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2011年2月25日金曜日

「松嶋×町山の未公開映画を観る」東京MXテレビ局

■東京でテレビを見る機会が本年一気に減少している。1月、2月合計で、「在日」が10日ぐらいか。大好きなテレビがじっくり見られずホントに寂しい思いをしている。そんな環境でもたまに良い番組との出会いもある。前から、たまに見ていた東京mxテレビ。知らない人に言っておくが、都庁が金だしている「いいかげん」テレビ局で、僕の好みの局の一つさ。昔のテレビ東京もそうであったが、誰も見ていないテレビ局のプロデューサーはやりたいことが意外に可能なのだ。「どうせ、見ていないし(視聴率取れないし・・)、好きなようにやっちまおう」精神が結構遺憾なく発揮される。かつての「テレ東」の遅い時間帯は特に結構良かった。それに代わりつつあるのが、もっとマイナーな東京mxテレビだ。僕が知っているかぎり「マツコ・デラックス」は、ここでデビューしたはずだ。また、借金・浪費の女王の中村うさぎと、バカな男たちをばさばさ切って捨てる女流漫画家の倉田真由美(くらたま)がマツコとか司会の逸見(亡くなった逸見アナウンサーの息子)といい加減なことを言い合う番組とかが主力番組として存在していて、テレビの猥雑な本来のあり方を正統に踏襲しているのだ。言ってみれば、日テレの「11pm」とか、テレ朝の「トゥナイト」のB級的末裔かな。

■■その局の金曜日に「松嶋×町山の未公開映画を観る」という番組が在る。この2〜3年やっているかな。これが良いんですねえ。吉本の二人組女性芸人「オセロ」の小柄なほうの松嶋さんが司会の一人だ。僕は彼女のフアンです。天然バカで、無教養なのですから、破壊力が天下一品。何にも知らず全く遠慮がないので、言論の自由をいつも発揮しています。その彼女がアメリカ在住の映画評論家の町山智浩とおしゃべりしながら、もちろん町山が入手したヘンテコでたのもしい映画を紹介していく番組です。http://www.mikoukai.net/

先週は、「PRODIGALSON」というドキュメンタリー映画が紹介された。ある夫婦に子供が出来ないので、孤児院から養子をもらった。が、もらった矢先に念願の子供を授かってしまった。だから、同じ学年でふたり兄弟が出来てしまい、そのまま成長する。大分下に妹も出来た。もらいっ子は、デブで成績が悪く、いかつい雰囲気。申請上で弟になった実子は、ハンサムで成績が良く、高校時代のアメフットのキャプテンでモテモテの人物に成長した。で、実は映画は、ここから始まる。車に乗った二人の美女。ナレーションで、ハンサムな実子が女性転換をしていて、恋人の女性と性転換後初めて、実家に帰る道々だと言うことが解る。それも帰る切っ掛けは高校の同窓会に出席するからだという。凄いね。もちろん、同窓会だから、この実子の元のガールフレンド、クラスメイト、恩師とも会うことになるだろうし、「彼女」が特に気が重いのは、高校時代劣等感でがんじがらめになっていたもらいっ子の長男とも、この同窓会で女性となって初めて会うことになるからだ。

で、同窓会に「彼女」は登場する。好奇な視線が突き刺さってくる、駆け寄る昔の友人や元恋人、クラスの親友たちも・・・。性同一性障害は、もうアメリカでは自然なんだね。意外にあっさり受け入れられていく。でも、長男はそうはいかない。話はするものの打ち解けはしない。この映画の主人公は「彼女」で、彼女のナレーションで進行していく。長男はすでに自分はこの家の厄介者であり、実子ではないことを知っていて、少しずつ、自分の生い立ちを模索していたことが、語られる。彼は、少ない情報を頼りに、自分はどこから来たのか、自分とは一体何者なのか。苦悶し、探す旅は続いていた。このあたりから、主人公は自然とこの長男に移り始める。ある切っ掛けで、彼の本当の親と祖父が判明する。彼は、その両親と祖父・祖母の写真を見て驚愕する。写真に写っていたのはオーソンウエルズとスター女優のリタ・ヘイワースであったからであった。この長男は天才オーソンウエルズの孫であったのだ。長男の無骨な顔は、確かに若き日のオーソンウエルズそのものである。まさにドキュメンタリーな作品だ。

でも、どうやって撮影していったか、だ。多分女性になった次男は映画作家だろう。名も無き長男がウエルズの孫であったという事から、映画製作は予算化され制作に入ったはずだ。問題は、素人の総ての登場人物にやらせは不可能だし、あり得ない。結論の「驚き」から、映画製作が開始されたとすると、どうやって撮影したのだろうか。登場する素人たちに演技は期待できない。まさに記録の積み重ねで、話は進行し現場・現場の表情を自然に捉えているからね。不思議な製作過程と言えるなあ。でも天才の孫だ、彼はもう充分な演技派かな?
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・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2011年2月23日水曜日

★ エリン・ブロコビッチのハリウッド的

■日本での自分で作る僕の朝飯です。毎朝5時半前に起きて6時過ぎには、質素だけれど健全なこういう朝飯をきちんと食しています。僕が勝手に”日本のサラダ”と言ってる納豆・豆腐・わかめは大抵献立に入れています。この3点の写真は先週のある三日間の朝飯です。テーブルクロスの柄が大きくちょっと見にくいですね。女房晃子が亡くなって8年、いろいろ考えることが多いが、自分で食事を作る面白さに気づいたのが、何と言っても人生一番の驚きです。晃子は天上でどう思っているのかしら。昔は、食べるだけだったからね。でも、作り方のコツとか作法とかを台所で、彼女にときたま教えてもらったことを思い出す。
■お米はベトナムの餅米ネップ・カイに日本のササニシキの玄米を少し混ぜたもの。ささみ揚げとポテトサラダは、昨晩の残りもの。
■大根豚煮付けは大量に作ってあった。コロッケは昨晩の残り。お米はベトナムのコシヒカリ「バック・フン(訳せば北の香)」です。たまにはアサリのみそ汁で。
■ご飯は最高に旨いバック・フン。旨味は日本の最高級米と同格以上かも。秋刀魚の開き、美味そうでしょう?ゴマは体に良いので、実は何時もあちこちまぶす。

■いま、半藤一利さんの「あの戦争と日本人」(文藝春秋刊)を読んでいる。論旨が明快でさばきも痛快。以前読んだ彼の「昭和史」「昭和史 戦後編」もそうだが講演原稿に手を入れたものだから、取っつきやすい。その上、講演のトークなので、「受け狙い的な」サービスもあって、面白い。彼は、岩波でも、筑摩でも朝日でもなく菊池寛の文藝春秋社といういわば「右」の出版社で編集長になった人だけれど、彼の客観性というか執拗な実証に基づいた記述は立派。個人的な依怙贔屓(えこひき)や毛嫌い感の混在も時としてあるし、官僚と軍人の責任に対する厳しさ不足に左翼上がりの僕としては戸惑う時もあるが、全体的に江戸っ子的であっけらかんとしていて、潔ぎいい。継続して読んでいる大佛次郎「天皇の世紀 第五巻」(文春文庫全12巻)は、ちょとペースが落ちてるかも。この巻まだ50ページだものね。ただ、ややうんざりしていた勤王攘夷の時代から倒幕が明確になってきた時代に移行しつつあり、全く知らなかった歴史にふれている新鮮感がある。面白さはまた隆起してきそうだ。

また、カリフォルニア大学教授で東大の「数物連携宇宙研究機構 IPMU」初代機構長の村山斉の「宇宙は何で出来ているか」(幻冬舎新書)も並行して読んでいる。驚く事に宇宙についての、宇宙物理学に付いての人類の到達している知識は、この数年で大幅に変わったらしい。宇宙空間は何で出来ているのか。ほぼ真空状態などと考える30年前、40年前に高校や大学で物理で習ったことなど、ほとんど捨てて良い知識のようだぜ。何と宇宙の全体の23%は暗黒物質というもので出来ているらしいのだ。更に73%は宇宙が膨張しても「薄くならない」暗黒エネルギーというお化けな「物」で構成されているというのだから解らない。その他の微少な%は星と銀河、さらにニュートリノなんだそうだ。ふむふむ。イメージ化出来ない物が多すぎるけれども、だんだん解ったような気分になれるとことが、何と言っても白眉の本だ。

東京外語大学学長の亀山郁夫さん翻訳のドストエフスキー「悪霊1」(光文社文庫全三巻)がやっと出たので早速購入して末尾の「読書ガイド」だけ我慢できずに読んだ。一昨年、亀山翻訳ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(光文社文庫全五巻)と同じく「罪と罰」(全三巻)も読み通したのは、どうしても40年前、つまり20才のころ没頭して読んだ作品を亀山訳で読みたく念じていたからだ。このブログの2008年11月18日にも書いた。当時「カラマーゾフの兄弟」を”塀の内側”にいる間に何とか読みこなそうと考えて、友人に差し入れてもらったが、有名「大審問官」章に届かぬ前の一巻の途中で撃沈させられていたのだ。でも、そのとき、一気に読めたのがこの「悪霊」であったのだ。借りた本であったので、江川卓訳か米川正夫訳か定かではない。けれども空恐ろしいそして美しい青年の人間としての磁力に魅せられた。人間の複雑さを多分初めて教えてくれた本だと思う。読んだ場所が場所だから、より身に染みた。

■■NHKのBSで、先日ジュリア・ロバーツの「エリン・ブロコビッチ」を観た。やっぱり、ハリウッド的映画の最高傑作の中の一つじゃあないかな。劇場で、また、DVDで観ているので3回目のはず。3回見ても、良い物は良い。映画的な面白要素をふんだんに持ってるからだろうね。昔、「少年ジャンプ」誌が、老舗の少年サンデーと少年マガジンを抜いて毎週650万冊販売に到達していた80年代、そのような天晴れなマーケティング的編集は、三つの要素に収斂して作家に書いてもらっていたと言う。それはね、「友情」と「努力」と「勝利」だそうで、言われてみれば身も蓋もなくサラリーマンの感性とおなじだ〜と思うが、当時の名物編集長が述懐した著作に詠ってあった。でもさあ、人はこういう標語に極めて弱い所があるね。多才で俊英な作家たちを奮い立たせて、新境地を開拓させる訳だが、友情、努力、勝利って、実はシンプルに捉えて目的化させられれば、これ以上解りやすいプロパガンダはない。この三要素が日本の80年代のお宅たちも巻き込んで毎週650万部発行という途轍もないハリケーンエネルギーを発生させたのであった。

