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2010年9月28日火曜日

オッ金剛組だ、世界最長寿の / 「誰がために鐘は鳴る」

先日、早稲田通りを歩いていたら、良く門前を通ってきたお寺さんが、工事中であった。工事中というより、今までの本堂の全容は消え失せ、新しくお堂をこさえようというのだろう、白い工事用テント地の幕で、大きな敷地全体が覆われていた。何気なく見たら工事看板に目を見張った。僕は驚喜したというか、「おお金剛組だあ」と路上で声を上げてしまった。そこで、理由はともかく工事事務所を探そうと左右を見渡したが、見えない。見えないので、砂利石の参道を走り、寺務所の玄関をカラカラカラと開き、誰かに工事事務所の在処はどこか聞こうと思った。20畳も30畳もするような広い玄関は、誰もいない。僕の影が三和土で動くだけだ。すみません〜、と大声でよびつつ、呼び出しのベルも見つかったのでそれも連打した。「いらっしゃいませ」中高年の坊主が小走りで出てきた。僕は、すみませんねえ、と一言言いつつ「こちらさんの本堂の工事はあの金剛組がやっているんですね。あの有名な金剛組ですよね」と念を押すと、坊さん”どや顔”で「そうですよ、あの金剛組です」と応え、ちょっと離れたところにある金剛組の工事事務所の場所を教えてくれた。

いやはや興奮したぜ。日本には100年の歴史を持った企業が10万社ある。多分世界一だと思う。これだけでも凄いのに200年の歴史を有する企業もなんと3000社も我が日本には存在する。でもこの金剛組こそ何を隠そう(いや隠せない)飛鳥時代に、つまり聖徳太子が生きている時代に創業された世界で一番古い企業(西暦578年創業)なのである。金剛組は大阪にある寺社仏閣専門の職人だけのゼネコンで1500年も生き抜いてきた世界最古というか最長寿の企業なのだ。嬉しいじゃあないか、こういう出会いも。さっそく、工事現場に行って工事監督さんと名刺交換でもしようと、くびすをそちらに向けで歩き出したがだが待てよ、俺も62才だ。20代の時なら、いざ知らず今の僕が「あのう、済みませんが・・」と嬉しさだけで理由もなく追っかけ風に行ったらどうだろう、名刺はくれるだろうか、などと思い始め携帯のカメラで「金剛組」というロゴを撮影するだけにとどめて、商用に向かった。何と言ったらよいか、銀幕の往年のスターに出会ったときのような、ともかくとっても幸福感に包まれたひとときであった。

■ 先日、ジョンフォードの「荒野の決闘」と「誰がために鐘が鳴る」を見た。もちろんDVDで、だよ。390円で本屋に並んでいたものを無造作に買ったのだ。「荒野の決闘」はいわずもがな「クレメンタイン」の歌がながれる「OK牧場」ものというか、「ワイアット・アープ」ものだ。学生の時、どこかの場末の映画館でも見たし、ビデオテープも持っているので5〜6回は見たかな。言うまでもなく「シェーン」や「駅馬車」と並び賞される西部劇の名画中の名画だろう。俗っぽいマカロニウエスタンが始まるずうっと以前だから清教徒の清楚さと素朴な愛が全面にあふれている。今で言えばアーミッシュ的ともいえるプロテスタントの物欲も性欲も良しとしない原始キリスト教の時代的雰囲気に満ちている。悪徳と善良の対比もやや宗教臭いが、勧善懲悪の構図は水戸黄門と同じで結論が最初から見えていて安心して鑑賞できる。なぜか、今日は皮肉っぽく書いたが、ただ、本日の体調のせいだとご理解ください。

かつて母親が「誰がために鐘は鳴る」のイングリッド・バーグマンを「本当に輝いていたのよ」と僕が中学の頃、言っていた。今見てもその輝きは全く失せてはいない。反ファシスト戦争に命をかける乙女の麗しさは、まさしく太陽の様なのだ。彼女の微笑みに接した事のある中高年の御仁はたいていそう思っているだろう。新宿の伊勢丹の向かいで今の丸井あたりにかつてあった名画座で見たような気がするが、これもビデオテープを持っているので、いままで数回は見ただろう。バーグマンは、「カサブランカ」で評価をもらった直後に出演したのがこの作品であったが、英語が下手な(らしい)スエーデン人の大女である彼女に演技の期待は無いが、無心に愛に浸る彼女の陶酔の目とか、頬、首筋の美しさは、まさに燦然と輝いていた。この太陽の様な笑顔に母たちの世代(母は、現在84才)たちは輝く未来を感じ取ったであろう。母が仙台の文化劇場のスクリーンから彼女の愛に感涙したのは、多分昭和21年か、22年、結婚する直前か、その直後かだから、その輝きに満ちた笑顔に母は己のこれからの幸せと重ね合わせたことであろう。で、23年に僕が生まれたわけだから、バーグマンの笑顔は、僕の生誕に少なからず影響したはずだと言っていいかもしれないね。

