2010年12月3日金曜日

50年前のアンドロイド

■アンドロイド。何となく語呂が良く、未来がイメージできる様な言葉だ。ご存じのようにアンドロイドはグーグルの携帯用の新プラットホームだ。リナックスと同様のオープンソースなので、グーグルは、無料でアプリ各社に解放している。ハノイでも、アンドロイドのアプリ開発の会社も増えたようだ。SKYPEも使える様だから、通信の環境はより「無料化」に向かって進展してゆくだろう。このアンドロイドを導入した「au」の幹部もインタビューで、今後通信は無料になるだろうといいきっているし、トレンドはその無料の方向で大きく確実に歩み出したといえる。そういうインターネット・通信世界の怒濤の流れは、やはりマイクロソフトのビジネスモデルを既に過去のものにしつつあるね。

アンドロイドの広告は、あのレディーガガだ。中高年の皆さんも駅や車両のポスターで見かけるやや怪しげ、と言うより病的にさえ見受けられ、ちょっと硬質のソバージュのヘアーの女性のあの写真だ。目に隈ができていて、それは何か秘密めいている。「解禁」という文字もポスターに刻印されており、これは「通信がスカイプに依ってすべて無料になる」という今までの常識からの解放を暗示しているようだ。彼女はもともと1960年代末からイギリスで生起したグラムロック系の流れのアーチストでもあるので、このアンドロイドの広告はインターネットの原点であるヒッピー黎明の思想を垣間見せるコンセプトでまとめている様だ。ガガの化粧は60年代の平凡パンチなど当時の尖ったメディアにいろいろ登場した「思索する女」「闘う女」「飛ぶ女」「解放された女」の系譜をたぐり寄せ演出しているかのようだ。最近の「女子」とは、真反対の位置にある女性のイメージである。だから、僕のような60才代には、好みだし、理解もできる格好良さである。ああいうイメージの女子大生は、当時早稲田とか多摩美、武蔵美、日大の江古田あたりにわんさか居たものだ。

だからアンドロイドの言葉自体に懐かしさもある。僕は小学校高学年でこのANDROIDを知っていたからね。アンドロイドはヒューマノイド、ロボイドなどの造語と共に手塚先生の「鉄腕アトム」と、横山光輝さんの「鉄人28号」で既に登場していた。だから、ちょうど50年前ということになるね。これを読んでいるご同輩は「そうそう、覚えているよ」という人が多いに違いない。人造人間を意味するアンドロイドは音も意味合いも、インパクトがあるうえに記憶に残りやすい音声の構成になっている。一番多感な小学校の時に出会った、今となっては「懐かしき未来」。僕の記憶の海の底で静かに眠っていた言葉である。

■だんだん本を読むスピードと意欲が減退している様な気がする。半年前のこのブログで人生を終えるまで本をあと何冊読めるかをざっと計算したことがあった。そのときの基礎数字を年100冊とした。ここが大間違いだなあと最近とみに感じ始めた。昔は年に200〜300冊の本を約40年間買いまくり続けてきたとおもう。でも、今と違うのは本は読む本とは限らず、見る本もたくさん買っていた。多いのは美術書、建築書、写真集などが。また、たまにしか使用しないのだが、参考本、事典類も随分買った。また、買ったはいいが、意外につまらないので、うち捨てた状態のままの本も少なくない。目次とラストの解説ぐらいで放棄した本だ。従って、心してほぼ読了してきたのは、年100〜150冊位なのだろうか。

であれば、今後読む本は老人の僕にとって年間100冊で在るわけがないので、基礎数字を大幅に見直すことが必要であろう。最近はお金がないので、美術本、画集、書道書、写真集などは、全然買えないし、参考の本も買っていない。お金がもったいないものね。妻が生きていたときは、「しおこりもなく余計な本」を買ってしかられたものだった。いまごろ、晃子(てるこ)のいうことを聞いても遅いのだが、ともかく、現在は読む本しか買わない事に徹している。まあ、年に40冊だろうなあと、大幅に基礎数字を削減するね。また、今後何年生きるかだね。また、本を両手に持って、読書できる肉体をいつまで維持できるか。iPad等を使うようになるかもしれないが、もっと老人用に軽量になるとありがたいな。それはそうと計算する。一応、いきなり死ぬかもしれないが、元気さがまあまあ維持できれば、20年後の82才まで読み続けられると想定したい。であれば、40冊×15年=600冊、で、77才以降、量を減らして・・・24冊×5年=120冊。

ふむふむ・・というより、まいったなあ、というほか無い。この大事な人生で、人生あと僅か720冊しか読めないんだとさ。非道いなあ、神も予想以上に無慈悲だ。ほんとかよ〜、って感じです。目の前真っ暗くらだぜ。前は1500冊ぐらいの予想で、それでも、愕然ときて、読書の対象をもう日本の古典や名著といわれる作品だけにせざるを得ないと覚悟したわけだが、720じゃあ、どうすればいいのか。とんと見当がつかない。で、そろそろと思い昨日「天皇の世紀」の第五巻、第六巻を買った。これは12巻もの故、やっと、半分。で古典に絞らざるを得ないと思っても現代人もなかなかな著作を世に送ってくるので、また、幾つか、馬場あたりで、何冊か買ってしまった。「ヌーベルバーグの時代」(紀伊国屋書店)、書店をパトロール中にタイトルで衝動買い。本の装丁で買ったしまった。で帰ってから見ると、あれれれ似たような本が前も何冊か買っていたし、データ中心のもので、ちょっとしくじった。内田樹「武道的思考」(筑摩書房)の新「筑摩選書」の第一冊目だ。期待して買った。この新しい筑摩の選書シリーズは期待できる。筑摩はやはり流石だぜ。玄侑さんの「荘子と遊ぶ」、橋本治の「日本芸能史」、多木浩二さん「暴力論」、松井孝典さん「地球学的環境論」、池田晴彦さん「生きているとはどういうことか」とか、刺激的な本の予定リストが並んでいる。多木さん、松井さんは、かつて仕事でご一緒した方である。松井さんのは題名が貧相だね、彼らしくない。

東浩紀「日本的想像力の未来・・クールJAPANの可能性」(NHKブックス)、長谷川三千子さん「日本語の哲学へ」(筑摩新書)、フランスガリマール社の翻訳もの「フェリーニ」(祥伝社)、村山斉「宇宙は何でできているのか」(幻冬舎新書)、柳瀬尚紀「日本語ほど面白いものはない」(新潮社)も購入した。東さんのは、俊英の日本人論を読みたくて。偉大な映画監督フェデリコ・フェリーニの関連本は、自伝も含め結構持っているが、今回も何となく手が出てしまった。それの版元の「祥伝社」はかつて最悪雑誌「微笑」を出していたはず。ちょっと方向を変えたのかな。長谷川さんのは、読み始めた。和辻哲郎と対峙した展開で、魅惑的だ。東大のIPMUの初代所長村山さんの素粒子の知識にわくわく、これは新聞広告見ていて予定して買った。柳瀬本は、これは予定外だが、小学生との対話は僕の目線を引きつけた。さあ、早くも古典と名著だけで突っ走るとの決意も無理のようだ。

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