では、ハリウッド的要素って何だろうか。ちょっと並べてみるか。1:アクション=暴力、2:セックス(セクシー)、3:ヒューマニティー(博愛)、4:愛=恋愛、5:冒険、6:ファンタジー、7:ミステリー、8:ユーモア=笑い、9:恐怖、10:勧善懲悪、11:ゴージャス=華麗、12:美男美女、13:ハッピーエンド、14:社会性=正義、15:母性=家庭、16:男の友情、17:戦争(戦闘)=革命・・あとなんだろうなあ〜。並べてみたが、同列に並べて良い要素なのかも解らない物もあるね。では、ちょっとはまり具合をテストしてみよう。

まず、大御所「007シリーズ」でテスト。やっぱー、「1」と「2」と「10」と「11」と「12」か・・。ハリウッド要素のオールスターだね。最近ので、見てみよう。J・キャメロンの「アバター」はどうかな。「3」「6」「14」と「4」もかな。さて、「エリン・ブロコビッチ」はどうだろうか。何と言っても僕大好きのジュリア・ロバーツの「2」。豊満なおっぱいと、ミニから飛び出た御御足(おみあし)だァ。「8」「14」と「15」。当然だね。「3」のヒューマニティーと「13」のハッピーエンドの扱い難しいね、基本的映画の構成要素といえるからね。まてよ、世界の映画ってハッピーエンドは、どうなのだろうかな。よく考えると意外に多くはないのかも知れない。アメリカ的楽観主義の権化がハリウッド的「ハッピーエンド」だとするとさ、実は「幸福な終わり方」は特殊なのかしら。

ハリウッドは今も昔も、泣かせるポイント、感動で身震いさせるポイントもその要素を何処でどのように組み合わせるか、どの順番で構成するか、シノプシスを書き出す段階で「感動の事業計画」を算出してる。いまでは、コンピュータ管理されているはずだ。観客の心理というだけでなく、皮膚の裏側あたりにある「生理」的な感情をも感動に昇華させるノウハウを確立させている。一種のマネージメントテクノロジーであり、マーケティングだ。もちろん「仕込みの計算」通りには行かないのが映画や演劇だし、頭からこういうことをしない世界の手作り映画人も多い。

ハリウッドの名作というと・・僕の評価で挙げれば「キングコング」「駅馬車」「シェーン」「博士の異常な愛情」「荒野の七人」「荒野の決闘」「市民ケーン」「真昼の決闘」「80日間世界一周」「イージーライダー」「狼たちの午後」「俺たちに明日はない」「真夜中のカーボーイ」「スケアクロウ」「明日に向かって撃て」「パララックスビュー」「カッコーの巣の上で」「逃亡地帯」「バットマン」・・・・あれれ、あとなんだっけなあ。すらすらっと50位は書き出さないとね〜。完全に記憶力失ってるね。映画事典みないと思い出さない・・さて、今から授業だ。土曜日(本日26日)だが特別授業って奴さ。と言うことで半日後、映画事典見ながら、「ハリウッド作品」の(僕の主観的)名画のみリストアップしてみた。順番とか、未整理。

「チャップリンの黄金時代」「ベンハー」「怒りの葡萄」「イブの総て」「エデンの東」「ウエストサイド物語」「ローマの休日」「マッシュ」「卒業」「サウンドオブミュージック」「ロッキー1」「ゴッドファーザー1」「タクシードライバー」「2001年宇宙の旅」「アニーホール」「ボギー、俺も男だ」「7月4日に生まれて」「ブレードランナー」「レッズ」「未知との遭遇」「スターウオーズシリーズ」「「ミシシッピーバーニング」「サルバドル」「ホテルニューハンプシャー」「フィールドオブドリーム」「アマデウス」「プラトーン」「シンドラーのリスト」「ロードオブザリング シリーズ」「ダンスオブウルブス」「JFK」「ザ・プレーヤー」「モーターサイクルダイアリーズ」・・・英米合作とかは、純粋ハリウッドでないので外し、また「ボーリングフォーコロンバイン」などマイケル・ムーアの作品もハリウッドと言えないので外したつもりだけれど、上記50本に、純粋ハリウッドでない作品が一部混在しているかもね。しかし、50本だと穴だらけで、名作の一部だけしか拾えない事もはっきりするね。

で、エリン・ブロコビッチ。上記に重要構成要素を書き出したが、やっぱし、スチーブン・ソダーバーグ監督の思想の御旗が屹立している映画だ。言うまでも無く彼は「セックスと嘘とビデオテープ」「チェ 28才の革命」などの今やアメリカを代表する監督だ。「エレン・・」映画としての完成度が高い名画だと思う。オリバー・ストーン(プラトーンなどベトナム戦争三部作、JFKなど)も、アーサー・ペン(小さな巨人、逃亡地帯、俺たちに明日はない、など)、ロバート・アルトマン(パララックス・ビュー、マッシュ、ザ・プレイヤーなど)、製作やプロデューサーも多いウォーレン・ベイティ(レッズ)もそうだね。明確に己の思想を社会に問うている。ハリウッド的要素は技術の問題だが、その前にアメリカの自浄的チャレンジ精神が発揮されているものも少なくない。

アメリカの病巣を果敢に切開してきた監督やプロデューサーは彼ら以外にもたくさんいる。ハリウッドは国家に楯突く「反戦」や「革命」、そして「大統領の陰謀や暗殺」まで堂々と製作して来た。それを考えると日本の映画会社の「小心ぶり」は本当に非道いなあ。ハリウッドは単に社会派とか言うような陳腐なことでなく、「売れるなら、革命も売る」精神だから嬉しくなる訳よ。娯楽として、プロパガンダとして、記録として、ハリウッドは名画を生産して来た。夢工場だね。「夢工場」は僕の尊敬する東映時代の先輩のやまさき十三が作った言葉だぜ。さてさて、これ書いている内に僕の見た名画1000本とか、まとめる作業も何時かしてみたくなってきた。そういえば、息子だったか娘が大学の頃、お節介であったが「僕のお奨め名画100選」リストを作って見せたことがあった。
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2011年2月21日月曜日

★ 日刊工業新聞の「主張」欄に阿部の『海外広報の出遅れ』という原稿が出ています。

■2月21日の日刊工業新聞の「主張」欄です。新聞画面をクリックしますと、拡大画面になり、読める文字サイズになります。また、この2倍ほどの文字量の原文がこのブログの2009年12月19日「本気に理解を求める」にあります。よろしければ、そちらもご高覧ください。21日当日、経済産業省政策関係幹部の方から、僕の趣旨について好意的な連絡を早速いただきました。阿部

2011年2月12日土曜日

映画「ソーシャルネットワーク」ふむふむ

■写真は2月11日小石川後楽園の「雪と梅の花の絵図」。毎年恒例で、今年も東映の元「東制労」の者中心に関係者が20名ほど集った。

 《映画「ソーシャルネットワーク」は、下方に記述してある。》
■元東映・東制労の面々が、11日恒例の小石川後楽園に集まった。元徳川家の屋敷跡で梅の庭園で有名な旧跡だ。我々の東映東制労の戦いが終わって30年以上経たので、集う人々も完全に老人だね。その徳川庭園の中には「涵徳亭(かんとくてい)」という値段は”足軽レベル”の料亭があって、僕ら以外の5〜6部屋も団塊の世代風な中高年以上の人々が、集まっていた。僕は今熱海に居住している馬場さん(東撮の元監督)と雪舞う梅園の風情を楽しんだ後、入り口付近のその料亭に入って行った訳だが「よ〜っ」と右手の10名ぐらいの老人グループに声をかけられたが、よく見ると僕らのグループじゃあない、呼ぶ方も呼ばれて一歩部屋に入る方も呆けと老眼で見分けが付かない。面子がちょっと違うようなので、おっとっと、と僕は踵(きびす)を返したが、あっちの老人たちも違うことに気づいたようで2,3人が済まなそうな顔色で僕を見送ってくれた。で、僕はその隣のちょっと大きな部屋に行き、ウチの面々を確認して安堵。さあ、映画老人たちの集いが始まる。

恒例で、僕らはこの30年間、年に一回は集まっているのだが(僕は不参加多い)、今日は、ハンガリーの首都ブダペストに2年間日本語教員また、日本映画紹介職員として東映引退後、公的な立場で行ってきた浅附さんの無事戻ってきた慰労会も兼ねていた。彼女は高田馬場のそういった学校で日本語教育を学んでいたときから、彼女の教育に掛ける熱意を知っていたので、もちろんハノイの当校に来ませんか、と誘ったこともあるが、早稲田の先輩でもあり、飛ぶ女である融通無碍な彼女に言下に断られていた。酒を飲みながら彼女の話では、彼女の言としては書かないけれど、大使館やJICAの連中との人間関係に非道く疲弊したようだった。

彼女の様な聡明な女性にズバズバいわれたであろう、そういった小役人連中にも同情しないでもないが、日本語教育のカリキュラムや手法から、日本映画のプログラム(彼女は映画のプロだし、現地の人に見せたい作品は、誰でも思う「黒沢映画」や「寅さん」や「ドラエモン」じゃあないのさ)まで、衝突しそうな課題が山ほどあっただろうと思う。海外での教育現場という意味では僕の環境と似ているから、大半は想像が付くね。彼女に比べると僕は気楽だね。公的なしがらみが全く無いからね。でも、現地の若者はみんな良い奴だし、頑張る青年たちが多いのはベトナム同様であったようなので、そこが救いであったろう。というより、顔と心はそっちの若者たちに向けて彼女らしいGOODな2年間過ごしてきたのだろう、と思う。

