2011年2月12日土曜日

映画「ソーシャルネットワーク」ふむふむ

■写真は2月11日小石川後楽園の「雪と梅の花の絵図」。毎年恒例で、今年も東映の元「東制労」の者中心に関係者が20名ほど集った。

 《映画「ソーシャルネットワーク」は、下方に記述してある。》
■元東映・東制労の面々が、11日恒例の小石川後楽園に集まった。元徳川家の屋敷跡で梅の庭園で有名な旧跡だ。我々の東映東制労の戦いが終わって30年以上経たので、集う人々も完全に老人だね。その徳川庭園の中には「涵徳亭(かんとくてい)」という値段は”足軽レベル”の料亭があって、僕ら以外の5〜6部屋も団塊の世代風な中高年以上の人々が、集まっていた。僕は今熱海に居住している馬場さん(東撮の元監督)と雪舞う梅園の風情を楽しんだ後、入り口付近のその料亭に入って行った訳だが「よ〜っ」と右手の10名ぐらいの老人グループに声をかけられたが、よく見ると僕らのグループじゃあない、呼ぶ方も呼ばれて一歩部屋に入る方も呆けと老眼で見分けが付かない。面子がちょっと違うようなので、おっとっと、と僕は踵(きびす)を返したが、あっちの老人たちも違うことに気づいたようで2,3人が済まなそうな顔色で僕を見送ってくれた。で、僕はその隣のちょっと大きな部屋に行き、ウチの面々を確認して安堵。さあ、映画老人たちの集いが始まる。

恒例で、僕らはこの30年間、年に一回は集まっているのだが(僕は不参加多い)、今日は、ハンガリーの首都ブダペストに2年間日本語教員また、日本映画紹介職員として東映引退後、公的な立場で行ってきた浅附さんの無事戻ってきた慰労会も兼ねていた。彼女は高田馬場のそういった学校で日本語教育を学んでいたときから、彼女の教育に掛ける熱意を知っていたので、もちろんハノイの当校に来ませんか、と誘ったこともあるが、早稲田の先輩でもあり、飛ぶ女である融通無碍な彼女に言下に断られていた。酒を飲みながら彼女の話では、彼女の言としては書かないけれど、大使館やJICAの連中との人間関係に非道く疲弊したようだった。

彼女の様な聡明な女性にズバズバいわれたであろう、そういった小役人連中にも同情しないでもないが、日本語教育のカリキュラムや手法から、日本映画のプログラム(彼女は映画のプロだし、現地の人に見せたい作品は、誰でも思う「黒沢映画」や「寅さん」や「ドラエモン」じゃあないのさ)まで、衝突しそうな課題が山ほどあっただろうと思う。海外での教育現場という意味では僕の環境と似ているから、大半は想像が付くね。彼女に比べると僕は気楽だね。公的なしがらみが全く無いからね。でも、現地の若者はみんな良い奴だし、頑張る青年たちが多いのはベトナム同様であったようなので、そこが救いであったろう。というより、顔と心はそっちの若者たちに向けて彼女らしいGOODな2年間過ごしてきたのだろう、と思う。

僕のブログ内検索で探してくれれば、過去記事がすぐ出てくるはずだが、この東映の東制労って、労働組合であったのだ。1970年、まだ学生運動の残滓がある高度成長期の最終段階の片隅に誕生した「非正規・契約社員」の映画労働者の組合であった。それも、社員化要求をせず、「契約者で有り続ける」という本来の労働者のあり方と労働の質を問うた、今となっては少々わかりにくいが、正社員になって安定の生活を求めるという有り様を根本から否定した13名(助監督9名、スクリプター1名、撮影助手2名、編集1名)で構成された(東映のテレビ番組製作部門の)労働組合であったのだった。

だから、結成後に日共が牛耳る東映社員の労組や映画・演劇労連と直ぐさま対立した。この一風変わったラジカル組合は東映の中では孤立していたわけでは無く、テレビ部門の僕たち同様に撮影所(映画製作)でも、同時に20数名の契約者が決起し、「東契労」と名乗っており、あらゆる活動は彼らと協同で果敢に闘ったのである。撮影所と僕らのいた製作所(テレビ番組)の正社員の演出部(監督や助監督)は、僕ら同様に非日本共産党の思想の持ち主が多く、正社員という立場を超越して、僕らに最後まで支援をし続けてくれた。今でも現役の監督である伊藤俊也さん(「女囚サソリ」「プライド・運命の瞬間」「ロストクライムー閃光」2010年)や、沢井信一郎さん(「野菊の墓」「Wの悲劇」「トラック野郎シリーズ」)たちである。

僕らの製作所(テレビ)の正社員監督は小松範任さん、舘野彰さん、堀長文さん、富田義治さん、杉野清史さんたちで、「キーハンター」「プレイガール」「柔道一直線」「刑事くん」「アイフル大作戦」などの多くは、彼らの作品である。僕が製作所に入所したのは1970年3月で、若輩の21才であった。社員の監督たちは、僕の一回り上であったので皆さん32〜35才であったろう。スタジオには、丹波哲郎さん、野際陽子さん、千葉チャン、谷隼人、川口浩さん、また、お姉こと沢たまき、緑魔子、桑原幸子、大信田礼子さんらもいた。桜木健一さんも、いたっけ。そういう中で、僕は1年間照明部を続けてやっていたが、小松さんと舘野さん、堀さんという、早稲田の三先輩の後押しがあって、71年助監督になり「プレイガール」の現場に付いた。この三氏には特に仕事の仕方を教えていただいた。映画技術だけでなく、「仕事をして生活をすること」の、つまり人生というものを学ぶことができたのだ。観念的な学生運動流でなくね。今でも僕の仕事の流儀はこのとき体得したモノだ、多くはね。本当に僕はラッキーであったのだ。この項つづく・・

■■で、映画「ソーシャルネットワーク」に付いて。映画は期待していってつまらない場合、本当に不幸だが、どうでも良いけれど、「まっ、一応見ておこう」程度で臨んで、まあまあであると、価値が上がるから、感情ってやつは、難しい。基準なんて無いも同然だね。この映画は、僕にとって”映画を見に行ったわけでなく”、Facebookを創設したマーク・ザッカーバーグって、どういう奴かを見に行っただけなのさ。一応、去年からFACEbookの会員だからね(ただ、かなりうるさいというか、面倒、だってさ、友達の友達から連絡がやたら来る仕掛けだから)。映画だから自伝でも、評伝でも、個人史のクロニクルでもないのはもちろん承知の上でのはなしですがね。

2ヶ月ぐらい前にテレビで彼はこう言っていた「本当の僕とちょっと違うし、大げさに事件が起きている」と言っていたが、まったく否定するでもなく、組織の分裂と訴訟の大波小波というものは、大体ああいうモノであったのでは無かろうかと、僕も身に染みておもうので、結構そのあたりに興味を持って見ることが出来た。スピーディーな展開は気持ちいいし、映画的な作法や技術はこの映画に何も求めず、彼の人となりと、人生一杯分のトラブルを数年で味わった体験だけ見たかっただけなので、その意味では気楽に鑑賞できた作品となった。でも、耳の運動神経が良くないと対応しにくいぐらい饒舌な展開だから、老人は要注意。

■「小さなお家」という童話の読み聞かせの主婦グループがかつて小平にあった・・・近々継続・・・

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