《海外進出企業が国内雇用を守っている現実》は、下方に記述。
■ 最近街が明るくなってきた。言っておくけれど「気分」が明るくなってきたと言うことじゃあないよ。今回僕は5月4日~26日まで日本にいた。珍しく三週間超もいたことになる。その三週間で街の照明の印象は大分変化したように思う。4月5月当初は各家庭や工場、店舗などもまじめに15~25%も節電しようと「みんなで渡れば怖くない」方式で、だいぶ節電頑張ったよね。僕もけっこうこまめに気を遣った。だから、駅とか近所の西友ストアなどは、「本日お休みですか?」と聞かないといけないくらいの照度にさえしていた。全国民がこぞって粘り強くがんばり、落とした。でも、目が慣れたのかしら?いま、ちょっと照度が上がった?
今月20日前後から、みんなで頑張ることに飽きたのかな。飽きやすいからね日本人。かつてのように煌々と隅々まで照らして、まるで暗闇はあってはいけないモノノケのように、暴力的に闇を蹴散らしてきた異常な照度環境であった3月11日以前に比べれば、もちろん暗いさ。でも、商業施設は何時も何時も競争に曝されている。夏に飛ぶ虫の様に僕らは、何と言っても明るい所に吸い寄せられるよね。そう言うわけで、飽きたと言うことより、差し迫ったお客の誘導という仕事の癖で、商業施設から、じりじりと明るくなって行きそうな予感。実際、5月後半から点灯したランプの総数はかなり、増えてきたはずだ。ま、節電はライトだけじゃあないけれどね。
ていうか~。だんだんバレてきたのだが、「原発必要論」だ。全国的に電力会社が火力や水力の稼働率をいままで30%〜40%あたりにしていたし、電気を過剰に「オール電化」で垂れ流してきたので、原発が必要になるように演出していたに過ぎなかったということが、次第にぼんくらな僕らにも解ってきた。CO2の削減という2000年以降の「クリーンな空気」とかいう理由は実は後付けの論理で、「原発はクリーンです」と原発派が飛びついただけなのさ。京大あたりの脱原発の「原子力」専門家や電力事情の詳しい専門家の情報では、10年程度のタームでじっくり原発を減らしてゆけば、産業界への悪影響も、我々の生活への影響のほとんど無くスムーズに原発への依存度を低下させていけるようだ。
もちろん、ソーラーや地熱などの再生可能な自然エネルギー分野への国家的開発及び利用の強力推進とか、僕らの生活を質実剛健で簡素なスタイルをめざした場合ですがね。「僕らの電気バブル」な生活を見直して、新しい価値観を模索すれば、もともと「つなぎのエネルギー」であった原子力は、そろそろ退場してもらって良いの季節なのだ。誰でも知っている知識だが、原子力の基本になるウランは、石油と同時期の70年後に、地球上から枯渇する。地球上に無くなるのさ。プルサーマルという苦肉の策的「永久生産」運動も実のところはせいぜい7~8年程度しか延命出来ないと言われている。その7年に100億円以上使ってる僕らニッポン国民。善良でお人好しの僕らの社会。
ついでに・・・
原発事故の記事で、最もきちんと良い記事を書いているのは、東京新聞らしい。僕は読んだことがほとんど無いので、周囲から教えてもらったのだ。理由はちょっと考えてみれば解る。前に書いたことだが、日本で一番に広告・広報費を使っているのはトヨタだ。年700億円。二位は花王の500億円だ、でも東電は広告・広報、マスコミ対策費で、毎年2000億円支払っている。あの世界のトヨタの三倍近くなのですよ。読売、朝日、毎日、日経と各テレビキー局の営業部にとって、東電は「お客様は神様です」の最重要の「数百億円」ぼた餅クライアントなのさ。だから、どうも、常日頃、ほとんどおこぼれをいただいていない地方新聞東京新聞は断固として、戦えるのさ。ほとんど、銭をもらっていないんだもの。腐れ縁が無い分だけ、健全に戦っているらしいのだ。頑張れ、東京新聞。
読売のオーナーの正力が1950年初頭にアメリカから誘われて持ち込んできたのが、原発ビジネスだ。今までの「軍産協同」に代わる「産官政」の戦後の新セットメニューであったのさ。だから、今回もナベツネ(正力とは、ちょっと違う)が、若い頃の反逆精神発揮しないと、読売は最後まで原発を死守するのかな。片や「毎日新聞」は、1970年代に一度倒産した貧乏新聞社で、創価学会の印刷物を一手に引き受けているので、命脈がぎりぎり続いている新聞社だ。有名な事実さ。多分、今回脱原発に踏み切れない中途半端な「毎日」の論調は、経営資金の足らない分を原発関連費用で賄っていたのかも。そう勘ぐられても仕方ないね。
よく、構図を眺めれば、簡単なことさ。原発を欲したのは、国民じゃあないのさ。強欲な一部の「産官政」の連中なのだ。税金を湯水のように使って建設現地を買収し御殿の様な市役所や公民館こさえ健全な市民的自治を後退させてきた。さらに世界一高い電気料金を集めてマスコミを把握しきってきた。いつの間にか日本じゃ、原発は、天皇制や同和に次ぐ、タブーとなってしまったのだ。唐突だが、JFK大統領はアメリカのタブーであった軍産一体体制をつぶそうとして、暗殺された。我がニッポンには、幸いリーダーが不在な分その様な事件は起きにくいね(笑い)。でも、その様な国家の体制と体質が変わっていく時代において、今までタブーで見えなかった”階級的衝突”とでも言うべき巨大なうねりを福島の事件は図らずも生起させてしまったのだ。だから、原発問題は21世紀の日本人の矜恃のあり方をひとり一人に突きつけていると言って良い。
■ 最近の僕の読書は、どうもリズムがないというか、意欲的な目で文字を追う飢餓感もなく現在の僕の精神的な現状を現しているようだ。大佛次郎の「天皇の世紀 全十二巻」の第五巻からまだ抜け出ていない。はっきり言うとこの一ヶ月これをほとんど紐解いていないのさ。まあ、体調を整えているって感じかな。いま、手元に置いて、少しずつおもろいかどうかの感触を探ってるのが、・・・・日本の天才の一人赤瀬川源平先生の「東京随筆」、中公新書「消費するアジア」。腰巻きに「国別のGDPはもはや指標ではない」と僕好みのキャッチが大文字で書かれてあったので初めての著者だが買ってみた。はい、更に現在、内田樹さんと共に信じられる論客の一人池田清彦先生の「進化論を書き換える」と大胆なタイトルの本、先生らしい。目次とか後書きとかちょっとぺらぺら探っただけでもドキドキするね。
五木寛之・梅原猛の「仏の発見」もよさそうだ。日本を代表する知性の梅原さんの老境の中で紡ぐ言葉を味わいたいものです。まだ、イントロ触れただけで読み始めていない。僕らの10年先輩で60年安保の全学連幹部(東大の社学同)で現在保守の論客の西部邁(すすむ)さんと佐高信さんの対談で朝日ニュースターTVの番組「学問のすすめ」を採録した安直本「難局の思想」。田中角栄から三島、親鸞、マイケル・サンデルまで論じたもの。まあ、ちょう軽い流し読みにちょうどいいもの。女房が生きていたら確実に「そんなくだらない本、何処が面白いの」と一喝だね。「マルコムX自伝 全二巻」は、最高な興奮モノ。先々週一気に読めた。いまは、亀山郁夫翻訳ドストエフスキーの「悪霊 全三巻」の第二巻を読んでいる。1969年、20才になったばかりで塀の内側で読んだ印象とは、時代も翻訳者もなにもかも違っているので、同じ著作物と思えないね。僕が読んだのは米川訳か江川訳か思い出せない。黒と赤のややどぎつい装丁で、版の少し大きめのモノであったような記憶なのだが。
■ 24日NHKの19時半からの
「クローズアップ現代」見ていて、「そうだろう。そうなんだぜ。本当にさあ」と独りごちっぱなし。それも大声でね。僕の大好きな国谷裕子さんが僕のほしかったボードを画面に出してくれたのだ。そのデータのタイトルには、こう書いてあった。
「海外に進出した中小企業の方が国内の雇用が増える」なんとまあ、言い得て妙の棒グラフのタイトルだこと。中小企業庁が実施した2000年から2007年までの調査「中小企業白書」に基づいているから、まんざら良い加減なモノでは無かろう。”意外です”が、海外に進出することは、社内に新しい事業モデルと社風を作り上げることになり、実は社内を活性化することに繋がるというのが、このデータなのさ。海外進出は、多面的な波及効果が在ると言うことなんだろうね。工場現場でもオフィスでもね。
しかし、巷(ちまた)では「安易に海外に進出すべきではない。日本から工場と技術が無くなってしまう。雇用は大幅に落ち込み空洞化して、悲惨な経済環境となる」こう言われているようだ。実際、僕も地方周りすると、そう宣う中小企業の社長や自治体の職員にたまに出くわす。既成概念ではそう思いがちなのだが、実際には先の「中小企業白書」のように結果は反対なのだ。進出の優良企業の先達のお話を良く聞こう。実際は「思い切って海外に進出したり、外国人を雇用することは、次の何かを国内(社内)で育む」と言うことなのである。