僕のブログ内検索で探してくれれば、過去記事がすぐ出てくるはずだが、この東映の東制労って、労働組合であったのだ。1970年、まだ学生運動の残滓がある高度成長期の最終段階の片隅に誕生した「非正規・契約社員」の映画労働者の組合であった。それも、社員化要求をせず、「契約者で有り続ける」という本来の労働者のあり方と労働の質を問うた、今となっては少々わかりにくいが、正社員になって安定の生活を求めるという有り様を根本から否定した13名(助監督9名、スクリプター1名、撮影助手2名、編集1名)で構成された(東映のテレビ番組製作部門の)労働組合であったのだった。

だから、結成後に日共が牛耳る東映社員の労組や映画・演劇労連と直ぐさま対立した。この一風変わったラジカル組合は東映の中では孤立していたわけでは無く、テレビ部門の僕たち同様に撮影所(映画製作)でも、同時に20数名の契約者が決起し、「東契労」と名乗っており、あらゆる活動は彼らと協同で果敢に闘ったのである。撮影所と僕らのいた製作所(テレビ番組)の正社員の演出部(監督や助監督)は、僕ら同様に非日本共産党の思想の持ち主が多く、正社員という立場を超越して、僕らに最後まで支援をし続けてくれた。今でも現役の監督である伊藤俊也さん(「女囚サソリ」「プライド・運命の瞬間」「ロストクライムー閃光」2010年)や、沢井信一郎さん(「野菊の墓」「Wの悲劇」「トラック野郎シリーズ」)たちである。

僕らの製作所(テレビ)の正社員監督は小松範任さん、舘野彰さん、堀長文さん、富田義治さん、杉野清史さんたちで、「キーハンター」「プレイガール」「柔道一直線」「刑事くん」「アイフル大作戦」などの多くは、彼らの作品である。僕が製作所に入所したのは1970年3月で、若輩の21才であった。社員の監督たちは、僕の一回り上であったので皆さん32〜35才であったろう。スタジオには、丹波哲郎さん、野際陽子さん、千葉チャン、谷隼人、川口浩さん、また、お姉こと沢たまき、緑魔子、桑原幸子、大信田礼子さんらもいた。桜木健一さんも、いたっけ。そういう中で、僕は1年間照明部を続けてやっていたが、小松さんと舘野さん、堀さんという、早稲田の三先輩の後押しがあって、71年助監督になり「プレイガール」の現場に付いた。この三氏には特に仕事の仕方を教えていただいた。映画技術だけでなく、「仕事をして生活をすること」の、つまり人生というものを学ぶことができたのだ。観念的な学生運動流でなくね。今でも僕の仕事の流儀はこのとき体得したモノだ、多くはね。本当に僕はラッキーであったのだ。この項つづく・・

■■で、映画「ソーシャルネットワーク」に付いて。映画は期待していってつまらない場合、本当に不幸だが、どうでも良いけれど、「まっ、一応見ておこう」程度で臨んで、まあまあであると、価値が上がるから、感情ってやつは、難しい。基準なんて無いも同然だね。この映画は、僕にとって”映画を見に行ったわけでなく”、Facebookを創設したマーク・ザッカーバーグって、どういう奴かを見に行っただけなのさ。一応、去年からFACEbookの会員だからね(ただ、かなりうるさいというか、面倒、だってさ、友達の友達から連絡がやたら来る仕掛けだから)。映画だから自伝でも、評伝でも、個人史のクロニクルでもないのはもちろん承知の上でのはなしですがね。

2ヶ月ぐらい前にテレビで彼はこう言っていた「本当の僕とちょっと違うし、大げさに事件が起きている」と言っていたが、まったく否定するでもなく、組織の分裂と訴訟の大波小波というものは、大体ああいうモノであったのでは無かろうかと、僕も身に染みておもうので、結構そのあたりに興味を持って見ることが出来た。スピーディーな展開は気持ちいいし、映画的な作法や技術はこの映画に何も求めず、彼の人となりと、人生一杯分のトラブルを数年で味わった体験だけ見たかっただけなので、その意味では気楽に鑑賞できた作品となった。でも、耳の運動神経が良くないと対応しにくいぐらい饒舌な展開だから、老人は要注意。

■「小さなお家」という童話の読み聞かせの主婦グループがかつて小平にあった・・・近々継続・・・

2011年2月11日金曜日

廃道大好き

 タオ先生の「技術者教育」授業の一コマです。

■廃道の探索と出会いが好きな女が多いらしい。今時の「女子会」とは、まるっき対局の女性たちがまだまだ生息しているのがホッとする。解るわかる、いや、良い趣味だねえ。NHKのBSを見ていたら、廃道を探る快感に囚われてしまったある女性(OL、齢30ぐらい)のレポートをやっていた。直ぐさま画面の進行に親近感が湧いた。多分「熱中なんとか」と言う番組だね。彼女は、忙しい仕事の合間をみて、図書館などでじっくり地図を眺める。新しい地図には廃道なんかの記載があるはずないので、彼女は明治時代あたりの古い地図と、最近の地図を見比べながら、今や忘れられている昔の街道や朽ちたり埋まってしまった隧道(トンネル)などを求めて、乙女の胸をワクワクさせて現場に向かう。

でも、愛しい人にはすぐに会いに行かず、まずは村や町の役所に聞き取りに行ったり、古老にインタビューしたりしながら徐々に身体を興奮させ、いよいよ現場というか「彼というか王子様」に向かうという前技たっぷりのやり手のテクなので、僕は見ていて嬉しくなるね。「NHKのカメラが無ければ、2,3時間ここに佇むんだけれど」と盛んにカメラを遠ざけたい意向しばしば。哀惜のエクスタシー楽しむには、テレビカメラは邪魔って物だよね、確かにね無粋だ。

でも、ちょっと驚いたのは、「廃道」の専門誌もあるようだし、と言うことは雑誌の常識で毎号2万冊は売れていないとね。だから、好き者が結構居るということだ。「鉄道廃線」や「廃ビル」、「廃駅」の写真集は僕も見たことがあるし、前にも書いた「工場萌え」の写真集も僕は好きなんだ。インターネット上にもう使われていない「廃WEBサイト」は、いくらも見たことがあるが、廃道や廃線の様な哀愁やかつての栄華を誇った廃ビルの放つ時間の光芒というか、様々な人が存在し生活していた記憶の染みが、オンライン上には無い。だから、彼女の熱中は、WEB上で何でも解決していこうとする若い人へのアンチテーゼの様だね。

思い出に浸ったりするには頬を伝わる風の感覚や草い切れなどの臭いがないと、成立しない。また、遠くからやっと聞こえる町の喧噪音とかね。無数の電子の激流で編まれた無臭で無音のグローバルネット上に、僕らの思いの記憶は残滓すらないだろう、ということか。廃道娘のこだわりに感激。30才ぐらいの息子は山登りとか、ワンゲル好きで夫婦揃ってあちこちよく行ってるようだ。34才の編集者の娘は、写真マニアかな。なにせ、30年前、天才写真家アラーキーにだっこされた貴重な経験あるからね、で、まあ魂は写真道にね。

■さて、演歌というか、歌謡曲が好きになってきたのである。それも民謡系というか、三橋三智也である。つづく・・
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旧正月(TET)写真《2》

 ■1月28日の当校スタッフの忘年会にて
 ■ブオンの家の玄関先のお供え
 ■僕の部屋のお供えの金魚3匹
 ■5階の僕の部屋のお供え。お餅は、僕が洒落で持って行ったもの。
 ■TETの散歩中のブオンとリンの母娘

2011年2月5日土曜日

ハノイの旧正月(テト)写真アラカルト

■本年2011の旧正月(TET テト)の元旦は2月3日でした。本校は1月29日土曜から、2月6日月曜まで、正月休みでした。この一連の写真は、そのころの風物誌のほんの一部の写真です。

 ■上の写真はブオンの家の旧正月のお供え。現金も見えますね。
 ■ブオンの実家のお供え。凄いね。
 ■ブオンの家のお花飾りの一つ
■ブオンの実家の大晦日の宴会のご馳走。サラダや海老の唐揚げとか蒸し鶏などがあるね。
 
 ■バインチュン、ゾー、春巻きなどが見えます。
 ■ベトナムは車座でいただきます。
■大晦日の準備。紙製の金赤や偽紙幣、ドル札などが、この後すぐ燃やされ献納される。

2011年1月31日月曜日

インスタントコーヒー / ハノイの大晦日

■貴志祐介の「新世界より」がもう一つの出来なのである。まだ160ページそこそこなのだ。つまり、まだ、3時間程度しか読んでいない。面白くなる予感がなかなかしてこない本は無慈悲にもだんだん読む機会が減らされるんだぜぃ。1000年後の日本の田舎にある超能力の学校、というか子供たちの話で、日本的、あるいは神道的なレギュレーションに拘束された社会で生活している訳ではあるが「ハリポタ」かあ?と嫌みの一つもいいたくなるシチュエーションだ。文体も特徴無く普通で新聞記者の様に明快だが「艶」が一滴も無い。だから、僕は死ぬまでに750冊しか読めない訳だが、読みながらこれが僕の厳粛な時限付きの読書量のなかの「上中下」3冊分となるのかと考えると、もう外しに掛かりたい気分なのだよ。

3時間本(三時間程度で読了可能な本)であった「電通とリクルート」も終わっている以上(参考になった論旨もあったがモスキート級の軽量通俗本)、ハノイでこの貴志本を途中で廃棄すると(ゴミ箱に捨てるような失礼な事はしないが、後日読まない本用の段ボールに納められる)、持ってきているのが大佛次郎「天皇の世紀」(文春文庫全12巻)の第5巻だけとなり、読書の刺激あるバリエーションが減じられそうで不安。こう書くとまさに僕の読書は脅迫観念的「狂想曲」になりつつあるように思えるでしょう?ふふふのふ。「天皇の世紀 第四巻」の470ページを1月22日に読んでいるようだから、500ページ超の第四巻を終え、第五巻の23ページまでしか進んでないので、これもスピード落ちているね。あ、そうか、この間、仕事以外はビデオ三昧であったことの影響かな。

