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2011年12月31日土曜日

おおい、2012は、どこにいくんかぁ?磐城平まで行くんか?

山村暮鳥の「雲」だね。懐かしいね。小学校の高学年の国語の時間に習った様な気がする。のんびりした印象だが、大抵そういう詩歌には、別な側面があるものだ。結核を病み、牧師の仕事も上手くいっていなかったようだから、その苦しさが、雲のゆっくりとした様を謳わせたのでしょう。僕等の2012は本当に何処に行こうとしているの?と言うことで、実は書いている今は4日朝ハノイなのであるが、今年こそ久方ぶりに元旦に映画を観ようと早稲田松竹に行った。

元旦に映画は、何年ぶりだろう。僕と晃子(てるこ)と、東映の東制労の仲間の岡本ちゃん(現在70才位の昔から仙人風な当時のカメラ助手)と3人で新宿歌舞伎町のオデオン座(だと思うが)に行きあのポール・マザースキー監督の「ハリーとトント」を見た。子供も一緒でなかったところをみると、36〜37年前なんだと思う。月日は驚くほど展開が速い。岡本ちゃんとは、久しぶりに一昨年、山本一成くんのお葬式と去年春2月の「梅見会」で会ったが、仙人はほとんど相貌に変わりようが無く、20才代で付き合っていた頃と全く同じで、衰えも老化も無いように見えたものだった。

名作「ハリーとトント」は、猫のトントと老人ハリーの友情の物語だ。心に残る名画ってこういう作品を言うのだろうと思う。と言うことで、元旦は30数年ぶりに名画を見た。小津さんの「東京暮色」。実は「東京物語」と二本立てなのであったが、「東京物語」は、DVDももってるし、去年秋かなNHKが最新のデジタル技術で「揺れ」や「雨」「傷」を見事に修正した作品をBSで見ていたしで、頭だけちょっと見ようと言うぐらいの気持ちで、朝から「東京暮色」だけを見に元旦で閑散としている早稲田通りの舗道をとぼとぼとリュック背負って歩いて行った。「暮色」は、小津作品にしては何時もと違いかなりの波乱があって、困惑させられる。2012年もこの分だと、大波乱もあるのかよ〜などと内なる声。


で、磐城平も、福島浜通り一帯の人々は、本当に大変だ。本当に非道い話だ。10ヶ月も過ぎたのに、東電の万死の大罪に値する厚顔な面々と、それを救おうというメガバンク。方針が全く出てこないどぜう野田。ストロンチウムもセシウムも、おおいに吸い込んだ真っ黒い雲よ。何処までいくんかあ。我らの大都会東京まで行けば良いと思う。ところでハリーとトントは、今どこですか?

寺山修司全歌集とか / 維新大好き男子会のつまらない共通項

いま、なぜか寺山修司が読みたくなっていた僕の身体。でも、全部読通したが、心晴れない僕の心。同時に例の「天皇の世紀 第六巻」をふらふらと,じっくり継続。でも、結構面白いのが渡辺京二の「逝きし世の面影」(平凡社)。幕末から、明治中期頃までの日本の姿を再現している。とっても刺激がある。が、彼の独特の文体がやや観念的に流れる場面もなくはなく、わかりにくい面が一部見える。岩波新書の森岡孝二という人の「就職とは何か」は、好著。仕事についての本質的なヒントにあふれている。が、後半、現状の就活批判がおおく、ありふれた「就活批判もの」にちょっとに堕した印象。残念。新潮社の新書「原発・正力・CIA」という実もふたもないというか、解答をタイトルで明け透けに伝えている判りやすい本も12月に読んだが、スラスラ本なので、1日で。東北大の教授の書いた物で、読売の社主正力松太郎が、つまり読売総力を挙げて原発をCIAと一体で、日本に売り込んだ様が、アメリカの資料に基づいて示されている。

実は、高校の一年か二年生の時に担任であった辺見裕先生(作家辺見庸さんの兄)が、なぜか授業で寺山の歌を披瀝した。「少女」「青い」「赤い」というような字句で構成された鮮烈な歌であったような記憶であった。それを探すのが、何となくこの何十年の僕に「小さな」課題であったので、だから、買って猛烈に歌を詠み歌った。でも、僕の記憶にある歌は出てきなかった。この「寺山修司全歌集」は、選集のようなものだそうで、ここにたまたま入っていない、きわめて特殊な出自の歌であったのかもしれず、かえって探す興味を深めた。・・・・今年中になんとか書かないとね。

■ 維新ものというか、幕末ものが、テレビや映画も席巻している。それは言うまでもなく、国民の諸君がいくら、善良で忍耐力が人一倍であっても、もう、いい加減にしてくれと言うことだろう。大阪の橋下のような、新鮮で強引な若い者が出現してくるとどっとマスコミは飛びつき、既成政党も様子見から、「ポチ」状態に。・・・・・・でも、どうも書く調子がでないなあ。書いているウチにばかばかしくなってきたと言うのが本当。つづきと書いて、一休みしてる項目が、ふえてきたなあ・・。現在2/7日、いやはや、中断がなふぁいね。すみません。何とか近日まとめます。阿部

2011年12月17日土曜日

無印良品とユニクロだけの質実なワンパタ生活とMade By Japaneseの時代認識

お金が無いのと、老人的面倒くささが、相まってこちとら、この10年ユニクロと無印良品の二社で衣服から、ベッド、布団、家具や小物、お土産まで、この2社で賄ってきたきた感じがするね。これに「ニトリ」あたりを加えたら完璧だね、たぶん。で、靴は当然ABCマートさ。この数年、ABCで年に1〜2回程度の履き物の買い物は全品ここで済ませてきた。間違いなく品質高い品物多いし、安価だ。ハッシューパピーとか、ポート何とか、コンバースだって、僕の好きな「チロリアンシューズ」だって、かなり安いんだもの。品質良くて、価格が低い。商品としてのポリシー全面展開。だれも文句つけられない生産と小売りだろう。素人の僕にそう見える。

もちろん、中国やバングラディッシュの生産現場での労働環境とか、材料や現地ビジネスでフェアトレードに近い形にキチンとなっているかなど、よく分からないけれど、期待はしたい。さて、無印良品は80年代の初頭、インテリ改革派西武デパートの「ノーブランド」ブランドとして、颯爽と世に出た。堤さんと友人のデザイナー故田中一光さんが、創案したモノだろう。華美や装飾を捨てる生き方の提唱だね。僕なんか鮮烈で嬉しくなって、大分買わされたものだ。でも、時代はバブリーな例の時代だし、僕の様なものでも、時代の雰囲気にほだされて、イタリア系のブレザーとか、靴なんか履いてさ、40才代の「語り部プランナー」として、建築からメディアまで口出して、結構稼いでいたりしていて、自分の人生がやや行方不明になりかけたときでもあったくらいで、そういう高額良品も買えていた。だから、アンビバランツなメンタリティー引きずって、両方納得していたのかも知れない。「田舎者的華美な豊かさ」とそれにアンチな「都市的質実な格好いい生活」をね。

