2010年7月10日土曜日

ベトナム航空が不安だ

今読んでいる勝海舟の「氷川清話 ・江藤淳編」を不覚にもハノイの当校の門の鍵を開けようとした際、左腕脇に挟んで解錠しようとして、思わず本が左脇から落下、水たまりにチャポンさ。それも、いかにもキレイでない感じの水たまり。慌てて、洗ってベランダのテーブル上で干してみたが、やっぱーよれよれ文庫本に成りはてた。若いとき本をコーヒーかお茶でぬらして天日に曝したこともそういえばあった。20代の妻と一緒だった、懐かしくて胸キュンだぜ。ネクタイやYシャーツのよれない干し方は知らないでないが、本はどうしたらいいのか。いきなりどうして、あそこまで皺くしゃにかつ大胆に変形しちまうのだろう。製本というものが、かなり紙に無理を強いて整えた振りをしているとしか言えないほど、勝海舟の本は踊り狂った有様となった。本日、ハノイは快晴の土曜日だ。上半身裸で、さてさて、ベトナム航空の事、書いてやれ。

■ 僕はベトナム航空に毎年12〜13回、今年もすでに7回ベトナム航空のみを使って日本とハノイを往復している。つごう150回以上利用してきたはずだ。以前は日航とのコードシェア便も多く、ベトナム航空のチケットでも日航の機体で、かつ日航のキャビンアテンダントの場合も少なくなかった。その際は実は「おっ、今日は日航か」と安心したものだ。正確に言うと日航なら、映画を確実に見ることができるのでのホッとなのだがね。日航はあのていたらくだから、ベトナム航空との提携の度合いが減ったようで、関空からの便など、日航は確か撤退したとおもう。そういう意味ではベトナム航空は自立して営業から、整備までやらなくてはいけない環境にあるはずだと思う。ところが、最近のベトナム航空の機内の中の破損状況はひどい。一昨日、ハノイに来たときの事を話そう。機内の中央には、天井の中にしまわれて良いはずの大きなモニターが故障で、出しっぱなし、画面ではなにやら映像が放映されているのだが、雑誌を破いたような紙を画面に「すみません、これ故障です」とわびた風情で、貼り付けてあるひどさ。さて、僕の前の背もたれにある小型モニターは、点く点かない以前に手元の操作機器がのコードがちぎれていて、点くはずもない状況。男性のアテンダントに告げたら、「まいったなあ」とひとこといって、隣の席の雑誌ポケットにねじ込んだ。一件落着と言うことだろう。

次回の機内掃除の時、掃除の人が、それを見つけてもメンテの担当でないだろうから、例の肘掛けにある「操作機器収納」にただはめて、事は終了し、また、次の客が文句をいい、未解決のままことは推移するのだろう。推して知るべし。こんな調子だから、僕の周りのひとの20名ぐらいのお客さんは、みんなモニター故障らしいし、読書用のランプさえもつかないんだぜ。これが、初めて?というと、そうじゃあないぜ。最近とみに増えている。日航の機体がなつかしい。で、トイレにいっても、手を洗う水が出ないんだぜ。ちょっと非道い・・。でも、2回目に行ったときは、ミネラルウオーターの大瓶が無造作においてあった。たぶん、これ使ってね、ということだろう。書いているとあれこれ、以前のことも思い出して、疲れるので、ここで「事実の開陳」は終了しておく。問題は、じつは、こういう現象だけでないのだよ。これはベトナム空港の幹部から一般の社員、アテンダントまで仕事に対する関心についての重大な要素を指摘しておきたいのだ。

本年初めて、ハノイの市バスに2回乗った。ブオンと娘のりん、ブオンの母親と4人でね。ハノイのバスはヒュンダイ製、ベンツ製などがある。元々新車だと思う。バスの運行はまだ、5,6年しか経っていないのに、僕が乗った二回共に20〜30年ぐらい使いくたびれた、車体と車内に見えたのであった。たぶん、購入して一回もしっかり拭き掃除などしたことがない、錆が出そうなところには油で拭いたり、まったくしていそうもないバスの車内なのだ。運転手は陽気で、母親とはなしたり、他の数人のお客と冗談を言っていたので、雰囲気は明るく悪くはない。だけれど、僕は公共への関心や仕事への責任についてを考えながら、バスに揺られていた。このことは決してバスの車内だけのことではないのさ。飛行機の機内、ビルの構内、道路も同じ事なんだ。市民としての責任、公共意識、仕事に対する責任感、すべて共通していることなんだ。僕が言いたいのはベトナムだけじゃあないよ、多くの世界の国に共通した課題なんだ。このあたりはこのブログの2月27日「ベトナムのテト スローな元旦」に詳しく書いておいた。

