昨日、ベトナムの中大手のツアー会社の幹部が面談したいと来校してきた。ベトナムのある地域に現在のVCIの「ハノイ日本アカデミー」を分校として出しませんか、という提案であった。問題は日本の景気の回復の時期と初頭の予算であると明確に返答した。地元の有力大学と或る政府の省庁と提携しなんとかなる、という。彼は、その旅行会社の社長であり、もう一つの肩書きはその省庁の副局長級であった。日本とちがって、官僚のアルバイトは全く問題ない。問題ないというどころか、そっちが本業の官僚も少なくない。霞ヶ関の高級官僚とちがって、この国では高級な立場にいても、給与は薄給。政府としては有能な人材を手放さないためにも、個人の「多角経営」「二毛作」を重要な施策にしている。
更に、観光開発の話に及んで、一家言ある僕としてはかつて観光総局時代に女性大臣に「ベトナムの観光のあり方、改善策」を提案したしたこと、2005年春に当時の服部日本大使に直々に大使室で「観光資源の活性化の支援」のようなタイトルのオリジナル提案をして、大使が「阿部さん、これは良いね、進めたい」とおっしゃったことを彼らに滔々と伝えアドバイスした。この企画書は、30ページぐらいの物ですが、かなり丁寧に観光資源の地元住民が主体となったあり方、つまり、地元住民組織、地元大学、地元自治政府が三位一体になって初めて、観光資源は磨かれ活きてくると、世界の例なども交えて展開した物で、5年振りに読みたいとおもったが、ハノイに持ってきているIBOOKにはその原稿データが入っていないようであった。
ついでに、その企画書にも記述してあるが、香港130万人、韓国230万、タイが80万(だったかな)の日本人の渡航人数に大分水を空けられているベトナムで、現在の日本人のベトナムへの渡航者40万人を倍にするにはどうしたらいいか。
そのソリューションの一部を思い起こしながらアドバイスした。僕は80年代バブルの時代、時代の風に乗って、全く今となっては赤面ですが、リゾート開発の「先端企画」の提案者として、あちこちに係わったことがあった。その時代とは今は大分違いますが、観光地やリゾートを訪ねる日本人の目的や感性を簡単にお教えした。日本社会はスピードと利便性に価値を見いだしている(今までの大要)が、お金を出して、物見遊山するわけだから、価値観が逆転し「ゆっくりで、不便」な非日常を楽しむ志向が強いことなど話した。
更にベトナム人が苦手とするホスピタリティーについても、現状のハノイでの実例を出汁にいくつか手振り身振りを交えてお話しした。勿論、ここにはちょっと書かないが彼らからの良いアイディアも頂いた。お二人の幹部の一人は女性で、僕が時々お邪魔するブオンの実家のアパートの上階に住んでおられるとのこと。その関係でいろいろおしゃべりする機会も今まであって、今日お呼びしたとブオン。如何にもベトナムらしい関係でのビジネスの切っ掛けですね。
■ 僕が1990年に起業してから、20年。それに連れ添ってきてくれたのがMACさ。女房じゃあ無いけれど、労苦を共にしてきたって奴だ。黒のパワーノート、ミニの一体型(モノクロモニターやカラーモニターも買った)、から始めて、CRTだけでも当時60万円ぐらいした(確かIBMと共作?)デスクトップとか、半透明でカラフルなIMACも2台連続して使っていたし、今のIBOOKG4まで2台並行の時もあったが、数えると10台ぐらいのようだから、MACファンの割には、購入台数は少ない方ですね。エバンジェリスト(伝道師)的なファンが多いMACの世界では僕などまったく熱に浮かされない地味な使用者に過ぎない。
アップルにおいては、創始者ジョブスが、自分が引き入れたペプシコーラの会長(砂糖水親爺)に放逐され、キャノンなどとくっついてNEXTコンピュータなどをやっていた10年ほどの空白などいつも暴れん坊スティーブ・ジョブスを中心に会社は混乱・脱皮・変革を繰り返してきた。