僕はユニクロにはじめ良い感じを持たなかった。まず、イタリアのベネトン「ユナイテッドカラー:ブランド」のまねと思って居たし、ペットボトルのリサイクルの素材開発は聞こえは行けれど、当時のメイン商品のフリースは、結局プラスチックの服着ろ、ってことでどうにも僕にはなじめない。だから、ユニクロを着始めたのは、大分経ってからということになる。でも、新宿の伊勢丹並びにかつて出来た旗艦店ふうなお店で、「羊毛」のベストを買った記憶があり、それだけ当時買ったままで、あまりその後も関心は寄せてこなかった。で、他に行かず買うようになったのは、必要に迫られてだし、2003年12月20日妻晃子(てるこ)が天に渡った後かな・・。「五月蠅い、評論家」でもあった彼女が不在になったので、買いやすくなったこともあったかもね、誰にも何も言わせず、少しずつ商品が増えていった。やっぱあ、フリースから、その道に入ったような気がするね。・・・なんだか、書くきもちになれない。なんだろう。ねんまつなのだから、あと2、3本かかねばいけないのに。ちょっとこのテーマ、中断。お正月に、頭整理して、書きますね。

それまで、去年書いた耕論「Made by Japaneseの時代認識」論を読んでいてください。http://vciat.blogspot.com/2011/03/inmadebyjapanese.html  まもなく、ここもかきますので。


2011年12月3日土曜日

ハノイ貿易大学 日本プロジェクトのブログ出来たよ。

ハノイ貿易大学の僕のクラス「日本プロジェクト日本社会の基本学教程」のクラスのWEB委員が作ったブログが活気づいてきた。色んなテーマを日本人には考えつかない角度から書く人もおおく、読んでいて面白い。文章も結構冴えていて、キチンとしている。もちろん、子細をほじくれば、構文上の「粗」も、言葉の選択のミスもあちこち当然見受けますが、目的意識で溌剌とを文章の構成に取り組んでいるので、ほほえましいと評価するのが普通なるんだろうけれど、もっと超えていてパワーがにじみ出ていて、嬉しくなる。

ベトナム人学生の採用をお考えの日本企業の皆様、マスコミの皆様、時々ブログに入ってご高覧下さい。日本で就職し、本物のビジネスマンやプロの仕事人になろうと努力しているベトナムの若人(女子7名、男子3名)のアーティクルの一文字一文字に目を運んで下さいませ。

http://vci-jac.blogspot.com/

このURLから、「ハノイ貿易大学日本プロジェクト」の学生たちの自主的なブログに飛べます。

■以下は、当クラスのシラバスの概要です。一部をご紹介いたします。
ハノイ貿易大学「日本プロジェクト日本社会の基本学教程」

A 日本企業理解の基礎
1企業に就職し、社員になるということ ・ 企業とは何か、働いて給与をもらう厳しさ、プロ意識、原価意識・・・
2組織の一員としてのルールと常識・社則厳守の心得、社員教育、組織と自己実現 コンプライアンス・・
3問題解決への思考
4論理的な思考とプレゼンテーション
5日本の産業構造
6仕事の概要  営業、法務、マーケ、総務、税務・・
7企業の欲しい人材・他

B 日本社会の基礎
1日本の基本情報・法と論理、公共性、生活と環境、医療、家庭・・
2社会の構成・消費、マスコミ、観光、先端技術、住宅、交通・・
3社会の現象・3月11日、絆、犯罪、婚活、在日の外国人・・
4文化と歴史・教育、サブカル、品質、武士道、明治と江戸・・

C 英語会話の補足
D 秘書検定・ビジネス検定への準備
・・・など経産省の推進する「社会人基礎力」育成に 沿ったベトナム人向けオリジナル教程となっています。


《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。

・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2011年11月20日日曜日

ハノイ貿易大学 日本プロジェクト面接と就職のパンフレット

日本企業のトップの皆様、人事採用のご担当の皆様
特にベトナムに進出をご計画の企業の皆様へ

ベトナム随一のビジネス・商業系大学「ハノイ貿易大学」の日本で就職し、その後日本・ベトナムの両国で活躍を決意している学生たちのご紹介です。
彼女たち(女子学生が多い)は、来年2012年6月に卒業し、すぐに日本に渡航出来る現在4年生です。
日本語は日本語能力試験2級であり、学部にてビジネス日本語習得済み。
英語はTOEIC550〜750スコア。

採用面接につきまして以下の日程が計画されています。

■11月後半〜12月前半に一斉にこのパンフの配布やPRの実施。
■12月20日火曜と22日木曜日に東京・高田馬場にて
    「来年1月実施の見学・交流会」ご参加と学生の履歴紹介などの「相談会」を       実施いたします。

2012年
■1月12日木曜にベトナムのハノイ貿易大学にて「授業見学・学生交流・大学幹部懇談」会の実施。(*旧正月休みが1月14日土曜〜1月31日までのため、見学会が早まった)
■2月末にハノイ貿易大学にて「採用面接」実施予定。
■6月中旬に大学の卒業式。すぐ日本渡航・企業就労の予定。
宜しくご検討ください。なお、当パンフの送付のご要請含むお問い合わせは、メールでお願いいたします。  abevci@vietnam-waseda.org 阿部

パンフレットの表紙

見開きページ左

見開きページ右

ウラページ(4ページ目) いままでの「ハノイ工科大採用実績の説明」

■ 以下は、僕が教えている当教程のシラバスの一部です。

A日本企業理解の基礎
 1企業に就職し、社員になるということ
  ・企業とは、働いて給与をもらう厳しさ、キャリアアップと学習、プロ意識、原価意識、目標と計画・・
 2組織の一員としてのルールと常識
  ・社内規則の厳守の心得、社員教育、組織と自己実現、コンプライアンス、CSR・・
 3問題解決への思考
 4論理的な思考とプレゼン
 5日本の産業構造 
 6企業の欲しい人材・・
 
B日本社会の基礎
 1日本の基本情報 ・法と倫理、公共性、生活と環境、医療、家庭・・・
 2社会の構成   ・消費、マスコミ、観光、先端技術、住宅、交通・・・
 3社会の現象   ・3月11日、絆、犯罪、病気、在日の外国人・・・
 4文化と歴史   ・学校教育、サブカル、品質、武士道、明治と江戸・・
C英語会話の補足 
D秘書検定・ビジネス検定への助走
E日本人企業幹部に附きそう「シャドーイング」(課外授業)
など経済産業省の提唱する社会人基礎力教育のベトナム人向けオリジナルのシラバスを構成しています。以上。

