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2009年11月11日水曜日

僕は保守なのであった / 検挙率の激減の現象は一連の低迷とパラレル

■最近「34才の女」とか「35才の女」とか、アラフォー(にやや近い)詐欺女子の活躍がめざましい。草食系男子の増加とか、冗談言っているうちに肉食系を突き抜け「破滅系」女子がいつのまにか華やかな町の裏道で、静かに増殖していたと言うことだろう。共通点は、何のためらいもなく大の大人の男性を殺していることだ。いままでは、詐欺は詐欺、借入金の踏み倒しは踏み倒しで、独立していた犯罪であったが、今回はわりに自然な形で殺人も混在させている。もの凄く乱暴に相手にリセットを架けている。計画的なばれない詐欺とか、逃避行とセットにした詐欺や踏み倒しは、よく在ることは知っている。こういうのが自然だ。おそらくニュースにならないレベルや提訴さえされていない事件はおそらく数十万件いな数百万件も在るんじゃあないかな。

今回は、ばれる程度の詐欺だからリセットしている。つまり、ばれないように計画的に芝居を徹底させる詐欺行為がめんどうだからの殺人なのだろうか。踏み倒しも、「返してくれ」と借金取りが来たら、いとも簡単に殺している。どうも、彼女ふたりは、「詐欺や踏み倒しは、ばれやすいが、むしろ殺人はばれない」と確信を持っていたかのようである。
警察もなめられたものである。警察の委託の司法解剖の医者が少なくて問題になっているのは解るが、「暴行の跡が明確だけど、事故死」とか「遺書らしきものが在ったので自殺」とか「足跡が本人のモノしか発見できなかったので自殺」とか、多くの警察署が予算がかかるもの、面倒そうなものは蓋をしてともかく「事件性はない」と目を塞いできたことがもろに露呈している。さらに、捜査力の衰え、プロの不在は明白だ。破滅系が更に増殖すれば、発想の及ばない警察の混乱は火を見るより明らかだ。

今から何十年か前、弟とテレビを見ていたら「日本の殺人の検挙率は99%ぐらい。それに引き替え殺人の多いブラジルでは、20%程度」とアナウンサーが言っていた。僕と弟はおおいに笑い遅れた国ブラジルをなじったものだ。そのJAPANは、いまどうだ?自然死、自殺、事故と処理されてきたものが、実は殺人であった事件が山のようにあるのではないか。真剣に捜査しているのだろうか。捜査技術も、他の業界と同様に格段と低下しているんじゃあないだろうか。彼女たちも元は「普通の少女」だ。第一回目の殺人の時はおそらく慎重に計画的に何か小説などを参考にして、「丁寧」に行ったに違いない。まさに、それが”運悪く”、ぼんやり警察は、執ような捜査もせず、すぐに遠くにいってしまい、いつの間にか「事故死で処理」とかの情報が当人たちに風聞として、もたらされたに違いない。
「殺人は意外に簡単だ」とそのとき、次の計画のイメージと共に彼女たちは、その甘味な祝祭を体験したのだろう。彼女らはおそらく、5〜6人の殺人を犯している。そう言う意味では死刑は抑止力になっていない時代にほぼなりつつあるようだ。それにしても、詐欺罪などで逮捕されている二人の写真や容疑者としての実名を新聞とテレビが隠している理由がわからない。実名を出している週刊誌の販売促進に寄与しているだけとしか思えないな。

■ ところで、講談社が「月刊現代」の後継雑誌として9月に創刊したのが「g2」だ。嵐山光三郎が週刊朝日で絶賛していたので、日本にいる娘に購入を頼んでいた。数日前彼女からもらって、確かにふむふむ。創刊号の宿命だろう、熱気溢れて「閑話休題」風な階段の踊り場的休憩所もない一気呵成のものであった。表紙も漆黒。時代離れしたエネルギー感覚をまともにぶちかまそうとしているようだ。いま、ハノイで、読んでいる。僕は創刊号をかつて集めていた時期がある。「ダカーポ」「フォーカス」、変わったところでは河出新社の「終末から」とか、30冊ぐらいはもっているんだぜい。さて、2号目はどの程度、落ちるか。

■ 先日NHKで「新日本紀行ふたたび」をやっていた。その日は木場・深川がテーマのようだ。ご存じの方も多いと思いますが、昭和30年代、40年代の最優良テレビシリーズ「新日本紀行」は、富田勲の音楽と共に我々の世代には、お馴染みですね。で、この「ふたたび・・」はその30〜40年後の変化を検証し、日本の社会の移ろいを描写するモノ。たまにしか見れないが本当に意義深く優良な作品が多い。