■■文化の遷移という滔々とした時間の流れの中では、上流の優れた文化やそれを担っている芸術家や文学者、技術者などに対して、下流側からの下流のもつ作法や技術の転移というものはあるのだろうか。文化史の構造としては上から下にの一つの流れに見えるけれど、上流からの文化の伝達者で下流と交差する最先端にいて具体的に労働し、生産している前衛者たちの周辺では上流も下流もなく混在し、移り行く豊穣な時世のなかで止揚され、新たな「知」が生起していく様は、何処の世界史にも在るんじゃあないだろうか。たとえで言うとね、飛鳥時代や奈良時代に遣唐使であった日本一の秀才阿倍仲麻呂さんに、中国で漢学、世界史、政治、科学を教えた当時の中国の「教師」たちに、我らが秀才が与えた影響というのは何であったのだろうかと言うことなんだ。実は僕らが思う以上に多大にあって、深く交差したのではないか。
その基本の下で、我々は漢字や儒教、仏教など日本文化の背骨にあたる知識を中国から学び得てきた。つまり。、一方的に流れてきたと言うわけではないのさ、きっと。生物でも物理の世界でも浸透して行くということは、一方的に流れ進むと言うことでなく「来る方も受ける方も変質しながら、流れやすい環境を作り進行していく」ようだ。日本に馴染みやすく双方共に変質しながら、漢字や儒教は抵抗を減少させながら、移植され新しい知識として芽吹いてきた。つまり遷移だ。


以降1500年以上経た今日、我が日本は、マンガ、アニメ、「かわいい」とか「クールJAPAN」を始め、工業技術から農業技術まで、大きな影響を中国や中国人に与えている訳だがそう考えると、瞬時に情報が世界中に伝播するが、理解し混じり合い生成して新しい物が生まれていくために必要な時間など全く一顧だにされず捨象されていく現在、異なる物との混在だけは無限に量産されてゆく。融合に必要な時間という基盤がまるで空洞のままの文化、否文化と言うより未成熟なままで性急な捏和混練(ねつかこんれん)の空間だけが形成されていく様な気がする。融合し止揚されて行かないと文化と言えないものね。なんと表するのか。

で、嗜好も一つの文化だから、敢えて言いますと最近極めてドラスティックに変化した僕の「文化」があった。ベトナムの影響でさ。笑わないでくださいよ。何十年とコーヒー大好きの末席に居る一人として、1950年代から浸透してきたインスタントコーヒーなど、大人になってこの40年間口にして来たことがなかった。客先で出されても、体よくお断りなどしたものだ。だよねえ、ご同輩!ネッスルだとかあいつらをコーヒーと認めてこなかったもの。それがだよ、それが、何とインスタントコーヒーが好きになってしまったので、御座候(ござそうろう)。

■■ハノイは正月の準備で慌ただしい。本日は実は大晦日、つまり、2月2日だ。まあ、朝からブオンさんは、大忙し。早朝市場での買い出しから始まり、親類縁者の子供たちへのお年玉、親へのお年玉の準備まで、日本と相当に似ているね。日本は親へは贈らないと思うけれど。そうこうするうちにブオンの家からそう遠くない所にあるブオンの実家で宴席が待っていると言うのでタクシーで駆けつけた。そういうところがベトナム式だ。ブオンもさっき聞いたらしい。去年もその前も元旦にやったはずなのに、「いきなりの変更」だ、いつものね(笑い)。ブオンの一家は74,5才の父、62才の母(僕と同じ年齢だぜ)、と四人姉妹なのさ。父は経理畑のかなりのかつて高官で、ベトナム戦争が終結したあと、石油省で会計・経理のトップだったらしいので、黒塗りの乗用車が役所から与えられて居たらしい。もちろん運転手付きで、ブオンら子供たちはTET期間中だけそれに乗ることが出来て有頂天であったことを聞いた。だから、現在の石油の総元締めの国営企業PETRO社グループの元会長や現会長は、仲間であり、部下だったらしい。凄いんだなこの親父。

義母も経理畑の出身だ。従って、長女のディエップも現在、そのペトログループの何処かの経理部の職員だ。彼女はたいした器量よしじゃあないけれど(このブログ読めないからね言いました)、彼女の旦那が格好いいんだ。職場結婚らしい。彼は若いときの宍戸錠というか、それに竹野内豊と本木雅弘あたりをミックスしたナイスガイの40才なのだ。大抵正月にあうので、印象はいつも黒い革ジャンで決めている風情。経理部門の人物とは全く思えない役者顔なのさ。自信から来るのだろうか、だから仕草も落ち着いているし、ちょっと足が不自由な義父などにもきちんと親切に振る舞える力量も持ち合わせている。僕は大好きさ。次女が我がブオンで、かなり気の毒な半生も歩んでいるので、書きたいがここではハノイ貿易大学と国民経済大の二つを出て、会計士だと言うことだけ記して、それ以外はおいおいということにして、三女のザンは、美人だがややエキセントリックで、英語しゃべる水道関係の小役人の旦那をいつも翻弄している。僕にはいつも愛想が良いのが嬉しいやね。四女は30才のほっそりボーイッシュ美人の建築家ホアだ。ドイツに行っている恋人をあきらめ、2年前同僚の年下と結ばれて、すでに子供もいる。ブオンと4年前に出会って、ブオンが一等最初に引き合わせた親族がブオンと仲の良いこの妹のホアだ。

さて、宴会は父方の親戚とかとそれぞれの子供が合計で7,8人入り乱れてのいつもの大騒ぎの進行だ。蒸し鶏、焼き鳥、ブオンの母の絶品のミエン、定番揚げ春巻き、海老揚げ、ハムに近い「牛のゾー」とか、豚肉と脂身とかをミルフィーユ状にゼラチンで固めた「豚ゾー」とか、ソーセージ状のナムチュン、おなじみのバナナの皮でくるんだ餅米おこわというか、ちまきのバインチュン、サラダに、ブンマン麺のタケノコの具だけの汁物とか、お新香関係とか、何があったかなあ、大分忘れたけれど、毎年パターンは正月だから同じだね。先祖へのお供えと同時に日本のおせち(お節の)料理と同じで、保存食的な意味合いもありそうで、葉っぱの包み物も多い。で、今回はいきなり「蛇酒」が出た。日本人の僕を歓迎しての(でも、このTET宴会は今年で三回目かな)サプライズかな、と思った僕は、「こいつは凄い、ガンがん行こう」と日本語ではしゃいで合わせた。ブオンが多分通訳したので、盛り上がったね。と言うことで、日本じゃあ普通の2月2日火曜日のお昼から夕方まで、ビールと安ワインと、ウオッカと、この蛇姫のお酒で、僕もベトナム人さ。

喧噪って、ベトナム人のために生まれた言葉かも知れないね。子供も含んで20人ばかりの自宅での宴会なのに騒音度が普通じゃあないんだ。誰かがうるさいから、大声にならざるを得ないんだろうけれど、結局全員がディスコのフロアの状態で話す、あの自分の声が自分の耳に届かないけれど、負けずに話すあの状態なんだよ。でも、僕は基本的に話せないので、愛嬌と酒の振る舞いで数時間をやり過ごすしかなく、それじゃあその喧噪に打ち勝てないので、がぶ飲みしかないさね。後半には、明日元旦に「絞められ、さばかれる」予定の鶏君が台所から宴席に乱入のおまけもついて、悲壮な鶏の抵抗も明るい正月笑いを呼んで幕となった。このよう宴会が元旦は父親の長男系の家で、これも恒例だし、ブオンの友人たちの自宅やスタッフの自宅のも入れて今週5回はあるらしい。手持ちの常備薬の「大正漢方胃腸薬」がもう切れそうだぜ。

2011年1月29日土曜日

古典映画をハノイのテトで / 僕たちの界隈(2)

■前にも賞賛したことがあるが、300円とか500円で古典映画DVD買える時代はありがたい。先日もハノイに来る直前に見ていないめぼしいモノを買ってみた。小津さんの「戸田家の兄妹」(1941年制作)、「お茶漬けの味」(1952年)、溝口健二監督の「武蔵野夫人」(1951年)、レニ・リーフェンシュタール監督の「意志の勝利」(1934年)、また、D.W.グリフィスの「国民の創世」(1915年)と「イントレランス」(1916年)の二連作、「望郷」(1937年)、「大いなる幻影」(1937年)。ハノイのTET(旧正月)の暇なときに見ようと思ってね。一昨日「戸田家の兄妹」見た。僕らが戦後の大船調として感じている一連の小津安二郎監督の作品、例えば「麦秋」「晩春」「東京物語」「秋刀魚の味」の基礎編と思えばいいかな。小津さんは1930年代、40年代と戦時中だろうと毎年数本の多作を松竹から送り出している。だから、戦前、戦時下の作品と戦後の作品の実は転換期すらなく連綿として、多くの大船調の中核をなす小品を作り出している。

溝口の「武蔵野夫人」は原作が大岡昇平だ。長尺の俯瞰からの移動カメラとか、溝口監督らしい作りっぷりだ。でも映画の芸術性の特有の時代性が、普遍性を減じているのが悔しいね。つまりだ、芸術作品って、どんな時代の風雪にもたえて、永遠に人々に影響を与える射程距離の長い普遍性を持った作品にあたえられる称号だが、映画芸術の持つ特性は時代を映すものであり、時代を超越しようとする芸術性との矛盾を抱えている。当たり前のことなのであるが、映画表現のどこかに時限性が伴走しており、他の芸術分野とは違う側面がある。

