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2012年9月5日水曜日

ラオスは文字通り美しい

金色で有名なタート・ルアン寺。手入れも行き届いている。紺碧の青空の中の金色には凄みさえもある。

4日、仕事(僕の本のゲラのチェック)があると思ってビエンチャンのホテルで待機していたら、それは5日だとNGOCさんに電話で指摘され、慌てて午後に街に観光に出た。で、最初に驚いたのは、ラオスの女性は豊満、つまりデブが多いと言うことであった。ベトナムはデブは極端に少ないからね。ついでに禿もほとんどいない。GNP55位ぐらいのベトナムと比べて130位ぐらいのラオス(国民が600万人しかいないからね!)のデータが僕の頭を巡って、本当に不思議に思えた。ベトナム同様にやせっぽちが多いと頭から思っていたからだ。途上国だからという先入観とは本当に恐ろしいね。10年以上前に何度か話したことのある歌舞伎町の飲み屋のラオス人女性も美しかったがやせ細っていたんだ。顔立ちは中国人や日本人に近く肌も白いハノイのベトナム人女性たちに比較して、ラオス人はタイ人に近いというか、豊満な女性陣は太平洋の島々のポリネシア系の人々に近い印象だ。ともかく若い女性も中年女性も3人に一人は太っていたのだ。この現象は最近の急激な豊かさが原因なのかしら。今日、ホテルで聞いてみよう。でも、レセプションの女性にいきなり僕の訥弁の英語で「ラオスの女子にデブが多いのはなぜか?」ときくのは、ちとはばかれる。

 *参考 GNI(個人に換算)では、ルクセンブルグ1位、米国8位、日本15位、韓国20位、中国80位、ベトナム118位、ラオス121位)

観光地「仏陀公園」に行くデコボコ道の途中でメコン川に遭遇した。「おお、これがメコンか」と内心感動。滔々と流れる様は雄大だ。タクシー運転手があっちがタイさ、と指さした。川幅どれぐらいかしら、1キロぐらいか。「タイは、近いんだあ」。向かい側は当方より幾分大きなビルや寺院が見え、整理された街に見える。あっちは西日に映えていた。
ところで、ラオ語でラオスは「 beautiful、(VN語で)dep、美しい」の意味。まずはいい国のように感じたしシンパシーも覚えた。が、ちょっとした距離しかない川向こうがタイであると、言語や社会の仕組み、生活上の感覚などが有無を言わせず大量に日常的に流入してくるんだろうなあ。タイの影響は町中にあったね。たくさんある寺院のデザインはもとより、看板などや民家の色合いもほぼタイ方式に感じる。インターネットで調べたら、タイ文化やタイ語の席巻でラオ語は危機に瀕しているらしい。軍事的、政治的には、(主に中国の脅威から)ベトナム兄に守ってもらい、文化はタイ的な要素をどんどん入れている国。島の国日本では育たないバランス感覚を特別に持っているのだろう。
メコン川。川向こうはタイ国。情報のタイからの流入に抗するためにか、ベトナムのテレビチャンネルが5局、ラオステレビで放映されている。

仏陀パークの有名な仏の寝姿の前で立ち姿。


仏陀パークを見ながら、香港のタイガーバームガーデンを思い浮かべた。


 街は首都であってもまあ、こじんまり。中心街というようなものが、あったかどうか。タクシーであちこち巡ったが、ハノイにあるぐじゃぐじゃした街にはお目にかかれなかった。だから、いつも街外れの印象で、ベトナムと違うのは通常の住宅は金持ちで無い限り、木造平屋でトタン屋根なので、一見日本と見まがう一角さえあった(写真取り損ねた)。見まがうで言えば、アメリカ中西部の砂漠地帯のドライブイン中心にしたタウンにも似ている。なぜかって言うと、やたらピックアップトラックが走り回っているからなんだ。カーボーイハットのマッチョがのってる相場のピックアップ。後ろに小さな荷台がついている、アメリカ好みの4WDだ。なぜ、それが、ラオスの乗用車部門の見たところ30%以上を占めているのだろうか。我がベトナムがオートバイ大国なら、ラオスはピックアップ車の天国かな。タイやカンボジア、ミャンマーの車事情をよく知らないけれど、
おそらく、このピックアップは多そうだね。写真にもあるようにビエンチャンの都会っ子は、僕の宿泊したDRoseホテル近くの交通量多い交差点で、通過車の乗用車系の半分はいかないけれど、3割はいくほどの数であった。日本車が多かったが、アメ車もあったね。いま、ビエンチャンの空港の待合でこれ書いているが、目の前にあるテレビではラオスのハンサム青年の「青春物語」風なテレビドラマがあって、主人公の青年、かっこよくピックアップを乗り回している。
向こうに見えるのグリーンの車は例の太いパイプ付きだ。

ともかくやたらとピックアップ車が行き交う。

ラオスの生産しているコーヒーの店。アラビカもあり、飲んでみた。

9月2日はベトナムの独立記念日。時節柄、兄弟国ラオスでもあちこちにベトナムの旗があった。

ラオビール。あっさりしていて、ベトナムの「ハリダ」に近い味わい。

ベトナムの「フォー屋」と同じようなたたずまいであちこちにあるうどん屋。確かに美味しいが地味なテーストで、「オー、うまい」と台詞が出てこなかった。

フィリピンに在るような乗り合い「オート三輪」車。専用のバス停もあって定時に動いている車両も在る。

ベトナムほどの工事数ではないが、どこもかしこも建築ラッシュだ。ハノイはいま、60階建て、40階建ては珍しくない高層ブームであるが、全市見回した訳ではないけれど、ここはどうも5階建て、10階建て止まりだと思う。でも、街外れの街道にはコベルコ(神戸製鋼)の建機が、20~30台、キャタピラのも数十台、コマツも大量においてあって、ものすごい建築、土木のブーム近しの雰囲気。驚いたのはベンツの建機が40~50台並んでもいたことだ。見たこと無いよね、普通。なにせ、ベトナムは日本のODAの「お陰もあって」国中の道は舗装されて(山岳部は知らないけれど)いて、一応おわりかけているのとちがって、このラオス、角栄さんならうれし涙もでようと言うくらいの「国土改造計画」が今から在りそうだ。ミャンマーの次かな。

書いていて、ちょっとラオス史を見た。懐かしい名前が、ずらりだ。クーデタ起こした(かっこ良い)コン・レ大尉、のさばってきた(悪いやつ)ノサバン将軍、左翼パテトラオ、殿下なのにいつも革命側の不思議なスファヌボン殿下。クーデタ当時1960年で、政治に並々ならぬ興味を持ち始めた小学校六年。その時の印象でそう覚えていた。実はコン・レ大尉は、「コンラッド」と記憶に入れていて、高校の時に映画(ピーター・オトール主演)見て、本読んだ「ロードジム」の作者コンラッドと混濁していたようだ。





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