「Google」で「新日本紀行ふたたび」を検索すると、音楽を聴けるボタンも付いていますよ。今度は歌詞つきだ。何とかという琵琶奏者が演奏とボーカルをやっている。これがちょっとおどろおどろしさも加わり、あの富田サウンドが正に過去を振り返るのに相応しい音階を奏でている。とても良い。さて、その木場は大いに変化した。何十とあった材木屋はほとんどが大型高層マンションに変わって、風景は激変している。人も世代が変わり、72年に撮影した当時若者の一人であった職人はいま、「ふたたび」では、初老の棟梁に。時代の変遷が明瞭に描写される。しかし、変わらないモノは伝統をしっかり受け継ごうとする庶民のしっかりとした意志だ。

木場には昔、流れる水路の材木に乗り製材所に材木を寄せる職人を川並さんと言う職人衆がいた。その行き交う風情は江戸の庶民文化の一つだった。川並さんは角材にのり、粋と腕前を競ったものだ。この川並衆のはっぴ姿。鳶のスタイル。火消し衆も含めた江戸のいなせや粋の極みと言って良いでしょう。さらに、木遣り(きやり)歌は泣かせる。江戸の労働歌であったものが、各地の風土と交わって伝播していったもののようだ。2009年の現在のシーン、角乗り(角材に乗る)を学んでいる若い衆の結婚式で歌う数十人のいなせな男衆。労働と伝統を歌い上げる凛とした男衆の木遣り。この美しさと人々の伝統を守る意志から畏敬すら感じた。テレビの画面に引き込まれ自然と熱いものがこみ上げ、大粒の涙となって僕の頬を伝って零れた。江戸のデザインの斬新さ、江戸の文化の格好良さ。雅とはちがう庶民の洗練。

女房自慢になっちゃうが、これらの江戸前の美しさを僕に気がつかせてくれたのも、亡くなった晃子だ。西洋ヒューマニズムに基づいた単なる左翼急進派であった僕に、70年代初期から無農薬・有機農業の大切さを教えてくれたのも彼女だし、歌舞伎や江戸文化さらには日本の絵師、彫刻師たちの事、さらに山登り(登山というほどじゃあないが)、自然を愛でたりと、多様な価値や視点を学んだり、関心を持つ切っ掛けは全て彼女に負ったものなのである。
片や、言わなければならないのが僕の親父の事だ。彼は青学や早稲田、日本医科歯科など7つの大学に籍を置いたことがある強者であり、最終的には、早稲田の文学部心理学科のマスターを出て、故郷仙台の高校教員になった人物である。

心理学科では一年後輩に本明寛さんがいたらしい。親父はこういう環境で学んだインテリゲンチャーなので、いわずながな西洋的金縛りから抜け出せないのだ。どんなに知識欲があり、学習に励んでも日本やアジアの歴史の面白さとか価値に気づかない。気づかないだけならまだ良いが、「遅れた」ものとして、自分のテリトリーから無視し排除する傾向が強い。だから、僕が育った環境はわかりやすくいうと「クラシック音楽は良い。民謡や歌謡曲は程度の低いもの」という、絵に描いたような戦後(アメリカ)民主主義の楽天的なインテリの家庭環境であったのだ。親父は、熱心じゃあないがキリスト者だし本当に善良な人物。93,か94才あたりで、まだ”ご存命中”だ(笑い)。今頃彼のことをとやかくいうつもりもないが、日本に生まれ育った僕が日本の良さに触れ始めたのは22,23才、晃子と付き合い始めてからだ。だからやはり、慚愧な気持ちが幾分残る。僕の日本(亜細亜)回帰的保守的感覚は影響の大きかったこういう父への反発の中で次第に育ってきたものだ。

小沢さんが、昨日あたり、「キリスト教は排外的・・」とか言って物議を醸しているらしいが、彼のそれはめずらしく、正しいね。好戦的お節介屋キリスト教と、ホワイト中心の民主主義、そして貧乏になる自由だけが横溢している世界資本主義が三位一体でこの数百年地球を覆って来た。本当に不幸なことだ。この呪縛から抜け出さないことには、暴力と差別と戦争と資本抗争にみまわれているこの美しい星に未来は決して来ない。

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