ベートーベンの曲もショパンも、オーネットコールマンも、チャーリーパーカーもまさに時代を超えて、今も、ストレートに僕らの心臓に刺激を与えられる普遍性を有している。ピカソやマチス、写楽や広重だって、今でも、まさに僕ら世界中の人々に当時の生のままで影響を与え続けている。文学も翻訳というフィルターを通すハンディーがあるにもかかわらず、世界中の古典文学から、今でも新鮮な普遍的な知的財産をいただいている。でも、僕らはかつて時代を画した芸術作品と言われる映画を鑑賞する際、極めて冷静に時代背景と技術水準を事前に知った上で、その製作の時代を配慮しながら古典として鑑賞せざるを得ない面が強い。映画は20世紀に登場した「複製という新しい表現:媒体」であるいう面と共に、評価の仕方も他の分野と違うのだろう。

「お茶漬けの味」見始めてすぐ、2,3度見たことを思いだしたが、また見た。いいねえ、大船調の絶頂期の作品の一つだ。わがままな妻と口数が少ない中年夫婦の倦怠と仲直りのまあどうでも良いたわいないホームドラマだ。佐分利信、木暮実千代、三宅邦子、鶴田浩二などが、若々しくて良いね。僕大好きさ。

「意志の勝利」。言わずと知れたレニ・リーフェンシュタールの傑作の一つだ。20年ぐらい前だろうか、池袋の西武美術館での彼女の特集展示に行ってみたことがあった。この映画はドイツナチス党の党大会のドキュメントで、ゲッペルスの指示の下にこの作品ほか一連のナチスの宣伝映画を製作したとして、美貌の女優でかつ天才的ドキュメンタリストになった彼女が第二次大戦後、迫害されたいわく付きの作品である。イタリアでは、ファシストの建築を中心にしたファシズム芸術が当時盛んであり(丹下さんの東京都庁ビルもそれっぽいね)、ナチスも「統一と服従の美しさ」「ギリシャの神々的な金髪と青い目への憧憬」「意志と肉体美」「荘厳さ」をプロパガンダとして大動員した。そのときの先兵がこの映画さ。

こういうのは日本人も昔から好きなんだよね。別に三島由紀夫さんだけでなく、僕らの肉体の一部に今でも、多分住み着いているある意味で自然な情感の一つだ。ナチスや北朝鮮の「美しい」行進を見ていると、人の心は不安定にされる。乱されると言った方が良いかな。ああいうものを排撃しなければいけないとする良識の知性と、でも「やっぱー気持ちいいね」とそれを認めようとするアンビバランツな心。十代後半から二十代前半までベトナム反戦闘争を激烈に体験した僕は、たまにハノイで見るベトナムの兵隊さんのばらつく行進に思わず微笑んでしまう方だねえ。

映画の父と言われるD.W.グリフィス監督の「国民の創生」と「イントレランス」のいわば二部作は超有名だし、特に二つ目は”イントレ”という映画業界の鉄骨台の業界用語も生んだ著名な巨作だ。昨日「国民の創生」を見た。サイレントでモノクロの3時間モノ。内容は南北戦争とクー・クラックス・クラン(あのおどろおどろしいKKKだ)の創生の話だ。リーンカーンの暗殺も英雄視した完全に奴隷解放阻止の南部の立場にたった内容で、人によっては全編見ずに途中で止めて”いろもの”というか際物の非道い作品だと言うだろうね。北軍が勝利し、黒人が南部で権力を持ち始め、白人を圧迫し横暴になってきたので、それを粉砕するために白人の郷土の有志が立ち上がったというストーリーだものね。

アフリカ系(つまり黒人)の登場人物は全員悪人か粗暴のバカどもという今じゃあ、到底出来ない凄さだ。日本人の僕としては初めての体験だし、まずは大いに驚いた。白馬にのったKKKの武装軍団が、白馬童子というか、月光仮面というか、悪いインディアンから助けてくれる騎兵隊よろしく、颯爽と現れて救難してくれると言うお話しが3時間続く。むむむ、だね。でも、何でも自由自在な視点で見る慣れもあるし、また世間の辛苦をがむしゃらに体得してきた僕としては「思想の耐性」が充分さ、こう言う手合いのでも面白く見れる。「ああ、そういう見方もあるんだねえ〜」とね。

■さっき、つまり30日夜、ハノイのスターチャンネルで「アリスinワンダーランド」があるというので、外食もそこそこに引き戻り家族揃ってテレビの前に座った。監督のティム・バートンは、ヤッパー天才だね。「シザーハンド」「バットマンシリーズ」「チャーリーとチョコレート工場」などの実績は現代最高の監督の一人といって良いだろう。実は僕、天井飛び抜け大天才監督のケンラッセルの正統の系譜がティムだと勝手に思っている。だってさ、誰かケンラッセルのあの映画超えた人いる?ミュージカル「トミー」を超えた作品作った人何人いるか〜。僕がいま、こうして言いたいのはさ、その「トミー」に大いに迫ったのがこの「アリス」なのだと言いたくて。本当にプロの仕事だね〜と唸らせてくれる。

興奮冷めないままに言うけれど、ジョニー・デップも良い。アリスの少女女優も最高。ホワイト王国の女王などは、当校のオフィスで仕事をしていて、昨秋NHK「かわいい」にでた美人のPHUONGさんそっくりで嬉しくなるし、奇天烈なキャラたちが、日本人に馴染みやすい身ぐるみ系なのも嬉しいのだ。トトロに出てくる「猫電車」キャラなどを堂々とパクッているのなど、愛嬌だよ。アメリカの人形キャラは「キャベツ人形」以来気持ち悪いのが多いからね。「不思議の国」っていいところだね〜。勧善懲悪がまだ健在だし、良い奴がたくさん出てくるし、悪い方もちゃんと改心してくれる。さあ、みんなで行ってみよう。僕たちの心の底にある懐かしい不思議な国にさ。

そういえば、音声が英語で、スーパーインポーズがベトナム語のこの映画を見ていて僕は映画の理解が全く不自由じゃあなかった。2時間というもの全くそれに気がつかなかったぜ。まったく、脳髄の中では言語を超越した最高の映画体験ができたよ。マルセル・マルタン「映画言語」(みすず書房)のタイトルそのものだ。生意気盛りの20才の頃読んだ印象深い本の一冊さ。映画は、画面から人類言語で語っているって。ともあれ、ブオンもリンも大いに笑い、楽しんだのが何よりで、年の瀬らしく、小さい幸せいただいた。

■僕たちのいるレータンギー界隈には、大小の食堂がある。チャーハンを主なメニューにしている店があり、2年ぐらい前まではでっぷり太ったゴッドマザーがお店を切り盛りしていたが、近年代替わりして、長男とその嫁さんの時代となった。その30才ぐらいの新店主が完全角刈りのヤーサンスタイルで、入れ墨も凛々しい。この若い店主は、どうもそのあたりの人気者のようで、ちょっと前まではチンピラで、結婚したので、母親から調理の修行受け、やっとこさ落ち着いたって口だと思うえる。いろんなTATOOの若いものがしょっちゅう食べに来ては、ビール飲んでたばこすスパスパさせては大声で悪ふざけして出て行く。彼が店頭で中華鍋でXAOっている(炒める)フォーやご飯を炒めている時間もひっきりなしに路上を通る元仲間とおぼしき連中からお声が掛かるんだ。たばこを口にくわえながら、連中に「おおーお前か、景気はどうだ?あの女と上手くやってるか」みたいなことを大声でやりとりしているので、大きな中華鍋に隠し味ならぬ唾と灰が適度にまじるってものさ。

ベトナムのこの手の食堂は日本の八百屋の「現金ザル」同様にくたびれた札でいっぱいの一斗缶や机の引き出しで、金の出し入れをおこうなっている。このお兄さん、母親と身重女房の隙をみて、たまにパパッと引き出しからたばこ代をくすねては、隣近所のインターネットカフェでくすぶってる連中とビールで乾杯。どうも中華鍋での炒めものは重労働だから、そっれ以外は、あとは、腹のでっかい女房にお任せのようだ。でも、牛うどん、鶏うどんなどを女房も奮戦して作っているが、旦那の中華鍋のさばきのチャーハンほどの味は出せていないようだ。

先日紹介した乞食のおっさんのそばでおこわを売ってる中年のおっさんがいる。2年ほど前から始めたと思う。可哀想にはじめはお客がてんで付かなかった。入れ墨した中年男が無粋な顔で無口に店張っても、日本と同じだね、食欲が湧かないのさ、いつもランニングシャツで汗かいてるし、手には健気にビニール製簡易手袋してはいるのだが、清潔感は生まれない。今年になったら何故かカウボーイハットを脂ぎった頭に召して、格好がいい。そして、2年もやるとお客もいつの間にか付くもので、僕も試しに去年秋、頼んでみた。例の良くある「するめ状」の豚肉をほぐしたモノを多めに乗せてくれと頼んでね。すると親父、結構物腰が柔らかく、ほかほかと湯気の出ている釜から、茶碗で掻き上げてすいすい手早く包んでくれた。で、旨かったよ。人は見てくれで、思い込んじゃあいけない典型的な例だが、この親父に売れるためのマーケティングの基礎編教えたくて教えたくて。いま、タイミング見ている(余計なお節介とは承知です)。

この界隈にはテントで覆われただけの市場もある。中は小さないろんな食堂がひしめいている。物販店に負けない数がある。ブンカ(揚げた魚をのっけてくれる丸麺うどん)も旨い店がある。在ると言っても、コンロと「ズンドー」大鍋の周りに簡易のプラスチックテーブルとお風呂によくある安手のプラスチック椅子を並べただけさ。だから、5,6店在るのだが、店の境目がはっきりしない。ブンチャの店もあって、小綺麗なネーチャンが切り盛りしてる。ベトナムの女はブオンもそうだが、30過ぎると怖いモノなしの面構えになる。この女店主も昔は「レディース」で浮き名をながして、神田の生まれよ、と啖呵切っていたような江戸前風情で、ブンチャの豚肉を七輪で焼いて、スープに瓜の薄切りをいれる製造過程から、客あしらいまで、一人でテキパキと回転させている。見ていて快感だ。客を客とは思わず親しげで、ブン麺を盛った皿など、客に命じて彼女から遠い客に手渡させたり、自由自在で八面六臂の活躍ぶりだ。そのうえ、彼女の愛用のジーンズが昔で言うヒップボーンなので、どっかり腰を下ろしている彼女を後ろから眺めるとジーンズがセクシーな大きめヒップに下方に引っ張られて、色とりどりのTバックが毎日拝めてしまうというサービス付きなのさ。美味しいだけじゃあないんだ。嬉しいね。