2011年11月19日土曜日

FOXテレビの大欲望 / ブータンが魅せる未来

最近アメリカのFOXtvが日本のBSに進出して来た。面白いので、NHKのBSなどで、良い物やっていないときにチャネルを合わせる。かつてのCBSの斬新さ、次に出たテッド・ターナー(ジェーンフォンダのかつての旦那)が作ったCNNもアメリカそのものの良さというか、鮮烈なジャーナリズムひっさげて先駆的に世に出てきた。特にCNNの24時間ニュース構想ははじめ物笑いの種であって、「隣の牧場の牛が仔牛を生んだこともニュースにするのか」と揶揄されたものだ。つまり、今から30年前には、ニュースの出ところが限られ、政治・経済・面白トピックス程度のもので、当時の人々の感覚と情報への「欲望」はそれで、間に合っていたのだ。つまりの所、現在驀進が止まらない情報社会という怪物が知る欲望を拡大深化してきたと言って良い。

その欲望は情報通信のイノベーションが作り出してきたと同時に相関として、現代人の過剰な疲労と心的負担が求める生きるための「刺激」を体で受け止めたいとする欲望が相まって、開発され、複雑化され、そしてパターン化されて現在人に標準装備されてきた。子供たちは、運動神経ならぬ「情報取得神経」は研ぎ澄まされ、敏捷だ。スピードと拡大を伴い、それは止まることを知らず進化してゆく。

FOXテレビの日本放送はニュースではなく、エンタメに限られている。僕が10年前に大半を見てしまっている「セックスアンドザシティー」、「歌手デビューさせるオーディションもの」「恋人探し」「モデル育成ドキュメント」「奥様発明大儲けコンテスト」「料理の鉄人捜しコンテスト」「ミスユニバースドキュメント」「ハリウッド・メイキングもの」・・・まあ、凄いんです。もちろん、このラインナップを見ただけでは。「あれれ、かつて日本にあったよ」とおっしゃる向きもあるでしょう。日本のテレビコンテンツの「フォーマットビジネス」はアジアに向けてなど強力だから、少しは日本のフォーマットを向こうさんが、購入した物も無いではないだろうけれど、エンタメの本場はアメリカさ。調べていないが、多くはあちらのコンテンツフォーマットを頂いた上で「日本流に仕上げた」ものが多いと思われる。

さてさて、FOXのエンタメは、凄い。かつて少年ジャンプ誌が「友情・努力・勝利」を憲章にして来たわけだが、FOXは「セックス・競争・勝利」がテーマであり、全ての要素を「欲望肥大ヒステリー」にまで「高めて」いることだ。フジテレビを日本の放送規定からはずして、過激にエックスプレスに乗車させたような印象というと片鱗は解るかも知れない。例えが、解りにくいかな。全ての演出が計算されている。人間の性欲・涙腺・感動の襞(ひだ)・物欲の琴線、他人の失敗と不幸をたたみかけていくシノプシスがデータ分析に基づいて作成されている。いな、そうなっているとしか考えられない。つまり、マニュアル化されていて、マクドナルドやファミレスの様に誰でもが演出し、一定の成果を上げられる仕組みになっているのだろう。

アメリカ社会は物欲の欲情の肥大化した環境の中にある。1ヶ月ぐらい前に東京mxテレビの「松嶋×町山の未公開映画」という最高GOODな番組で見たが「毎年、アメリカ人はクリスマスのプレゼントにカードで何と5兆円の買い物をするらしく、貧しい黒人でさえ、明日からのことに目をつぶって、猛烈買いする」という。その過剰な「国民総カード買い物症候群」を沈静させるための「反・買い物」運動の神父さんの悲惨な闘いのドキュメントを見た。神父さんは尊敬に値する「変わり者」であるが、見ていて本当に暗澹たる気持ちにさせられた。アメリカの特に下層の人々の物に対する欲望はもう病的な領域に達している様に見える。社会自体が”中村うさぎ風な”「消費ヒステリー」を煽り、己を洗脳し始めている。貧しい層ほど肥満が多い現実の理由がわかる。

FOXテレビはその先兵だろう。アメリカの中産階級の欲望を振りまいている情報工場なのだから。ご覧になるといいよ。編集のスピードに驚かされるよ。番宣の多さに驚かされるよ。見事な計算尽くのスクリプトに驚かされるよ。巨乳と汚いスラングの多さに驚かされるよ。そして対象は中産階級から下層の視聴者をターゲットにしていることに気がつく。そして、アメリカがアメリカ人にとって息苦しい社会になっていることが、画面の背後から伝わってくる。その意味でFOXテレビは現在のアメリカを知るための刺激在る教材と言える。

■ブータンの国王とお姫様の評判が良い。夫婦共に良い感じだし、国会での演説内容にも良い言葉が結構在ったね。若いし、すがすがしい印象もあったしね。ダイアナさんとか特別の場合を除いて国賓がこんなにマスコミに注目された例も無いよな。
なぜなのかな。あまのじゃくの僕としては普通に賛辞を送るつもりはないね。国民の95%がね、「幸福」だという国民って何なんだろう。 ・・・つづく・・なんだか、書くのが嫌になって、2週間ぐらいすぎた。なんってこった。(12/4)

2011年11月18日金曜日

がんばる卒業生写真。静岡の恭和さん。

自動車の内装フロント部分の設計開発が多い恭和さん。卒業生コア君も入社約2年、プロとして地力が出てきたようだ。

奥さんもお子さんも一緒。最高の幸せの中で、明日の夢が形作られる。男の本懐発揮しようぜ。

コア君やフエさんがいるアパート。いいねえ。良い環境です。

業務や総務までも研修。設計だけでなく総合力をつけ始めたフエさん。彼女はハノイ工科大で、筆頭の優秀者のひとり。今後が楽しみです。がんばれフエさん。

この写真は、去年2010年10月末に当校のスタッフ研修でブオンさん、ゴックさんが、伺った時の写真。中央が太田社長ご夫妻、とフエさん、コアくんと、恭和さんの本社ビル入り口で。


太田社長は当NPOの評議員にもなっていただいています。
これは、恭和さんのWEBです。是非、ご覧下さい。最近は車関係だけでなく「IPカメラ」などオリジナル製品にも力が入っています。
http://www.kywo.co.jp/hp/base/home.html

2011年11月13日日曜日

ハリマオと月光仮面♪♪笛吹童子と青い山脈♪♪あの歌を聞いてください。

ほとんど、歌詞をそらんじてるくらい、すきですねえ。言ってはいけないんでしょうが、何かのパスワードなんかにも使っていますよ、ハリマオ。戦後の青空の中で、僕等少年たちは雑誌「ぼくら」「少年サンデー」「アメリカのテレビドラマ」に夢中になりながら新しい価値観を共有して育った。「名犬ラッシー」「パパ大好き」「うちのママは世界一」「ローハイド」「名犬リンチンチン」「ライフルマン」「ルート66」とかね。ここでは和製の「正義漢」二題。
それと、みんなが謳った「ひゃれりーこ、ひゃられーど・・」と「若い明るい歌声に〜」いいねえ。コメントは不要ですね。YOUTUBEに投稿されていた画像をお借りしました。

