2009年1月17日土曜日

14年前と40年前のテレビ画像

実は、ここから、久しぶりに書き出した。今日1月17日である。阪神大震災から14年たったようだ。思い出す。14年前の朝、いつものように僕は5時半過ぎごろに目が覚め、枕元の小型テレビを付けた。奥の深い所にある記憶では、脳裏にモノクロ色で張り付いている。低空で幾つかのヘリコプターがパタパタと音を発して、グレー色に染まった市街地を飛び回っている。この僕が見ている画面のカメラもその一つなのだろう。取材者が「ナントカ・・の高速道路がタオレテイルヨウデス」と言葉にならない音声を張り上げた。予想もしない事件を目撃したときの悲鳴に近い。
よく目をこらすと、爆撃の跡の破壊された都市の様な画像のあちらこちらから、火が噴き出し煙も数多く上がっていることに気付く。この戦場は何処なのか。その言葉が体内で完結しないうちに神戸らしいと解った。神戸だ。日本の神戸だ。それが、いまそこに何が起きたのか。この風景はなんなんだ?大地震と気づくまでに30秒は要したと思う。動転したのだ、画像を見てるだけで。急いで寝床を跳ね上げ大声を出しながら、階下のダイニングに急ぐと、既に妻がテレビを凝視つつ、朝餉の用意をしていた。大変なことになったね。神戸だけらしい。数千人が亡くなったんじゃあないかしら・・。その後の記憶は僕に一切無い。

妻や、高校生と中学生であった子供たちと何を話して食事をし、勤めに出たのだろうか。身近な東京大地震とか、東海地震などを想像して、子供たちに何かを言ったのだろうか。悲惨さを憂い、鎮魂の心について、語り合ったのだろうか。おそらく9時過ぎには青山の仕事場で、ニュースとしての神戸の震災を画面を介して遠くから僕は眺めていたのだろうと思う。当事者に成れない想像力。「想像力が人間の特権だ。想像力が革命を生む」などと、ほざいていた自分を恥ずかしく思い出す。”現場に行こう”ともせず、神戸はあくまでニュースであり、バブル崩壊直後の東京の忙しさという怪物の陰に隠れ、大震災すらも、僕はニュースとして消費していたのだ。居ても立ってもいられなくて、たくさんの心ある人たちが現地入りした。作家の田中康夫さんもその中の一人だ。1年後、感銘を受けた僕はユニークな活動をしていた田中さんを招いて、当社主催で「企業の社会貢献活動と神戸」のセミナーを青山で開催した。田中さんとの付き合いの始まりだ。

今朝、NHKで「東大安田講堂落城から40年」とかいうドキュメントを偶然途中から見た。当時の記録フィルムと、10年後(1979年)のドキュメンタリーと現在をモンタージュした「あの人は今」風な番組である。 民放と違って、映像アーカイブの量が膨大なので、資料としてはそれなりに評価出来る番組であった。であるが、当時数100万人を越える大学生や高校生そして市民、一部の若い労働者たちがベトナム戦争反対や、大学の解体をも含む大学闘争に何故闘ったのか、そして何を失ったのか・・など、この番組はまったくそこを深く掘り下げない。掘り下げることに関心が無いようにも見える。

たまたま、同日夜には日比谷公園にできた「派遣村」の記録番組もみた。 困難を越えようとする献身的ボランティアの人々が画面に描かれインタビューに答える。解雇され苦痛の境遇の人々が話す。ただ、これも朝の番組同様に事象や人間に迫る姿勢がない。おそらく、ドキュメンタリーなのではないのだろう。みのもんたの「朝ズバ!」の”ほっておけないシリーズ”みたいなものと思うべきなんだ。ドキュメンタリーでなく、情報番組ということだろう。だから、かの朝の番組の中では、部分的に使用されている「新日本紀行」か何かの東大闘争10年後の映像の方が溌剌としており表現者の意思が画像にくっきり表出されていた。NHKの姿勢の変容は今更言っても仕方ないが、気を吐く演出家の不在はやっぱり情けない。かつてNHKには、矢沢永吉の”キャロル”のドキュメンタリーを作ってNHKを解雇され戦っていた龍村仁さんらもいたんだ。

ところで民放の番組の無残さはなんなんだろうと思う。お笑い芸人(最近はお笑いを書かず”芸人”とだけ言っている。冗談じゃあないよ)がいないと番組ができないのか。最悪だよ最近。”車の時代”といわれるものが終焉したと皆が気づかされたのは去年だが、テレビの時代が終わったと皆が自覚してから、既に10年は経つ。このままだと、「地デジ」になる2年後にはまともなコンテンツほとん期待できない。おそらく、副次的であるはずのパソコン的使い方だけが主軸になり、いままでのメディアとしての「テレビ」的テレビは60年の幕を下ろすことになるだろう。すでに民放ではテレ朝「タモリクラブ」以外見るものないでしょう・・?

いま、NHKの深夜アメリカ連ドラの「アグリーベティー」を見ながらこれを書いている。毎週結構おもろい。実は去年12月にハノイの妻の家でテレビでドラマを見ていたら、それがベトナムが作ったベトナム版「アグリーベティー」だと彼女がいう。確かに良く見ているとシチュエーションはまったく同じだと気づく。彼女の言だと、これはパクリじゃなくストーリーをアメリカから買ったものらしい。大分昔、ぼくらが子供のころ「名犬ラッシー」「パパ大好き」「シャープさんフラットさん」「奥様は魔女」などのホームドラマまた、一連の西部劇「ララミー牧場」「名犬リンチンチン」「ライフルマン」「ローハイド」また、「サーフサイド6」「ルート66」などのハンサムアクション物などのわくわくするテレビドラマが毎日各局でゴールデン時間帯に湯水のように放映されていた。もちろん白黒だよ。ぼくらは、そのアメリカ文化の洪水の中でアメリカに憧れそして大人になった。

調べると、当時日本のテレビ各局は、これらのハリウッド製テレビ作品をただ同然で譲り受けていたようだ。同じことが毎日ベトナムでもディズニーチャンネルなどが朝から晩までアメリカの豊かな生活と思考を垂れ流している。アメリカの文化イデオロギー施策の巧妙さはこの60年一貫しているのだ。おそらくアジアだけでなく世界中で同様なのだろう。ところで、覇権を目指さない日本も積極的に輸出すべき文化・思想もたくさんあるはずだ。マンガやゲームなどのサブカルだけでなく、たとえば「もったいない」とか「ものづくり」の思想があるね。今こそ大切な時代だと思う。であれば、ODA支援の中身の大転換が至急必要だよね。橋や道路の寄贈だけでは、敬意や理解は得られない。

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