去年の今頃のブログにも書いたことだが、ベトナムの「師走」は、日本と違って、元旦の3,4日前から、故郷へ民族大移動が起こるので、「年末になるほど」街は閑散としてくる。本年の元旦は2月3日木曜だから、そろそろ、その兆候は出ているよ。オートバイの数がめっきり減ってきた。でも、その分スピード出すから、返って危険度は増してくるんだ。つづく・・

2011年1月23日日曜日

お笑いの山崎邦正がベトナムで・・

■最近ホーチミンに行くときに必ず泊まるのが「KYHOA」ホテルだ。KY(き)は植物とか木(き)の全体を現すらしいし、HOAはお花だ。だから、並べてどう訳すのか解らないけれど一応「木と花」ホテルと命名しておこう。この麗しい名前のホテルは今でも国営らしい。正面玄関最上階に赤旗が翩翻(へんぽん)とはためいている。通訳の女性に言わせると、律儀に国旗を掲揚している所は間違いなく国営か役所だという。僕はベトナムの何十という優良ホテルとか中級ホテルを体験している訳だが、このホテルは40ドルでリーズナブルな料金もありがたいが、前庭が広大でその余裕が特に嬉しい。オープンカフェレストランがその前庭の中に在って、そこが静寂で別世界を演出してくれているようで、僕のお気に入りなのだ。利益をあからさまに追求していない、超無駄な空間が今時「経済合理主義まっしぐらのベトナム」に厳然と在ると言うことが、嬉しくて特筆した訳なのだ。

このKYHOAホテル内で夕食は摂ったことないが、朝食は結婚式場となっている大型レストランでいただくシステムで、僕はいつもそこに朝食券を持って朝6時過ぎいそいそとそこの大げさなテーブルクロスの席に着く。着くといつも「すべり芸」の山崎邦正さんらしきフロアー長が、愛想良く現れ、若い者にテキパキ指示し、若い人を僕の席に向かわせる。とってもシステマチックでプロな動きが心地よい。彼は僕の好きなタレントの一人だ。間違いなくお笑いの吉本の中堅の芸人と言うより、ダウンタウンの「弟分」のヤマザキに間違いないのだが、なぜホーチミンくんだりでフロア長としてバイトしているのかは、定かでない。だから今日、本気で確かめたくて彼に「山崎さんですよね」と僕は意を決して聞いたのだった。彼は決して上品にならない笑顔をニタリと僕に提供して、オンビジネス風に口を開いて「ヴァン」と言ったような「Hai」とつぶやいたような。僕にはそんな風に聞こえた。売れっ子のお笑い芸人が身分を密かにしてこの中堅国営ホテルで、仕事をさせられていた。吉本興業もちょっと非道いんじゃあないかい。山崎邦正をさ、そこまで働かせるのかね。

そういえば兄貴分のダウンタウンの松ちゃんもハノイの結婚式場のモデルのバイトをさせられていたことがあった。ハノイの明治通りのようなもの凄い交通量のTRUNG通りとTON THAT TUNG通りの交差点に大きな結婚式場の巨大な看板が前からあり、その写真モデルとして天才松ちゃんは紛れもなく新郎の役柄で美女とポーズをとってモデルとして澄まして登場していたことがあった。僕はトップ屋として、これはいち早くスポーツ紙に情報提供せにゃいかんとその大看板の前をタクシーで通るたびに「あっカメラをまた忘れて」証拠写真を納めていないが、去年夏頃に写真が変えられ、ぺ・ヨンジュンのようなハンサム系の新郎写真になっている。残念で仕方がない。きちんと証拠写真を撮って、「日付けだけが正しく、記事はそうではない」東スポあたりの友人記者に送っていれば、相当な話題になったのにね。返す返すも残念無念。あんな超売れっ子でまで、ベトナムで仕事させているんだね、吉本ってちょっと凄いですね。

2011年1月15日土曜日

ベトナムのiPad / 工場萌え / 勤王攘夷 / 映画「ウオールストリート」

■先日半年ぶりにホーチミンシティーに行った。新しい学校の設立の用件で行ったのだが、ハノイとホーチミン間の約二時間のベトナム航空の中で、iPadの愛好者が、やたら目立った。特にハノイに戻る際に目立った。僕の席の前後両隣などご近所の席だけで、何と4台が稼働中であった。仕事風情の各2名、恋人とゲーム中が2名というか1台、映画をみているモデル風長身美人が1台の使用。全部ベトナム人だぜ。この幹線の飛行ルートは、この18年間何十回と行き来しているが、7,8年前までは日本人を含む外人の方が圧倒的に多かったわけだが、今はニューヨークとワシントンDCの「シャトル便」のごとく本数も大幅に増加した上、搭乗者の大半はベトナム人となった。この機上のベトナム人の増加データと経済活動の上昇との関係はベトナムの経済活動の重要な側面を推し量るための指数だね、掴(つか)みのね。それにしても、iPadは、人気だね。当校のNGOC部長も去年11月日本に来た時、ご主人へのおみやげに買っていったね。日本では、5万円前後と思うが、ベトナムでは800〜1000ドルのようだ。

■ところで本当は、本日22日。1週間の短い日本滞在を終え、あと二時間で成田に向け出発だ。今度はテトもふくみ、2月9日までのハノイ。テト中にダナンのリゾートに2,3日行く予定。さて、大佛次郎「天皇の世紀」(文春文庫全12巻)が、まだ第四巻の470ページだ、12月25日のブログで320ページであったので、150ページしか進んでいない。理由は幾つかある。実はちょっとうんざりなのだ。と言っても、大佛さんの大著にうんざりと言うことではないんだ。営々と続く攘夷の狂気の沙汰の時代的気分に、と言ったら良いだろうな。水戸から発したこの時代的気分は長州と薩摩という一大勢力を席巻して、京都に勢力を構え、江戸の征夷大将軍に対峙した。日和見な江戸と勤王攘夷の台風に呷られていく京都禁裏(天皇)勢力との図。更に、開国は当然視しながらも、攘夷を鼓舞する「生麦事件」をひきおこした薩摩と、狂信的長州の対立と協調など、現代の僕らからほとんど読み取れない精神構造が時代の暗渠に蠢いているかのごとくだ。それが、第四巻の後半に綿々と綴られているので、「おいおい、攘夷はもういいぜ」て気持ちが僅かだが起きてきたということさ。

その攘夷というモノの時代の気分の本質は何なのだろうか。辟易しながらも整理すると、攘夷という疾風は、外国の排撃というエネルギーより、時代の桎梏となった幕府への倒幕運動である面が強いのではないか。過去のモノになりつつある幕府の日和見と開国派が幾分多い事に端緒があるが、倒幕し勤王、尊皇としてもう一つの旗頭を抱えて次代を乗り切りたいという幻想が、尊皇攘夷という狂気を構成したのではないか。江戸中期まで、刀で人を切ると言うことが久しく無かった成熟した徳川の時代であったのに、桜田門外の変以降、何百人という人々が攘夷の勤王の志士といわれる浪人たちや薩摩と長州の過激派武士により惨殺された。英仏の外国人も含まれている。多くがナチスのユダヤ人狩りを彷彿とさせる不合理な論理の下でだ。禁裏というか京都御所も久しぶりの配下として「武装勢力」を浪人、志士にもとめ、長州や薩摩を引き入れつつ、江戸に対抗しようとした。このうねりを攘夷の運動のエンジンとみるべきなのだろう。で、間違いないことは尊皇攘夷のイデオロギーの大意の下、明治革命は王政復古として成立した。ただし攘夷は臆面もなく一気に180度切り替わり、開国と近代化に向かった。そして尊皇攘夷の薩長の暗殺者たちが、権力を握った。

幾分うんざりと言ったものの、凄いのはもろくも英国海軍に粉砕された長州と比較して、英国海軍の軍艦同士で白兵戦のような接近戦で大砲を撃ち合いまで出来た大国薩摩のパワーは、事情をあまり知らない現代人からすると驚きだ。江戸で勝海舟も海軍の養成所を作り始めていたが、英国やオランダから買い求めた軍艦や大砲、鉄砲を日本の船大工や鉄工鍛冶の職人たちは、見よう見まねで開発をすでにしつつあり、数年で対抗し得る武器を生産していたと言うのだから、そんな開発力というか、工夫の仕方は尋常じゃあなく、明治革命のイントロ部分として、産業社会の萌芽がまさに音を立てて胎動していたことを伺わせる。

で、どんどん読み進められないもう一つの理由は、貴志祐介「新世界より」(講談社文庫全三巻)を並行して読んでいるからかもしれない。こちら古文でも「候文(そうろうぶん)」でもないので、読みやすいというか、1時間もまともに読むと50〜60ページも読み飛ばせる。だから、そのスムーズさにやや快感を感じつつも、でも何か物足りなさも引きづりながら読み進めている。いまなぜ、これか、というと僕は「新世界より」というような「新しい世界」タイトルに弱いのだ。池澤夏樹の「すばらしき新世界」もタイトルで買った様な気がするね。これはなかなか良い物であった。ドボルザークの「新世界」も好きな曲だし(関係ないか・・)、「あたらしい・せかい」という未知で未来なものに惹かれる資質が僕の内部にあるのだろうね。井上ひさし「吉里吉里人」、村上龍「希望の国エクソダス」、武者小路実篤の「新しき村」もだね、J・オーエルの「1984年」もそうだし、スイフト「ガリバー旅行記」、トーマス・モアの「ユートピア」も同じ系譜かもしれないね。考えれば、この系列の著作は少なくない。新しい国作りの魅力って何か在るモノね。かつての新世界はアメリカであった。21世紀の後半の新世界はどこかしら。ネパール、チベット、ブータンあたりか、イスラム諸国か。また、「電通とリクルート」という俗っぽいのも並行して読み始めた。腰巻きに「欲望はいかに作られたのか」とある。リクルートで3,4年仕事をし、その後電通の下請的仕事も随分こなしてきた。多分、その欲望の一つや二つに僕も加担してきたので、見つめ直す意味で、衝動買いした。リクルート事件は電通が火をつけ拡大させたものだと当時まことしやかに語られていたものだが、さて・・。

