そのだいぶ前に白い犬「白」がいた。僕が深夜西武線の小平駅を酔って寝ていて乗り過ごし、新所沢で目覚め、仕方ないので、線路を歩いて小平めざしてとぼとぼ歩いていたときに僕の頼りない足に絡みついてきた白いもの。それが目もほとんど開いていない幼犬白さ。それ以来老人犬で老衰死するまで小平の家でみんなで飼った。義父義母、はるひ、一行そして動物大好きのテルコ(晃子)皆でかわいがったものだ。途中で我が家には黒豹のような猫が加わった。これも、いつの間にか意味不明の「ファーディー」だという。
1990年代後半にこの白も黒猫ファーディーも相次いで老衰か、動物ガンで寿命を全うして死んだ。墓は庭に作って葬ってある。テルコや子供たちは泣いていた。身近な初めての「死」であった。そのあと、同居の義父や義母も80才代で老衰とガンで亡くなった。六人家族に動物2匹の大きな家族が我が家だけの4人となった。その途中の1993年秋にはテルコにガンの告知があった。5年生き延びる可能性が25%の第三ステージだという。可愛そうな晃子。そのテルコの寂しさ一番の頃来たのが、この白黒と三毛なのだ。はるひに確認すれば正確に分かると思うが、たぶん2001年頃に知っている動物病院の関係者からもらった様で、それもはじめは三毛だけだったらしいが、どうせ飼うなら白黒もという事で2匹にしたようだ。テルコらしいね。
はじめはテルコの部屋と隣接の20畳ぐらいの大納戸だけで飼う約束であったが、当時は「広大な」家にいたので(延べ床67坪の青森ヒバ木造三階建て)、すぐ約束は反故となり、家中を闊歩していた。そのうちジャングルのような庭にも進出し、ノミを家に大量に持ち込んで流石の当家猫マニアの女性二人も閉口していたようだ。当時我が家には「外猫」といわれる家には入れないけれど(この2匹がいるので、入れたら嫉妬するので)、庭でエサだけ与えている猫が雉(きじ)猫、茶、白、くろ、怪獣顔、など5〜8匹は居たんじゃあないかなあ。赤ん坊も軒下で2,3回も生まれたりして、子猫がたくさん徘徊していた時期もあった。
南側にいた三浦さん宅のご夫婦はとってもいい人なんだが猫嫌いらしく、犬はいた時期があったが、庭に消毒剤を散布するときがあって、臭いに困らされた。たぶん、当家の外猫(三浦さんにとっては、外猫も阿部さんちの猫)と猫ノミ対策なのかもしれないね。まあそんな消毒薬とかのことは、「数奇な運命に」関係ないので進める。といいつつ、猫の毛だらけの生活にハノイでなったので、くしゃみは出るは、喉奥がかゆくなるは、目がくしゃくしゃになるはで、体調も思わしくないのだ。まいったぜ。
晃子(テルコ)は1993年9月にステージ3というもう直らないほど進行していたのは書いたね。10年間果敢にガンとたたかったが、丁度10年後の12月20日、天の国へ渡った。そのときこの猫2匹はご主人様の死をどうとらえていたのだろうか。葬儀を自宅で行い、庭も明かりなど普通の葬儀用とは違う設えをしたので、ラックとももは、何も現実を知らず、ただ、家の奥に行き喧噪からただ逃れたい一心であったのだろう。冷たい奴らだ。お線香の1本でも挙げろよ。でも、猫の手だからなあ、お線香持てないね。でもさあ、それにしても晃子(てるこ)のご遺体を安置してある棺の周りをうろついて、「ああ、猫もわかっているのね」と親類縁者の涙を誘うとかしてくれてもよかったんじゃあないの、オイ、ラックともも。