でも、酒飲みながら、見た今回はかなり違った感じ方も改めてした。地方の反ファシストゲリラ群と共和国派の中央司令部の意識のずれと中央部のスターリン主義とでもいうべき硬直した上意下達組織の情けなさが、見始めてすぐに感じた。義勇軍として個人参戦していた原作のA・ヘミングウエイ自身がその組織の硬直したあり方に疑問を挺して居たからなのであろう。ドイツのナチズム、イタリアのファシズムに続くスペインのフランコ将軍のファシズム化から守るためスペインの共和国政府が全世界の闘う有志に呼びかけ、アメリカやフランス、イギリスや日本などから左派系インテリや、学生、マルクス主義者、アナキスト、自由主義者などが、統一戦線を構成し、スペインに集結してファシストと戦火を交え市街戦を展開した。それはイギリスの作家ジョージ・オーエルの参戦体験をまとめた名著「カタロニア讃歌」に詳しい。

この映画の舞台となったスペインの反ファシスト戦線では、ソ連を盟主と考える共産党派の傲慢が、正義感と情熱で世界各地から参戦していた数十万の戦闘的左派や市民軍、POUMの広範な統一戦線を分裂させ、ついにはスペイン人民戦争自体の敗北を招いた。その荒涼とした現代史をこの映画の中にほんの少しだが垣間見ることができる。だが、映画の主たるテーマは欧米や日本の戦後に求められる「愛と希望」さ。だからヘミングウエイが自分の体験を投影させたハンサム中年の大学教授役のG・クーパーが中央との板挟みに苦悩する左翼インテリゲンチャーを演じるが、バーグマンとのいちゃつきと口説き台詞は、クーパーの地が出てそこだけ冴えてしまうので笑わせる。自分の命を捨てても、愛する女と共和国に殉じる中年クーパーの泣かせるラストシーンもハリウッドのいつもの「感動フォーマット」そのままだ。ヘミングウエイの原作は読んでないが、ハリウッドは原作とは違い第三インターの内紛というかスペイン人民戦争への共産党の裏切りなどにははじめから興味なく、捨象して原作の恋愛部分を上手くチョイスして、戦後の希望と明るさを提供するアメリカの戦後処理イデオロギー作品と位置づけて、焼け跡の日本などに輸出したのであったのだろうと思う。その意味では深刻さを演じられない大根役者の二人を、つまり太陽の様なスマイルとアメリカの典型的ハンサムを画面にクローズアップさせただけで良しとした営業戦略は、計画通り成功した。つまりそういう作品ということだ。

余録だが、この主要な出演者に山岳ゲリラの剛胆な女親分が登場する。もの凄く良いキャラで、二人の心の進展に協力したりする婆(ばばあ)だ。この婆は紛れもなく宮崎駿監督の一連の作品に出てくる婆の原型に違いないと気づいた。面構えといい、態度やキャラといい、服装までも宮崎さんは、この婆から、あの一連の宮崎アニメの愛すべき婆たちを想像したと直感した。今回見ての収穫はこの婆だけさ。

■ はいはい、また、原稿の一部をもってきた。

3−4−2 「ベトナム人は、計画嫌いですか?」
16〜17年もベトナムのいろいろな階層の人々つきあっている。総じて言えることは、「計画」というものに関心が無い人が多い。計画が苦手というより、大して意味がないと思っているようにも見えるね。確かにいろいろな客体的な要素で成立させた計画は、自分に関係ない客観的状況によって、どんどん変化する。変化すれば、計画も変更をしいられる。だから、あまり計画にこだわりたくないと思うのであろう。それはわからないでもない。

君らと反対に日本人は計画が大好きなのだ。何をするにもすぐ、計画を作り始める。
一般的に僕らの言う計画は1:期間、2:費用、3:事業の内容の詰め という3点だ。この3点がどうなるのかを現在の時点で論理的に想像し構築するのが計画というものだろう。とくに3は、事業の内容を構成している客観的な要素が多い。わかりやすく言うと、他人や他社と絡んでいるわけだから、自分ではどうしようもないことが、突然起きることも多い。そこが変更になれば、当然1が変わる、普通は期間が延びてしまう。そうすれば、2も、大きく変わってくる。そんなことは、百も承知だけれど、日本人は会社や、役所の中で予算を確保するために、時によっては「形式的に」事業計画を作る場合さえ在るんだ。

それに比べて、ベトナム人は一般的に、そのような変化があるから、計画したって、意味ないんじゃあないかと考えているように、僕ら日本人の目には映っている。だから、積極的に計画は作らない人が多い。

ここは比較文化論のページじゃあないので、話を戻す。この「日本語を学習する計画」の場合の3は、他人とか客観的な要素が無いと言っていいだろう。問題は、自分だ。自分が決意して進めていくだけの計画なのだ。自分の意志が弱くなければ、ほとんど変更はない。だから、この1年間の計画を立案することは意味があるし、十分に可能だと言うことさ。

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