Wikipedia

検索結果

2010年7月14日水曜日

ユニクロとグラミン銀行

まあ、最近僕が購入する衣料品の大半はユニクロだ。お金もないし、行けばほどほどおしゃれというか、「すっきり系」の衣料品が買えるからだ。言ってしまえば、ありがたいということだね。下着から、シャーツ、ベルト、靴下までいやはや、ほとんどだね。そのユニクロがバングラディッシュのグラミン銀行(貧民銀行)と共同で事業を始めるらしい。うれしいね、すごいね、柳井さん。やっとこういう企業が現れてきたんだね、ニッポンにも。僕が1990年代初め、フィランソロピーの企画会社シグフロントをたちあげて、日本企業の大手を中心に「企業の社会貢献」の提案活動をしていた頃は、本気ではない企業もおおく閉口したし、疲れたことが多かった。「納税で十分。それが社会貢献というものさ」とか「アフリカあたりに、寄付しておかないと、批判出そうだしね」とか「おつきあいさ」みたいなことを平気で言っている担当もおおく、一部の積極派企業以外は、ビジネスで”使い物にならないおじさん”のあてがいぶち人事で、やらせられている人が多かったんだ。だから、ひねた人物もおおかった。特に大手商社の「**環境企画室」「企業市民***」「21世紀企画**」とか、たいそうな名称の割には実態はお寒かった。当時の明治生命や日産などは、担当者の方も熱心で教養の豊かな人で、ずいぶんお教えいただいたものだ。当時まだCSRなどという言葉はなく、コーポレートシチズンシップか、フィランソロピーといわれ、マスコミでも取り上げられつつあった。僕もテレビの仕事や広告の表層的おべんちゃら仕事にうんざりしていて、40代はまじめにやろうと言うことで、学生時代の正義感の勘を取り戻して、取り組み始めたのであった。

アメリカでは当時「BSR ビジネス フォー ソーシャル リスポンシビリティー」という団体が産声をあげていて、朝日新聞の編集委員であった下村満子さんと一緒にそのBSRのボストン大会に参加した。当時の僕の会社シグフロントは、日本企業の加入第一号となった。確か次年度も行ったね。サンフランシスコだった。そこで、学んだことは経営者の徹底した企業市民意識であった。彼らは経常利益の10%程度を貧しい子供たちの奉仕団体や医療団体に寄付し、また、アフリカ系住民の雇用拡大など協力活動を細やかにしていた。つまり、アメリカの貧しさと正面から対峙しようとしていた。もちろん日本と歴史も事情も大いに違うので、並列には語れない。語れないが、その本気さが違うのだった。
アップル、リーバイス、そのころ新進のシスコシステムズ、コカコーラ、アベーダ(エスティーローダに買収されたが)などが、幹事役でがんばっていた。まだ、確か当時200社ぐらいの小さな萌芽であったが、大統領夫人ヒラリーさんが参加したり、「スゲー」と僕に言わしめた。

経団連の1%クラブと提携させていただき、協力や後援をもらい、2度青山の国連大学の大ホールで僕の会社が主催で「フィランソロピーの国際大会」を挙行した。アップルの協賛などいただいてね(いまマクドナルドの社長である原田さんが当時アップルの担当の部長であった)。引退された経団連の房野専務理事も僕らの活動の面倒をずいぶんと見てくれた。房野専務の下にいらした上田さんにもいろいろ協力いただいた。上田さんはP・ドラッカーの一連の翻訳者で有名な方だ。
話をもどそう。ともかく、行動がいつも叫ばれていたのに、いつも日本的に「寄付金」で自己満足してきた。そうでない活動もありますよ、もちろん。大企業の方々が呼びかけ合って、富士山の掃除をする、良いことです。NYハーレムで、日本の証券会社の社員がおそろいのTシャツ着て日曜日に大掃除をする。社員の寄付金に倍上乗せして、地震の被災地に寄付する、あるいは物資を送る。もちろん、すばらしいし、それに誰も文句はいえないさ。そういうあり方もあっていいのさ。だけれど、どこか、それだけではない、もっと違う方向があるのではないかと、考えることも実は多かった。
その答えが、やっぱり、ユニクロなどのありかただろうね。そう、これが初めてではない。雇用促進をテーマに国内外で展開しているチームやNPOもたくさんある。グランドワークという考え方もその一つだし、最近増え始めたプロボノシステムもそうだろう。専門性を活かして、共同・協働を模索する試みさ。でも、ユニクロは世界企業として、取り組む訳だから、規模がちがう。すごいよ。
グラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁が、語っている。「ユニクロの持つ優れた技術は、ビジネスのためだけではなく、世界の問題解決のために使うべきだ。(合弁は)寒さに苦しんでいる多くの人のためになる」と。ユヌスさんは2006年、ノーベル平和賞を受賞している。

0 件のコメント: