最近、やっとテーマの引っ張り出し方の勘が戻りつつあるんだけれど、以前まで続けていた3000字とか5000字の長文の「書き方」の勘というか粘り強さが、戻っていないので、すぐに「飽きてくる」。であるので、前項や前前項のように「中断」で「ごまかしている」感じだ。やれやれ。
さて、大学が早稲田であったので、高田馬場は多分50年ぐらい頻繁に使ってきた駅である。駅前には大型書店が普通ありますね。高田馬場にも昔から「芳林堂」があって、僕も随分お世話になってきた。高田馬場は、言うまでもなく学生の街で、各種の予備校、専門学校、塾、最近では「東大を目指す中国人専門の予備校」も数校集まっている。都内ではお茶の水に次いで学生が多い一帯であろう。高田馬場駅と早稲田大学の間の早稲田通りには、古本屋が軒を連ね、神田神保町に比していた。でも、次郎書房や、虹書房はまだあるようであるが、50年前に僕らがよく立ち寄った「文献堂」はもう大分以前に姿を消している。そんな中での今でも学生が多い街の芳林堂である。気がついたら、ビルにあった大きな書店の看板ががない、驚いて、というか落胆して、別途大きな書店ができてないかと、ビッグボックスの交番に訪ねたところ、「看板はなくなりましたが、書店はありますよ」と若い署員がいう。「ほんとか」とつぶやきつつ行ったら、芳林堂書店はあったア。でも、3フロアあった記憶だが、2フロアになっている。それも文学や海外文学、芸術系、きちんとしたビジネス系とかが、本当に狭くなっていたし、棚の本並びに工夫とか愛情がかけているような雰囲気がすぐ伝わってきた。漫画、ゲーム本、いい加減ビジネス本の棚が異常に増大しているし、働いている本好き店員さんの落胆もストレートに伝播してくる。・・・・ちょっと中断・・
阿部正行のベトナム私信 続行編
2013年ごろから、断続的になっていた。facebookに関心が移ったこともある。それにしても、長文を書いていた数年前が懐かし・・。で、また、書かねばというエネルギーふつふつ。 2019年夏VCI創立15周年の催事あった。ベトナムに仕事で来始めて多分27年目、随分と遠い町に長くいたもんだ。ところで、日本に対するうんざり感も頂点を極めつつあるが、山本太郎の「れいわ新選組」の登場で、久しぶりに、あえて言えば「光明」が、「光明と言わずも、面白感」が出てきたのが、平成の最後の年、2019年であった。本年2020は、去年10月の消費税増税で、デフレ不況が鮮明となった故、全力でアイディアと身の軽さを投入していく、大変だが実験的な年になろう・・。
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検索結果
2020年2月27日木曜日
2020年2月25日火曜日
これ全部、自分の胃、通過するんだ〜。
大分前から気がついていたことだが、スーパーとかコンビニで買い物して、大半は野菜、肉、魚、酒、惣菜とか、いろいろで、白いビニール袋パンパン。たまにそれが両手に。手の内側がビニールで切れそうな程、痛いときもありますね。半透明なビニール袋からは、それぞれ、僕に購入された、食物のパッケージの文字とか、野菜などの色が、重そうに覗く。で、多分だが、数日のうちになんと、全部僕の口に入り、胃に運ばれるんだ。ほんとかあ、と不思議に納得できないんだけれど、間違いなく「一人者」の僕はいったん冷蔵庫に仮置きして、その日のうちにその中の数個、明日も数個、口に運ばれ、さらに胃に進んでいくのだろう。確実に全部、全個、僕の肉体に消費されていく。おいおい、本当かといいたいね。問題は全部が胃や小腸などを通って、僕の「肉」や「血」「体内水」になっていくと考えれば、恐ろしい。人間の全細胞は三ヶ月間で全取っ替えになるわけですから、購入した商品をイメージすると不思議を超え、意識的な、というか、自覚的な購入を瞬間瞬間に判断せねば、自分の肉体に責任を果たせない。よほど選んで、化学調味料とか、不明な混ぜ物(ハンバーグとか)をできるだけ排除しないといけないと思えてくる。良い食物だけ口に入れないと本当に恐ろしくなるよ。独り身だと、まさに買った食べ物は全部、自分の体内に入っていくという、当たり前ですが、それで自分の全細胞(三ヶ月分の)を創造するってわけだからなあ。・・・中途中断
2020年2月23日日曜日
色あせた政府批判的な人々、MMTへの無知。