ハリマオ
http://www.youtube.com/watch?v=_bYz9BeS77c&feature=related

月光仮面
http://www.youtube.com/watch?v=oHpN4QuGc-U

笛吹童子
http://www.youtube.com/watch?v=_XEdK1vABYo&feature=related

青い山脈 大好きです。原節子さんは永遠です。
http://www.youtube.com/watch?v=bAKmKJxtWZg


《ブログご高覧感謝》
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・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
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・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
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教師の日inベトナム

先生の日というのか教師の日というのか解らないけれど、日本には無い祝日(ベトナムでは休みにはしていない)だが、多くの国に「教師の日」があるようだね。つまり、世界中で教員は給与が少ないけれど、その社会のためにがんばって居るので、年に1回ぐらい「元気づけよう」って考えだろうなあ。ロシアもアメリカも給与は低いって言うし、特に日本語教師の日本国内なんか、悲惨なもののようだ。世界の為政者は共通して、どんな魂胆なのかしら。

たぶん、嫉妬かも知れないね。だってさ、教員は子供のきらきらした眼差しと毎日相対し、完全な信頼関係の上で、コミュニケーション出来る環境にある。また、16,17才の難しい年齢の青年になりかけの少年少女と毎日会える。毎日会って難題を迫られる。これって幸福以外の何ものでもないよね。心とか生活の問題を毎日一人一人の教師は解いて行かねばならない。あるいはほぐして行かねばならない。こんなハッピーな仕事他にあるのかな。

絵描きや音楽家はどうなんだろう。そうだねえ、アーチストは、いいねえ。つぶらな瞳や地球上の絶対的な価値「無垢さ」(と、僕は思って居るわけさ)を想像力の中で描き出す仕事だもの。教員と同列で、同質かもね。ビンボーな人も実は多いと言うことを考えると、教員とアーチストは同じ位置にいるのかも知れないね。つまりさあ、教員の尊い仕事に為政者とか、みんながジェラシー感じて、教員が幸せな分、給与を世界的に削ってるんじゃあないか、と思うのさ。

昔ね、当校にいた赤塚かよこ先生、五百木(いおき)先生、佐藤ふみ先生、あれれ、みんな若い女性陣だね(仕事をしていた当時はみなさん、30才前後)。みんな一生懸命で、志が高かった。男性では早稲田の後輩の湯本くんがよかったね。野球・プロレスマニア尾崎くんも良かった。でも、最高はリタイアー組の遠藤先生だね。残念だが、そういう教員は少ない。極めて少数だ。

写真は、僕のクラスの勇士たち。頑張りと知性はトップレベルです。真ん中のおじさんがニヤケていますね。恥ずかし。

ということで、「教師の日」です、ベトナムは11月20日がそうなのですが、僕がそのころハノイ不在と言うことなので、ハノイ貿易大学の我がクラスが僕のために教師の日を繰り上げ、12日土曜日の夕方に割に近いBIAHOIで盛大にお祝いいただいたと言う訳なのです。うれしくて、涙腺の弱くなった63才、涙がこぼれそうでした。


《ブログご高覧感謝》
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・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
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2011年11月11日金曜日

ベトナム人卒業生のロボコンやプレゼン。興南設計さんの社内のお祭り。

倉敷の興南設計さんの「興南祭り2011」での写真です。去年の同お祭りは当校の研修で10月末にお邪魔しましたが、それから1年、早いものです。上は、ロボットコンテストの賞金をみんなが持っていますね。向かって右のジーパン眼鏡が入社2年経った当校卒業生のルアット君、自信がついた表情だね。うれしい。中央はインドネシアの同僚です。

赤いシャツが本年1月に採用されたフン君、IT専門です。総員160名の中でIT部門はまだ10名もいない少数。がんばって欲しい。若い同僚や先輩たちの前で自己紹介とかしているようですね。上段の中央の眼鏡の方が森社長です。

黒いジャンバーのロン君が自分のチームのロボットで闘っていますね。彼も入社して1年強。社員のみなさんに溶け込んで、がんばって居るのが想像出来ますね。

小さく写っていますが、プレゼンしているのが一番古手のツック君、まる3年過ぎたね。仕事も生活も思い切りエンジョイしていると報告聞いているよ。彼は、以下のビデオにも登場するので、引きサイズの興南社の社内の一角を見えるようにしました。
以上、彼ら4名は当校卒業生で、ハノイ工科大の卒業生です。

以下は、動画です。
倉敷の興南設計さんの社員研修の模様を写したビデオ画像(このビデオ画像は2010年です)を森社長のご好意でお借りしました。森社長は、当NPOの評議会委員でもあります。興南設計さんは、機械設計の企業です。当校の卒業生のベトナム人3名ほかにインドネシア人、タイ人の優秀な青年たちがいる国際化された優良企業です。先日、「興南タイランド」社が出来ました。3,4年後のベトナム社設立も大変楽しみです。
http://www.youtube.com/watch?v=-j_BkEpCU_Q&feature=related

これは社内研修の模様です。去年のビデオですので、丁度3年目のツック君(ハノイ工科大卒業)のプレゼン(大学の卒論を日本語にアレンジした内容のようですね)です。二人目はインドネシアのファキー君のプレゼンです。二人とも、キチンとした日本語で解説しています。ご覧になった方はどう思われますか。就職して、まる二年経過した頃のベトナム人エンジニアの典型的例の一人だと思います。森社長と周りの社員の方々のご努力の成果でしょう。ご苦労様でございます。身の引き締まる思いです。

下にある二つ目は、目の見えない事を想定した「協力」を実体験する「風変わり」研修。面白いっていっちゃあ失礼ですが、笑えます。出てくる4名は、たぶん、ベトナム人、インドネシア人、日本人、タイ人と思われます。間違いがあれば、後日訂正させていただきます。
http://www.youtube.com/watch?v=fp0EfoWY7YI&feature=youtu.be

興南設計さんのWEBです。ぜひ、ご覧下さい。
http://www.konan-sekkei.co.jp/

2011年11月7日月曜日

ヨコタ工業さんの社内報、嬉しいなぁ。

ヨコタ工業さんは東大阪にあるエアツールの国内トップメーカー。 
http://www.yokota-kogyo.co.jp/  
創業は何と1919年ですから、90年以上の歴史を持った優良企業です。去年ホアン君、本年は1月にディエップくんが採用されました。二人ともベトナムきっての最優秀大学ハノイ工科大学卒業です。このヨコタ工業さんの社内報をいただいたので、ここに掲示させていただきます。雰囲気から、皆さんにかわいがっていただいているようで、本当に嬉しくなりますね。有り難いことです。僕なんかは、こういうご報告とか情報を見て喜ぶためにこの事業を継続させているといって良いです。やり甲斐とか、生き甲斐ってこういうことだなあ、と素朴に自分で納得しています。横田社長はじめ、皆様ありがとうございます。ホアン君は1年過ぎました。プロとして、ベトナム人の地力をそろそろ発揮して欲しいと願っています。 下の写真は去年の今頃、当校の社員研修でブオンさんとNGOCさん、僕が伺った時の正門での写真です。真ん中の横田社長とホアン君です。

2011年11月6日日曜日

ベトナムTV局取材と”ハイソな”パーティー / 貿易大学文化祭

6日日曜日にお客様と訪れた今年何回目かの文廟。女子大生たちが卒業アルバム用の写真を撮りに来ていた。アオザイが目映い。

文廟の奥の院。シンメトリー写真が意外に好きなのさ。いいでしょ?