妻が亡くなった後、2年弱ほどこのまま居て、毎日僕は朝ご飯と夕ご飯を作り、洗濯して、3人と2匹の共同生活が続いた。一行が北海道に転勤し、はるひも自立するというので、家を売る頃は僕と猫だけとなった。さあ、ここからが、流転の猫。数奇な運命というより、流浪の猫、棲み家不確定猫の方が合うかもね。猫は昔から家に付くというよね、てるこから聞いた、主人変わっても家に執着するのが猫で、主人に付いていく忠義な犬とそこが違うわけだが、可愛そうに奴らの場合、主人は僕(はるひ、一行がたまに)で、それも積極的に主人になったわけでもなく、てることはるひの圧力というかそういうものの影響でそうせざるを得なくなっただけの、消極の主人なわけさ。その飼い主と彼らの8年間、家は小平から東伏見、早稲田、早稲田のオフィス、途中で短期間はるひの本郷、狭山市、一行の江東区、はるひの中央区湊そして、ハノイ市レータンギー通りさ。
いきなりベトナム航空の荷物入れ(飛行機の胴体部分の温度調整など期待できない)に積まれてさ、お気の毒に。で、ハノイに到着して心配で急いでバッケージクレーム機に行ったが、まさが他のスーツケースと一緒にドスンと出てきてぐるぐる客の前を曝すのかなと、思ったので空港の暇そうな青いアオザイの娘に「動物はどこだ、どうやって出てくるのか」とブロークンで聞いたら「あっちだ」という。指も指す。「あっちはトイレだ」と反論すると良いから行けと顔の眉と唇を段違い平行棒にして宣うのでしょうがないので歩きだすと、確かにトイレとクレーム機の間に我が家のなつかし猫ゲージが2列に置かれていた。駆け寄るとラックは目がまん丸に開いていて、完全にくたばった感。ももは、そうでもないが、元気なく寝そべっていたので、あわてて水ボトルを買って、蓋を皿にしてのませたが、ほとんど飲まない。本当にちょっと焦った。
でも、タクシーで自宅に向かう中で、次第に回復し、猫好きで猫が4〜5匹いる大家さんとNGOCさんや女中さん、chiさんらが自宅で迎えてくれて、歓迎の雰囲気の中ですっかり良い気分になったのか、体調も回復し大きなタイル張りのトイレに取り合えず閉じ込めて、みんなとオフィスに向かい、そのまま仕事さ。夜帰ってくると日本製のエサが、大家さんからもらったりして、彼らもまんざらではない感じ。ただし、大家さんの猫は見たところチンチラとシャムらしく如何にも由緒正しい出自のようで、我が平民出身の雑猫が、対面したらちょっと怖じ気づくかな。
偶然にも良かったのは気温だ。湿度は何時もの70〜80%で、日本と環境が違うが気温がいきなり40度にはならず、本物のファーコート着てるので暑いだろうけれど、30度程度であったりで、猛暑に出会っては居ず、心配するほどではなかったが、今後盛夏が乗り切れるか、日本の電力事情と似ているけれど、猫は猫として工夫すれば、なんとかなるさ。ベトナムの家は寒さ対策はなっていないけれど、暑さ対策は建築に一定程度施されている。その1は、何処の家も床が総タイル敷であることだ。だから、冷やっとする床に我が2匹も盛んに寝そべっていて、もう、慣れた装いで仰向けなどしていて快適なようだ。二つ目は天上が高く、暑い空気は上に集めて部屋の下方は涼しいなるような構造になっていることだ。
さあ、数奇な運命の猫ちゃん2匹よ、妻の魂も宿っているような猫ちゃんよ。上手く生きてくれ。ここは君らまるで知らないだろうけれど、ベトナムと言う亜熱帯の新興国さ。金持ちの猫も居るだろう。流転の末たどり着いたベトナム・ハノイで、熟女の幸せを探してくれ。飼い主の僕もそれぐらい手伝うぜ。
後日、ベトナムにいる写真を2,3載せようね、ラック、モモ。 《完》
上記の文にある家から、また移転して、この写真は僕のオフィスの猫部屋の二匹。
ラック(白黒)にかいがいしくつくすモモ。でも二匹ともおばさん猫です。
写真は2012年9月。
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