2011年1月31日月曜日

インスタントコーヒー / ハノイの大晦日

■貴志祐介の「新世界より」がもう一つの出来なのである。まだ160ページそこそこなのだ。つまり、まだ、3時間程度しか読んでいない。面白くなる予感がなかなかしてこない本は無慈悲にもだんだん読む機会が減らされるんだぜぃ。1000年後の日本の田舎にある超能力の学校、というか子供たちの話で、日本的、あるいは神道的なレギュレーションに拘束された社会で生活している訳ではあるが「ハリポタ」かあ?と嫌みの一つもいいたくなるシチュエーションだ。文体も特徴無く普通で新聞記者の様に明快だが「艶」が一滴も無い。だから、僕は死ぬまでに750冊しか読めない訳だが、読みながらこれが僕の厳粛な時限付きの読書量のなかの「上中下」3冊分となるのかと考えると、もう外しに掛かりたい気分なのだよ。

3時間本(三時間程度で読了可能な本)であった「電通とリクルート」も終わっている以上(参考になった論旨もあったがモスキート級の軽量通俗本)、ハノイでこの貴志本を途中で廃棄すると(ゴミ箱に捨てるような失礼な事はしないが、後日読まない本用の段ボールに納められる)、持ってきているのが大佛次郎「天皇の世紀」(文春文庫全12巻)の第5巻だけとなり、読書の刺激あるバリエーションが減じられそうで不安。こう書くとまさに僕の読書は脅迫観念的「狂想曲」になりつつあるように思えるでしょう?ふふふのふ。「天皇の世紀 第四巻」の470ページを1月22日に読んでいるようだから、500ページ超の第四巻を終え、第五巻の23ページまでしか進んでないので、これもスピード落ちているね。あ、そうか、この間、仕事以外はビデオ三昧であったことの影響かな。

■■文化の遷移という滔々とした時間の流れの中では、上流の優れた文化やそれを担っている芸術家や文学者、技術者などに対して、下流側からの下流のもつ作法や技術の転移というものはあるのだろうか。文化史の構造としては上から下にの一つの流れに見えるけれど、上流からの文化の伝達者で下流と交差する最先端にいて具体的に労働し、生産している前衛者たちの周辺では上流も下流もなく混在し、移り行く豊穣な時世のなかで止揚され、新たな「知」が生起していく様は、何処の世界史にも在るんじゃあないだろうか。たとえで言うとね、飛鳥時代や奈良時代に遣唐使であった日本一の秀才阿倍仲麻呂さんに、中国で漢学、世界史、政治、科学を教えた当時の中国の「教師」たちに、我らが秀才が与えた影響というのは何であったのだろうかと言うことなんだ。実は僕らが思う以上に多大にあって、深く交差したのではないか。
その基本の下で、我々は漢字や儒教、仏教など日本文化の背骨にあたる知識を中国から学び得てきた。つまり。、一方的に流れてきたと言うわけではないのさ、きっと。生物でも物理の世界でも浸透して行くということは、一方的に流れ進むと言うことでなく「来る方も受ける方も変質しながら、流れやすい環境を作り進行していく」ようだ。日本に馴染みやすく双方共に変質しながら、漢字や儒教は抵抗を減少させながら、移植され新しい知識として芽吹いてきた。つまり遷移だ。


以降1500年以上経た今日、我が日本は、マンガ、アニメ、「かわいい」とか「クールJAPAN」を始め、工業技術から農業技術まで、大きな影響を中国や中国人に与えている訳だがそう考えると、瞬時に情報が世界中に伝播するが、理解し混じり合い生成して新しい物が生まれていくために必要な時間など全く一顧だにされず捨象されていく現在、異なる物との混在だけは無限に量産されてゆく。融合に必要な時間という基盤がまるで空洞のままの文化、否文化と言うより未成熟なままで性急な捏和混練(ねつかこんれん)の空間だけが形成されていく様な気がする。融合し止揚されて行かないと文化と言えないものね。なんと表するのか。

で、嗜好も一つの文化だから、敢えて言いますと最近極めてドラスティックに変化した僕の「文化」があった。ベトナムの影響でさ。笑わないでくださいよ。何十年とコーヒー大好きの末席に居る一人として、1950年代から浸透してきたインスタントコーヒーなど、大人になってこの40年間口にして来たことがなかった。客先で出されても、体よくお断りなどしたものだ。だよねえ、ご同輩!ネッスルだとかあいつらをコーヒーと認めてこなかったもの。それがだよ、それが、何とインスタントコーヒーが好きになってしまったので、御座候(ござそうろう)。