4日金曜日朝、当校の採用面接をベトナムテレビが取材した。5日の夜のニュースで15分間の特集で数回報道されたようだ。

美人キャスターがお客様に「いま何故、ベトナムですの?」

パーティーはアバンギャルドに。

美女はシルエットに。

暗黒舞踏派風な緊張が生まれた。


「いきなり」の国です。ベトナムテレビですから、ベトナムのNHKみたいな放送局です。4日の当校の企業面接をいきなり取材に来たのです。もちろんアインさんとブオンさんが、今までの新聞と同様にプロモーションに動いてくれていることは承知でしたが、いきなり、来ることになって、「花でも飾ろう」「花瓶はどこだ」みたいな騒ぎでしたが、予定より1時間遅れでやおら登場したのは美人キャスター。はっきり言って、僕自身はNHKから、TBS、朝日、12chまで何度もインタビューを受けていたし、5年前にもこの局だったか、ハノイテレビだったか忘れましたが、ベトナムでも学校関係・就職関係のインタビューは2回受けていたので、上気したり、うわずったりしないのですが、相手が知的な「眼鏡」美人で30才後半ぐらい、成熟インテリ美人にゃあ、すこぶる弱いんで、ちょっとまごついたのだろうか、インタビューの周りにいた職員とか先生たちが「阿部さん、顔が赤い」とはやす。

まあ、そんなことはどうでもいいんだ。当校のプロモーションに確実に反映されればいいなあと戦術をあれこれ考えながら、質問に応じた。こういうものは、30分しゃべらせられても使うのは30秒であったりする。IT企業で渋谷に本社があるモアテクノロジー社の日根社長が、採用のための面接に来ていて、面接の作業に差し障りというか、落ち着かない環境になったらまずいなと思ってちょっと不安がないでもなかっらけれど、まあ穏便に進行した。で、昨日5日の土曜日の夜のメインニュースで、お客様のインタビューと僕の話が15分にわたって特集扱いで使用されたらしくブオンが上機嫌で僕に「見た見た、長くでていた」と連絡くれた。

その4日の面接の後、夕飯でお客様と美味しいベトナムの家庭料理屋さんにいった。何時も行くお店で、同行のお客様は何時も美味しさと価格に仰天してくれる。二人で鳥肉、豚肉、豆腐とか5〜6皿頼んで、ビール8〜10本ぐらい飲んで、まあ2000円ちょっとかな。喜ばれるわけでしょう?で、この日はブオンの友人のアインさんのパーティーがプレスクラブで開かれるというので、お客さんと一緒に駆け参じた。実は、アインさんはジャーナリストであり、お店とか学校とかのオーナーでもあったりするのですが、家庭では山に捨てられていた身体不自由児を養子にしているお母さんでもある。その子は、可哀想に山犬に性器を食いちぎられており、この催事はこの治療費をみんなでファンドしようというパーティーなのです。そして、 その日は、イタリアから権威筋の医療団が来て、その息子さんだけでなく、同様の子供たちの手術の日でもあったようだ。

日本なら、こういう場は、「まじめ」「ヒューマン」「善意」で覆われるのが普通ですね。だいたい、出し物にアイディアがなく、地味で鼻持ちならない善意が横行する。みなさん、解るよね。でも、やっぱり、ベトナム人は違うね。そういう面は西洋というか、フランスの影響なのか知らん。かっこよく、アバンギャルドなのさ。もちろん、主催のアインさんの演出だからかもね。ベトナムのいわば「暗黒舞踏」派というか、麿赤児ふうな白塗りの魔界に立つ男の風情は、なかなかなもので、それを賑やかすベトナムの音楽、いな音声はAVANTーGARDEであった。更にポップなファッションショーもあって、感性全開のパーティー。西洋人の参加者も多くアメリカのテレビドラマ「セックスアンドザシティー」に良く出てくる「ハイソなパーティー」を思わせる。さらに僕のブログを良く見ているという青年から声を掛けられて、僕の心中のリズムも快調。良い青年だ。お客様も「ベトナム良いねえ」とスマイル。
それにしても、アインさんの友人関係というか「実力」凄い。

■ハノイ貿易大学の日本語学部文化祭に呼ばれて、良い席に座らせていただいた。当校の石岡先生に「ビールでも飲みましょう」とお誘いしたわけだけれど、パーティーでなく(失礼しました)、日本語学部の学生による文化祭の演芸大会で、いきなり日本の歌の歌謡ショーからスタート。隣に座って居られた奈良女子大の麗しい先生などは、結構ノリノリで、楽しんで居られたようであったが、僕は何処を楽しんでいいか、迷い模索せざるをえなかった。出し物で面白さを見つけたのは「ウエストサイド物語」の貿易大学的短縮版演劇。甘いマスクで長身の男子学生の獅子奮迅の活躍がそれだ。トニー役の今は懐かしリチャード・ベイマーが演じた頑張りを彷彿とさせる。どうもそのハンサム学生が演出もしていたようで、丸見えの舞台袖での指示も熱い。ほとんど女子大化していて、80%は女性の中であの好青年や、如何に・・。

日本の大学では今、こういう「素人演劇」(早稲田には劇研とか木霊というプロに近い連中がいる)が企画されるかどうか、正直不明だけれど、一見高校生に見えてしまう未熟さが今時貴重かもと思えるし、日本の複雑な演出構成に囚われている僕等の有り様とを結果的に対比的に見せてくれた。僕等のニッポンは、文化が成熟していると思いがちだが、その発想には得体の知れない差別感も微妙に混在しているね。成熟しているのは文化ではなく、おそらく情報社会の高度化・成熟化なんだと思う。で、いつもプリミティブは、変革期に必要だということを思い出そう。あらゆる世界で、大切な時期には原点回帰があり、プリミティブが胎動してくる。もちろん、この学生演劇(学芸会)を大げさに語る必要はまるでないけれど、逆に複雑な文学、複雑なストーリー、複雑な映像モンタージュになれ、解釈を瞬時にしてこざるを得なくなった情報社会の僕たち住人の大いなる錯覚をこそ笑ってもいいんじゃあないかい。ファッションも生活もシンプルをめざし始めたいま、「幼稚度」を笑うな。笑えない現実が複雑社会を席巻し、途方もなく大きな暗渠をこさえてしまっているじゃないか。ひるむなよ、幼稚で無垢な学芸会。君らは僕らの失った何かを見事に照射してくれている。
「ウエストサイド物語」のFTU版だね。

2011年11月2日水曜日

石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち(写真)

