2011年5月9日月曜日

フツーの人が優れている我がニッポン!

またまた、「めざせ、サムライ!日本語SAMURAI」(仮題)の生原稿から引っ張ってきた。翻訳も大分進捗。今秋は、ベトナムの主要都市の書店の店頭に並ぶ予定。*3月11日以降の事態・現象を加筆予定。
■第二章六項 「日本の学力と教育システム。日本は”フツーの人”がすごいのだ。」  
2010年6月、新政府の「成長戦略」が提案された。主な骨格は「人材の育成」だ。朝日新聞や毎日新聞などリベラル派の新聞からは良い評価があったようだ。でも、中身はもう一つ冴えない。さて、教育は日本のお家芸(おいえげい)であることは、世界中が知っている。何故に日本には教育や学習のノウハウが蓄積されているのだろうか。さらに、何故に中間層のレベルが高いのだろうか。ちょっと考えたい。1850年代つまりサムライのいる江戸時代の後期、江戸を中心に全国に公立や私立の学校がすでに2万校もあり、身分を超えて子供たちに主に漢文やソロバン、礼儀作法を教えていた。こういう教育への熱心さが、1868年の明治維新以降、「富国強兵」のスローガンと平行して「教育立国」が掲げられ続けたのだ。この教育については、韓国も中国も異常なほどの熱の入れ方だ。が、日本と違うのは、エリートや金持ち中心にこれは展開されている。

日本人の心の内部では、この大事な5〜14歳ぐらいまでの義務教育期間に社会人としても基礎力をつけ無ければならないという大人の側の義務感があると言って良い。行列をつくって、順番をまつ。足で物を取ったり、動かしてはならない。自動車のクラクションは普通は鳴らさない。部屋をあるくとき、本や新聞を踏んではならない。親切にしてもらったら、「ありがとう」とキチンという。道路につばを吐かない。ゴミはゴミ箱にいれる。川や山にゴミを捨てない。むやみに道路を走らない。お店やレストランでは大声や奇声を発しない、座るとき足を投げ出さない・・いくら書いても終わりがないのでやめるが、こういう当たり前の事はたいてい母親の「しつけ」というものである。母親が世間の常識的なしつけをし、父親が人生への覚悟を教えるのが、日本の普通以上の家庭の一般的な家庭教育であった。もちろん近所のおばさんやおじさんも、子供へのアドバイスや注意は、田舎ではまだ、健在だ。子供は社会が育てるということだ。さらに家庭によってはおばあさんから伝統的な食べ物の作り方や、裁縫(さいほう)、台所の合理的な工夫を教えてもらい、おじいさんからは郷土の歴史を教わる事も多かった。

戦後の日本では、戦前の軍国主義の反省から、いきなり西洋的民主主義を敗戦の1945年の秋から急展開で教え始めた。だから、現在の日本の教育の指針のようなものは、古来からの中国の儒教的な要素、明治時代のドイツ的な要素、戦後のアメリカ的な要素が実は混在している。地球の東の端の辺境国日本は古代から多様な文化の受容と顴骨奪胎(かんこくだったい)に長(ちょう)じており、いまでは、日本独特の文化というか、社会的なルールとして生活の規範となっている。製銅、稲作から漢字、儒教、道教、仏教などの思想や規範まで、多くの文化が、そうやって、日本に同化してきたのだ。

全く時代は変わるが、新しいものもあるぜ。現在、日本中で、燃えるもの、燃えないもの、資源になるゴミ、カンやビンを分別しているが、実は新しい規範なのだ。1980年代から、北欧などの真似をして、始めた訳だから、まだ、30年未満のルールといえる。順応も早いんだよ。1964年のオリンピックの前までは、立ち小便のおじさんも多かったし、つばを道に吐(は)く人も多かったのだ。中国はオリンピックと万博でどのような「社会人基礎力」をつけるか楽しみというものだ。社会人の基礎力は、「公共」ということを市民の一人として考えて活動して身につくものだ。
公共とは「社会という市民の生活の場を皆の責任で維持管理(ある時は創造してゆく)して行く事」だろう。その意味を教える教育を戦後の日本は長い間ネグレクトして来た。それは「公共」がかつて国家(国家権力)と結びついて、戦争に総動員していった不幸な歴史を日本は持っていたからだ。

公共の感覚をもち、社会人としての基礎力がそれなりに持っている日本人の能力の特徴は「中間層」が強いということだ。中間層が常識や社会的な情報をきちんと取得しているので、レベルが高いのだ。
たとえば、アメリカなどは、一部の能力的ハイクラスと、労働者クラスしかない。つまり、中間層が弱い。こういうと、あちこちの大使館からおしかりの電話があるかもしれないが(笑い)、ラテン系の諸国もたぶんそこが弱い。ところが、日本はその中間層がパワーがあるし、知的で意欲的なのさ、たとえば有名な電気店街の秋葉原の電気店の店員さんたち。たいていは高卒か、地方の名も無い大学卒者が多いとお聞きしているのだが(幹部候補者は別だが)、家電やITに関する知識の深さやサービスに対する意欲は感心することが多い。技術者並みのレベルの人も多いんだぜ。日本のパワフル中間層の代表だとおもう。企業とか政治のトップ層は、大したことがない例が多いが、中間層、労働者層が優秀なのさ、我がニッポン。

また、引っ越しのスタッフ、トラックの「サービスドライバー」、スーパーマーケットや、デパートの店員さん、ブランドショップの店員、キャバクラやバーのセクシーな女性たちなどなどあげたらきりがないほど、こういった中間層には、責任を持ちまた目標をもってがんばる人々が多いのだ。もちろん、工場労働者層もほとんどは高卒者で、何らかの理由で労働者になった大卒者も多い、また、農家は、冬の仕事がないので、季節的に農民が労働者になっている場合もおおい。従って、社会との関わりも自覚的であり、仕事に工夫やアイディアもだすし、たんなる労働力ではない。日本の労働者は他の国で言えば中間層ぐらいの社会人の基礎知識を持っている。1970年代前半に日本の首相であった田中角栄氏は、中学校しか出ていないが、寒い田舎で、土建企業の社長になり、最後は日本首相になった。日本はそういう国なのある。 *3月11日以降の事態を加筆予定。

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