この回の「クローズアップ現代」のテーマはその意義あるデータのお披露目ということではない。ベトナムで自家用車を開発生産始めているベトナム大手機械企業「ビナスキ」社に応援で技術を提供している日本企業、金型専門企業の「ナガラ」という会社のあり方についての番組である。このナガラは、現在日本の本社工場の有力ベテランを5名を毎月(ナレーションでは、毎月と明言しなかったが)1名50万円のギャラで貸している。ベトナムにとっては大変な高額の投資だが、ナガラにとっても、ベテランを5名も取られるのは大きな負担だろう。
ナガラの社長が「若いベトナムの技術者はみんな熱心だし、教えを強く求められている所に、当方も正面から応えることは、久しぶりの充実感がある」。そして派遣されているベテランも、大体同じ心境のようで「初のベトナム国産車開発を支援するやり甲斐」で満たされている。ベトナムの初めての自動車産業を日本人が支える。まさに、メイド・イン・ジャパンでなく「Made by japanese」なのである。そう言う時代認識が必要なのではないか。番組に出演していた立教大学の山口という先生は言っていた。「現地で求められるモノが次第に変わりつつある。」と。つまり、相手国を豊かにするためのものが、求められつつあるのだ。答は実はそう難しくはない。それは何か。
ブログのこの前項の「復興に必要な8000万人サイズの国づくり発想」でも、少し触れているが、3月13日の「Made by JAPANESEの時代認識へ」でかなり展開した。僕は日本国の将来で工業に関してはモデル工場や必要な生産拠点以外は海外に移転し、日本人が培って持っている高度知識、それも産業教育や職業訓練(モビケーション)を世界から一手に引きうける仕事に特化すべきである、と考えている。資源が無い国といわれていた日本は実は「高度知識」の世界一の資源国であった。レアメタルでなくレアな「高い知識」が集積している東の辺境国であったのさ。人類が誕生して以降、人類の持つ文化と文明は東に移動して、東の突端の日本で重なり合って集積してきた。
その中でいま、極めて世界の人々にお返しできるのは、狭い範囲でいえば、産業技術であり、それを教育するノウハウだ。実は、日本の「成長産業」は、ここらあたりに求めざるをえない環境になりつつある。2050年ごろ我が国は8000万人台のサイズダウンした大きさになる。産業人口も5000万人台に。今は青年3人で老人一人をささえているが、その頃は青年が一人で老人一人を支える時代なのだ。その流れに沿って考えれば、雇用の空洞化どころか働いてくれる若い日本人が激減しているのである。企業も雇用も再編されていく時期に入っていく。規模は小さいがレベルの高い「ピリリと辛い小粒な山椒」のような新しい国づくりさ。明治元年は日本の人口は何と3500万人に過ぎない。太平洋戦争突入時でさえ、6000万人であったニッポン。再構築可能な「事態」さ。
その際必要なことは、必要不可欠な工場以外はアジア・アフリカ・東欧・中南米などに進出してゆき、現地の国民と互恵的にもの作りを発揮することだろう。ここで必要なことは、技術の大胆な開示・技術の遷移である。技術は、防衛できるモノではない。日本は漢字・仏教・稲作・製鉄も含めて”特許権”なしで、無料でいただいてきた(笑い)。文化や技術の遷移は、歴史的現実だね。3万年ぐらいの長い人類史のなかで温故知新で思考しよう。僕らは「教えること。伝えること。交流すること」で稼ぐ方策と戦略を編み出す事が求められつつある、そう言う時代の予感。そういう時代に入りつつある事をじっくり認識する必要があるのだと、考える。
さあ、「高度知識」の産業教育、(身の丈に相応しい精度の高い)工業分野、観光、農業、コンテンツ、工芸・芸術、サービスで喰っていくニッポン。結構いいんじゃあないかい。その頃は今ある原発は、自然的に廃炉になっているでしょう。反比例して再生可能な自然エネルギーは30〜40%になるだろう。というか、エネルギーを過度に消費しないですむコンパクトでシステマチックな時代をそのころは迎えているだろうね。高度知識を歴史的に集積して来た日本人です、まあ楽観的に期待しようじゃあないの。
《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
ぜひ、ご高覧ください。多いのは一日1400名の閲覧もありました。
・2008年9月 水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・ 5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人
これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行