ひまわりのお母さんたち

前々項(10月のページ)で書きましたが宮城県石巻の大川小学校でお子さんたちを亡くした(まだ行方不明のお子さんも居る)お母さんたちの中の有志が学校のそばに植えたひまわりが今夏8月に見事に咲きました。とても強い感動を呼ぶ表現というか、無心の実行力というか、お母さんたちの愛のイマジネーションがひまわりを植えさせ、咲かせたとしか思えない。このお母さんたちのグループの方々が8月の満開の中で撮ったお写真をお借りして掲載させていただきました。
いわば「ひまわりたち」のお写真です。力強さも伝わってきます。

本日朝(2日)、お写真を添付で送ってくださった福田さんのメールもここに了解の上で掲示させていただきました。
「おはようございます♪
こちらは今日も良い天気です。
今日は海保による一斉捜索があります。
私には何も出来ないので祈る様な気持ちでパンジーの残りを植えたいと思います(__)
後4人の見付からない子の親御さんには寄り添う事しかしてあげられません… だから毎日学校に足を運んでしまうのです。 朝からくら~いメールで申し訳ごさいませんm(__)m
写真を携帯で更に写した物を添付してみますが画像が…どうでしょう?」

今後もひとつひとつご了解のもとで、いただいたお手紙やメールなどを時々掲載させていただくつもりです。外部の僕たちには発せられない貴重な言葉、大切な言葉が文中に広がっているからです。

下の写真は、当校の掲示板にある「大川小学校への義捐金の報告」と福田さんからの御礼の手紙の一部が、写っています。

《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。

・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

秋刀魚の味

このページは、小津さんの映画「秋刀魚の味」を論評しているモノではありませんし、そのタイトルでアクセス数を稼ごうとしているわけでもありません。僕なりの「秋刀魚の味」を自分の家族と生活の一部からちょっと味わってみようかなと思っただけです。映画にも秋刀魚や秋刀魚を焼く風景などはまったく登場しませんね。これもそういうことになるのかな。

仙台の実家にほど近いキリスト教系の老人施設にいる86才の母。幾分寂しそうだが、生活や環境は快適のようだ。母は昭和8年の三陸海岸大津波を故郷の志津川町で体験している。そのことは本ブログの今年3月の項にある。


去年94才で亡くなった父の祭壇。当校のスタッフたちから頂いたベトナムの弔意の布が背景に見える。

たいそうなタイトルにしたものだ。どのように書いていこうか迷う。大抵は頭の中で構想の大要ぐらいは練ってから、始めることが多い。でも、4,5日前に東京でNHKBSで久しぶりに映画「秋刀魚の味」をみて、タイトルとして「使えるな」とおもってメモしたのがこうなっただけ。今回の放映は画面の傷や揺れが修正された安心して見れる電子修正版のようで、まるでロードショーを見ているように画面がクリアだった。「秋刀魚の味」は「東京物語」もそうだとおもうけれど8〜10回ぐらい見ているね。「麦秋」もいいね。でも、実は僕「おはよう」が好きなんです。土手の脇の文化住宅での子供の兄弟の「おならのだしっこ」を軸に展開する戦後の一時期の希望と平和と青空に溢れた軽いタッチの佳作さ。

秋刀魚の味は、婚期を迎えた娘のデリカシーと親爺の不器用さをテーマにしており、まあ、いつもながらのストーリーだ。ぼくんちも35才位の娘がいる。外資系の雑誌出版社で海外出張も多く忙しくしているようで、「婚期」に無関心のよう。いまさら、彼女の恋人のこととか、聞きにくいし、母親が居ない分、ぼくが色々タッチしたほうがいいかなあ、と思いつつ嫌われている様だ。
まあ、自分の娘だと分析しにくい。はっきり言って心とか読めない。他人は結構読めるんだがねえ。結婚して子供がいる30才位の弟の方は男子故、何となく「掴める」。そういえば自分の子供の年齢が幾つか怪しい。無関心なのかなあ。世間のオトーさんは、何時も子供の年齢を把握しているのかしら。そういえば、女房の誕生日がいつもうろ覚えで彼女に叱られた物だ。7月23日か24日なのだが、何時も間違う。まちがうので、「あれじゃあないので、ぜったいこれだ」と意識的に思っていってもまた、反対で、いつも23か24か、今でも間違うのだ。否いな、24日だ・・。あれれ、23日だよね。ごめんね、天国の晃子(てるこ)。

と言うことを書こうと思ったわけではなく、94才で去年3月亡くなった父と、いま、86才の母の事をたまには思い出して、と考えて、書き始めた。父のことは2010年3月のページに「評伝」まがいの第一部をしたためてある。母は、元気だし、仙台の実家にいる弟が面倒見てくれているので不安が無いけれど、先日石巻の大川小学校に行ったついでに母に会った。血色も悪くないけれど、いま彼女は、自分の少女時代に舞い降りて居るようだ。自分の母と時々父に会いたいことを言う。「何処に行ったのかしら」とも言う。軽いアルツハイマーの世界のなかで、自分だけの思い出を物語りにしているようで、そんなことを語るとき一瞬少女の表情を見せる。

その彼女が、まだ元気であった70才代に恋への情熱を傾けた短歌を猛烈に書き始めた。先日立ち寄った際、弟から初めて聞いて、大量の作品を手に取った。70の手習いだから、短歌の指導の先生も相当まごついたと思われる。遮る物はまるでないかのように次から次へ、一点を見つめた恋の炎が燃え立っている歌、詩。か細い彼女の何処にそのエネルギーが渦巻いていたのだろうと不思議でならない。誠実で学究肌の父とは違う 美しい影をもとめた作品は一級品ではないが、70才の老婆の、女としての出口を何処に求めればいいのか、全身で模索する魂の詩のように僕は作品集や短冊を手に取りながら感じて、溜息のような息をはいた。僕の「秋刀魚の味」は娘の嫁問題ではなく、母の少女問題であるようです。
 *写真は1955年頃、仙台福沢の新居で。30才ぐらいの母と9才年上の父。長男の僕が真ん中。僕の脇は、年子の次男と生まれたばかりの三男。

2011年10月31日月曜日

ヤマダ電機の中国人、ソフトバンクの中国人

現在日本には約80万人の中国人が在留していると言われている。もちろん、研修・実習で来ている高卒の労働者も多いと思われるが、大卒のエンジニアや営業や販売職の元々文系出身者も多いだろうと想像出来る。これは、調べないといけないけれど、半分以上は大卒の若者、専門学校で特殊技能(ゲーム、アニメ、マンガ、料理、IT技術など)をみがいている若者と思って良いだろう。もの凄い量だね。前にも書いたが江戸川区の大手アート系専門学校のマンガ専修クラスにいったら、何人もの学生が韓国人であったり中国人であった。日本でマンガの基礎を学んで、母国でデビューしたいと言っていた。
     * この項で大卒とか高卒とかをくどく書いているのは日本人からすると何となく違和感もあるでしょうが、日本国入管局での扱いが峻別されていること、アジア各国の社会において、区別がはっきりしているので、ここでは敢えて明確してに書いた。他意はない。