MMTは、ケインズ学派の系列であるし、マルクス主義系も一部の人は取り入れているが、全くMMTに無知の人たちには困ったものである。いつも政府に批判的である元慶応の金子勝、売れっ子池上彰、反骨佐高信、オリーブの木の黒川あつひこ、割と僕は好きな宮台真司も、このあたりが、耳を塞いでいて、色あせてきている印象(黒川は、陰謀論に傾斜)。まだ、政府の借金と、国民の借金を混同していたり、緊縮財政の発想から全く出られない人々。主流派経済学というのだろうか、新自由主義的な人には、全く関係ない話だが、社民のおばさん福島など、昨日の就任挨拶でも緊縮志向丸出しの話をしたらしい。本当に今時馬鹿じゃあ無いの。やはり、財務省を敵に回し、財政出動を本気で打ちだせない同調圧力が政治の舞台にあふれている。特に大きな問題は、立憲民主の幹部連中が財務省にがんじがらめにされていて、無残。中断・・・
2020年2月20日木曜日
神戸大の岩田医師の憤激
こういう言い方は、身も蓋も無いけれど、画像で顔つき見た瞬間、「良い奴だろう」と安心感持つのは、はっきり言ってどうかと思うけれど、紛れもない事実なので、一応表明しておく。30分ほど、野党との(いい加減な原口や、元社民の阿部、気の強い若手の石垣嬢らいた)やりとりを見ての感想だ。朝、羽鳥モーニングショーの時もそうだったが、岩田さんの音声が良くない。高音でキンキン、そうとうと聞きにくい。感染症のプロとして、どうにもならないクルーズ船に焦燥感に駆られて、どんな身分で入ったかよくわからないが、なんだか、チェックもキチンとされず、入れたらしい(だから、彼は、いろんな人が事実上自由に出入りしていた、かもと心配していた)。
彼は、プロの感染症の「対策のプロ」らしく(調べたら、関連書籍数十冊発刊している)、大事なことは、「対策・対応のプロ」、どうも先端のアメリカで学んできたようであり、そういう人は、日本にあまり居ない。羽鳥モーニングに毎日でている白鴎大の岡田教授も同分野、かなり激烈に厚生省批判している感染症ガバナンス?研の上さんもそうなのかも、しれないが、彼らの言では「感染症研究所」などの研究者、所長などは菌やウイルスの研修者であって、パンデミックの対策者では無いと言うことである。
気になるのは、岩田先生は個人として「抜刀隊」風に切り込んだのは良いが、トーンを少し落としているような気配も無いでは無い。撮影した画像を取り下げたこと、外国人特派員協会での英語のやりとりで、僕には全く不明なのですが、英語のやりとりを聞いていた人の感想が「やや、政府より」との評価ある。圧力がかかったのかしら。あるいは「海外での日本の不評をすこしセーブ」したのかもしれませんね。善意というか、見えない同調圧力というか。
ただし、その後に行われた野党のとのスカイプ会議では、めげずに戦っている印象でした。頑張って欲しい。こういう人が、出てきませんと、日本は本当に瓦解します。
彼は、プロの感染症の「対策のプロ」らしく(調べたら、関連書籍数十冊発刊している)、大事なことは、「対策・対応のプロ」、どうも先端のアメリカで学んできたようであり、そういう人は、日本にあまり居ない。羽鳥モーニングに毎日でている白鴎大の岡田教授も同分野、かなり激烈に厚生省批判している感染症ガバナンス?研の上さんもそうなのかも、しれないが、彼らの言では「感染症研究所」などの研究者、所長などは菌やウイルスの研修者であって、パンデミックの対策者では無いと言うことである。
気になるのは、岩田先生は個人として「抜刀隊」風に切り込んだのは良いが、トーンを少し落としているような気配も無いでは無い。撮影した画像を取り下げたこと、外国人特派員協会での英語のやりとりで、僕には全く不明なのですが、英語のやりとりを聞いていた人の感想が「やや、政府より」との評価ある。圧力がかかったのかしら。あるいは「海外での日本の不評をすこしセーブ」したのかもしれませんね。善意というか、見えない同調圧力というか。
ただし、その後に行われた野党のとのスカイプ会議では、めげずに戦っている印象でした。頑張って欲しい。こういう人が、出てきませんと、日本は本当に瓦解します。
2020年2月19日水曜日
慣れない、すぐ投稿忘れる・・
まだまだ、助走が続きそう。
右側にある今までの投稿履歴というのだろうか、書いてきた「年、月、本数、タイトル」をご覧のとおり、2011年(平成23年)3月の東日本大震災・津波以降、急激に作成(投稿)本数が、どんどん減り(その年はそうでもないけれど)驚くほど無残にも、書いた痕跡が断続的になり、ほとんど消えていった印象だね。記憶では、2011年の大震災から、急に書けなくなった記憶でしたが、履歴見ると、すぐにでは無く、「じわじわ」と投稿が減り2013年に年に数本だけの状況になったようだ。ただ、その頃から仕事上ではFACEBOOKの展開が必要とされ、その作業に偏っていった面もあったと思う。
