円ぐらいで、結構旨い飯とおかずにありつけるということだ。ハノイの学生も金がないから、遠慮がちにおかずを乗っけて15000ドン〜20000ドンぐらいで済ましているようだ。ビールは現地生ビールで、大ジョッキで40円から50円ってところだ。アルコール度数が低く、ぐいぐい何倍でも飲めてしまう、結構僕は好きさ。ところで、味の素が多いんじゃあないか?農薬はきちんと洗い落としているのか?いつも気にならないと言えばうそになる。

が、しかし、その前にだ、もっと肝心なことが、凄いんだ。日本人女性には卒倒ものだね。厨房の現場をみた日には、「ベテラン」のぼくでも食えない。普通の上品なレストランでも、調理場は見ない方が良いというのはベトナムに詳しい人たちの常識なわけだから、コンビンザンの調理場、想像できる?ちょっと凄いぜ。娘のLINHは中学2年だが、ブオンによると、生まれてこの方、「怖くて」食べたことが無いらしい。ブオンもこの何年もコンビンザンでは食べたことないと宣う。まあ、それって理解できるね。だってさ、僕は何件ものコンビンザンの調理現場を偶然目撃しているが、調理の現場は厨房とは思えない。現場は土間やそばの路上なんだぜ。この間も店員と思われる如何にも田舎からの娘や小僧が空心菜などを道路のアスファルトをまな板がわりに・・・ここで、時間がきた。今から、ハノイ空港へ。続きは、近日に。じゃあね。

■今日、マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」を読み始めた。ハーバードや東大での白熱授業で、最近マスコミを騒がせている基になった本らしい。彼はコミュニタリアンと言う学派にいる現代きっての論客の一人と言われている。でも僕は彼の本を読むのは今回が初めてさ。いったいに僕はアメリカ人の学者の本はあんまり読まない。少しこだわって何冊かずつ読んだのは、スーザン・ソンタグ、ガルブレイス、P・ドラッガー、N・チョムスキー、ロバート・ライシュぐらいだろう。後はすぐに思い出せないなあ。この「これからの正義の話をしよう」を読み出してちょっと意外であったのはMBAや大学院の課題研究のような本のしつらえになっていたことだ。まるでさ、今から10年ほど前に話題になった本「ザ・ゴール」を思い出させるよ。なんかさあ、良書と評判なのに如何にもアメリカの”ビジネスソリューション本”風で僕は読みながらすでに辟易し始める。でも、もう少し耐えて読み進めれば、良い展開になるだろうと期待したいところだ。一瞬思い出したので、書き付けておくがライシュの「ザ・ワークオブネーション・・・21世紀資本主義のイメージ」は衝撃的本だ。画期的な本と言って良い。ダイヤモンド社刊のはずだ。90年代初頭に出てすぐ買って、一気に読んだことを思い出す。”シンボリック・アナリスト”になるにはどうすればいいか、真剣に僕はメモをいろいろ書いた。

■で、コンビンザンだ。コンビンザンとレストランの違いは、プロのコックが居ないことなのだろうと思う。コックが居ても、ベトナムではしれた環境なわけだから、コンビンザンは推して知るべし、まで前回書いたわけだ。コンビンザンは家庭の延長の定食屋なので、管理者が不明な上、元々お店を始めたオバチャンやヤクザな親父たちは、銭勘定に忙しいのが普通だ。入れ墨いれた親父の仲間と、日中からビールを呷り、お客からもらった現金入れたアルミ箱に手を入れては札束勘定して束にして、一握り持ち出したりしている。また、人件費を最低に抑えようとしているので、田舎から出てきた何にも知らない少年少女を使うしかない。ベトナムの義務教育は驚くことに小学校三年生までなのだ。だから、10才ぐらいになると労働しないと食えない子供が都市にどんどん流入してきている。そういう彼らが潜り込みやすい仕事が、こういった飲食と建築現場だ。ベトナムでは一般に社内や店舗でも「教育」を体系だって教え込む伝統が無い位な訳だから、ここでは、まったく「お客様へのホスピタリティー」など無縁なわけさ。先ほど定食屋と比較したが実態は戦後の直後の東京の闇市の飯屋に近いのかも知れないな。そう言うと、ちょっと酷かな・・・。

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