それに比べて在留のベトナム人は現在全部で38000人ぐらいだけだ。まだまだ少ないね、EPA締結したんだから、どんどん交流というか、来てもらいたいものだ。ベトナム人の留学生は3000人ぐらいだし、大卒エンジニアやビジネスマン(ウーマン)が5000名ぐらいだから、残りの3万人は研修・実習の労働者ということになる。中国人とは桁が違う少なさだ。若い韓国人も昔からの在日者(大分減少して40万人ぐらいらしい)とは別に20万人はいる様だ。これも大卒の優秀者が多くを占めているように思う。もちろん、中国と韓国の在留者は、大震災の原発事故以来、一割程度全体が減少したので、上記の数字は幾分もっと低めに見た方が良いかもしれない。

2,3日前買い物があり、久しぶりに新宿の新しいヤマダ電機にいった。携帯売り場で、あれこれ商品見たりしているときに僕の前に現れた美女は、とても親切で、僕の現況の契約形態ダブルホワイトから、単なるホワイトに変更した方がいいとか、機種のガイダンスとか、とても良い感じ。ぼくはもちろんすべからくすでに彼女の名札を見ていたので、中国人であることは認識していたが、流ちょうな日本語を褒める前に驚いたのは日本語による商品知識の豊かさだった。ソフトバンクの携帯のセールスというか、販売員として、ほぼ完璧に仕上がっていた。日本語もかなり上手い。たいていの人は、名札が目に入らなければ、全く外国人と気づかなかったであろう。聞いたら、日本に在留6年目で、4年前に日本語能力試験の1級を取得したといった。内陸地の何とかという田舎出身で、大学も「たいしたことない」地方大学卒と言った。

で、彼女では解決出来ない僕からの課題があり、彼女が連れてきた上司の女性も中国人であった。更にハイレベルな彼女ももちろん大卒で1級の取得も大分前だと笑った。この二人は、ヤマダ電機の店内だが、ソフトバンクの社員であり、「よくわからないが、あちこちの大型店舗に中国人は結構います」と、どっちだったかの彼女は教えてくれた。重要な事は、彼女たちは中国人の買い物ツアーの担当スタッフと言うだけではなく、僕のような日本人一般相手の通常の店員であることだ。

その後、僕は階を変え、HP社のプリンターのインクを買いに行った。そこでも僕の担当は中国人で、彼女はヤマダ電機の社員であると言った。彼女も1級は数年前に日本で取得したようだし、大学院で経済を学んだと言った。凄いね、ビジネスの最前線は完全に国際化されているということだ。くり返すが、中国の富裕層の買い物ツアーの担当店員としての始まった中国人の大卒者の採用は既にその域をこえ、日本人相手にしても耐えられる「家電に詳しい」一般店員になっている時代がはじまっているということだ。

今日、民放のニュース番組で中国のエリート重点高校の猛烈ぶりをレポートしていた。朝8時から、夜10時まで毎日授業がある。そして、大事なことは日本の伝統とも相通ずる暗記徹底授業を行っていた。現在の中途半端な「自主創造」授業になれている日本からすると、違和感があるけれど、僕も暗記学習を取り入れで、カリキュラムを見直すべきだとかねてからおもっていたし、当校でも試験的に始めている。そして、もっと凄いのは北京大学附属高校だ。アメリカ様式を大胆に取り入れていた。日本語のレベルもほとんどネイティブレベルで、戦国時代の武将について調べていて「上杉謙信」が好きだといった女子高生もいた。日本の小説をそのまま日本語で読み通している生徒も多かったことのは驚かせられた。また、高校二年で東大の入試の数学問題を日本のテレビ局のレポーターが試してみたわけだが、かれらの多くは軽々と正解していた。

この高校の日本語の担当教員(中国人)が言っていた。去年の日本の大学入学者に東大4名、京大2名・・早稲田も4名と表も見せてくれた。ナレーターは中国を世界最大の留学生輸出国と語っていた。いつの間にか、ハーバード入学者数も日本の数倍だし、反対に日本は2000年頃のアメリカ留学者が5万人はいたけれど、去年までに半減している。米国クリントン国務長官でさえ心配して、増加の方策を日本政府に訴えていたね、今月初めに。ハノイの当校の学生も、僕の貿易大学の学生たちもそういった徹底した学習環境の中にいる中国人と、日本国内で伍することになる。競争するのだ。がんばって欲しい。負けないでほしい。僕たち教員や学校運営者の工夫と努力も更に必要であることは言うまでも無い。

2011年10月26日水曜日

石巻の大川小学校に行った。

ひまわりのグループの福田さんご夫妻と、夏にひまわりがたくさん咲いていた大川小近くの「三角地帯」で。

大川小のファサード。モダンな印象。

遠くに校舎、右手に山、手前は校庭に集めたれた土砂。左手はすぐ北上川の滔々とした流れがある。



3月11日の大地震による津波によって、全校生108名の小さな大川小学校は波に飲まれてしまい行方不明の児童も含む74名の児童の尊い命を失ってしまった。何と言うことだろう。本当に痛ましい。言葉を失います。合掌。

地震後、津波の襲来まで30分以上の時間があった。何ということだろう。この大川小学校の近隣の学校でも、校庭に全校生が集められ、学校の幹部は30分間ただただ教育委員会の指示を待っていた。でもこの学校が結果的に全員助かったのは、小中学校の子供たちが誰も山の手の方に避難しない状況に不審を抱いた市役所の一人が、車で校庭に突入して、「何してるんだ、津波が来る。逃げろ、すぐ逃げろ」と絶叫し誘導したお陰であった。彼は学校のルールの禁を犯し、緊急の避難を呼びかけたのである。彼はそのもう一つ先の学校の状況にも不安で、非常事態を伝えに行く途中、車ごと津波に襲われ亡くなった。

22日土曜に僕は大川小学校に行った。今回弟が同行し車でこの大川小学校まで乗せてくれた訳だが彼の娘は、間一髪で助かったその学校にたまたまその日、栄養士の仕事で行っていたのだ。だから、事態の推移に弟は詳しい。大川小学校の当時の状況はよくわからないが、《写真》にあるように学校の脇は小高いコンモリとした里山であり、身の軽い小学生なら、5分もあれば十数メートルいじょうある山に確実に逃れたように思うのは、たぶん僕だけではないだろう。本当に悔しい。天災だけでない要因が大きく存在している事が誰の目にも明らかだからだ。しかし、津波はその人災の関係者やその家族までも深く飲み込み海に沈めた。だから、残された人々は外部の人間には全く想像出来ない複雑な悲劇を強いられる事となった。

震災後、僕はテレビで学校のそばにひまわりを植えた遺族の一部のお母さんたちのことを知った。これは、日本の説話として歴史に残るお話だと感動した。以下、僕の著作の謝辞のページにかいた。