■先日、BSで「工場萌え」のドキュメントをやっていた。なかなか興味深いね。重工業地帯のパイプとタンク、そして煙突と火柱など一大ページェントだ。夜見るだけじゃあなく、昼でもなにやら時代の血脈と内蔵を曝している工場たち。不気味ほど美しいね。20年前にパリのポンピドーセンターに行った時を思い起こせる。ポンピドーを建築したレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの発想も実は「工場萌え」だろう。甚く感動した僕は、当時の部下の女性2名が英国に行く際に、ロジャースのオフィスに行かせた記憶があるね。ともかく、会ってこいよ、とね。レンゾ・ピアノは関西空港の設計でも有名だ。驚くのは工場の見学ツアーだ。女性が多く、その見学への凝りようは並大抵じゃあないよ。多分、大友克洋の描く崩壊する世界にもこの工場という複雑で究極の美が、絶えず描かれているようにも思える、さてどうだろうか。

■本日、ホーチミンへ行く機上で「ウオールストリート」を見た。まあ面白かったね。社会派オリバー・ストーン監督らしいプロの作品だ。先日僕が貶した「ノルウェイの森」などは、これと比較すると素人作品に見えて来る。ハリウッドのプロは腕力があるのだ。ただ、厳密に言うと、ハリウッドのプロの計算され尽くしたシノプシスと演出を遺憾なく発揮していたということであって、良質な作品とは言い難い。これは、20年ほど前の同監督で同じ配役(マイケル・ダグラス主演)の「ウオール街」の続編だ。インサイダー取引で7〜8年刑務所に入っていたマイケル・ダグラス扮するヘッジファンドの雄ゲッコーが、人生を見つめて「金だけでない世界」に入りつつも、娘との関係修復が上手く行かず、また、リーマンショックの世界的混乱に乗じて天才的手腕を発揮し、娘の恋人すらたぶらかし、一気に戦線復帰する、という話だ。

かつての自分を裏切った精悍な部下チャリー・シーンが太っちゃって年もくって、友情出演風に1分間ほど変わらぬ業界であぶくな銭と戯れているシーンもあって笑わせる。しいて言えば父親と絶交している娘の恋人がやり手の証券マンであるとか、設定にちょっとなああ、という不整合も無いではない。映画ってラストシーンから、ストーリーや、シナリオが出来る場合もおおい訳ですが、この映画は、オリバーストーンがどう終わらせて良いか、決断が出せなかったようにも見える。畢竟、ゲッコーが最後に儲けた100億円で、娘とその青年とゲッコーという新家族が幸せに暮らしたとさ、でエンディング。字幕のバックの幸せ風景が嘘っぱちに見えるよな〜。エンディングで、映画の緻密さが急激にトーンダウンしている。オリバー・ストーンも老人呆けかい。ラジカル左翼の断固とした掘り下げが今回、特にラストで薄められている印象。マイケルダグラスは、ガンを抱えて撮影をしていたようだ。エンディングの不整合が、その影響であるのか無いのかは、僕には解らない。

2010年12月31日金曜日

映画「ノルウェイの森」の失態

■今日は大晦日だ。村上さんとベトナム人トラン・アン・ユン監督の作品だし松山ケンイチだしと思い、昨日のうちに席を珍しく予約してちょっと早めに一人で新宿に出た。30分ほど早めに着いたので何かお腹に入れておこうと思い立ち、何故か「桂花ラーメン」喰いたしという事を身体が思い出したようで、何十年ぶりか足早に行ってみた。本年春のニュースでは桂花は倒産の憂き目を見そうであったが、とある九州の企業が助太刀をしたという人情話が流されていたので、安心して新宿駅前店を訪ねてあの独特のスープを口に運んだ。僕は今から35年ぐらい前に、東映の監督の梶間俊一君に新宿三丁目店を紹介されてこの味を知った。当時は九州の豚骨スープ味系が東京で全く流布されていない時代で、普通の醤油ラーメン以外はサッポロ味噌ラーメンしかなかった。だから桂花の味は美味しかったが、美味しいという前に不思議な味わいに驚いた記憶がある。で、僕はそそくさと堅めの例の麺をかみ切りながら平らげて、新装のコンプレックス新宿松竹に向かった。

■僕は「青いパパイヤの香り」と「夏至」を見ていたので、小津さんの影響らしさとか、執拗なクローズアップの連続の独特さ等の美しさと画面の落ち着きを評価していたので、TRAN ANH HUNG監督に期待していた(ハノイ読みなら、チャン・アイン・フン)。
さて、言うまでも無い。プロデューサーの仕事の大半は観客に支持される映画作りになっているかどうかを判断する事だ。特に原作が村上文学だから簡単ではないが、この作品では鮮烈な時代的印象を残して「直子」は死ななければならない。でも、その「直子」に菊池凛子を選ばざるを得ないほど、日本の20才代の女優陣は誰もいないのだろうか。生死の意味を問う役柄なら蒼井優だって良いし、他にもいそうだ。ベトナム人の監督と仕事をするのはプロデューサーも大変であったろう。まあ、フランス人と言った方が良いかもしれないが。でもだよ、この映画のプロデューサーは、(誰だか知らないが)、あの・・「パパイアの青き香り」の「ユン監督」と仕事が出来るという事に引っ張られた感が強い。己の判断つまり、助演女優直子を誰にするかの重要な志向と判断の基準を何処に置いたのだろうか。ユン監督は当代随一のアーチストの一人だから、プロデューサーが妥協したのだろうか。僕から見るとプロデューサーが不在であった。決定的なミスをこの映画の制作者のトップ二人はしてしまったのだ。まあ、失態を曝してしまったということだ。

問題はそのキャスティングだけでは無い。性と性交に付いての言葉の使い方についてもだ。連射される性の言辞が臆面もなく露わで上手く包み込むものも無く、日本人には聞くに堪えないと思うほど頻繁に役者たちは言わせられているのだが、映像とまるでモンタージュされておらず、文学の文字上のイメージの交差の豊かさに比すると「大空振り」も良いところの無惨さなのだ。映像と台詞のすれ違いは想像力を喚起せず、見る者に苛立ちを投与してしまう。そんな苛立ちを美しい画面から投与される僕ら観客の身になって欲しいぜ。画像が全体的に美しく、バランス良く配列されて居る分だけ、僕らの期待は混乱する。シナリオはユン監督が書いたようだ。もちろんフランス語だろう。それを誰かフランス人の日本語翻訳者が翻訳し、それを日本人翻訳者がオリジナル台本を照合しながら、調整したと思われる。多分これの反対の作業の流れでは無いと思われるね。もし、この作業を反対の流れにしたなら「科白の言葉」が微妙にでも救われたかも、と思うのは僕だけじゃあないだろう。これも、プロデューサーのプロとしての勘と実行力だぜ。村上さんの1960年代後半の当時の早稲田の騒擾のキャンパスに対する位相がそうであるように、同時代者である僕らにとって「性」は重要なモーメントで在ったが、最も僕らの心情というか激情の周辺を囲んでいた要素はヒューマンな理想主義であり、世代的な焦燥感であり、世界性を獲得したいという想像力への出血や吐き気の伴う創造過程であった。

従って、「ワタナベ」を演ずる松山ケンイチの一つ一つの相貌と語り口調は、60年代的雰囲気を漂わせて好感がもてるが、全体像で見る「ワタナベ」は軽々さが妙に前に出ていて、村上さんのイメージとはズレが生じているはずだ。当たり前だが、映画と文学は別な作品であるので、村上さんはそのズレをズレと見ないように評価したかもしれないが、文学と映画を一体と把握し「ノルウェイの森」の意味を確かめたい普通の観客は助演女優のキャストミス、画像と言葉のモンタージュ未消化、松山ケンイチのズレた存在をどういう角度から捉えたらいいのか混乱させられ、仕方ないので敢えて画面中に無理しても意味を模索せざるを得ない気持ちにさせられているのではないだろうか。ただ、ユン監督らしい落ち着いた画面の構成は優としたい。また「緑」の新人水原希子は悪くない。玉山鉄二の永沢は良いポジションを確保しているのだがもっと強烈で不可思議にすべきであった。シャブロール監督の「いとこ同士」(1959年)の助演ジャン・クロード・ブリアリを想起して僕は永山を見ていた。最後に流れる字幕の「学生運動監修」とかいう項があり、そこに早稲田の友人の名前があって思わずプッと吹いたぜ。でも、彼はリアルな”時代考証”の映像化に結構寄与していたね。

何年かぶりに日本映画を劇場で見た。新宿松竹のガラスで出来たようなシネマコンプレックスに初めて入って戸惑った。チケットの買い方や持ち込みの飲食の仕方も随分と変化していた。入場の仕方もルールができている様で、途中からの入場も不可となっていた。僕などは昔から上映予定時間に行かず途中から見て約1回半みる楽しみ方をしていた口なので、なにやらオンタイムのみエスカレータに乗って運ばれ、決まった時間に退場させられるこの劇場に健全であかるいハリウッド映画に相応しい洗練ビジネスシステムだけが目につき滅入ってしまった。映画と劇場の持つ期待感と不安と、別世界に観客が惹かれてゆく闇の魔力がもはや消滅させられていたことに強く気づかされ、溜息をついてしまったということだ。今どきの劇場(小屋)の様を新宿松竹の透明感溢れた現代建築の中で味わされた今回の久しぶりの劇場行きであった。
■《ブログご高覧感謝》
僕の人気・ページビュー多いタイトルと日付け、紹介しておきます。
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・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2010年12月25日土曜日