かつて、ジョブスはソニーの「バイオpc」をsexyだと言った。ジョブスらしい公平な評価だし、更に彼の余裕の現れだとも取れる。マッキントッシュは設計の思想が、悪いけれどMS系の有象無象(富士通やNEC、東芝・・MS系でバイオとパナソニックのレッツはまあ良い)と違うのさ。イノベーションに振り回されない。ビジネスなど人生の一部に偏した道具と考えない、人間の全生活にとけ込めるものとして開発する。さらに、次の時代をブレークスルーさせるための革命の武器であり、高く掲げ進軍する蒼氓のフラッグであると考えている、と僕は信じている。だから、格好いいし、その革命性に惚れてきた。インターネットは、アメリカ国防省の通信であった。ご存じのようにね。そのインターネットは誰の物でもない空気や水、海として解放され、享受できるように全世界の通信革命家たちが、ビジネスとはまったく違う「位相」で構築してきたのだ。毎日お世話になってる「SKYPE」もその一つだし、リナックスもまさにそうだ。マックは、所詮「商品」ではあるが、その「同時代」精神はジョブスを中心に引き継がれている。
僕の好きな言葉の一つ「君子豹変す」。僕の理解では、賢明なアイディアや高邁な考え方を思いついたら、朝令暮改でも良いさ(暴論ですがね)、なのである。ということで、アップルに於いてはやはり、あんなに敵対していたのにIBM製のプロセッサーからインテル(MS派)に豹変した。こんな事ってあるかいな?とこの臆面の無さには「豹変好き」な僕でも驚いた。さらに、PC以外の音楽産業に参入し、IPODはじめめざましい多角的な経営で大成功に至った。僕のような保守派からすると、この様変わりが、なんだか落ち着かないというか。IPHONE IPAD・・アップルっぽくおしゃれで楽しそうな製品で、まあ、アップルらしいとは思いまますよ。だけれど、肝心な原点であるPCにちょっと精彩がないというか。
IPADは板だ。考えるボードだね。これはIPHONEの仕組みを大きくした製品だといえよう。でも、実は今後、PC系ツールから出発した本格ボードも研究中であるそうで、つまり、そうなってゆくと、PCは無くなる運命かな?だから、現在の新しいMACBOOKに何故か、「もうひとつ感」があるのかしら。僕勿論買いますよ。スペックも悪くないし。価格も下がったからね、IBOOKG4よりも。でも、いつもの「革命」がない、画面から心地よい酸素を放射するごときの新鮮さが、今ひとつ。やはり、現在は「新ボード」革命への助走中ってことなのかしら?
先日、仕事で東北大学病院の教授である高校の同級生を訪ねたとき、彼の教授室にどんとMACが鎮座していた。研究者は画像が多いのでMACさ、と友人がさりげなく言った。
■ 訃報である。作家の立松和平さんが亡くなったとインターネット新聞が報じた。まさに同時代人だ。彼は早稲田の政治経済学部に入学後、ベトナム反戦闘争や全共闘を戦った。彼の作家としての骨太さと誠実な筆致は、むしろ大学から離れた後、日雇いなど肉体労働者を経て書き始めたことにあると言われている。そう言えば作家となってから、久米宏さんのニュースステーションにて、自然を探索するガイド役で、かなり長期に出ていた。独特の声と栃木の言い回しは視聴者で覚えておられる方も多いことだろう。僕の友人の橋浦方人監督が1984年本編「蜜月」を撮った際、お誘いを受け、原作者である立松さんとご一緒する機会が二三回有り、楽しく談笑させていただいたことがあった。立松さん、全く惜しい。悔しい。今から、老練な領域に行けたのに・・。心から哀悼を表したい。「途方にくれて」「遠雷」「火の車」「光匂い満ちてよ」「蜜月」「世紀末通りの人々」素晴らしい作品でした。立松さんありがとう。合掌。ハノイにて。
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