「■ ご存じのように石巻市大川小学校は全校生徒108名という小さな小学校であったが、海岸に近くにあったため津波で74名(不明者含む)が犠牲になってしまった。日本人が忘れられない悲劇のひとつだろう。我が子を失ってしまったお父さんお母さんの悲しみはどれくらい深いものであったろうか。悲しみの中で、あるお母さんが、明るい娘を思い出したい、ひまわりのような娘にまた会いたいと考えて、学校のそばの空き地にひまわりを植えました。その心に賛同してやはり子供を亡くしたお母さんたちもいっしょにひまわりをたくさん植えました。途中で台風が来たり、海水がかぶってしまった土地ですからひまわりの育成に困難もありましたが、お母さんたちの努力で8月にたくさんのひまわりが見事に咲きました。お母さんたちはみんなで手を取り合って喜びました。そして、たくさんの種子を収穫しました。来年にはもっとたくさん咲いて欲しいからです。僕はこのお話をテレビで知り、感動しました。そして、日本人らしい心をとっても表していると思いました。このお話は、何時か「童話」となり「昔話」となり、幾代にもわたって日本中に伝わってほしいと心から強く祈念しています。」

お母様たちの「ひまわりを咲かせる」という愛情の表現はひまわりを謳った短歌であり、ひまわりを描いた魂の絵画と同一なのだと僕は思わずにはいられなかった。だから、当時当校の総合管理部の部長であったNGOCさんが中心にして集めた義捐金をこのひまわりを咲かせたお母さんたちに届けようということにさせてもらい、今回大分遅れてしまったが、やっと、大川小学校の遺族会の一員であり、ひまわりを咲かせたグループの方々に手渡すことが出来た。当日ひまわりのグループから福田さんご夫妻が代表で来られ、僕は「来年もたくさんのひまわりを咲かせてください」という当校のベトナム人スタッフと学生の主旨をお話しさせて頂き、当校のベトナム人の一生懸命の義捐金の合計金額13万円をお渡しした。そして福田さんから、大切なひまわりの種をいただきました。福田さんの奥様はグループの中心のメンバーのお一人で、前日にお電話で僕たちのことをお話ししたら、「その様な遠いお国の皆様までが・・・」と絶句され、電話の向こうで涙されていたご様子で、僕も何処に向かう感傷なのか不明なのだが思い切り滂沱の涙が机上にこぼれ落ちた。(福田さんはお子さんを同時にお二人亡くされています)

当日13時、にお会いする約束であったが、念のために12時頃には到着していて、学校の前まで行って、ご焼香した。学校の位置は北上川の雄大な流れから、200メートルぐらいだろうか。はっきり言ってもの凄く近接していて驚いた。滔々と流れる川の水が当時と変わらないだろう不安と悲劇の色に満ちていた。小さな学校は意外にもモダンなデザインで建築されており、ファサードは、普通の昔の小学校のイメージからほど遠い煉瓦とコンクリートの打ちっ放しの構造で、建築に詳しい人なら、毛綱毅曠(もづなきこう)さんの建築風というだろう代物で、驚いたのは、北上川の水面よりも低位置にありそうな学校の位置にもかかわらず、2階建てでしかなく、屋上もない構造であったことだ。どういう事なんだろう、川の氾濫でも、海側(ここからは海は見えない)からの津波でも、避難の時間的余裕を計算しての建築なのだろうか。あるいは、川と反対側にある安全地帯と思われる小高い山があるからなのだろうか。防災が昔から言われている土地柄にしては、まったく不用意な建築であり、一目してすぐに違和感を感じた。

福田さんご夫妻とは、かのひまわりの植えた「三角地帯」で僕と弟はお会いできた。ご夫妻はお子さんをこの学校で二人失った。子供が二人も一度に亡くなられた親の心境は地獄そのものだとしか言えない。本当にお気の毒です。何をお話しして良いのかさえ解りません。でも、お二人は背筋をキチンとされた態度でゆっくりと当時のこと、最近の事、そしてベトナム人への感謝の念を語った。凜とした姿とは、こういう事なのだろうと思う。「ひまわり」のお母様方、元気に生きてゆきましょう。生きて、亡くなられたお子さんたちとお話ししてゆきましょう。来年も見事なひまわりを咲かせてください。そのころ、また来ます。必ず、寄らせてください、ひまわりの皆様!


《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。

・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行

2011年10月19日水曜日

VCIの写真小史。ハノイ工科大生など優秀者の活躍。

2,3日前に僕の新しいプロジェクトのハノイ貿易大学の紹介をブログでしたわけですが、当校のハノイ工科大の学生諸君から、女子学生だけでなく、元から居る僕らも校長のブログに出してくださいよ(笑い)、ということで、ここ1年の写真中心に構成してみた。手元にある分の写真だけですので、整理していない写真が多くて、一部でしかないけれど、ランダムにならべてみた。昨日も日本の有名企業に1名採用され、勢いもついている。今秋で採用され、日本渡航した当校卒業生は150名を超えました。僕等の誇りです。さあ、がんばろう。写真で登場いただいた各社の皆さん、学生諸君、さらにがんばりましょう。
当校入り口です。如何にもベトナムの建物の雰囲気です。

各社の面接。厳しい質問が続きます。





広島、岡山、兵庫に居るサムライたちの颯爽としたそろい踏み。


新幹線で、大阪から東京へ。電業のおふたり。
興南設計の食事会のルアット、ツック、ロンの3人。現在はフンも入って4名に。

各社の面接模様。新しい人生へ・・。






HCMCのタツモの小合社長

大阪の電業の濱谷社長と当校研修の一行。

ヨコタ工業の横田社長と。

ハノイ医学大学大学院学長と交流。

パナソニック、東芝、NECなど電気大手加盟の電経連の当校見学と学生交流。

静岡の商工会議所の阿部の講演会にて。

東京のVCIセミナー。

ハノイ銀行大学との交流。

フンイエン工業師範大学での当校セミナー。

ハノイ工科大での当校のセミナー。大震災直後。

実力者スタッフのスマイル。

皇居二重橋前の当校幹部のお二人。

先輩たちの帰郷時の授業にて。

興南設計ルアット君の授業。

阿部の「日本企業論」授業。

タオ先生の技術系授業。

授業の一コマ。フエさんがいますね。

楽しい授業。日本に行ったみんなが写っているね。

ハノイ工科大校舎での授業。

ハノイ工科大学内での当校学生募集イベント。

募集イベントは、当校学生もたくさん協力。

姫路のアユミ工業の阿部会長と。

倉敷の興南設計の森社長と。

NPOの東京での食事会。

2011年2月のテト直前の当校忘年会。

静岡恭和の太田社長と。

埼玉のタイショーの橋本社長と。

大阪の関西セイキの小菅会長と。

技術系授業のホワイトボード。

企業プレゼン。難しい言葉も多い。

プレゼンテーションは、聞き漏らせない。

京大生との交流。

大阪税理士団体をハノイ税理士協会にご紹介。

東大阪ロータリークラブのベトナムへの寄付活動に当校も社会貢献の一つとして、毎年ご協力。

VCIの事がベトナム航空機内誌「ヘリテージ」誌に大きく掲載された。

当校入り口頭上の看板。
お写真で登場されているお客様、ありがとうございました。宜しくご理解ください。阿部