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2009年12月19日土曜日

理解を本気に求める

うう〜ん、鳩山さんの目が完全に宙を泳いでいる。自信なげな表情が丸出しとなっていて、気の毒なくらいだね。会見前にマイクの前で転けそうになったりさ。鳩山さんにリーダーシップがないことは、大分前から関係者は充分に知っているわけだから、問題は国家戦略局というか、管さんが活発に動いていないことにありそうだ。何故かね。国連では、CO225%削減をひっさげて登壇して目立ったし、良いデビューを飾ったことになったが、今回のコペンハーゲンのCOP15会議のように開発途上国がガンガン発言し、つわものの海外NGOが跋扈するなかで、どんなに「金だすよ〜」と叫んでも、誰も振り向いてくれない。この世界における日本のプレゼンスと政治力の無さの現実を直に肌で感じたと思う。だいたい、そのような闘いの場に着物着た女房つれていって、どうするんだ。まったく〜〜。

最近小沢さんが、いらついて思わず表面に出始めたが、事態が落ち着けば、裏に回るはずだ。彼は保守の革命家であって、つまり総理大臣は自分に無理と自覚もしていると思う。民主党結党の総費用20億円全額は鳩山さんちのママが提供したわけだから、鳩山さんはオーナーとしてもっとメリハリ付けて欲しいですね。それにしても、すぐに官僚に取り込まれて「省益」にきゅうきゅうし始めた元社会党の赤松とか、防衛の北澤とか、総務の原口とか最低だ。彼らの政治センスは本当に情けない。しかし、期待できそうな副大臣が結構いるね。大塚さんとか、古川さんとかね。なかなか溌剌としています。年末を迎え、気持ちは明るくしていこうぜ。

六月十三日のこの欄に書いたことだが、今時の冴えてる学者は神戸女学院大学の内田樹(たつる)さんと元早稲田の生物の池田清彦さん、東大の上野千鶴子さんぐらいとね。で、いま、内田さんの新しい「日本辺境論」を読んでいる。いままでなかった最深の(最深だよ)知識をもたらしてくれる。彼は丸山真男さんや川島武宜さんの受け売りですとか、埋もれていてもったいないので掘り起こしているだけと謙虚だが、日本に横行する現実主義という仮面や、戦争責任でさえ誰もそれを負うことがない日本の国家の姿、また世界基準に準拠しないと不安になる日本人の位相を余すところ無く暴く。「和を以て貴しと為す」という”思想や戦争をも超越する感覚”。我がニッポンという辺境の思想と文化の成立を語り部の如く平易に解き明かしてくれる。そして、その辺境者の文化を安易に否定せず、より深く論を進めてゆく。本年最高の収穫だといえそうだ。良い本です。先週あたり、ベストセラー上位ランクに顔を出していた。
ページに線を引いたり明快白眉のページの上部を折って、後でまた読もうと意識するのはホントに何年振りだろう。

同時に元朝日ジャーナル編集長の村上義雄さんの「朝日ジャーナル・現代を撃つ」も読んでいる。「朝ジャ」の歴史的意義などだけでなく、小田実さんや、久野収さん、加藤周一さんらの当時の記事や対談もあり楽しい。今となってはとんちんかんに見える当時の論旨もあって、全体が無理せず自然体に仕上がっている。でも去年逝去された筑紫哲也(かつてやはり「朝ジャ」の編集長であった)さんのことが何故か触れられていないようだ。さらに、昨日から四方田犬彦さんの「日本映画100年」も並行して読み始めた。

さてさて、ドストエフスキーの「罪と罰 第三巻」がちょっと進みが悪い。最終巻に来ているのでスパートかけようかな。実はまだ20ページそこそこなんだ。そういえば僕が中学校の時、文学好きなクラスの女の子が既に「罪と罰」を読んでいたことを思い出した。ぼくの高校は男子校であったので、その彼女は間違いなく中学三年の同級生だと思う。多分、江川卓さんの翻訳本かと思ったが不安で調べたら、江川さんのは1965年翻訳だから違うようだ。1965年は僕ら高校だったからね。おそらく戦前からの大御所米川正夫訳なのだろう。その文学好きなクラスの女性は中学三年の14歳で「罪と罰」読んだ後、60歳過ぎたまた最近読んだかしらん。そんな本好きな女の子は結構周りにいましたよね、昔。僕らはまじめな女子と違ってもっぱら「マガジン」」とか「サンデー」。ラジオは「小島正雄の9500万人のポピュラーリクエスト」とか。なつかしいな。洋画は叔父さんが、東一番町に映画館を持っていたので、かなり見た。それについてはまた、次回に。
 
最近のCM。資生堂のヘアスプレー「UNO」かな。なつかしきリバプールの風情の4人が「シュシュッ」とか「ススス」とかしか言わない。たぶん瑛太とか小栗何とかが出ていると思う。みんな似ているんで、見分け付かず。4人ともハンサムで、ほっそり。胸毛もなさそうで、汗もかきそうにないさわやか草食男子。ビートルズの初期のスーツっぽい物着ててかなり格好いい。ビートルズは襟無しだったがね。実に快適シュシュシュッの30秒。ところでリズミカルなデブの踊りは、けっこう小気味良い。シュシュシュの4人と正反対で、迫力あっておもしろい。「凄麺」とかいう即席麺のCM。かなりいける。お相撲さんといっても三段目とかぐらいの髷が小さい連中が、ガンガン踊ってラーメン食うだけだが、なんか可笑しい。微笑ましい。パパイヤ鈴木的なメリハリが効いたダンスだ。見てて気持ち良し。ジョン・ランディス監督の「ブルースブラザース」をちょっと彷彿とさせる。