日本のメンテナンスを理想として語るつもりは全くないが、美しさや、清潔さを保とうという意志は日本に昔からあった。あるとき、東南アジアの有名な政治家が、東京の地下鉄のエスカレーターの回る手すりを拭いている清掃員の老人を見て感嘆の声をあげたそうだ。「そこまで掃除しているのか」と。だいぶ前に雑誌に載っていた。お客様に責任を果たす。お客様に不快感を感じさせない仕事。日本人は元来から、自分を中心にした思考や感覚を紡いでこなかった、良いも悪いも、周囲のと関係で思考と感覚を設定してきた。他人が先なのだ。他人の感情や他人の主張がまず、先に気になることであり、自分は後回し。「空気を読む」とは、まさに言い得て妙だ。日本人の思考を少しおとしめて書いたが、この感覚は使い方によってずいぶん威力をはっきできる感覚なのだと思う。それをうまく使うと、他人に気を遣い、自分を律して責任有る仕事ぶりを発揮できる。日本人はこの「気遣い」分野では、世界に冠たるメンテナンスやホスピタリティーを発揮してきた。その技術の教育も膨大な蓄積がある。

ベトナム航空に不安を持つのは、自分の仕事に関心が薄いとしか思われないスタッフが多いと言うことだ。例えば、全部とは言わないが、機内でスマイルで仕事しているアテンダントはほぼ皆無だ。とくに女性アテンダントは無表情はまだ良い方で、苦痛の表情の者すら多いぜ。その上機内作業も、事務的で無造作だ。ホスピタリティーの「ホ」の字もない。だったらやめろ、と言いたくなるほど非道い。5年ほど前、麗しいアテンダントとしばらくつきあって居たので、彼女たちに言いたくないし、この会社には知り合いもいないわけじゃあない。でも、年間30往復もしている「顧客」の僕だから、あえて言ってるのだ。自分の与えられた仕事に関心が薄い社員の多い企業は末路が見えてくる。ただの普通の企業なら自業自得で、じゃあ、さらばでことは済むが、この企業は事故に直結する。機内のクルーは、機内のホスピタリティつまり、快適環境に常に責任を持たねばならない、僕が言うまでもないさ。機内がこの調子なのに、機体の修理メンテ工場のスタッフは、自分の仕事に極めて関心が高いのだろうか。僕はそうは思えない。企業の中の気分が全社的に連動してしまうのは、世の常さ。ブラックボックスの中だから、僕らはまったく、知らないで毎日利用している。

少なくとも、機内のビデオ機械、ランプなどの装置機械、水道の装置のメンテもほとんど関心をもたない機内クルーと、修理工場のスタッフは、どこがちがうか、誰か証明できるのか。機内のクルー・アテンダントは、ベトナムの労働者の中できわめて高い待遇だ。だけれどもメンテスタッフも最高級の待遇で、優秀正社員エンジニアでメンテナンスの牙城を築いているのだろうか。機内の電気系、電子系のメンテの担当が誰だか解らないが、このいい加減さは、機体の整備の細心の注意と技術がきちんと発揮できる環境にあるのかが疑わしく思えてしまう。かつては成田では日航がメンテを担当していたと聞く。さて、今はどうなのだろうか。ノイバイ空港では誰が、メンテをしているのか。僕がベトナムに来始めた1993年当時はキャセイが担当していたと聞いていたが・・。

最悪の事態とかの不安を煽る気などさらさらない。が、ベトナム常連の日本企業の人たちは、ベトナム航空に乗らない人が多い現実。乗らない理由はいろいろあるので、これ以外にも。ここではあえて書かないが、料金が高くともみんな日航か、ANAさ。ベトナム航空の幹部はいま、どう考えているのだろうか。現場の実態をどこまで把握しているのだろうか。ぼくは、たぶん今後もベトナム航空にのるだろう。だから、言いたいのさ。このブログは、結構読んでいる人も居るようだし、ベトナム関係者も多いらしい。いつか、ベトナム航空関係者も読むことになるだろう。むしろ、そうあって欲しい。少なくとも日本人スタッフからでも、改善の本気の声をあげてほしい。それも至急にね。

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