★ 停電って、何だか心躍る / 乞食のおっさんのいる僕たちの界隈

■大佛次郎「天皇の世紀 文春文庫全十二巻」の第四巻130ページを読んでいたのが11月21日のブログに記してあるので、今日はまだまだの同巻の320ページだから、読書の進捗は低迷していたわけだ、この一ヶ月。勤王の志士たちの狂気のテロリズムと豹変志士の日本。尊皇攘夷のテロリストの一人である伊藤博文は開国派のイデオローグを斬り殺した経験もあった。でも、同時に文明の西洋にあこがれ、日本を離れたり、終には総理大臣になったりと、第二次世界大戦後1950年代「転向論」が鶴見俊輔や吉本隆明などによって論争があったが、幕末の志士が、文明開化に転向してゆく”自然さ”は、日本人論を構築する上で、一番のサンプルかもしれない。ともあれ、攘夷は狂気の台風として、武士階級だけでなく、一部の富裕町人階層も包含して、全土を吹き荒れた。

■停電って、結構わくわくするものだ。僕らが小学校低学年までのころ、つまり、1950年代は、日本で停電はさして珍しい事ではなかったね。子供の自分にとっては、停電は、夜に決まっていた。昼も在ったのだろうが、外で転がるように走りまくって遊んでいた僕らは気がつく術もなく、夜の遭遇が刺激があった。ラジオも消え、部屋中が真っ暗。すぐに、弟を脅かそうと、懐中電灯を顎から上に向かって照らして、フランケンシュタインを演じたりしたものだった。現代ほどではないが、煌々と部屋の団欒を照らしていた「マツダランプ」の常態が、いきなりいつもと違う「闇」に転ずるわけで、僕らガキたちにとって迷惑さは皆無で、いきなり劇場の舞台を与えられたごとくワクワクしたものだ。

この前、ハノイで、ベトナムのしょっちゅう起きる停電を汚い言葉で難じた正統なサラリーマンが居たので、鼻白んだことがあったが、僕らの国でも、停電は時々あった戦後の時期を彼は年齢的に知らないのだから仕方ないが、そういう己(ニッポン)の過去の環境ぐらい、想像できない頭の悪さを腹の虫の居所がたまたま悪かった僕は奴を罵倒した。あとで、やや反省したが、そういうちょっと前のニッポンが北朝鮮と同様な軍国主義であったとか、昭和20年代の荒廃の時代の日本は技術のぱくりと壊れやすい商品で一頃は世界中から、非難されていた歴史もあったとか、そういう40〜50年前のことぐらい、知識が無ければ想像力で補いやがれ!といったような、言わなかったような。

で、さっき、NHKのBSで「ニューヨークの停電」のドキュメントをやっていた。1968年とか77年とかの例の「出生率」向上したとか言う大停電とはちがって(結構多いね)、2003年の大停電の経験者たちのインタビュー中心のドキュメントだった。アメリカの明るいキャラもあって、どうもそのとき、ニューヨークの人々は、地下鉄もストップしたので、大変な迷惑を受けたに違いないが、それはそれとして、夏であったこともあって、オフィスに泊まってパーティーしたり、路上でバーベキューしたり、かなり、夜の暗さを単に楽しむだけでなく、非日常の人間関係を作り出し、結構事故を有効に使った人々が大勢いたことにハッとさせられた。アパートの住人同士の交流が出来たとか、長時間歩いて帰る途中に友人がたくさんできたとか、暗闇が意外なプレゼントを市民にくれていたようだ。我がベトナムでもレストランやピザハットとかで、僕も停電にかちあったことがあったが、その瞬間に悲鳴というより、「ヒャッホウ」と喜ぶ若者たちの歓喜の声が大抵、街中からわき起こる。暗ければ、つきあい始めの彼女に思い切ってキスの一つもしやすいのだろうし、次の展開に期待が生じるよね。

NYの若者が言っていた。「停電記念日」を作って、その日その時、電気に左右されない非日常を思い出し「不便さ」を楽しむ記念日を設けたらどうだろう、とね。なかなかまともな良い意見だね。特に日本人はこの10年、不便とか、合理的でない事を楽しむ人々というか、そういう気分が確実に醸造されているので、理解しやすい感覚だね、「停電の日」・・電気を使わない日の設置は面白いと思う。

■僕の居るハノイのレータンギーという地域は、東京でいえば、お茶の水界隈と言えるかもしれない。ハノイ工科大学やハノイ建築大学などが隣接しているいわば大学街なのである。カルチェラタンと言っても良いのだろう。学生街には安い食堂や本屋、「黒沢楽器店」とかパソコン屋がつきものだし、全く相似している。今からは想像ができないがそのお茶の水は明治や中大の、そして医科歯科大や日大の赤いへメットをかぶった社学同(ブント)を中心にした学生運動の一大拠点であり、新宿に次ぐ自由の天国のような若者たちの街であった。お茶の水の街にベトナム反戦闘争などの戦いが起きれば、すぐ飯田橋から白ヘルの法政の中核派の2000名が、本郷の東大や早稲田あたりからは青いヘルを被り武装した解放派や黒ヘルのノンセクトラジカル1000名の学生が一斉に駆けつけ、更に日大経済や文理などの全共闘の黒や銀、あるいはみどり色の戦闘部隊が数千名合流して、機動隊と対峙し戦闘を展開していた街であったのだ。

その上シンパやけしかけるサラリーマンやおっさんたちの群衆はすぐに万単位となり、機動隊を数の上でも凌駕する学生たちと市民のデモと隊列が出来ていたものだった。この極色彩のヘルメットの軍団の喧噪と騒擾は何かに突き動かされて、迷動していた幕末の尊皇攘夷の若者たちの武装した祝祭とどこか類似している様にも見える。大佛次郎「天皇の世紀」を読んでいると更にそう思う。心情は同位相なのだ。でも絶対の勤王と絶対の排外攘夷への衝動だけで自尽できる負のエネルギーに満ち満ちていた明治革命の第一段階の幕末と1960年代の僕らとは違いははっきりしている。

1960年代に起きた学生や若者たちの世界の反乱は個人のライフスタイルも、社会のシステムも、芸術の領域もパラダイムシフトしてゆく時代の、あらゆる世界性や都市性も含有していた。ベトナム戦争に反対するヒューマンな心情を僕たちは紛れもなく堅持していたものの、情報社会という魔物はテレビという堅牢なイデオロギー装置を市民社会に送り込み、あらゆるものを相対化してしまう「思考セオリー」を僕らの革命性の隣りに潜伏させたのだった。だから、僕らは若者としての想像力とポップな感性を肉体に搭載してはいたが、「何かが違う。こうではない!」という焦燥と体内に迸(ほとばし)っていたエネルギーを思想として止揚できず、結果次の時代からの回答をうまく得られず、70年代前半に無惨にも自壊し、霧消していった。結局、その後僕たちは高度資本主義のまっただ中で生きて、40年間働き続けてきた。
森田童子の歌に「みんな夢でありました」というのがある。

♪♪ あの時代は何だったのですか あのときめきは何だったのですか
みんな夢でありました みんな夢でありました
悲しいほどに ありのままの 君とぼくが ここにいる

ぼくはもう語らないだろう ぼくたちは歌わないだろう
みんな夢でありました みんな夢でありました
何もないけど ただひたむきな ぼくたちが 立っていた

キャンパス通りが炎と燃えた あれは雨の金曜日
みんな夢でありました みんな夢でありました
目を閉じれば 悲しい君の 笑い顔が 見えます

河岸の向こうにぼくたちがいる 風のなかにぼくたちがいる
みんな夢でありました みんな夢でありました
もう一度やりなおすなら どんな生き方が あるだろうか

で、話はレータンギーという街だ。僕の始終動いている界隈の或る路地に8月頃から、50才代と思われる乞食のおっさんが住み着き始めた。はじめの一週間は2メートルのばかりの道幅の片側の家屋の煉瓦壁に背もたれて座ってばかりいた。手持ちの家財道具もほとんど見あたらないので、はじめはその家のカカァに追い出された哀れな親父と思っていたが、10日もすると、2メートル幅の半分を占めた大きさに箱とか板きれなど組み立て始めていて、2週間ぐらいで僕がハノイに戻ったときは、いっぱしの小屋が建築されていた。日本のホームレスのおじさんの特許は青いビニールシートだが、彼は建築現場からいただいてきた青赤シート、昔海水浴で僕らが海に持って行ったそれだ、を器用に屋根や壁面に使用していて、きりっと締まった家屋に仕上がっている。もともと器用なベトナム人、家も建てればオートバイも直す。こんなビニール小屋など朝飯前ってものよ。彼がいつも背もたれしている壁の家の軒先は結構大きく、もともと、風雨をしのげる構造になっている。屋根など作らなくても良いのに、器用さともの作りの心が、屋根と天井までこさえてしまった。

僕は彼とお話ししたことはないが、いつもたいてい新聞や本を読むか、瞑想のように足を抱いて鎮座している。白髪に頬が痩けた面構え。彼は何者なのだろうか。不思議な事はどうも誰も立ち退きを迫ったり、追い出したりしていなそうだということだ。やはり、そこの家の親父なのかしら。日本の住宅街や商店街に一角に、路地とは言え、2メートル幅の路の半分を家にしてだよ。小屋を造る前に多分誰かが退散を迫るだろう。ポリスも来るだろう。でも、この4ヶ月見事に安泰なのである。「乞食」とは言え彼にも仕事がある。毎朝、側面の壁をお世話になっている家の玄関周りと周辺の道路を律儀にも掃き掃除しているのである。近隣と衝突を避け生き抜く彼の妙技なのであろうか。彼には彼の身を落とした何かの意志が見え「ホームレス」などという半端な形容はしたくないね。この項続く。