問題は、何に苦しんで、何が邪魔して書けなくなったのか、深く考えてみたいのだが、現在は「助走」のトレーニング中故、ちょっと面倒で、今日はここまでとしよう。
明日夜、ノイバイに行って、明後日21日朝に成田に着く、予定にしています。
右側にある今までの投稿履歴というのだろうか、書いてきた「年、月、本数、タイトル」をご覧のとおり、2011年(平成23年)3月の東日本大震災・津波以降、急激に作成(投稿)本数が、どんどん減り(その年はそうでもないけれど)驚くほど無残にも、書いた痕跡が断続的になり、ほとんど消えていった印象だね。記憶では、2011年の大震災から、急に書けなくなった記憶でしたが、履歴見ると、すぐにでは無く、「じわじわ」と投稿が減り2013年に年に数本だけの状況になったようだ。ただ、その頃から仕事上ではFACEBOOKの展開が必要とされ、その作業に偏っていった面もあったと思う。
問題は、何に苦しんで、何が邪魔して書けなくなったのか、深く考えてみたいのだが、現在は「助走」のトレーニング中故、ちょっと面倒で、今日はここまでとしよう。
明日夜、ノイバイに行って、明後日21日朝に成田に着く、予定にしています。
2020年2月18日火曜日
なんだかデザインレイアウトなんかあーだコーダしていたら
全く進まず、仕事に忙殺だけで、土日の余裕さえも、ブログに使えず、本気に閉口。さあ、いよいよきちんと再開しないといけないね。3月1日、スタートとか、決めないといけない。今年、いまブームになりつつあるので嫌なんだけれど、「YOU TUBE」とFACEBOOKと、このブログの三位一体で、全力PR(マーケティング・コミュニケーション)はじめたく思っています。ツイッターするほど、速報性も不要だし、まあ、ここから始めてみよう。 写真は先週20年ぶりに行ったフエにて。
2020年2月9日日曜日
2月から、つまりTETの最中から再開のつもりであったが・・・
2月6日ハノイに戻ってきたが、忙しいこと多く、まだ、ブログの執筆に意識が到達していない。再開というか「続行編」の第一回のブログの内容は、大体決めた。去年春の「MMT登場で被害を受けた意外な人々」と仮題つけておこう。来週から、週に「2本」ぐらい出稿する決意でいます。では・・その前にこのブログのレイアウト・デザインよか、整理したいんです。阿部 ハノイ
2020年1月20日月曜日
2018年5月1日火曜日
2016年2月3日水曜日
2014年12月18日木曜日
僕らVCIの新しいVIETNAM語版 WEBsiteできました。2015
http://www.vcihanoi.org/
ベトナム語版をお読みいただけます。VCIの卒業生の日本での各社での活躍や、VCI授業風景、採用面接の模様など写真が充実しています。じっくりご高覧下さいませ。
阿部
更に僕のFACEbookもご活用下さい。https://www.facebook.com/masayuki.abe.7315
ほぼ毎日、更新しています。
以上。 阿部
ベトナム語版をお読みいただけます。VCIの卒業生の日本での各社での活躍や、VCI授業風景、採用面接の模様など写真が充実しています。じっくりご高覧下さいませ。
阿部
更に僕のFACEbookもご活用下さい。https://www.facebook.com/masayuki.abe.7315
ほぼ毎日、更新しています。
以上。 阿部
2014年9月10日水曜日
昨日9月9日、朝日の朝刊の国際面にVCIが記事として出たので・・・
ハノイ駐在の朝日の佐々木記者が7月の末に取材に来てくれた。その記事が9日の朝刊国際面に出たので、ブログは本当に久方ぶりで、恥ずかしさを伴うんですが、FBとともに、記事として載せた。佐々木さんはVCIのことを「私塾」と書いていて、僕も感心同意。学校でなく改めてVCIは塾であり、規模から行っても「私塾」いいね。良いネーミングだし、実態をとらえています。記事が僕へのサジェスチョンになったね。佐々木さん、ありがとう。https://www.facebook.com/masayuki.abe.7315 ( FBにも載せた)
写真は文字が小さいので、読めますか? 記事の上段と中段の前半にVCIのこと採り上げてていただいています。
写真は文字が小さいので、読めますか? 記事の上段と中段の前半にVCIのこと採り上げてていただいています。
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