■■ハノイは正月の準備で慌ただしい。本日は実は大晦日、つまり、2月2日だ。まあ、朝からブオンさんは、大忙し。早朝市場での買い出しから始まり、親類縁者の子供たちへのお年玉、親へのお年玉の準備まで、日本と相当に似ているね。日本は親へは贈らないと思うけれど。そうこうするうちにブオンの家からそう遠くない所にあるブオンの実家で宴席が待っていると言うのでタクシーで駆けつけた。そういうところがベトナム式だ。ブオンもさっき聞いたらしい。去年もその前も元旦にやったはずなのに、「いきなりの変更」だ、いつものね(笑い)。ブオンの一家は74,5才の父、62才の母(僕と同じ年齢だぜ)、と四人姉妹なのさ。父は経理畑のかなりのかつて高官で、ベトナム戦争が終結したあと、石油省で会計・経理のトップだったらしいので、黒塗りの乗用車が役所から与えられて居たらしい。もちろん運転手付きで、ブオンら子供たちはTET期間中だけそれに乗ることが出来て有頂天であったことを聞いた。だから、現在の石油の総元締めの国営企業PETRO社グループの元会長や現会長は、仲間であり、部下だったらしい。凄いんだなこの親父。

義母も経理畑の出身だ。従って、長女のディエップも現在、そのペトログループの何処かの経理部の職員だ。彼女はたいした器量よしじゃあないけれど(このブログ読めないからね言いました)、彼女の旦那が格好いいんだ。職場結婚らしい。彼は若いときの宍戸錠というか、それに竹野内豊と本木雅弘あたりをミックスしたナイスガイの40才なのだ。大抵正月にあうので、印象はいつも黒い革ジャンで決めている風情。経理部門の人物とは全く思えない役者顔なのさ。自信から来るのだろうか、だから仕草も落ち着いているし、ちょっと足が不自由な義父などにもきちんと親切に振る舞える力量も持ち合わせている。僕は大好きさ。次女が我がブオンで、かなり気の毒な半生も歩んでいるので、書きたいがここではハノイ貿易大学と国民経済大の二つを出て、会計士だと言うことだけ記して、それ以外はおいおいということにして、三女のザンは、美人だがややエキセントリックで、英語しゃべる水道関係の小役人の旦那をいつも翻弄している。僕にはいつも愛想が良いのが嬉しいやね。四女は30才のほっそりボーイッシュ美人の建築家ホアだ。ドイツに行っている恋人をあきらめ、2年前同僚の年下と結ばれて、すでに子供もいる。ブオンと4年前に出会って、ブオンが一等最初に引き合わせた親族がブオンと仲の良いこの妹のホアだ。

さて、宴会は父方の親戚とかとそれぞれの子供が合計で7,8人入り乱れてのいつもの大騒ぎの進行だ。蒸し鶏、焼き鳥、ブオンの母の絶品のミエン、定番揚げ春巻き、海老揚げ、ハムに近い「牛のゾー」とか、豚肉と脂身とかをミルフィーユ状にゼラチンで固めた「豚ゾー」とか、ソーセージ状のナムチュン、おなじみのバナナの皮でくるんだ餅米おこわというか、ちまきのバインチュン、サラダに、ブンマン麺のタケノコの具だけの汁物とか、お新香関係とか、何があったかなあ、大分忘れたけれど、毎年パターンは正月だから同じだね。先祖へのお供えと同時に日本のおせち(お節の)料理と同じで、保存食的な意味合いもありそうで、葉っぱの包み物も多い。で、今回はいきなり「蛇酒」が出た。日本人の僕を歓迎しての(でも、このTET宴会は今年で三回目かな)サプライズかな、と思った僕は、「こいつは凄い、ガンがん行こう」と日本語ではしゃいで合わせた。ブオンが多分通訳したので、盛り上がったね。と言うことで、日本じゃあ普通の2月2日火曜日のお昼から夕方まで、ビールと安ワインと、ウオッカと、この蛇姫のお酒で、僕もベトナム人さ。

喧噪って、ベトナム人のために生まれた言葉かも知れないね。子供も含んで20人ばかりの自宅での宴会なのに騒音度が普通じゃあないんだ。誰かがうるさいから、大声にならざるを得ないんだろうけれど、結局全員がディスコのフロアの状態で話す、あの自分の声が自分の耳に届かないけれど、負けずに話すあの状態なんだよ。でも、僕は基本的に話せないので、愛嬌と酒の振る舞いで数時間をやり過ごすしかなく、それじゃあその喧噪に打ち勝てないので、がぶ飲みしかないさね。後半には、明日元旦に「絞められ、さばかれる」予定の鶏君が台所から宴席に乱入のおまけもついて、悲壮な鶏の抵抗も明るい正月笑いを呼んで幕となった。このよう宴会が元旦は父親の長男系の家で、これも恒例だし、ブオンの友人たちの自宅やスタッフの自宅のも入れて今週5回はあるらしい。手持ちの常備薬の「大正漢方胃腸薬」がもう切れそうだぜ。

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