■先日書いた「ニッポン海外広報考」を整理し、字数を半分以下にして改竄(ざん)した。大分、わかりやすくした。

タイトル『海外諸国の庶民に理解と好意を本気になって求めたい』

私はこの十数年ほど、ベトナムのハノイ市と日本をほとんど毎月往復している。ハノイにも家があるのでテレビ番組を見ることも多い。彼の国のテレビ番組で特徴的なことは、いくつかのチャンネルで「ディズニーチャンネル」「韓流ドラマ」「中国歴史ドラマ」を朝から晩まで放映している事だ。チャンネルを回してあちこち見ているが、それらは洪水のようだ、と言っておこう。

私は団塊の世代である。私たち少年少女の当時の世界の中心は「ぼくら」「なかよし」「冒険王」「少年サンデー」「少年マガジン」などのマンガ誌と数々のアメリカ製テレビドラマであった。
『うちのママは世界一』『パパ大好き』『ビーバーちゃん』『名犬ラッシー』思い起こすだけでも楽しい。『ローハイド』『名犬リンチンチン』『ルート66』『ララミー牧場』なんて格好良いのだろう。毎晩僕らをわくわくさせたハリウッド製プログラムの数々。僕たちはこれらのアメリカ映画を見てアメリカ市民の生活に憧れ、勇気と正義を学んで大きくなった。大人の背丈もある冷蔵庫、大きな牛乳瓶、そして各家庭には必ず大きな車が在ることを知ったのであった。男女の逢い引きが、気軽なデート (Date)と言う言葉に置き換わったのも僕らが中学校の頃であったと思う。

聞くところによると1950年代当時に日本のテレビの各キー局では、それらのハリウッドテレビドラマをほとんど無償か超廉価で仕入れて放映していたようだ。言うまでもない。アメリカの組織的文化戦略の一環であったからだ。ごはん食でなくパン食の積極普及とか大家族から核家族への社会的再編作業などと、これらハリウッド製テレビ番組の広範な放映は文化・広報戦略として一体であったのだ。僕らは、当時無自覚だったけれど。

アメリカはおそらく、戦後の日本での広報戦略スタイルをこの60年間、世界中で継続しているだろうと思う。結果、英語の普及は地球上で圧倒的だ。韓国も、中国も同様に広報に力を入れ始めている。韓国では最近コンテンツとその販売の世界戦略を統括する省庁が発足した。日本への「韓流モノ」の攻勢もその一環なのだろう。ベトナムで日本映画の放映があまりにも少ないので現地テレビ関係者に聞いたら、日本の番組は高額すぎると言う。いま、ベトナムの或る局ではエミー賞受賞のドラマ『アグリーベティー(NHKで深夜放送している)』の「番組フォーマット」(番組のコンテンツとノウハウの売買)を購入し、ベトナム版連続ドラマを制作し、ゴールデンタイムに放映までしているのだ。私は今ベトナム以外の事情には不案内だが、国民の大半が日本を敬愛しているベトナムに於いてさえ、テレビなどを通じた広範な国民への広報活動は完全に出遅れている。

「えっ、内需の拡大?」でも、それが限界に来ていることは誰でも知っている。日本は、社会も文化も成熟し、情報も物品も溢れに溢れている。「これ以上どうしても買いたいという物はないよ。」と大半の“大人な国民”は既に解っている。むしろ、技術移転も含む裾野産業構築を基礎にした各国国民との「共生的な外需」の方向に行かざるを得ないと、これも多くの人は既に予感している。そう言う意味でタイ、カンボジア、ラオス、ベトナムなどのメコン流域地域などは、これからの正にパートナーになっていくだろう。
我々がそれらの国々に提供できるものは多い。「環境分野などを中軸とした技術とサイエンス」や「観光」、「サービス、サブカルチャー(マンガやアニメなど)、食と農などのコンテンツ分野」などは、成長分野であると同時に外需向けに相応しい。しかも、新政権が東アジア共同体構想を本気に押し進めるなら、日本語の流布拡大と日本社会をアジアの皆さんに身近に感じていただく広報活動を貿易、投資、企業進出に先駆けて本気で始めるべきだ。広報はそれらの基礎を作る先行のファンダメンタルだからだ。

はっきり言って、日本の良質な番組を日本政府は日本の各テレビ局や映画会社から計画的に買い上げ、アジア各国の主要メディアに無償で大量に供給したらいい。各国の国民が現地語で視聴できる独自の「チャンネルニッポン」を各国に設置することだって不可能ではない(NHK国際放送は各国在住の主に日本人向けの日本語放送のみ)。現地新聞の活用とか、現地語のインターネットWEB展開など経費「縮減」の施策はいくらでもある。

世界語になった日本語は多い。中でも「もったいない」が世界語になったことは、環境を大切にする新しい時代の嚆矢だろう。日本古来のリサイクルシステムや節約の心から最先端技術まで、私たちが東の端から世界に提案し広報するものは少なくない。 

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