2014年3月9日日曜日

友人の死の報を聞いて

80年代から90年に掛けての大きな仕事で二つもご一緒した、正確に言うと、僕を二度もお誘いしてくれた方が、まだ若いのに病気で亡くなられたと先日聞いて、驚きそしてかなりめいってしまった。仕事上の「同志」であるので、学生時代の友人の死とは、全く違う思いとなった。彼は文京区の春日通りに代々居られた江戸っ子の方だが、何故か東北大学を出られ、新日鉄に入られ、そこで、僕と仕事した。実は、もう何年も会っていなかったが、その後ドイツのSAP社に転出されていたと思う。元はと言えば、元日鉄商事の「ひーさん」こと日高さんが、僕を福岡の「スペースワールド」の企画者、ディレクターとして、担当者の根本勝則さんへ紹介していただいたことに始まる。ご縁と一言で言ってしまうと簡単すぎる、特別な繋がりを今更ながら感じている。

根本勝則さん

僕の弔意です。
八幡の多くのスペースを割いた大型アミューズメント「スペースワールド」、特に中核施設「宇宙博物館」の企画と実施まで、新日鉄側の担当者であった根本さんと僕とでやりましたね。80年代後半だったでしょうか。

ワシントンのスミソニアン博物館やフロリダのケネディー宇宙基地に行って価値あるロケットなど宇宙関係の展示物を買ったり、お借りして来ましたね。根本さんのあのドスのきいた解りやすい英語が武器となって、アメリカから、予想以上の良いものが手に入りました。副館長のドクターとも友人になりあの「エノラゲイ」機もこっそり倉庫で見せてもらいました。
この「エノラ・・てなに?」と僕に聞いたこと昨日のように覚えて居ます。
僕ら40歳代の華々しい仕事の一つであったと思います。

続いて、90年代に日高さんの招請と根本さんのダブル招請で、はせがわ様のベトナム進出プロジェクトに参加させていただきました。
まさに光栄な事でした。このお誘いで僕の人生の後半はベトナムで仕事をする事になりました。根本さんとの出会いは、実は僕の人生に大きな岐路と「NEXT」を与えてくださったのでした。
根本さん、本当にありがとうございました。

それにしても64才かい?
早すぎるんじゃあないの。とても残念です。が、まあ遠くない時期に静寂な環境の中でまたお会いできることでしょう。そのとき、ゆっくり語り合いましょう。

奥様、深いお悲しみの中におられることでしょう。私も妻を亡くして本年で10年。悲しみは時間が一定程度解決してくれるようです。ご夫婦で仕事されたベトナムに、いつかおいでいただくのもいいかもしれませんね。
癒される何かが見つかることでしょう。
根本さん、本当にお疲れ様でした。また会おう。合掌。

2014年3月5日 ハノイ VCI 阿部正行

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